YS−11

YSな日々 〜奇行ログ


一番下へ



2018/12/26(水)
ネットで松浦晋也氏のお勧め本の記事が、キーワードで引っ掛かっていて、どれどれと読んでみると紹介されていたのが、山村堯著「YS11の悲劇 ―ある特殊法人の崩壊」。プロX 的な感動物語とは対極の、 日本航空機製造というこの特殊法人の、半官半民の組織ならではの、或いは国家プロジェクトとしての有り様としての、暗部を捉えたものであるらしい。このあたりについては、前間本においても辛口に綴られていて、 その顛末と後々にまで及ぶ「後遺症」、下請けに甘んじる現状への嘆き・・・・・この山村本は読んだことがなく、絶版であるらしく入手は困難であるらしかったが、試しにググってみれば古本が、すげー値段(汗)。 ある所には安いのがあるのだろうけど・・・。

2018/12/13(木)
入間の YS-11FC、1160 が立川飛行場でお仕事。


2018/11/27(火)
デアゴ「JAL 旅客機 COLLECTION」第5号、何故かある(笑)。JAL 塗装の JA8717 は鉄板として、2機セットのもう 1機は、レインボーカラーの JAS で JA8805・・・・・ん、今 JAA の教材機じゃないの。

2018/11/20(火)
ガイアの夜明け「悲願の国産ジェット云々」を見る。ゴーアラウンド成功!ってなんなんだよ・・・・・これは JCAB のパイロットの慣熟飛行であって、そもそもゴーアラ含めて基本的な機能や性能は、 審査受ける前に社内で確認済の筈、つまるところ審査の準備が進んでいるというだけのことであって、何かハードルをクリアしたとかそういう話では、ない。番組的には前進するイメージのエピソードを入れたかったのだろうが、 今回の取材分の中で、山場らしい山場はせいぜいここまでだった、ということか。ファーンボローでのボンバルの直撃インタビューの方が面白かったぞ。 ◆しかしモーゼスレイクに JCAB 職員が出張っているというのも、奇異といえば奇異に見える。まず JCAB で型式証明を取ってから FAA にかける、と番組内では説明している。だったら国内でやりゃいいじゃん、と思うところだが、 そもそも国内は制約が多いから国外へ逃げているわけで、そこへ JCAB も付いて来て審査だけする・・・・・国内の制度整備は後回し。「YS-11 以来の」がほぼ必ず付いて回る MRJ、つまるところ JCAB も大きなブランクを持つ。 FAA審査程手際良く進まない可能性はあるわけで、そこいらが外野ながら心配になる。実際、YS-11 では日航製の東條輝雄が一計を案じ、聖火輸送への参加というタイムリミットを設けることで、 当時の運輸省に待ったなしの危機感を持たせた・・・・・結果的に聖火がアテネを発ってすぐ後で取得・・・・・という逸話が伝わっているわけだが、またその手、使いますか。

2018/11/17(土)
所沢航空発祥記念館の公開講座「ターボプロップ旅客機の進化」を聴きに行く。会場へ始まるギリギリに滑り込んだら、満席、既に濃いぃ気配が漂っていた。講師は JAC の、ドルニエ以来飛ばしてきたという冨田機長と、 長らく整備に携わってきた技術の松尾氏。二人とも制服・・・・・というか仕事着姿で、わざわざ着替えて気分を盛り上げてくださる。この松尾さんが司会慣れしている様子で、JAC 乗ったことある方ー、 二人立ち上がってありがとうございます、JALマイレージのダイヤモンド会員(たしかそれ)の方ー、また立ち上がって深々とありがとうございます!、業界の方ー、はーい、官公庁の方ー、 いらっしゃいませんかホッ・・・・・てな調子で、面白えなおい。さらに、このカレンダーの写真撮られた方ー、あっいらっしゃいましたか、って青木勝さん立たせる(笑)。 ◆ドルニエ228 に始まり、ATR-42 へ至る同社の機材の、体系的な航空史というよりは、思い出話的なところで、その分話もなかなかに、生々しい。ドルニエ228 のカモメのような翼平面形はこれまで認識していなくて、 島の生命線でもあるこれが空にある風景を想い、なんともいえない気分になる。調布から行き来している姿を幾度も見ていながら、そんなところまで思い至らず、ただボケーっと見上げていた己の、浅はかさよ。 どっしりと安定しながら非力で上昇がしんどかった YS-11、「ヨーロピアン・スタイリッシュ」のキャッチフレーズと共に颯爽とやって来たサーブ340、パワーに物言わせて余裕の飛びっぷりの Q400、 そして今イチオシなATR-42・・・。 ◆松尾さん、YS-11 の豆知識を披露してくださった。プロジェクトX でもクローズアップされた、三舵問題、特に主翼の上反角の変更後、影響の出る各部をどう改設計されたのか気になって、調べた由・・・・・そうそう、 そのまま量産するわけあるまいと、こちらもずっと気になってたトコロで、これは有難い。曰く、空気圧の調整で間に合わせた主脚のキャンバー変化は、取り付け部分を変えることで垂直に直されてるそうな。 エンジンの取り付けも斜めのままなのかと、整備の際に現物で確認してみたところ、上半角増加分、そのまま取り付けが斜めになっている、とのこと。エンジンを取り付ける際に道理で一発で合わなかったわけだと、 現場ならではのお話。そして上反角が増しロール安定が強くなったため、エルロンを翼端まで延長、それでも舵面が足らず、若干後へはみ出しているのだという。初耳。プラモデルで主翼後端に段差があったからといって、 ツライチに削っては駄目、とのこと(笑)。 ◆さらに細かいところでは、キャビンに蛍光灯を採用したのは、YS-11が世界初である由。天井の丸い照明には、丸蛍光灯が収まっている・・・・・旧型客車でもそんな風なのがあった気がするが、 その機構上電磁波を発するので、カバーには金網が仕込んであったという。他に、座席の枕カバーにベルクロを採用したのも、YS-11 が最初。内装の貼り合わせもベルクロ。さらに、窓のブラインドのようなものは、 カーテンなのだとのことで、素材が布なので、呼称としてはそちらが正しいのだと・・・・・これは濃いぃ。 ◆冨田機長の話も、色々エピソードが交えられていたが、こと YS-11 については、パワー不足はあれども、機体は素直に仕上がっていたとのこと。その証拠にヴォルテックス・ジェネレータは、水平尾翼にあるだけなのだという。 またどちらのお話であったか失念したが、主翼の下面がフィンやフラップの機構の出っ張りも無くクリーンであるのも、YS-11 の大きな特長であるらしい・・・・・言われてみれば、である。 上昇力は厳しかったようで、鹿児島を離陸して、通過ポイント毎の定められた高度まで持って行くのが、なかなか難しかったという。そういえば北向きに上がって、そのまま左旋回して南へ向かえば良さそうなところを、 右にぐるーっと大回りして高度を稼いでから去って行くのは、たしかに見た。 ◆整備の話や ATR の話等々興味深いお話は尽きなかったが、質問コーナーで、YS-11 のアプローチは他の機種と比べて頭が突っ込み気味だが理由があるのか、という質問に、スラットも持たずフラップのみなので、 揚力の中心が後へ移動する為に頭を下げてカバーする・・・・・ナルホド。ジューイチでなくイチイチだ、と力説するご年配には、我々もイレブンとは呼んでますけど心の中ではイチイチです、分かってる人は分かってます、 となかなかうまい回答(笑)。アレだな、「横浜杉田で11日に会いましょう」あたりまで遡るのかねえ、これは。 ◆折角なので博物館「YS-11 名機伝説 2018」を鑑賞。毎回内容は変えてあるのかもしれなかったが、プロペラが曲がって写る程旧い機材の時代から、在りし日の YS の日常・・・・・写真集は手許にあるけど、 ページを繰るでもなく眼前の風景のように眺めるのが、いいのだな。脳裏に刻まれた RRダートの音が、すぐにあの日に連れ戻してくれる。

2018/11/12(月)
最近になって存在に気が付いて、思わずポチった DVD「ドキュメントJASDF 平成29年美保基地航空祭」を観る。そこはかとない手作り感に、正直どうかなという予感がなくもなかったが(失敬!)、 どうしてどうして、低予算の気配はありながらも、余計な加工や付け足しは抑えて淡々と、そしてしっかり追っている好ましさ。会場で一発撮りに関わらず、安定感ある映像もさることながら、 会場の様々なノイズを抑えつつ、機体のエンジン音を活かすミキシングも、時に苦労の跡も窺えるも、概ね丁寧な・・・・・心意気と言おうか・・・・・印象。 ピーチクパーチクとヒバリの囀りがそのまま入ってるのも、ああそうだったそうだったという空気感がまた、いい。 ◆この年は、C-1、C-2、そして YS-11P と、戦後日本航空史にあっての国産輸送機が一堂に会す、最初で最後だった。これに T-400 を加えての 4機編隊は、まさに歴史的な光景ともいえたが、 開会式で基地司令が T-400も元は国産の機体云々と・・・・・いやそれ、確かに元は MU-300 なのですが、顛末からして三菱の黒歴史、むしろ触れないであげてください・・・。 ◆一日の展示飛行や催しを追い、ブルーの出番がコンパクトに纏められてて、そこじゃないんだよーあくまで美保基地だからねーというスタンスに好感(笑)。 でいよいよ、YS-11P、1152 の最後の展示飛行と、引退セレモニー。会場で流れていた「ニュー・シネマ・パラダイス」のテーマをそのままここでも欲しいくらいだったが、権利上無理であろう話ではあって、 ここでも淡々と飛び姿を、見せる。欲を言えば、大山に向かって小さくなっていくあたりも、欲しかったところか。放水に迎えられ、そして RRダートの火を落とした後の静寂と、拍手。 飛行後の報告の後、基地司令の挨拶・・・・・時折途切れたのは、次の言葉を探してか、感極まってか。観ながら、1年半前のあの日が、暫しフラッシュバック・・・・・ううう。

2018/11/3(土)
入間航空祭。今回何故かやる気満々で早めに乗り込んで開門待ち・・・・・駅の臨時改札にしてみたが、前倒しで他の門を先に開けたようで、とはいえこちらの列はまだ短いし、セキュリティチェックも早い筈と粘る。 そうこうするうちに、本来の開門の 15分くらい前には、入れただろうか。踏切を渡ると横断幕に今年の主役、隈取塗装の C-1。YS-11FC も今年限りではなさそうだし、今年は C-1 狙いで行きましょうか。 記念切手のブースは早くも人が並んでいたが、なんとなく今年はパス。YS-11 のクローズアップ待ち(笑)。 ◆空いてるうちに先にグッズ類をチェック、隈取 C-1 をあしらったキーホルダーと、折角なので302飛行隊のファントムII のアレも・・・・・こちらはラストイヤーと銘打ってるし。 電車からはエプロン南端の方に待機状態の隈取 C-1 の姿が見え、ということは今回飛びそうな気配濃厚なのだったが、そのエプロンへと向かうと、開放までちょっと待たされた。尤もブルーの正面目当てではないから、 割と余裕ではあるのだったが、さてさてお目当ての隈取 C-1 は・・・・・おお、YS-11FC、1160と鼻先を並べている。目を転ずれば 1151 も見え、ハテどうして片方退役したと思い込んだのやらと、今更ながら。 ◆ともかく、飛行点検隊の出番は早いので、のんびりしていられない。位置関係的にミス航空祭のパレードとも絡められないようなので、今回そちらはスルー。やがてオープニングフライトを務める T-4 や U-4 が上がって行き、 YS のコクピットでも、クルーが準備に入ってる様子で、窓から手を突き出し、親指を立てた。おっ、始まるかと望遠で見守りつつ、いい加減腕がプルプルしてくる頃、エンジンスタート・・・・・って、 その肝心な瞬間に、手前を車が過ぎる(沈)。1年ぶりに聴くダートサウンドが立ち上がる中、いやいやまだ第1エンジンがある、とその合図をどうにか収め、チョークも外れ、いよいよタキシング開始。 エンジン・ナセルのギラリを捉える。 ◆さて、ブルーの列線越しに離陸・・・・・風向き的には、ブルーの前を過ぎて反対側へ行かねばならないが、間に合うか?? 昨年は C-1 の離陸が先に入って時間を稼げたが、今日は、駄目か・・・・・と、 ヘリが 1機上がって行く。これで少し救われたか、と尚も進んで行き、ここらでどうかというあたりで、さて YS は・・・・・音は聞こえたが、どこだ、どこだ・・・・・完全に外し(沈)。 ◆オープニングフライトが過ぎ、いよいよ飛行点検隊の出番。U-125と並んで航過、ブレイクして、それぞれ紹介されながら、旋回したりと、お披露目程度な内容ではあるのだが、超望遠でプロペラはブラしたいわ機体は止めたいわで、 撮る方は必死なんである(苦笑)。大気の揺らぎも結構きつい。そうこうするうちに着陸。タキシングの YS を追っていると、C-1 の離陸が始まっていて、初っ端が隈取仕様のそれ。慌ててレンズを上へ向けたが、 シャッターが遅いままだったので、ブレまくり(泣)。優先順位を間違えたな。ヘリの飛行展示を挟んで C-1 も飛び回ったが、あの隈取仕様の見かけの割に、今一つ傾(かぶ)いていないな・・・・・「入間インパルス」はもっと、 やんちゃな飛びっぷりでは、なかったか。 ◆その後はのんびり見物モード、大多数にとっては大本命のブルーインパルスも、軽く流す。隈取 C-1 と離陸を絡め、スモークとも絡めようとするも、最早入間名物ともいえるストップ・ミッションがかかり、 撮れたのは射られないキューピッドのみ、星もさくらも、なし・・・・・ぬううう。 ◆帰投を見送り、西の空の雲を睨みながら、追い出されるギリギリまで、YS と C-1 の西日狙い。午後は雲が出てしまって、ブルーにとってもイマイチだったが、最後の最後で、射してくれた。 YS-11FC も来年度、再来年度と、1機ずつ退役するような話だったように思う。運が良ければ、あと2回、ここで会える。昨年の美保でのように、さよならフライトも設けて欲しいところだが、ブルーの後というのは難しいか。 以前には、午前プログラムの中で、バートルのラストフライトが設けられたことはあった。そして、もう少し先だろうが早晩、C-1 も去ることになる。電子戦仕様のスーパーYS は、最後の最後まで前には出て来そうもないが、 エアロラボ機を除けばこれが本当の、国内最後の YS-11 であるから、労いのひとつでもと、思うところではあって。


2018/10/30(火)
広島へ行く機会があって、ただ往復するのも能が無いので、美保で展示された YS-11P と、C-1 に会いに立ち寄ることにした。昨年の航空祭のお別れフライトを見届け、もうここに来ることはないだろうと思っていたが、 そこへこの展示。そういうことなら、と考えるにしても、ついでの用でもなければなかなか・・・・・そこへついでの用。 ◆旅程も立てたところで、美保基地から、ライトアップ始めましたとのアナウンス。さらにハロウィンの飾りも付けましたと・・・・・なんじゃそれわ。ともかく予定を少し前倒しして、夕暮れに乗り込むことにしたのだったが、 生憎雨・・・・・出掛けの予報ではそんな気配も無かったので、傘以外にレンズフードなどの雨対策をしていなかった不覚。さらにギリギリ薄暮には間に合うかといった目論みも、この天候と帰宅ラッシュで、コールドゲーム。 凹んでもいられないので、ともかくライトに浮かび上がる2機を、ぱちり、ぱちり。 ◆というのは昨日の話で、今日は日の出より営業。暗いうちに現着し、徐々に青く浮かび上がってくる様を、ぱちり、ぱちり。昨夜とは一転晴れているとはいえ雲が多く、それでも東の空に見える隙間に期待を寄せて、 日が射すまで粘った。ようやく、やや薄日ながら朝日を受ける、2機。 YS は鼻先に、C-1 は右舷のコクピット下に、コウモリや魔女のオレンジ色のシルエットがあしらわれている。 なんでもかつては、部隊マークが魔女だったらしい・・・・・知りませなんだ。手元の模型も、大国主マークの晩年の姿しか、ないのだったか。ともあれ、今度こそ、美保に、境港に来るのも、これが最後となろう。

2018/10/21(日)
鉄雑誌と航空雑誌をチェック。航空ファンであったか、入間の YS-11FC はまだ 2機いる旨の記述。1151 と 1160。1160 の 1機のみと記憶していたが、何故そういう認識になったか、ソースが思い出せない。 尤も 1機のみで運用するのも、何かと効率が悪い気もするが・・・。来年、再来年に 1機ずつ退役するような話だったが、再来年の入間航空祭が、花道か。そういえばいつぞや、バートルの挨拶を見たっけな。

2018/10/20(土)
所沢航空発祥記念館の公開講座「YS-11・1964年の祭典秘話 ギリシャから炎を空輸せよ!!」を聴く。タイトルがもう、プロX感満載なのだがそれはさておき、講師は夫馬信一氏。 今年出版された「1964東京五輪聖火空輸作戦」の著者であり、内容は概ねこの本に沿ったものだったが、余談を交えながらのお話は、本の復習を超えて趣深く。全くの余談で、今回の講座のタイトルで、 「聖火」を避け「炎」と表現したのは、1984ロス大会以降の商業化やらライセンスやらで、色々面倒らしかった。聖火輸送も JAL と ANA で分担してきた歴史があったが、分野毎の 1社限定が厳格化され、 1998長野大会ではハクキンカイロで定期便で運んだ由。聖火を分けることも叶わなくなり、2020東京大会では一筆書きになって、空輸は松島基地へと決まっているという。 ◆気になるのは MRJ を使うかどうか、だが、型式証明を受けるのは2020年初頭の見通し、これがまた延びない保証はないが、YS-11 が型式証明を受けたのは、聖火がアテネを経った後。 今のところ空輸候補という話は聞こえてこないが、何があっても驚かない、というようなことを夫馬氏は仰る。質問コーナーに移り、鹿児島に火が残っていたというのは本当かという質問、 これ初耳だったが、実際にあったそうで、しかし近年消えてしまったとのこと。そういえば、とアテネからの経由地での、本の中にあったとある疑惑(?)について尋ねると、ネタバレと言われてしまい(汗)、 しかしながら、様々に証言を集めた限りでは、楽観的に捉えているとのことだった。 ◆講座はお開きになったところで、本日のお強請り。「1964東京五輪聖火空輸作戦」を差し出し、サインをお願いすると、謙遜されながらも快く応じてくださった。この本は前年に出版の「航空から見た戦後昭和史」から、 聖火輸送に絞って編み直したもので、ご本人も後書きで「二番煎じ」と記されていたものだが(笑)、同等の分量で内容を絞った分、前著で触れられた話は全て入っているのかと思えば、 特に印象的だった、まだ完成していない YS-11 の、日航製からの胡散臭いセールストークの文書が寄せられたくだりなど、殆ど触れられていない。その点について訊いてみると、 戦後航空史としてのアプローチであった前著よりも、一般向けを心掛けた結果、そこは割愛した由。どうやら、事情があって引っ込めたとか、そういうコトではなかったようで。

2018/10/16(火)
入間航空祭の切手、今年のヤツの情報が出てる。さてさて・・・・・YS-11 は 62円の方にはその姿なく、82円の方はというと、FC は後輩 U-125 の後に若干隠れており、 一方既に退役している P の写真なんかがある・・・・・部隊マークが入間時代ぽいようにも見え、思い出写真なのかこれわ。特別塗装のファントムが目を引いて、 そっちで売り切れそうなのがちと気になるが・・・・・後釜サイテーションが再来年春納入、YS-11FC が現役でいられる入間航空祭は、来年までか。

2018/10/10(水)
デアゴ「JAL 旅客機 COLLECTION」なるものが創刊されてた由。YS-11も、ラインナップされているようだが・・・・・JALの装いを纏ったYS-11は、JA8717「あそ」の1機、しかも国内機で唯一、定期国際線に就航したアレ。 小さい機種は 2機入りというが、JA8717 は確定として、もう 1機は JAC のラストフライトとか、そんなところなんだろうか・・・・・などと考えていたらコレ、どうも静岡限定版らしい。 道理で TVCM も打ってなかったわけだ・・・・・が、ここでコケると、全国販売無いんだよな。ううううむ。

2018/10/6(土)〜8(月)
5ヶ月前、エアロラボ機が能登へフェリーされたのを受けて、速攻で日本航空学園(JAA)の航空祭の日程を調べた(笑)。能登空港の空の日イベントはまだまだ情報が出る気配もなく、 ただ日程は合わせるに違いなく・・・・・JAA も告知を打つタイミングには早かったが、年間行事表に、あった。早速早割を押さえにかかると、もう埋まり始めてる・・・・・
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