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時間が空いたので羽田へ行って、ルフトハンザの丁度来てたクラシック塗装の 747 撮ったりしつつ、1タミで開催中の「The History of HANEDA / 羽田空港が、見てきた風景。」展へ。
日本空港ビルデング 70周年記念の由だが、HASM も協力とのことで、羽田の歴史のパネル展示の他に、斎藤茂太コレクションのバッグ、飛行機の模型や現物の部品・・・・・
ありましたわ、YS-11のプロペラ。無塗装のピカピカは珍しいのではないか。説明書きからすると、今はなき三菱重工羽田補給所のストックであったと思われるが、その割には縁に結構傷が。
◆旧ターミナルの屋上にあった、YS-11 の強度試験体を流用した機体。当初は試作機塗装、後に JDA、TDA の塗色になり、1975年には撤去された由。その撤去の様子もまた貴重なのだが、
この機体、見てるハズなんだよなあ。言われてみればそんなようなものがあったような、とかなり曖昧な記憶しかないのが、哀しい。10円だか 20円だか入れてガラガラ回るゲートを押して、
屋上へ出られたのはうっすら覚えてる。航空機や航空行政などを紹介する展示施設があったのも、うっすら覚えてる。そして、当時のジェット機というのは物凄く煩く、劈く騒音に耳を塞いで、
その展示施設に逃げ込んだような記憶も・・・・・それか、そのせいで屋外の記憶が乏しいのか(笑)。
◆これに合わせてか「羽田空港アーカイブ 1931-2023」という写真集も出ていて、日本の航空史を綴った本はこれまでいくつもあったが、羽田に特化して写真が豊富。
特に工事の様子だとかは、これまであまり詳らかに載せられていなかったと思う。今回の展示写真も網羅されているし、いやはや濃いぃ濃いぃ。お値段がちょいと張るが以下略。
会場限定のポストカードくれた。
MRJ、全機登録抹消。米国から里帰りさせる目もなくなった。まだ飛んでない機体や、製造途中のドンガラすら遺せないのであろうか。或いはもうこっそり始末したか。
三菱航空機、清算会社(?)に社名変更。
昨日配信の東海テレビの記事「“日の丸ジェット”の夢は幻に…三菱重工がスペースジェット開発から撤退 再開信じていた地元「言葉もない」」。中止発表の 2/7 に放送したものらしい。
15年前の事業化から、2015年の・・・・・そんなに経つか・・・・・初飛行、度重なり 6度もの納入延期に、名称変更・・・・・未だに意味不明だが・・・・・を経て、
とうとう潰えるまでを、簡単に振り返る。余談だが「スペースジェット」なるものは偽名で誤魔化してるようにしか思われなかったし、変名後に進展らしい進展もなかったから、
事実上贈り名だと思ってる。中身が伴わない space というなら相応しかろう。
◆航空評論家の杉江弘氏のコメントがある。型式証明の取得ができないことがネックになったのは周知の事実として、
(抜粋)「試作機ができた後に、重要な設計変更をしないと型式証明を取れないことがわかってきた。絶望感が強かったんじゃないですかね。」・・・・・機器の配置などの冗長性について、
問題を指摘されたことは報道で知っていたが、ここで言う”重要な設計変更”とは、手が付けられない程に根本的だったのだろうか。「絶望感」とは余程のことだ。
「立ち止まる」と言ってから 2年も解決できなかった問題とは・・・・・技術的な問題より、内外の逆風に抗すのがやっとだったのかもしれないが。
◆続いて「三菱の関係者も知り合いがいていろんな情報が入ってきたんですけど、なんというか“しらけていた”と。現場はしらけています。」と仰った。皆まで言っていないのは明らかだが、
疲弊し切っているという意味なのか、トップへの不信なのか・・・・・これまで外野から報道で知った限りのことしか分からないが、
この為に設立した三菱航空機の、親会社であるところの三菱重工との関係、或いは航空機内の体制が、コロコロと変わって、迷走しているように見えたのもまた事実である。継投からセーブだったらいいが、
KO からの敗戦処理、あるいはババ抜きと化してるのかと、イヤーな予感があった。あながち外れてもいまい。こんなところも、リーダーが地に足着けたホンダジェットとは対照的だ。
◆盛り立てていたのが梯子を外された格好の地元の話を経て、前出の杉江氏のコメントで締める。お先真っ暗としつつも、
「航空機産業の力を持っている会社、あと国が一緒になって今回の失敗の原因を分析して、『もう1度やり直そう』ということなら、十分可能性はあると思います」
・・・・・これは相当な楽観論に読める。その通りかもしれないが、そんなことはもう起こり得ないことを、杉江氏自身、先刻承知な気がする。
遠回しに、能力がありながら、ミスミス、ムザムザ、失敗したと言ってるようにも、読める。
◆この体たらくは、技術力以前の、マネジメントの問題なのだろう。驕り、根拠なき楽観、無責任体質、失敗学的な要素てんこ盛りな予感がする。関係者が現役のうちは、なかなか難しいかもしれないが、
是が非でも、ノンフィクションに纏めてほしいところである。かつて YS-11 の顛末を記し、その問題点を指摘し、業界の後遺症に触れ、下請けに甘んじる日本メーカーへの失望を綴り、
なぜ日本で作れないのかと問い続けた、もうご高齢だが前間孝則氏こそ相応しくないか。クロ現で「名古屋をシアトルやトゥールーズに並ぶ都市に」とリップサービスしてたのも今や懐かしいが(笑)、
書籍や連載などで、ずっと MRJ を追って来られた前間氏、その間にも色々耳にしてたこともあっただろうし、あの硬派な筆致で、是非斬っていただきたい。
「科博廣澤航空博物館」の内部が 3Dで公開されてる。おーおーぐるんぐるん回せるし、下からも覗ける。ほうほう・・・・・で、いつオープンですの。
「科博廣澤航空博物館」が特別公開された由。茨城新聞の記事によると、その概要と、少年のインタビューのコメントが紹介され、「年内にオープンする予定となっている」と締めくくる。
以前「年度内」と伝わっていたから、少しは短くなった気もするが、詳細はまだ明かせないかぁ。
昨日から非公式に流れていたが、スペースジェットこと MRJ、開発中止の正式発表。凍結という表現を避けて「一旦立ち止まる」としてから 2年あまり、
内外の逆風の中でなんとか粘ったのだろうと想像するが、とうとう力尽きた。最早何の驚きもない。新型コロナ禍は泣きっ面に蜂だったろうが、
それまでの経緯からすれば、その前にもう詰んでた。
◆事業化した頃の、日本が本気出したらスゴイんだぞ、とばかりの自信満々な様を覚えている。当然、YS-11 や MU-300 の顛末を踏まえているハズで、
相応の覚悟や対策はあるハズで・・・・・というのがどうやら買い被りであるらしいことが、度重なる組織変更や、素人目にもお粗末な失態で、明らかになる。
業界関係者からもトホホな話が漏れ伝わる・・・・・「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」・・・・・気持ちいい程に、それを地で行っているようだった。
「日本スゴイ!」の自己暗示に酔っていたのか?
◆「スペースジェット」への改名に至っては、その欺瞞ぶりに呆れた。それ以降殆ど全く進展がなく、言ってしまえばもう死に体であったから、
「スペースジェット」はいわば戒名、贈り名・・・・・それもキラキラネームを付けるような軽さ・・・・・とも言える。
プロジェクトの有り様も含めて実体を語る文脈では「MRJ」こそ相応しい。
◆潰れたものはどうしようもないが、試作機は本来「あいち航空ミュージアム」の目玉になる筈だった。それも初号機でこそ意味があったろうが、
まだモーゼスレイクにいるのか、どこかへ移ったのか、飛ばさないことには五体満足では帰って来られない。三菱に最後の意地で帰還させる気があるのかは知らないが、
小牧でロールアウトした最後の頃のはまだいたならば、ソイツを転がして済ますかもしれない・・・・・証拠隠滅で潰したりしなければ。最近そういうのよくあるよなー。
◆大人の事情まみれで、造る程に赤字となった YS-11、型式証明で梃子摺った末に事業を売却して、売った先で大ヒットした MU-300(ホーカー400)、
7機で製造中止の MH2000・・・・・そこへ MRJ が加われば、そこはもう三菱黒歴史ミュージアム・・・・・あああ。
「映像の世紀バタフライエフェクト」で「零戦 その後の敗者の戦い」というのやってて。戦後新幹線になりました、YS-11 になりました、というかつてのプロX の黄金パターンを、
一纏めにしたような回・・・・・というかこの番組自体このところ、プロX 末期のような針小棒大的コジツケ見立てがどうも・・・・・はさておき、片肺離陸などの貴重な映像を、
多分プロX の時より長い尺で見せてくれて、今回最大の収穫かもしれない。
◆一通りプロX ストーリーをトレースした後、「その後」へと続く。 CRH の方を完全スルーな新幹線輸出の話は大人の事情として(笑)、さて YS-11 である。
JAC のラストフライト・・・・・もう 17年も前だ・・・・・の模様に重ねてナレーション、「国産旅客機の生産は、YS-11が最初にして、最後となった」・・・・・言い切った。言い切りましたよ。
MRJ があんな体たらくでなければ、こんな「どうしてこうなった」なエンディングではなかったろうに・・・・・まあしかし、
「夢を再び」とか「日の丸ナントカ」の類が悉くコケてる(※個人の感想です)21世紀、プロX が放映された当初は「あの頃を思い出せ」と鼓舞するようなメッセージと受け取ったが、
いつしか「日本スゴイ」を捻り出すような様相となってたあたりといい、アレですわ、やっぱ。