街並みサーベイ・メモ16 街並と広告看板その1
  ●広告看板の氾濫は経済活動である。
 良い都市景観とは何か、そもそも都市景観とは、と訊かれると、あまりに範囲が広いので「街並み」と置き換えて答えることにしている。すなわち、戸建て住宅地、大きな公園、工場地帯等を議論からはずすわけではないが、街の景観を論ずる時に広告、看板、電柱等も問題になる商業を中心にある程度の密度のある街並みを対象にするのがわかり易い。
今回、検討するのは、景観の大切な要素の一つである屋外広告--@・看板--A・電柱--Bである。
他の景観要素に建築物、工作物、緑と水、公共施設(公園、広場)があるが、わが国以外の大都市では殆ど卒業しているのが「電柱広告」である。電柱広告の合法化は100年の歴史。電柱広告料をプールして架空線埋設できるかという計算を誰かがやっているかと調べたが見つからなかった。次のサーベイで考察する。
この「日本的問題トリオ」は以下のように展開できる。
1.これらは経済活動である。
 「広告」は街並みの建物とは関係なく、広告料のために存在する。「看板」は建物の販売促進である。「電柱」は地下化費用がないために存在し「電柱広告」に至っては電力会社の合法的資金源である。
2.従ってこれらを抑制、改善するためには、ただ規制するのではなく、具体策が必要になる。大げさに言えば「利権」や「競争」を別の形に移転、変形する策である。
3.川越の商業者が商売のために伝統建築を復活して景観を整えたように、経済原理の「ダイナミズム」で語るなら他の商業地との競争で「集客力のある景観」を考えるしかないのか。
屋外広告、看板、電柱(と広告)は恐らく、地域地区単位で目標を立てコントロール若しくは廃止する方が行政の規制のみで規制されるのを待つより有効か。
競争原理や既得権益は別の手段で転換する。街並みの問題から逸れてくる感じもするが、収支を考慮した景観論もあって悪くはないと思われる。 
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@殆どがその店の看板。これだけで凄い。秋葉原

A半分は他店、他社の広告。広告料は広場の周りでざっと年間1億円か。自由が丘女神広場。

Bこちらは安いが売物の電柱広告。巻付広告、突出広告

C電柱広告がないので救われる。自由が丘美観街。
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