街並みサーベイ・メモ22
都市景観論と街並みマスタープラン 2007.08
今まで述べてきた街並みサーベイは、我が国内外の都市景観を実用性(都市機能)を含めて観察し、まちづくりの一面である「佇まい」を考察したものである。この間、まち現場の研究だけでなく、興味をもつ人(特に自由が丘関係者)との議論、シンポジウムの参加、WEBでの調査を経て、このシリーズの方向を転換する試みる。
@ 全国の都市景観を議論するあまり意味がない。
色々なまちがあっていい。普遍的な都市景観議論より「身近なまちの姿を求めること」に専心することにしよう。→右の事例A参照
A 都市景観は「好み」より都市構造の一部である。
歴史的な都市景観は権力が創ってきた。現代都市の景観はまちの持っている特性を集約した意志であり情熱である。ばらばらも一つの民意である。また、一部であれ地元のリーダーやカリスマがいて行政の弾力的支援があり具体の行動があって、まちが動き始めたときに地元のまとまりが出て来る。それ故、そのような例は稀有なものなのであるが実在はする。
B 景観は住民投票で決められるか。
景観に好みの要素があったとしても、分かりやすく総合的な案がなければ、直接投票でも決められるものではない。最終的には地域行政の選挙のマニフェストで責任者(行政の長)を決めるのが最適である。小さな行政単位で決めている欧米の街(筆者の知っている)では市民、議会、市長が景観方針を立てている例が多い。東京目黒区の一部である自由が丘では難しい。→右欄B参照
C まずマスタープラン案が必要
中心市街地の再開発にディベロッパーからプロポーザルを募り、最適なものを選ぶこともある。それも選ぶ側の意志が問題。L.A.郊外のパサディナでは時間をかけて高層再開発でなく発生時のイメージを残した案を採用して成功した。(商業活動や治安など)
細分化された東京のまちではこれさえも難しい。ディベロッパーの投資効果と地権者・商業者の利害とは乖離することが予測されるからである。可能性はマスタープランのプロポーザルを募ることにある。地元間で或は行政との意見が一致していない場合は複数案があってよいが、できれば地域関係者がそれぞれの方針を出し、それに沿って専門家もしくはディヴェロッパーがプロポーザルをつくる。
マスタープランは再開発のビルの絵というよりもまちの景観を決めるルールとそれによる街並みの試案である。広告看板・色彩・みどりも大切であるがまずは街の構造である道や建物のボリウムと並び方をどのようにするか(勿論土地利用、安全快適を含めて)を示すものである。具体を示すのは今回は差し控えるが何を目的にしているかは右図を参照。
→右図C/マスタープランの原形である現状の自由が丘立体図
都市景観論議の事例サーベイA
WEB上での議論に「美しい景観を創る会」の「悪い景観100選」とそれに対する主にその権威的な論調を嫌う「反対ブログ派」の攻勢が見もの。 「景観を創る会」は関連分野の大家・重鎮の集まりで現代都市の悪い景観の実例を過剰、錯綜、放棄、惰性の面で取り上げ、良い例は伝統建築、自然環境、調和と統一を基準として選んでいる。
それに対して我が国の現代人には、統一された景観に反発する気分があり、この景観派に対して「生り」の都市景観がましという考え方が存在する。建築デザイン関係者にも多く見られる。
検索参照:●「美しい景観を創る会」のHP
●「悪い景観を守る会」のぶログ等
都市景観論議の事例サーベイB
自由が丘では都市計画道路事業化について賛否両論の激しさが増してきて、「景観論」だけではすまなくなってきた。下北沢は街を切り裂くような25m幅の都市計画道路の認可と17階制限の地区計画素案によって街の外も含めた反対運動や行政訴訟が起こっている。「生成りのまち」を求める勢力も計画的な街の発展を望む派も、研究してそれぞれの具体案をつくる必要ありと見る。
下北沢の反対派にもマスタープランがない。
検索参考:●世田谷区HP 下北沢関連
●下北沢 反対運動ブログ群
都市景観論議の事例サーベイC 筆者作成
自由が丘中心部の現在形:中心部の空洞化は街の特色であるが商業地の歪も見える。この図の表現で更に各ブロックの地区計画や景観地区等の弾力的且、シンプルなルールでまちが変わる様子を記述し、最終的にマスタープランとなる。
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