街並サーベイ・メモ5 自立ルールを持つ街  川越旧街道一帯  20005.1.15

 前述の都知事発言「江戸は美しい都会であった」を検証できる街は実在するか。江戸ではないが川越は何回か行っているのに入念に見たことがない。
 景観シンポジウムの常連パネラーの市職員荒巻さんの説明で"伝建"(伝統的建築物群保存)や"川越市都市景観条例"は承知している。

●  川越市の商業地は「JR・東上線駅と西武本川越駅間のSC・商店街」と「市役所までの旧街道一帯」の二つの核でなっている。後者は300mの旧街道保存地区(伝建)だけでなく、その周りに、独自で昭和初期のまま維持したり改築等でも新建材を使いつつ涙ぐましい(あるいは苦笑する)努力で古い街に合わせようしている商家やしもたやの一帯がある。(大正浪漫通り、菓子屋横丁、大手町,松江町・・・)

●  荒巻さんによれば「保存修復は商売のために商業者から始まったのであり、条例や文化財保護は後の話」という。したがって建替に対して「干渉」は商業者中心の会で行っている。
 街並に対するルールは中庭や住宅の平面原則にも及んでいて、単に軒並みやデザイン様式だけでないところが凄い。
大部分が昭和初期に建てた物であるため、和風と洋風が入り交ざっている。

●  に観光確か客が多いが、桐箪笥、呉服、和菓子や新旧の道具や職工等の業種も残っている。したがって街道は車の渋滞が激しい。
広めの路側帯で歩道がないが危険を感じないのは、はみ出し陳列や路上駐車がないためか。町屋の奥深い敷地を利用して駐車場を奥に引き込んでいる。歩行者モールも豊富にあるが、通過交通道も目抜き通りとして立派に機能させている。学ぶべし。
しかしやはり大昔の都市計画(町屋割り)がきちんとしていて、それを生かせば自動車の時代でも何とかなるということか。

● 建替えは必ずしも木造瓦屋根でなくても良いという例
施主・建築家と蔵の会会員が議論を重ね、新町屋建築を実現した例。
平入りの瓦屋根はガラスに置き換えられ軒線は揃うが、明るい。
平面は美術館のコンクリート壁と工芸品店・カフェのガラス面との間に通しの通路で構成されている。
 昔は風習や権力で決まったものを建てていたが、現代にはそれがない。
昔風に再現するのも手であるが、こういう高度な手法を地元の人々が関与して創っていくことも出来るのである。

●  結論:調和というのは全てを揃えることではない。
   景観というと伝統保存地区をイメージする向きが多いが、普通の街でも
芯になるルールや様式があれば、多様なものを含んでも魅力を失わないというやり方を検証して行こう。

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