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小説評論もどき 2002年上半期 (19篇)


私の読書記録です。2002年1月-6月分、上の方ほど新しいものです。 「帯」は腰帯のコピー。評価は ★★★★★ が最高。

June, 2002
ミスターX (上・下) (原題: Mr. X) 著: ピーター・ストラウブ (Peter Straub) / 訳: 近藤麻里子
創元推理文庫 2002年, 960円/940円, ISBN4-488-59301-1/4-488-59302-X ブラム・ストーカー賞の栄冠に輝く大作 / ただただ虚心に、この愛すべき、そして端倪すべからざる大長編の豊麗なる 世界に没頭していただきたい。
母親の死を直感し故郷エドガートンに帰って来た主人公ネッド・ダンスタンは、 臨終の際の母親から、はじめて父親の名前を聞かされるが、故郷に暮らす伯母達は父親の正体については なぜか口を閉ざす。一方、クトゥールー神話を真実と信じ、 ネッドを滅ぼすことを求め、超自然的な力で虐殺を繰りかえす Mr. X も彼の帰郷を待ち構えていた。 ネッドは、帰郷時から周囲に見え隠れしつきまとう自分の“影”なる存在であり、 なかば肉体を持たぬ兄弟との遭遇を経て、ダンスタン一族の特殊な力に目覚める。 そして、街の名門一族とダンスタン一族の秘められた歴史と関係を探るうちに、 ネッドは自分と Mr. X との対立は、一種滑稽な結末を迎えるのだった。
統合人格評 ★★★ / SF人格評 ★★ / ホラー人格評 ★★★
要約するのが難しい物語である。物語の濃度が高いだけでなく、小さなエピソードが バラバラな方向に進みつつ全体的に大きな図柄が現れてくる構造だからなのだが、 その中に巧みにクトゥールー神話のエッセンスが織り込まれている。 残酷だがむしろ滑稽さすら漂わせるそれらの切れ端には、クトゥールーにつきものの過剰な形容はないし、 コズミック・ホラーのテイストはまったく切り落としながら、それでもこんな話が書けるのは ピーター・ストラウブならでは、ということか。
イカした言葉 「だが、私はよく思うよ — わけても、もっと物を知っていなければならない はずの人間達が、なぜこの世は慈悲に満ちているはずだなどと考えるのか」(上巻p49)
傀儡后 著: 牧野修
ハヤカワSFシリーズJコレクション 2002年, 1700円, ISBN4-15-208412-X 奇怪なドラッグや、謎の奇病がもたらす恐怖と崩壊を描く漆黒のテクノゴシック
隕石の衝突により壊滅した大阪北部は、立ち入った誰も還ることの出来ない奇怪な領域 (D・ランド)と化していた。それでもなお普通に人々の暮らす周辺地域には、 全身の皮膚がゼリー状と化す奇病や皮膚に貼り五感を拡張するドラッグが蔓延している。 それらの患者/常習者が例外なく目指すことになるD・ランドに君臨しているらしい謎の存在〈傀儡后〉をめぐり、 人間離れした残酷性をもつ若き天才服飾デザイナー、超支配階級の老人達、 全身をスパンデックスのスーツで包んだマッドなヤクザなど、対立しているのかどうかも定かでない奇人達がうごめく中、 D・ランドはとてつもない変容を開始する。
統合人格評 ★★ / SF人格評 ★★★ / ホラー人格評 ★★★
皮膚/服の物語である。触覚とコミュニケーションの物語である。 ここでは表面/境界こそがすべてである。小説自体もゴシックで絢爛な細部を縫い合わせた結果、 全体としてはイビツな誰も着ることの出来ない衣装となってしまった印象がある。つまりこの小説には内部がない ("内容"が、ではない)。それとも、これを着ることのできる"何か"がいるのかもしれないが。 それは作者のねらいでもあるようなのだが、評価は分かれるところ。 牧野氏のグロテスクな描写とネーミングの力はやはり素晴らしいのだけど。
イカした言葉  が、触覚は違う。触れることは、同時に触れられていることでもあるのだ。(p262)
恐怖症    — 異形コレクション 監修: 井上雅彦
光文社文庫 2002年, 838円, ISBN4-334-73324-7 恐怖嗜好症のあなたに捧げる〈異形〉最新刊!
通算22冊目の『異形コレクション』。今回のテーマはタイトルどおり「恐怖症」。
統合人格評★★ / SF人格評★ / ホラー人格評 ★★★
んー、今回の『異形』はイマイチかな。テーマがストレート過ぎなのか、 作者のみなさん、処理にてこずってる感じがしますな。 まあ、これだけの水準の物語を出しつづけているシリーズだから、たまには谷もあるのはしかたなし。
May, 2002
闇に刻まれた言葉 (原題: Word Made Flesh) 著: ジャック・オコネル (Jack O'Connell) / 訳: 浜野アキオ
ヴィレッジブックス 2002年, 780円, ISBN4-7897-1804-2 命をかけて綴られた書に男はふたたび熱い血をたぎらせた
アメリカの地方都市でタクシー運転手を営む元警官のギルレインは、 ボヘミア人街の顔役とその座を狙うNo.2に突然追われることになった。 無残に殺された故買屋を死の直前に乗せたことで、彼から重要な本を預かったと思われているらしい。 第二次大戦中のユダヤ人虐殺の場で物語を紡ぎだした少女とその物語により怪物となった男、 200年前のオカルティックな殺人者、さらに、すべての言語の破壊を叫ぶテロリスト、特異な理論に基づき 犯罪捜査を行う元神父の刑事。言葉と物語に取り憑かれた者たちの間を巡りながらギルレインは、 事件の真相と同僚警官だった妻の死の謎に迫る。
統合人格評★★★ / SF人格評★ / ホラー人格評 ★★★
とてつもなく混沌にみちたハードボイルド。どの登場人物も奇怪極まりなく ストーリー展開も情景描写も象徴に満ち神話的ですらある。 特に舞台となる街は、始めから腐敗しているのだが、話が進むにつれ、現実性の皮が少しずつ剥がれ落ち、 暴力描写もその残虐性を増し、ほとんど幻想小説の様相を示していくのがスリリング。
イカした言葉 「おそらくわたしはすべてをでっち上げている。これがもっとも簡単な答えではないか?」(p329)
アラビアの夜の種族 (原題: The Arabian Nightbreeds) 著: 古川日出男
角川書店 2001年 2700円, ISBN4-04-873334-6
ナポレオン率いるフランス軍侵攻直前のエジプト。 アラブ的には解釈不能なその兵力を理解したカイロの統治者の一人が選んだ秘策とは、 読者に破滅をもたらす『災厄の書』を仏訳しナポレオンに献上するというもの。その命を受けた奴隷のアイユーブは、 歴史の闇の中から語り部ズームルッドを探し当て、夜の種族たる彼女の語る物語を美しい書物に仕立て上げていく。 迷宮の底で眠る魔王と、自らの王家の血を知らぬ無双の剣士と、故郷を追われた不世出の魔術師の 千年にわたる物語を核として、語るものと語られるもの、そして物語の迷宮性をめぐる多重構造の物語は進む。
統合人格評★★★★ / SF人格評★★★ / ホラー人格評 ★★★
まずは、この魅力的なタイトルを愛でたい。 そして、著者不明のまま各国語に翻訳され広がった物語を日本語に再翻訳したとするスタイルと、 奇妙に装飾的なその翻訳(?)文体も。 メタフィクションとしては非常にストレートな構造ながら、人が、語り継がれる物語・書物そのものと化し、 テクストたる迷宮がその所有者により解釈され直し、その解釈が干渉しあうメタの過剰さが素晴らしい。 ところで、魔王と剣士と魔術師を巡る物語は面白いんだけど、時の権力者を破滅させるほどの力を 持ってるのかといわれると... 翻訳されていない枝葉にその秘密があるのかも。 広大な迷宮の辺境に築かれた奇人都市の描写は秀逸。
イカした言葉 「おまえは……著者か?」「おれが著者だ」「おまえがおれを書いたのか?」(p602)
April, 2002
90年代SF傑作選 (上・下) 編: 山岸真
ハヤカワ文庫SF 2002年 各940円, ISBN4-15-011394-7/4-15-011395-5 現代SFの魅力を精選した傑作集 / 現代SFの精華を集めた傑作集
90年代を代表するSF22編からなるオリジナルアンソロジー。
統合人格評★★★ / SF人格評★★★★ / ホラー人格評 -
改めて僕が言うまでもなく、80年代SFは良くも悪くもサイバーパンクの時代だった。 90年代にはこれを凌駕する旗印がなかったこともあるためか、実は『80年代SF傑作選』と比べると 地味な作品が多いような気もする。でも、さすがにどの作品も90年代SFの各側面を代表するものばかり。 個人的にはイーガン「ルミナス」がベストかな。
編者の山岸氏は、昨年アンソロジー『20世紀SF』(河出文庫)の一冊として もう一つの90年代SF傑作選を世に出しているのだけど、充実度としてはあちらが上かも。
フリーウェア (原題: FREEWARE) 著: ルーディ・ラッカー (Rudy Rucker) / 訳: 大森望
ハヤカワ文庫SF 2002年 900円, ISBN4-15-011393-9 マッドでクールな人工生命体モールディたち / かれらをめぐる大騒動の顛末は!?
人間対自律ロボットの争いが、人間側の放ったコンピュータを無力化するカビにより決着した未来。 カビは特殊な構造をもつプラスチックと融合して形態自在の人工知性体モールディーとなり、 人間と対等な相手として(それぞれの思いは違えど概ね平和に)共存している。
そんな未来で起こった、モールディー好きの変態によるモールディー誘拐事件の背景には、 ある種の数学的テクノロジーめぐるドタバタがあった。 様々なアイデアと技術が開発者の思惑を超えて結合・発展していく中で生まれたこのテクノロジーは、 ついには(ほとんどそれまでのストーリーとは関係なく)とんでもない存在をこの世に呼び出してしまうのであった。 マッドさとサイケさ増量の『ソフトウェア』『ウェットウェア』の続編。
統合人格評★★★ / SF人格評★★★★ / ホラー人格評 ★★★
ラブクラフト好きは、どんな話の中からでもクトゥルー の要素を見出してしまうもので、本書を読み始めてすぐに思ったのは、モールディーってショゴスだよねぇ、ってコトで、 てっきり反乱したモールディーが人類を滅ぼすような展開にでもなるかと思いきや、 ラッカーのドタバタはそんなフツウでおさまるはずもない。 アイデアもプロットもブッとんだ、小説作法的には破綻した物語ながら、このデタラメさこそがラッカーの真骨頂。 ヒッピーでハッカーな数学者じゃなくちゃ書けない話だよねぇ。
イカした言葉 「じゃあ自分でやってくれ。言語のスペックはフリーウェアだ。」(p287)
March, 2002
左眼を忘れた男 著: 浅暮三文
講談社NOVELS 2002年 940円, ISBN4-06-182238-1 臨死体験より過酷な運命とは!
平凡なサラリーマン山崎が意識を取り戻したのは病院のベッドの上。 感覚はあるものの指一本動かせず、見た目には植物状態。おまけに左眼がどこかに失われている。 何者かに襲われ後頭部を強打した際に飛び出たらしい。しかし、どういうわけかその左眼の視覚だけは伝わってくるのだ。 しかも、赤ん坊に拾われ猫にくわえられ川に流され中華丼に載せられ岡持で運ばれながら、左眼は犯人を追っているらしい。 山崎はままならない視覚と記憶を頼りに事件の真相と自らの過去に潜む謎に向きあう。
統合人格評★★ / SF人格評★★ / ホラー人格評 ★★
「異形コレクション」で奇妙な 短編を連発している浅暮氏の不思議な物語。 なんとも幻惑的な筋立てとクセのある文体で、ちょっと気軽にとはいかない。 通勤中に読んだので、多分、完全には把握し切れてないけど、 結局、主人公と犯人とさらにそれを追う第三の男の関係が****だったという 結論(一応、ネタバレ回避)はどうなんだろう。うーむ。
イカした言葉  漂っていればよい。沈みさえしなければ。(p363)
巷説百物語 著: 京極夏彦
中央公論新社C★NOVELS 2002年 1150円, ISBN4-12-500749-7 御行奉為 (おんぎょうしたてまつる)
小股潜りの又市、事触れの治平、山猫廻しのおぎん、彼らは江戸の世の諸国をめぐり 依頼を受けては裁けぬ悪を闇に葬ることを生業としていた。彼らは、ターゲットに近づいては巧妙な罠を仕掛け、 妖怪を語る/騙ることで、その心の闇をいぶしだし自滅させていくのだ。
ある仕掛けの際に出会った怪異譚収集家の戯作者百介を狂言回しに繰り広げられる 京極版「必殺仕事人」のエピソード7編。
統合人格評★★★ / SF人格評★ / ホラー人格評 ★★★
1999年に角川書店より発行されたハードカバーの新書化。 何となく読みそびれていたので手に入れたんだけど、やっぱり京極夏彦氏の語りの“間”は絶妙。 次第に己の闇に食い尽くされていく標的の様がどうにも似通っているのと、 仕掛けがあまりにも綱渡り的なのはどうかと思うけど、オリジナルたる「必殺」シリーズもそういやそんなとこか。
のどかな田舎の実直な老人の粋な姿と、陰惨な衝動に飲み込まれていく侍の無残な姿が対照的な「芝右衛門狸」が秀逸。
イカした言葉  ならばここは — 口車に乗らねば嘘である。(p219)
サブウェイ 著: 山田正紀
ハルキ・ホラー文庫 2002年 540円, ISBN4-89456-948-5 地下鉄には、死んだ人間がいつもさまよっている……
地下深くに位置する地下鉄永田町駅には、死者がさまよっていて、 再会を強く願う者は死者と会うことができる。そんな都市伝説にすがるようにして引き寄せられる5組の男女。 それぞれの愛憎の想いは永田町駅という場で、死者を呼び寄せ、過去に囚われた彼らは 地下鉄駅に開いた冥界への穴に取り込まれていく。
統合人格評★★★ / SF人格評- / ホラー人格評 ★★★
それとわかる幽霊や怪異が現れるわけでもなく、静かで哀しい幻想的幽霊譚。 とはいえクライマックスでは結構大変な惨事が起こるのだけど。 それぞれ、死により分かたれた愛する者やそうでない者への想いを断ち切れず永田町駅をさまよう登場人物たちは、 はじめから半ば冥府に足を踏み入れているのだ。つまり死者が死者を想う物語でもある。
ところで、この都市伝説は聞いたことがないけど、本当にあるのかな?
イカした言葉 「地下鉄の電車に乗っている人間、ホームにたたずんでいる人間の何人かは、必ず死んだ人間なんだそうですよ」(p26)
魔術探偵スラクサス (原題: Thraxas) 著: マーティン・スコット (Martin Scott) / 訳: 内田昌之
ハヤカワ文庫FT 2002年 680円, ISBN4-15-020306-7 ダメダメ中年探偵が大活躍!?
舞台は剣と魔法の世界。かつて宮廷に仕えていた中年男スラクサスは、 衰えていく魔力と、増えつづける体重と、賭博でふくらむ借金に悩みながらも細々と探偵家業を営んでいた。 ある日、彼のところに王女が持ち込んだラブレター探しの依頼は意外にも超希少な魔術アイテムや 宮廷の麻薬スキャンダルを巡る陰謀に展開していく。 スラクサスは乏しい魔力を知恵でカバーしつつ、いつもはセクシーな衣装のウェイトレスながら いざというときは滅法腕の立つ美貌の女剣士を相棒に国を揺るがす謎に挑む。
統合人格評★ / SF人格評★ / ホラー人格評 ★
軽めのモノを読みたいな、と思っていたところ目に付いた “ハードボイルド風ユーモアファンタジー”。 世界幻想文学大賞(2000年)受賞作だし、そういや昔「SFマガジン」のSFスキャナーで誉めてたな、 と思って手にとったんだけど... ダメだなぁ。
異世界ファンタジーは世界の構築の質がキモだと思ってるんだけど、どうにも安いRPGか三流アニメ風にしか思えなくて。 社会・文化の描写はどこかで聞いたような世界観のパッチワークだし、 作品世界特有のものには妙に詳しく不自然な解説があったりする。 それに、例えば、"午前二時"とか"八マイルの恐怖"とか、あまりにも無頓着に使われてて興を削がれること甚だしい。 キャラ重視を否定する気はないがね。もっとチャンと作ってほしかった。
イカした言葉 「あいつがいきなり他人の魂について心配をはじめると、あまりうれしい展開にはならないのだ。」(p27)
February, 2002
不死の怪物 (原題: The Undying Monster) 著: ジェシー・ダグラス・ケルーシュ (Jessie Douglas Kerruish) / 訳: 野村芳夫
文春文庫 2002年 743円, ISBN4-16-752794-4 ハリー・ポッターを生んだイギリス幻想文学界、幻の名作! (迎合しすぎでは...)
千年以上の歴史を持つ旧家ハモンド家には、繁栄と栄光とは裏腹に忌まわしい呪いがかけられていた。 数世代に一度ほど、当主とその周辺の人物が正体不明の獣“不死の怪物”に襲われて死にいたる、というのだ。 戦争で途絶えかけた家系で、現当主オリヴァーが“怪物”に襲われたことから招聘された美貌の霊能者ルナは、 次第にオリヴァーに心魅かれながら、一族の呪いの謎に挑んでゆく。
統合人格評★★★ / SF人格評★★ / ホラー人格評 ★★★
なんと1922年に書かれた小説の初訳である。 そのため物語の筋立とか登場人物の心理描写はかなり大時代だし、 “不死の怪物”の正体も現代のすれっからしの読者にはすぐバレてしまう。 でも、だからといってダメ作品ではなく時代を超えるだけの力はある小説。 特に、ルナが、一族にかけられた因縁の由来を、論理に基づき、北欧神話世界まで遡って説き明かし、 芝居がかったやりかたでその呪いを治療(そう、“治療”なのだ)していくところは結構ヘンなんだけど、 これって、京極夏彦の京極堂シリーズにおける 「憑物おとし」とまったく同じなんだよね。そのあたりも意外と古臭さを感じさせないところかも。
最初に書店で本書を手にとったとき、目次に踊る、「別の次元 — おそらく第五」とか 「二万六千年と二十四日」とか言ったゴージャスな言葉から、コズミックホラーかなと思って買ったんだけど、 その印象は当たってないような当たってるような...
イカした言葉 「でも、説明は短文ですみます — もしかしたら一語で。」(p254)
だからドロシー帰っておいで 著: 牧野修
角川ホラー文庫 2002年, 781円, ISBN4-04-352203-7 妄想は現実を超える。そして世界は壊れた…
平凡な生活を送る凡庸な主婦伸江がスルリと突き抜けた現実と妄想の壁。 古代インドの宇宙観めいた妄想の世界の中で、彼女は、破戒僧とクビツリ死体とできそこないの昆虫人間と共に冒険の旅に出る。 一方、現実の世界では浮浪者と痴呆老人を従え、ナイフと首吊死体から切り取った腕を掲げ彷徨う狂った彼女の後ろには、 虐げる者、貶める者たちの血みどろの死体が残されていく。 家の一つの機能としてしか認められていなかった彼女は『オズの魔法使い』とも『西遊記』ともつかない虚実並行する旅を経て、 力強く成長し、やがて、ある種のもの達にとっての災厄を現実世界にもたらす。
統合人格評★★★ / SF人格評★★★ / ホラー人格評 ★★★★
これは妄想という言葉で語り直された、『宝石泥棒II』 (山田正紀)ではないか。というのが最初の印象。
電波系妄想の世界を描かせたら日本一の牧野修の筆による、奇怪な妄想でありながら、 いっそ爽やかな異世界冒険ファンタジーの世界と、弱いものが曖昧に貶められる陰鬱な現実の世界の奇妙な相克の物語。 妄想世界でのクライマックス近く、一行が“あの歌”を歌いながら行進する姿は圧巻。笑ったけど。
明確な暴力や虐待ではなく、日常的で曖昧で中途半端で漠然とした抑圧の構造をえぐり出した、 問題作と言っていいんじゃないかな、多分。その意味ではフェミニズム的な話でもあるのだな。
イカした言葉  曖昧な不快感は痛みを伴わない瘤のようだ。気になりはするが、それ以上でもそれ以下でもない。 ただそこにあり、漠然と不安で漠然と不快だ。 (あとがき)
マスカレード   — 異形コレクション 監修: 井上雅彦
光文社文庫 2002年, 838円, ISBN4-334-73274-7 怪奇と祝祭! 仮面舞踏会へのご招待。
ホラー系アンソロジーの嚆矢である『異形コレクション』の通算21冊目。 「仮面」と「変装」を主題とした22編。
統合人格評★★★ / SF人格評★ / ホラー人格評 ★★★★
それを身につけた者の正体を隠し、または別の人格を与え、時には違う世界を見せる 非日常の象徴たる「仮面」。と考えれば、これまでに取り上げられなかったのが不思議なくらいで、 全体的にすごくしっくりとまとまった感じのあるアンソロジー。 扱われる「仮面」も多種多様で、民俗学的だったり芸術作品である仮面をはじめ、殺人鬼のかぶるマスクや、 人面疽や口裂け女のガーゼマスクや、ネット上の仮面であるハンドルネームなどなど。
中でも異色なのは、浅暮三文氏の『カブス・カブス』で、かなり思い切った実験的メタフィクションだが、 でもこれはあまり「仮面」の話ではないような。
グリーン・マーズ (上/下) (原題: Green Mars) 著: キム・スタンリー・ロビンスン (Kim Stanley Robinson) / 訳: 大島豊
創元SF文庫 2001年, 各1100円, ISBN4-488-70704-1/4-488-70705-X 最新科学に裏打ちされた火星開発 / 惑星改造を描きつくす、途方もないリアリティ
21世紀半ばの火星開発の始まりから、政治的動乱のなか起こった軌道エレベータ倒壊 という大惨事までを描いた前作『レッド・マーズ』から40年。本格的開発が再開された火星で、 隠れ住みながらも大きな勢力をなし、独立を目指す「最初の百人」を始めとする各勢力は、 意見の相違をおして、連帯の道を探っていた。一方、地球では長寿処置が普及したことから 深刻化する貧富格差と社会的緊張、さらには資源の枯渇を背景に、国際政治・経済を掌握する 超国家企業体群は火星の植民地政策を強力に推し進め、火星の独立派との対立は深まっていく。 そして、ある地質学的大事件をきっかけとして、再び革命が始まる。
統合人格評★★★★ / SF人格評★★★★★ / ホラー人格評 -
交渉力とか調整能力とか政治的能力の一切が欠如した僕ですが、こういうなんとも 政治臭いSFというのはツボの一つで、まあスターリングの小説なんかが好みのわけで。
ストーリーとか構成はかなりストレートなんだけど、非ゼロサムな政治的駆け引きといった 火星社会のダイナミクスと、開発に伴い表情を変えていく火星環境を、情緒を削ぎ落とした筆致で、 細部まで徹底的に濃密に描き尽くしたリアリティは圧倒的で、「講釈師、見てきたような嘘をつき」 などという言葉も脳裏をよぎる大作。
ところで、この物語はあくまで独立派の視点から進むわけなんだけど、どうだろうね。 何しろ惑星開発なんてのはとてつもないコストのかかる事業なわけで、 その意味では火星から利益を吸い上げるために締めつける企業体の姿勢も理解できないこともないし、 すっかり悪者扱いなのも不公平かも。例えばアメリカの開拓と違い、先住民がいるわけでないし。 もちろん作者もそんな善悪の陣営の対立とか革命万歳みたいな単純な構図にはしてないけどね。
イカした言葉 「あれはまさに天国だったぜ。いや、天国じゃない — あれは火星だ、混じりけなしの火星。」(上巻p544)
January, 2002
さらば、愛しき鉤爪 (原題: Anonymous Rex) 著: エリック・ガルシア (Eric Garcia) / 訳: 酒井昭伸
ヴィレッジブックス 2001年, 860円, ISBN4-7897-1769-0 これが噂の恐竜ハードボイルド!
長年の相棒を失った事件以降、尾羽打ち枯らした生活を送っている主人公の私立探偵ルビオの正体は、 実は、ヒトの扮装をまとった恐竜だった。 ある事件の調査をきっかけに、相棒の死の真相と、さらにその背後に潜む、 恐竜コミュニティばかりかヒト世界までを揺るがす大きな謎に迫っていく。
統合人格評★★★★★ / SF人格評★★★ / ホラー人格評 ★
なんとも人を食った設定が楽しい。6500万年前に滅びたと思われていた恐竜が、 実は生き延びていたばかりか、ヒトの扮装をかぶり、こっそり人間世界で暮らしているという。 総“人”口の約5%が恐竜で、あの有名人やこの歴史上の人物も、正体は恐竜らしい。
一方、話の筋はかなり意図的にこの種の物語の定型をキッチリ踏まえていて、落ちぶれた主人公が、 ふとしたきっかけで自らの運命を変えた事件の真相を追うことになり、 やがて背後にある大きな陰謀が浮かび上がる。その過程で、ロマンスと裏切りがあり、 クライマックスの大立ち回りと、エピローグの大団円。
まあ、話に無理があるのも確かで例えば、いくらなんでも、いままでヒトにまぎれて暮らす恐竜の存在の 秘密が保たれているのは不自然だし、ヒトと匂いが違ってて鼻で同類を嗅ぎ分けるというなら、犬がいるとまずいしね。 でもエンターテインメントとしては第一級。とにかく楽しいので 続編にも期待。
イカした言葉 「理由はきくな、きいてくれるな」(頻出)
ダイヤモンド・エイジ (原題: THE DIAMOND AGE) 著: ニール・スティーブンスン (Neal Stephenson) / 訳: 日暮雅通
早川書房 2001年, 3000円, ISBN4-15-208385-9 "夢想"は“現実”を解体する
高度に発達したナノテクノロジーにより政治体制も経済構造も完全に変容した近未来。 ある貴人が娘の教育のために作らせた「初等読本」— 持ち主をモデルとした物語を紡ぎ、 読み手と相互に作用し内容を変化させていく、外見は本そのもののナノテクデバイス — をある事件で手に入れた、上海に程近い地に暮らす貧しい少女は「本」を通じて得た知識と知恵により、 自らを悲惨な境遇から引き上げる。一方、「本」の開発者を焦点とした、 社会にさらなる変容を迫るテクノロジーをめぐる複雑怪奇な政治的・科学的対立は やがて大きな社会的動乱を引き起こす。成長した少女とその“物語”は、 その激動の世界を大きく揺り動かす力を持ち、そのありかたに大きくかかわっていくことになる。
統合人格評★★★★ / SF人格評★★★★★ / ホラー人格評 ★
クールでポップな前作『スノウ・クラッシュ』に引き続き、サイバーパンク的な未来を 鮮やかに描き出した傑作で、重層的に絡み合ったビジョンとイメージを整理しきれず、読後しばし呆然。 統合人格評が満票でないのは、こちらの容量不足故。
題材となるのが、自ら変容し現実に影響を与えていく物語ということもあって、 数多くの物語のエッセンスが織り込まれていて、例えば、 主人公の少女ネルの成長物語には、『足長おじさん』のような少女小説のフレーバーが感じられるし、 「本」の開発者ハックワースの遍歴は、聖杯探索の物語のスタイルで、その中には、 『浦島太郎』や『古事記』の「黄泉辺喰い」の一節も読み取れる。 東洋的なるものと西洋的なるものの対立する中国沿岸部の現実世界を基層に、ネルの「本」の物語、 いくつかの演劇の舞台に、集合知性の夢の中という平行世界が重なり干渉しあい、 登場人物も別のレベルではネット上のデータになったり、心理学でいう“原型”の役割を演じたりと、 まあ、すごいことになってます。
イカした言葉 「子どもたちがそれを信じるのは、それを信じるように教え込まれたからだ」(p379)
インスマス年代記 (上・下) (原題: Shadows over Innsmouth) 編: スティーヴァン・ジョーンズ (Stephen Jones) / 訳: 大瀧啓裕
学研M文庫 2001年, 各730円, ISBN4-05-900078-7/4-05-900079-5 呪われた港町に邪神たちは集う / 恐怖小説界の奇才たちが大競作
クトゥルー神話の始祖H.P.ラブクラフトの代表作 「インスマスを覆う影」と、その後日談・オマージュのアンソロジー
統合人格評★★ / SF人格評★ / ホラー人格評★★
インスマスや深きものどもを題材にしていながら、クトゥルー神話の枠には 収まらない作品が多いけど、それでもクトゥルー神話の読み手以外にはあまり面白くないかも。 収録作はなかなか渋いのがそろっているが、恐怖小説としての完成度は、起源たる「インスマスを覆う影」が やはり群を抜いている。改めて読んでみたらやっぱりすごい。創始者の貫禄だねぇ。 インスマスという町はアメリカ東海岸に位置している(ことになっている)のに、 どういうわけか収録作の舞台は英国周辺が多いので不思議に思ってたら、 ラブクラフト以外はみんなイギリスやアイルランドの出身者とのこと。
コカイン・ナイト (原題: COCAIN NIGHTS) 著: J・G・バラード (J. G. Ballard) / 訳: 山田和子
新潮社 2001年, 2200円, ISBN4-10-5414-1-1 犯罪こそ人類覚醒の超麻薬
弟にかけられた忌まわしい事件の嫌疑をはらすため、スペインの高級リゾート地を訪れた主人公は、 そこが近隣の停滞したリゾートコミュニティとは異なり、活気に満ちていることに気づく。 事件の謎を追う主人公は、コミュニティを動かす秘密に次第に巻き込まれていく。
『このミス』にランクインしてもおかしくないくらいちゃんとしたミステリながら、 バラードらしい挑発的・文明論的な思索小説
統合人格評★★★ / SF人格評 - / ホラー人格評 -
エデンの園は、退屈きわまりない場所だったのだろう、多分。 アダムとイブにリンゴを喰えとそそのかした"蛇"はある意味、解放者/救済者だったといえるのかもしれない。
この物語の舞台となる高級リゾートコミュニティの、影のプロデューサーたる存在は 一種の精神異常者として描かれており、 C・パラニューク 『ファイトクラブ』のタイラー・ダーデンとの共通性も多いが、この小説のカリスマが志向するのは (異常者の熱狂に基づくものとはいえ)、あくまで社会の調和と活性化というのがパラドキシカル。
でもなぁ。プロデュースされた悪徳や退廃ってのも、なんかねぇ。 しかも煽動者の導きのとおりにやらされながら、オレはいっぱしのワルでござい、 って顔している登場人物達も哀れ。 まあ、それでコミュニティが“活性化”してるんならいいのかもしれないけれど。
イカした言葉 「これは世界全体が歩んでいる姿だ。君が今しがた見たのは 未来なんだよ。そして、その未来には労働も遊びもない。」(p232)