GARDEN of GAIA Page-3


 ガイアの庭

独断と偏見で書きなぐれ!ご意見無用のたれ流しコメント集!!

ガイアの庭
〜Page-3〜



なんか分かんないケドいきなり追放じゃい!(いやはや…)(1999.02.14)

第23話「我夢追放!」(脚本:吉田 伸 監督:北浦嗣巳)

「いよいよ始まったヴァージョンアップ4連作ですが、今回は吉田脚本渾身の一作。4部作にかけるスタッフの意気込みを感じさせるエピソードになりました。しっかしいきなりのハードな展開に、「やればできるじゃん」ってのと「もうちょっと早くここに来て欲しかった」ってのが交錯して複雑な思いでしたね。

やっぱり大河ドラマならストーリーがうねって行かねばならんのですよね、基本的に。その意味で今回のドキドキな展開ってのはまさにその「うねり」なワケです。今回は描かなければならない内容が多いので、例によってストーリーが刈り込まれ、うまい具合に不必要な描写を押さえて緊迫感を持続させる事ができましたね。同じ吉田脚本による「アグル誕生」の続編とも言うべき内容で、登場した藤宮のかつての研究パートナー、稲森博士を狂言回しに使ってストーリーが展開して行く辺りはシリーズ作品の醍醐味でしょうね。ただ、「ガイア」における伏線って、あっても同一ライターの作品間に留まっている様で、その意味ではちょっと不満ではあるんですが。

今作では「シリーズ構成」パートを小中氏の加入で強化している訳ですから、各エピソード毎の設定とか、ライターを越えたシリーズとしての伏線とか、もっと張り巡らしていいと思うんですよ。後になってあのエピソードのあのセリフがズンと利いてくるとか、あのシーンの何気ない描写が重要な意味を持つとか…観てる側もそういうのってすごくハマるじゃないですか。視聴者に幼児を混ぜると、そういう概念が理解できないから止めたいってのはあるかも知れないですが、幼児層もそういうのって本能的に理解できるという気もします。あんまり大人が勝手にセーブかけちゃうより、やりたい様にやって見せるってのも、ある意味必要なんじゃないかと思います(あくまでも表現手法としての範囲でですけど)。「ガイア」でも長谷川圭一脚本のメザード編で、前作の展開を受けて話を展開させる試みがなされてました。そういう作劇をしたいっていう欲求はライター陣にもあると思いますね。

やっぱりXIGってSHADOなのかなぁ(いやはや…)。千葉参謀なんかフリーマン大佐的セリフ吐いてるし(いやはや…)。コマンダーの結論が非常に断定的に聞こえるのはちょっとアレですけど、前回のGUARDに対する各国の不満とか、XIGをとりまく環境設定はかなりリアルな様です。GO!GO!このまま突っ走れ!(いやはや…)。

特撮は北浦演出が冴えてました。随所に登場する斬新な描写。崖に激突するゴメノスやガイアの描写をはじめ、パワフルな戦闘シーンがイイですね。

さてさていきなりハードな「ガイア」、このままスパート体制に入って欲しいものです。



起承転結臥薪嘗胆 (へ?)(1999.02.21)

第24話「アグルの決意」(脚本:長谷川圭一 監督:北浦嗣巳)

さてさてヴァージョンアップ4連作の2回目、今春のウルトラ映画の脚本も担当し、平成ウルトラ世界の実質的な担い手ともいえる長谷川圭一氏によるシナリオなのですが、どうもジャンプアップする処までは行けなかった様で、次回へのつなぎに期待って処でしょうか?

思うに4部作はいくらメインになるエピソードとはいえ、ちょっと長すぎる感がありますね。どれだけ内容的に盛り上がろうが、結局エピソードとしての完結は4話目でせざるを得ないのですから、3、4話目の終局に話をつながなければならない2話目辺りの展開が一番制約が多くなります。そんな悪条件の中での、仲々の健闘ではあった訳ですが、長谷川氏のアツいストーリーもいささか不完全燃焼気味。「ティガ」「ダイナ」でも感じたんですが、果たして連作を分担するって作劇法、ホントにメリットあるんでしょうか?

とりあえず物語の基幹線から少し外れた部分の、玲子と藤宮の関係に触れておこうって感じでした。藤宮の変心の道具でしかない、足の悪い子供の使い方はかなりアザといんですけど、キーとして使われる子供のクレヨン画(握手するアグルとガイア)ってのは、やっぱり王道ですね(いやはや…)。あの辺りのドラマは今回のエピソードでもピークとも言える盛り上がりで、個人的には結構好き(いやはや…)。「ガイア」って当初はこういう感覚とは無縁のシリーズって感が強かったんですが、結局ここに戻って来たっていう感じですね。変身したアグルがいきなりカラータイマー点滅してるのもファイヤーマンみたいで好き(いやはや…)。

「ウルトラシリーズ」って何なのか?これって結構難しい問題ですね。地球に襲いかかる危機を冷静な視点で捉え、その中に生じる様々なドラマを切り取って描き出す。「ガイア」はそんなシリーズっていう印象だったんですが、最近この「冷静な視点」ってのが、必ずしもそうじゃないって状況を呈してます(いやはや…)。結局、ヒーローが活躍する「ウルトラシリーズ」の様な物語って、そういう「感情的」な視点が脚本にないと、仲々盛り上がらないって事なのかも知れません。

特撮は今回も北浦演出が快調。CG、合成の効果的な使い方が冴えます。ゾンネルIIとガイアの戦闘シーンも、夕日を背景にしたかつての「夕日のジュン」こと大木淳演出を彷彿とさせる快調なもの。やっぱり平成ウルトラは北浦特撮が魅力ですかね。

さて次回は口から火炎放射もできる真のライター(いやはや…)、右田氏登場。どんな展開になりますかお楽しみ。

【おまけ】

最近「クレヨン王国」の後番「おジャ魔女どれみ」、面白くて観てます(いやはや…)。最近の作品にしては珍しく根底にペーソスがあるんですね。エンディングなんか、そういう作品世界を端的に表した演出じゃないかと思います。キャラクターとか世界とかかなり王道なんですが、ここしばらくこういうホントに子供のための作品って壊滅的に少なくなってましたんで、かなり貴重な存在かも。この感じだとひょっとして、「ギャグ版サリーちゃん」的な、大バケの可能性もアリかな?




言うまでもありません!(きっぱり)(1999.02.28)

第25話「明日なき対決」(脚本:右田昌万 監督:村石宏實)

さてさて「炎のライター」右田氏担当の第3エピソードだったんですが…え~っ、時間稼ぎぃ?なんか話自体は殆ど足踏み状態で進展しないまま「ボクがホントウのウルトラマンだぁ!」ですかぁ?イヤ、その流れは違うでしょうって(いやはや…)。まさに「明日なき対決」。意味深で登場した2人ウルトラマンの末路がこの「子供の喧嘩」じゃ、ホントに明日がないって。ウルトラマン同士の対決をモニターで見守るコマンダーの目が「コイツら何やってんだ」って感じで冷めてたのが総てを象徴してました(いやはや…)。

この展開なら今回のエピソード、バッサリ飛ばしても大勢に影響なしって感じ。ホントにいいのかコレで?

話的な救いのなさって往年の「スペクトルマン」とか「レインボーマン」みたいで、最近あんまり見ないような妙な懐かしさを感じたりもしましたが(いやはや…)、今まで流れているストーリーとどう結合できるんでしょうか?一体、前回の話とどうつながるの?

…複数のライターで書く連作エピソード最大の弱点が、この各話毎の整合性の弱さでしょう。シリーズ構成、小中氏がキーエピソードを連作できない程多忙なら、何らかの手を打つべきでしょうね。単に「各ライターに均等な機会を…」なんて考えているのならやめてください。ワンポイント登板で進路ブラされても、視聴者的には迷惑ってモノ。

結局4部作の形態をとりながらも、実質的な終局は次回の1回だけで行わねばならず、残念ながら、現状では4部作にした意味が全くない状態。どうもこのままバタバタとヴァージョンアップしてしまいそうです。序盤の「我夢追放!」が波乱の展開を予想させる佳作だっただけに、その後回を追う毎に迷走の様相を呈する4部作。落胆は一層深く…

今回砂漠で朽ち果てたガイアとアグルのイメージが登場しますが、どうも着ぐるみに色塗りたくったモノみたいですね。「ウルトラマンA」のヒッポリト星人編に登場した「タールウルトラ5兄弟」みたいで個人的には好きじゃないです。あの時はホントに着ぐるみにタール塗っちゃったんで、とてもじゃないが再使用ができず、撮影後しばらく円谷プロの片隅にあのまんまで放置されてたなんて悲惨な噂も聞いた事がありますが…着ぐるみとはいえ子供たちのあこがれなんだから、あんまりひどい事はして欲しくないなぁ(いやはや…)。

ま、そんなこんなで次回、どう決着がつくのかお楽しみに…



決着と悔恨と突然のメール(エースをねらえ風…いやはや…)(1999.03.07)

第26話「決着の日」(脚本:小中千昭 監督:村石宏實)

いやぁ遂に4部作完結!…だったワケですけど、今までのガイアVSアグルの対決はコンピュータウィルスにヤラれたクリシスの結果を信じ込んじゃった藤宮クンの壮大な勘違いとは…OVA版ジャイアントロボに勝るとも劣らない結末(いやはや…)。今回って今までの流れとか、シリーズの整合性とか、そういう部分を全部とっぱずして観ると中盤のドラマなんかはかなり力の入ったデキで、それなりに力作ではあるんですが、いかんせんシリーズ作品なんですよね、「ガイア」って(いやはや…)。「これがちゃんとシリーズの流れに沿ったエピソードであれば…」と悔しい想いで画面を観ていたのは私だけではないはず…

シリーズ構成者自らが、こういう強引な展開でシリーズの第一章を終局させねばならないというのは、何とも残念です。明快な理由もない我夢のXIG復帰といい、小中さん既に開き直りモードに入ってる様な(いやはや…)。結局今回の4部作って「リレー小説」みたいなもんじゃないですかね?骨組みがなくって、前の人の書いた内容を受けて、次の人が続きを考えて話をころがすってアレ(いやはや…)。最終的には勝手な方向に転がるボールを、巨大扇風機で風を送って無理矢理ホールに落とし込んだみたいな、どうもそんな印象。打ち合わせもままならない程スケジュールがタイトなのか、実質的に各ライターの裁量に任せてしまった様なこの4部作。結局この4話目では前3作で語られた内容が殆ど活かされないまま、独立したエピソードとして完結してました。果たして「ガイア」のライター陣に「大河ドラマ」を求めることがいいことなのか、良くわからなくなっちゃいました。下手に連続ドラマを志向して要らぬ混乱を招くなら、いっそ従来の構成なしバラエティに徹した方が無難かも。

ひょっとすると、これ以降のエピソードはバラエティ編に突入しちゃうのかも知れませんが、結局、前半戦はどうにも準備不足の感は否めませんでしたね。もう殆ど基本フォーマット作るのが精一杯で、物語の構成はかなりあいまいなままストーリーが動き出しちゃった感じがします。結局小中さんも「ガイア」の構成には殆ど時間割けなかったんじゃないですか?特にシリーズ初期は脚本連作してるし…

ま、ともあれシリーズも折り返し地点。みなさんそれぞれ思う処はあるでしょうが、今後のリカバリーに期待しましょう。何かシリーズの中で「ノれる」テーマでも見つかると、ウソみたいに活き活きするんですけどね、シリーズ作品って。

【おまけ】

特撮ファンにはおなじみ、ライターの切通理作さんからメールを頂きました。なんと氏も当店のお客様。ブックマークしてご覧頂いてるそうで、ありがとうございます。ただいま平成ウルトラマンの本を制作中との事で、出版元の「ふゅーじょんぷろだくと」のページで「ティガ」「ダイナ」を中心にしたアンケートを3月一杯実施中。




魔ッ法ォの国はッ~いいなっ…ハッ!!(from『魔法のマンボ』in 『魔法使いサリー(1967)』)(1999.03.14)

第27話「新たなる戦い」(脚本:古怒田健志 監督:児玉高志)

さてさてヴァージョンアップ編も完了、今週からは仕切直してこちらも新たなるスタートとなった「ガイア」ですが…お友達の藤宮クンがいなくなってちょっと「おセンチ(死語)」になっちゃった我夢クンをみんなで励まそうっていう企画だったみたいです(いやはや…)。古怒田脚本の登場人物って今なら他脚本家比20%増量アツい人々に描写される事が多いんで、こういうテーマのストーリーには長谷川氏と並んで最適任者でしょうね。

今回も古怒田脚本特有の安定感(ある意味、王道志向で安心して観てられるってコトだと思うが…)が発揮されて、まぁすんなり流れました。まぁ細かいこと言えばキリないのは確かにそうなんですが、とりあえず勢いで観られれば、それはそれでいいんじゃないか?って気もします。さすがに最近の古怒田脚本、「ダイナ」初期頃の「アツさ」っていうか、エピソードの中に自分の夢を投影させたいって意気込みは減退してルーチンになってきてる気がしますけど(いやはや…)。

基地がウィルスに乗っ取られるってのはやっぱり「使徒侵入」なんでしょうが、ジョイスティックで撃退しちゃう展開が「ガイア」らしくて良い(いやはや…)。でもこういうのって「ガイア」のおかれた状況の複雑さを象徴してる様で興味深いですね。コンピュータウィルス話をやるんなら、「使徒侵入」で描かれた様なエンジニアとウィルスの知恵比べとか、テクニカルな部分での咄嗟の機転とか、かなり技術的な描写をしないと緊迫感って出せないと思うんですが、それを「ジョイスティックでのシューティングゲーム」で終局させなければならない視聴対象層の広さが「ガイア」にはあるんでしょうね。こういう話はライターとしてはやりたい題材ではあっても、あんまりテクニカルに持ってくと子供層が放り出される…そういう「せめぎ合い(?)」の妥協点が「ジョイスティック」なんでしょう。テレビ界随一の裾野の広さを誇る「ウルトラ」のこれが大いなる弱点でありましょう。これ以上の描写を今の「ウルトラ」に求めるのは、シリーズを取り巻く状況を考えると無理なのかも知れません(どっか一作でもいいから好きにやって欲しい!)。

蛇足ながら今回、我夢ママがemailしてるシーンがありましたけど、登場するiMacはやっぱり古怒田氏の私物なんじゃないかと思ったりしました(いやはや…)。

特撮は佐川監督の持ち味であるダイナミックな描写が続出、結構いい感じ。吊りを多用した投げ技の連続は仲々見応えがありました。オープンでのカットもいいですね。空から地上の「にせガイア」を見下ろすシーンは、一度CGIでの合成にチャレンジしてみてください。毎回ステージの広さが分かるカットで現実に引き戻されてます(いやはや…)。こういう細かい部分を固める事が全体としての「底上げ」につながる気がします。

それにしても正体を現す瞬間のエグい事(いやはや…)。変形途中のウルトラマンとか観たくないなぁ(いやはや…)。CGでさらっと処理した方が良かったかも。

【おまけ】

例の4部作に関するコメントが古怒田氏のサイトで出てましたが……………………………………………………
バラエティ編に期待しましょう。




設問1:このシナリオのねらいを50文字以内で要約しなさい(配点15)(1999.03.21)

第28話「熱波襲来」(脚本:川上英幸 監督:児玉高志)

う~む。どう表現したらいいのか良く分かんないんですが、いい意味に取れば「主人公のイメージを膨らませるバックグラウンド・イメージ編」、悪く言っちゃうと「何を描きたいのかなぁ?(いやはや…)」。我夢の両親(特に父親)を紹介するって目的はあったんでしょうが、今回の内容観てると、そんなの別に1本かけて描かなきゃいけない内容じゃないと思うんですが…

円谷浩氏演じる円谷一氏にこのセリフをもう一遍言って欲しいです「カワちゃん、このホン面白い?…(「ウルトラの星」より)」テーマは何ですか?どこに脚本の興味はあるのですか?…ちょっと焦点がぼやけてる気がして仕方なかったんですが。

一時期ウルトラシリーズの作劇の問題点として指摘される事が多かった、「1つのエピソードの中に流れる交点なき複数ストーリー」って構図に、今回の物語は近いんじゃないでしょうか?逃げ遅れた老人を助けに行く、田端と我夢の父親ってシチュエーションは退屈しちゃいました。もうこういうのって止めにしません(いやはや…)?テンカイやエンザンの様な「自然コントロールマシン(地球改造マシンって言い方の方が好き)」の着想は結構面白いと思うんですが、脚本の視点はあんまりそっちに向いてないんですね。なんか勿体ない使い方です。そっちの方をもっと掘り下げてくれたら、結構佳作になってたかも知れないです。仲々本筋のストーリーが流れない不満は、今に始まった事ではないのですが…

今回は特撮のパワフルさに助けられてた感もありますね。佐川監督って実は結構なサイクルで新しい撮影スタイルを編み出してるんですが、その近辺のエピソードで集中的にそれを使っちゃうんで、なんかワンパターンにとられちゃう処もあって損してるみたいです。今回の投げ技連発も前回の演出を踏襲してるみたいですが、佐川演出のダイナミックさは今回も健在。

ラストで玲子の復帰が描かれてましたが…藤宮との関係はこれで完全リセットってトコですかね。後はもし彼の復活があるならその時でしょうね。



私は太田さんを…許しちゃうカモ(いやはや…)(1999.03.28)

第29話「遠い街・ウクバール」(脚本:太田 愛 監督:原田昌樹)

いやぁ個人的には好きですねこういう話って(いやはや…)。太田さん、既に「平成ウルトラの長内美江子」って雰囲気を醸し出してます(いやはや…)。確かに異色作ではあるのかも知れませんが…「ウルトラQ」的テイストの「後は皆さんでお考えください」っていう突っ放したラストも余韻を生んでます。

今回の話って何となく「ウルトラQ」の「あけてくれ!」と共通点がある様な、そんな気がしてます。確かに、あれ程ハイブロウな世界(劇中で謎のSF作家、友野健二が語るモノローグ「どこまでも下降するエレベーター」の語り口って非常に文学青年的で、長内脚本の根源的世界を垣間見る思いです…)ではないんですが、発想の部分とか、題材の選び方とか、なんか不思議な一致を感じますね。

思えば太田さん、平成ウルトラのライター陣では、最も自由な立場からシリーズに関与できてるって部分も大きいんでしょうが、いい感じでマイペースを貫けてるし、自分の興味ある題材とシリーズの方向性がうまくマッチしてる辺りも幸運ですね。やっぱり自分の書きたい話を書ける事って、いい作品が生まれる確率を確実に高めますからね。もし次のシリーズがあるなら、間違っても太田さんをメインライターなんかに縛りつけてはいけません(いやはや…)。

「ウルトラのそもそも」って今回みたいな感覚に根ざした世界だった様に思います。こういう着眼点の作品が増えれば、シリーズも単に「ウルトラプロレス」だけじゃない輝きを取り戻せる様な気がするんですがね…

今回はあんまりグダグダいう必要もないと思うんで、みなさんそれぞれで楽しんでください。

【おまけ】

実は先々週末に「ガメラ3」観て来てました。インプレッション書こう書こうと思いながらも、もう公私共に忙しくって(いやはや…)。なんか非常に終末感のある作品ではあります。妙に寂寥感のある世界で、バトルが展開されてるのに、静寂が画面から漂ってきます。ガメラに対して非常に批判的な視点が貫かれる渋谷のシークエンスも異色!これほどまでに「人がいる町中での怪獣バトル」が描かれた事って、かつてなかったでしょうね。

結局女の子が助かっちゃう辺りも、死ぬよりもっと残酷かも(いやはや…)。自分の復習を果たすために、自分と同じ様な境遇の人間を拡大再生産しちゃったワケですからね(いやはや…)。これからタコにされそうなガメラといい、日本の特撮映画でこんなに救われないラストって、「世界大戦争」以来じゃないかしら(いやはや…)?

特撮は前2作とは別次元の出来。CGIの積極的導入による壮絶な空中戦とか、日本特撮もここまで来たかっていう、結構嬉しい仕上がり。要所で製作されたバカでっかいミニチュアもツボを心得ててグッドです。実はこのガメラシリーズ、特技監督樋口真嗣氏の中では作品それぞれに対戦すべきターゲットが設定されており、1作目は「平成ゴジラ」、2作目は前作のガメラ、そして3作目のターゲットはなんと「平成ウルトラ」なんだそうであります(限定版パンフのインタビューより)。しかも前2作より遙かに手強い相手だったとのコメントもございました。




アンバランスゾーンの恐怖(いやはや…)(1999.04.04)

第30話「悪魔のマユ」(脚本:増田貴彦 監督:原田昌樹)

う~ん、今回は惜しかったですねぇ。もうちょっと全体の構成をうまくやってれば結構傑作になる可能性はあったのに。前半部分のゴキグモン出現から営巣、少女の救出までの部分がなんかヘンで、かなり損してます。もう超強引な舞台づくりが失笑モノ(トホホ…)、なかばギャグになっちゃってますからね。途中まで「今回はスカかな(いやはや…)」とか思うような雰囲気でしたから。

救出部分も緩慢な雰囲気で危機感があんまり感じられないです。どうもガイアのスタッフはこういう救出劇って苦手みたいですね。確かにこういうのって脚本的にも仕掛けを一杯張り巡らせて巧妙に危機感を煽る展開にしないと、盛りあがらんですから、今回みたいな「突入しました、助けました」みたいなストレートな描写だとツラいといえばツラいんですが。ワタシ、思わずビデオ早送りしちゃった(いやはや…)。

それが後半部梶尾が物語に絡んでくると、一転怒濤の人間ドラマの様相を呈します。今回は前半捨ててもいいから後半部を堪能しましょう(いやはや…)。エンディングぎりぎりのトコまで魅せてくれます梶尾リーダー。70年代頃までの作品だと、こういうおいしい素材が見つかると、とことんフィーチャーして、シリーズ自体のカラーが一変したりする事もままある程なんですが、「ガイア」はそうはならんでしょうね、きっと。それにしても今回みたいなアンバランスな構成って、脚本執筆段階で何とかできんもんですかね(いやはや…)。なんか勢いにまかせて書きなぐっちゃったみたいで…今回脚本家の興味は後半部分のドラマに集中してるのが明らかですから。

ゴキグモンはネーミングから何から非常にアナクロなテイストがなんかたまらんです(いやはや…)。卵産んだりとかビルに泡かけたりするのって、「エイリアン2」って言うより、まるで「ウルトラマンタロウ」観てるみたいでしたね(いやはや…)。しかし「コンタクト」も真っ青、冒頭の「ワンカット宇宙引き」が観られたから、今回はまぁいいかな。



呪いのウルトラ(いやはや…)(1999.04.11)

第31話「呪いの眼」(脚本:川上英幸 監督:北浦嗣巳)

ガンQ復活のエピソードだったんですが、やっぱり「呪い」とかアニミズム的引力に引かれちゃうのかなぁ、「石堂以降」(注1)のウルトラって(いやはや…)。「帰ってきた…」以降30年経っても解けないこっちの方が、ウルトラシリーズにかけられたよっぽど強力な「呪い」だと思いますが(いやはや…)。

そういう発想の部分で気になったりするトコはあったにせよ、川上脚本、今回はノッてる回だったみたいですね。事件が起きるまでのご都合な展開とかは、もう今回に限ったコトじゃないんで、あえて言及しません。みんな結構不満に思ってると思うんで、何とかしてください。「ガイア」は事件の発端、物語の導入を軽視しすぎ。

ま、根本の発想に気になる部分はあったんですが、華麗なる北浦合成、コンパクトな人間ドラマ等々、全体としてはそれなりに楽しめました。「スペクトルマン」だと超能力少年は死ぬ運命にあるもんですが、さすが「ガイア」は希望を持たせて終わると(いやはや…)。ドラマ的には舞台にあがる迄はガタガタだったけど、結構役者さんも熱演だったし、観てられたと思います。空に浮かぶ南蛮装束の妖しい魔頭鬼十朗のイメージなんかは結構面白かったですね。

殆ど「映倫カット」状態の「崩れガンQ」は、どうやらこっちの方が新造形みたいですね。しっかし、エグいぞコレは(いやはや…)。その「ネバネバ」はやめなさいって(いやはや…)。

ま、なんだかんだ言ってもバラエティシリーズに突入しての「ガイア」、それなりに順調なのは何とも皮肉ですね。結局今の制作体制では「大河ドラマ」は作れないってコトを露呈して終わったワケですから…「ヴァージョンアップ4部作」に観られたライター間のコミュニケーション不足、しかもその状況がどうも現場ではさして認識されていないという実態…っという具合に観てくると、現在の状況は無理からぬ結果とも思えるのですが…こうなったら各ライター個別に目標を設定して、個々に「ヴァージョンアップ」してください。それで佳作秀作が出現できるのなら、それでも嬉しいですからね。

(注1)本サイト「駄文のゴミ箱」所載「ウルトラを変えた男」参照



タッコング大逆襲(なんで?)(1999.04.18)

第32話「いつか見た未来」(脚本:武上純希 監督:北浦嗣巳)

意外とハードな雰囲気の作品でした。脚本的にも平成ウルトラの武上脚本としてはベストの仕上がりではないかと思います。平成ウルトラに於ける武上脚本って、どうも中途半端な印象が強くて、うまくまとめてはあるんだけど、なんか食い足りない感が残ってしまっていたんですが、今回は結構好きにやってていい感じ。お子さまはもちろん大人層までも放り出しかねないタイムパラドックス描写が、北浦演出のシャープなヴィジュアルにも支えられて、更にハードな雰囲気を醸し出してます。子供に媚び売ってない姿勢は仲々でございます(いやはや…)。なんか裏でやってる某メインライター作品でのフラストレーションを一気に晴らしてるんじゃないかって勢いですね(いやはや…)。

しかし今回のエピソード、本来番組を背負って立つべきウルトラマンをも巻き込んだ群衆ミリタリードラマとして完結していて、なんか不思議な感覚です。この世界の中では、最早ウルトラマンすら世界を構成する一つの要素に過ぎない。そんな感覚を覚えました。それがいい傾向なのか?って言うのは難しい処でしょうが、まぁ今回みたいな話があってもいいんじゃないでしょうか?

最近のエピソードでは隊員間の感情にスポットを当てた作品が多いですね。怪我の功名っていうか、ガイアVSアグルの図式があるうちは、尺の関係で描きたくても描けなかった多数の隊員たちの描写に、今になってチャンスが巡って来たって感じ。各ライターともここぞとばかりに好みのキャラをくっつけ合ってますが(いやはや…)。ま、いいか(いやはや…)。

エアロヴァイパーは個人的には結構好きなデザイン。頭の部分が演技者の頭からかなり上に位置してる体型もあって、どこ見てるか分かんない様な仕草が仲々。往年の大映エキスプロ怪獣の様な、何考えてるかワカラン怖さ爆発なのであります(いやはや…)。ガイアを後ろから羽交い締めにしちゃうシーンとか、結構怖いのヨ(いやはや…)。

パワーアップ前のガイアには久々に権藤さんが入っておられるみたいでしたが、芝居部分の動きのキレとかはさすがですね。体型もカッコいいよなぁ(いやはや…)。やっぱウルトラマンの基本はアレでしょう。

【おまけ】

そういえば、5/25に「ワンダービートS(スクランブル)」(1986)の限定BOXが出るらしいんですが、揺れるなぁ(いやはや…)。手塚治虫監修・出演(!)による最後のテレビシリーズ。メカ描写とかSF的ハッタリに満ちていて結構好きだったんですよ(いやはや…)。全体的に結構通好みっていうか、音楽とか溝口肇ですからね(いやはや…)。再放送(まずないと思いますが…)ではオープニングからスポンサー(テルモの一社提供)紹介に一気になだれ込んじゃうサザエさん方式が災いして、まず完全放送されないでしょうし、ナイター放送でつぶれまくってラスト2本ぐらい未放送ですからね。仲々ハードなエピソードとかもあったんですが…悩むトコです(いやはや…)。特撮ファンには「テラホークス」の主題歌でおなじみ、元リリーズの燕姉妹による主題歌も好きだったなぁ。




グッレィートォ!(ケロッグ調。いやはや…)(1999.04.25)

第33話「伝説との闘い」(脚本:長谷川圭一 監督:村石宏實)

いやぁ、出ました快作、怪作、異色作(いやはや…)。アヤシサ爆発の一本。なんか頭の中カラッポにして楽しんじゃいました(いやはや…)。コレって長谷川さんのシュミの世界なのかなぁ(いやはや…)。先週の予告でも「君のハートを…」みたいなヘンなセリフをナレーターが吐いてたんで、もしやとは思ってましたが、ヤッパリの「娯楽アクション巨編!ちょっぴりお色気もアリよ…」だったワケっすね(いやはや…)。

しっかし、ご老人に英語でしゃべらせておいて、いきなり日本語で会話しだすGUARD AMERICAの人とか、どう見ても日本の森に見える杉林とか、見れば見るほどアヤシイっす(いやはや…)。時折合成されるカナディアンな絶景(仲々!)が、これまた見事なコントラストを見せつけてくれます!ここまでできるならもっと徹底的に合成しまくっても良かった様な(いやはや…)。海外ロケなしで外国を舞台にしちゃう展開って「ジャイアントロボ」がお得意(結構インターナショナルなんスよね「ロボ」って)でしたけど、こんなに堂々とやったドラマって久しぶりかも。

キャサリン・ライアン嬢も仲々にバタ臭い雰囲気が大変よろしい(いやはや…)。やっぱ特撮の外人キャストはこうでなきゃイカンのよ、久々にドロシー・アンダーソンの再来を見たゾ(いやはや…)。開き直って旧来の完全吹き替えの方が却って違和感はなかったかも知れないですね。みんな日本語でコミュニケートできる世界なんだってコトで。

テーマ的にも自然と人間(怪獣もネ)の共存って、なんか「グレート」しちゃってる辺りもらしくて良い(いやはや…)。子供はなんか反則の様な気がするけど…

特撮は結構がんばった回ではなかったでしょうか?ジープが転落する崖はなんとオープンセット。姿の見えないシャザックが木をなぎ倒しながら進むシーンなんかも、火薬で飛び散る木片が仲々リアルであります。村石演出の特撮は結構ライティングが絶妙なんですが、今回も雪の降り出す空模様を見事に再現してくれます。雪をCGIで描いてる処は賛否あると思いますが、もうちょっと奥行感があれば良かったですね。

そんな訳で、細かいコト考えなきゃそれなりに楽しめる回でした。



なぜかGW(ゴールデンウィーク)(1999.05.02)

第34話「魂の激突!」(脚本:川上英幸 監督:村石宏實)

蓑田プロデューサー原案によるプロレス根性編。まぁお話としてはそれなりにまとまってはいたんでしょうが、ワタシ的には「ながし観」しちゃう感じ。中村さん大活躍の一本ではあったんですが。何たって全編出ずっぱりの活躍ですからね(いやはや…)。

最近のウルトラ、「原案」付きの話ってあんまり佳作ってないですね。第2期辺りまでの「原付」って言えば、思いもつかない様な発想の原案に脚本もノッて潤色したりしてたモンですが、最近の「原付」って原案者の個人的な興味とか思い入れに走っちゃうパターンが多くって、結局第三者の脚本が、そういう部分について行けなくて凡作にしちゃうって構図が多い様に思います。特に原案の部分になんか問題多いコトってある様な(いやはや…)。

ま、今回に関していうと、プロデューサー氏の個人的興味なのか、プロレスラーの悲哀の部分では、なんかリアルな展開。職も捨て、婚約者にも去られ、それでも選んだプロレスでは芽が出ず…ってオイオイ(いやはや…)。そこまでしなくてもねぇ。ま、なんか無理矢理希望を持たせる様な終わり方してましたが、それこそ現実は甘くないカモ(いやはや…)。

単に好きってコトとそれで食ってくコトに天と地の開きがあるってのは、此処をお読みの読者諸兄も身にしみてらっしゃるとは思いますが(いやはや…)。

ウルフファイヤーはいろいろと装飾がついて仲々カッコ良くなってましたね。でも、なんかショッカー怪人みたいな扱いが結構ミジメ(いやはや…)。宇宙人通り魔って「レオ」じゃないんだから(いやはや…)。

ちょっと今回はノッてないんでこの辺で…

そういえば、道場のシーンで我夢達の脇にいた髭のカメラマン氏、なんか開田裕治氏にそっくりなんですが、気のせいかなぁ(いやはや…)。



ほいでもってチンプイ(いやはや…)(1999.05.10)

第35話「怪獣の身代金」(脚本:太田 愛 監督:市野龍一)

相変わらず独自の世界を開拓し続ける太田脚本、今回も快調です。

今までの「ガイア」の世界をなかった事にした(いやはや…)オチャラケ編。これはこれで単純に楽しんじゃいましたワタシ。個々のキャラクターに潜む陽の部分をうまくカリカチュアしてて、それぞれのキャラクターがいい味出してるってのは観察眼の冴えって奴ですかね。それにしても我夢と志摩を組ませる辺りは濃いなぁ(いやはや…)。

まぁちょっと脱線しすぎな部分もあった気はするけど、エピソードとしての勢いがそういう部分を押し切っちゃってるのは良いですね。玲子の「お世話になっております」は作家の実体験か?(いやはや…)。登場するゲストキャラも大河ドラマにも出てた社長氏とか北島隊員とか、元東京乾電池の方とか…なんか実相寺作品以来の濃さであります。市野監督の画作りも結構ジッソー君してたし(いやはや…)。

まぁ基本は楽しめましたから、それで良いと言えばいいのかも知れませんが、結局こういう一話完結バラエティ的世界に戻って来るんですかね「ウルトラ」って?色々あがいてはみたものの、視聴者や制作状況諸々すべての要素を取り込むと、ウルトラシリーズには「ウルトラマン」で既に完成されたあのフォーマットしか選択肢がないという事なのでしょうか?

次週から藤宮クンもご復帰らしいし、まだ根源的破滅招来体ってやるんでしょうか?やらないとシリーズ終われない気もするし、仕方ないのかも知れないですが、現在の布陣に連続するエピソードが織りなす、うねる様な魅力のあるドラマを作れるのか?という部分では、前半のあの展開を見せられてしまった今となっては、大きな疑問符を提示せざるを得ません。その意味で26話というシリーズの中で完全燃焼した「ガンバの冒険(監督:出崎統 1975東京ムービー〔現:キョクイチ東京ムービー〕)」とか、やっぱりすごいシリーズだったんだと改めて思いますね。ただこれも当初の52回が視聴率不振から26話に短縮されたらしいですけど。でもまぁ、あのきわどさは今じゃちょっと作れないかも。

ドラマやるならある程度幼児層は切らないと内容を濃くできない気もするし、かといってあまりマニアックに走るとシリーズが失速する…「ガイア」のスタッフもちょっと面倒なジレンマに陥ってる様で気になります。結局中道を行こうとして魅力の薄いエピソードが出来ちゃうなら、それは一番誰の心にも訴えない、悲しい結末ですからね。

【おまけ】

そういえば今回京極博士役で久しぶりにウルトラに登場した津村鷹志(津村秀祐)氏ですが、実は声優としても活躍していて、なんと藤子アニメ「チンプイ(監督:本郷みつる 1989シンエイ動画)」の主人公、春日エリちゃんのお父さん役だったそうですね。




因果応報万物流転(?)(1999.05.15)

第36話「再会の空」(脚本:吉田 伸 監督:市野龍一)

いやぁ私、「ガイア」に於けるこの処の吉田伸脚本って結構好きかも(いやはや…)。吉田脚本って実は意外に数が少なくて、初登場が第7話「地球の洗濯」でそれ以降って第16話「アグル誕生」、第23話「我夢追放!」と割とキー的なエピソードを担当してます。

前回担当が「我夢追放!」って事であの緊迫感をそのまま持続できたって部分も幸いだったのか、今回も仲々ハードな雰囲気。市野監督もエリアルベース内での緊迫感をドキュメンタリー調のカメラワークで演出するなど、いい感じです。

稲森博士は「ガイア」のゲストキャラの中でも最もドラマティックで印象的なキャラクターになりましたね。どうも破滅招来体のスポークスマンになるみたいで、そういう皮肉な展開ってちょっと面白そう(いやはや…)。

ただ、なんか我夢と藤宮の対決の構図には最早それほどノれないのも事実。破滅招来体もまだ話にからんで来そうですし、一度ごたつきながらも何とか片づけた話を押入から引っぱり出して来た様な、なんか後味の悪い部分ってやっぱり感じてしまいますね。来週は更にアグルも復活してまたガイアと戦うみたいなんですが、ガイア対アグルの構図って「明日なき対決」で右田脚本が完膚無きまでに叩きのめしてくれてますからね(いやはや…)。今更またそれをやられても…って感じですね。かえって今までの展開はなかった事にしてバラエティ編としてシリーズを終結させるっていうのも、すっきりしていい様な感じはするんですがね。

クロスサバーガはミラーマンのインベーダー怪獣みたいなデザインがちょっと異質。ボディラインは結構正統派のボリュームタイプで長い尻尾も仲々素敵(いやはや…)。特撮は相変わらず佐川監督のパワフルな演出が炸裂。なんか我夢の「許さん!」はキャラクター違う様な気もしますが、まぁ感情が爆発して戦うって展開はヒーローの王道でしょうね。基本的にノリが良くないとねヒーローは(いやはや…)。

さてさて、とりあえず波乱の予感を持たせながらストーリーは更に転がって行きそうな気配ですが、どうなりますか…



嗚呼!必殺のシリーズダブルループコースター作戦!!(いやはや…)(1999.05.23)

第37話「悪夢の第四楽章」(脚本:長谷川圭一 監督:原田昌樹)

今回も好調なサイコメザード編。ドラマ的にもそこそこ濃ゆい展開で、この辺りの密度ってまさに長谷川脚本の真骨頂といった処でしょうか?ガイア脚本陣の中では長谷川氏のドラマ作法ってオーソドックスではあるけど、かなり手堅いですね。まぁ他の脚本家の斜視的視点との対比で、その辺りが浮き出して見えてるって部分はあると思いますが(いやはや…)。

ただ、今回みたいな話って、ガイアVSアグル対決編の最終4部作までで結構語られてるテーマなんで、何となく物語が同じ処をぐるぐるループしてる様に感じちゃうのはワタシだけかなぁ(いやはや…)?こう、やっぱり物語って前に進んでいかないといけないと思うワケです。また後半でも仕切直して同じコトやられるのは観てる側としても結構ツラいんですけど(いやはや…)。

現在の「ガイア」が進んでる路線で行くと、前半で展開された物語作法とはまた異なる展開が必要になりますよね。「強大な敵との闘い」という物語の根底は変わってないワケですから。

ただ、それってかなり難しいんじゃないかというのが、ワタシの個人的感想です。いわゆるヒーローの活躍する物語というのは、相当限定されたパターンの中で展開する必要があるのではないでしょうか?結構語弊のある言い方かも知れないですが、人が他人の行動に共感できる状況というのは限りがあるし、ヒーローが物語の中でアイデンティティを確立しようとすれば、根本的な物語はあらゆる意味の「対決(この場合、必ずしも敵との対決という意味ではないですが)」にならざるを得ません。

今が根源的破滅招来体との第二ラウンドであるなら、第一ラウンドでの結果を根底に蓄積し、全体が最終局面にむかってなだれ込むというのが黄金パターンなんでしょうが、なんか全体の効果が中途半端で、シリーズとしてのムーブメントにまで昇華出来てない辺りがかなりイタイ。

今回のエピソードもそうですが、「ガイア」ってエピソード個別に観るとそれなりに力作であったりするんですが、シリーズとしての印象が弱い為に観る側があんまり熱くなれないのがつらいですね。従来のアンソロジー形式の構成ならそれでも良かったんでしょうが、かなりエピソードの連続性を意識した構成であるために、そうも行かない。制作者側と共に、ずっと見続けてきた視聴者側にもまた、ジレンマはあるのです。



超兵器ヤマト1号(いやはや…)(1999.05.30)

第38話「大地裂く牙」(脚本:古怒田健志 監督:原田昌樹)

いやぁ久々に古怒田脚本の「ウルトラへの思い入れ」が観られて嬉しいエピソードでした。今回のエピソードのこの盛り上がりって、制作スタッフが脚本に共感できてるからこそのテンションでしょうね。やっぱり特撮シリーズにはスタッフ一丸となったノリっていうか勢いが何よりも必要なんでしょう。そのきっかけとなる様なアツい脚本に巡り会えるかどうか?総てはそこから始まるんだと思います。

「人類が生き残るためには何をしてもいいのか?」ってテーマは「セブン」でも何度か描かれた重いものですが、「ガイア」も地底貫通ミサイルによる怪獣への先制攻撃って展開で、このオイシイけどちょっと危険なテーマにありつけたって処でしょうか?

ただ、このネタって、ドラマ的にはとっても面白いし、制作者側も興味あるテーマだと思うんですが、あんまり突き詰めるとヒーローの存在意義が揺らいじゃうんで要注意。結局今回ガイアは観てるしかなかったでしょ(いやはや…)?ヒーロー番組って実はかなり制約のある世界なんですね。あそこでガイアが人類の権利保全者ってコトで手負いの怪獣を叩きのめしちゃ、視聴者の反感かっちゃうしね。結局怪獣と戦うための存在たるウルトラマンの存在意義が、その時点でなくなっちゃう訳です。自らの立場を守るため、手を汚さずに成り行きを見守ってる今回のガイアの処理は、仕方ないといえばそうだけど、個人的には結構悲しいですね。ヒーローって決してオイシイだけの役回りじゃないと思うんですが…単に「優しさ」だけじゃ物事何にも解決できないもんです(いやはや…)。

ま、今回は柊准将っていう「敵役」が設定されてたから、彼に全責任を押しつけた展開にしちゃってましたが、いっそのことガイアと怪獣を思いっきり組ませて、とことんまでガイアを(本音とタテマエって部分で)追いつめる展開にしても面白かったかも。ギリギリまで追いつめた瞬間、怪獣が力つきて絶命するって事でも、同様の効果はあげられたと思うし、「観てるだけ」の展開は避けられたと思えるんですが…よけいなお世話ですね。 ティグリスは狛犬みたいなオリエンタルなデザインがいい感じ。ちょっと体全体が硬直したみたいに堅いのが残念でしたけど、いい役者ぶりでした。

【おまけ】

「サンダーマスク」の文字につられて何年ぶりかで「宇宙船」買いました。いやぁ相変わらずアツいなぁ(いやはや…)。いつの時代でも特撮ファンダム(死語?)はなんか独特の熱気に包まれてます。でもやっぱりエピソードガイドは出てないのか。どうやら「シンナーマン」の回は自主規制対象になってるみたいですしね。「TVチャンピオン」の「TVヒーロー王選手権」も観ましたが、あの周りがゾゾッとヒイちゃう様な異様なテンションって、昔ながらですね(いやはや…)。チャンピオン(大石さん連覇おめでとうございます)のお出迎えにはG子ちゃんとかスズカとか来てくれるのかと思ったけど、出ませんでしたね(いやはや…)。

「宇宙船」読んでて意外だったのは、現在でも特撮ファンにはあんまりパソコンが浸透してなさそうだった事。ホントかなぁ?ショップも殆どemailとか使えないみたいですしね。結構保守的な世界なのかな?




ちょっとジャミラ、なんかヤマシロ、ひょっとしてノーマン(1999.06.06)

第39話「悲しみの沼」(脚本:川上英幸 監督:北浦嗣巳)

うーむ、なんか救いのない話ですね。地底貫通弾ネタの発見以来、一気に「スペクトルマン」化を遂げる「ガイア」(いやはや…)。先週、今週と貫通弾の影響による怪獣達の悲劇が続きます。

今回の話、脚本家としてはそれなりに力を入れてたみたいですが、個人的にはちょっと深みに欠けてる感が強かったですね。一応バックボーンとして第二次大戦時の細菌兵器研究ってのがあったみたいですけど、この辺りの描写がすごい「うわっつら」に終始してて、あんまりストーリーのコク付けに役立ってない。むしろ、露骨に描かれる人体実験のシーンなんか、後味を悪くしてるだけって気も(いやはや…)。

やっぱりこの辺の感覚って最早ライターの世代の違いなんでしょうね。「サイボーグ009」のTV第一シリーズにあった「太平洋の亡霊」とかが、その後のシリーズでは全く触れられてないとかいうのと同じで、作り手側に問題意識や実体験のないことを、他人に共感を与えつつ伝えるなんて事はできないんでしょね、きっと。その時代だからこそ、きらめきを持って伝えられる事っていうのは、あるんだと思います。

こんなんだったらKCBをからめて取材から事件の真相を浮かび上がらせる展開にした方が、悲劇性とかも綺麗に出せたんじゃないかと思うんですが、映像化された話はちょっとザラザラしすぎかも。

特撮は北浦監督のヴィヴィッドなヴィジュアルが楽しめて楽しい。夕日を背に浮かび上がるガイアや電光石火作戦(いやはや…)なんかの映像はとても魅力的です。北浦監督には一度、もてる映像感覚の総てを投入した究極のバトルシーンをモノにして欲しいですね。監督になら絶対できる!

ま、そんな訳で好悪入り交じった一作でした。

【おまけ】

書くの忘れちゃってたんですが、先週(5/29)のTOKYO FM "Suntory Saturday Waiting Bar AVANTI"でハリウッドをテーマにしたトークをやってて、なんと聖咲奇さんが出演されてました。この番組構成作家がそのテの作品すきなのか、「ゴジラ」の時にも結構濃いトークが展開されてましたが、今回も(いやはや…)。




番組勢いだ、GO!GO!タロウ君!!(意味不明)(1999.06.12)

第40話「ガイアに会いたい!」(脚本:小中千昭 監督:北浦嗣巳)

あ、なんか好きこの話(いやはや…)。話的には真面目な特撮ファンの怒りを買いそうな展開でしたし(いやはや…)、物語構成もあっちこっちにスキがあったり(でもコレって勢い優先、開き直りの確信犯的ニオイが…)した訳なんですけど、この話の持ってるポジティブな明るさって、惹かれちゃうなぁ(いやはや…)。

いやぁ、いわゆる「キャンペーン話」って部類では結構中身も詰まってたし、いろんなオカズをちょっとずつ楽しめる幕の内弁当系のツクリが日本人の根源的記憶に感応するのか(いやはや…)、こういう娯楽指向の話としては仲々楽しめた方でした。飛んでったクレヨン画を捕まえようとコクピットからスカイダイビングしちゃうタロウ君の奔放なイメージもいいなぁ。久しぶりに好き勝手にやってるスタッフの笑顔が見える気がしたんですけど。

特撮も北浦監督のパワフルな演出がいい感じ。やっぱヒーローってノリっスかね?パスギークの光線をブロックするガイアや、土煙をあげて高速で吹っ飛ぶパスギークなんかの映像的快感はもっと追求して欲しいなぁ。セブンのアイスラッガーの使い方ヴァリエーションなんか、まさにこの感覚でしょ?

ま、途中でストーリーが完全に2分しちゃうのは、ちょっと勿体なかったかも。最後で強引に合流させたんで、結果的に堤チーフの努力が報われなかった辺りは、やっぱり彼がタロウ君を救わなきゃいけないでしょうね。この辺りの選択も変に展開をモタつかせたくなかったからかな?

最後のサービスシーンに関しては、あれでいいんだと思いますよ。必ずしも全部の映像に理屈がついてなきゃいけないなんて、そんな窒息しそうな事言わないで(いやはや…)。だってああいうシーンってヒーローの根源的イメージでしょ?

ま、そんなこんなでワタシは支持しますよ、今回の話。だって楽しかったもん(いやはや…)。



がむくんをぺんだんとにしよう!(いやはや…)(1999.06.20)

第41話「アグル復活」(脚本:吉田 伸 監督:石川 整 村石宏實)

いやいや久々にスタッフの思い入れを感じるエピソードでした。やっぱり最近の吉田脚本の正統派テンションって、大河ドラマを指向していた(…っとあえて過去形で書こう)「ガイア」にはもっと必要な要素だったんでしょうね。

今回は作劇的な部分でも他ライターのエピソードからの回想がインサートされる(地底貫通弾とか、シリーズに関わる非常にベーシックな設定を除けば、こういうライター同士を越えたイメージの共有って、なんか今回が初めてではないかい?シリーズとしてはそんなのヘンだと思うけど…)等、初めて「シリーズ」というものを意識したシーンが随所に観られ、ようやく41本目にして連続ドラマとしての形を整え始めたといった処でしょうか?

ただ、今回みたいな公然とした我夢への個人攻撃って、ちょっと唐突な印象も。何たって今までのエピソードの中では、我夢って殆ど怪獣や宇宙人と直接対峙して会話するとか、交渉を持つとかしてないですからね。変身前は基本的に人間だからあんまり無茶もさせられないでしょうが(いやはや…)、果たして破滅招来体にその存在を認知されてるのか怪しい処。でもまぁ、現時点ではもう各エピソードを個別に味わうしか、基本的にはできない訳で、エピソードとしてのボルテージが上がればそれでいいのかも知れませんが。

ドラマ部分は結構映画的な、重厚なカットが多くて、仲々見応えがありました。これって石川監督の指向なのかな?いつもの村石演出とはちょっと違う感じだし。Σズイグルにぶっ飛ばされて倒れた藤宮に、カメラがグッと迫るシークエンスのテンポを出したカッティングとか、あんまりテレビシリーズでは見ない、手のかかったものでしたしね。個人的にはこういう部分への拘りって仲々嬉しいですね。

特撮部分は村石演出の集大成というか、アグル復活の大魔神合成とか(あのデミルの「十戒」もどきの逆流する海水のシーンですね)、超絶なライティングとか、Σズイグル出現シーンとか、もう見所満載でしたね。いやぁ、久々に満腹(いやはや…)。

再登場したアグルV2はボディ・ペインティングがちょっとうるさい。個人的には前の方がシンプルで好き。

Σズイグルは不思議なデザインがなんかいいですね。ただ、我夢を捕まえるのにあんなでっかいメカ怪獣が必要なのかは良く分かんないです。どう考えても、松本零士の「高速エスパー」みたいに麻酔銃で狙撃した方がよっぽど手っ取り早いんじゃないかってのは、言わないお約束(いやはや…)。胸にちゃんと我夢を収納できる様にデザインされてる辺りは、なんかほほえましいものを感じますが(いやはや…)。

そんなこんなで、久々に「ガイア」スタッフの底力を感じさせてくれる佳作です。



ぐぅーてんたぁーくっ!(1999.06.27)

第42話「我夢VS我夢」(脚本:小中千昭 監督:村石宏實)

我夢が自分の内面と向かい合うという「ドッペルゲンガー」モノ。でも、今の時期にコレをやる意義って何でしょうか?もうちょっと早い時期にやっていたなら、この流れをシリーズの伏流として面白く使っていくという選択肢もあるんでしょうが、今となっては本筋の部分をどう結末に向けて集約させていくかって部分に、もっと心血を注ぐ必要があるんじゃないか?って気はしますけど。

ま、シリーズから切り離した単独のエピソードとしては、それなりに力の入ったエピソードでしたね。アルケミ内部の不穏な動きなんかって着想は、結構面白いですしね。序盤でこんなエピソードが出てたら、シリーズの盛り上がりにもっと期待したでしょうけどね。どうもシリーズ構成がグチャグチャになっちゃった今となっては、なんか何やられても空虚な雰囲気が漂ってしまうのはとても痛い。純粋に物語にノるとか、そういう感覚がなんか阻害されちゃうんです。すごい勿体ないんですけど。

今回観てて改めて感じたのは、実写作品に於ける小中脚本って基本的に明示的な描写ってのをポリシーにしてるんじゃないかってコト。「人間喋って態度で見せなきゃその気持ちや内面は相手に伝わらないんだ」っていう思想が根本にある様な気がします。ただ、全部ペラペラ話されると興ざめしちゃう時があるのも事実。確かに喋らないでその場の雰囲気で何となく意思を伝え合うような芝居って、安易で逃げてるホンだって考え方もあるのかも知れませんが、やっぱり緩急って必要だと思うんですよ。

小中さんの実写作品のホンって、のべつまくなし登場人物が喋りまくるって印象がないですか?アニメだとそうでもないのにね「ファンファン」なんかは結構絵で魅せるって部分が多かったのに…実写はそういうのがキツいんでしょうか?でも不可能じゃないよね。もう「ガイア」では間に合わないみたいですが(いやはや…)、一度喋らない芝居、「沈黙のコミュニケーション」ってのにもチャレンジして欲しい気はしますが…。

それと無理矢理入れたアッコのギャグ描写は、2度やってイヤミに変化(いやはや…)。まぁこの「スベる」感覚が小中脚本らしいといえば、らしいんですけどね(いやはや…)。もう一回やりたい処であえて止める、これぞギャグの奥義(いやはや…)。

ドッペル我夢クンは、結構演技ベタ(いやはや…)。吉岡さんはあのシャベリのモタツキを何とかしないと、今後苦戦しそうですね。高野さん共々気取ったセリフをカッコよく決めないとダメよ(いやはや…)。

「ガイア」もこれからいよいよ最終局面に向けて大きく動き出して行くんだと思いますが、次シリーズではシリーズ構成をもうちょっと大事にしようね。「ウルトラ」は比較的シリーズを取り巻く状況が安定してる方だと思うんで、バンダイがどうにかなる事でもなければ(いやはや…)、基本的に1年間は放送できるでしょうから、まず年間を通した骨格をちゃんと作ってくださいね。

自分たちが何を描きたいのか、視聴者に何を伝えたくてこのシリーズを作るのか?その部分を必ずハッキリさせてください。逆を言えば、細部のディテールなんかは走りながらでも作って行けるモンです。「ガイア」はその辺の順番が逆だった様な気がします。末節の設定は初期段階から凄いのが出てましたからね。必要な人物は途中で増やせばいい(いやはや…)。

ってな訳で、次シリーズも期待してますのでヨロシク。

【おまけ】

あらら、梶尾リーダー山瀬まみ嬢とご結婚ですか。






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