雲と水面

人工内耳を考えている
お母さんへ
(2)
幼稚部年少クラス・後半(H12.9〜、大輔4才1ヶ月〜)

2001.3.3 §21〜28まで ご寄稿頂きましたので、追加掲載致します。(管理者)

21.好奇心のかたまり

 この頃、大輔は好奇心のかたまりです。電話はだれから?これの名前は何?お母さんはなにするの?なんのお話?誰といくの?だれがいるの?などなど。洗濯ものたたみや掃除や、翌日の学校の荷物の用意なども率先してやるようになりました。お皿をはじめて洗ってくれた時には日頃、いかに私がすることをよく見ているか、その仕草ひとつひとつに現われていて、びっくり。また、弟が食べ汚したお皿を、顔をしかめて洗いながら、ぼそっと一言、「きたない・・・」には大爆笑でした。

 お手伝いのひとつで、日頃は主人に頼んでいる古新聞出しをした時のこと。その日はあいにく主人が留守だったので、大輔と弟用に小さい包みを作って、一緒に運んでもらっていました。遅れがちだった弟の分を大輔は、自分のを運び終わった後、戻ってきて手伝ってあげていました。いつもは効率よく、大人だけで運んでいたけれど、子供も一緒にそういう作業をするって良いな、と思いました。

 やっとひらがなに興味を持ち始めたのもこの頃でした。はじめに覚えたのは、ふうせんの”ふ”、弟の名前にある”ん”でした。

22.自分で考える力
 
 ちょっと目にした文章の中で、気になる一文がありました。「訓練から帰宅しても、自由に遊ぶ時間もないほど、夜も言葉のお勉強です。こうした生活では、子供が自分で考えて行動する力は育ちません。子供に任された時間が少ないからです。・・・・」
 確かに、大輔がぼーっとしてる(ように私には見えてしまう)と、”カードしなくちゃ”とか、思うよなぁ、と心当たりがあるだけに、何となく気になりました。たまたま、先日の絵日記の個別指導では、「出来たら毎日描いて、お話する時間を」と言われ、発音のグループ指導では、「YちゃんとTちゃんは全部はなまる。大輔とMはだーめ。次の時間までに練習しておいてね。今度チェックするからねぇ。」と言われ、もっと意識して勉強せなアカンのやろか、と思っていたので、この両極端な2つの話に、私の気持ちは混乱。

 そんな時の朝の出来事。朝、地下街をいつも通り歩いていたのですが、いつもと変わらず大輔は、のらーりくらりとマイペース。「早く行きたいよなー。あ、おっちゃんにぶつかるっ!」と私は一人でやきもきしていました。「さっさと来なさい。ちゃんと手つないでっ!」といつも通りの言葉が出かかった時、何故かふっと、あの文章が頭をよぎって、気持ちがさっと切り替わっていました。大輔をよく見てみると、新幹線になったり、汽車になったりしながら、私にとっては、ただの、目的地につくまでの地下道を、実に楽しそうに歩いている。ぶつかりそうになる通行人に、「ごめんなさい」を言いながら、何となくそんな大輔をそっと見守っていたくなって、気付いたら私もヒコーキになっていました・・・。

 その続きの地下鉄の車内。この間、「次の授業までに、しっかり家でやっときや。」と言われた、発音のカードをしようと思って、私は「まめ」やら「むし」やらのカードを持っていました。さぁ、しよう、と思って大輔を見ると、車椅子専用のスペースのところのてすりを線路に見たてて、楽しそうに私を見上げています。ここで、「むし」とか「まめ」とか、カードをめくることにどれだけの価値があるのかしら、とちょっと疑問に感じて、その時は大輔と、そのてすりで線路ごっこをして過ごしました・・・。

 我が子のために、と子供が泣いていても心を鬼にして訓練しているお母さんも身近にいます。私のように、こんなんじゃ、大輔の言葉は伸びないのだろうか。発音はきれいにならないのだろうか。大輔の何を大事に育てたいのか、随分
考えています。

 子供達の豊かな発想力には驚かされます。たった一つのビデオのケースを頭にのせて「帽子」、次はかしこまって正座しながら「本」、そして少し離れた所に立てて起き、「テレビ」・・・たった一つの箱でもどれだけ遊べることでしょう。友人の結婚式で何故か(?)もらってしまったブーケを私が持って帰った時も、しばらくしげしげと眺めて、「お花、仲良しねー、友達ねー」と話していました。花束がそう見えるんだなぁ、とその感性に脱帽でした。またある時は、おでんのゆで玉子(1/2個)を丸々口に入れて、何か必死に叫んでいると思ったら、「しんかんせん!」と言ってる・・・。確かに、新幹線の先頭車両の”顔”にそっくり。そういう子供らしい気持ちの遊びを、私も一緒に楽しみたいな、と思います。

23.判ったふり、の怖さ

 身障者スポーツセンターの体育館のトランポリンで遊んでいた時のことでした。3兄弟と出会ったのですが、それにしても静かだなと思っていると、手話を使い出しました。私も片言の手話で「トランポリン、少し代わってもらってもいい?」と聞いたことがきっかけで、それから少し話をしました。基本的な質問は出来るんだけど、答えの読み取りがとっても難しい。読み取れないところもあったのに、「もう1回言って欲しい」と何故か言えなくて、判ったふりをしてしまいました。愛想笑いなんかでごまかしたりして・・・。判ったふりが積み重なると、コワイよなぁ、大輔に”判ったふり”が育たないようにするには、どうしたら良いんだろう、と思いました。

24.大輔が殴る理由
 
 大輔は、どうしてか、ずぐに手が出てしまいます。それは随分、私を悩ませています。ある日の学校の帰り道の出来事でした。MちゃんとAちゃんと大輔が歩道を走っていました。おもむろに大輔が2人の前に立ちはだかったのです。2人は大輔を押しのけて走ろうとしたところ、大輔がぽかっとMちゃんを叩きました。”またや・・・。”と思って「こらーっ!」と声をかけると、大輔は「危ないと思った!」と言います。確かに、自転車が前から走ってきていました。ちゃんと理由があったんだ・・・。まだまだ、おもちゃの取り合いや、言語化できない気持ちを”ぽかっ”で済ませてしまうことの多い大輔だけど、「こらっ!」と怒鳴る前に、どうしてそうしたのか、聞いていく余裕がこちらにないといけないな、と思います。

 そういえば、随分思いやりの気持ちも育ってきたように思います。同じく学校の帰り道の出来事。小雨が降っていました。Nちゃんと手をつないでいていて、Nちゃんはレインコートだけ。大輔はレインコートに傘も差していました。「Nちゃんに傘をさしかけてあげるなんて・・・、しないわなー。」とお母さんたちと話をしていました。突然大輔が私のところへやってきて、「Nちゃん、かさ(があたって)、いたい(と思う)。大輔、いらない。」と言って来ました。びっくり。親の私より、よく気がつきました。

 おばあちゃんが寝ている部屋に弟が乱入した時も、「みてごらん、おばあちゃん、ねんね。しーっ!」と言いに行ったり、寒い日にマフラーと私に貸してくれたり、お父さんだけ手袋がないことに気付き、「こんど、かいにいこうねー。おとうさん、うれしいとおもう」と言ったり。(よって、主人の今年の誕生日プレゼントは手袋。(^o^)) 根は優しいのかなぁ・・・。

   ☆謎の、「ひよこになるよっ!」☆
 大輔と弟とに絶大な脅し効果(?)があるのが、おばけ。その次に大輔に効き目があるのが、「ひよこになるよっ!」の一言。「そんなんしてたら、YちゃんやMくんと一緒にバラ組ではあそべないね。大輔はひよこ組(1年下)に戻るんやね?」という意味なんだけど、色々説明しても聞き分けがない時には、この一言で一喝!ひよこ組だって頑張っているんだから、そういう時に多用してはいけないな、と思うんだけど、大輔のプライドをくすぐるのか、効き目はある。
 クリスマスの頃はサンタさん、3匹のこぶたの劇遊びに夢中な頃はおおかみ、節分の頃は鬼、そしていつも気になるのはおまわりさんらしい。

25.愛情と手間

 姉のような存在の、近所のお母さんから「あなたの子育ては手間ひまは十分にかけてるけど、愛情はかけてないんちゃう?」と言われました。大ショック。ショックを受けたってことは、やっぱり自分でもそう感じるところがあるからかな。言ってくれたことが正しいかどうかは別として、言ってもらえたことで自分の考えどころみたいなものがハッキリしていくので、感謝。いろんな事例を流さずに、一緒にじっくり観て、掘り下げていってくれるようなところが彼女にはあって、すっごくあったかいんです、気持が。だから、言われてることはドぎつくても、傷かないのかな。

 私なりに一生懸命やっているんだけど、何か一生懸命になるところがズレているんじゃないか、というあたりはいつも感じていました。あれこれいっぱいしているけれど、子供達のそのままを受け入れて、無条件に”愛する”ことがどれだけできているかしら・・・。

  ☆聴くということ☆
 大輔とお昼を食べていました。友人が遊びにくる時間が迫っていたので、私は一足早く御馳走様をして、洗い物をしようと思っていました。すると、大輔が「おかあさん、おかわりして。」と言う。「おかあさんはおなかいっぱいなの。いらないの。」と言っても、しつこく、お代わりしろ、という。段々腹たってきて、「おなかがいっぱいかどうかは、お母さんが考えるの!お母さんはいらないっ!」と言い捨てて、洗い物を始めました。
 ふと、どうして大輔は私にお代わりして欲しいんだろう、と思いました。洗い物を止めて、しょんぼり食べている大輔のそばに行って、「お母さんに、一緒にいて欲しいの?」「うん・・・。」「お母さんは、お代わりしなくても、ここに一緒にいたらいいの?」「うん・・・。」そうか、おかわりしたら、まだ私がそばに座っているから、お代わりして、と言ってたんだ・・・。
 大輔が食べ終わるまで、そばに座っていました。大輔、嬉しそうに、最後まで、きれいに食べていました。可愛いいなぁ、と思いました。聴く、ってこういうことなのかもしれない、とちょっと思いました。

26.私が怒るベスト5
 
 大輔にガミガミ言う時のパターンが、大体決まっていることに気付きました。
1.弟やお友達に乱暴をするとき
2.食事のときに好き嫌いを言うとき
3.公共の場でうるさくするとき
4.することなすこと、遅くって、時間に追われてしまうとき
5.何か用事を、私に言いつける(?)とき

 「危ない時、人に迷惑がかかる時、に自分のしたいようにしてしまうのがワガママだとすれば、1と3はしっかり言い聞かせて、他はそんなにガミガミ言わずに子供の気持ちを考えて、受け入れて、思いやってあげればよいのでは?」とアドバイスを受け、頭では納得。だけどやっぱり怒鳴ってばかり(^_^;)。

 することなすこと遅いといえば、担任の先生と何気なく話をしている時、「大輔って消防士さんにはなれないだろうなぁ。」「そうねぇ、家が燃えちゃってから現場に到着したりしてぇ。(^o^)」などと笑ってしまった。ほんと、職業には適性があるのかもしれない、ということをこれほど身近に感じたことはありません。もう少し早く、靴をはくにしても、着替えるにしても、できないもんかな、と思います。1日中待っているような、1日中せかしているような気がします。

27.寄る気持ち

 その頃、病院でのリハビリに、不安というか、不満というか、悶々とした気持ちを抱えていました。だけど、病院相手に、「一体、このリハビリにどういう意味があるわけー?」なんて、怖くて聞けませんでした。だけど、やっぱり、誰かが声にして言っていかないと、何も変わらないと思って、先日、勇気を出して、STの先生にお話をしてみました。
 すると、わざわざ時間を割いて下さって、個室(聴力検査室。(^_^;))に通してくださって、じっくり話を聞いてくださいました。その上で、先生が今、問題だと思っておられること、これから改善していくために今考えておられることなどを、それはそれは誠意をもって、お話して下さりました。今すぐに、こちらが望んでいるような形にはなっていかないかもしれないけれど、私達が声を出していくことで後のお母さんや子供たちがやっていきやすいようになるのね。だったら、
言っていかないとね、と思いました。
 ”寄っていく気持ち”みたいなものが、今回はすーっと湧いてきて、それで話をさせていただけたのが良かったのかもしれません。以前、ぷりぷりしていた時は、”寄る”って感じよりも、”攻撃”的でしたから。誰とでも、こんな気持ちで寄っていけたら、心地よいだろうな、と思いました。寄っていきたいところはたくさんあるけれど、今1番近づきたいのは弟の保育所の先生方です。

  ☆クリスマスパーティ☆
 あるクリスマスパーティに参加しました。それは中学生から幼稚園児まで一緒に集うものでした。そのパーティの反省会で、中学生のお子さんをもつ親御さんが幾分興奮気味におっしゃっていました。「うちの子は、こんな小さな子供達の相手を
するためにわざわざ来たんじゃない。久しぶりに会う友達もいるのに、世話ばかりさせられて、何のために来たか判らない。プレゼント交換の品物だって、こんなちゃちなものを貰っても、嬉しくもなんともない。今度からはある程度、年齢を分け
たらどうか。」
 ・・・そんなものかしら。何か悲しい気持ちで一杯になりました。そのお兄ちゃんだって、いろんなお兄ちゃんに遊んでもらいながら大きくなったんじゃないのかな。小さい子と一緒に遊ぶことで、そのお兄ちゃんの中に芽生える気持ちもあるんじゃ
ないのかな、プレゼント交換だって、貰ったもの云々よりも、それを一生懸命選んだ子供の気持ちが大事なんじゃないのかな。

28.丁寧な関わり
 
 この頃、ちょっと自分で気になっていること。それは大輔の聞えに対して、私が思いあがっているところがあるということ。手を抜きガチ、とも言えるでしょうか。手術をして、聞こえに対して、大きな手応えを感じるだけに、”聞えてるんちゃうん”と思いすぎているところがあって、それが手話なしでやった方がいいのではないか、という日頃の疑問と重なって、言葉だけで言って済ませてしまったりして、それで大輔が怪訝な顔をしていたら、「わからへんの?」みたいに
なっちゃって、なんか変。
 「何?」「誰?」と不安そうな目で私に問いかける大輔の顔が増えてきたように思え、「人工内耳をつけていても、聞えにくいことには変わりない」という大前提を今一度、肝に命じて、もう少し、丁寧な関わりを心がけようと思っているところです。だけど、丁寧にって、どうしたらいいんだ?身振りをつけずに、口元もあまり当てにさせずに、いわゆる聴覚活用で日常生活のやりとりをするって、どうしたらいいんだ??なんか、すっごい基本の当たり前のことが判らなくなってきて、少々混乱気味です。手話や身振りを意識して減らしてみた結果でもあるんだけど、他の人は、こんな感じ、もったこと、ないのかなぁ。

21〜28まで、2001.3.3追加掲載。
インテグレーションへの迷い(H13.1 大輔4才5ヶ月)
29.主人の転職・私達が大事にしたいもの

 主人が今春、9年勤めた会社を退職し、新たなスタートをきることになりました。今までの会社は収入は高かったのですが転勤も多く、大輔の学校のことを考えると将来的には単身赴任の可能性が大。そして、何より、彼の人生を彼自身が考えた時、このままではいたくない、との思いが強くなり、決断に至りました。

 今後のことを話し合うにあたり、自分たちが大事にしていきたいものは何なのか、子供たちに用意してやりたい環境は何なのか、色々なことを毎晩のように話し合っています。初めて自分たちの意志で住む場所を決めることができるようになり、また転勤に振り回されることなく子供達の今後を考えることができるようになりました。障害を卑下することなく、自分に自信をもって生きていって欲しい、それが大輔の障害がわかったとき、1番初めに涌き出てきた気持ちでした。
大輔の可能性を信じたい。その可能性を活かしてやれるのは、どういった環境なのか、それを考えています。

 これから子供たちが自分の人生を生きていくのに必要なことは何なのか。それは知識や学力だけではなく、自分が大切にしたいものは何なのか、自分の考えをしっかり持てるのか、周りの人に寄っていきながらやれるのか、目に見えるもの、耳に聞えるものだけに惑わされず、その奥にあるものを感じ取っていくことができるのか、自分が好きでいれるのか、そんな力のように思えます。言葉や知識も勿論必要ですが、伝える気持ちを育てたい。知識を教え込む学校ではなく、人間を育てる学校に通わせたい。そんな思いが膨らんできています。

 私自身を振りかえってみると、小さい頃からずーっと、いわゆる”良い子”でした。成績優秀で、やってきて、大した挫折もなしに就職もして、職場でもそれなりに評価をして頂きながら、やってきました。それが、いざ、子供を産んで、”マニュアル”のない毎日になり、誰も点数もつけてくれず、途端に迷いの多い暮らしになりました。私自身が人間として育つ必要性を強く感じると共に、本当に必要な力は何なのか、考えるようになりました。

 既成の概念や常識にとらわれることなく、自由な心で、本当はどうなのか、を考えていけたら、自分の中に、幸せがあるような気がしてきています。子供たちにはそんな柔軟な気持ちを持っていって欲しいと願っています。子供たちに育てたい力は、そっくりそのまま、自分にも育てたい力です。

30.なぜ聾学校にいるのか

  人工内耳の権威であるドクターは、「人工内耳の手術をしたら、聾学校はやめて地域の幼稚園に入りなさい」と、以前からおっしゃっています。徹底的な聴覚活用を促すためです。しかし、インテについて、私達には大きな不安があります。聴覚活用も大切だけど、子供の今の状態を楽しく安心できるものにしたい思いがあります。人工内耳で大幅に聞えは改良されたといっても、難聴には変わりありません。一般の大人数の手段の中で、先生の目が行き届くとも思えなかったし、大勢の中でこそ感じる孤独感のようなものを、味合わせたくない思いも、漠然とですが、あるのです。今の言語レベルの大輔が、不安や疎外感を感じることが嫌で、今は聾学校に通っている、という経緯があります。

 昨年秋に受けた、大学病院での発達テストの結果、大輔は地域の幼稚園に出ても十分やっていけるでしょう、との判定を頂きました。しかし、「聴覚口話法で言語の獲得が出来る可能性が高い」ということと、「地元の幼稚園でやっていける」ということは、イコールではないように思い、大輔のペースで学習し、友達ともコミュニケーションを取りやすい聾学校を選択してきました。

 しかし、ふと、当たり前に聾学校へ通っているけれど、それって、当たり前なんだろうか、と考えるようになりました。生後10ヶ月で大輔の難聴が判ってから、病院に言われるまま早期教育に行き始め、それが当然のように通い続けてきました。そこで指導して下さった先生が、「この子が言語を獲得できるかどうかはお母さんの言葉掛けにかかっています。お母さん次第なんですよ。言葉のシャワーをあびせなさい。」とおっしゃって、右も左もわからない私は、大輔のために、その通りしようと毎日頑張りました。だけどその結果、子育てが楽しいものではなくなっていきました。毎日、言語療法士のような立場で子供と接していたわけですから・・・。

 子育て自体が初めてで、しかもその子にハンディが判ったばかりのその時に、最初に出会う先生の影響力はとても大きい。今思うと、そのとっても不安定な気持ちの若い(?)母親には、「お母さんさえ頑張れば話せるようになりますよ」という励ましより、乳幼児期の安定した親子関係、育児を楽しむことの大切さ、聞えている子供よりも少し丁寧に音を伝えるくらいで、特別な育児をしていくわけではない、というあたりの助言をしてもらえたら、と思わないでもありません。

 幼児期にしておかないと・・・、と、私達も当然そうするしかない、と思ってやってきましたが、本当に聾学校でなければ、この子の言葉は伸びないんだろうか・・・。そんなことを思ったのは、初めてのことです。

 教育の場を考えるうえで1つ、担任の先生に言われて、なるほど、と思ったのは、子供同士の関わりの中でこそ育つものがある、ということ。先生や親に教えられて、言われて吸収することよりも、子供同士のハプニングややりとりの中から感じていくことの中から、子供は大きく成長するのだろう、ということです。

 そこに行きさえすればいい、という学校なんてないんだろうな、と今感じています。どこに行ったって、課題や、問題点はあるはず。だけど、現場の先生方も親達も一緒になって、そういうものにしっかり向き合って、取り組んでいける場がいいし、私自身もしっかり働きかけて、そういう場にしていきたいと思っています。

31.「楽しい人生」優先の子育て

 「難聴児教育において、親が一生懸命になるがために、密着した親子の距離いつまでも変わらず、成人してから問題行動がでて、子供の発達を阻害していたと気付くことも少なくない。」という文章を目にしました。また、「なかなか構ってもらえないことで、難聴児の兄弟(健聴児)に心身症がでるケースが多い。」という話も聞きました。次男の成長と伴って、そんな次男のことも含めて、考え直す時がきたように思いました。

 聾学校に通っていると、毎日時間に追われ、こんなに小さいのに、1週間休みなく電車通学をしています。次男は当たり前のように、1才から保育所です。私も自分のしたいことはそっちのけにしているうちに、何がしたいのかもわからなくなっていきました。

 だけど、今回主人が転勤ばかりの会社を退職して、勉強しなおして、独立を目指して頑張ることを決め、家族のありようが大きく変わってきました。今までは主人は企業戦士、私は育児ノイローゼ(?)、みたいな夫婦ばらばらだった感じが、この無謀とも思える転職を機に随分寄り合えて、いいカンジになったこと。(それが何より。・・・(^o^))私自身も転勤がなくなったことでやりたいことが描きやすくなったこと。住む場所が初めて自由に選べることになり、また地域に密着して住んでいけるので、子供たちに用意したい環境を、積極的に考えることができるようになったこと。そして、聾学校に行かない選択もあると気付けたこと。聾学校の魅力はたくさんありますが、もし、そこを出て、もう少しゆとりのある生活ができたなら、大輔には言葉だけに追われる生活ではなく、スイミングとか、空手とか、和太鼓とか、あるいはゆーっくり散歩をするとか、体を動かすことをさせてやりたいな、と思います。(私も動かなきゃ、だし・・・。)次男も、大輔の聾学校がなくなったら、大輔と一緒にそういうことをしたり、公園にいったり、一緒にスーパーに行ったり、台所できゃべつをむいたり、玉子をわったり・・・、今は余裕がなくてさせてやれないことが多い、当たり前の暮らしをもっと一緒にしたいな、と思います。私自身も、子供たちを連れて行っても受け入れてもらえるところを探して、老人ホームや障害者施設のお手伝いに行きたい。

 「楽しい人生」優先の子育て、親育ち、やっていきたいな、と少し思い始めました。そのドクターの説に一理あるならば、小人数の幼稚園を探して、永住したい思うような環境の土地での暮らしを始めることで、言語力に関しても、聾学校ではなくても、大輔は伸びるのかもしれない、と思い始めたわけです。

32.この頃(4才1ヶ月〜、術後1年1ヶ月)の大輔の言語面
 
 ☆聞き間違い☆
用意=料理=掃除=工事   たまご=たばこ
だっこ=学校           スキー=月
うどん=布団           れいこ=ねこ
ペンキ=ペンギン         間に合った=間違った
紺=本               演歌=電車
会社=歯医者           ダンボ=がんも
はっさく=三角

 ☆はっきり言えた自発語☆
・お友達のお家へ遊びに行った帰り際に「△△(友達の名前)、ありがとー、たのしかったね」

・「階段にする?エレベーターにする??」と聞いたときに「うーん、どっちか考えるよー」 ”考える”という概念が理解できているのか、とびっくり。

・弟の誕生日に、「○○、おたんじょうび、おめでとー」

・朝食時のパン、ギザギザにちぎれた部分を見て、「ライオンに見える」”〜に見える”なんてかなり高度な表現に思えて、びっくり。

・クリスマスのイルミネーションを見て帰り道、「えにっきにかこうね」

・食事中、「おかあさん、料理ありがとう」と突然言われ、びっくり。

・遊びを切り上げて、夕食を作ろうと腰を上げると、「おかあさん、ごはん、がんばってつくってねー」

・救急車を見たとき、「誰が乗っているの?おじいちゃん?おばあちゃん??こども???いたいねー、かわいそうねー。」

・私が「まだある?」と聞くと、「もうない。」と答えた。

・「ほっとけーき」と、それはそれははっきりと言った。弟が「おっとえーい」と言ったのを大輔がつかまえて、肩をもって顔を向かせ、「ほっとけーき。なっ?」と発音指導しているので可笑しかった。

・「(寝る前の)”おやすみ”と、学校の”おやすみ”は一緒だね。」と言っていた。

 ☆関西弁☆
「あのなー」「ちゃうわ」「あかん」「待ってな」「ほんま」など、めちゃくちゃ関西人。STの先生にいつ頃からこうなったか聞かれました。
これらの語は明らかに耳から入った言葉。しっかり耳を使っている証拠のようです。

29〜32まで、2001.3.5追加掲載。

ご感想・ご意見などは管理者へお寄せください


戻る
トップ アイコン
トップ

雲と水面

sub4_6.htm