Pt14

インターネットリアルタイム旅行記アフリカ編1998パート14

素晴らしいゴレ島。城塞から見下ろした眺め。

さらばバマコよ

1998年11月10日早朝2時、ぼくと吉田さんはジェンネからのダイレクトバスでバマコに戻った。シェ・ファンタへタクシーで行き、ママ・ファンタ(通称ファンタババア)をたたき起こしそのまま眠った。うれしいことに蚊帳が用意されていた。ドゴン、ジェンネに行くまえ、僕が蚊に悩まされていたので気を遣ってくれたのか…泣かせるではないか。トイレは相変わらず入り口付近に大穴があいており危険な状態だったがここは洗濯も上手だしなかなかいい宿だぜ。♪バックパッカーならお金持ちでもそうじゃなくっても安くていい宿がすっき♪

その日の晩旅に出てちょうど100日になるということで吉田さんのおごりでグランドホテルでディナー。キャステルビール(南アのキャッスルではない)とワインでハトと鴨を頂いた。吉田さん、ご馳走様でした。翌11日ママファンタと写真を撮ろうと待っていたが帰ってこないので諦めて空港へ。タクシーで空港に着くまで運転手がなってない奴で喧嘩しながらもエールマリで一路セネガルの首都ダカールヘ。2週間も滞在した国なので感慨深い。ことにシェ・ファンタはいい宿だった。通信させてくれたシェ・ファンタとミッションカトリックの間のビジネスセンターもいい感じだった。この国はブルキナ、ガーナ同様田舎が集まって出来たような国という印象。他の国と違うのは田舎というか観光地に行くほど人が悪く物価が高くなる。だらだらすごすならバマコがいい。
また無事吉田さんとの合流にも成功しマリ観光も恙無く行い、救援物資も受け取った。ある種の達成感のようなものも感じてマリを後にした。思えばここまでハードではあった。ガーナでのビザ取得も大変だった。人はブルキナが厭だっただけでそんなに悪くなかったが移動もやはりハード。ドゴントレッキングもなかなかきつい。人生行くなら平坦な道だなあと感じたね。

でダカールヘ

11月11日夕方ダカールに着いた。その日はホテルプロヴァンシャルへチェックイン。結構高い。ダカールは宿も飯もバマコよりずっと高い。ジェンネやモプティよりも高い。2人いても1人10ドルは出さないと一番安い宿にさえ泊まれない。飯は旨い。ヤッサという鳥や魚を玉ねぎで煮込んだものなどバマコより色んなものが食える。でも安くはない。1250CFAはする。翌12日僕と吉田さんはダカールから沖合い3KMの島ゴレ島へ。

はっきり言ってリゾート地には違いない。フランス人がワンサカいる。しかし落ち着いている。綺麗だ。ほんとに小さな島で車が一台も無い。自転車も見ないほどだ。高台からの眺めは素晴らしい。歴史博物館や奴隷の家はどうでもいいが、島全体を歩いて回るとほんとうに落ち着く。そしてお約束のビーチでビール(ビーチは50mくらいしかないけど)。しびれるね。ダカールから恐ろしく近いのでここは是非行って欲しいお勧めのスポットだ。

13日吉田さんが日本に帰る日だ。あっという間の2週間だった。まず2人で土産物などを物色。Tシャツは結構いいものがあったが高い。7$くらい。ぼくは一枚だけ買った。それとずっと履いてきたズボンのお尻がまた破れ、アフリカ中で修繕してきたがミシンで縫った針穴からやぶれ出すという末期的な状態になったため、ズボンも新調した。曲がりなりにもラングラーUSAのブランドが着いているのものが2500円ほどで買えた。これは結構いい買い物だ。残念ながらマダガスカル、ガーナ、マリで直した妹からもらったズボンはここで捨てざるを得なかった。

僕も陸路のサハラ越えは北上の場合難しい上、お金も飛行機と変わらないほどかかるし時間も自分の車が無いと相当かかるかもしれないということだったので早々に諦め、空港近くのアフリカ大陸最西端アルマディ岬に行って生牡蠣を食ったあと(ここは他に何にもやることがない)同じ日の深夜ダカール・ヨフ・レオポルド空港で吉田さんと握手して別れ、それから遅れること4時間後モロッコのカサブランカへとエールアフリークで向かった。

吉田さん、本当にありがとうございました。とっても楽しかったです。また日本で会いましょう。

前回、前々回、前々々回更新データ

パート11ガーナ編ガーナ・アクラ・ホテルカリフォルニア前ビジネスセンター・98年10月23日9600bps
パート12ブルキナ・マリ編マリ・バマコ・ミッションカトリック前ビジネスセンター・98年11月10日14,400bps
パート13マリ編同上。98年11月11日同所にて再度更新。

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