Pt22

 インターネットリアルタイム旅行記98〜99ユーラシア編その5(通算パート22)

 テレザハウスは大騒ぎ

 
ルダシュ温泉にて

He came

98年12月20日会社時代の同期道木は直接テレザハウスにやってきた。何でも行きの飛行機で知り合ったハンガリー人と日本人の国際結婚夫婦に連れてきてもらったらしい。旅とはこういうものだなあとなぜか納得。8月1日の横浜花火大会以来4ヶ月と20日ぶりに再会。この2,3日テレザハウスは瞬間的に大変な混雑。幸運にも奴の到着直前僕の隣りが空いたので速攻でベッドを確保したがそうでなきゃ僕がベッドを譲り、床で寝るところだった。なにはともあれ朋あり遠方より来たる また楽しからずや である。日本でこの漢詩の言葉の意味をもっとも理解できるのはこの僕だろうなあと自信が持てる。彼は少し髪が長くなっていて横浜Fの楢崎に似てきていた。前はV川崎の本並に似ていたが。彼の後輩はマリノスの川口に彼が似てるという。彼はGK顔という結論になった。また共通の友人の女の子が今までぼくのメールに一回も返信がなかったことを僕が道木にメールで連絡したら、その子から間髪入れずすぐ返信メールが、ついに来た、ということがあって、お互いそのメールをその子本人に送りつけたと思い込んでいたら、会って話してみると実はどっちも彼女に知らせていなかったので、驚き合ったりもした。最近テレザハウスで読みふけってるゴルゴ13の影響で「彼女はソ連のスパイにちがいない」という結論で落ち着いた。

バカ話もここまでできるのは親友ならではだ。ほか会社の共通の知人の噂話なども昔話でもなんか楽しい。道木は日本の音楽のカセットを持ってきてくれた。ミスチルの新曲なんかもあったがやはり奥田民生の「さすらい」は感慨深い。米倉利紀「Yes,I do」も俺の好みを良く分かってる。さすがだぜ。ミスチルの終わりなき旅は奴が帰国したらメールで歌詞を送ってくれるという。尾崎豊も「誰かのクラクション」を入れてくるあたりポイント高いぜ。これが「卒業」や「15の夜」だったら俺はお膳をひっくり返してたね。「I Love You」だったらヘッドロックくらいだね。ほか「ドーナツショップ」や「群衆の中の猫」を選ぶ奴もセンスいい奴と思うね。

翌日僕らはさっそく市内観光、王宮などへ行く。アメリカへ語学留学で行った際はまったく写真1枚しか撮ってこなかった男が新調したデジカメで撮りまくる。あまりの浮かれぶりに少々驚くぼく。22日はインターネットカフェとホモの少ないルダシュ温泉へ。温泉は道木もたいそう気に入る。良かった良かった。カフェでは欧州放浪中の藤堂光樹から連絡が入る(前ページ参照)。ローマにいたらしいが残念ながら本日22日ちょうど日本にかえるらしい。再会ならず。23日、ウイーン行きを24日にすることで合意。この日はケーキを食ってインターネットカフェに行ったのみで終る。また、ジョンレノンのベスト盤「Lennon Legend」もカセットで買いテレザハウスのラジカセで聞く。Merry Christmas&Happy New Year,war is over.なんという素晴らしいフレーズか。また、前述岡さんもこのCDを日本で良く聞いていて「ジェラスガイ」がお気に入りとかでまた盛り上がる。

−幸せとはクリスマスイブにウイーンのザッハホテルでザッハトルテを食べることである−(藤堂善紀)

どうでもいいことだが僕も道木も日本の三越内にあるカフェウイーンでザッハトルテを食べるのが大好きである。今回道木がこの旅行で一番重きを置いていたのはザッハトルテをウイーンで食べることにほかならない。なので25日でもいい、と当初言っていた彼だが結局は一日予定を早めウイーン入りした。ブダペストは24日ともなると店も何もかも閉まりやることがなんもないらしい。僕がホットメールを教えたしろうさんによればウイーンもほとんど店なんかあいとらんのとちゃうか?という話で24日に行くのもほとんど賭けだった。ウイーンから帰国するしろうさんとともに3人あさ6時に起き地下鉄でエルジュベート広場のバス停に地下鉄で向かう。7時にバスは出る。10時半ウイーン空港でしろうさんと別れ、15分後ウイーンミッテ駅着。両替所を大童で探しだし(当然銀行は閉まってる)地下鉄でザッハホテルへ。オペラ座前でテレザハウスをこの2,3日でチェックアウトした「同窓生」4人に会う。一緒に無事営業中だったザッハホテルでメランジェとザッハトルテ。いや、至福である。一時は砂上の楼閣に見えたザッハトルテに朝6時ブダペストを出て国境を越えた末ありつけた上、この日朝から何も食ってないのでうまさもひとしお。しかも道木は俺に会うためではなく、ザッハトルテを食うために日本からウイーンに来たのだからさらに感激していた。それが証拠にただ1人大願成就した彼はザッハトルテをおかわりしていた。いまの彼はさながら甲子園の土を踏んだ高校球児、頭の中には古関祐爾の「栄冠は君に輝く」が流れたいたことだろう。
ブダペストのザッハトルテほどは甘すぎず、ちゃんとクリームがのっている。しかもザッハトルテの甘みとクリームとのハーモニーは絶妙どころか至高。こうでなくては。なによりここは本場ウイーンのザッハホテルだ。幸せだ。幸せとはクリスマスイブにウイーンのザッハホテルでザッハトルテを食うことである。おまけに向かいのテーブルには激マブ・ウイーン美人。メランジェも日本と同じく薫り高い。じつは本場デメル(ザッハホテルと並ぶ老舗)のザッハトルテは日本でも食ったことがあったのだがやはりここで食うのは格別だ。いやあ至福である。ソウルバラードじゃないが"Caught Up In The Rapture"

しかしウィーンは寒い日中2時ともなると冷えはじめるからわからない。浮かれ気分もあまりの寒さに吹き飛ばされ一日目が終る。

−幸せとはクリスマスにウイーンのデメルでザッハトルテを食べることである。−(藤堂善紀)

翌25日我々とフォルクスシアター近くのユースに泊まった日本人の面々はウイーン少年合唱団の早朝ミサを聞きに行く。聞きごたえはあるが、立ち見席なので疲れた。しかも少年たちの顔は見えない。それからザッハトルテを食いに、ウイーンのもうひとつの老舗デメルに行く。ウインナーコーヒーは自分で調合して作らねばならない上ザッハトルテにはホイップクリームもかかってない。ブツクサ文句をいいながらザッハトルテを一口、口に入れると藤堂から文句が消えた。いや、うまいね。クリームとのハーモニーやらコーヒーの味、店の雰囲気はザッハホテルのほうが上でもケーキ自体はデメルのほうがおいしい。蜜の甘みを抑えてあるのだ。それが勝因。己の全存在を賭けて「ウイーンで本場のザッハトルテを食う」ことに挑んだ道木も大満足だった。

では至高のザッハトルテはどこにあるか?クリームがかかっていて、コーヒーのミルクが泡立っていて、蜜の甘みが抑え目…それは三越のカフェウイーンのザッハトルテである。そのうち一番なじみの店は新宿三越南館にあるのだがその南館自体がもうじき閉まるという。時だけは容赦なく流れ行く…

そのあとオペラを見に行ったがこれも立ち見でつらい。朝も立ち見だったのでなお堪える。いちおう音楽の都ウイーンの国立オペラ劇場なので行くだけでも価値はあるがそれだけだった。話もイマイチ分からんしだいたい疲れた。ちなみに立ち見は300円ほど。

26日朝、わたし藤堂に送られ道木は空港でエアメールを出し、全日空にのり短い旅を終えた。奴は28,29はまた仕事で出社するという。不思議なのは奴とは入社以来6年間おなじ寮だったのだが、このお互いわがままな俺たちでも喧嘩をしたことは皆無に等しい。今回の旅も同様でなんら揉めるということがなかった。最近の僕の旅行はいつもそうだが。

−幸せとはウイーンの旅の空の下で旧友と再会し、共に語らい合うことである。−(藤堂善紀)

これ以上の聖夜がほかにあろうか?

来てくれてありがとう道木。これからもずっと友達でいてくれ。

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