Pt24

インターネットリアルタイム旅行記Back In Africa編その1(通算パート24

Africa Again, Egypt

 

一ヶ月半ぶりに、私・藤堂はアフリカに帰ってきた。残りの時間からすると旅程の多くの部分をアフリカですごすことになった。99年1月4日乗合タクシーで早朝のカイロにつくとサファリホテルにチェックイン。一泊6£というから200円ほどのドミトリーだ。朝早いのでソファに座ってたらジンバブエで会った丸野さんがやってきた。徹夜で遊んでたらしい。彼とは3ヶ月ぶり再会。向こうは僕の髪が伸びてたのでわからなかったらしいが話せばすぐ思い出した。

テレザで一緒だったムラコーさんもすでにここに2泊していた。翌日スーダン大使館へ。町の中心近くにあり、ビザ申請フォームをもらう。日本大使館の推薦状も要ると言うので翌日行ってみたらなんと木金土と3連休でレター発給はなんと4日後の日曜!これではやってられない。陸路とアスワン発のフェリーでスーダンに行けるというのでその気になったが、レターが出てももう3,4日かかるだろう。そこでもう一つの選択肢エチオピア行きを考えたが今度は航空券が高く500〜570US$もする。そんなわけで翌週の11日月曜日までハムレットのように悩んだ。エチオピアにすべきかスーダンか?
サファリホテルはめっちゃ濃い日本人宿。7年ほどここに暮らしている小林住人はじめ強烈の一言。17歳の少年もいれば一年滞在してるフランス人の女もいる。昼ねて夜遊ぶという典型的なダメな旅行者が多く同じビルのスルタンホテルとは対照的らしい。こちらは11時にはみな寝るという普通の宿らしい。
残念なのはアフリカを北上する人が少ないためアフリカ情報はびっくりするほど少ない。そこでロンリープラネット等ガイドブックを持ってる人を何日も待たねばならなかった。そのうちスーダン、エチオピア、ケニアを周遊して帰ってきた山田くんに会い、ロンプラをGET。
カイロでの活動は7日コプト教の寺院を見にオールドカイロへムラコーさんと謎のフランス人ヨシオちゃんと行った。9日土曜は17歳の少年等有志とピラミッドを見た。12日はカイロ考古学博物館へ。凄い見ごたえがある。しかもニセ学生証で10£。300円しない。またサファリでは小林住人他だれかしら日本食を作る。冷やし中華や水炊きを頂いた。そのうち自分でも作るようになった。砂肝を焼いたり炒めたり、舌平目を蒸し焼きにしたり、この2,3日はチャーハンに肉の炒め物を作っている。
そうこうしてる間に日曜レターが出来た。スーダン大使館に行ったらこっちは休み。ちぐはぐだ。しかたなく月曜日スーダン大使館へ出直し。ようやくヴィザ申請でスーダン行き確定。しかしやはり3日待ち。14日木曜の受領。僕としては一ヶ月近く日本人宿でだらだらしておりいい加減、旅したい。こういうとこの生活もテレザ、パウパウがそうであったように有意義には違いない。しかし物には限度がある。この一ヶ月ウィーンに行っただけでブダペストではダラダラ温泉に浸かってただけでこれといって何もしてない。物事にはメリハリが必要だ。だから居心地のいいサファリだが早いとこ出発したい。

この町のモバイル環境はいいのか悪いのかなんとも言いがたい。ナイルヒルトンのインターネットカフェはまず断られ、町の商店や屋台に備え付けの電話機で立ってモバイルという手段をとった。これが結構よい。28,800bpsで繋がる上、安い。6分で1£、35円ほど。意外にエジプト人快諾してくれた。

14日ついにヴィザが下りた。会計主任が離席中で40分ほど待たされたが約束の時間から30分後れならアフリカではいい方だ。そんなわけで15日金曜の夜行でまずルクソールを目指し日曜にはアスワンへ入り、そっからスーダンの国境の町ワジハルファへナセル湖を船で渡り向かうことにした。15日は即日でケニアビザも取れて漸く準備が整った。

ホームページ更新データ

パート23ハンガリー堕落編:ハンガリー・ブダペストのインターネットカフェGalaxia Klub
99年1月2日28800bps
パート24:エジプト編:エジプト・カイロの路上の売店横プッシュホンから
99年1月15日28800bps

Next

Back

Home