Pt27

インターネットリアルタイム旅行記Back In Africa編その4(通算パート27

エチオピア紀行−Foolish Game

ゴンダール・ファシリダス王城

エチオピアは前々から憧れの国だった…とくにアクスムでインディジョーンズごっこするのが夢だった。しかし6月の時点でエリトリアとの戦争が始まりアクスムはこの時点で駄目。そしていよいよ入国というときになって前述の通り戦闘が再開し様々な面で支障が出てきたのだ…

2月8日まずジブチからきた日本人旅行者阿部さんとともに小さい方のナショナルホテルに行く。一泊30Birr。その日にNFホテルの温泉に浸かる。9日僕は日本大使館に行き渡航延期勧告が出たことを知る。領事の返町さんから早く出国するよう促される。しかしようやく辿り着いたエチオピア、そうそうなにもせず出るわけにも行かない。11日国内のフライトはほとんどキャンセルなのでバスでまずラリベラへ。直行便はないのでまずウェルディヤへ行く。31.1Birrというから450円くらいだ。阿部さんも一緒に出発したが、いつまでたってもアジスを出ない。ガソリンスタンドをぐるぐる回っている。なんと軽油がどこのスタンドにもないという。12時過ぎやっとアジップ石油で給油。そこでアジップ社の社員に聞いてみたが単なる在庫切れで戦争のせいではないというので僕はウェルディヤに向かったが、のちに日本大使館で聞いたらやはり戦争のせいだという。阿部さんは嫌気が差してアジスに残った。よって同行者を失ってしまった。

まず途中の町デセで一泊のはずが大きく遅れたためはるか手前で一泊。そのせいで2日でつくはずのラリベラだったがウェルディヤに行ったらラリベラへのバスはなかった。でウェルディヤでもう一泊。ジョンホテルというとこだがここは10Birrで結構いい部屋。エチオピアは南京虫はじめノミやシラミが多いというし、先に行ってる人はみな被害に遭ってるが僕は全然平気で、このホテルもまったく問題なかった。翌朝6時バスターミナルへ行きラリベラ行きのランドクルーザーにのり7時間後ラリベラへ。この間見ず知らずのエチオピア人に面倒を見てもらいながら問題なく乗り切った。また窓からの眺めは実に素晴らしい。13日昼3時についたがこの日はアシェテンホテルヘ。30Birr。

ラリベラはセントジョージ教会はじめ一枚岩を削って作った教会群がなんといっても見ものだ。入場料は100Birr、1500円ほどと高いが、ガキのガイドハフタムを20Birrで雇い14日1日かけて観光だ。正直、教会1群、2群とも屋根や骨組がつけられていて興ざめ。セントジョージ教会は唯一見ごたえがある。この教会は上から見ると十字架の形をしていて実に興味深いし群を抜いて美しい。

ひととおり見たあと、周辺の町対抗のスポーツ大会のサッカーの決勝があるというので見に行った。ラリベラ対ウェルディヤの間で行なわれ、結果はドロー、しかし得失点差でウェルディヤ優勝が決まった…その瞬間観客がなだれ込み乱闘に。警官が発砲してその場は収まった。僕はアシェテンから翌日の早朝のバスに備え町の真ん中のバス停近くの私営のロハホテルに移ったのだが寝ていたら深夜12時頃また発砲。収まらないラリベラファンがまたウェルディヤ人と町の真ん中近くで喧嘩していたらしい。おかげで銃声が良く聞こえて、実に恐かった。この騒動で1人が死亡したらしい。何と愚かな…

15日朝ウェルディヤ選手団のバスに30Birr払い、ゴンダールへ行くためにバスの乗りつぎができるまちガシェナまで行く。この運転手は金に汚いクズだがガシェナはいいとこだ。ほんの2時間の間だったがバス停の食堂の皆さんには本当によくしてもらった。町も見晴らしが良くすばらしい眺めだ。彼らに別れをつげゴンダール行きのバスに乗り込むがこのバスがまた雰囲気がいい。運転手も車掌も乗客もみんなやさしい。ウェルディヤのカス運転手のことなど忘れた。途中一泊した町ガインツではエチオピアの国民食インジェラ(平べったくてクレープ状のすっぱいパン)をおごってもらったりもした。最初は抵抗あるインジェラもこのころにはもう平気で毎日食っていた。インジェラは大体どこでも3Birr。アジスでは少し高いとこもある。このガインツのセラムホテルは5Birr。

翌16日昼2時前にはゴンダールについた。天気が良かったのでファシリダス王城とその離宮を一気に見た。王城は見ごたえあるが離宮は乾季のためプールに水が入っておらず興ざめ。その日は映画館裏のホテルヘ10Birrで泊まる。

翌17日朝バス停に18日のアジス行きのチケットを買いに行くが黒山の人だかり。いつまでも買えない。待っていたら、なぜかゴンダールにいた韓国人のグループの1人が声をかけてくる。彼らは韓国のプロテスタント系のミッション団だがアジス行きのバスをチャーターしたので一緒に行かないかという。

問題は彼らは当然今日行くのだが僕はまだゲブレビルハンセラシー教会を見ていない。しかしスペインでティエリーが車に乗せてやるといったときと同様、そうは迷わなかった。8時に荷物を持って乗り込んだ。エチオピア在住の女性リーダーとミッションスクールの生徒のリーダー格キム・ハンソン君はとりわけ気を遣ってくれた。その晩途中泊まった町で韓国のインスタントラーメンを振る舞ってもらったがコンロになかなか火が点かない。2時間近くやっても駄目でとうとう10時、彼らのお祈りの時間になってしまった。案じた宿の人が炭火のコンロを持ってきてくれたのでお祈り中の彼らに代わって持参した扇子でパタパタやってラーメンの湯を沸かした。日韓友好ラーメンの味は辛いがうまさも一入だった。18日またもその町で軽油がないという。しかしこれは簡単に乗り切って女の子淑玉ちゃんと神について語りながらアジスへ。無神論者の僕にはキリストの話にもいろいろ反論があったが、友好関係に水を差してはならないと、彼女の話には聞き役に徹し結構つらい時間だった。みんな自分の意志でクリスチャンになった人ばかりなので凄く熱心、それだけにこのシチュエーションでは持論を展開できなかった。またハンソンは音楽が大好きでビルエバンスやエイジアについて話しながらバスに乗るうちアジスに夕方つき、彼らとはいったん別れる。

この韓国人のみなさんが素晴らしい人たちなのは言うまでもないが、あれほど評判の悪いエチオピア人だって観光地の一部の連中をのぞけば、あとはスーダン人に劣らず驚くほど優しい。貧しい国でツーリストがいい金になると知れば確かにハイエナのようなひどい連中は出てくるし、ツーリストにとってはそれが自分の接する現地人の大部分になるときもままある。だけど人間はどこへ行ってもみな同じ、いい人もいれば悪い人もいる。その人にいいところもあれば悪いとこもある。だからエチオピア人はみな悪い連中みたいに言うツーリストがいるがそれは間違っている。適当な表現ではない。エジプトだって普通の人はみんないいひとだ。

こんな風に末端の個人はみな世界の人々と仲良くしたい。日本人の僕は韓国の彼らと友達になりたい。かれらもそうだと思う。なのに古い日本人は韓国人や中国人に差別心を持つ人もいる。逆に韓国人も戦争時の侵略行為のため多くのひとは日本人にいまだに嫌悪感を持っている(こっちは仕方ないが…)。エチオピアとエリトリアも多くの人たちは仲良くしたいし、戦いたくないと思っているはずだ。愚かな指導者たちのつまらない目先の利害のために多くの普通の人たちが犠牲になっている。何十年たっても変わらない。あんな親切な人たちなら普通に出会えばきっといい友達になれるだろうに、なのにいま彼らは国境で殺し合っている。お互い鬼畜のような憎い敵と思い込んで。愚かな指導者たちは人の心まで蝕んでいく。

若い人たちは愚かな年寄りどもの差別や憎しみを引き継いではならない。戦争の教訓は同じ事を繰り返さないためにも忘れてはならないが、憎しみまで継承するのはなにも生み出さない。今回の件で僕はますます韓国が好きになった。日本と韓国だけは21世紀に向かって歩み寄らねばならないと思う。サッカーの試合などでお互い競い合って強くなる契機にするのは素晴らしいことだが、我々は決して憎み合う敵ではないのだ。韓国だけでなく僕はエチオピア人もスーダン人に負けないくらい好きだ。彼らのバス移動中の親切は忘れられない。白人も黒人も黄色人種もない。世界中の人と仲良くなりたい。もっと彼らを知りたい。もっと僕らを知ってほしい。だから僕は旅をする。
辻仁成のエコーズの「Foolish Game」にこんなフレーズがある。
「競うのは愛にしたい」自国の兵力の強さでなく、愛の大きさを競ってほしい。そうしてアフリカ中の憎しみが愛に変わればと、いつも思う。きっとその大きな愛はアフリカ中を幸せに出来るから。

Back

Next

Home