Pt32

インターネットリアルタイム旅行記最終章

さらば流離(さすらい)の日々

 
日本着

そんなこんなでカンボジアからバンコクに戻り、また懲りもせずフレンドリーゲストハウスヘチェックイン。4月6日カルカッタで会った学生坂本さんとスキューバ放浪家原田さんとワールドトレードセンターへタイスキを食いに行く。このコカというレストランは結構綺麗で、なんかすこし我々は場違い。ここへきて3人ようやく自己紹介。何日か帯同してもインドやタイでは名前も聞かないという人が多いのもアフリカ旅行者にはアジア系旅行者が解せないところだ。イクバルやパウパウじゃすぐに名前を聞いたのに。

タイスキはうまい。出汁を取った湯が張ってある鍋に魚、肉、野菜と思い思いの具を入れて、唐辛子が効いた辛いタレにつけて食うのだが実に美味い。タイの飯は屋台でも十分うまいが、この美味さには藤堂感激!1人350バーツ(1000円)だが日本で同じ物を食えば正直ひとり当たり20倍ではすまない。なんせ日本ではネパールのダルバート1,700円した。向こうじゃ50円なのに。

アジアを貧乏旅行してると金銭感覚が俄然おかしくなる。とくにインドのあとではなんでも「ルピー建て」で価値を換算してしまう。つまり日本円で500円誤魔化されそうになったりすると「たかだか500円、牛丼しか食えん」ではすまない。「チャイが百杯のめる!冗談じゃない!」という風に、金銭感覚だけはインド人化するのである。もはやチャイを基準に価値を判断し出したら「ぼられるのもまたたのし」ではすまない。このアジアを境に多くの旅行者は現地人と戦う旅行者へと変貌しがちだ。アジアを念入りにまわった旅行者は実にコストに厳しい。それ自体が旅行の一大テーマになってしまう人も少なくない。味を占めるのであんまり暴利な行為には俺もつかみ合ってでも対抗するけど僅かなはした金を巡ってあまり喧嘩するのもなあ…後から来る旅行者が嫌な思いをしないよう努力する義務はあるとは思うけど、後から来る旅行者のために旅行してるわけではないので、あんまり神経張り詰めて旅行するのも嫌だ。自分が楽しむのが旅行の最大の目的である事は当り前ではあるが常に忘れたくない。

神経張り詰めて旅行するのはしかたない。それは日本以外どこも一緒。でもアジア旅行がアフリカに比べて物足りないのは「現地人と尊重しあい、交流を深める」というのがほとんど出来ない事だ。ひとつには「アジア人は英語とフランス語がほとんど出来ない」というのもあるが「英語がしゃべれてはなしかけてくる人、とくにインド人は大部分が金目当て。しかもかなりの割合で悪質な人がいる」ということが大きな要因だ。彼らは子供だましのようなことを旅行者相手に仕掛けて平然としている。猿岩石日記の中で有吉も言ってるが「どこの国へ行ってもいい人はいる。でもインドはなんかちがうんだよなあ…」。エチオピアには悪い人もいたが、いい人の方が多かったし、しかも簡単に見分けがつく。しかしインドはみんな胡散臭い。区別がつかないし、「いいインド人に会った」という人は本当に少ない。正直こんな人たちとまともな話なんかできない。(ということはインド人に似てるといわれる私もそう見られてるのか?)別に多くの旅行者が言うような「インドの人間のアクの強さにやられた」とかそういうのではない。実際マリやエジプトに比べてそんな最悪というほどでもない。これくらいで音を上げるならとっくに帰国してる。油断も隙もなく、気軽に現地の人とコミュニケーションを取って友達になれない状況が悲しく、インドはそれ以外は面白い国だが大好きにはなれないという致命的な要因なのだ。つまりスーダンと180°逆なのだ。逆に化かし合いをゲーム感覚で楽しんで、インド大好きの人もかなり多い。しかし僕もインドのこういう要素が嫌いというのではないのだ。結構交渉は相手が怒るほどやって遊んでたけど、それだけじゃねえ…

4月8日フレンドリーでは事件が発生した。何と一階のマッサージ部屋に南京虫が大量発生したのだ。深夜の事で2階で寝てた僕の部屋は朝起きると下から避難してきた日本人旅行者で一杯になってて妙に思ってたらそういうことだった(この宿では多くの客はマッサージ部屋で寝る)。エチオピアでもマダガスカルでもダニ一匹にすらやられなかったのにこの先進国タイでやられようとは。さらに悪い事に、害虫駆除にバルサンを焚いたらしく、ゲストハウス一帯にゴキブリが死屍累々。そう苦手ではない僕も眩暈がしてきた。そういうわけでこの宿には泊まらないのが無難。そのくせ金にはうるさい。恥ずかしげもなく金、金。ヤンナルデ。

友達100人出来ちゃった

そして4月9日早朝バンコクを後にし、日本へと旅立った。8ヶ月と十日、250日間の旅は終った。南アからスタートし、ナミビアでは山田さん、Dr.フランクス(のち山田さんは交通事故で重傷・帰国)、グレース、国連の小川さん(素敵な女の子でした)日本海洋掘削のみなさん他と会った。ナミビアからモザンビークまでは矢沢さんと帯同、さしやまさんはいまもよくメールをくれる。ジンバブエでは松本さん、野末さん、上村さん、遠藤さん、昔のHpを見て旅行してたという藤田勉さん、栗山さん、静岡大のさくちゃん、やすこちゃん。森下くん、アメリカ大使館撮影した連れの巻き添えで逮捕された山下君、野沢さん。サファリで再会した丸野さん、相棒で実は30歳窪田さん。バッジョファン同志の水溜くん、白神さん夫婦、音楽青年伊藤さん、チャリダー佐々木さん。マダガスカルでは藪田さん、嶋さん、そしてピンク佐藤さん、なんたってイアン・シェリフ。タンザニアのおかもとうららちゃん、山根裕子さん、町屋さん、バンコクで再会した辻野さん。ガーナまで一緒だったブライアンと安江さん夫婦。マリで合流した吉田善一さん、ファンタで会った梶原さん、沢木さん。モロッコで会った今西さん、フランスのティエリー、サンディさん、および2人のお父さん、ミケーレ、エリナ、ミケーレの彼女エウジニア、エリナの元同居人大石昭典さん、パドヴァのミケーレのご両親、ブダペスト・テレザの角屋くん、岡ちゃん、しろうさん、ムラコーさん、部長、五郎さん、山田くん、早稲田さん、矢崎さん、幸恵ちゃん、佐久間さん、しげちゃん、高山さん、大阪からテレザに駆けつけてくれた友・道木。サファリで会ったもりさん、さとうのぼるさん、レオくん、白田さん(旅を続けてるんでしょうね)、てつさん、スーダンまで一緒だったひろとさん、圭子さん。スーダンのインターネットカフェのモハメッド。ケニア・ホワイトライオンサファリの船岡さん、通信させていただいたナイロビの黒田さんご夫妻、知子さん、片桐さん、京大の水野先生、早川さん、金子さん、古藤さんほかDoDoのみなさん。写真家の北川先生と息子の鉄雄さん。小林さん、黒坂さん、藤川さん、瀬古さん、義則さん、茂木久美ちゃん、森さん、佐藤さん、うつきさん、宮崎さん、イクバルの山田たけしさん、がくりんちゃん、いしださん、森健太郎さん、横尾くん、ハローグッバイ忠三くん、ニジェール行って帰ってきた高萩さん、浜松さん、後インドで再会した静大生生田さん鈴木さん。エチオピアで会った画家の宮崎さん、バラナシ、カルカッタでも再会した阿部さん。ガシェナで親切にしてくれたレストランのみなさん。久美子ハウスで会った久保さん、津田さん、成田さん、魚住さん、高橋めぐみちゃん18歳。カルカッタの坂本さん、まさくん、鈴木くん。バンコクでエジプト以来再会の丸山茂樹さん。他にも多くの出会いがあった。目標でもないが当初これくらいは行くかな?と考えてた「友達100人出来るかな」構想も達成された。今回は初めての1ヶ月を越える旅行だったことで、いままでのどんな旅行とも違ってた。うまいこといえないけど一ヶ月の旅の出会いは8ヶ月の旅の8分の1ではない。逆に言うと一ヶ月の旅の出会いは8倍しても8ヶ月の旅の出会いには及ばない気がした。

オカハンジャを、ソーサスフレイを、オカバンゴを、バザルートの信じられないほどの美しい遠浅の海を、パウパウロッジで作った飯を、矢沢さんとのヒッチを、アンチラベの大きな雲を、モロンダヴァのバオバブの近くのホテイアオイの美しさを、マラウィのグレートリフトバレーを、ブルキナの田園の稲穂の輝きを、ドゴンの村を、セグーのニジェール川を、ゴレ島を、カサブランカを、エクサンプロバンスの空を、大晦日のブダペストを、壮大なカルナック神殿を、なんにもないワジハルファを、ハルツームの突き抜けるような青い空と白い雲を、スーダン人の屈託のない眩しい笑顔を、エチオピアの高原の清新さを、そしてなにより、マガディ温泉を。ガンジスでの沐浴を、そしてカンボジアの子供たちの表情を、ずっと忘れる事はないだろう。


バンコクにて

しばらくはこれで旅は引退する。でも人生の目標を達成し、再び区切りを迎えたら、僕はまた旅に出る。もう一度インドシナも行きたいし、中国も行きたい。南米なんか一カ国も行ってないのだ。フンザにも行きたいし、中央アジアも行きたいし、今回目前でカイロに行ったためいけずじまいのトルコやイランも行きたい。でもなんといってもニジェールのアルリットでサハラ砂漠を見たい。ガボンで動物をみたい、ナイジェリアのカノーでイスラムの礼拝を見たい。マンの滝を見たい。カメルーンのルムシキに行きたい。チャド湖を見たい。サントメで泳ぎたい。エリトリアでシュノーケリングしたい。何度でもアフリカに行きたい。そしてもっともっと多くの人と出会いたい。今日こうしている間にも多くの旅人はアフリカを、アジアを、南米を巡っている。そして僕に似たほかの誰かが同じように、新しい街で戸惑いながら現地人に、旅行者に声をかけているのだろう。

ぼくと同じ気持ちの現地人と、同じ気持ちで旅をしている欧米の旅行者と友達になりたい。彼らの国に遊びに行きたい。彼らに日本に遊びに来てほしい。そして何より、この気持ちを分けあえる日本人旅行者たちともっともっと出会いたい。そして日本でまた彼らと酒でも飲んで旅を、アフリカの素晴らしさについて語り合いたいのだ。だって旅の素晴らしさは観光地を巡ることよりも、そこでの出会いにあるのだから。

藤堂善紀(とうどう・よしのり)
19××年7月22日広島県大崎町生まれ。
元会社員(現在無職:司法浪人)
好きな食べ物:筍の天婦羅、和菓子(特に餡子を使ったもの。本高砂屋の金鍔など)ミュンヘン白ソーセージ、ベルギービール(Primus. Adlerが特に良い)
趣味:温泉、魚釣り、プロ野球、サッカー観戦(広島カープ、ロベルト・バッジョ、デニスベルカンプのファン)陸上競技(エチオピアのゲブレシラセ、ナミビアのフレデリクスのファン)
好きなタレント:さとう珠緒、石川梨華、滝川クリステル
お気に入り:オープンの2シーター(四駆は大嫌いだったがこの旅行中その素晴らしさが少し理解できた。O2SではローバーMG‐RV8は特に良い)、雨の日の散歩、ニコンのカメラ(特にF3。持つことの喜び)
感銘をうけた本:サハラに死す(長尾三郎編)華麗なるギャツビー(フィツジェラルド)
嫌いなもの:店主と店員が威張り腐った飲食店
座右の銘:人は有限の生命を以って無限の志望を抱くものなり(陸奥宗光)
今回の旅について:26、27、28と私の人生暗かった。でも悩める日々に別れを告げ、29歳から30代へと変わるなか、栄光の未来を目指す上で大きな区切りになりました。「冒険は出来るうちにやっとこう」

おまけコーナー(旅のこぼれ話、アフリカ以外オススメランキング疲れたので少し待ってね

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