Pt8

インターネットリアルタイム旅行記アフリカ編パート8

続・マダガスカル

サイザル畑でつかまえて

お約束のワオキツネザルとの一枚

What A Feelin'

ぼくとイアンはサイザル畑の中を延々と歩いていた。サイザル麻はマダガスカルでぼくが見た唯一の産業らしい産業だ。フォートドファンのすぐ近くのアンボシャリーに広大なプランテーションがあり、ぼくらはその中を突っ切ってベレンティ保護区を目指していた。このサイザル畑を見てると映画「フィールド・オブ・ドリームス」のトウモロコシ畑を思い出す。どうでもいいことだがこの映画はサリンジャーの「Catcher In The Rye」という小説がモチーフになっているがこの小説、日本ではなぜか「ライ麦畑でつかまえて」というなんだか分からない迷訳(名訳?)の題名がつけられ長年好評を博している。もっとどうでもいいことだが1967年頃ほかのバンドが「黒くぬれ」だの「マジックバス」だの歌ってた頃「苺畑よ永遠に」と歌っていたジョン・レノンとビートルズはやはり凄いロックバンドだったのだなあと今更思う。60年代終わりに「グッドタイムス・バッドタイムス」と歌ったバンドが出てきてこの領域に迫ったがそのころビートルズはさらに先に行っていた。

思えばここに来るのも一苦労だった。フィアナでバスが来ず、しかたなく西海岸南部のトリアラへいったん出てそこからエアでフォートドファンを目指すことにしたのだが、トリアラまでがもう、荷台にベンチがないタクシーブルースで12時間。ふつうタクシーブルースはトラックの荷台にベンチをつけて幌をかけた乗り物だ。しかしこのタクシーブルース、ベンチがなく、そのうえ乾季なので幌もないのだがそんなときに限って雨は降るものなのだ。荷台に10人ほどでギュウ詰めのうえベンチはないのでケツは痛い。くわえて昨晩は徹夜で来もしないバスを待って寝ていない。そこへ来て雨である。大急ぎで荷台にほっぽっていた幌を荷台の荷物にまず掛けた。でも大雨なのでみんなでそれに潜り込んだ。マダガスカル人、英国人、日本人で思わず苦笑い。なんか楽しい。それにその移動中見た虹は、分度器のように両端が地平線から伸びていた。もちろん180°だ。今までの人生で一番見事な虹だった。これまでの最高はこないだヴィクトリアフォールズで見たものではあるが…。今来た道を振り返ると、その虹の巨大なアーチをくぐってぼくらの車は進んでいた。

もっと余談だがフィアナで待っているとき、アイリーン・キャラの「What A Feelin’」を聞いた。いわゆるフラッシュダンスだ。アンチラベで聞いたポリスの「見つめていたい」はそうでもなかったけどこの歌には久々の感動があった。4、5年は聞いてなかったけど改めて聞くといい歌だ。アイリーン・キャラも最高にいい声してるし。これはちょうどぼくが音楽を聴き始めたころの思い出の一曲なのだ。映画も結構好きだし。この15年間がその時走馬灯のように頭を駆け巡った。高校生活、大学入学、アフリカ旅行、大学卒業、就職、親しい人の死や別れ、新しい出会い、そして退職、旅立ち…もうこの歌も「イエスタディ・ワンスモア」みたいな存在感を持ち始めたのだなとしみじみ時の流れを旅の空から感じていた。もっともポリスのほうは今でさえ毎年何回も聞いているので新味がないだけなのは自分でも分かっていたが。またカーペンターズにしてもアイリーン・キャラにしてもこういう一世一代の名曲を持ってる歌手は幸せだとも思う。

そのバス待合所ではバス会社のスタッフが仕事中でも酒飲んで女の同僚に触りまくっていた。まったく結構な職場である。俺も会社時代こんな調子で仕事できてたらやめてなかったかもなあ。

サイザル畑のバオバブ

OhMy Buddah!

アンボシャリから歩いて2時間、9kmの道のりを歩き、ベレンティについたはいいがゲートにぼろぼろの服を着た男女が立っており「歩きでは入場できないよ」などという。押し問答の末分かったことは「フォートドファンのホテル・ル・ドーファンのツアーに参加してる奴でないとベレンティには来れない」ということである。いいかげんこればっかりで厭になってきたがまたまた話が違う。こんなことはぼくの旅行人ノートにもロンリープラネットにも、イアンのそれにも書いてない。いずれのガイドブックにも「ツアーに参加したくなければアンボシャリーから歩いていけるよ」と書かれているのに。どうも最近それが変わったようである。エアーでフォートドファン入りし、お金を節約するため個人でベレンティへ行こうとしたら全く2日もの時間の無駄遣いに終ってしまった。こんな理不尽が許されるのかとも思うが許されるのである。なぜならここは国立公園ではなく私営の保護区にすぎないのだ。我々はもはや歩く気力はなく、帰りはメインロードでカミオン(乗合ダンプ)をヒッチしてアンボシャリーのおんぼろホテルに帰った。というわけでこんな強欲なやつらに甘い汁を吸わせていてはならない。皆さんはぺリネに行くべきだ。ぼくらはもう2枚ものエアチケット(ちなみにエアマダガスカルの国際線利用者の国内線割引はパリータナ間利用者のみ)を買ったため引くに引けず、恰もこのツアーで見れるウツボカズラに吸い込まれるようにベレンティに行かざるを得なかったが貧乏旅行者はこんなとこには来るべきではない。結局ぼくらは翌日Fドファンにタクシーブルースで帰り(なんかここんとこトラックの荷台ばっかり乗ってる気がする)このツアーに90US$もの大金を投じたのだ。この安いマダガスカルで、しかもたかだか猿ごときのために。本当に予想外の出費の多いマダガスカル旅行だった。もうひとついっておくと、地元の人の話では同じフォートドファンのカレタホテルでのカレタ保護区ツアーもはるかに安い料金でほとんど同じ物が見れるそうである。もっともこの保護区はロンリープラネットには「貧相なまがい物」と酷評されているがさて?またイアンの話ではラノマファナのほうがもっと安く、色んなものが見れたという。
この国ではもう、どんな情報を信じたものやら…。

結局9月20日から1泊2日でベレンティ行ったのだが、確かに原猿はいっぱいいる。ワオキツネザルも横っ飛びシファカもいる。でもカメレオンや変わったカエルのたぐいはまるで見れなかった。しかもこのツアー飯は含まれておらず、金がないぼくとイアンは餓死寸前だった。ぼくはぼくでマーケットでパンとトマトとキュウリを買い、サンドイッチを作って空腹をしのいでいる有り様。そういうわけでベレンティはお勧めできない。

最後にマダガスカルの総括だが、まあ、短い時間だったのであまり語ることも出来ないが時間があったら行ってもいい国だと思う。でも僕は多分来ないと思う。個人的には旅の後半のイギリス人イアンとの時間自体に価値を見出していた。イアンの英語は分かりやすく、僕の英語も彼にはよく通じ、コミュニケーションの問題は全くなく気持ちよかった。奴もサッカーとロックが好きで、欧州チャンピオンズリーグの予想などもした。ちなみにここも意見が合っていて、僕も彼も優勝候補はバルセロナ、ついでインテル、ユベントス、アーセナルだ。ヘビメタだけはいただけないが。しかも彼も結構道楽もの。酒と甘いものが大好きで37歳なのにその不摂生がたたり糖尿で毎日インシュリンを打っている。また彼とも会いたいと思う。このあと僕はイアンに空港で送られ、ヨハネスブルク経由でハラレに帰るが、僕のホ―ムページを見て旅行中の(Pt5参照)学生藤田さんと劇的な再会をアンタナナリボ空港で果たし、一緒に帰った。帰りはなぜかエアマダガスカルの機体ではなく仏領レユニオンのエアオストラルの機体だった。その機内食のデザートのガトーショコラは最高に美味しかった。日本であらゆる旨いチョコレートケーキを食いつくした私だがあんな旨いのは日本では食えないと思った。

前回、前々回更新データ

モザンビーク編9月6日、ハラレパウパウロッジ、28,800bps

マダガスカル編9月23日、南ア・ヨハネスブルク・ヤンスマッツ国際空港、28,800bps

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