■◇■僕のおしゃべり   Vol.18     眼の焦点、酔っぱらいの感覚

 最近、眼の焦点が合わなくなってきている。遠くを見るときに焦点を合わせようとして目を細めたりする。どうしてそうなってきたのか、答えは明確だ。コンピューターだ。コンピューターの画面を見るのにちょうど良く目の焦点が固定されている。だからコンピューターを見ている分には不自由がない。

 以前、ケニアに行ったとき、現地の人たちの視力の良さに驚いた。その頃はまだ視力が 1.2程度はあった。ところがその視力で望遠鏡を使っても点にしか見えないような動物を彼らは認識する。しかもガゼルやディクディク、エランドのような鹿の仲間のような動物は、角の形や側面の模様で認識するのだが彼らはそれらも簡単に区別する。僕には望遠鏡を使って点にしか見えないのに。

 毎日の習慣がその人の視力を変化させる。遠くばかり見る人は遠くが見えるようになり、近くばかり見ている人は近くばかりが見える目になる。もし誰でもがそうだとしたら、目はその人が見たいモノが見えるようになるという順応力の高い器官だということになる。

 だったら酒をたくさん飲む人には酒に対する順応力が高くなったっていいんじゃないかと思う。ところが酒は飲み過ぎると身体を壊すことになっている。祖父は酒の飲み過ぎで胃潰瘍になり、父は肝臓、腎臓をやられた。世の中うまくいかないものだと一瞬思った。そして次の瞬間、実は「酔い」に対する順応力が高くなったのではと思った。

 酔うとたいてい楽しくなっていく。もっと酔うと意識を失う。酒を飲む人はこの酩酊感が好きだ。僕は意識を失うほど飲むことはめったにないが、酩酊感は好きだ。この酩酊感は、実は「死」の入り口かもと思う。死は恐いモノだと思いこまされているが、実は酔っぱらうような感覚に近いのかも。父は肝機能の低下に伴い、意識を失った。肝機能の低下による意識の喪失はまったく苦しくないらしい。眠るように死ぬことになる。つまり身体が酩酊感に親しみ、その感覚を引き寄せることによって死が近くなる。

 死の近い人は一度昏睡状態になっても、死ぬ間際で一度意識を取り戻し、それから死ぬとよく聞く。父も昏睡状態から一度意識を取り戻し、翌日に死んだ。そのときの父は意識が朦朧としていた。ひどく酔っぱらって眠る寸前のような状態だった。

 身体は自分が使ったように変化していく。

    

僕のおしゃべり

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