■◇■僕のおしゃべり   Vol.19     百匹目のサル

 先日、インタビューのために河合雅雄先生に会いました。河合先生は京都大学霊長類研究所の所長をなさり、現在は兵庫県三田の「ヒトと自然の博物館」館長をなさっています。僕は河合先生にインタビューとは関係なく、ひとつの質問がしたかった。それは「百匹目のサル」についての質問でした。河合先生のお宅に行く道すがら、同行していた広告代理店勤務の友人にそのことを話しました。

「百匹目のサルの話は知ってるでしょ?」

「もちろん。どっかのサルがイモを海で洗い始めたら、みんなが真似して、ある数を越えたら全然関係ない土地のサルもイモを洗いだしたって話でしょ」

「そう。その話の舞台になったのが幸島で、そこでニホンザルの研究をしていたのが今日うかがう河合先生なんだけど、河合先生の本にも、河合先生の先輩にあたる今西錦司の本にも、別の土地にイモ洗いが伝播したって話は出てこないんだ」

「どういうこと?」

「科学的な話ではないから書かなかったのか、それともそんな話はもとからないのか」

「えーっ、その話がないなら百匹目のサルの話をする人はどうなるの?」

「どうなるってさぁ、どうなるかなぁ」

「船井幸夫なんて本まで書いてるよ」

「だからさぁ、河合先生に直接そのことを聞いてみたいの」

 河合先生のお宅は日本モンキーセンターにほど近い閑静な住宅街にありました。近くまでタクシーで行き、携帯で電話すると奥様が迎えに出てきて下さいました。河合先生は粋な着流しで応接にいらっしゃいました。ゴリラについてのインタビューの途中でちょうど良いタイミングが来たので「百匹目のサル」のことをうかがってみました。

「あれはライアル・ワトソンの作り話。そんな話は聞いたことがなかった」

 僕はソファにひっくりかえってしまいました。

「あの本が出た当時、いろんなところから問い合わせが来たよ。なにしろあのイモというサルは僕が名前をつけたからね。だけどみんなにはそんな話聞いたことがないと答えた」

と言って笑いました。

「じゃあ、文化が物理的接触がないところへ伝播するということはないんですか?」

「僕はねぇ、人間の文化がなんでも伝播だとは思わないんだよ。文化は離れた地域でも同時発生する、そういうものなんだ。たとえば魚を捕るための道具があるでしょう。川上に向かって大きな口を開けておいて、川下は狭くして水しか出ていかないようにしたもの。あれなんか世界中にあるけど伝播したのではなく同じような物を同時多発的に人は考えついたんだね。地域によって少しずつ違いはあるけど、考え方はみんな同じものだ。そういうことがサルで起こることは珍しいけど、そういうことなんだろうねぇ」

 つまり、イモ洗いの文化は別の群でも見られるようになったが、それはある閾値を越えたから伝播したのではなく、文化が同時発生したことだと河合先生はおっしゃった。文化の同時発生とはどのようなことか。僕なりの考えをまとめよう。

 人は意図を持って生きている。それは何かを食べたいということでもいいし、可愛い女の子と仲良くなりたいというようなことでもいい。その意図はひとりが持っているとするとたいてい誰か別の人も同じような意図を持っている。同じ意図を持っている人が何人かいて、その人たちの意図を効率的に満たす方法があれば、皆その方法を採用しようとするだろう。ところがそのときの時代背景や技術水準、実現可能性などが同じでまだ効果的な方法が見つかっていない場合、同じ意図を持った人たちはなんとかその方法を見つけて解決しようとすることになるだろう。このとき、諸々の条件がほぼ同じなら、もっとも効果的で省力化された方法を見つける人が地域を越えて出現しても不思議ではない。これが文化の同時発生を生む。電話の発明がベルとエジソンでほぼ同時期だったというのも同じ理由だろうし、微積分を関 孝和とニュートンとライプニッツがほぼ同時期に発明したのもこれで説明がつくかもしれない。

 以下に「生命潮流」から「百匹目のサル」を説明した部分を抜粋してみよう。

  ニホンザルの行動研究が多くの野生のコロニーで三0年以上にわたって続けら
 れている。九州の東岸から少し沖へ出た幸島という所にも隔離されたコロニーが
 あるが、ここで一九五二年のこと、人間がサルに進化上の適正な刺激を与えるこ
 とに成功した。まず群の行動範囲のある場所に食糧ステーションが設置された。
 ふつう若いサルたちは母親から食餌の習性を学び、母親は何をどう食べるのかを
 手本として示しながら教える。ここのサルたちの食行動は一00種を越える植物
 の芽や蕾、果実、葉、若葉、樹皮をもとにした複雑な風習に発展していた。その
 ため新たな人工食物を与えたとき、サルたちは広範囲の嗜好を示した。ところが
 砂や砂岩にまみれた生のサツマイモを与えたところ、それにうまく対処するヒン
 トは広いはずのその嗜好レパートリーのどこにも見当たらなかった。
  
  そのとき、一種のサルの天才とも言えるイモという名の一八ヶ月のメスが問題
 を解決した。サツマイモを水流まで運んでいって食前に洗うことを思いついたの
 である。サルの世界で言えば車輪の発明にも匹敵する文化革命だった。そこには
 抽象化、概念の同定、そして環境内の数種の基準の意図的操作が関与していた。
 しかもその社会の風潮に逆行して、若いイモが母親にまんまとこのトリックを教
 えてしまったのである。遊び仲間たちにも教え、そのサルたちがこれを受けて母
 親たちに伝えた。この新文化は少しずつ、一歩一歩、コロニー全体に拡がってい
 ったのだが、日照時間を徹して常時見張っていた観察者たちは新たな改宗者が順
 次増えていく様子を手にとるように見ることができた。一九五八年までには若い
 サルたちが全員、汚れた食物を洗う習慣を身につけたが、五歳以上の成熟した猿
 でそうしていたのは子供たちから直接に真似しておぼえたものに限られていた。
    
  異常が起こったのはそのときである。いかんせんこの時点までの研究の詳細は
 明白なのだが、残りの話は個人的な逸話や霊長類研究者の間に伝わる伝承の断片
 から推すしかない。というのも、研究者たちでさえおおむね本当に何が起こった
 のかは定かではないのだ。真偽のほどを決しかねた人びとも物笑いになるのを恐
 れて事実の発表を控えている。したがって私としてはやむなく、詳細を即興で創
 作することにしたわけだが、わかる範囲で言えば次のようなことが起こったらし
 い。
   
  その年の秋までには幸島のサルのうち数は不明だが何匹か、あるいは何十匹か
 が海でサツマイモを洗うようになっていた。なぜ海で洗うようになったのかと言
 うと、イモがさらに発見を重ねて、塩水で洗うと食物がきれいになるばかりかお
 もしろい新しい味がすることを知ったからである。話を進める都合上便宜的に、
 サツマイモを洗うようになっていたサルの数は九九匹だったとし、時は火曜日の
 午前一一時であったとしよう。いつものように仲間にもう一匹の改宗者が加わっ
 た。だが一00匹目のサルの新たな参入により、数が明らかに何らかの閾値を超
 え、一種の臨界質量を通過したらしい。というのも、その日の夕方になるとコロ
 ニーのほぼ全員が同じことをするようになっていたのだ。そればかりかこの習性
 は自然障壁さえも飛び越して、実験室にあった密閉容器の中のグリセリン結晶の
 ように、他の島じまのコロニーや本州の高崎山にいた群の間にも自然発生するよ
 うになった。
              「生命潮流」ライアル・ワトソン著 工作舎刊
    
 同時発生かそれとも「百匹目のサル現象」と呼ばれる不思議な力が働いたのか、考えると混乱してくる。同時発生だと言い切れば確かに同時発生だ。ある閾値を越えた証拠などない。何が閾値であるか、ライアル・ワトソンは巧妙にぼかしている。しかし、だからと言ってライアル・ワトソンの話が否定できるだけの証拠もない。河合先生はライアル・ワトソンの言い回しについて注目していた。

「彼が百匹目のサルというテレパシー的な現象があるというから注目を集めたんですよ。そこが彼のカリスマ的なところでしょう。その話が面白いから他の人も使いたがる。百人の人が信じたら世界は変わるって言ったら宗教家はみんなその話したがるでしょうなぁ。世界同時革命とイモ洗いはおんなじ。ある閾値を越えたらみんなパーッて変わるって言ったらカッコいいですしなぁ」(笑)

 家に帰ってから河合先生の書いた「ニホンザルの生態」を読みなおしてみた。するとやはり河合先生の言っているとおり、同時発生的なものかもしれないと思うようになってきた。なぜなら、ニホンザルは野生の状態でサツマイモを食べないのだ。そのことについて書かれた部分を引用してみよう。

  野生の群れの餌づけは、彼らの食物カルチャーの内容を探るための、一つの実
 験といってもよい。サツマイモやピーナツは、食べる習慣ができると最大の好物
 になるものだが、山のサルにとっては最初は見たことのないものだ。彼らの食物
 リストにのっていないものには、警戒をはらうか無関心である。新しい食物のと
 りいれ方は群れによってたいへんな差異がある。
   河合雅雄著 河合雅雄著作集第二巻「ニホンザルの生態」 小学館刊より
   
 つまりニホンザルたちは餌づけによってはじめてサツマイモを食べるようになった。まったく新しい食べ物を与えられてそれを食べるための工夫が始まるときだったのだ。恐らく他の地域でもサツマイモを餌として与えていたところはそんなに多くはなかっただろう。ところが幸島でサツマイモを餌として与え好物になることがわかると、他の地域でも餌づけのためにサツマイモを与えるようになる。なにしろ幸島のニホンザルの研究は世界的に注目されていたのだ。イモを洗うという行動の準備を、餌づけする人がイモを与えることによって整えていたのだ。同じ環境、同じ技術、同じ機会がそろえば、同じ解決法が生まれても不思議ではない。餌づけをする人が砂浜にサツマイモを落とせば砂を払うために海水を使ったとしてもそれほど不思議ではない。なぜそのときまでそのような方法が生まれなかったかというと、砂浜でサツマイモを食べる機会がなかっただけなのかもしれない。もしそうだとすると、ライアル・ワトソンの百匹目のサル現象は、確かにあやしく思えてくる。

 でもね、百匹目のサル現象のようなことがあったらいいなぁというあこがれは、僕の胸から消えないでいる。河合先生のいうとおり、ライアル・ワトソンのかっこいい言い回しに毒されているのかなぁ。

    

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