■◇■僕のおしゃべり   Vol.20     ゴリラと人間
    
 1994年春、僕はケニアにいた。ちょうどそのとき、ルワンダでフツ族とツチ族の内戦が始まった。ひどい虐殺がおこなわれた。いまでもそのときの傷跡に出会うことがある。京都大学理学部の山極寿一助教授にインタビューした。山極さんは日本のゴリラ研究の第一人者だ。その山極さんが旧ザイール共和国、現在のコンゴ民主共和国でポレポレ基金というNGOのお手伝いをしている。なぜアフリカのNGOのお手伝いをしているのかというと、そこにはゴリラと内戦が関係してくるのだ。

 ポレポレ基金は1992年にザイール共和国で設立された。当時ザイール東部にあったカフジ・ビエガ国立公園の周辺で、自然環境の保全、絶滅の危機に瀕する東ローランドゴリラの保護、地域振興、自然保護教育を実践するために作られたNGOだ。日本では山極さんのいる京都大学理学部人類進化論研究室に支部を置き、ゴリラのグッズなどを販売し、活動資金を捻出している。

 なぜポレポレ基金が必要になったのかは、ザイールの歴史を知る必要がある。1965年に樹立されたモブツ政権は1960年までベルギー領であったザイールを早急に国家として機能するよう改革をする必要があった。そのために外国人が運営する企業は国営にし、外国人が所有する土地を国有化していく。さらに1973年にはすべて土地が国家に帰属するものとし、国家は土地の利用状態を評価し、利用状態が悪いと没収できる権限を持った。その結果、伝統的な慣習によって首長から小作農たちが借り受けていた土地を国家が奪うことが可能になった。地方の政治家たちはこの法を濫用して土地を収用し、使用権を外国の企業に売買したり、地下資源を採掘したりして利益を得るようになる。のちに土地の使用権はザイール国籍を持つ個人にのみ認められることが定められ、過去に隣国から移住してきた人たちは永住権が認められず、反政府勢力を作らせるきっかけとなる。

 一方、カフジ・ビエガ国立公園は、ゴリラの保護を主たる目的として1970年に設立され、600平方キロメートルの山地林が保護区となった。モブツ政権はこの地を観光地として利用することを決め、72年に世界遺産条約が締結されると翌年にはこれを批准し、この公園を世界遺産に登録した。75年には公園地域を西部へと拡大し6000平方キロメートルの保護区とした。ところがこの公園が世界遺産となることによって以前からその土地で狩猟採集生活を送っていたトゥワ人たちは森からの退去を命じられてしまう。その際、政府や公園側はトゥワ人たちに十分な生活保障や土地を与えなかったため、後々様々なトラブルの原因となる。政府は作物の種子や農具を提供してトゥワ人たちを農民として教育しようとしたが、なかなか馴染まない。トゥワ人たちは公園内に入っては薬草や薪を採取したり、罠による密猟を続けた。

 カフジ・ビエガ国立公園は1980年代になってユネスコ、世界銀行、EU、ドイツなどから資金や技術提携を受けてめざましく改善された。ゴリラのウォッチングツアーが軌道に乗り、毎年数千人の外国人観光客が訪れ、20万ドルを越える外貨収入を得るようになった。地元の人々のあいだでも公園から恩恵を受けているという意識が芽生え、ゴリラも大切にされ増加傾向にあった。

 ところが1991年、首都キンシャサで給料の遅配をめぐって兵隊が暴動を起こすと、混乱が各地へと波及し、外国人は一斉にザイールから退去した。各国政府は経済援助を凍結し、経済は急速に悪化した。すると闇取引、密貿易、賄賂が横行し始める。

 このような状況になるとゴリラをはじめ稀少動物は密貿易の商品とされかねない。そこで1992年、ゴリラと人の共存をめざすNGO、ポレポレ基金が設立された。ポレポレ基金の目的はゴリラをはじめとする野生動物の保護を推進し、観光を地元の手で担い、地場産業を興すことだった。

 停滞していた経済は思いがけないことで活気を取り戻す。1994年、隣国ルワンダで民族紛争が起き、約45万人の難民が流入し一気に経済が拡大。しかし、難民は公園内の不法な樹木伐採をおこなったり、多くの民兵や旧政府軍が武器を持ち込み、ゾウの密猟を始めたりした。

 さらに1996年になるとキブ地方で内戦が始まる。前述した反政府勢力が反モブツ勢力と連合してモブツ政権を倒し、1997年には新政権を樹立して最初の内戦を集結させた。このことが難民支援事業に雇われていた人々の職を奪うことになる。それは以前にもまして深刻な経済状況をもたらした。公共事業や教育は停止し、食料や薬品も不足、隣人に対する不信や不安が増して、以前のように気軽に借金や物の貸し借りができなくなる。このような状況が人々の関心を自然と公園内の自然資源へと向けさせることになった。このときの公園の監視体制は壊滅的だった。反政府勢力が公園の監視員の武器を奪い、公園内を武装ゲリラがうろついていた。その結果、公園内のゾウが密猟され、象牙を奪われた。1998年に二度目の内戦が起きると矛先がゴリラに向き始めた。殺されたゴリラは皮を剥がれ薫製肉にされ、公園周辺の市場で売られた。その結果、個体識別されていた94頭のゴリラは30頭になった。パトロールされている地域でこの状態だから、他の地域はさらに壊滅的と予想される。事態の深刻さを憂慮した公園当局は窮余の策として密猟者に呼びかけをおこない、密猟を中止するならこれまでの行為を咎めずに公園が雇い上げることを提案した。集まった67人の密猟者のうち45人がこの提案に応じて公園の職員になった。以後ゴリラの密猟は激減した。

 山極氏は今後の対策として以下のようなことが必要だと訴えている。

1.敵対する勢力の平和交渉の促進。(国連など)
2.公園設備の修復、改善と公園周辺のインフラ整備。(ユネスコ、ODA)
3.元公園居住者の補償と雇用、土地問題の解決。(コンゴ民主共和国政府、州政府、公園)
4.野生動物の肉の売買を禁ずる法の強化と取り締まり。(州政府、公園)
5.兵士への自然保護教育。(公園、軍隊)
6.公園運営への住民雇用の促進と保護の普及。(公園、NGO、研究者)
7.エコ・ミュージアム、エコ・ツーリズムの推進、利益の分配システムの確立。(公園、NGO、研究者)
8.公園のモニタリング法の確立と住民参加の促進。(公園、NGO、研究者)

 山極氏は諸外国の研究者たちと協力してカフジ・ビエガ国立公園の支援体制を整え、2000年6月から地元の研究者を主体とするチームを作り、野生動物の生存状況を調査し始めている。しかし、実体がわかっても内戦が終結し人々の確執が解消しない限り事態は好転しない。そのためには様々なレベルでの働きかけが大切になる。そのひとつとしてポレポレ基金が有効な活動をおこなえるように多くの人々の理解を求めている。

        (参考文献 ゴリラの大量虐殺とその背景 山極 寿一著)

ポレポレ基金のホームページURL

http://jinrui.zool.kyoto-u.ac.jp/Popof/index.htm

    

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