AI着色は昭和時代の夢を見るか(その33)
PhotoshopのAIカラー化のニューロフィルターのプラグインの鉄道写真への利用を実験するこのシリーズ。今回もまた前回からの続きで、最初の北海道撮影旅行で1972年7月17日に行った苗穂機関区でのカットのカラー化の第七回となります。苗穂機関区では機関車が頻繁に出入していたので、撮影していたのは2時間もいなかったとは思いますが、かなりのカット数を撮影しるのでまだまだ続きます。長時間いて形式写真にも飽きてきたので、今回は機関区の雰囲気を捉えたカットが多くなっていますが、AI君はこれらをどのように料理してくれるのでしょうか。最近はその出来栄えを見るのが楽しみです。

前回も出てきた給炭台の線に、今度は鷲別機関区のD51629号機が佇んでいます。鷲別機関区にしてはLP403前照灯もくすんでませんし、LP405副灯のリングは小樽築港のカマのように磨かれています。鷲別でもこういうカマはいたんですね。とはいえ、煙室扉はサビや汚れが目立ち、鷲別らしさは出ています。前回のカットは給炭ホッパのところで給炭中の姿でしたが、今回はそこから出てきたところをとらえています。前回も話題にしましたが、給砂塔に隠れていた部分も含めて石炭節約のスローガンがはっきりと読めます。やはり車輌限界を超える程に石炭を積むから、結果的に零れ落ちてしまうのだと思うんですけど。

続いて毎回主役のように登場するD5170号機を、再度形式写真風に狙いました。その後ろにはC58415号機が繋がったままです。実際の70号機は当時は小樽築港のカマなので、北海道の蒸気機関車としてはかなりキレイな状態だったのですが、何やらウェザリングの効いた仕上げにしてきました。でもまあ、そんなに違和感はないまとめ方になっているとも言えます。フォトショップはサブスクなので時々勝手にバージョンアップしててくれますが、最近のAIブームもあるのか、AIカラー化もけっこうレベルアップしてきていますね。しかしやっぱり実物のパイピングや手摺りは細いなあ。模型だと無理だよな。

前回の並びのカットでちょっと奥まったところにいた苗穂機関区のC58421号機が、下り方向に前進してきました。岩見沢第一機関区のD51737号機との間を駆け抜けるところを押さえます。ラジアスロッドは中立の位置ですから、構内なので走り出しだけ力行してすでに惰行に入ってますね。機関区の構内撮影だとなかなか走行シーンは撮れないので、こういうチャンスは貴重です。本州や九州では動力逆転器は嫌われて、細かい調整の効く手動式に改造されたカマがほとんどですが、なぜか北海道は残置されている事例がおおいです。逆に動力逆転器付きのC58なんて、ちょっと違和感があるくらいですね。

D51742号機ともう一輌のD51が重連の状態でターンテーブルに乗ってゆきます。先頭のD51をクラに押し込むところなのでしょうが、結果的に2輌の機関車がターンテーブルに乗るという非常に珍しいシーンになっています。入庫線・出庫線のようにターンテーブル越しにスルーになっている線ならばそのまま通過してしまうことは可能ですし、点検などのため無火の機関車をクラに押し込む場合などはみられましたが、前のD51も有火ですし、こういうのはあまり見たことがありません。こういう運用法もあったという意味では貴重な記録と言えます。クラの中のDD14はほのかに赤みをいれていますが、表のDD14は並んだD51のテンダの一部と認識したのか黒塗りになってます。

新しく登場した鷲別機関区のD51556号機を先頭に、構内をD51が三重連で回送します。苗穂機関区はあまりにいろいろな機関区所属のカマが入庫することもあり、この角度だと標準型のD51は番号の比定が難しいです。どのカマも石炭満載で出庫準備ができていることから、今までに登場したD51の中のどれかだということは確かですが、特定はできません。556号機は鷲別らしい汚れ方ですが、主灯LP403のレンズだけは磨いてありますね。副灯は鷲別らしい「塗りつぶし」ですが。ナンバープレートはAI君お得意の赤ナンバーっぽくなっています。もうこれはここまで確信犯的にやられると、「好きなんだろう」としかいいようがないですね。

件の三重連が、そのまま発着線へと後退してゆきます。真ん中のカマのみ盛んに石炭を焚いて蒸気を作っています。もしかすると、こいつだけが力行しているのかもしれません。確かに真ん中の機関車のキャブからは、ヘルメットをかぶった構内機関士が窓から首を出している姿が確認できます。よく見るとさっきのカットでは機関車の脇にいた誘導係が、このカットではテンダのステップに飛び乗り、手旗信号で誘導しています。556号機はこっちでは赤ナンバーではなく通常の黒ナンバーです。AI君もけっこう気まぐれなところがあるようです。

発着線にずらりと轡を並べたD51達。新春オールスター時代劇というか、蒸機全盛時代の幹線機関区ならではの壮観な光景です。実際この当時の函館本線は、旅客こそ電車が走っていたものの、貨物側線が非電化だったこともあり、一部の例外を除くと貨物はD51の牽引で運行していました。旅客でも一部蒸機牽引のものが残っていましたし。そういう意味では、充分に「最後の幹線蒸機時代」といえるのではないでしょうか。あまり撮影したカットは趣味誌とかには登場しないのですが、ぼくが撮ったものはこのコーナーの中でも<架線の下の煙(札幌近郊の蒸気機関車・(その1) -1973年8月->、<架線の下の煙(札幌近郊の蒸気機関車・(その2) -1973年8月->として掲載しています。
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