AI着色は昭和時代の夢を見るか(その6)


PhotoshopのAIカラー化のニューロフィルターのプラグインの鉄道写真への利用を実験するこのシリーズ。すっかりハマってしまってこれで6回目。まあやろうと思えばいくらでもネタは出てくるので、当分は続きそう。通常のカットなら大体アウトプットの予測がつくようになったので、ちょっと意地悪な題材を選ぼうということで、今回は現役蒸機終焉期の記念列車の特集。装飾も特殊だし、人も多いので、果たしてどう色付けしてくることやら。結果の良し悪しにかかわらす、今回も吐き出したデータはそのままで、ポストプロのレタッチはしていません。



1970年10月は首都圏から蒸気機関車が消えたエポックで、現役蒸機末期のSLブームでも、これ以前に撮り始められた人と、それ以降に撮り始めた人とでは、かなり「獲物」が違っています。そういう意味では広くSLブームが起きる発端となったのが、10月を期して設定された無煙化記念列車でしょう。その幕を切って落としたのは9月27日に運転された高崎鉄道管理局の無煙化記念列車「さよならSL号」です。このカットのオリジナルは、<八高線-さよならSL号 -八高線無煙化記念列車 1970年9月27日->の中で発表しています。強い陽射しの割には彩度を下げているので、露出オーバーのような感じになってしまいました。ヘッドマークは縁が赤いのですが、これは無理でしたね。70年9月27日撮影。


さて「さよならSL号」の一週間後に、同じ八高線で今度は東京西鉄道管理局のさよなら列車「八高号」が走りました。このカットの続きのカットは、<拝島の八高号 -喧騒の中の八高線無煙化記念列車 1970年10月4日-->の中で発表しています。先週の快晴から一転して雨。にもかかわらずこの日も多くのファンが線路上にあふれていました。連結器のウェザリングはいいのですが、ランボードはウェザリング掛けすぎですね。安全側線のバラストにも草を生やしちゃっています。全体としてはこのカットはちょっと苦しいかな。米タンが並んでいますが、心なしか燃料種別表示に黄色い線がみえるような。これは脳内VRでしょうか。70年10月4日撮影。


さて「さよならSL号」の二週間後、「八高号」の一週間後から二週続けて、今度は東京南鉄道管理局の高島貨物線無煙化記念SLさよなら列車「さよなら蒸気機関車号」が東京駅-横浜港駅-品川駅間で3日間走りました。この時のカットは、<さよなら首都圏の蒸気機関車 -高島貨物線無煙化記念列車 1970年10月11日・18日->の中で発表しています。11日はまたもや涙雨。品鶴線内では白眉と言える多摩川橋梁での撮影です。今は横須賀線・湘南新宿ラインをはじめ相鉄の車輛まで同じトラスを走り抜けていますが、通るたびに半世紀以上前のこの時のことを思い出します。雨で濡れているせいか、バラストに苔が生えてしまいました。70年10月11日撮影。


当然のように上り列車も多摩川の東京側で狙います。この時は一日雨でしたが、一週間後の18日は帰りの上り列車は何とか晴れて、それがベストショットです。そのカットは前掲のページに掲載してあります。しかし、この2カットの着目すべき点は、ヘッドマークに紅を射してきている点でしょう。本当はもっと鮮やかな赤でしたが、この手のヘッドマークは赤が使われるということを学習しているだけでも大したものです。もしかして、室蘭本線のC57135のラストランを学んだんでしょうか。こちらは下り列車と比べてちょっと天気が回復している分、川岸や対岸の緑がいい感じに表現されています。70年10月11日撮影。


1972年は鉄道100年ブームと折からのSLブームがシンクロして、国民的な鉄道ブームが起こった年。その白眉ともいえるのが、10月14日、15日に汐留-東横浜間で運転された記念列車でしょう。この時に撮影したモノクロの他のカットは、<鉄道100年記念列車が走った日 -1972年10月15日->の中で発表しています。カラーポジで撮ったカットもありますが、こちらはここでは発表していません。全体にハイキーで飛ばしてきていますが、まあ雰囲気は出ているんじゃないでしょうか。C577号機はウェザリングされちゃっていますが、実車はイベント用にキレイに化粧されていました。この辺は気を利かせすぎといえましょうか。72年10月15日撮影。


最後はちょっと趣向を変えて、シルエットの写真。けっこういろんなところで発表しているのでおなじみだが、C5527号機の流線型時代のままの独特な安全弁を強調したカット。元から狙ってかなりローキーにしてあるのでほとんど色味がなく、一体どういう風にカラー化してくるか興味深々だったが、AI君もなかなか。雲とシルエットにはほとんど手を付けずモノクロのままだが、雲の合間に見える空に青を射してきた。確かにこれならシルエット中心のカットだが、カラーとして色も出ている。この結果を見る限り、きわどいカット(そういう意味ではない)もかなり学習しているものと思われる。71年12月18日隼人駅にて撮影。



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