「あそこ」での一日(その5) -1972年7月14日-


「あそこ」の立体交差こと植苗-沼ノ端間のオーバークロスのところに撮影に行った、1972年7月14日の全記録を追うこのシリーズも、今回で第五回。ここでやっと午後一ぐらいになった感じでしょうか。流石にこの辺になると、早くもネタが尽きて飽き気味になってきているのか、カラーポジでは撮っていてもモノクロでは撮っていない列車とか、モノクロで撮っていてもメインかサブかどちらかでしか撮っていない列車とか、比べてみるとボコボコ出てきます。全体のカット数も、後追いとかだんだん減ってきていますし。ではまだまだ続く一番長い日、今回もお楽しみください。



さて今回は、前回の続きから始まります。前回の最後のカットに登場した室蘭本線の下り車扱貨物列車の、寄りのアップでのカットです。牽引するのは追分機関区のD51842号機。熊本から北海道入りしたのが昭和40年10月と比較的新しいので、踏段改造や旋回窓、各所の耐寒装備などは改造されているものの、空気配管とかは苗穂工場仕様に引き直されてはいません。第四動輪から連動するスピードメーターは北海道仕様とも言えますが、空転検出のため九州でも積極的に改造したので、これはどちらとも言い難いですね。多分、九州時代に改造されたんじゃないかと思います。1輌目のワム80000はこの時代にしては妙にキレイですが、全検明けなのでしょうか。


続いてやってきたのは、ギースルエジェクタを装着した追分機関区のD51605号機が牽引する上りの石炭列車。この区間では主役ともいえる列車です。セキだけで組成された超大編成はこの区間ならではのもので、一度は見てみたい、撮ってみたいと思うもの。とはいえ、72年当時でも文字通り「飽きるほど」やってきましたから、一日撮影していると「もうおなか一杯」って感じになりました。今から思うと贅沢な話ですが、実用一点張りの働く列車ですから、どうしても地味になってしまうのは仕方ないところです。その点車扱貨物は同じ編成が二度とない感じで、けっこうバリエーションが楽しめました。


岩見沢第一機関区のC57104号機が牽引する、室蘭本線の上り旅客列車。当時の一眼レフ用のレトロフォーカスの広角レンズは周辺部が妙に間延びする特有の収差による歪みがあり、車輛が長く見えてしまうので、ぼくは鉄道写真にはあまり使っていません。とはいうものの流石に同じような写真にも飽きたので、35oレンズで撮影したカットです。ということでぼくはほとんど撮らない構図ですが、未来派やバウハウスのような躍動感はありますね。当時岩見沢第一には44号機、104号機、144号機と、末尾が4のC57が20輌中3輌集まっていて面白かったです。この日は3機が全部登場しました。


先ほどのC57104号機の牽引する列車と沼ノ端駅付近ですれ違ってやってきたのは、これまら岩見沢第一機関区のC5744号機の牽引する室蘭本線の下り旅客列車。遠くにはまだ、ちらりと上り列車のシルエットが見えています。このすれ違いのシーンは<一瞬の邂逅 -カメラが捉えた離合の瞬間-><無意味に望遠 その2 -1972年7月14日->とで、望遠レンズで撮影したカットを公開しています。この時はまだC57形式が踏段改造の対象となっていなかったので、正面から見るとちょっと関東や東北のカマのようにも見えますね。客車4輌ながら、この区間はかなりの高速で飛ばすので力行しています。


岩見沢第一機関区のD51118号機の牽引する室蘭本線の上り貨物列車。タンク車の専用列車ですので、道央方面から室蘭への返空でしょう。この列車をカラーポジで撮影したカットは<線路端で見かけた変なモノ その5 -1/1のジオラマ「あそこの立体交差」 1972年7月->で公開しています。118号機は現役蒸気機関車再末期まで活躍し、今は所沢の小手指公園に保存されているので、関東のファンにもなじみ深いカマです。この時は同業者が数名撮影していましたが、ウマく茂みの中に紛れて写真には写っていません。ここで人が写っていないというのは、74・5年になると考えられない状況になるのですが、この頃はまだそんな程度でした。


小樽築港機関区のD5170号機が牽引する、千歳線の上り貨物列車。70号機はその後追分に転じ、蒸機再末期まで活躍して、今は茨城県つくば市さくら交通公園に保存されています。立体交差のシーンはカラーポジで撮影し、そこから下る築堤を行くところを見返り気味に35oで撮影したのでしょう。モノクロにはこのワンカットしかありません。流石にこの時期でも小樽築港のカマは手入れが良く、写真で見ても色合いが違います。小樽築港のD51一次型は、原則山線には使われず(例外はニセコの前補機の代打)函館本線の架線の下と千歳線方面優先で使われました。ワム80000・ワラ1・ワム90000と、この時代の代表的な有蓋車が連なっています。


今回の最後は、追分機関区のD51285号機の牽引する返空セキの貨物列車です。この列車をアップで撮影したカットは<無意味に望遠 その1 -1972年7月14日->で公開しています。あそこのガーター橋に二か所ある待避所からの撮影です。もう時効だから言いますが、いろいろ話を聞いているとこの時期ぐらいまでにここにきた人は、けっこうこの待避所から撮影しているようです。ここは下り列車に対しては微妙な上り勾配になっている上に、空のセキは空気抵抗が大きく、かなり気合を入れて力行しています。ギースルエジェクター特有の煙の昇り方がよくわかります。




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