Tokyo In and Out '92

(その3)



その3.強みもないのに勝てるワケがない

10.自分ならではの土俵を作り横綱相撲をとろう
消費者は、思ったよりも保守的な行動を取りがちである。同じ手をくりかえしていると、マンネリになってあきられてしまうが、だからといってあまりに斬新なものでも、ついてこられなくなる。この「ちょっと目新しい」ぐらいの感じが大事なのだ。だから、ユーザが気持ちよく思う基本パターンをうまく見つけるコトができれば、そこにどう「目新しさ」のスパイスを効かせるかだけで、何度も、同じワザが使えるようになる。いつでも最後はそこにもってゆくだけで、勝負の「王道」を作れるのだ。
この「必勝ワザ」を見つけられれば、ガッチリと自分の市場を築き、守ることができる。市場で本当に強いといわれている、ヒットを続けているモノは、みんなこの「自分の土俵」をもっているし、これをきちんと守っている。だから強いのだ。だいいち、毎回一から十まで新しくやっていたのでは、どんな天才的なクリエータでも息切れしてしまうではないか。
だが、ここには大きな問題がある。本当のユーザの気持ちを見極め、どこが気持ちいいのか見定めるのはとても難しい。そして、今、いちばん気持ちよく感じる目新しさはなにかを発見するのも、これまたたいへんな労力がいる。
これができるかできないかは、過去の自らのヒットの中から、気持ちよさのカギをみつけられるかどうかにかかっている。やはりここでもユーザの気持ちになってみることが重要なのだ。

○いつでも高級車の代名詞、日本でもクルマの王道をひとり走るドイツ車
ことクルマについては世界から叩かれる日本市場。その日本でも独自の市場を築き、唯一といっていいほど安定した売り上げを示している外国車がドイツ車だ。もちろん日本でさえそうなのだから、この傾向は世界中でみられる。この強みはどこからくるのだろう。
それは、ドイツ車が「高級車」のレファレンスとして確立しているからに他ならない。つまり、誰もが「ドイツ車=高級車」という方程式をアタマに描いているからだ。世界のどのクルマメーカーも、高級車を作るときには「ドイツ車においつき追い越せ」という発想からクルマを作る。みんなが自分を基準にしてくれるというコトは、まわりが寄ってたかって自分のステイタスを作ってくれることにほかならない。
これは、それまで高級車といえば手作りしかなかった昔、「量産高級車」という概念をはじめて作ったのがドイツ車だったことに由来する。ギルド以来のドイツ職人のコダわりが、量産車作りにも結実したのだ。そして、マイペースを守って自分たちらしい製品をだし続けていけば、まわりがマネすることで、ますますその価値は増してくる。これこそ王道を極めた戦略といえるだろう。

○「本気でやればアメリカ製品も売れる」コトを実証したMacintosh
Macintoshは、アメリカで標準的なパソコンとなっているPC/AT互換機とはまったく異なるアーキテクチャを持っている。だから、いかに独創的なシステムだったとしても、アメリカ市場で定着するためには、Macintoshならではの個性が必要だった。そのカギとなったのが、高性能なレーザプリンタとMacintoshを組み合せ、ユーザが自らグラフィックデザインをし、軽印刷を可能にするDTP(Desk Top Publishing)だ。
このDTPの魅力という「製品の個性」は、充分世界に通じる強みだ。しかし、印刷やデザインの基本になっている「文字文化」は、国ごとに違う。たとえば、英語に近いアルファベット文化を持ったヨーロッパならイザしらず、まったく違う言語・文字体系を持つ日本市場では、アメリカ向けの製品をそのまま持ってきてもまったく意味がない。だから、その強みを世界に通用させるには並々ならぬ努力が必要なのだ。
このようにMacintoshを日本市場に導入するためには、高度な日本語処理機能と、高度な日本語印刷機能が必要だ。英語と日本語の違いから、これは新機種開発と同様の手間と時間がいる。単に日本語のデータを処理する機能をつけるには、2年程度の期間ですんだ。しかし、これらの高度な機能を日本語化するには6年の年月がかかった。Macの魅力を日本化するまでには、長い道のりがあった。
しかし、日本語で本格的なDTPが可能になった1990年から、廉価版の機種の投入も功を奏してMacintoshは爆発的に売れだした。それまで一部のマニアしか使っていなかったMacintoshが、ここまできてはじめて日本の市場でテイクオフしたのだ。

○田舎趣味まるだしのマーチャンタイジングで成功したそごう
なんといわれようと、やっぱり、ひとびとはみんな本当は光りモノがスキなのだ。都会じゃちょっと気恥ずかしくても、金ピカでデコラティブな意匠は、ローカル地域では永遠の定番。ローカルを攻めるのに、建前は通じない。そごうの大都市周辺地区への大量出店の成功は、この「デコラティブへのコダわり」にある。
内装デザインからマーチャンタイジングまで、光りモノといえばそごう。このイメージが確立しているだけに強い。有楽町店が弱いコトからもわかるように、この意匠は都心じゃちょっとフィットしないが、休日にはジャージを着て歩けるような、郊外の地方都市とベッドタウンの境目アタりまでいけば、もうコダわりはない。まさに、絶好の立地である。
さて、光りモノ好きは、なにも日本人だけじゃない。アジアのヒトはみんなスキなのだ。だからアジア展開なら、海外店も、まったく同じ個性、同じCIでいける。これがそごうの東南アジアでの成功を生む。光りモノのイメージは、世界に広がるのだ。

○王道を作り自らすすむユーミン
「万全の勝ちパターンを持っている」といえば、水戸黄門とユーミンが双璧だろう。ユーミンの季節は初冬からはじまる。クリスマスセールが気になる時期になると、必ずでてくるニューアルバム。中身も、必ず新しい要素をいれているものの、基本パターンはいつもの通り。どの曲をとっても、安心して聞ける。それでいて気になってしまい、買わずにはいられない。ユーザが求めている永遠のテーマを見極めてしまった強みだ。
そしてはじまるコンサートツアー。毎年、びっくりするような仕掛けをいれて楽しませてくれるものの、押さえるところはちゃんといつも通り押えてくれる。だからハズれがないし、また今年も見にいきたくなるのだ。
毎年マンネリといわれながらも、やっぱり強い。いや、マンネリだからこそ強いのである。人々は偉大なるマンネリズムがスキなのだ。そして、ちょっとだけ新しさに冒険してみたい。このアタりの心をつかんだくすぐりかたは、心憎いばかりだ。いまや国民的な支持を集めるユーミンの強さは、ユーザの心理構造をガッチリつかんだ強さなのだ。

11.ヒトと違う攻めかたをしよう
日本人は「マネ」が得意だといわれているが、ともすると、すでにある大ヒットのパターンはマネしたくなるものだ。しかし、それではヒットは狙えない。二番煎じでは、いつまでたっても一番にはなれない。マネばかりでは、自社のアイデンティティーさえあやうい。
一番手の企業も、二番手の企業も、ほとんど同じ商品をだしていた場合、ユーザは一番手の製品を選ぶ。そもそも、一番手のほうが販売力、営業力ともに強いから先行していることを忘れてはいけない。二番手の製品が選ばれる場合、そのカギは「安さ」しかないといっていい。しかし、安売り戦略では、売り上げはあがっても利益があがらない悪循環に陥ってしまう。
これでは、どんなにがんばっても一番手を抜くことはできないのだ。しかし、二番手には強みがある。一番手は、現在アタっている商品にひっぱられて冒険がしにくくなっている。ここをついて、まったく違う切り口から攻めるコトができるのだ。このようにヒトと違う攻めかたをしたほうが好結果を生むことが多いのだ。
さらに、「他社がやったから自分も」の横ならび意識では、消費者から見た場合、飛んだお笑い草になるコトも多い。一時ハヤったおもしろリクルートCM。あれも、最初に面白CMをやった会社は、センスと勇気があるコトを示したが、二番煎じじゃアホをさらけ出すだけ。マネしてやったところは、かえって自分のセンスのなさと姑息さを世間にしらしめただけだった。消費者の目は、このように厳しいのだ。

○カップヌードルのひとりがちを許す即席麺業界
カラオケと並び、日本が生んだ世界の文化である「インスタントラーメン」。その主戦場は、今やカップ麺だ。しかしこの市場、カップヌードルの日清食品が圧倒的に強い。この理由の一つは、競合メーカーのふがいなさにある。
他社の製品戦略は、常に日清食品の製品を追いかけることにある。それだけでなく、先頃日清食品の持っていた製法特許の期限が切れるや否や、各社とも、その製法まで日清カップヌードルと同じにしてしまった。これでは、勝負はみえている。さらに、この余裕からか、いろいろな新しい試みを取り入れた製品も、日清食品が率先して導入、他社がその様子をみて取り入れるカタチが多い。
追いかける二番手以降のメーカーが、みんなトップメーカーのマネばかりしていたら、トップの座は安泰そのもの。そんな構図がラーメンの中にみえるのだ。

○死に体のオーディオメーカーの「首の皮」、アカイのサンプラー
かつて輸出が「善」であった時代、日本の花形産業の一つにオーディオがあった。国内市場に弱くとも、製品の過半数を輸出していれば、楽々経営はなりたった。しかし、貿易摩擦、ジャパンバッシングの時代になり、これらの輸出企業は冬の時代を迎えた。
こういうときの起死回生の一手こそ、ヒトと違う攻めかたが必要だ。ほとんどのメーカーは、なんとか国内市場を開拓しようとしたが、すでに激戦の国内市場には、商品企画力も、販売力もない輸出メーカーが生き残れる余地はなかった。
こんな中で、やはり輸出メーカーとして名高かった「アカイ」は、オーディオやビデオでなく、あえて楽器で勝負した。当時ちょうど着目されていた楽器に、生音をディジタル録音して、これに音程をつけ演奏できる「サンプラー」があった。これなら蓄積したオーディオ技術が生かせる。そして、量産技術により、革命的な低価格でサンプラーを発売、たちまちこの分野でのトップ企業になった。このディジタル楽器のおかげで、かつての競合社が消えてゆく中、アカイはなんとか首の皮だけは残せたのだ。

○NEC PC-9801シリーズの強さと勇み足で負けた東芝Dynabookシリーズ
不戦勝も一勝は一勝。だから、不戦勝ばかり15日続いても、全勝優勝になるのである。運も実力のうちというから、これも実力の優勝かもしれないが、実力がなかったとしても、チャンスがあれば理論上は優勝できるのである。
基本的なレベルが低すぎる業界では、なにもしなくても、失敗さえしなければまわりがコケてくれる。一発もマトモな勝負なしで、まわりの失敗だけでPC-9801が独占的なトップシェアをとったパソコン業界など、その最たるものだろう。
もちろん地道な営業や、ソフト業界への浸透などNECの努力もあるにはある。しかし、それは当り前の商品を当り前に仕上げるという、いわば必要最低限の努力にしかすぎない。他社のマーケティングがあまりにひどかった、いや、マーケティングがないというべきだろうか。パソコンが、いつの日か大型コンピュータを喰ってしまうという「ダウンサイジング」の可能性は、大型コンピュータにどっぷりつかったメーカーには想像することすらできなかったのだろう。したがって、片手間でつくって、片手間で売るコトになる。これでは、売れるものも売れなくなってしまう。
唯一、いいセンまでいきそうだったのが東芝のDynabookシリーズだ。しかし、ちょっと売れだすと、シェア確保を急ぐあまり、商品企画が練れていない中途半端な製品を、次々と短期間に投入した。これでは、値崩れは起こすは、ユーザは離れるは、ロクなことはない。
ニッチでいれば良かったものを、本気でPC-9801と勝負をはじめてしまった。だが、こうなっては他の製品と同じである。けっきょくは欲をだしすぎて自滅してしまったのだ。

○本当の差別化とは……、4つのMOVAの比較
NTTの携帯電話ムーバは、世界最小クラスの使いやすさと、NTTの移動体通信の営業エリアの広さから、発売と同時に大ヒットとなり、申し込んでも何カ月も待たされるほどのブームを呼んだ。このムーバ、NTTの基本仕様に基づき、日本電気(N)、松下(P)、富士通(F)、三菱電気(D)の4社がそれぞれ違うタイプの製品を製造している。しかし、安定供給されるようになると、この4タイプの中でも大いに人気に差がでてきた。
人気があるのはムーバNとムーバP、人気がないのはムーバFとムーバDである。これには理由がある。ムーバNは唯一折り畳み式の設計で、畳むと一番コンパクトなサイズになる一方、使用時には広げて使うので、マイクとスピーカーの距離が一番広がり、顔の大きいヒトでも違和感なく使うことができる。ムーバPは、すでにIDOのミニモとして提供されているのと同じ機種で、とにかくムーバの中ではサイズが一番小さいコトに加え、他の機種より消費電力が小さく、電池が長持ちするという特徴がある。これらにくらべると、ムーバFとムーバDは、NTTの仕様通りには作ってあるのだが、大きさも中途半端だし、これといった特徴がないのだ。
他と違う特色がなくては、その機種を選ぶ理由がない。けっきょくは売れないのだ。ムーバの場合、仕様がきまっていたにもかかわらず、これだけ違いは出せたし、その違いをうまく魅力に結び付けたものほど、やっぱり売れるのだ。

12.自分の強みをわきまえよう
自分の製品はなんで売れているのだろう。これは、意外と正しくつかまえるのが難しいコトだ。自分が強みと思っていることと、お客さんからみた本当の商品の強みとは、大きく違っているほうが多い。これは、自分の製品に対するおごりやかいかぶりが強いために、先入観でしか売れている理由を見られなくなるからだ。ユーザが感じている、本当の自分の魅力はどこにあるのかきちんとつかむ必要がある。
もっと難しいのが、自社の製品が受け入れられなかった理由を把握するコトだ。日頃から、自分の魅力とその限界はどこにあるのか、常にきちんと把握しておかないと、いざ問題が起きてからでは対応のしようがない。
「反省」がないのは日本人の弱点といわれている。失敗はつきモノだ。本来自分が持っている強みを認識していれば、「ここを見直せば起死回生のリカバーも夢じゃない」というポイントも、間違いなくくみ取ることができるだろう。

○ビール戦争を面白くしたキリンとサッポロの失敗
アサヒスーパードライのビール戦争。このそもそもの発端は、キリンの最初の戦略のずれにある。キリンビールの味は、すでにユーザニーズから乖離していた。これに気づかなかったことが、シェアを減らす原因になったのだ。
ビールのユーザには、味にコダわるヘビーユーザと、どんなビールでも味はかまわない一般ユーザの二つのタイプがある。かつては、ビールは小さなコップでチビチビ飲んでいた。この時代は、味が濃く、苦みの効いたキリンのラガーのようなタイプが好まれていた。しかし、生活の洋風化とともに、ヘビーユーザの飲みかたは、咽越しのいいキレのいい味のビールを、グッと冷やしてジョッキなどからゴクゴク飲むように変わっていた。
キリンラガーの苦い味は、こういう飲みかたにはふさわしくない。味にコダわるユーザは、口当りのいいビールを求めていたのだ。かれらはキリンを嫌った。キリンしかない店なら飲まない、というビール党も多かった。
このように、実はキリンビールのブランドは、味にコダわるヘビーユーザではなく、ビールの味にコダわらないヒトたちが選んでいたのにすぎない。しかし、味への自負心が強かっただけに、ユーザの指向の変化に気づくのが遅れたのだ。
この時点で、ユーザの求めている、味に一番近かったのはサッポロだった。というより、業務用を中心にシェアの高かったサッポロの生ビールの口当りのよさが、ヘビーユーザの嗜好を変えていったのであった。しかし、この傾向に気づいていないのはサッポロも同じだった。本来なら、ビール戦争の勝者になれたはずなのに、サッポロビールの読み違いは、みすみすチャンスをつぶしてしまった。これが、ビール戦争を面白くしたともいえるが。
しかしキリンビールは、その後軽い口当りの「一番しぼり」を出してアタって以降、この傾向に気づいたのか、全体に製品の味を軽くシフトさせる姑息なフォローにより、売り上げを拡大したというのも、これまた皮肉なものである。

○安かろう悪かろうのプリンスホテルの限界
西武鉄道/国土計画グループのビジネスは、一見積極経営にみえるが、実際は西武グループの創始者である堤康次郎氏のしいた基本路線を忠実に守り、その有形無形の資産を大事に育ててゆく保守派の経営にある。そういう意味では、数十年も前から今を見越した基本戦略を打ちたてた堤康次郎氏の慧眼ぶりには驚かされる。
さて、守りの経営は、自分の強みがみえなくなるコトが多い。だから、基本路線に修正を加える必要のあるような変化が起こった場合、対応が後手にまわってしまう。かつて、プリンスホテルの強みは、立地のよさとコストパフォーマンスのよさだった。シティーホテルが少ない時代なら、これで充分差別化もできたのだろうが、今やホテルも個性を競う時代である。しかし、この動きへの対応は明らかに遅れている。
男のコたちが、エッチするために女のコをシティーホテルにさそうのは、まえに触れた通りだが、イメージの下がってしまったプリンスホテルでは、いくら予約しておいてもエッチさせてもらえない。ということは、いまや都心部では、プリンスホテルといえばシティーホテルよりラブホテルに近い格になり下がってしまったのだ。イメージが大切なホテル業界だけに、これを挽回するのは一筋縄ではいかないだろう。

○読売巨人軍神話の終焉
このところ、巨人軍が人気がない。V9世代の筆者としては寂しい限りだが、これもよく考えればしかたがないコトなのだ。かつての巨人軍の黄金時代、圧倒的な人気を誇っていたジャイアンツ。当時は、ジャイアンツの選手でなければ野球選手でないかのような雰囲気さえあった。しかし、おとし穴はここにあった。
いかに当時といえども、ジャイアンツだから人気があるんじゃなくて、「強いジャイアンツ」だから人気があったのだ。打つ、守る、走る。冷酷なほどに完璧なプレーだからこそ強かったし、人気を生んだ。最近のような、野球少年のお手本にならないジャイアンツじゃ、犬も相手にしない。
選手・コーチ陣やオーナーが、ちゃんと巨人の人気をもたらした強みに気づいて、精神論だけじゃなく本当に強いチームを作っていれば、こんなコトにはならなかっただろう。しかし、いまや弱いジャイアンツがプロ野球自体の人気をダメにしてしまいそうな気配さえある。困ったものだ。

○偏差値は女がキメる -上智と青学をわけたもの-
なんとかいったって、大学で勉強するなんていうのは変人だけですよ。勉強したいから大学に入るんじゃなくて、遊びたいから大学に入るし、東京に来たいから大学に入る。こんなのもう十何年も前から常識でしょ。だから、校舎は都心になくちゃ意味がない。
かつて、青山学院大学も上智大学も、都心のミッション系スクールとして、同じような格と偏差値を持っていた。いまや、青学の偏差値もあがったものの、上智の大出世にはかなわない。上智は早稲田、慶応と同格、あるいは学部によっては格上の、最難関校になっているのだ。
この差はどこからきたのか。それは、青学が教養課程を厚木の田舎に移転してしまったからに他ならない。厚木じゃ、地方の大都市にいたほうが、まだいいかもしれないじゃないか。女のコほど、この東京への思いいれは強い。そして点数のいい女のコだって、大学に入ってから勉強したくないのも、「東京」に出てきたい気持ちも、同じなのだ。
かくして、イメージも立地もいい上智に「できる女のコ」は集まり、偏差値はうなぎのぼり。残念なのは、青学である。厚木にさえいかなければ、「青山」のイメージで、偏差値No.1も夢ではなかったのに、まったく惜しいコトをしたものである。

13.コダわりを捨てて変わり身を速くしよう
何度もいってきたが、自分が強みと思っているものと、お客さんが思っているものとは大きく違っているコトが多い。作った自分では気がついていないようなポイントに、偶然お客さんは魅力を感じ、それが理由となってヒットしていることも多いのだ。
ヒット商品を見ても、その商品がヒットした理由は、作った本人が一番わかっていないコトが多い。それは、作った本人は作ったときの自分のコダわりにひきずられてモノを見てしまいがちだからだ。このような固定的なみかたしかできないでいると、せっかくのヒットがでても、けっきょくは「一発屋」に終ってしまう。
しかし商品は、いったん世の中にでたらお客さんのものなのだ。ヒット商品のアタった理由は素直に読み切らないと、せっかくの成功も次につながらなくなる。作ったときのコダわりは捨て、アタった理由をユーザの目でに見つめて次につなげることのほうが、ずっと大切なのだ。

○オジさんに人気、ヤングに不人気、結果だけオーライの「3Mアイドル」
大人気の宮沢りえをはじめ、観月ありさ、牧瀬理穂の3Mと呼ばれるニュータイプのアイドルは、今までのアイドルとはまったく違う売れかたをしている。カノジョたちは、アイドルファンのヤングの男のコには圧倒的に不人気なのだ。その一方で、オジさん層の圧倒的支持と女性層での人気を集めてスターになったのだ。
たとえば、日本じゅうの話題になった宮沢りえの写真集「Santa Fe」。社会現象としてニュースにまでなったこの写真集の発売日、アイドルファンの男のコたちは、これに見向きもせず、やっぱり同じ日に発売された河田純子の写真集に群がっていたのだ。いや、今までのアイドルと違うファンをつかめたからこそ、社会現象になったというほうが正しいであろう。
しかし、このへんがよくわかっていない業界人も多い。テレビ番組やコマーシャルフィルムなどでの扱われかたを見ていると、半分ぐらいのヒトしかわかっていない気がする。この先うまくユーザにあわせた売りかたができるかどうかに、カノジョたちの今後はかかっているといえるだろう。

○バブル消費を自ら作り、自ら乗せられた丸井
丸井といえばDCブランド。これまた社会現象として一世を風靡した丸井のDCブランド商法だが、その実体はバブル消費。景気の後退とともに、あっさりメッキがはげてしまった感がある。これも、自分の強みをわきまえていなかったコトに速く気づくべきであったいい例であろう。
DCブランドの商品は、単価が高いので、少数の「バブル」な顧客をガッチリつかんでいるだけで、コーナーの売り上げは達成してしまう。しかし、顧客数は圧倒的に少ないし、その顧客は「丸井」そのものの顧客ではなかった。「丸井」だからということでやってくる本当の顧客は、バーゲンのときに行列を作って集まってくる多数のヤングのほうだったのだ。
本来なら、不特定多数である「バーゲンにやってくるお客さん」をターゲットにしたマーチャンタイジングが必要だったのに、実際に行なわれていたのは、各ブランドの顧客をターゲットにしたそれであった。
かれらは上客ではあるものの、なにせ数からすれば少数である。いったん離れていってしまったら、もう売り上げを支えてくれるヒトはいない。そして、かれらの多くはバブルがらみの景気に支えられていたヒトたちだった。かくして、本当の支持者がみえなかった丸井は、深刻なバブル後遺症に悩むハメになったのである。

○高級カメラとフルオート
ユーザからすれば、カメラなんて絵がとれればいい。それも簡単に、きれいに。この傾向は「カメラ付きフィルム」で顕著になったが、高級カメラといえども、その影響を逃れることはできなかった。
こういうメカものの商品では、作る側はどうしてもメカへのコダわりが強くなる。そして、高級なものほど、メカが直接ユーザからみえるようにしがちである。しかし、世の中の見かたは逆である。なんで高級でいろんな技術を使っているのに、使いにくくなってしまうんだ。技術というのは使いやすくするためにあるんじゃないのか。これが、ふつうのヒトの見かたである。
ある時期、技術は行き着くところまでいき、もはやそれ以上高性能を目指しても、ユーザからすれば意味がないところまで来てしまった。それからは、ハイテクは使いやすさのために使われない限り取り入れる意味がなくなったのだ。
かつては、「高性能だけどヒトにやさしい」という視点だったものが、ここからは、「高性能だからヒトにやさしい」でなくてはいけなくなったのだ。ユーザが一度この事実に気がついてからは、高級なカメラほど自動でなくてはいけなくなった。
しかし、技術者の視点は大きく違う。かれらは感覚ではなく測定器でモノを見る。だから、ヒトにとって意味のない違いも差別化になってしまったのだ。同様に、一部のハードウェアマニアも、同じような見かたをする。こういう「マニア」が、高級機種の主要ユーザだったがゆえに、かれらの世界の中だけで通る意見が正論のように思われていた。
しかし、それは勝手な理屈であり、その偏狭さこそが、高級カメラの市場を小さいものにしていたのだ。かくして、この狭い視点を脱したメーカーは、フルオート一眼レフ市場でヒットを当て成長のカギをつかみ、そこから抜けられないメーカーは、かつての狭い市場に安住するだけで、相対的にシェアをおとしたのである。




まえにもどる

つぎにすすむ

「まるボ」アーカイブにもどる


はじめにもどる