熊本駅のC57151号機 -1970年8月2日-


今回もまた、1970年の7月から8月にかけて夏休みを利用して行った初めての撮影旅行からのカットです。この日は、八代付近で鹿児島本線と肥薩線の川線を狙いましたが、まず朝は熊本機関区の様子と、熊本区の看板娘ともいえるC57151号機を撮影しました。熊本機関区へのC57の配置は、昭和40年代に入るとこの151号機の1輌のみという状況が長く続いていました。運用は時期毎にいろいろ変わったようですが、鹿児島本線熊本-鹿児島間の電化・無煙化直前のこの時期は、鹿児島本線の熊本-八代間のローカル旅客列車1往復だけの運用となっていました。1輌配置1輌使用という形ですが、当時熊本機関区には波動対応用のC60の配置があったので、検査時はC60が代走したのでしょう。まあ、運用自体はやはり配置があったD51でも充分こなせるものだったとは思いますが。


基本的に今回の写真は、C57151号機が仕業準備を整えて機関区からホームに転線し、客車と連結、出発してゆくまでの流れを追って行ったものです。記録としての意味はあると思いますが、決して写真として面白いものではないかもしれません。最初のカットは、熊本機関区の象徴ともいえる給砂塔と一体になった大型の給炭塔の前に佇む姿から。すでに石炭もテンコ盛りに積載されています。限界一杯に盛り上げられた石炭は、増炭板の後妻がないこともあり、まるで北海道の機関車のようです。奥に繋がっているC11型式は48号機。蒸気機関車末期の九州では、キャブと水タンクのラインが一直線の2次型は少数派でしたが、その多くが熊本機関区に集められ、異彩を放っていました。


石炭と水を補給し終わった同機が、給炭線から出てきたところでワンカット。エキセントリックロッドが上に来ているところから、まだリバーが後退に入って力行中ということがわかります。バックには鹿児島機関区のC6029号機。このカマの写真と前のカットに写っていたC1148号機の写真は、「南の庫から 熊本機関区'70夏 -1970年8月2日-」に掲載されています。151号機は戦時中に転属して以来、この時期まで熊本機関区一筋で活躍してきたカマです。このカマのみが装備する関氏の「K-3」デフの特徴が、良く見てとれます。まだ試作的な要素が強い中、K-1デフの前支えを斜めに傾斜させ、その後の小工式切取デフの特徴の一つをもたらしました。


特徴あるレンガ造りの機関庫の脇で転線し、機関区の構内から駅の構内へと渡ってきます。実はこの前のカットとこのカットの間にワンカットありますが、そのカットは、やはり「南の庫から 熊本機関区'70夏 -1970年8月2日-」に掲載されています。K-3デフが取り付けられたときには、小倉工場の鉄道80周年記念車輌として整備され、デフに「富士山に天女に羽衣」の装飾が付けられたことでも知られていますが、この時にはその痕跡は全くありませんでした。しかし、同時に取り付けられた装飾帯はシリンダカバーや給水加熱器のベルト残っており、この当時もまだきっちり磨き出されています。誘導係のツカミ棒にぶら下がるような乗り方は、九州ならではのものですね。


スイッチバック式に再び後退し熊本駅5番線に入線、ホームに待つ客車に連結します。151号機の煙室扉ハンドルは、この後吉松機関区に転属するときに一般的な丸型のものに取り換えられてしまいますが、この当時は十文字に丸穴という特徴的なスタイルのものが付いていました。おまけにキレイに磨きだされていますので、いいアクセントになっています。このタイプの煙室扉ハンドルは、熊本機関区のカマにはよく見られました。ぼくはこの時代のスタイルの方が印象が強いです。ホームではすでに荷物車への積み込みが行われているようで、駅の係員が集まって作業をしています。編成に機関車が連結され、いよいよ活気づいてくる一瞬です。


いよいよ機関車が連結されました。同じ場所から、ホームの全景を俯瞰します。ちらりと見えるテルハ経由で送られてきた荷物輸送用の台車が、何台もホーム上に見えます。1輌目はマニ60でしょうか。この時代は、まだ宅急便とか普及する前ですから、小荷物輸送は国鉄-日通タッグチームの独壇場でした。全国津々浦々まで、鉄道による荷物輸送のネットワークが形成されていました。4番線には鹿児島本線の上り列車でしょうか、客車が停車しています。模型をやっている人間からすると、こういう駅や鉄道施設の活きた風情を記録したカットというのは非常に貴重なのですが、あまりお目にかかれないのも現実です。ストラクチャーの記録も限られていますが、人の動きが写っているカットはそれ以上に少ないのです。

いよいよ出発です。足回りが見えなくなるほど勢いよくドレーンを切って、力強い歩みを進めます。なんせ、これ8月アタマの九州ですよ。これだけ蒸気が出ているということは、かなりサービスで演出していてくれていますね。この区間での活躍も、あと2カ月を割ってしまっていますが、そういうことは微塵も感じさせない力走です。この当時、151号機はなぜか気になる機関車で、ぜひ撮影したかったカマでした。K-3デフはまだ試作ということもあり、けっしてデザイン的にスマートでない部分もあるのですが、この頃はまだそんな情報も持ち合わせていない状況。歴史と薀蓄のある機関車を直接見れたというだけでもうれしかったものです。


速度が乗り、蒸気を振り切ってホームから走り出して行きます。こうやってアップで見ると、実に手入れのいいカマだったことがわかります。熊本機関区は全体に手入れが入念な機関区として知られていましたが、その中でも愛されていたことが見てとれます。熊本機関区伝統の緑ナンバーも、モノクロ写真でも色味の違いが分かるほどキレイに磨かれています。緑ナンバーのカラー写真は、ハーフ版ですが「南の庫から 八代駅・八代機関支区 -1970年8月2日-」に掲載されています。151号機は最後に吉松にいた関係から現在鹿児島で保存されていますが、やはり熊本の方が似合うと思うのはぼくだけではないと思います。





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