hobby diary

「夢」を大人買い

-今月のホビー日記・2012年4月-




4月30日(休・月)

本日も、昼からランチ会と打ち合わせで、鉄分のない一日。しかし、こうやってみると、4月はなんとも写真が多かったなあ。今までで、最多では。結果的にネタが多かったということもあるが、鉄道関係に限らず、ワリと写真そのものをよく撮っている月であるのも確か。単焦点レンズのマイブームも、一つの引き金にはなっているなあ。

4月29日(祝・日)

例によって、出かけるついでに「鉄道模型市」を覗く。ここ数年は、行くことは行くものの、どちらかというと出展している知り合いに挨拶に行くような感じ。今年もそういうノリで、無料時間のスタートに合わせて浜松町に向かう。有料時間帯の様子はわからないが、少なくとも11時45分の様子についていえば、出展者も減っている上に固定化しているし、出ている品物も「いつもながら」なモノが多く、なんかイマイチ盛り上がりに欠ける感じ。ガレージセールも、専門業者中心になっちゃうと、ちょっとね。

4月28日(土)

子供の学校の、保護者の役員会で一日忙殺。まあ、頼まれると何でも引き受けてしまう性格がいけなのだが。ということで、機関士人形のディメンションの比較でお茶濁し。結果は写真と表でご覧の通り。平均値は、平成20年度の成人男子の値。加藤機関士は、昭和40年代の機関士ということを考えると、今の成年男子よりは小柄なので、HOスケールとしてはなかなかいい感じ。新・加藤機関士は座高こそ高いものの、尻を削れば「単なるデブ」で許されるか(まあ、蒸気機関車の機関士にデブはいないけど)。阿部機関士は、ちょっと許されないな。こうやってみると、なんか人間のプロポーションじゃないし。
氏名 座高(実測mm) 座高(換算cm) 腕長(実測mm) 腕長(換算cm)
加藤機関士 9.75 84.8 7.90 68.7
新・加藤機関士 12.20 106.1 7.95 69.2
阿部機関士 12.15 105.7 10.05 87.4
成人男性平均   91.4   72.7

4月27日(金)

先日成田空港まで行く用事があったので、今頃になって、成田スカイアクセス線に初乗車。折角ならと、行きはアクセス特急、帰りはスカイライナーと、両方を試して「乗り」を満喫。アクセス特急は新線部分では130km/h出すのとばかり思っていたら、京急線内と同じ120km/h。とはいうものの、建築限界が大きい分、逆にスピード感(スリル?)は薄い。それにしても、新線区間はもっと長いのかと思ったら、けっこう短いのね。特にスカイライナーの160km/hで走ると、すぐ終わってしまう。成田湯川から先は、単線の高速区間というのが、けっこうシュール。ほくほく線の例もあるが、なんかNゲージの単線高架線路でビュンビュン飛ばしているようで、これはけっこう不思議な体験。車体幅が1号線規格の限界に入っているので、室内の雰囲気が、初期のTGVとか、ヨーロッパの高速車輛のような感じなのが、日本では珍しいかも。

4月26日(木)

ちょうどやってきたので、品川まで東海道線に乗ったので、東京機関区の跡地の様子がよく見える。そのまま更地して開発するのかと思ったら、電留線や検修線がすでにかなり作られている。要は、昔の言い方を使えば、田町電車区を東京機関区の跡地に移して、田町電車区のあったところを開発するということらしい。もしかすると、新駅を作るので、山手線・京浜東北線も移して、西側にビルを建てるのかもしれないが。

4月25日(水)

家に帰ると、小学館刊の丸田祥三氏の写真集「眠る鉄道 SLEEPING BEAUTY」の献本が届いていた。解説ページに、現役時代の写真を提供してほしいという依頼があり、対応していたモノが、発売になったようだ。ハヤりものが両翻ついているというか、廃墟×鉄道というコンセプトで撮り続けた、廃車体あるいは廃線跡の写真を、エフェクトバリバリの妖気漂うトーンにした、なんとも不思議な写真集。鉄道写真ではないと思うが、アートとしての写真という意味ではアリだな、という感じ。ご興味のある向きは、ぜひどうぞ。

4月24日(火)

ぼくは、機関車に機関士の人形が乗っていないと、走らせてもなんか変な感じがしてしまうほうなので、基本的には人形を乗せている。いつも愛用しているのは、カトーがプレイザーのOEMで作った「加藤機関士」だが、たまには別のものと思い、中国製の「新・加藤機関士」とエコーの「阿部機関士(笑)」を買ってきてみた。阿部機関士は、さすがにデカすぎる。1/72のミリタリーとしてもデカい。特に四肢がオーバースケールなので、1/87ではどうしようもない。新・加藤機関士は、サイズ的には1/80でもぎりぎりというデカさだが、頭や体などなんとも巨漢。なんか格闘家みたいな感じ。蒸気だとキャブがオーバースケール気味か、少なくとも窓の大きい機関車でないと無理。それも、かなり削ってダイエットさせるなど、手を加える必要がある。ということで、やっぱり加藤機関士しかない。それでもModels IMONの機関車とか、椅子がついているやつだと、上半身だけにしてから胴体を椅子に合わせて整形してやらないと、ウマく座ってくれないから困ってしまう。

4月23日(月)

基本的にはNゲージや量販品が主力の某中古店を覗くと、ブラスの日本製アメリカ型客車の出物が大量に出ている。全部で4〜50輌あるか。三軸台車のヘビーウェイトから、戦後の特急用ドームカーまで、中身はいろいろ。ファクトリーペイントも混じってはいるものの、7割方は組立済み未塗装の状態。いったいこういうのって、どこから出てくるんでしょうかね。ファンの数も限られているので、そのどこかからめぐりめぐって、ということなのだろうが。まあ、ちょっと心当たりはあるのだが。

4月22日(日)

天気が不安定なのは相変わらずだが、午前中はなんとか持ちそうなので、千葉に行って椿の農薬撒き。とにかく、新芽が伸びる時期に撒いておかないと、ドクガが繁殖する危険性があるためmustなのだが、雨天だとどうしようもない。まあ、けっきょくギリギリ何とかなったが、そんなこんなで鉄分なし。残りの時間で、部屋の片付け。OJ関係は、とにかく場所をとるし、コレクションでそんなに頻繁に出すものではないので、思い切って奥の方にまとめて収納。ブツが大きいだけに、これはけっこう効果がある。箱でいえば、OJの機関車一輌と、HOの編成全部とが均衡するような感じだし。

4月21日(土)

RMライブラリー153の、「京成青電ものがたり」を買ってくる。京成電鉄は、その独特な世界観でけっこう興味のある民鉄だ。そのルーツは、東京とはいえ、走っている方向がぼくが育ったり、生活したりしていたエリアと全く逆なので、子供の頃はまさに関西の私鉄みたいにエキゾチックに感じていたからというところもある。「変な電車」ということは知っていたが、趣味誌での特集もあまり行われなかったので、体系的に知っていたわけでもない。そういう意味では、1372mm・600V 時代の車輛について知れるというのは、なかなかコンパクトにまとまっていて面白かった。まあ、基本的には今まで断片的に知っていた通りで、やっぱり「変」だったということなのだが。

4月20日(金)

けっきょく、今月の趣味誌の店頭販売日は、模型誌に関しては本日20日ということに相成った。実物誌は、18日に一部出ていたが、少なくとも天賞堂では、木曜休みなのでメインは今日。Models IMONでも、Webで見る限りは、雑誌によってバラけた模様。しかし、20日というのはある意味遅い方の記録、というか、これ以上遅れると書店の発売日と一緒になってしまう。まあ、遅い方の記録ということで。

4月19日(木)

「記憶の中の鉄道風景」の、今月分更新。この前のは、あくまでも番外で、ちゃんとしたのは作りますよ。で、今回からスタートするシリーズは、1973年の5月。九州に向かった修学旅行の一日目は、京都での自主班別行動。我々「鉄」な仲間は、当然名所旧跡ではなく、乗って乗って、撮って撮って、の一日。その時の行動の一部始終を順次お届けします。まず最初は、河原町通りの京都市電から。一日のできごとのワリには、コンテンツが一杯あるので、当分引っ張れます。

4月18日(水)

またもや今朝も1000系。運用開始一週間で、すでに3回というのは、なんともはや。前は17運用だったけど、今日は45運用だったので、限定運用ではないのは確認。しかし、大体同じ時間に、同じ駅を通る運用に入ってくるのも確か。しかし、あの塗装代わりのラッピングのシート。けっこう埃を拾うようで、下手に外装に手を触れると、たちまちマックロ。これはちょっとナニですね。

4月17日(火)

近場の旧新橋停車場「鉄道歴史展示室」でやっている、「会津−江戸の旅・近代の旅−」を見てくる。インプレッションについては、「Gallery of the Week」を参照いただくこととして、やっぱり会津というテーマは、ちょっと無理があるんじゃないのという印象。それなりに名所や観光資源もあるんだが、なんか生真面目すぎちゃって地味なんだよね。磐越西線なら、新潟側の方が撮影地は多いし、只見線も風光明媚だけど、妙にクラいし。ま、そういう土地柄なんでしょうねえ。

4月16日(月)

なんと、今日の朝も、銀座線は1000系がやってきた。使用開始1週間経たずに2回というのは、かなりの打率。しかし、金曜日とおなじ運用でやってきたので、運用を限定して走らせているのだろうか。二度目ともなると余裕があるので、いろいろじっくり研究していた。ステアリング台車は、分岐機の通過にはかなり威力がある。全体的に、銀座線にしては静かだが、フランジノイズが皆無というわけではなく、わずかに発生するところはある。ま、増えれば慣れちゃうんだろうけど。

4月15日(日)

本日はJAMの理事会で、鉄分は多いが趣味分はなし(笑)。今年の国際鉄道模型コンベンション、MP出展者は約80組と史上最多。面積も、大面積出展者が増えて、こちらも史上最大。東4に移って拡大したスペースが、ちょうど埋まるような賑わい。モデラーの皆様の熱意に、感謝感激。一段とスケールアップしたコンベンションに、ぜひご期待ください。

4月14日(土)

お待ちかね、Models IMONのC5765号機の発売予告が出たので、予約の仕様確認に行くと、早くも発売前に予約完売とのこと。このところ、ワリと模型市場が動いているという話は聞いていたが、40万前後の品物がスパッと売れてしまうというのは、ご同慶の至り。まあ、最初にラインナップが発表されてから考えると、相当待たされていたという感じなので、飛びつく気持ちもわかるけど。

4月13日(金)



表参道で銀座線に乗り換えようと待っていると、やってきたのはなんと1000系。一昨日から運行開始したので、3日目で乗れるとは、13日の金曜日のワリには、なかなかラッキー。すでに試運転中に遭遇しているので、外観は、記念ステッカー以外はもうおなじみか。室内は、さすがに新車なのでキレイだが、10000系以降の東京メトロの車輛の内装トレンドを見慣れてしまった今となっては、特に斬新とか先端的という印象ではない。自慢のステアリング台車も、銀座線ということを考えれば、静かで乗り心地がいいことは確かだが、そもそも銀座線に初めて乗った人が気付くかどうかはわからない。しかし、キャンペーンをやっているだけにインパクトは充分で、出勤途中の一般ビジネスマンも、ケータイで記念写真撮りまくり。本当は、地下鉄線内は撮影禁止らしいが、まあこれだけキャンペーンで盛り上げているのだから黙認状態。どうせ、みんなBlogとかSNSとか載っけるんだろうし。

4月12日(木)

JR東日本が、東北縦貫線(東京-上野連絡線)の運用開始の一年延期を発表。東日本大震災の被害復旧に建設リソースを投入したため、予定通りの開通が図れなくなったとのこと。確かに。新幹線線路上の橋脚が立つのは早かったが、その後のラーメン構造物の建設は目に見えて遅かったので、橋脚は鋼鉄構造物なので外注で上がってくるけど、その他の工事は資材と人員を普及優先にしたのかな、と思っていたが、やはりそうだった。工事自体はこの一月、中央通りの架道橋の架設のところで止まっているような感じ。まあ、だんだんできてくるんでしょう。

4月11日(水)

本日の日経産業新聞最終面の「News Edge」は、「「首都圏直下型」に備え JR東耐震編成」と題し、JR東、東京メトロといった鉄道をはじめガスや通信などの社会インフラ企業が、防災のための設備投資を活発化させている、という記事。体裁的には、消していわゆる「鉄記事」ではないのだが、8段中7段が鉄道会社の対応、それもその9割方がJR東の話題。かなり細かいところまで書き込んでおり、記者の関心がどこにあるかは明瞭。ちなみにこの記事、林英樹記者、阿部将樹記者、大西哲也記者、黒井将人記者、四名の記名記事でした。

4月10日(火)

天4に、珍しく16番/HOサイズの日本型ストラクチャの大量出品。数の多さや、傾向の揃い方をみると、もともと固定式レイアウトか、レイアウトセクションかに設置されていたのを外したもののようだ。それだけに、余り状態はよくない。また、独特のテイストがあるのだが、個人的にはあまり好きな感じではない(もちろん、こういうのを好む方もいると思うし、あくまでも好みの問題である)。ということで、当分残っているんじゃないかと思うので、お好きな方はどうぞ。

4月9日(月)

さて、昨日はその後、いろいろ用事もあったので午後になってから外出。その中で、ちょっと実家に寄らなくてはならない用もあったのだが、実家といえば「記憶の中の鉄道風景」でもおなじみのように、中野-東中野間の、線路が切通しから築堤に変わるところにある。といえばお分かりだと思うが、この時期の「名お立ち台」のすぐ裏なのだ。ちょっと気恥ずかしいけど、満開のときに行くのなら、こりゃ撮らざるを得ない。ということで、用も早々に済ませ、例の跨線橋に向かう。今は線路際は全面フェンスに覆われているので、一眼レフ手持ちで撮影できるのは、跨線橋の上に限られる。けっきょく40分ぐらい撮影していたが、延べにして同業者が2〜30名、一般民間人も2〜30名、都合50名ぐらいが撮影していた感じ。手持ち、単焦点レンズといういでたちは、デジイチであっても、我ながらSLブーム世代だなあ、と感じてしまう。しかし、これだけ架線柱やらナニやらが交錯していると、ホントにシャッターチャンスは一瞬しかない。こっちは、もともと一発撮りなので、そこを狙うだけだが、若いヤツは、けっこう三脚につけて連写カケてるのね。隣にいたEOSのあんちゃん、シャッター音でタイミングを見ていたが、あれだと全部カブってるぞ(笑)。

4月8日(日)

これまた毎年恒例の、花見フォトセッション。今年の様子だと、来週末だと葉桜になってしまいそうなので、続けて一気に。最近は、新しいお立ち台を作っていないので、ちょっとマンネリだが、山桜のイメージで組み立てる。60mm(換算90mm)だと、けっこう前後の圧縮効果が出るので、f32とか絞り込んでパンフォーカスにするより、f16かf11ぐらいで、前後がちょっぴりアウトフォーカスにしたほうが、遠近感が出るみたい。谷間で直射の陽射しが来ないので、85mmf1.8で、1/500絞り開放で撮った、という想定で。

4月7日(土)

毎年恒例の、花見散歩。蛇崩川、目黒川、北沢川、世田谷公園あたりを組み合わせるのが定番だが、今年は見事に週末が満開。咲き出しから満開まで一週間ない、というスピード開花。しかし目黒川も、10年前は穴場中の穴場という感じだったのが、最近では超定番花見スポットになってしまった。スゴい人出だが、出店もメチャクチャ増えた。外国人と若者が多いのが特徴か。ということで、今回も桜と東横線。まあ、ラインカラーのピンクは、桜に合うから。今回は、下流側から。しかし、中目黒の発車を狙える上りと違い、下りの電車は、けっこうなスピードで進入してくるので、この混雑した橋の上から、ピタりと撮るのはけっこう大変。手持ち一発の「心眼」で撮らないと。

4月6日(金)

北海道の拓殖鉄道なんてのも、その際たるものだろう。道路さえあれば、数台のバスとトラックで賄えてしまう程度の輸送力を確保するために、自前で線路まで抱え込む。泥濘地では、道路を建設するより、ナローの線路を敷くほうが、建設のコストも時間も節約できる。また、立派な道路を建設してしまうと、有事に敵が攻めてきたとき、相手を利する結果になってしまう。そんな理由で、ひとまず線路で我慢しておこう、ということになったワケだ。「スモールエンジンポリシー」の欠陥ではないが、資金が決定的に不足し、長期的な視点に立った初期投資ができないという、近代日本の社会インフラ共通の問題がここにある。その裏返しで、高度成長の結果、右肩上がりの税収が得られるようになると、今度は、社会インフラはもう充分なのに、過剰なハコモノ公共事業になってしまうのだから皮肉である。大恐慌対策で、アメリカはフリーウェイ、ドイツはアウトバーンを全国に張り巡らした。最初から将来を見越した道路を作っていれば、中途半端な鉄道は、もっと早くその使命を失っていたはずである。

4月5日(木)

しかし、昔の鉄道が自己責任なのは、別に「鉄」に限ったことではない。地方に行けば、みんな線路を道代わりにして、堂々と歩いていた。客車から旧型電機のデッキに乗り移って涼を取る乗客もいた。ある意味、国鉄が超・上から目線で「乗せてやる」だった頃は、そもそも乗客の安全を気遣う姿勢などなく、「自分で気をつけろ」が当たり前だったからこそ、自己責任になってしまったというのがほんとのところだろう。しかし過疎地では、駅から集落への最短経路が線路経由というところはけっこう多かった。というより、昔はそもそも道がなく、鉄道が唯一の外界との経路だったという事例も少なくない。ローカル線や地方の私鉄などは、そもそもそういう状況で敷設されたものも多く、まあ、道路が整備されてしまえば、その使命自体を失うのもむべなるかな、というところだろう。

4月4日(水)

日経本紙、昨日の夕刊の社会面トップ記事は、「「撮り鉄」心にブレーキを」と題して、鉄道イベントの参加者が増加するとともに、線路に立入る人が増え、緊急停車や徐行により、列車の運行に遅れが出ることが増えたという記事。論旨としては、「昔のマニアは狭いコミュニティーの中にいたので、それなりにルールとモラルがあったが、最近の軽い鉄は、そういうのと関係なくインターネット等で手軽に情報を集めて出かけるので、マナーが低下した」というもの。おい、ホントかよ。すでに「記憶に残る鉄道風景」でも証拠写真をいくつも出しているが、昔のマニアの方が、よほどマナーはヒドい。撮影地には「線路を歩いてゆく」モノだったし(蒸気時代の北海道の名お立ち台には、線路を歩いて(それもトンネル)行かなくては到達できないところもあったことは、リアルタイムのヒトにはよく知られている)、走ってくる列車を線路の真中にたって真正面から撮ったりするヒトも多かった。しかし、世の中がよほど自己責任だったというか、鉄道の側がそれを大目に見ていたというだけである。強風で列車がストップするようになったのと同様、運行マニュアルのほうが変わったのだ。数が多いのはさておき、最近の「鉄」の方が、そういう意味では余程小心者だし、けっしてマナーが悪くなったとは思えないぞ。

4月3日(火)

岩泉線が、やっと廃止だと。JR東日本も、全体として大黒字だし、JR各社の筆頭でもあるし、立場上ツラいよね。公共交通としての使命を失ってしまっていることは明確でも、なかなか廃止させてもらえない。個人的には、いつも言っているように、地域のライフラインを支える役割を失った鉄道は、もはや抜け殻で、社会的には必要ないし、それを存続させる方が社会的損失が大きいワケで。道路の維持と、鉄道の維持とダブルコストがかかるのは、過疎地の経済力にとっては過剰負担なワケだし、それならより便宜性の高い道路に集中した方が合理的というもの。よく「高校生の通学」とかいう声もあるが、それなら「自宅と学校間の運転に限定した軽専用免許」を発行できる特区にして、クルマで通わせた方が、景気浮揚効果もよほど大きいだろうし。

4月2日(月)

昨日やらなくちゃいけなかった用事の中には、AFマイクロニッコール60mmf2.8の試写もある。ということで、移動の途中、例によって世田谷線を経由し、沿線散歩しながら試写カットを撮影する。今回は若林から世田谷間。そこでふと思いついたのが、「記憶の中の鉄道風景」第二回に載せた、1972年のカット撮影地の今を取材すること。レンズが違うので、バッチリ同じカットとはならなかったが、雰囲気は汲んでいただけるのでは。さっそく番外編のページを制作。果たして、変わったのか、変わらないのか。その答えは、「40年の時空を超えて -東急世田谷線 1972年/2012年-」をご覧あれ。

4月1日(日)

今日から新年度、エイプリル・フール。晴れた週末は、やることが多くて忙しい。そんな中のひとつ。勢いで、AFマイクロニッコール60mmf2.8の出物を購入してしまったので、AFでのマクロ撮影のテスト。これ、ホントに動いていたらさすがにヤバいと思うけど、フォトセッションで、こういう光量充分な環境なら、AFAE撮影でも問題なし。これ、出た目で言うと、1/60 f16(もちろん、絞り優先だけど)という感じ。これで手持ちでこの角度から模型を撮れるというのは、個人的にはけっこう快感だったりするんだけどね。まあ、ここまで寄れば、ぼけ方もこんなモンでしょう(バックまでシャープにとるなら、やっぱり三脚はいるからね)。




(c)2012 FUJII Yoshihiko


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