四条の煙が行き交う路 -筑豊本線 折尾-中間間カラー版 1971年4月1日(その8)-


この二年ほど、蒸気撮影の末期にブローニーのカラーポジで撮影したカットの中から、撮影地ごとの全カットを紹介するシリーズを展開してきたわけですが、ここでちょっと方針の修正。35oモノクロ版のカットを全部公開した日のカラーカットということでは共通なのですが、今度は蒸気撮影の初期にブローニーのカラーネガで撮影したカットを紹介することとします。まず手始めに二度目の九州撮影旅行でのカットから。この時が初めてのブローニーでのカラー撮影です。二眼レフのミノルタ・オートコードの中古を購入し、コダカラーで撮影しました。足踏み式のリモコンレリーズを自作し、三脚に立てたオートコードのシャッターを切るのですが、なんせこの日が初日な上に、ぶっつけ本番でやったので失敗も多いです。この時はまだ高校の入学前の春休み。まだ中学生みたいなものですから、大目に見てください。



ノッケからシャッタータイミングを外したカットですが、これはこれで今となってはバウハウスのモダニズム写真のような面白さもあり、撮ろうと思っても取れない写真なので掲載します。若松機関区のC5519号機の牽引する若松発の下り旅客列車。この列車を35oのカメラ撮ったモノクロのカットは<四条の煙が行き交う路 -筑豊本線 折尾-中間間 1971年4月1日(その3)->の中で公開しています。そちらをメインで狙った分、足踏みのリモコンレリーズを踏み損ねてしまったという顛末でしょう。この日はもっと朝早くから撮影していますがカラーがここからなのは、早朝の光量が弱くてISO100(当時はASA100か)のカラーでは列車をさつえいできるようなシャッタースピードが切れなかったためと思われます。


続いて若松機関区の888620号機が牽引する、香月線直通の上り旅客列車。この列車を35oのカメラ撮ったモノクロのカットも<四条の煙が行き交う路 -筑豊本線 折尾-中間間 1971年4月1日(その3)->の中で公開しています。そちらはグッと寄せて撮っている分、カラーのこちらは引きで風景も入れて撮れるタイミングでシャッターを切ったものと思われます。タイミングの差を考えると、これは足踏みリモコンではなく、直接ファインダーを見ながら指でシャッターを切っている可能性もあります。色温度の低い春の朝日を浴びて、一見単線区間に見えるのどかな風景の中を走る姿は、線路際の大きな農家とも合い間って鉄道模型のジオラマを思わせます。


今度は、黒崎方面に向かう上り貨物列車がやってきました。牽引するのは直方機関区のD6057号機。朝日が非公式側後方から当たる位置関係で完全な逆光になっていますが、この時の雰囲気は良く撮れていると思います。この頃のネガカラーでもブローニーとなると侮れません。おまけに褪色もポジより少ないです(逆光のカットとか、ほとんど色が飛んでしまう)。この列車を35oのカメラ撮ったモノクロのカットも<四条の煙が行き交う路 -筑豊本線 折尾-中間間 1971年4月1日(その3)->の中で公開しています。この列車もまたグッと機関車を寄せて撮っており(見返りも撮っている)、これも直接シャッターを切ったものではないでしょうか。バラバラに建っている平屋の小住宅が模型っぽいですね。


9600型式が牽引する、若松方面に向かう上り貨物列車がやってきました。牽引するのは若松機関区の29692号機。バック運転なので、テンダのAC6425様式のナンバープレートの輝きが、カラーでは良いアクセントになっています。2輛連なるセフの黄帯や、赤錆で汚れたワラ1の微妙な色調など、カラーならではの臨場感がしっかり残っています。この列車を35oのカメラ撮ったモノクロのカットは<四条の煙が行き交う路 -筑豊本線 折尾-中間間 1971年4月1日(その4)->の中で見返りショットも含めて公開しています。バックの岩の露出した崖は自然のものではなく、工事中のために現出したものですが、アメリカ中西部のような日本離れした景色を思わせて迫力があります。


連続して黒崎方面に向かう上り線に、D60型式が単機回送でやってきました。機関車は直方機関区のD6046号機。このカットも、カラーの方が引きで景色を大きく入れるタイミングで、カラーを撮ってから手持ちでモノクロを撮影したようですね。ちなみに、ブローニーの三脚の位置は前のカットと全く一緒なので、ほぼ続けてやってきたものと思われます。この列車を35oのカメラ撮ったモノクロのカットは<四条の煙が行き交う路 -筑豊本線 折尾-中間間 1971年4月1日(その4)->の中で見返りショットも含めて公開しています。こちらもモノクロに合わせて縦構図でトリミングしてみました。引きなので煙の勢いもあって単機には見えず、こっちの方が迫力があるかもしれません。





(c)2022 FUJII Yoshihiko よろず表現屋


「記憶の中の鉄道風景」にもどる

はじめにもどる