大沼・小沼をめぐって -函館本線 大沼駅・大沼公園駅周辺 1972年7月18日(その7)-


今回も引き続き1972年夏の最初の北海道撮影旅行の最終日、函館本線函館口の大沼駅や大沼公園駅周辺を中心に撮影した一日を追うシリーズの続きです。今回で7回目。前回から望遠ズームを装着した35oモノクロのサブカメラで撮ったカットをお届けしていますが、この時はもうフィルムが尽きてしまい、サブカメラは札幌で追加で仕入れたネオパンSSSで撮っていますので、そんなにカットは多くありません。ということでサブカメラバージョンも今回で終了。大沼周辺での35oモノクロでの撮影はここまでです。今回も多くのカットをすでに<無意味に望遠 その5 -1972年7月18日->の中で発表していまうので、カブらないカットを選んでお送りします。とはいえ、まだカラーポジがあります。いったいどこまで行くのでしょうか。



まずはじめは、<大沼・小沼をめぐって -函館本線 大沼駅・大沼公園駅周辺 1972年7月18日(その4)->に見返りショットを掲載した、無火回送のD52を従えた一見重連風の列車を、さらに後追いで撮影します。さすがに直下で見下ろした撮影ではテンダに石炭が無く、無火回送なのがはっきりとわかってしまいましたが、このぐらい離れて撮影すれば、重連に見えないこともありません。さらに望遠で圧縮していますから、結構な迫力です。貨車もワラやワム8が中心で東海道本線や山陽本線でD52型式が活躍していた時期とは違いますが、蒸機も末期ながらまだまだ北海道では幹線の主役としてライフラインを支えていたことがわかります。


名残惜しいので、「重連風」をしつこく追います。かなり先まで走って、仁山廻りと藤城線が複線状から別線に別れる辺りでワンショット。ここまでくると、もう無火回送とはわかりませんね。かなり陽射しも出てきているので、小沼の水面も陽光を受けてキラキラ光っています。このあたりでは小沼の湖岸のわずかなスペースに2本の線路と国道5号線が並んで走っています。国道は番号がヒトケタなことからもわかるように、北海道を代表する幹線なのですが、本当に車が少ないです。本州ならすでにどこでも国道の主だったトラックの影もありません。当時の北海道では、まだ鉄道(それも蒸気機関車)が陸の王者だったことが見て取れます。


さてまたまたお立ち台の上で振り返って、大沼駅の様子を伺います。ちょうどD51150号機の牽引する上り貨物列車が駅を発車するところです。これまた<大沼・小沼をめぐって -函館本線 大沼駅・大沼公園駅周辺 1972年7月18日(その4)->で走行中のカットを掲載しています。今頃になって晴れてきたので、山肌がくっきりと伺えます。前回の3カット目とほぼ同じ構図になっていますが、やはり地面の傾斜があるので、パースが歪んだような画面になっています。半世紀前の北海道。そのまた半世紀前は大正時代。ゴールデンカムイの時代に毛が生えた位の頃で、まだ本当に開拓時代だったわけですから、もう歴史の中ですね。


続いてやってきた下りの貨物列車。D52型式のラストナンバー、468号機の牽引です。この列車もまた今回のシリーズの4回目<大沼・小沼をめぐって -函館本線 大沼駅・大沼公園駅周辺 1972年7月18日(その4)->に35mmメインカメラでのカットを掲載しています。まあ、続けて来たので全く同じシーケンスになってますが。藤城線の小沼沿いのこの区間はほぼ平坦線になっているはずですが(仁山経由はサミットに向かってちょっと登る)なんか力行していますね。給水加熱器からの排気も出ていますから、ちゃんと焚いています次のカットではすでに煙はでていませんので、登りの勢いでここまで焚いてきたということなのでしょう。


同じ列車を続けて撮影します。再び小沼の湖岸に沿って線路が敷かれているあたりでの撮影です。これが200mmでの撮影のようですから、前のカットはテレコンバーターを入れて300mm相当ぐらいにして撮っているみたいですね。望遠で圧縮されているので全編成があっさり入っていますが、メインカメラのカットでわかるように、本州からの返空の冷蔵車を連ねたかなり長い編成です。幹線の貨物列車らしい重量感で、D52にふさわしい感じですが、こうやってロングショットだとNの大型レイアウトみたいな感じもします。もっともNでもこの景色を作ったら街中の児童公園ぐらいのスペースになってしまいますが。


さてお立ち台の真下のあたりから続けてやってくる下りの優等列車を撮影します。まずはキハ82系の特急「北斗2号」。この続きのカットは<大沼のDD51 -1972年7月18日->に発表してありますが、ここでは一コマ前の別カットを取り上げます。電車や気動車といった「ハコモノ(これは模型用語ですな)」は、蒸気機関車の煙のように走行中に変化するものがありませんから、周りとのバランスや位置関係さえおかしくなければ、続けて撮ったカットはどれも使えることが多いです。電化区間だと架線柱や架線の影という問題がありますが、未電化区間では同じような感じになってしまいます。


続いてやってきたのは五稜郭機関区DD51745号機の牽引する急行「ニセコ3号」。一年前だったらC62が牽引していたわけです。この一つ後のカットは<大沼のDD51 -1972年7月18日->で発表してあります。そちらのカットは普通車が連なっているところしか見えていませんが、こちらはウマくカーブのところでスロ62が見えているので、急行らしい感じがします。ニセコというと皆さん重連の山線と短絡してしまうのですが、ぼくは長万部以南の単機で複線区間を快走する姿のほうに惹かれますね。その方がC62らしい走りっぷりですし。そっちだったら未開拓の撮影地もあるでしょうし、行ってみたかった気はします。





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