中学生日記 -修学旅行の車窓から 1970年5月19・20日-


この「記憶の中の鉄道風景」というシリーズ自体が、こんな写真があったっけ、と思うようなカットを掘り起こすことから始まっています。とはいえ、35年以上前に撮影したカットは、今から増やすことはできません。時とともに、妙なカットは出尽くしてしまい、残るは「撮るべくして撮った」記憶にも鮮明なカットばかりになってきました。近々、企画変更・路線変更も考えなくてはいけない情勢です。そういう意味では、撮影旅行でない機会、それも「趣味人」になりきる前に撮影したカットというのは、最後の掘り出し物の宝庫。中学校の修学旅行のカットも、このシリーズでは、すでに「花巻電鉄鉄道線 花巻温泉駅 -1970年5月19日-」「黄昏の青森駅 -1970年5月20日-」の二度登場していますが、さらに今回三度目の登場です。今回は、主として行きの東北本線の列車の車窓から捉えた構内の風景。カメラはハーフ判のキャノンデミ、中学3年生に成り立てで、極めて稚拙なカットですが、今となっては充分貴重な記録といえるのではないでしょうか。



これは行きなので、5月19日。C50形式は、蒸気機関車の末期では、入換機として各地にわずかに残っている状況でした。東京の近くでは、小山機関区に配置されていました。ということで、当然出会いを狙います。運良く小山駅にて、入れ替え中のカマと遭遇。まずは、C50108号機。これが、C50形式との最初の出会いです。小山のC50形式は、70年の夏には無煙化されてしまいますので、これが再末期の姿ということになります。関東のカマらしく、いっちょまえに、LP405の副灯を付けています。


続いて、同じく小山駅にて、EF15牽引の貨物列車の次位で回送されるC50123号機。下り方向ですが、どこか周辺の駅での入換仕業にでも付くのでしょう。123号機は、現在ではゆかりの小山市の駅東公園で静態保存されています。C50という機関車は、けっこうお好きな方もいらっしゃるようですが、ぼくらからすると、「希少」というよりは「マイナー」な形式という印象が強くなってしまいます。かえって、より古いはずの8620形式のほうが、「活躍していた」記憶が鮮烈です。やはり、これも末期の使われ方のせいでしょうか。


同列車を、先頭から見たカット。EF15なんてのも、どこにでもいたんですが、その分撮ってないですね。まあ、こういう感覚も、世代的な特徴なんでしょう。現役時代のC51を追いかけていた方の話を聞くと、C57やD51が来ても撮らなかった、みたいなエピソードが出てきますし。それにしても、隣の線に並ぶ、車扱貨物の数々、トキの荷台越しにかすかに見えるタキ35000など、まだ、鉄道貨物が日本のライフラインを支えていた時代の幹線の様子には、惹かれるものがありますね。ある種、鉄道趣味の原点みたいなもので。


今度は交流電機の登場、それもED71形式です。ED71の写真なんて、このカットしかないのでは。パンタを降ろして留置状態ですので、黒磯駅でしょうか。重連で引上線に入っている、先頭は17号機。走行中の列車から、停車している車輌を撮影した状態なので、まさに逆流し撮り。それでも、ちゃんと正面のナンバーのところは、ピタッと止まっているというのは、まさにビギナーズラックというヤツでしょうか。まあ、ハーフ判のカメラなので、先頭のナンバーに注目する「顔の動き」に、ウマく連動したということかもしれません。


白河までやってくると、白河機関支区の入換用のC12280号機がお出迎えです。C12形式も、本来の簡易線用という用途だけでなく、いろいろな機関区で入換機として多用されていました。280号機は、この年の4月に、無煙化を受けて甲府機関区から転属になったものの、10月には白河入換自体の無煙化により、厚狭機関区に転属してしまいます。このカマは現在、なぜか四国に縁がないワリには、徳島県小松島市の旧小松島駅ステーションパークに静態保存されています。最近、地元の工務店の寄付により、化粧直しされたというニュースが伝わりました。


続いて、同じくC12280号機のサイド・バックビュー。白河機関支区の、「白」の区名票が誇らしげです。このカマが白河にいたのはわずか半年ですから、けっこう貴重な記録といえるでしょう。それだけでなく、かつては白河機関区として、本線用のカマを抱えた東北筋の要衝だった白河機関支区自体が、無煙化とともに、この年の秋には宇都宮運転所に合併され、消滅してしまいました。そういう意味でも、なかなか意味深いカットかもしれませんね。


最後は、列車の車窓ではありません。八幡平、十和田湖と廻るバスの車窓からのカット。今はなき、松尾鉱業鉄道の現役時代の姿です。こういう世界に「萌える」方も、けっこう多いのではないでしょうか。規模の大きな基幹駅ですので、東八幡平か大更かでしょうか。客車が2輌写っていますが、サイドビューが見える客車は、元スロハ32の改造車のようです。もう1輌は、特徴あるオハ31をシングルルーフ化した客車のようです。それぞれ、スハフ7とオハフ9でしょうか。ということは、東八幡平の可能性が濃厚ですね。古くはないが、新しくもないバスに、昭和40年代の風情を感じてしまいます。これのみ、5月20日の撮影です。


(c)2010 FUJII Yoshihiko


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