「まっすぐな道」を訪ねて カラー版(その4) -1972年7月15日-


1972年の北海道撮影旅行でのカラーポジはは、「あそこ」の立体交差こと植苗-沼ノ端間のオーバークロスのところを撮影した7月14日のカットも、次の日の午前中に苫小牧操車場で撮影したカットも公開しきってしまいました。この時に撮影したモノクロ35oのカットも、すでに全部公開しています。次はどうしようかと思いましたが、物は勢い。7月15日の午後に白老-社台間で撮影したカットも、モノクロはすでに総出しにしていますので、この日撮影したカラーポジも今回からのシリーズで全部公開することとします。国鉄最長直線区間の始まりのところですが、本当にベタな風景なのでカラーとモノクロも単にタイミングがちょっと違うだけという感じになってしまっていますが、これからこのネタで引っ張りますので、しばしお付き合い頂けたらと存じます。



まず最初は、白老駅の社台側で捉えた、鷲別機関区のC58425号機が牽引する車扱の下りローカル貨物列車。鷲別のカマは、ただでさえ汚いカマの多い北海道の中でも随一の汚さで知られていましたが、カラーだとさらにその汚れ具合が目立ちます。こうやってカラーで見ると、はるか後方に1輛連結されたホキ2200が目立ちます。こういう微妙な色味がこの時代の貨物列車の面白さですね。次位に連結された廃車回送中の9600形式、49674号機もかなり錆が浮いて色が違うことがわかります。連結されています。この列車を撮影したカットは、メイン35oカメラの標準のは<「まっすぐな道」を訪ねて(その1) -1972年7月15日->でサブ35oカメラの望遠のは<無意味に望遠 その3 -1972年7月15日->で公開しています。


次のカットは、上り線・下り線の真ん中のスペースから撮影から堂々と三脚を立てて撮影したもの。今では考えられませんが、当時はこれは全然OK。安全範囲とされて汽笛も鳴らされません。やってきた列車は岩見沢第一機関区のD51467号機の牽引する、上り貨物列車。モノクロのカットの方で見るとコキとワムを連ねた編成なので、内地向けの拠点間無停車の貨物列車でしょう。これはカラーでもサブカメラでも撮っていて、全てここで公開しています。メイン35oカメラの標準のカットは<「まっすぐな道」を訪ねて(その1) -1972年7月15日->でサブ35oカメラの望遠のカットは<無意味に望遠 その3 -1972年7月15日->で公開しています。



その次に現われたのは、岩見沢第一機関区のC57135号機が牽引する下り旅客列車。このあたりは、カラーもモノクロも全く同じように撮っています。この頃の135号機は、まだ踏段改造も、テンダ振替も行なわれていないので、少なくとも正面から見る分にはLP405の副灯が取り付けられた東北や関東のC57とそれほど変わりがありません。その一方で夏場の北海道の蒸気機関車の特徴の一つである「さび色のテンダー側面」はカラーだとかなり目立ちます。この列車も全カメラのカットを公開していて、メイン35oカメラの標準のカットは<「まっすぐな道」を訪ねて(その1) -1972年7月15日->でサブ35oカメラの望遠のカットは<無意味に望遠 その3 -1972年7月15日->で公開しています。


今度は回送でしょうか、上り線に単行で機関車がやってきました。「日本最長直線区間」を抜けてカーブに差し掛かっているのは、岩見沢第一機関区のD511037号機。前にも書きましたが、このカーブの先も虎杖浜まで18qの直線区間になっているとても貴重なカーブの上を、カントで身を傾けながら通過してゆきます。このカマはギースルエジェクターを装備していますが、元々は吉松機関区の1038号機と連番であることからわかるように、新製配置以来九州にいたカマです。どことなく九州のカマの面影が感じられるのが面白いです。この列車も全カメラのカットを公開していて、メイン35oカメラの標準のカットは<「まっすぐな道」を訪ねて(その1) -1972年7月15日->でサブ35oカメラの望遠のカットは<無意味に望遠 その3 -1972年7月15日->で公開しています。




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