“hiroto的”四柱推命~古法推命編 第1回


■ はじめに

 “hiroto的”四柱推命入門の第1回に、「“hiroto的”四柱推命には3つの見方というか考え方がある」と書きました。この「古法推命編」では、“hiroto的”第2の方法、すなわち、刑冲害や空亡、納音(のうおん、なっちん)や神殺を使って命式を判断する方法を述べようと思います。
 しかしながら、こういう方法(ここでは古法推命と呼ぶことにします)について解説しているテキストというのは少なくなりました。というのは、空亡や納音、神殺で見る方法などは、明代~近世以降(現在も)の四柱推命家には「迷信」だの「おみくじ」だのと馬鹿にされて切って捨てられてしまったためだろうと思います。

 なお「古法推命」という言い方は徐楽吾の『子平粋言』の「古法論命」の章から採っています。

 これから述べることは主として古書をもとにしており、現在の四柱推命書(少なくとも日本で最近出版される書)にはあまり述べられていないことが多く、さらにいえば異端に近いものです。このような内容は、師についていない私ならではの内容といえるでしょうか。

 しかしながら、実は私も古法推命については、整然とした知識を持っているわけではありませんし、それによる実占経験もまだまだです。(もっとも古法推命自体が整理されていないところもあるわけですが)
 私のできる範囲でいろいろな古書をひもといてきて知識は溜まってきてはいますが、私の中でまだもやもやしていている状態です。ですから、これから書くつもりの“hiroto的”古法推命編はすでにできあがったものではありません。もやもやしたものを書きながら整理していくつもりであります。どういう構成になるのか、今のところは全く予想がつきません。どこまで書いたら終わるのかも見えません(苦笑)。多分に初稿は内容にまとまりを欠くものになるだろうと思います。みなさんの期待しているものになるかどうかも未知数です。
 さらに、残念ながら私自身の研究も他人を占えるほど進んでいないので、これが当たる推命の方法だという確たる自信もありません。ちょっと申し訳なく思っています。

 ですから、「まあこういう四柱推命というのもあるのだなあ」というぐらいの感じでお読みいただければと思います。
 念のために言っておきますと、この章もある程度四柱推命について知識を有している方を対象に述べています。基本的な知識については、一般の書店に売られている四柱推命書を参照してください。

 四柱推命を深く研究してみたいという方は、“hiroto的”四柱推命第1の方法(用神喜忌で判断する方法、以降第1の方法と言う)を突っ込んでいった方がいいと思います。そのうち、“hiroto的”第1の方法の中級編を書いてみたいとは思いますが、まだ先のことになるでしょう。それを待つより、先に第1の方法に関する中級者向けのテキストは占術専門の書店に行けば数多くありますし、術者も老師もたくさんいますので、そちらで学ぶことをおすすめします。

 ちょっと言い訳がましいまえがきになってしまいました。

■ 古法推命を論ずる前にまずは考え方

 この章では、私の考える「古法推命」についてお話しましょう。

 その前に、参考書についてですが、この方法について体系的に書かれた参考書はないといっても過言ではありません。しいてあげれば、最近出版された『盲派命理珍宝』が比較的まとまった本といえるでしょうか。ただし、この書を読めば古法推命はバッチリというわけではなく、まだまだ入口の段階という感じです。私がこれから述べる古法推命については、この書に依るところも大きいですが、それをなぞるつもりはありません。

 そもそも、古法推命について書いてみようと思ったのは“hiroto的”第1の方法を書き始めた時で、『蘭台妙選』や『玉照真応真経』、『李虚中命書』など一度見直してみたいと思ったからです。
 参考書については、話題を取り上げる都度、掲げていくことにします。たぶんいろいろな書(中国の古典よりも日本の古い書の方が多くなるかも)から引っ張り出すことになると思うので。

 さて、“hiroto的”四柱推命入門(第1の方法)で述べた方法とは、日干を主として他の柱や行運との干支関係や季節などをみて、干支の力量の強弱のバランスから喜忌や吉凶を判断する方法でした。格局という言葉はあまり使いませんでしたが、見方としては、干支五行の強弱→格局用神→喜忌→象意 という順であり、現在最も主流である(少なくとも日本では)見方の解説であるといえるかと思っています。もちろん“hiroto的”を標榜しているというのは私の見方が主流だとか本流だとかというわけではなく、第1の方法が、まあ相対的、比較的主流に近いという意味ですが…。

 ところが、これから取り上げようとする見方は、もちろん日干支中心で考えるのですが、いろいろな命式の特徴を抽出して判断するという方法です。日干支の強弱などは関係ありません、と言うとちょっと言い過ぎですが、それによってそのあとの推命のプロセスが左右されるというわけではありません。(何度も言いますが、第1の方法では日干の強弱がわからないと先へ進めません)

 古法推命の見方をちょっと気取った言葉でいえば、「ヒューリスティック」な判断方法といえるかもしれません。「ヒューリスティック」という言葉はその昔、私が人工知能の勉強をしていた頃(1980年代後半))によく聞いた言葉ですが、最近ではウィルスソフトの検知方法で聞かれるようになりました。そのへんは他のサイトを見てください。
 「ヒューリスティック」という言葉を使ったのは、『社会的認知ハンドブック』(北大路書房)によると、「ヒューリスティックス Heuristic :問題解決,判断,意思決定をおこなう際に,規範的でシステマティックな計算手順(アルゴリズム)によらず,近似的な答えを得るための解決法である。」(ネットからの引用)という定義にほぼ当てはまるからであります。第1の方法のように、命式を順序よく分析していくのではなく、命式の特徴を抽出し並べてみて、それこそ近似的な判断を下していく方法であるからです。
 ここで、命式の特徴と一口に言っても、いろいろな特徴が抽出され、結構行き当たりばったりというか泥縄というか、そういうものを使って判断することになります。それゆえ欠点があります。アドホック(行き当たりばったり)な特徴の積み重ねなので、漠然としてしかとらえられず、それを明快に判断するのは術者の力量に負うところがきわめて大きいというのが欠点でしょう。

 私見ですが、現在の主流の四柱推命の見方は、科挙制度の下、科挙に合格する命はどんな命か、というテーマで発展し分析的に見るようになった結果、日干を中心として財官印で見る方法に行き着いたのだろうと思います。
 しかし科挙とは縁のない人にとって、そういう人が大部分であったろうと思いますが、地位とか身分とかが変わることもほとんどなく、健康で長生きできるとか、どういう性格かとか、いつ病気になるかとか、いつ親が亡くなるかとか、家を継ぐのか離れるのかとか、その程度がわかればよかったわけでしょう。
 ひるがえって、現代はといえば、社会が多様化していますから、官職に就くことだけが人生の成功ではないわけで、逆に科挙制度によって発展した四柱推命の見方はむしろ古いといえるのではないでしょうか。(ただし現代の四柱推命はまた変わってきていますが)
 運命というのは(大筋はともかく細部は)自分で決めていくものであり、自分の傾向がある程度判断できれば(近似的な解がわかれば)あとは自分で切り開くのみであり、それで十分だとは考えられないでしょうか。細密な占術はかえってじゃまなだけではないかと。
 もっともこういう考えというか思想は私の"hiroto的"宿命観とはやや矛盾しますが。

 少し筆がすべりました。

 さて、“hiroto的”古法推命について。
 古法推命はアドホックな特徴の積み重ねだと述べました。これはどういうことか?
 例えば空亡を使った見方があります。しかし、そもそも命式中に空亡がなければ、判断のしようがありません。(行運には必ず出てきますが)その場合、空亡を使った見方はできないということです。したがって、空亡はあきらめて次の特徴を探すことになります。このあたりは全く行き当たりばったりです。
 一方、第1の方法では干支(とくに日干)の強弱を見て判断しますが、干支がないということはないので必ず強弱が出ます。つまり段階的に進められるわけで、この点が演繹的といえます。手順に迷いはありません。しかしながら判断には迷いがあります。例えば日干が強いといっても、内格の程度の強さなのか、従格的な強さなのかを判断するのは、結構迷うことが多いものです。これによって喜忌が逆になるのですから、その判断は慎重にしなければなりません。しかしいったん決まれば喜忌は一意的に決定され、吉凶を決めることができます。

 ところが、古法推命はいろいろな手法でいろいろな特徴を出すことになります。その特徴の出し方は比較的簡単です。例えば、日支と時支の冲はみればわかりますし、桃花(神殺)が命式中にあるかどうかもすぐにわかります。この点は古法推命のお手軽なところであり、特徴の抽出は簡単です。
 けれども、日支と時支の冲は晩婚や離婚、再婚の特徴だからといって、必ずしも全員がそうなるとは限りません。また桃花が命式中にあるのは多情淫乱と言われますが、これも全員がそうなるわけではありません。特徴を一つだけ取り出して判断するのは危険ですし、当たる可能性も低いです。しかし、日支の冲と桃花の2つの特徴を持ち合わせれば、晩婚、離婚、再婚の可能性は高まります。
 これをもう少し抽象的な言い方をすると、命式にXという特徴があり、Xの特徴を持つ命式の人がAという運命を持つ確率をxa、また命式にYという特徴があり、Yの特徴を持つ命式の人がAという運命を持つ確率をyaとしますと、XとYの両方の特徴を持つ人がAという運命になる確率は、XとYが独立の場合には、[1-(1-xa)*(1-ya)] ということになります。例えば、xaが30%、yaも30%とすると、XとYの両方を持つ命式の人がAという運命になる確率は51%であり、5割を超えます。それぞれの確率は30%でも、それが重なることによって当たる確率がぐっと高くなるわけです。
 先の例を当てはめると、日支と時支の冲は割と離婚、再婚の人が多く、4割ぐらいは当てはまりそうな気がします。また桃花を持つと浮気をして離婚、再婚をする人も3割ぐらいいる感じがします。日支と時支の冲を持ち、かつ桃花を持つ人が離婚、再婚する確率は58%となり、約6割となります。これは結構な確率です。
 しかし、これを単独でみて、例えば桃花をもつ人を離婚、再婚の相と断ずるのは、7割は外れるわけですから、これは当たるとはいえないでしょう。しかしながら、古書を読むと、「咸池桃花は多情淫乱」といかにも100%(割り引いて80%でもいいが)の人がそうであるかのように書いてありますから、それをうのみにしている人が結構多いのです。で、それで占って、結局当たらないので古法はだめだと断じているのですが、それはちょっと短絡的でしょう。
 そうではなくて、古書に書かれている命式の特徴とその結果の運命との関係はダイレクトにつながるものではなく、あるいは傾向があるというほどの強い相関でもなく、どうやら偶然的中率よりは確率は高そうだ、ということだと理解することがカギだという気がします。で、それは演繹的ではなく、帰納的もしくはある種の直感で得られた結論だと思います。

 以上ちょっと難しい説明となりました。古法推命の見方は、全く独立の多くの要素を総合的に判断するわけで、解は絶対的なものではなく、蓋然性が高まるというか近似的な解ということになります。そして、どの特徴を重視するかというのが術者の腕の見せ所です。そういう意味では、第1の方法よりも難しいと言えるでしょう。

 実は、この点に気づいたのは、増永篤彦師の『新推命学』を読み返して、ある文に引っかかったおかげです。その文とは、「基運の十二類型」の章の中の「長生」の「家庭運」の項の中にある文です。その文とは、「(長生は)統計上他の基運(日柱の十二運のこと)に比較して父に早く死別している者が多い」というものです。これを読んだときに、みなさんは日柱に長生をもつときにどのくらいの人が、父と若くして死別していると考えるでしょうか。「多い」といっているので半数以上と思ったりしないでしょうか?
 この項の続きを読むと「(長生は)統計上、三割位迄、若くして父に生死別している類型である。」とあります。つまり答えは約3割です。これは確かに「統計上」「比較的」多いのかもしれませんが、逆にいえば7割は若くして父と生死別していないのですから、日柱の十二運が長生であることをもとに、「父と若くして生死別している」と判断することは非常に乱暴で、それでは全く当たらないということになります。余も推して知るべし、と言えるでしょう。
 私は、古法推命が誤解されている原因の一つがこのことにあるのではないかと思っています。

 ところで、みなさんは推命の判断に何を期待するでしょうか?試験に合格するかとか、高い地位につくかとか、には(一部の人を除き)ほとんど期待しないのではないでしょうか?おそらく、自分や他人の性格、恋愛結婚、健康疾病、寿命、家族、財産ぐらいではないかと思います。そして、それがいつ起こるのか、ということを知りたいと思うのではないでしょうか。
 そういう要望にこたえるべく、もって生まれた命と行運について追究していくことにします。

■ 命式の立て方と考え方

 命式の立て方の初歩はここでは述べません。いくつかの注意点のみ。
 (1)1日の始まりは子刻として、夜子時は採用しません。
    古法ですから古書にない夜子時は考えません。
 (2)立春を1年の始まりとします。冬至換年柱説は採用しません。
    (1)と同様の理由です。
 (3)蔵干はあまり使いませんが、いわゆる古い蔵干法を採用します。
 (4)命式の他に、胎元、命宮、身宮を使うことがあります。
 あとは、普通の四柱推命で使う命式と同じです。

 古法推命においては、命式の位置が重要です。ただし、時と場合に応じていろいろな意味を使い分ける必要があります。それぞれの意味を列挙してみましょう。
  年柱:父母、祖先、家系、社会、幼年期
  月柱:兄弟、家庭(父母)、青年~中年期
  日柱:自己、配偶(内縁関係を含む)、中年期
  時柱:子女、家庭(子女)、老年期
 行運をそれぞれの柱で見る方法は、第1の方法ではとりませんが、古法では割とみます。これを大限といいます。大限に年齢を当てはめる人もいますが、平均寿命が昔とは変わっていますし、社会的な年齢(例えば社会に入る年齢とか隠退する年齢とか)も変わっていますので、古書の年齢をそのままあてはめるのは無理があると思います。おおざっぱに考えればいいでしょう。

■ 胎元、命宮、身宮の取り方

 胎元は月柱から求めます。月柱の9か月前の月干支を胎元とします。9か月というのが計算しにくいということであれば、別法をいいますと、月干は次の干、月支は3つ先の支の組み合わせが胎元となります。
 例えば辛巳月生まれの場合、新暦ではおおむね5月で、その9か月前だと8月となります。1年前の8月は壬申月です。また別法では、辛の1つ先は壬、巳の3つ先、巳午未申で申となりますから、壬申が胎元ということになります。
 これは受胎から誕生までの期間が平均38週、266日程度であり、これを30.4日で割ると8.75か月、すなわち約9か月前に受胎したと考えられるからで、その月を胎元と称したのであります。ただし、これも平均であって、当然のことながら1か月前後の違いはありますので、受胎月=胎元となっているわけではありません。仮に受胎月が推命に必要な情報だとすれば、胎元が有効でない人もいるわけです。多くの人は自分がいつ受胎したかなど知らないでしょうから、胎元を絶対視するのは危険です。しかし、古法推命は近似解を求めればいいので、胎元もまた一つの参考情報として見るということは全く的外れというわけでもなく、手がかりが一つ増えたということになるでしょう。

 次に命宮と身宮ですが、これは七政占星術で使う出し方と、紫微斗数で使う出し方があります。七政占星術の方法については“七政占星術の基礎その1”を参照してもらうとして、ここでは紫微斗数での出し方を述べましょう。

 紫微斗数は旧暦を用いた占術です。旧暦月と占時から命宮、身宮を求めます。なお、この方法は『紫微斗数星占術入門』(西村天然著)を参考にしました。この取り方が一番オーソドックスだと思います。
 命宮の出し方ですが、まず占時から卯まで順に数えます。次に旧暦月数にその数を加えます。12を超えたら12を引きましょう。その方が簡単です。その数を寅から順に数えますと命宮支になります。寅から順に数える理由は旧暦正月が寅月であるためです。
 命宮支が求められたら干をつけます。干のつけ方は、その年の命宮支の月の干をつけます。
 例えば、旧暦8月巳時の場合、巳から子まで順に数えると、巳午未申酉戌亥子で7番目ということになります。これを旧暦月である8に加えると15となります。簡単のため12を引いて3。寅から順に3つ数えると辰になります。遁干はその年の辰月の干をつければいいです。例えば丁年だとすれば、甲辰ということになります。
   この命宮の考え方は、七政の方法と大きく異なります。旧暦月なので二十四節気の区切りと異なる理由が一つですが、もっと大きな理由は月将という考え方、すなわち太陽の運行の概念がないことです。したがって紫微斗数の命宮の取り方は、四柱推命では一般的ではありません。まあ参考まで。

 次に身宮ですが、命宮が占時から子まで順に数えたのに対し、逆に数えます。あるいは順に数えた数字を12から引けば求められます。その数に旧暦月を加えて寅から順に数えると身宮が求められます。遁干は命宮と同様です。
 上の例題であれば、巳から子へ逆に数えると、巳辰卯寅丑子で5番目です。5に8を加えて13、12を引いて1。1ですから寅ということになります。さらに丁年だとすると壬寅が身宮となります。
 一般の四柱推命においては身宮はとりませんので、四柱推命のテキストには身宮の出し方は載っていないはずです。ただ、『盲派命理珍宝』には身宮の取り方が載っています。数え方は同様ですが、基準が卯となっているため、一つずれています。例の場合は身宮は癸卯です。

 ここではどれが正しいということはいえません。が、“hiroto的”古法推命では、胎元は説明のとおり、命宮は七政と同様の方法、身宮は紫微斗数と同様の方法を採用することとします。これはあくまで暫定的なものですので、ひょっとすると原稿を書いているうちに変えるかもしれません。念のため申し添えます。

■ 十二運のとり方

 十二運については、「十二運論集」でいろいろな十二運の考え方を取り上げています。私は私なりの考え方を持っていますが、“hiroto的”古法推命では、古法に準じて次の十二運を採用しています。
  (1)十干の十二運は陽生陰死、陽順陰逆、土行は火行と同じとします。
     すなわち『淵海子平』と同じ取り方。
  (2)五行の十二運は納音十二運とし、土行は水行と同じとします。
     すなわち『果老星宗』と同じ取り方。
 表はとくに挙げませんので、「十二運論集」を見てください。
 この取り方を採用した根拠はとくにありません。単純に古書と同じにしたということです。
 “hiroto”的古法推命においては、第1の方法とは違って、十二運を重視した見方をします。

■ 納音五行

 第2の方法の始めは納音です。
 干や支自体の五行についてはすでにいろいろ述べてきましたが、その組み合わせ自体の五行には四柱推命事典を除き、述べてきませんでした。もっとも、これは私だけでなく、今やほとんどの四柱推命書では触れられていません。わずかに本人の裏の性格ということでたまに納音五行がとりあげられているぐらいです。
 まずはその納音について説明します。ウェブなどにも納音五行の解説はありますが、どうやって出したかについては、「中国の音韻理論云々」としか説明がないようです。せっかくなので、出し方を説明しようと思いますが、実は説がいろいろあります。しかしどの説明もいまいちよくわからないところがあります。ここでは、いろいろな書をとりあげながら、納音について説明しましょう。

 漢書には、「音楽をつくったのは、楽器の音色を協和させて人の邪心を払い、天から受けた正しい性質を全きものとし、風俗をあらためるためである」(『中国の科学』より引用)とあります。音階および楽器の音が調和することで音楽が成立するわけですが、この音階の基本は五声(音)であり、宮(レ)商(ミ)角(ソ)徴(ラ)羽(シ)の五音階です。ちなみにこれはト長調のドレミソラです。
 宮が基本の音であり、その他の四声は宮から生じるものとされます。すなわち宮は中央であり、五行では土にあたります。その他も五行を割り振られていて、商は金、角は木、徴は火、羽は水となっています。
 それぞれの音は黄鐘の長さを加減して音階を決めていますので、音階はすなわち数に還元し、音の調和は数の調和として、あとは実際の音ではなく数で処理することになります。初めから数でやればいいものをと思いますが、数は抽象的な概念であり、数が調和するかどうかというのは、具体的なイメージがつかめません。一方音の調和は耳で聴いて判断することができますから(快不快は別として)具体的です。
 古代の中国の考え方として、暦や度量衡、音階はすべて統一的な考えで作られるものということになっていましたから、具体的には音階を基本としてそれから導かれる数字、さらにその数字をもとに度量衡などを決めていくとふうに説明されます。納音五行とは、干支の組み合わせを五行に当てはめたものですが、そのベースとなる考え方は音階であるということで、「音を納める」というふうに呼ばれます。しかし実態的には数字です。

 納音五行の出し方についてはすでに「四柱推命辞典」で説明しています。そこで説明している方法は簡便法であり古人の説と異なりますが、古人の説も根拠がはっきりしないので、ここではあえて説明しません。興味のある方は『河洛精薀』(江慎修編著)を読んでください。そこにはいろいろな説が載ってます。

 ここで、納音五行の表を掲げます。

干支納音五行.干支納音五行.干支納音五行
甲子、乙丑海中.甲寅、乙卯大渓.甲辰、乙巳覆灯
甲午、乙未沙中.甲申、乙酉井泉.甲戌、乙亥山頭
丙子、丁丑澗下.丙寅、丁卯炉中.丙辰、丁巳沙中
丙午、丁未天河.丙申、丁酉山下.丙戌、丁亥屋上
戊子、己丑霹靂.戊寅、己卯城頭.戊辰、己巳大林
戊午、己未天上.戊申、己酉大駅.戊戌、己亥平地
庚子、辛丑壁上.庚寅、辛卯松柏.庚辰、辛巳白蝋
庚午、辛未路傍.庚申、辛酉石榴.庚戌、辛亥釵釧
壬子、癸丑桑柘.壬寅、癸卯金箔.壬辰、癸巳長流
壬午、癸未楊柳.壬申、癸酉剣鋒.壬戌、癸亥大海

 納音五行の出し方についてはすでに「四柱推命辞典」で説明していますが、ここでは、最近私の開発した(?)別な簡便法をあげましょう。
 次の表がその簡便法を表にしたものです。

干\支子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥
甲乙
丙丁
戊己
庚辛
壬癸

 みてわかるとおり、五行は金水火土木の順に並んでいます。また子丑、寅卯、辰巳と午未、申酉、戌亥の五行はそれぞれ同じです。よってこれを覚えればいいわけです。

 かつて私が五行相生の順を覚えるときに使ったのが「きひつかみ」です。これは木火土金水の訓読みの頭を並べたものです。「きひつかみ」では覚えにくいので「吉備津神」と覚えていました。(岡山の吉備津神神社にはそういうご縁で(?)参拝しました)
 これと同様にならべると、金水火土木は「かみひつき」となります。これにどういう字を当てはめてもいいでしょう。例えば「神霊憑き」(霊は“ひ”と読みます)でもいいでしょうし「神棺」でもいいかもしれません。これは覚え方ですので、「吉備津神」同様意味はありません。(ひょっとすると言霊的な意味合いはあるのかもしれませんが)

 閑話休題。とにかく納音五行が出たところで、この納音をどう使うかということになりますが、現代の四柱推命書をひもといても、納音を使った推命のやり方を書いている本はほとんどありません。それだけ四柱推命においては異端の説になっているというわけです。よって、古書によるところが大きくなります。
 納音を使う推命はほとんど大きく二つの見方があると思います。一つは納音五行を用いる見方であり、もう一つは干支の納音の意味、性質を用いる見方です。これらについては、後で具体的に述べていくことにします。

■ 納音十二運

 十二運と納音を説明したので、ここで納音十二運をあげましょう。
 納音十二運とは、納音五行から十二運を求める方法です。例えば、甲子の納音五行は金で金の十二運で子は死にあたります。日干から求める十二運と区別するために、納音十二運には、自らの五行を元に十二運をつけたという意味で、頭に「自」を付ける場合があります。すなわち、甲子は「自死」といいます。
 この原理は簡単ですが、一般の十二運と違うのは、土行と水行が同じだということです。火行ではありません。
 これを表にします。なお、十二運に「自」を付ける場合は、沐浴は敗、建禄は臨官を使い、それぞれ自敗、自臨と呼びます。建禄なら自禄でもよさそうですがあまり聞きません。

納音五行自胎自養自生自敗自冠自臨自旺自衰自病自死自墓自絶
辛酉戊戌己亥壬子癸丑庚寅辛卯戊辰己巳壬午癸未庚申
戊子己丑丙寅丁卯甲辰乙巳戊午己未丙申丁酉甲戌乙亥
庚午辛未戊申己酉丙戌丁亥庚子辛丑戊寅己卯丙辰丁巳
癸卯庚辰辛巳甲午乙未壬申癸酉庚戌辛亥甲子乙丑壬寅
丙午丁未甲申乙酉壬戌癸亥丙子丁丑甲寅乙卯壬辰癸巳

■ 空亡

 現代の四柱推命では空亡(天中殺)は重視しませんが、古法推命では空亡を非常に重視します。ここでは空亡表はあげませんが、おそらく四柱推命の入門書ならほとんどの本に載っていると思います。

 空亡は原則として日柱から求めます。例えば、乙酉日の空亡は午未といった具合です。その他互換空亡など、日柱以外から空亡を求める場合もあります。

 『淵海子平』にはその他に截路空亡と四大空亡というのが載っています。
 截路空亡とは、甲己で申酉空亡、乙庚で午未空亡、丙辛で辰巳空亡、丁壬で寅卯空亡、戊癸で子丑空亡です。これは日柱から時柱を見るとあります。すなわち、甲戌日か己卯日の壬申時か癸酉時、乙酉日か庚寅日の壬午時か癸未時、丙申日か辛丑日の壬辰時か癸巳日、丁未日か壬子日の壬寅時か癸卯時、戊午日か癸亥日の壬子時か癸丑時となります。いずれも時干が壬か癸になります。截路というのは道が途切れるという意味で、これは道路が河や海で先へ進めないことから名づけられているようです。

 なお、截路を「さいろ」という人がいますが、正しくは「せつろ」(ピンインではjie-lu)です。截は切るという意味ですが、裁つという字と混同しているためだと思います。詳しくは国語辞典を参照してください。

 四大空亡というのは甲子旬(戌亥空亡)と甲午旬(辰巳空亡)、甲寅旬(子丑空亡)と甲申旬(午未空亡)を指します。これはどういうことかというと、納音五行をとった場合、甲子旬と甲午旬は同じ五行となりますが、この中には水がありません。また甲寅旬と甲申旬も同じ五行ですが、この中には金がありません。甲辰旬と甲戌旬には五行がそろっています。つまり六旬中四旬は五行が欠けているということで、四大空亡というわけです。
 この他に互換空亡という考え方があります。これは日柱が空亡となっている他柱や行運干支の空亡支が日支である場合です。これについては、応用のところで説明します。

■ 干支関係

 干支関係は、生剋の他、特殊な関係をみます。これについては、“hiroto的”第1の方法でも説明しましたが、あらためて挙げておきます。

  干合(化五行):甲己(土)、乙庚(金)、丙辛(水)、丁壬(木)、戊癸(火)
  支刑:三刑-寅申巳、丑未戌  互刑-子卯  自刑-辰辰、午午、酉酉、亥亥
  支冲:子午、丑未、寅申、卯酉、辰戌、巳亥
  支合:子丑、寅亥、卯戌、辰酉、巳申、午未
  支害または支穿:子未、丑午、寅巳、卯辰、申亥、酉戌
  三合(局):申子辰(水)、亥卯未(木)、寅午戌(火)、巳酉丑(金)
  方合(方):亥子丑(水)、寅卯辰(木)、巳午未(火)、申酉戌(金)
  破:子酉、寅亥、辰丑、午卯、申巳、戌未

 このうち破については、ほとんど使いませんし、古書を見てもあまり載せているものがありません。よって方合まで押さえておけば十分でしょう。なお、この干支関係はパッと見てわかるまで習熟しなければなりません。始めのうちはしょうがないでしょうが、表を見て探すようではまだまだだと思ってください。

 このほかに最近読んだ『盲派命理珍宝』に絶という支関係が挙げられています。これについては、一般の四柱推命書には載っていません。古書をひもとくとどこかにあるのかもしれませんが、探し切れていません。
 この本によると、「絶というのは異性の相剋ということで、思わぬ災害や病厄を意味する」とあります。またその作用は刑冲害を超えるとまで言っています。その絶関係は、子巳、亥午、酉寅、申卯 の4つが最も作用が大きいといっています。子巳、亥午は陰陽の違う水剋火、酉寅、申卯は陰陽の違う金剋木です。その他にも、火剋金(巳酉、午申)などが考えられますが、この本では、子巳、亥午、酉寅、申卯の4つの例しかありませんでした。
 この四つの組み合わせをみて次のことに気づいた人はえらいです。子巳とは辛庚の長生で、亥午は甲乙の長生、酉寅は丁丙の長生、申卯は壬癸の長生です。言い換えれば、子巳は金の長生と死、亥午は木の生死、酉寅は火の生死、申卯は水の生死です。土行は火に同じですから、この長生と死の組み合わせはこの4つしかありません。すなわち、ここでいう絶関係は同一五行の長生と死の組み合わせと言っていいでしょう。
 なお、一般的にいう支絶とは十二運の絶のことを指しますので、混同しないように注意してください。

■ 神殺

 古法推命においては神殺が最も重要です。神殺は吉凶両方ありますが、一般的には神が吉で殺が凶です。吉神、凶殺という言い方をします。
 神殺の出し方は大きく分けて3つあります。
  (1)命式中の干支から命式中の干支を見て付ける神殺
  (2)命式中の干支から行運中の干支を見て付ける神殺
  (3)流年、流月中の干支から命式中の干支を見て付ける神殺
 また、神殺の淵源にはいろいろあり、それによる分類もできるでしょうが、看命とはあまり関係ないのでそういう話は省略します。
 神殺の各論については、後ほど述べます。

■ 第1回のおわりに

 さて、ここまで説明してきて、「古法推命とはいっているが果たして何が違うのか?」という質問が聞こえてきそうです。“hiroto的”古法推命といっても、使う知識そのものは現在流布している四柱推命となんら変わりません。せいぜい納音とか空亡とかが付け加わる程度でしょうか。
 しかし、第2回以降にする話は、最近の四柱推命本とは全く違う予定です。まず、日干や五行の強弱を測るなどという操作、干と通根支の数を数えて、月令に旺じているかどうかをみて、さらに地支や干関係をみて、日干の相対的な強さを測る、などということはありません。単に特徴を列挙したり神殺を出したりして、こういう場合は日干が強い確率が高いと判断するだけです。もちろん季節的な強さみたいなものは見ますが、それは十二運とかで判断するので、通根支を数えるなどというようは操作はありません。
 また、格局用神喜忌などを出すこともありません。こういう特徴のある命は、こういう性格だとか、こういう結婚をするとか、吉凶よりも象意重視となります。(ただし『淵海子平』や『星平会海』にあるような特殊格局みたいなものは使うことがあります)

 実は、こういう見方は古い日本の四柱推命書でよくあった見方なのですが、今や書店にある四柱推命書のほとんどは格局用神喜忌を中心とする見方をしており、昔ながらの見方は、迷信だとかおみくじ的だとか言われて、少なくとも表舞台からは姿を消しつつあります。これは日本だけでなく、中国香港台湾も同じようなものです。本家本元がそういうことなのですから、しかたがないことかもしれません。

 ただ最近『八字不用神』とか『盲派命理』とか、いわゆる主流派(格局用神喜忌的見方)に対抗する(ちと大げさかも)ような書が出版されるようになってきました。とくに『八字不用神』などは、「用神的泥沼」と言って今の四柱推命の見方を批判しています。(なお、著者(潘文欽師)の名誉のために付言すると、彼は有名な占術家であり、むろん格局用神的な見方もできる師であります。)

 私はというと、とくに今の主流の見方に対して批判的ではありません。それが証拠に、「“hiroto的”四柱推命入門」は、古法推命に比べれば、まあ比較的”いわゆる正統派”に近いですから。
 しかしながら、古い見方もそれなりに伝承されてきたわけで、そのあたりを再度掘り起こしてみようという考えから、この章を立ち上げることにしたわけです。

 ということで、第2回から具体的な推命のしかたに入っていきます。


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   作成  2013年 5月 3日
   改訂  2021年 8月29日  HTML5への対応、一部追記


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