“hiroto的”四柱推命入門 第6回


■ はじめに

 第5回までで、干支の相互関係、目指すべき命式および喜忌について述べてきました。いままで述べてきたことが、“hiroto的”四柱推命第一の方法の基礎であり、これによって命式、行運の吉凶というのは判断できるはずです。

 ところが、四柱推命は五行易のようにある単一の事象を占うわけではなく、あくまで命占ですから、吉凶がわかっているだけではあまり実用的とはいえません。吉なら吉でどういう吉なのか、凶なら凶でどういう凶なのかがわからなければ、命占としては十分とはいえないでしょう。(役に立たないというわけではありません)

 したがって、四柱推命では(四柱推命にかぎらないが)「象意」について推す必要があります。「象意」とは中国語会話では普通“気に入る”という意味ですが、占術用語では表に出た形の真の意味ということです。四柱推命では、命式に表れた干支の相互関係の意味するところ、もう少しかみくだいて言えば、命式や行運が示すことが、現実の人生においてどういうふうに表れるかを読み解く、ということです。

 第6回では、象意をひもとくプロセスについて解説していきたいと思いますが、その前に参考書をあげておきましょう。象意について、日本の四柱推命書でよく書かれていると思うのは、『四柱推命学入門』(小山内彰著)です。この中の「具体的事象の推し方」には、象意の考え方の基本をきちんと述べていると思います。ぜひご一読ください。

 ところで、日本の四柱推命は、象意のみあって吉凶成敗がない、と言われてきました。ということは、逆に象意については、日本の四柱推命は結構進んでいるということがいえるかもしれません。実際、20年以上前には四柱推命の新書版が多く出版されましたが、ほとんど四柱推命象意事典といってもいいくらいのものです。
 “hiroto的”は有用なものはどんどん取り入れるのが身上ですので、この回においては主として日本の本を、しかもお手軽な新書(といってももはや絶版のものが多い)を使っています。例えば『四柱推命学』(千種堅著)とか『健康推命入門』(槙玉淑著)とか。
 「日本の四柱推命はおみくじ推命だ」などとバカにする術者が今でもいますが、私はそういうことは気にせず、利用できるものは何でも利用しようと思っています。また、それこそ独学の強みでしょう。

- このページの目次 -

■ 象意を得るための考え方

干支の相互関係と象意の基本的考え方

 四柱推命は個人の命をみる占術ですから、基本的にその人本人がどういう特質を持っていて、それが周囲の環境にどう影響を受けるか、ということを主要なテーマとします。
 もちろん、配偶者や両親や兄弟がどうだとか、自分以外のこともわからないわけではありませんが、それは両親や兄弟が本人にどういう影響を与えるかというところから推測するわけで、四柱推命における象意は、自分である日干および日干との相互関係の表す意味が基本です。とはいっても、年柱だけで先祖や家のことを見る方法だってありますが、原則は日干および日干との相互関係がメインです。

 まずは日干自体の象意について考えてみましょう。日干は1文字だけであり、10種類しかありません。では日干の表すものはいったい何でしょうか。
 “hiroto的”では、日干は、「本人の生まれつきもった特質のうちの中核的な部分」というふうに考えます。性格ではありません。巷にはよく日干で性格分類をしている本がありますが、これだけで判断するのは少しおおざっぱすぎるように思います。性格というのは、周囲(家庭、学校など)の環境によって大きく左右されるものですから、日干単独ではなく、他の干支との関係の方がより影響が大きいと考えられるからです。
 もっとも、「中核的な部分」と言った手前、日干自体に意味がないといっているわけではありません。その点についてはまた後述します。

 ところで、性格占いでよく使われるのは月令の変通星です。これについては、「命式雑論」を参照してください。ただ、ここで言いたいのは、月令が性格を示すということではなく、干関係の象意を読み解く場合に変通星が有効であるということです。すなわち、変通星の意味するところを読み解けば、どういう事象が表れるかということが推測できるということであります。同じことが十二運にもいえます。
 しかし、変通星にしろ十二運にしろ、その中でどれが主たるもので、それが良いのか悪いのかを判断しなければ、単に象意だけ並べられても困ってしまうでしょう。昔の新書版の四柱推命本は象意事典としては役に立つのですが、単なる羅列に終わってしまっています。

 それで、“hiroto的”では(正確にいえば第一の方法)、第5回までを干支の相互関係の説明にさいてきたわけです。相互関係がわかってはじめて象意の活用もできると思っているからです。
 変通星や十二運の象意をとるためには、
   (1)命式中でキーポイントとなる干支(用神)
   (2)日干に最も影響を与える干支
   (3)(1)や(2)の干支に影響を与える干支
を知り、それぞれどういう作用があり、どのくらいの影響力があるかを見る必要があります。

 象意について、意外と重要なのが俗にいう神殺です。この神殺の中でとくに重要と思っているのが生旺墓にまつわる神殺です。神殺名でいえば、駅馬、桃花、陽刃、華蓋などです。これは十二運と密接な関係があるわけですが、こういう神殺の象意は案外ずばりとあてはまることがあります。(現在神殺推命を見直しているところです)
 「はじめに」でも述べましたが、巷の入門書、とくに昔の新書版の四柱推命本は、象意事典としては非常に有用であります。ですから、私はそういう本を象意をみるときには結構使っています。具体的な象意はそういう本が非常に参考になります。

 以下、各論に入りますが、ここでは具体的なことではなく、象意を導き出す考え方を述べています。

日干自体の考え方

 前項で、日干については「本人の生まれつきもった特質のうちの中核的な部分」と述べました。これには、命式の判断については日干を中心としてみるという意味もありますし、周囲の環境がどうなろうと変わらないものという意味もあります。前者はわかりやすいと思いますが、後者はどういうことかといえば、端的にいえば日干以外の干支は合や冲などで取り去られたり作用が変化したりすることがありますが、日干にはそういうことはありません。
 例えば、性格は日干と日支月干支との関係で見ることが多いですが、もし日支や月干支が合や冲で失われると、日干の中核的な部分が表に出てくることになります。すなわち、日干のみで性格をみるのは少々乱暴ですが、日干は失われることはないので、時期(行運)次第でそれが表に出てくる可能性があります。(ただし日干が干合によって化する場合はその性質が失われるとする術者もいます)

 日干単独での象意は、他人との関係性の薄い部分では重要となってきます。それは生命力や体質ということです。体質については、必ずしも日干だけというわけではないのですが、それでも日干が大きく影響します。また、生命力という言葉はあまり適当ではないかもしれませんが、まあ潜在的にもっているエネルギーの強さというか、そういうことです。概して陽干(甲丙戊庚壬)は強く、陰干(乙丁己辛癸)は弱いといえます。もちろん命式全体としては、季節や通根などを考えなければいけませんが、おおざっぱにはそのようにいえます。さらに言えば、陽干は通根の方が強くなりやすく、陰干は他干の助や生の方が強くなりやすいといえます。(干関係によるが)
 十干の象意については、「四柱推命辞典」を参照してください。

変通星の考え方

 変通星というのは、干と干との関係です。干と干との関係は、生剋助(分洩)合(化)という関係があることは説明しました。そのうち生剋助分洩の関係が変通星で示されます。すなわち、変通星はそれらの関係を整理したものであり、干と干そのものの関係を表しているのではありません。しかし、変通星の象意の真意を見ることで、それを逆に干と干の関係にフィードバックすることにより、より象意が明らかになるということはいえます。それぞれの変通星について、その象意の考え方をみていきましょう。象意そのものは「四柱推命辞典」を見てください。

○比肩
 比肩というのは、同じ干どうしの場合の変通星で、五行関係でいえば兄弟となります。比肩というように肩を並べるということであり、これは同じものに対する関係性を示すことになります。同じものどうしの関係といっても一様ではないことは、世の中を見渡すとわかるでしょう。助け合う関係もあれば反発しあう関係もあるし、反発までしなくても競争関係になる場合もあるでしょう。また、助け合う関係の場合は生ずる関係に近くなりますし、反発しあう関係は剋する関係に近くなります。比肩の象意はそれらを含んだ象意となり、一筋縄ではいきません。
 また周囲の環境を自分と同じ程度と考え、何とかしようという挑戦的な行動をとりやすくなります。

○劫財
 劫財というのは、同じ五行ですが陰陽が別の変通星です。同じ五行という点では比肩と似ていますが、陰陽が別ですから相互に作用するという関係ではなくやや一方的です。比肩と違って助け合うよりは助けるあるいは助けられる、反発というよりは抑えるあるいは抑えられる、競争というよりは遠ざかる、孤立するという感じが強まります。
 また劫財という名前のとおり、財を弱める作用があります。日主に代わって財を抑えたり、場合によっては奪ったりするということになります。そうなると日主は財を使うことができなくなります。

○食神
 食神というのは、五行関係であれば子孫にあたり、陰陽が同じものをいいます。自分が相手を生じようとする、すなわち面倒をみようとか何かを施そうとかそういう意味が出てきます。また内なるものを他人に与えようということで、表現とかという意味も出てきます。
 しかし、これだけではなぜ食神という名称がついたのかがわからないですね。私が思うに、食神生財から来ているのだと思います。例えば甲の正財は己ですが、己の印綬(正印)は丙です。丙は甲の食神であり、すなわち己正財を生じるということになります。食神があるということは間接的に財を強めることになり、食に困らないということでこのような名称が着いたのかなと想像します。食うに困らないので、寛大だとか円満だとか怠惰だとかいう象意も出てきます。

○傷官
 傷官というのは、陰陽が異なる子孫のことです。はたらきは食神と同じようなものですが、正官の七殺にあたりますから、傷官という名称がついています。
 傷官は古来凶神と扱われてきました。正官は男性にとっては上司、女性にとっては夫にあたりますから、それを傷つける傷官というのはあまりよくないというのは、まあ理解できなくもありません。が、傷官本来の働きに凶意はありません。こと現代においては、上司や夫などはなくても生活できるのであり、むしろ個性を表現するという象意から考えると、逆に必要なものかもしれません。なお私は、女性は結婚しなくてよい、と言っているわけではありません。どちらかといえば結婚をすすめる方です。
 ところで、傷官の作用は異なるものへ与えようとか表現しようとかいうことですから、劫財と同様に一方的になりがちです。たぶんに異性を意識したところがあります。不思議なことに金水傷官をもつ女性は美人(男好きがするという方がいいかもしれない)が多いものです。

○偏財
 偏財というのは、自分が剋するもので陰陽が同じものをいいます。剋するということ、すなわち財というのはコントロール下に置くものであり、使うものであります。すなわち、お金だったり部下だったり(男性の場合)妻だったりするわけです。特殊な象意ですが、政治家の場合選挙民をあらわすこともあります。
 陰陽が同じですから、自分で何とかする財という意味があります。すなわち商売とか投機とかという意味があります。また、陰陽正しくないというところから、正妻ではなく妾というような意味も出てきます。

○正財
 正財というのは、自分が剋するもので陰陽が違うものをいいます。男性の場合は正妻であるし、陰陽が違うことから、違う立場(人とか)から得る財、すなわち給料とか俸禄とかいう意味も出てきます。正財の場合も陰陽が違うので、作用は一方的な関係になりがちです。

○偏官、七殺
 偏官、七殺というのは、自分が剋されるもので陰陽が同じものですが、古来より凶星の最たるものとされてきました。で、自分に悪いものは七殺、良いものは偏官などという術者もいますが、私は偏官という言葉より七殺という呼び方を好んで使っています。まあそれはそれとして、自分を剋するうえにしかも陰陽が不正(すなわち陽と陽、陰と陰)なのは悪いというのは、凶星と目されてもしかたないでしょう。しかし現代においてはむしろ七殺の方が正官よりも重視されてしかるべきという気がします。
 で、七殺の象意ですが、陰陽が同じで自分を剋するというのを今風の言い方にすれば、自分の同質のものからの圧力ということになります。また偏財と同じように、圧力に対して自分でなんとか抗するというという意味にもなります。陰陽が同じなので、抑えられつつも妥協を図るという感じはなく、征服されるか徹底抗戦するかという感じになります。これは企業家などにとっては重要な資質でしょう。

○正官
 正官というのは、自分が剋されるもので陰陽が異なるものです。剋されるということはやはり抑えつけられるわけですが、陰陽が異なるので、違う立場からの抑圧であり、それは政府だったり上司だったり、女性にとっては夫だったりするわけです。ちなみに日干が陰干であれば正官は合の対象となりますから、反発するという感じにはなりません。しかし、あまりに抑圧が強ければ当然萎縮することになります。
 四柱推命の古書では正官を非常に重要視しますが、これは立身出世イコール科挙に合格すること、すなわち役人になることであり、役人というのは組織の中で上司から抑えられるのが常ですから正官があるはずであり、正官がないのはすなわち役人にならない、出世しないというという発想から来ているものです。現代においては役人になることだけが世に出る手段ではないわけで、正官の重要性は昔とは違うと考えるべきでしょう。これは正官に限らず、吉星とよばれた財官印食や凶星といわれた殺傷梟刃にもいえるでしょう。(吉星とか凶星とかと単純に言えないという意味)

○偏印
 偏印というのは、陰陽が同じで自分を生じるものです。生じるものというのは、自分が生まれ生きていくうえで必要なものということです。それは親だったり、食物だったり、あるいは快楽だったりするわけですが、まあ言ってみれば恵みです。自分と同質なものからの恵みですので、そこには少し反発というか対抗心みたいなものもでてきます。
 それ以上に象意上で重要なのは、食神を傷つけるということです。正官の七殺が傷官であったように、食神の七殺が偏印であり、それゆえに梟神とか倒食とか呼ばれます。

○印綬(正印)
 印綬あるいは正印というは、陰陽が異なる自分を生じるものです。陰陽が異なるので、反発とか対抗心とかはなく、素直な(ただし一方的でもある)恵みといってよいでしょう。しかし恵みが大きいのは自立するチャンスが失われるわけですから、必ずしもいいことばかりではありません。印綬が強すぎるのは他者(人に限らないが)に依存し過ぎるということです。

十二運の考え方

 十二運というのは干と支の関係です。第1回で述べたように、“hiroto的”では「五行十二運」を採用しています。具体的な象意そのものは「四柱推命辞典」を参照してください。
 以下を読むとわかると思いますが、私の十二運の考え方は、十二支を生旺墓あるいは孟仲季という3分類するところに拠り所があります。
 生または孟の十二支とは寅申巳亥で、活動的なエネルギーを有しているとします。
 旺または仲の十二支とは子午卯酉で、旺盛な、また外向的なエネルギーを有しているとします。
 墓または季の十二支とは辰戌丑未で、内包的で内向的なエネルギーを有しているとします。
 この分類と五行的な相剋関係で象意を考えるのが“hiroto的”です。“hiroto的”オリジナルとまでは言いませんが、このような考え方をする術者は、日本ではほとんどいないでしょう。

○胎
 生命が生まれようとしている状態と説明されます。五行的には相剋の関係となり、また十二支は生旺墓のうちの旺の十二支です。旺の十二支ということは潜在的なエネルギーは高いわけで、しかも相剋ですからある意味活動的です。何かをゼロから生み出すというのは相反するもののエネルギーのぶつかりあいによって起こるということは、納得できることだと思います。
 しかし無から有、あるいは相剋ですから、表に出る事象としては、相反する面が出てきます。例えば一見平静でも突然快活になるという感じです。

○養
 生命が胎内で育つ状態とされます。養は相剋する季節の土用支です。土というのは万物を生じるとされますが作用はそれほど積極的ではありません。エネルギー的には低い状態です。表立っては円満ですが、相剋を内に秘めていますから、頑固だったり嫉妬的だったりという象意が出てきます。
 養という名前からきているのか、古書には家を継ぐ、養子になる、とよく書かれていますが、養子になる人は昔よりは減っていますので、このへんは現代的な意味に翻訳した方がいいでしょう。

○長生
 誕生し成長する状態とされます。五行的には土行を除けば生じる五行(印)の四孟支です。四孟支というのは活動的で、しかも日干を生じるのですから、一般には吉星とされます。しかしながら、象意という点では、この星は評価がいろいろで、活動的とする術者もいれば、温和でのんびりという術者もいます。これは長生が四孟支の活動性と印の恩恵の両面を別に表現したに過ぎないと考えています。その表れ方は、命式の干支の相互関係をよくみなければなりません。
 なお長生を冲する神殺が駅馬となります。

○沐浴
 成長して身体の垢を落とすということで沐浴という名前がつけられています。五行的には、土行を除けば生ずる五行の旺の十二支です。エネルギーが強いわけですが、それは象意としては感情面で表れることがなぜか多いです。色情面で問題を起こすとされる桃花殺は沐浴にあたります。
 ただし土行(戊己)は上のような象意は薄いとされます。

○冠帯
 冠帯とは大人になる儀式を意味します。生じる季節の土用支なので、基本的に土支であり、エネルギー的には決して高いわけではありません。巷の書には「自尊心が強く自己中心的でリーダーにならないと気がすまない」などとありますが、そういう傾向はあるにしても、もう少し消極的なものだと思います。

○建禄
 同一五行の四孟支であり、まさに活動力を意味します。それ以上何もいうことはありません。

○帝旺
 同一五行の旺の十二支であり、エネルギーは最大です。神殺でいえば羊刃にあたり、強すぎるがゆえに失敗もありますが、帝旺という名称にふさわしい象意があります。

○衰
 盛りをすぎれば当然衰えがきます。土支ですので、エネルギーは内向きとなります。もちろん同一五行の延長ですので、それなりの力があるのですが、傾向としては穏やか、堅実、保守的となります。

○病
 病は火行を除き、洩らす五行の四孟支となります。四孟支ですから、実は活動するエネルギーはあります。病だからといってただ弱いだけではありません。病気をするにもエネルギーが必要なのです。
 病については、巷の本でも書かれていることが分かれています。しかし洩らす五行ですから、食傷にあたるわけで食神傷官の象意が出てきます。病だから弱々しいということではなく、他人のために身を削るといった方がいいかもしれません。

○死
 洩らす五行の旺の十二支になります。言い換えれば、前項の病のエネルギーが極大になると死ということになります。死という言葉から活動の停止という象意を導きだしている術者は少なくありません。しかし、私見では、食傷の象意が極端に出ると考えた方がいいでしょう。外柔内剛、面倒見がいいということを書いてある本(『四柱推命術の見方』内田勝郎著)もありますが、そういう意味の方が強いでしょう。

○墓
 洩らす五行の土支というわけですが、土支に共通するように内向きのエネルギーとなります。とくに墓は墓庫ともいい、蓄積を表します。自分の洩らしたものが土支に蓄えられているイメージです。
 字面から判断するのはおかしいのですが、なぜかこの星を持つ人は先祖とか家とか墓とかに縁がある人が多いものです。むしろ実占上そういう人が多いので、このような名前がついたのかな、と思いたくなるぐらいです。

○絶
 相剋する五行の四孟支であり、エネルギーの躍動がはじまったところです。絶だから何もないというわけではなく、むしろ活動力は旺盛です。変通星でいえば財星であり、干渉という象意が出てきます。また、活動力があるので、浮き沈みが激しいとか移り気だとかいう象意も出てきます。

神殺の考え方

 “hiroto的”第一の方法に神殺というのはなじまないのですが、こと象意ということに関しては、神殺は絶大な威力(?)を発揮します。多くの神殺はこれまで述べたような五行の相生相剋関係や十二支のもっているエネルギー理論(理論というのはおおげさだが)から説明できないことはありません。しかし、それでもなぜかピッタリとはまることが多く、その理由は完全に説明できるわけではありません。
 ここではいくつかの神殺を取り上げて、その象意について述べたいと思います。

○駅馬
 これは年支や日支からとる術者や月支からとる術者、はたまた日干からとる術者といろいろですが、いずれにしても生の十二支の六冲にあたる支です。例えば寅午戌なら寅が生の十二支ですので、駅馬は申ということになります。日干からいえば長生の冲ですから病ということになります。
 もともとが活動力のあるエネルギーをもっており、そういうことから移動という象意が出てきます。

○桃花(咸池)
 これもまた年支からとったり月支からとったり日支からとったりします。日干からとれば沐浴ということになります。例えば寅午戌支であれば、火局ですから火行の沐浴は卯ということで、卯を桃花とします。
 桃花はエネルギー的には旺盛で外向的です。それから魅力的という意味が出てくるのですが、なぜか異性的な魅力というか異性的な欲求の象意があります。多く恋愛、結婚の問題が不思議とあります。

○華蓋
 年支からとったり月支からとったり日支からとったりしますが、これは墓神にあたります。例えば寅午戌支ならば、戌が華蓋にあたります。
 学芸、宗教、聡明という象意がありますが、これはやはり墓の内向的、蓄積的なエネルギーによるものと思います。古来、華蓋は僧侶の星とされますが、墓と縁がありしかも学問があるというのは僧侶だということでしょう。

○文昌
 日干からとります。丙丁を除き、洩らす十二支をとります。すなわち食神です。食傷は聡明の象意がありますから、文昌があるのは聡明、才能というのはうなづけます。ただし、丙丁の場合は申酉を文昌ととりますが、なぜ土をとらないか少し不思議です。土支というのはエネルギー的には内向的ですからあえてとらずに、火の食傷である土支の文昌と同じにしたのだろうと推測します。

○紅艶
 日干からとりますが、年干からとるという術者もいます。
 象意は桃花とほぼ同じです。ただこの紅艶がどうして生まれたのかははっきりしません。ただ、何となくあてはまることが多いように感じています。

○羊刃
 日干からとります。もともとは陽刃であり、陽干の帝旺のことです。陰干の場合は陰刃というべきですが、陰刃は五行十二運で衰にあたります。十干十二運(陽生陰死)では冠帯にあたり建禄の次にくる十二支に当たります。
 陽干の場合は象意がわりとはっきりと出ますが、陰干の場合にはそれほどはっきりと象意は出ません。

 神殺は数多いですが、ここではこのくらいにしておきます。

■ 象意の考え方 実例

 以下、象意をどう見るかを、命式例を挙げて説明します。命式例は本棚にある本を適当に抜き出して選んでいますので、とくに並んでいる順番に意味はありません。


命式例40

 鮑黎明師の『先天八字推命術入門』から、ある男性作家の命式を挙げます。


 金が最も強く水土の順ですが、地支に火が多く、行運次第では火が強くなります。壬水は金の強さを和らげ喜神となります。
 壬は喜神の食神です。喜神の食神は聡明さや表現、奉仕です。月干はとくに自分の周辺、家族とか社会とかですから、とくに職業にその象意が表れやすくなります。また社会奉仕的な活動や教育といったことも考えられます。
 地支に目を転ずると、巳午が火局で官殺で喜神です。巳は長生、午は沐浴で、機知に富みまた色気もあります。女性にモテるタイプといえるでしょう。


命式例41

 『星命術語宝鑑』からある女性の命式を挙げます。


 庚は丑に通根していますが、子丑の合もあり、あまり強くはありません。最も強いのは癸水であり、傷官にあたります。金水傷官には美人が多いとはしばしば言及しているとおりです。
 さて象意の面からみますと、この命式で特徴的なのは、月支日支の子が年支の桃花であることです。子は忌神で傷官(正官丁を剋する)の根となり桃花ですから、正常な結婚は難しいものがあります。また子丑が合なので晩婚の方でしょう。
 甲は偏財で卯に通根していますので、日主が強くなれば財的に恵まれます。というのは、庚に対する甲財ははっきりとした剋関係となるからです。


命式例42

 『星命術語宝鑑』からもう一例の女性の命式を挙げます。


 日柱は同じ庚子でいわゆる楊花柳性ですが、子は桃花ではなく、酉が日支の桃花となっています。しかしこの命式では酉は庚の根であり喜神にあたりますから、むしろいい象意となります。桃花があるので魅力はありますが、丙七殺が日主を抑え、性格的には落ち着いた感じとなります。
 しかしながら、この命もあまりいい結婚生活は送れなさそうです。午が正官ですが、子が午を冲するためです。
 壬水が強く、地支にも水が多く、しかも水は食傷にあたりますから、子だくさんの命です。
 ところで、この本には亥運55歳(数え)丙戌年に子宮がんで死亡と書いてあるのですが、どうも納得がいかなかったので行運を調べなおすと、丙戌年は満61歳であり戊運です。数え55歳は己卯年であり、これなら忌神運ですからわかります。唯一の通根支である酉を冲するので、これは身体を傷める可能性があります。また亥運ですので水が溢れるため、生殖器や泌尿器系統の病気は十分に考えられます。ただ子宮がんと断定するのは、これだけではちょっと無謀です。


命式例43

 『中国実用四柱預測学』から男性の例を挙げます。


 戊日主で天干に戊土が3つあります。あと天干には乙木があり、卯に坐して季節的には強い正官です。それぞれの根である卯戌は六合となっており、強さからいえば数の多い分土が強いといえます。身旺で正官喜神ですから、こういう命は財を喜びます。が、命式中には財は子しかなく、しかも午に冲されていますから、破財の憂き目に遇いやすいといえます。逆に水運がめぐってくると財的に恵まれます。
 壬申年は申子の半会で冲を緩和し、また壬偏財がありますので、財とくに商売や投機で成功すると考えられます。癸酉、甲戌、乙亥年は官殺、財の喜神ですからよかったのですが、丙子年から己運に入り、丁丑、戊寅、己卯年は土を強めて忌神運です。日主が強いので、病気という形ではなく、己が劫財なので破財という形で表れやすくなります。


命式例44

 もう一つ『中国実用四柱預測学』から男性の例を挙げます。なお、この本には象意を見る上で参考になる事例が多くあります。


 壬日主で申辰の半会があります。また冬の土用で辛金もありますから強い日主です。辛金も比較的強いです。甲木は一つしかありませんが、地支は卯辰とありますので弱くはなく、また強い水を洩らしているので喜神です。
 この命式で特徴的なのは火すなわち財がありません。こういう命式で喜神の財がめぐってくれば財に恵まれます。実際丁運庚午年は発財しました。惜しむらくは丙の場合は辛と合するため、財の効果を発揮できないことです。ないよりはましでしょうが。
 著者は丙運庚辰年に家族に病災や事故が起きると予測して当てています。理由は解説していませんが、庚辰年は時柱との天剋地刑です。これは病気よりも不慮の事故の可能性が高く、時柱で干が食神支が官殺ですから子供でしょう。もっとも、実際は孫の交通事故だったとのことです。


命式例45

 『天界魔界妖神察法』から某俳優の例を挙げます。


 日柱時柱は前の命式と同じで冬生まれです。しかしこの命式は前の命式とは比較にならないほどよい命式といえます。日主が強くまた食神もそれなりに強く、さらに調候用神である丙の作用が発揮されていることです。甲は食神であり、また年支には文昌があります。俳優ですがかなり頭がよかったものと思います。
 癸卯運甲辰年に交通事故で亡くなっています。卯運は月柱と刑、辰は時柱と刑で事故に遇いやすいというのはわかるのですが、ではこの年に死ぬとはどうにも読み取れません。で、調べてみると、この交通事故は俳優自身の運転ではなかったことがわかりました。やっぱり、というところです。寿夭というのは一筋縄ではいきません。

 以上で第6回、象意のはなしは終わりです。象意そのものというよりは、象意を考えるプロセスについて主に述べたつもりです。そのプロセスを発展させれば、例えば比肩なら比肩でも甲の比肩と丙の比肩では象意に差が出てくるという考え方が導き出せるのですが、そうなると入門の域を超えるので、そこまで解説するのはやめにしました。ただし、干支の相互関係がきちんと理解できていれば、それほど難しいことはありません。本を読み込むなり、実例に数多くあたるなりしていくと、わかっていくことであります。将来続編を書く機会があれば、解説したいと思いますが…。

 ところで、今一度読み返してみると、命式例はあまり象意について説明したものとは言えませんねえ。もう少し整理した例の挙げ方をすればよかったです。もっともそれについては、参考文献に挙げている本を読んでください。ここでは命式の干支の相互関係や神殺がどういうふうに表に出てくるかが漠然とわかってもらえれば幸いです。

■ 「“hiroto的”四柱推命入門」のおわりに

 さて、これまで「“hiroto的”四柱推命入門」と銘打って、四柱推命の考え方を述べてきました。ひとまずはこれで完了です。はっきりいって巷の入門書よりも内容は多く、しかも説明は短いので、すべてを理解するのはなかなか難しいだろうと思います。また、あまり読み返さずどんどん書き進めたので、前後で矛盾するところもあるかもしれません。書いている最中でこれまでと考えが変わったところもありますし。

 はたして「中級編」や「第二の方法」を期待する声が出るかどうかはわかりませんが、自分自身中級者であり、「中級編」を書くのはちょっとおこがましい気がしています。もちろん「入門」では書ききれなかった十干関係や調候、病薬、また真仮や順逆など、書きたいことはいろいろあります。実は真仮や順逆などは、命式の高低として「入門」に盛り込む予定でしたが、入門の範囲を超えると思い割愛しました。この先を期待していた方には申し訳なく思います。

 ただ、HPに関していえば大六壬や七政の方が全く進んでませんし、HPとは関係ない私の本来の仕事も忙しくなってきているので、“hiroto的”の続編についてはしばらく先延ばしにしたいと思います。


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   作成  2010年 5月 5日
   改訂  2021年 9月26日  フォームの変更、一部追記


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