BIG4対談(その1)
BIG4対談(その1)
東京第5団から新宿第23団へ、沼田キャンプ場のこと


司会;
 それでは、新宿23団の記念誌に載せる座談会を始めようと思います。まず、今日出席して下さっておりますのは、野口名誉団委員長(故人)、中川会計監査役(現職)、大滝団委員長(現職)、長谷川団委員(当時)、司会は私 中川正巳です。
 では、始めに新宿23団が結成された成りゆきと言いますか、東京第5団からの流れを野口名誉団委員長から大ざっぱに話して頂きたいと思います。

野口名誉団委員長;
 歴史について言いますと、私の子供が入団したのが昭和36年で、私が団委員長に昭和38年になりまして、戦前に飯田橋にあった団が戦争中に禁止されまして無くなってしまったのですが、昭和21年の終わりになってそれまで20人以上の大人が一カ所に集まることが禁じられていたのですが、ボーイスカウトに限って許されて東京に於いて1団から5団が同時に出発したんです。
 1団は成城学園のボーイスカウトで、2団は日本橋のお寺で、3団はキリスト教の宗教団体で、4団は前からあった団体でアメリカの影響を受けていまして、5団はスポンサーが民間という初の団体でした。昭和27、28年になってやっと団も増えてきました。
 (当時は)大沢さんという方が5団の団委員長を昭和38年までやっていらっしゃいました。(私は)ボーイスカウトと言う物を全く知らなかったのですが、アメリカのペンシルバニアに居た時に興味を持っていたので、大沢さんから是非にと頼まれて引き継いで団委員長になりました。昭和38年には中川さんの子供さんも入団して、この年に初めての団キャンプを本栖湖でやりました。とても大変だったのを覚えています。それから、子供の数も年々増え始めて20年の間に・・・中川さん、確か400名位に膨れましたね。

中川会計監査役;
 そうですね。

野口名誉団委員長;
 その頃は中川さんにすっかりお世話になりまして、団委員長をやって貰いまして・・・

中川会計監査役;
 いやいや、育成会長を手伝わせてもらいました。(笑い)

野口名誉団委員長;
 そうでした。そういったことでとにかく子供が増えて千代田区(現千代田第1団)と港区(現港第16団)と文京区(現文京第6団)まで拡大したものですから、地区別に名称が変わりまして、千代田1団に移ってきました。そして今から丁度10年前の1982年に新宿23団が出来ました。千代田1団と分裂したわけなんです。経過はそうなります。

司会;
 ありがとうございます。そこで分封してから今年で10年がたったわけですが、10年間の23団の歩みを当初から深く関わっていらっしゃった、大滝団委員長にですね、過去のキャンプなど何でもお話しして貰えますか?

大滝団委員長;
 えー、私も最初にボーイスカウトに関わりを持ったのは自分の子供がカブに入ってからなんです。初めのうちは特にお手伝いはしていませんでしたが、近所に住んでいたデンマザーに「遠出をする集会が今度あるんで良かったらいらして下さい」と言われて、初めて(集会に)参加しました。
 そうしますと、リーダーやデンマザーが子供の面倒を見るのはとても大変そうでした。そんなもんですから、これはお手伝いさせて貰おうかなぁと思って参加するようになりました。
 千代田1団から新宿23団に変わる直前に内部でちょっと揉め事が在りまして、私はその頃デンダットをやっていたのですが、育成会長を頼まれて交代することになった訳です。そして育成会長をしばらくやっていて、野口さんもいっておられましたが、(新宿23団と千代田1団が)分封することになりました。
 新宿23団を作ることになって、「育成会長をやって頂けませんか」という話がありまして、そのまま新宿23団の育成会長を続けることになりました。キャンプの時などに参加しますと、小さい頃から知っているスカウトがボーイやシニアに上がって元気に活動するのを見ますと、なかなか足が抜けられなくなったといいますか、辞めないで携わっているわけですが・・・

司会;
 はい、どうもありがとうございました。そこで、まあキャンプをカブ・ボーイと続けているわけですが、5団時代から道志村のキャンプ場を使っていて、昨年(平成3年)から群馬県の沼田キャンプ場を借りることになって、これらの経緯や理由を中川さんの方からひとつお願いします。

中川会計監査役;
 私の方は話を聞いて、「それはいい、やろうじゃないか」とバックアップしている立場のものですから。

・・・一同笑い

司会;
 えーでは・・・

中川会計監査役;
 現地を良く知っている長谷川さんにぜひ。

長谷川団委員;
 あの、では初めに僕の子供がですね、カブに入ったのは23団になって数年経ってからだと思うんで、5団時代の事は知らないんです。子供が入った年から小学1年生からカブに入団可能になったんですね。当時は野口団委員長、大滝育成会長、松本隊長(カブ)という時代だったんです。その時に大滝さんから声をかけられて、男手が足りないから手伝ってみませんかと誘われて、全くボーイスカウトの経験がありませんでしたが、子供の心配もあって入ることになりました。
 そして、キャンプに参加することになって道志村キャンプ場で皆さんとキャンプを共に過ごしたというのが、僕の初めての経験でした。環境は素晴らしくて古い伝統のある団だけに、専用に近い形で広いキャンプ場が使えることはいいなと思っていましたが、最近7年間の間に山中湖周辺及び道志村が、毎年々々開発が進んでボーイスカウトのキャンプ場に相応しく無くなってきたんではないかと、薄々感じてきました。団委員会の時にお話しましたし、皆さんも感じてきている訳です。折角5団から使っているキャンプ場がボーイスカウトに適さなくなって、この事を申し上げたので新しいキャンプ場を手分けして探すことになって、たまたま僕が群馬県出身だったので、知人に尋ねておりました。
 ここで忘れてはならないのが、おなくなりなった吉岡さん(元副団委員長)です。この話の時に吉岡さんも賛同して下さいました。手術の直前に僕の所に手紙が届きまして、確か暑中見舞いの葉書に一筆「キャンプ場の件をよろしく」とありまして、その後吉岡さんに不幸があったものですから、僕にもプレッシャーがあって必死にキャンプ場を探しました。沼田の奥の利根川の辺りにキャンプ場を借りました。約5000坪位の土地ですかね。現在は下草を刈り取って、やっとボーイ隊のキャンプが出来るかなという状況にあります。今後、小屋を2棟建てられたらなあ、という段階まできています。

中川会計監査役;
 ・・・ということです。

まだまだ続くBIG4・・・
BIG4座談会(その2) リーダーに望まれること
BIG4座談会(その3) 子供の教育、そして今後の新宿23団について


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