映画評論  PARTV


目 次

1、戦争と平和 第一部 アンドレイ・ボルコンスキー 1965年 ソ連

2、戦争と平和 第二部 ナターシャ・ロストワ    1966年 ソ連

3、戦争と平和 第三部 1812年         1967年 ソ連

4、戦争と平和 第四部 ピエール・ベズーホフ    1967年 ソ連

5、厳重に監視された列車       1968年 チェコスロヴァキア

6、あの子を探して          2000年 中国

7、鬼が来た             2000年 中国

8、活きる              1994年 中国・香港

9、ライフ・イズ・ビューティフル   1998年 イタリア

10、J・S・A            1998年 韓国

11、シルミド             2003年 韓国

12、ブラザーフッド          2004年 韓国

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戦争と平和 第一部 アンドレイ・ボルコンスキー

                            ВОЙНА И МИР  T 

制作;ソ連

制作年度;1965年

監督;セルゲイ・ボンダルチュク

 

(1)全編の解説

 ロシアが生んだ文豪レフ・トルストイの傑作の完全映画化である。

 「戦争と平和」は、ハリウッドでもキング・ビダー監督、オードリー・ヘプバーン主演でで映画化されたことがある。当時のハリウッドは、歴史系の大作映画を濫造する傾向があり「戦争と平和」も、その一環として制作された娯楽映画であった。長大な原作をコンパクトに纏め、スター俳優を上手に使ってはいたが、肝心の「トルストイのメッセージ」が抜け落ちていたため、結果的に紙芝居のような映画になってしまっている。

 これを見て激怒したのが、政治的にアメリカと対立していたソ連であった。ソ連は、トルストイのメッセージ、すなわち「ロシアの魂」をフィルムに注入すべく、膨大な国費と歳月をかけて大作映画を作り上げたのである。

 当時のソ連は、まさに人類史上最強の全体主義国家であった。あのアメリカが50年にわたって指一本指せなかったことからもそれが分かる。しかも社会主義体制であったため、採算性とか商業性を完全に無視し、文化 、思想、芸術といった諸要素に完全に特化できる環境にあった。これらの前提があって、初めてトルストイの完全映画化が可能となったのである。

 「戦争と平和」に限らず、1950〜60年代のソ連には傑作映画が多い。映画制作を商業主義から切り離し、芸術性に特化しようという壮大な実験が、そこにあったからである。このような創作環境は、アメリカ型のグローバリズム(すなわち商業主義)を金科玉条とする現代社会では決して有り得ない。そういう意味で60年代のソ連映画、中でも「戦争と平和」は 、人類史上屈指の偉大な作品であると言えるだろう。

 

(2)あらすじ

 舞台は、1805年のペテルスブルク(現サンクトペテルスブルク)。

 権勢家ベズーホフ伯爵の私生児ピエール(セルゲイ・ボンダルチュク。監督兼主役だ)が、遊学先の外国から帰って来た。彼は、旧友のアンドレイ公爵(ヴェチェスラフ・チーホノフ)やモスクワのロストフ伯爵一家に暖かく迎えられる。ピエールは、鈍重で多感な性質ゆえに様々な失敗もやらかして周囲から誤解も受けるけれど、まっすぐな心を持った高潔な人物だった。

 真面目なピエールは、己の人生の目的を見つけることが出来ずに悩んでいた。そんな親友と身重の妻を置いて、アンドレイはオーストリアへと出征する。この当時、ナポレオン皇帝を抱くフランスは、ヨーロッパ全土に戦火を広げていた。ロシア帝国は、オーストリア帝国とともにナポレオンを迎え撃とうとしていたのである。

 その間、ベズーホフ伯爵の病死によって莫大な遺産の相続人となったピエールは、権謀に巻き込まれていた。野心家の貴族によって愛していない女と結婚させられた彼は、妻の不貞を疑ってノイローゼになり、妻の不倫相手と思い込んだ遊び仲間のドーロホフに決闘を申し込み、そして彼に重症を負わせてしまうのだった。

 一方、ロストフ家の闊達な長男ニコライは、軽騎兵としてオーストリアに進駐。デニーソフら戦友たちとの友情を深めて一人前の男になっていく。

 ニコライと同じ戦場で、総司令部付きの副官として働くアンドレイは、自分もナポレオンのような戦場の英雄になろうと考えて作戦に口を出したり戦略を立案するものの、官僚的な周囲によってかえって煙たがられてしまうのだった。

 ついにアウステルリッツの会戦が始まった。しかし、ナポレオンの圧倒的な戦術の前に、ロシア・オーストリア連合軍は壊滅的な大敗を喫する。重症を負って捕虜となったアンドレイは、ナポレオンの器の小ささを悟って失望し、さらには戦争という行為そのものに絶望した。 やがて釈放された彼は、故郷に戻って不仲となっていた妻との愛情を取り戻そうとするが、そんな彼の前で、妻は難産で死んでしまった。人生そのものに絶望するアンドレイ。

 アンドレイの元を訪れたピエールは、自分以上の絶望に沈む親友の姿に心を痛め必死に慰める。一緒に、人生の明るい面を見ながら頑張って生きて行こうじゃないか、と。「幸福になるためには、幸福の可能性を信じなければなりません!」

 ピエールに励まされて元気を取り戻したアンドレイは、やがてロストフ家の闊達な少女ナターシャ(リュドミラ・サベーリエワ)との交流によって、再び人生への希望を取り戻すのであった。

 

(3)第一部の解説

 トルストイの長大な原作も4部構成である。映画版の第一部は、原作のうちの第一部の全部と第二部の冒頭部分を、140分に纏めている。

 「ロード・オブ・ザ・リング旅の仲間たち」や「スターウォーズ・エピソード1」もそうだったが、長大なサガの最初の一作目は、背景説明や登場人物紹介に膨大な時間を取られるため、冗長で退屈になる傾向が強い。案の定、「戦争と平和」の第一作も長くて退屈である。

 画面は、妙に暗くて重い(これは、もしかして技術的な問題か?)。しかも、人物紹介の演出が驚くほど手薄なので、途中で誰が誰だか分からなくなる。俳優の演技も重苦しくて活気がない。原作の名セリフ(その多くは、人物の独白)は忠実に再現されているが、モノトーンの背景の中で語られるので、見ていて眠くなる。戦闘シーンは派手だが、全体の戦況が語られないので、何がどうなっているのか分からなくなる。

 また、物語の終盤で、これまで絶望に沈んでいたはずのピエールが、急に前向きで元気になっているのがやや不自然に感じられる。トルストイの原作では、ピエールはドーロホフとの決闘の直後にフリーメーソンの長老に教えられ 、信仰に目覚めて元気になったのだ。ところが、映画ではその説明が完全にオミットされていた。これは、尺の都合で仕方ないのだろうが、トルストイの原作があまりにも緻密に計算されて書かれているので、こういう箇所がいくつもあると物語が不自然になってしまうのである。

 つまり第一部は、トルストイの原作を読んでいないと理解出来ない部分が多い上に、芸術的な演出技法が裏目に出てしまい、しばしば眠くなる作品なのである。しかも、舌足らずである。

 しかし、第一部は、いわば後続の作品の「引き立て役」なのである。そういう意味では、すっぱりと割り切った勇敢な作品だと言うことも可能だろう。

 


戦争と平和 第二部 ナターシャ・ロストワ

                          ВОЙНА И МИР  U

制作;ソ連

制作年度;1966年

監督;セルゲイ・ボンダルチュク

 

(1)あらすじ

 ナポレオン率いるフランス帝国の権勢がロシア国境に到達し、窮したロシア皇帝がテルジット条約を結ばざるを得なくなったころ(1809年)、ロストフ家の長女(原作では次女)ナターシャが社交界にデビューすることとなった。

 皇帝臨席の大舞踏会でアンドレイと踊るナターシャ。二人はたちまち恋に落ちる。しかしアンドレイは、頑固な父親の猛反対にあったため、ナターシャとの結婚を1年後に伸ばさざるを得なかった。そんなアンドレイは、ナターシャと秘密の婚約をしたまま1年間の外遊に出てしまう。

 故郷に一時帰省した長男ニコライを迎え、ロストフ一家は荘園で大規模な狩猟を行った。その後、田野で気ままに生きる叔父の家に遊びに行ったニコライとナターシャは、純粋なロシア文化に迎えられて感動する。バラライカとギターに合わせ、見事なステップで民族舞踊を踊るナターシャ。しかし、そんな心の中で寂寥感は募るばかりだった。

 ナターシャの孤独に付け込んだのが、不良貴族でプレイボーイのアナトールだった。彼は外国で結婚していたにもかかわらず、その事実を秘密にしてナターシャを口説く。経験不足のナターシャは、プレイボーイの甘言に乗せられ、アンドレイに別れの手紙を書いた上、アナトールと駆け落ちの約束までしてしまうのだが、従姉妹ソーニャの機転で事なきを得た。

 その後、アナトールの結婚の秘密を知ったナターシャは、自分の愚かさに絶望して服毒自殺を図る。そんな彼女を慰めたのがピエールだった。「もしも僕がこんな僕でなく、もっと賢くて美しくて自由の身であったなら、あなたの前に跪いて愛を求めることでしょう」。

 自分でも気づいていなかった積年の思いを愛する人に打ち明けたピエールは、久しぶりに幸福を感じてモスクワの夜空を振り仰ぐ。そこには1812年のハレー彗星が逆立ちしていた。

 そして、ナポレオンのロシア遠征が開始された。

 

(2)解説

 原作の第二部の中盤から最後までの映画化。

 第二部の主役は、何といってもナターシャ・ロストワ(リュドミラ・サベーリエワ)である。原作のナターシャも非常に魅力的だが、映画版ナターシャを演じたサベーリエワは、さすがに全盛期のソ連が国力の全てを賭けて選抜した美少女だけに、実に見事にこの難役をこなしている。

 ナターシャというヒロインのユニークなところは、彼女が「成長する」点である。第一部では、13歳の闊達で我がままな少女であった。それが成長して「ロシアの大地」を体現する深みのある女性となるのだが、相変わらずの自己中心的な恋愛観によって許婚を裏切り自らも破滅の淵に立つ。しかし彼女は、この絶望を乗り越えてより優れた女性へと成長するのであった。

 数段階にわたって成長を遂げるヒロインというのは、全世界の文学を見回しても例がない。彼女が、文学史上最高のヒロインと言われるわけである。

 主観ではあるが、「戦争と平和」という物語は「ロシアの誠実な人々が、様々な絶望と苦難を乗り越えることで、西欧(特にフランス)の影響によって失われかけていた『ロシアの魂』を取り戻す」物語である。

 そしてナターシャは、ロシアの大地の象徴なのである。

 ハリウッド映画では表現出来なかった「ロシアの魂」が、この映画の中では実に見事に表現されていたと思う。でも、中盤は相変わらずのモノトーンタッチなので眠くなったけど。

 


戦争と平和 第三部 1812年

                      ВОЙНА И МИР V 1812

制作;ソ連

制作年度;1967年

監督;セルゲイ・ボンダルチュク

 

(1)あらすじ

 1812年6月、ナポレオン率いる60万の大軍がロシアに侵入を開始した。その圧倒的な威力を前に、バルクライ将軍のロシア軍は後退を繰り返すばかり。

 ナポレオンの大軍はスモレンスクに迫り、近くに住んでいたボルコンスキー老公爵(アンドレイの父)は、屈辱と悲しみに耐えかねて病没してしまう。

 ロシア帝国壊滅の危機を前に、ついにクツーゾフ将軍が立った。彼はモスクワ正面のボロジノ村に兵力を結集し、ナポレオンに決戦を挑まんとする。

 その兵力の中に、一個連隊を率いるアンドレイの姿があった。ナターシャとの恋に破れ父を失った彼は、絶望を胸に抱きつつも、打倒ナポレオンに命を燃やしていた。陣中見舞いに訪れたピエールと悲しい最後の交歓を交わすアンドレイ。

 ついに決戦が始まった。一進一退の大攻防戦の中、敵味方の勇士たちが次々に倒れていく。アンドレイの部隊は予備に回され、戦場を駆けることも出来ぬまま敵の砲撃にさらされた。やがて砲弾を受けて瀕死の重症を負ったアンドレイは、担ぎ込まれた野戦病院で、憎きアナトールが隣のベッドで苦しむ姿を直視する。達観した彼は、全ての者に「赦し」を与えようと、苦しい息の下で決意するのだった。

 ロシア軍は大健闘した。しかし、その損害はあまりにも大きかった。

 ボロジノの戦場は、無数の死体によって覆い尽くされていた。

 

(2)解説

 世界映画史上空前絶後の戦闘シーンが炸裂する一本である。

 なにしろ、現役のソ連軍兵士1万人をエキストラに使って戦闘シーンを撮影したのである。延々1時間にわたって描かれるボロジノの戦いは、とにかく「凄まじい」としか言いようがない。使用される火薬や馬匹のヴォリュームも、とにかくとんでもない!地平線の向こうでかすかに動く兵馬や硝煙や爆発が、絵でも人形でもCGでもなく全て本物なのだ。

 これこそ、採算性を完全に度外視できたソ連ならではの映画なのである。現代のデジタル技術濫用の薄っぺらさとは、とにかくレベルが違いすぎる。スペクタクルシーンが好きな人は、死ぬまでにぜひ一度見ておくべき映画だと断言できる。

 ただ単にカネをかけてあるだけではない。カメラワークやBGMの使い方、そしてトルストイの戦争批判やナポレオン非難のモノローグが効果的に用いられ、映画が単調になることを防いでいる。

 また、ナポレオンやクツーゾフの動きが、肖像画の中から立って歩き出したような雰囲気で描かれているのも良い。まるで、タイムマシンに乗って本物の歴史を見に来たかのようだ。

 第三部は、良くも悪くも、ほとんど戦闘シーンのために作られたような映画であるが、第一部、第二部、第三部と、物語が進むにつれてだんだん面白くなる仕掛けになっているから素晴らしい。

 


戦争と平和 第四部 ピエール・ベズーホフ

                           ВОЙНА И МИР  W

制作;ソ連

制作年度;1967年

監督;セルゲイ・ボンダルチュク

 

(1)あらすじ

 クツーゾフ率いるロシア軍は、ボロジノで大健闘したのだが、もはやその戦力は完全に枯渇していた。彼は、後退してモスクワをナポレオンに明け渡す苦渋の決断をする。

 フランス軍の接近を前に、避難民の群れで大混乱になるモスクワ。そんな中、平民の服を着たピエールは、ナポレオンを暗殺を目論み拳銃を片手に街に潜伏した。しかし、やがて発生した大火災の中、放火犯と間違えられてフランス軍に逮捕されてしまうのだった。

 大火によって廃墟と化したモスクワの街の中、ナポレオンはロシア皇帝の使者を当ても無く待ち続けていた。しかし、ロシアの徹底抗戦の決意は固く、ボロジノで予期せぬ大損害を受けたナポレオンは手詰まりに陥っていた。

 冬が迫るころ、ついにナポレオンは撤退を決意する。捕虜として連行されることになったピエールは、そこで農民出身のロシア兵カラターエフと出会った。カラターエフは、野戦病院で病気で寝ていたところをフランス軍の捕虜になったのだという。素朴で信心深いこの兵士の心の中に、ピエールは言葉では表現できない深い何かを感じ取るのであった。

 そのころ、瀕死の重傷を負ったアンドレイは、避難先の村でナターシャとの再会を果たしていた。「あたしを赦してください」と泣きじゃくるナターシャに、「とっくに赦しています」と囁くアンドレイ。彼は、愛する人に見守られながら、静かに生涯を終える。

 一方、季節外れの大寒波の中を、フランス軍はひたすら西へと逃げていた。飢えと寒さのために、その統制は次第に乱れ、巨大な浮浪者の群れへと堕落していく。その過程で、病気のカラターエフは落後してフランス兵に射殺された。そんな苦しい行軍の中でピエールは悟る。本当の神は、すべての人間の魂の中に少しずつ存在する普遍的な存在であることを。彼はフランス兵に向かって叫び、狂ったように哄笑するのだった。「お前たちは、この俺を捕まえているつもりなのか!この永遠の不滅の魂をどうやって捕まえるというのだ!」

 ロシア軍は、ボロボロになって退却していくフランス軍を狩人のように執拗に追跡し、隙をついて強襲を繰り返していた。そんな中、デニーソフとドーロホフ率いる騎兵隊がピエールの隊列を攻撃した。ピエールは、かつて決闘をしたドーロホフに救出され、互いに抱き合って心からの和解をする。しかしその間、デニーソフ隊に参加していたロストフ家の末子ペーチャは、無残にも戦死してしまうのだった。

 ついにフランス軍は崩壊した。ナポレオンは、部下を見捨てて変装してヨーロッパへと逃げて行った。そして、残された敗残兵の多くが、飢えと寒さの中で虚しく死んでいった。

 クツーゾフは、誇らしげに勝どきを上げた。

 ようやく平和が戻って来た。

 ピエールはナターシャと再会を果たす。二人は、いつまでも優しく見つめ合うのだった。

 

(2)解説

 長大な大作映画の最終章である。

 私が原作の終盤で大好きな場面は2つ。ペーチャ少年が、捕虜となったフランスの少年兵を労わる場面。そして、ロシア兵が投降したフランス兵を暖かく迎え入れ、捕虜に教わったフランス語の歌をみんなで仲良く唱和しつつ「人間同士だね」「みんな人間なんだ」と言い合う場面。映画では、これらの場面が見事に再現されていて感動した。

 また、激しく燃え盛るモスクワと、強欲な略奪者と化すフランス兵。捕虜となって人生の真実に開眼するピエール。ナポレオンの勇ましい演説をBGMにしつつボロボロになって雪に埋もれていくフランス敗残兵の描写。どれを取っても心に残る印象的な場面が満載である。ハリウッド版の欠点(後半が、妙にバタバタしていて薄っぺら)を見事に克服していて素晴らしかった。

 結局、この4部作は、後の作品になればなるほど、面白さと芸術性が増えて感動が増す仕掛けになっている。意図的にそうしたのだとすれば、ボンダルチュク監督の才能は凄すぎる。

 こうして「戦争と平和」4部作は、おそらく人類が永遠に越えられない壁になったのである。

 もっとも、原作小説と比較すれば、悪い面が目立つことは間違いない。どうしても、舌足らずな面が出てしまうのだ。本当に優れた小説は、決して完全に満足行くようには映像化できないのであろうか。

 


厳重に監視された列車

                OSTRE  SLEDOVANE  VLAKY

制作;チェコスロヴァキア

制作年度;1968年

監督;イジー・メンチェル

 

(あらすじ)

 舞台は、ナチスドイツ占領下のチェコの田舎町。

 主人公は、学校を卒業して田舎の駅員として働き始めたミロシュ青年(ヴァーツラフ・ネッカージ)である。彼は、未だに童貞であった。そのことが恥ずかしい彼は、早く初体験をしたくて仕方ない。いちおうガールフレンドはいるのだが、緊張しすぎてうまく出来ない。彼は、駅長の奥さん(お婆さんだが)に初体験の相手を頼むなど、初エッチのためならなりふり構わない態度である。

 そんな彼に、パルチザン(ナチスに対する抵抗運動家)が接近する。実は、同僚の好色な先輩駅員が、パルチザンの一員だったのだ。彼らは、この駅を通る予定のナチスの補給列車を爆破する計画を立てていた。いつしかミロシュもこの計画に巻き込まれていくのだが、そんな中、先輩に紹介されたパルチザンの女性連絡員によって、ようやく童貞を喪失することが出来た。

 男として自信がついたミロシュは、自らが先兵となってのナチス攻撃を志願する。ガールフレンドと「今夜こそ」と固く約束した彼は、胸を張ってナチスの列車に爆弾を投げ込んだ。しかし、爆発の寸前、ドイツ兵に発見されて射殺されてしまう。

 ナチスの列車は、粉々になって吹き飛んだ。パルチザンは、狂喜乱舞の大喜び。関係ない人たちは驚き慌てて狼狽する。・・・しかし、誰も青年の死を知らないのだった。

 

(解説)

 筆者は、チェコ映画が大好きなので(映画に限らず、チェコのものは全て好きだが)、このコラムも、ついついチェコが中心になってしまう。この映画は、恵比寿ガーデンプレースでやっていた「チェコ映画祭2005」で見た。制作された1968年は、まさに「プラハの春」の年。あのムーブメントがどのようなものだったのか、おぼろげながら感じ取れる作品である。

 この映画は、良くも悪くも「典型的なチェコ映画」だと感じた。艶笑コメディと重い政治ドラマが密接に絡まって不可分の一体となっている。そして私は、このテイストが大好きなのである。

 登場人物のほとんどが「性的な人間」で、セックスのことばかり考えている。主人公の青年が、まさにそのとおりの人物像である。しかし彼は「ナチスの列車に爆弾を投げるぞ」と同僚に誘われると、「いいですね」と間髪入れずに気軽に応え、結局はそのために命を落としてしまう。セックスと政治の間に境界線が無いところが、日本の感覚と違っていかにもチェコ風味である。

 これは、「若者」の本質を鋭くえぐった映画でもある。ミロシュは、成長への欲求に飢えている。そのために、セックスにも政治にも貪欲である。その貪欲さは、成長を招く原動力であると同時に破滅の罠でもある。こうして、若者は成長し、 同時に死を迎えるのだ。

 権力者に騙されて戦場に向かう若者、そして自爆テロを繰り返すイスラム原理主義の若者。愚かではあるけれど、どこか儚く美しい。その本質を見事に切り取った映画だと感じた。

 こういう技法で「本質」を描いた映画は、今のハリウッドや日本映画では見たことがない。どれもこれも、白々しく嘘臭い「作り事」でしかない。寂しい話である。

 


あの子を探して

          一個都不能少

制作;中国

制作年度;2000年

監督;張芸謀(チャン・イーモウ)

 

(あらすじ)

 河北省の山岳地帯。発展に取り残された小さな村は、過疎化に悩まされていた。

 この村のただ一人の小学校教師カオ先生が、病気の母親の看病のために1ヶ月の里帰りをすることになった。彼が代理教員として村長に推薦したのは、隣村に住む13歳の少女ミンジ(ウェイ・ミンジ)であった。

 村長は最初は渋るが、他に選択肢が無いことからミンジを雇うことにする。ただし俸給は後払いで、しかも学校の生徒数(全部で28名)が減らないことが条件であった。村長は、都市化の進展によって過疎化が進む村の現状に頭を痛めていたのだ。

 こうしてミンジの奮闘が始まった。13歳の彼女には教育への情熱などなく、俸給のことしか頭にない。しかも、生徒数の減少を恐れる彼女は、授業そっちのけで生徒の頭数ばかりを気にする始末だ。それでも、年の近い小学生たちとミンジの間には、いつしか奇妙な信頼と友情が芽生えていく。

 そんな中、クラスの悪戯坊主のチャン(チャン・ホエクー)が、病気の母親を養うために都市に出稼ぎに行ってしまった。生徒数の減少には我慢できないミンジは、生徒たちにカンパさせて旅費を稼ぐと、 チャンを迎えにバスに乗って都市へと向かった。

 薄汚く貧しい村に比べて、都市はいかに華やかなことか。着飾った人々と、溢れるほどの食料品に埋め尽くされている。ミンジはチャンの出稼ぎ先を訪れたのだが、迷子になって消息不明だと聞かされた。今や俸給のためではなく、チャンを心配する純粋な気持ちでミンジは街を訪ね歩く。最後は、テレビ局の前に座り込みをして局長に認められ、テレビ報道の力を借りてチャンとの再会に成功するのだった。

 こうして、テレビ局の車に乗せられて仲良く村へと帰るミンジとチャン。しかし、その横にはテレビレポーターが付いて回り、「感動の美談」を演出するのであった。

 

(解説)

 渋谷文化村ル・シネマで見て、涙が止まらないくらいに感動した。

 冒頭から、いかにも「貧乏」を絵に描いたような村が登場する。そこに住む人たちも、貧乏が染み付いたような田舎風の人ばかり。イーモウ監督は、この雰囲気を出すために、プロの俳優ではなく実際の寒村に住む人々をスカウトして来たのだという。

 主役のミンジをはじめ、子供たちもスカウトによって集められた素人だ。特にミンジは、どこの畑から採って来たんだ?と思わず笑ってしまうほどの田舎顔で鈍くさいのが良い。イーモウ監督は、「初恋の来た道」で章子怡(チャン・ツイイー)を発掘したほどの人なのだから、美少女を抜擢するセンスに優れているはずなのだが、この映画では敢えてリアル志向に徹したのは立派である。

 物語は、ドキュメンタリータッチで淡々と進むのだが、脚本が上手なお陰でテンポや歯切れがとても良く、心温まるユーモアも溢れている。ミンジは基本的には金のことしか考えていない少女だが、それが却って「人間的」に感じられて不愉快に映らないのは、彼女がいかにも貧しそうな不美人だからだろう。

 これが一転して、舞台が都会に移ると、映画の雰囲気がガラリと変わる。都会は物資に溢れ、着飾った人が溢れ、だけどみんな忙しそうにしていて不親切だ。物価水準がまったく違うので、村で集めてきた金は一日で底を尽いてしまう。この過酷な都会を、途方にくれながらさまようミンジとチャンの姿は、見ていて胸が苦しくなるほどだ。彼らは、最後にはテレビ局によって救われるのだが、テレビ局は純粋な親切心というより、番組のネタにするために彼らに接近して恩を売ったように見える。こういった姿は、最初から金のために正直に行動するミンジよりも、遥かに嫌らしく映るのだ。

 イーモウ監督の真意は明快である。彼は、都会と田舎との異常な経済格差を描くことにより、昨今の中国の下品な金満社会ぶりを婉曲に非難したのである。この映画が、共産党政権の要人たちから強く批判されたのは、むしろ当然であろう。

 しかし、今の日本も似たような問題にさらされつつある。金のために優しい心を無くしているのも、格差が激しくなっているのも、中国の専売特許ではない。それなのに、どうして日本ではこのような映画が作られないのだろうか?

 我が国の文化人の知的水準の低さを思うと、実に情けない気分になる。

 


鬼が来た

    鬼子來了

 

制作;中国

制作年度;2000年

監督;姜文(チアン・ウェン)

 

(あらすじ)

 1945年の旧正月前夜、大河に面した華北の貧しい村・掛甲台は、日本軍の占領下にあった。村はずれには大きなトーチカが立ち、そこに駐屯する小規模の海軍陸戦隊が毎朝 、巡察を行っていた。

 そんなある夜、平凡な村人・馬大三(マー・ターサン)(姜文。監督兼主演だ)の家を、「我」と名乗る謎の男が訪れる。彼は、マーに銃を突きつけると、5日後の夜まで2つの大きな麻袋を預るよう強要した。その麻袋に入っていたのは、人間であった。一つ目の麻袋には日本兵捕虜・花屋小三郎(香川照之)が、二つ目の麻袋には中国人通訳のトン ・ハンチェン(袁丁)が 、それぞれ縛られて入っていたのだ。「我」は、マーに二人を尋問しておくよう命じ、「逆らったら村人全員を皆殺しにするぞ」と言い捨てて、夜の闇の中に消えて行った。

 困ったマーは、ウー長老をはじめとする主だった村人に善後策を相談する。その結果、村の安全のために、「我」の言いつけどおりに捕虜と通訳をしばらく預り、尋問を行うことになった。

 『戦陣訓』の教えによって、捕虜となったことを恥じる花屋は、わざと村人を怒らせて自分を処刑させようとする。しかし、通訳のトンは巻き添えになることを恐れて、花屋の言葉を正反対の意味に変えて村人に伝えるのだった。

 約束の5日間が過ぎたのに、「我」は現れなかった。困ったマーたちは、最寄の八路軍(毛沢東指揮下の共産軍)に連絡を取るが、そこの指揮官は知らぬ存ぜぬであった。仕方ないので二人を処刑しようと考えたものの、善良なマーと村人たちは、どうしても殺人を犯すことが出来ない。そこで、隣町の殺し屋に殺しを代行してもらおうと考えるのだが、これも失敗に終わる。

 そうこうするうちに、半年の歳月が流れた。命が惜しくなった花屋は、飯を食わせて養ってくれる村人への感謝の情が芽生えたこともあって、自らの身柄を日本軍に返せば莫大な謝礼がもらえると提案した。 占領下の窮乏生活を送っていた村人は、激論の末、花屋の提案を受諾。こうして花屋とトンは、マーたちに連れられて日本軍の基地に帰った。

 しかし、花屋を待っていたのは、同胞たちによる集団リンチだった。日本軍は、捕虜となった者を徹底的に侮辱する軍隊なのだった。しかし隊長の酒塚(澤田謙也)は、村人たちが謝礼を求めていると聞いて、ある興味を抱いた。村人を引見した酒塚は、莫大な穀物を6台の荷車に載せ、花屋と部隊を率いて村へと向かったのである。

 大喜びで日本軍を迎えた村人は、総出で歓迎会を開く。互いに、親しく楽しく杯と音楽を交わす幸せな時間。しかし酒塚は、村人が八路軍の一味なのではないかと疑っていた。そして宴半ばで惨劇が起きる。酒塚は村人に「我」の正体を吐かせようとし、その意図に失敗したと見るや、日本兵は狂乱状態となって村人を皆殺しにしたのであった。

 マーは、身重の恋人を連れに隣村に出かけていて無事だったのだが、大河上の船の上から赤々と燃え上がる村を見て愕然とする。

 やがて終戦の日が来た。酒塚や花屋ら日本軍はみな捕虜となり、通訳トンは「漢奸」として同胞に処刑された。マーは手斧を持って復讐のために捕虜収容所に押し入り、酒塚と花屋を追い回すものの、後一歩のところでMPに逮捕されてしまう。

 そしてマーは、治安を乱した罪で、トンと同様に同胞の手によって処刑される。その執行人となってマーの首を切り落としたのは、皮肉なことに花屋なのであった。

 

(解説)

 友人に勧められて、新宿武蔵野館に見に行った。

 これほどまでに完璧な「不条理劇」を映画館で見たのは初めてだった。

 心から感銘を受けた。

 最初の不条理は、「我」の正体と意図が不明である点である。おそらくは八路軍のゲリラ戦士なのだろうが、彼が平凡な村人のマーに捕虜(花屋)と通訳を預けて尋問させようとした意図が分からない。また、約束の刻限が過ぎて回収に現れなかった理由も分からない。そもそも、劇中では「我」の顔すら見えないのである。

 劇中で、村人が接触を図った八路軍は、「我」のことも花屋のことも知らなかった。しかし、これはそれほど不思議なことではない。良く訓練されたゲリラ組織というものは、情報漏えいを恐れて、必要以上の情報共有化を避けるからである。

 いずれにせよ、マーと村人はこの不条理を素直に受け入れざるを得ない。日本軍は恐ろしいけれど、八路軍に逆らったら後でどのような報復を受けるか分からないからである。この当時の中国人民が、四方八方を悪意に取り囲まれ、いかに過酷な境遇にあったのかが良く分かるのだ。

 劇中の村人たちは、建前では中華民国の国民でありながら、日本軍と八路軍の両方に媚を売り笑顔を作りつつ、それでも「良き中国人」であろうと努力している。「自分たちは売国奴ではない」と言い続ける。これも、なかなか不条理である。

 捕虜となりながら死を望み続ける花屋も、その言葉を正反対の意味に翻訳し続けるトンの立場も不条理である。花屋は、百姓の三男坊の出身のくせに、自分を「武士」だと言い続けるのだが、 実際の武士がどういうものか良く分かっていない。トンは、高等教育を受けて語学に堪能なために、このような理不尽な境遇に陥ったことをひたすら嘆く。これも不条理である。

 日本軍は、生還した花屋を殴打で迎える。これも不条理である。そして酒塚は、同胞を六ヶ月も養ってくれた村人たちを皆殺しにする。しかも彼は、このとき既に終戦の事実を知っていて、その上で敢えて「日本人の誇りのため」にこの暴挙を行ったのだ。不条理である。

 そして通訳トンは、同胞である中国人に裁かれて「裏切り者」として処刑される。マーは、同胞の復讐を果たすために収容所の日本人を殺し、そのために同胞に裁かれて殺されることになる。二人とも笑顔を浮かべて死ぬのだが、この笑顔は「不条理からの解放」を喜ぶ笑顔に違いない。

 以上、不条理劇としての優れた特徴を書いたが、歴史マニアの立場からも、非常に優れた日中戦争映画だと言うことが出来る。大戦中の雰囲気を、本当に上手に掴んでいると感じた。

 また、中国人と日本人との気質や文化の違いも良く描けていた。特に、大虐殺の場面で、村人に恩を感じているはずの花屋が村人を次々に斬り殺す場面。温厚で子供好きな海軍の野々村大尉が、酒塚に強いられて、彼を慕う幼い子供を殺す場面には鬼気迫るものを感じた。日本人は横並び式で、自分たちの「和」のためなら 、どんな悪行も平気で行える民族である。実際の日中戦争での虐殺行為も、みんなこんな調子(その根底にあるのは、異民族や異文化に対する排他的な恐怖)だったのだと思うと興味深い。

 BGMも、良く考えられていた。中国北部の物語でありながら、冒頭から日本軍の海軍マーチが鳴り響くのだが、大虐殺の場面でもこの曲が効果的に使われていて印象深かった。

 演出上で「上手だな」と感じたのは、言語摩擦の問題である。最初のうちは、花屋と村人の噛み合わない会話やトンの嘘の翻訳で大いに笑わせてくれるのだが、これが次第に不気味な軋みとなって行く。最後の大虐殺の根底にあるのは、言語摩擦に基づく意思疎通の失敗や誤解である。

 異文化交流や異文化摩擦の問題について、本当に深く考えさせられる良い映画だと思った。

 これは、万人に推薦できる必見の映画である。

 


活きる

    活 着

 

制作;中国・香港

制作年度;1994年

監督;張芸謀(チャン・イーモウ)

 

(あらすじ)

 1940年代の中国。地主の道楽息子・福貴(フークイ)(葛優)は、サイコロ賭博に負けて、全財産を遊び仲間の龍二(ロンアル)に取られてしまった。貞淑な妻・家珍(ツアチェン)(鞏利)ら家族を抱えて路頭に迷った福貴は、それでも影絵芝居の劇団を興してなんとか食いつなぐのだった。

 やがて、国民党と共産党の争いに巻き込まれた福貴は、家族と引き離されて国中を荷役夫として引っ張りまわされる。艱難辛苦の末、ようやく故郷に生還した彼の前で、「地主階級」として公開処刑されたのは龍二であった。悲惨な情景を目撃し、運命の図りがたさを知った福貴は、愛する家族のために、どんな辛いことでも耐えて生き抜こうと決意する。

 1950年代。「大躍進」の美名のもとに、国民は全ての鉄製品を政府に供出させられた。福貴は喜んでこれに協力するが、影絵芝居の道具だけはそれに偲びず、製鉄工場での上演を条件に町長に見逃してもらうのだった。「偉大なる毛主席」の名のもとに不眠不休の重労働が続き、幼い子供たちですら睡眠不足に倒れていく。そんな中、福貴の最愛の一人息子・有慶(ヨウチン)が学校で事故死してしまった。悲しみに沈む家族。

 1960年代。夫婦の一人娘・鳳霞(フォンシア)は年頃の美しい娘となった。夫婦は町長の好意で、愛娘を働き者の工場労務者・二喜(アルシー)とお見合いをさせ、めでたく結婚となる。訪れる、つかの間の幸せな日々。

 しかし、世間では「文化大革命」の波が押し寄せていた。福貴は、大切にしていた影絵芝居の道具を、政府から「伝統芸能=反革命」とされたために、とうとう焼き捨てざるを得なくなる。区長であった夫婦の旧知・春生や、親切だった町長は、「走資派」と呼ばれて公職追放されて弾劾される。そんな中、出産を控えた鳳霞は、家族に連れられて病院に行ったのだが、ここで勤務するのは「紅衛兵」の腕章をつけた子供ばかり。経験豊富な医師は、すべて街頭で「自己批判」を強制され虐待を受けていたからだ。この結果、経験不足の紅衛兵が右往左往する中、鳳霞は両親と夫の見守る前で、死産で息絶えてしまうのだった。

 歳月は流れ、大きくなった孫・饅頭(マントウ)や二喜と一緒に、老夫婦は亡き二人の子供の墓参りに出かける。福貴と家珍は、孫を優しく見守りながら「活きる」ことの重さを噛み締めるのだった。

 

(解説)

 文化村ル・シネマで見て、やはり涙が止まらないくらいに感動した。

 私は張芸謀監督が大好きで、代表作はほとんど見ているのだが、「活きる」は彼の最高傑作だと思う。逆に、最近の「HERO」や「LOVERS」は、少しも良いと思わなかった。この監督は、ハリウッドの低脳監督のようにCGを使って遊んでいるようなタマじゃないと思うので、がっかりした。でも、「単騎千里を走る」では、本来の持ち味が少し復活したのかな?

 さて、「活きる」も、中国政府から上映を差し止められた作品である。その理由は簡単で、かなり露骨な共産党批判になっているからだ。善良な夫婦に次々に降りかかる災難は、すべて 毛沢東と共産党政府の狂信的で過酷な政策によるものだ。深夜の重労働が無ければ有慶は死ななかったし、知識人の公職追放が無ければ鳳霞は死なずに済んだのだ。

 それでも、善良な夫婦は恨み言を口にしない。すでに40年代から艱難辛苦を舐めている彼らは、「人生なんて、しょせんはこんなものだ」と達観しているからだ。彼らは、この暗く重い社会の中で必死に喜びを見つけていこうと努力する。その姿勢が前向きで優しいため、この映画を見ていると「生きる元気」が湧いてくるのだ。まさに「活きる」である。そういう意味では、これは必ずしも「反政府映画」とは言えない。抱えるテーマは、もっともっと遥かに深い。

 歴史マニアの立場からも、当時の中国の市井の様子を俯瞰的に見ることが出来て興味深い。中華民国末期の盛り場や影絵芝居の様子、製鉄所での勤労風景や公共食堂、共産党体制下の結婚式など、文化的にとても価値のある絵をたくさん見ることが出来るのだ。思わず、「イーモウ監督ありがとう!」と叫びたくなってしまう。

 イーモウ作品でお約束の鞏利(コンリー)は、相変わらず抑制の効いた良い演技をしている。イーモウは、はっきり言って彼女と別れてから生彩を欠くようになった。この二人、ナポレオンとジョゼフィーヌみたいな関係だったってことだろうか?(笑)

 毛沢東とその政策を批判的に描いた作品といえば、最近ユン・チェアン(張戒)の「マオ」が評判になった。しかしこれは、毛沢東の悪行ばかりを悪意に偏って描いた作品ゆえ、はっきり言って「下品」だし、歴史的にも正確とは言いがたい。彼女は、安全なイギリスに住んでいるから、思う存分に悪口を書けるのだろうけど、あの描き方は感心できない。

 その点、「活きる」は政府批判としてもギリギリの線を走って「上品」だし、物語も脚本も本当に良く練られていて感心する。「社会派」は、本来こうあるべきだ。

  私見では、毛沢東の本質は「書生」だったのだと思う。彼は、農民出身とは言いつつも、実際に農作業に従事したことはないし、工場で労働したこともない人物だった。すなわち、書物で学んだ空虚な理想をそのまま現実社会に投影しようとして、結果的に多くの犠牲を招いた人物なのだ。

 これは有名なエピソードだが、彼は農地を巡察したときにスズメを見て「あの害鳥を皆殺しにせよ」と周囲に命じた。こうして、中国全土でスズメが大量に殺された結果、従来は彼らに捕食されていた害虫が大量発生して苗木を食い荒らし、ついに中国全土が大飢饉に見舞われたのである。毛沢東は、スズメが「益鳥」であることを知らなかったのだ。そんなこと、常識だと思うのだが。

 また、毛沢東は「大躍進」のとき、鉄の生産こそが近代化の第一歩だと認識して、中国全土からあらゆる鉄製品を徴発した。鉄が必要だという認識自体は正しい。しかし彼は、各地の自治体に簡単な小型溶鉱炉を自製させて、その中で鉄を精錬したのである。このような鉄が「鋼鉄」に精製されるわけがないから、結局、不眠不休の重労働は物の役に立たない鉄くずを大量に生み出しただけの結果に終わったのである。「活きる」の有慶坊やは、こんな愚劣な行為のために犠牲になったのである。毛沢東は、鋼鉄の製造法すら知らなかったというわけだ。

 「文化大革命」も、同じことである。文革の意味については、様々な議論がある。もちろん、毛沢東と劉少奇らとの権力闘争が背景にあったことは間違いない。しかし、権力闘争の根底にあったのは、経済発展によって貧富の差が生じることを「絶対悪」と決め付ける毛沢東の「書生根性」だ。彼は、成功者を弾圧することで、社会格差を無くして「平等な社会」を創出しようと考えたのである。しかし、良く学び良く働く人が、怠け者よりも成功して格差がつくのは人間社会の当然の摂理である。毛沢東はそんな常識を知らず、己の空虚な思想に照らしてこれを無理やり否定しようとしたのである。「活きる」の鳳霞は、そんなことのために殺されたのだ。

 しかし、今の日本もこれと似た状況にあるようだ。「ゆとり教育」や「ジェンダー教育」の根底にあるのは、毛沢東と同様の「空虚な書生根性」である。我が国の実権を握る中央官僚たちは、しょせんは受験勉強でしか世間を知らない「書生」に過ぎない。そんな彼らを監督するべき政治家たちは、幼いころから贅沢三昧に甘やかされて育った二世か三世議員ばかりだ。毛沢東と同レベルか、それ以下の連中なのである。

 ・・・我々は、今や「活きる」で描かれた悲劇を追体験しようとしているのだ。この悲惨な事実は、もっと痛切に認識されるべきであろう。

 


 

ライフ・イズ・ビューティフル

             LA VITA E BELLA

 

制作;イタリア

制作年度;1998年

監督;ロベルト・ベニーニ

 

(あらすじ)

 1939年のイタリア。青年グイード(ロベルト・ベニーニ。これも監督兼主演かよ)は、叔父の住むアレッツオの街を訪れる。小学校教師ドーラ(ニコレッタ・ブラスキ)に一目ぼれした彼は、様々な機知を用いてアピールし、ついにファシストの婚約者の手から彼女の心を奪い、そして結ばれるのだった。

 やがてグイードは念願の古本屋を開業し、ドーラとの間には可愛い一人息子のジョズエ(ジョルジオ・カンタリーニ)が生まれる。しかし、ユダヤ系であるグイードとその家族は、ナチスの影響下に置かれたイタリアで、次第に周囲の敵意にさらされるのであった。

 ついに、グイードとジョズエが強制収容所に送られる日が来た。夫と息子を案ずるドーラは、非ユダヤ系にもかかわらず家族と同行する。

 死と隣り合わせの絶滅強制収容所の中で、グイードは必死にジョズエを守ろうとする。彼はジョズエに、「ここでは『隠れんぼ』ゲームが行われていて、最後まで隠れることに成功すれば、景品として本物の戦車が貰えるのだ」と嘘をついて愛児の心を守り、同時にナチスの看守の目から息子を隠し通す。

 やがて解放の日が来る。最後まで隠れることに成功し、母とも再会できたジョズエは、父が家族を守るためにナチスに射殺されたことも知らず、現れたアメリカ軍の戦車を約束の「景品」だと思って駆け寄るのだった。

 

(解説)

 カンヌをはじめ、さまざまな映画賞を総なめにした傑作である。

 しかし、私はあまり高く評価していない。「不条理劇」としては「鬼が来た」に及ばないし、「人生賛歌」としても「活きる」に及ばないからである。ただ、物語の構造自体は、 一見するとこれらの作品に似ているので、ここで採り上げる次第である。

 「ライフ・イズ・ビューティフル」の最大の問題点を端的に言えば、これがコメディなのか不条理劇なのか判然としないことである。その理由は、ベニーニ監督がコメディの手法を用いて不条理劇を撮ってるからである。

 物語の前半は、完全なコメディである。元気者のグイードが、ファシスト政府を揶揄しつつ「お姫様」ドーラの心を掴んでいく様子は、実に良く出来た最高のコメディだった。前半部分については、まったく文句のつけようがない。

 しかし、問題は後半である。なにしろ舞台は「絶滅強制収容所」なのだから、ここには本来、コメディの介在する余地がない。実際、後半部分の物語は非常に深刻である。主人公たちは、何も悪いことをしていないのに、ユダヤ系であるというただそれだけの理由で死の影に脅かされる。物語のラストで、グイードは妻子の命を守る引き換えに殺されてしまうのだ。まさに不条理劇である。ところが、こういった深刻な不条理劇の展開を、前半とまったく同じコメディの作劇術で処理しているのが問題なのである。

 不条理劇を作るためには、物語の基本構造及び細部のリアリティが非常に大切である。なぜなら、テーマそのものが「普通では有り得ないこと(たとえば、ユダヤ人というだけで抹殺されること)」なのだから、それを支える物語部分に「なるほど、こういう状況の結果なら、こういうことも有り得るかも」と観客に思わせるだけの確固たるリアリティの創造が絶対不可欠なのである。

 ところが、コメディの作劇法はこれとは逆である、コメディのテーマは、基本的に「有りそうなこと(たとえば、グイードとドーラが結婚すること)」なのだから、観客に物語のリアリティを追求させても意味がないし、かえって面白くない。だから、むしろ「有り得ない」ような状況設定をたくさん作って、それで観客を笑わせるのである。

 以上、良質のコメディと良質の不条理劇は、作り方が「完全に正反対」でなければならない。

 ところが、「ライフ・イズ・ビューティフル」は、一本の映画の中で、この完全に矛盾することを同時にやろうとしたために無理が出たというわけだ。

 具体的に言えば、映画の後半部分は「不条理劇」であるはずなのに、その状況設定は「有り得ない」ことの連続であり、まるっきりコメディになってしまっている。これは失敗である。

 第一に、グイードとジョズエが、「ドイツ国内の絶滅強制収容所」に移送された理由が分からない。グイードは、平凡な古本屋を営むイタリア人であって、反ナチスの過激な破壊活動をしたわけでもない。それなのに、いきなりドイツの強制収容所に移送されることは現実には「有り得ない」はずである。

 確かにドイツとイタリアは同盟関係にあったし、ムソリーニもユダヤ人弾圧には賛同していた。しかし、イタリア在住のユダヤ人はイタリア政府の管轄下にあったはずだし、この国のユダヤ弾圧はドイツほど過激でも残忍でもなかった。 もっとも、ムソリーニ失脚後の戦争末期ならドイツ国内への移送も有り得たかもしれないが、映画の舞台設定はそのようではなかった。

 どうやらベニーニ監督は、イタリアの収容所だと物語が面白くならないので、あえて歴史に目を瞑って「有り得ない」状況設定をしたのだろう。

 第二に、ドーラが同じ収容所に入れられた理由が分からない。ドーラは平凡な市民であって、しかも夫や息子と違って「人種的に純潔」であった。だから、どんなに彼女が望んだとしても(そもそも、そこが人間心理的に不自然だと思うが)、決して絶滅収容所には入れてもらえなかっただろう。それなのに、彼女は絶滅収容所内で、他の囚人たちとまったく同じ重労働につかされていた。これは「有り得ない」。

 第三に、ジョズエが終戦までナチスの看守の目から身を隠していられた理由が分からない。イタリアならともかく(笑)、ナチスドイツの官僚機構がそこまで杜撰であることは「有り得ない」のである。几帳面な彼らは、点呼なり死体数の集計なりで違算に気づき、即座に何が起きたか察知するはずなのだ。

 第四に、ジョズエが最後まで自分が置かれた状況に気づかなかった理由が分からない。彼の周囲では、人がバタバタ病死したり看守に殴り殺されたりしていたはずだ。それなのに「これはゲームだ」との父親の言葉を完全に鵜呑みにしていたとすれば、物凄く頭の悪い愚鈍な子供だったとしか思えない。しかし劇中のジョズエは、利発で感受性の豊かな普通の子供として描かれていた。これは「有り得ない」のである。そもそも、子供が危険を察知する能力は大人以上である。子供は体が小さくて抵抗力が弱いから、危険を嗅ぎ分ける本能が大人よりも研ぎ澄まされている。それが、周囲一帯に立ち込める「死の臭い」にまったく気づかないなどということは、絶対に「有り得ない」と断言できる。

 第五に、ラストのアメリカ軍戦車の登場シーンは、現実には「有り得ない」のである。 戦争末期になると、歩兵用の携帯用対戦車火器(バズーカ砲やパンツアーファウストなど)が発達し、両陣営の歩兵部隊はそれを標準装備していた。したがって、戦車はもはや決して安全な兵器ではなく、常に大勢の歩兵を護衛につけて行動しなければならなかった。「プライベートライアン」のラストの戦闘シーンを思い浮かべて欲しい。しかるに、ジョズエの前に現れた戦車は、歩兵の護衛を伴わずに、しかもたった1台で登場した。これは、当時の軍事常識的に「有り得ない」のである。ただしこのシーンは、グイードがジョズエに約束した「『かくれんぼ』ゲームの景品」の伏線の消化としては見事である。

 以上、「有り得ない」状況設定や心理描写がこれだけ続くと、不条理劇としてはもはや成り立たない。つまり、この映画の後半部分は、笑える箇所がほとんど存在しない残酷な内容であるにもかかわらず、完全な「コメディ」になってしまっているのである。前半部分と本質的に同じなのである。

 しかし、人類史上最悪の組織的犯罪である「絶滅強制収容所」を「コメディ」として描くのはどうしたものだろうか?これは、犠牲者に対する冒涜なのではないだろうか?

 もっとも、ベニーニ監督の編集や劇のテンポが非常に良かったため、私も映画館で見ている間はあまりこうした問題点に気づかなかった。後から、ジワジワと気づいたのである。

 「前半コメディ+後半不条理劇」という斬新で実験的な試みは素晴らしかった。ベニーニ監督の勇気と冒険心は大いに賞賛されるべきである。しかし残念ながら、それを表現するための作劇技法が未熟であった。「ライフ・イズ・ビューティフル」は、そういう映画なのである。

 


 J・S・A

       共同警備区域J・S・A

 

制作;韓国

制作年度;1998年

監督;パク・チャヌク

 

(あらすじ)

 朝鮮戦争の休戦以降、38度線は国際管理地域とされ、南北両軍の兵士が国連の管理下で警備についていた。

 そんなある日、北朝鮮側の歩哨所で殺人事件が起きる。北朝鮮人民軍のチェ・マンス上尉とチョン・ウジン戦士(シン・ハギョン)が拳銃で惨殺され、オ・ギョンピル中士(ソン・ガンホ)が重症を負った。下手人は分かっていた。韓国のイ・スヒョク兵長(イ・ビョンホン)である。

 韓国の軍病院に収容されたスヒョク兵長は、歩哨中に北朝鮮に拉致されたものの、哨兵を倒して脱出を果たしたのだと主張していた。

 しかし、北朝鮮側の証言はまったく違った。彼らは、スヒョクの奇襲攻撃を受けて、一方的に兵を殺されたというのだ。

 下手にこじらせると戦争になる。

 真相究明のために、共同警備区域を訪れたスイス国籍の国連将校ソフィー・チャン少佐(イ・ヨンエ)は、死体に残された銃弾と、拳銃から発射された銃弾の数が一致しないことから、スヒョク兵長の偽証に気づく。彼女は、スヒョクの同僚であったナム・ソンシク一等兵(キム・テウ)が現場に居合わせたことを暴くのだが、「秘密」を当局に知られることを恐れたソンシクは、投身自殺をしてしまった。

 実は、スヒョクとソンシクは、ふとしたことから北側の哨兵オ・ギョンピルとチョン・ウジンと親しくなっていたのである。互いに「アニキ」などと呼び合う彼らは、国境を越えて子供のように楽しく遊んだり物資をやり取りしていたのだった。しかし、これは重大な任務違反であり、国家反逆罪に抵触する行為だったから、彼らは決してこの友情を公に出来なかったのである。

 北側の上官であるチェ・マンスが歩哨所に踏み込んだことから、彼らの友情は終わりを告げた。その場に居合わせたスヒョクとソンシクは、半狂乱になってチェ・マンスもろとも親友のウジンを撃つ。そしてギョンピルは、弟のように思う彼らを逃がすため、上司に止めを刺して自らも重傷を負ったのだった。

 ソフィーは、事を大げさにしたくない上層部の妨害を撥ね退けながら、真相を暴いていく。その結果、親友を自らの手で射殺したことによる良心の呵責に耐えかねたスヒョクも、ソンシクの後を追うように拳銃自殺してしまうのだった。

 

(解説)

 南北分断の悲劇を描いた傑作である。

 夜のしじまを破る銃声から物語が始まる。あたかも「藪の中」のように錯綜する証言が飛び出す中、主人公ソフィーは卓抜な推理力と人間洞察力で真相を暴いていく。こうして到達した真相は、あまりにも「哀しい」ものであり、暴いたソフィーも関係者たちも決して幸せにはならない。そう考えるなら、「J.S.A」も一種の「不条理劇」だと言えようか。

 南北分断の悲劇は、同じ言語を共有する同じ文化圏に住む人々が、政治やイデオロギーの勝手な都合によって2つの国家に引き裂かれ、しかも現在に至るまで戦争状態にある事である。こうした異常な本質を語る上で、「南北両軍兵士の秘密の友情」は、実に格好の題材だったと思う。友情を育むことが国家反逆罪となる状況の異常さは、下手な反戦映画より遥かに「不条理劇」としての説得力を持っていた。

 ただ、「惜しい」と感じる点は多々あった。それは、登場人物の心理描写が、深いところまで掘り下げられていなかったことに起因する。

 原作小説では、ラストの悲劇は、たまたま南北の軍事的な緊張が高まったため、友人同士の深層意識の中に疑心暗鬼が生まれたことが原因であった。つまり、銃撃戦を行う以前から、すでに彼らの深層心理の中に殺意があったのである。しかし、映画ではこの書き込みが中途半端だった。それどころか、チョン・ウジン戦士の誕生日をお祝いして友情が最高潮に高まった時点で悲劇が起きたことになっていたので、少し不自然に感じた。どうして、スヒョクとソンシクが 、半狂乱になって銃をウジンに向けて撃ちまくったのかが説明不足なのである。

 また、主人公ソフィーの心理描写が中途半端だった。どうして彼女は、スイス軍上官や韓国軍将軍の制止や妨害を振り切ってまでして、真相究明に没頭したのだろうか?彼女の この行為によって、ナム・ソンシクもイ・スヒョクも自殺してしまう。のみならず、この行為とその結果は、恐らくは彼女のキャリアにとっても大きな失点となったはずである。

 原作小説では、主人公(男性である)自身のルーツ探しがストーリーに微妙にからみ、これが真相究明への重要な動機になるのである。しかし、映画ではこの部分の描写が薄っぺらだったために、ソフィーの行為の理由が良く分からない。むしろ、ソンシクとスヒョクを無情にも自殺に追い込むことによって、ソフィーが「頭が良いことを鼻にかけるだけの、冷酷でエゴイスティックな嫌な女」にしか見えなかった。私は、彼女を演じたイ・ヨンエのファンなので、これをとても残念に感じた。

 以上のような問題点はあるけれど、「J.S.A」は一見の価値がある優れた映画だと思う。もう少し人間描写がちゃんとしていれば、超一流の名画になれただろうに。

 


シルミド

       実尾島

 

制作;韓国

制作年度;2003年

監督;カン・ウソク

 

(あらすじ)

 1968年1月、北朝鮮の31名の特殊部隊が青瓦台(韓国大統領府)に奇襲攻撃を仕掛けた。この襲撃はからくも撃退できたのだが、恐怖にかられた大統領は「報復」を軍に命じた。すなわち、南からも特殊部隊を送り込み、金日成の暗殺を狙えというのだ。

 こうして、684特殊部隊が編成された。ヤクザや死刑囚から抜擢された31名は、仁川の沖に浮かぶ実尾島(シルミド)に隔離され、過酷な軍事訓練を受ける。彼らは、この任務に成功すれば過去の罪を全て赦され、祖国の英雄になれるものと思い込んでいた。

 犠牲者続出の過酷な6ヶ月の訓練の後、684特殊部隊は韓国最強の精鋭に生まれ変わっていた。しかし、いよいよ出撃となったその日に、作戦中止の命令が下った。複雑な国際情勢の中、韓国政府は北に対する軍事力行使を諦めざるを得なくなったからである。

 684特殊部隊は、その後2年以上もシルミドに隔離された。目的を失い精神が弛緩した隊員たちは、次第に上官に逆らったり、隣の島に抜け出して民間の女性をレイプしたりするようになった。この状況を苦慮したチェ教育隊長(アン・ソンギ)は、ソウルに対策を訴える。しかし、韓国政府が下した決定は、「684特殊部隊の抹殺」であった。もともと、韓国政府にとって「死刑囚やヤクザを中心にした特殊暗殺部隊」の存在は、国際世論上、極めて都合の悪いものであった。政府は、この理不尽な虐殺任務を、チェ隊長とその部下たちに命じたのである。

 煩悶したチェ隊長は、この情報を可愛がっていた隊員のカン・インチャン(ソル・ギョング)に漏らす。この結果、シルミド全土を舞台に、隊員たちと教官たちの悲惨な戦闘が展開された。チェ隊長はインチャンの眼前で拳銃自殺し、隊員たちは多くの仲間を失いながらも島を占拠した。しかしこの過程で、自分たちの戸籍が祖国でとっくに抹消されていることを知る。

 1971年8月。684部隊の生き残り24名は、せめて自分たちを絶望に追いやった張本人の顔を見て死のうと考えて、ソウルに上陸する。乗り合いバスをハイジャックした彼らが目指すのは、大統領府である。しかし、「共産ゲリラ」のレッテルを貼られた彼らを待っていたのは、軍と警察によって張られたバリケードと、情け容赦の無い銃撃であった。カン・インチャンやハン・サンピル(チョン・ジェヨン)らは、大破したバスの中で、互いに最後の名乗りを上げながら自決用の手榴弾のピンを引き抜くのだった。

 

(解説)

 実に重厚な悲劇である。

 684部隊編成のきっかけとなった1968年1月は、ちょうど私が生まれた時であるが、このような事件があったことはこの映画を見るまで知らなかった。

 冒頭は、北朝鮮特殊部隊の進撃と壊滅、そして主人公カン・インチャンがヤクザに身を落として刀で殺人を犯して逮捕される場面が交互に語られる。ここの編集があまり上手じゃなかったので、違う事件が同時平行に起こっていることを理解するまでに時間がかかった。こういうところが、韓国映画がまだまだ「荒削り」だと感じる部分である。

 しかし、その後の演出のテンポは実に良い。過酷な訓練の描写はちょっと大げさだったが、往年の日本のスポコン漫画みたいなノリで楽しめた。また、登場人物(そのほとんどが、坊主狩りの青年たち)の個性の書き分けが実に上手に出来ていたので心から感心した。彼ら訓練兵の中に葛藤があり、また彼らを教育する兵士たちの中にも葛藤があり、当然、訓練兵と教育兵の間にも葛藤がある。つまり、人間ドラマが多重構造になっていて、全体で玄妙なハーモニーを奏でていたのが実に良かった。

 物語の起承転結の組み上げ方も素晴らしい。せっかく訓練を終えて嵐の海の中を出撃したのに、中止命令を受けた上官たちに制止される場面は「前編終了」と言うべき見事な絵に仕上がっていた。その後の一転した弛緩ムード、それが抹殺命令によって狂気の殺戮に移行するテンポの取り方など、あまりにも完璧で文句の付けようがない。

 教育兵の中で、冷酷な鬼の教官であったチュ二曹(ホ・ジュノ)が最後まで訓練兵抹殺に反対したのに対して、温情的な教官だったはずのパク二曹(ネ・ジョンホン)がむしろ積極的に抹殺に賛成する場面が印象的だったが、人間社会なんて意外とこんなものである。このシーンは、非常に説得力があってリアリティを感じた。

 また、私はカン・インチャンを演じたソル・ギョングのファンなので、彼の味のある見事な演技を見られただけでも大満足だった。

 ただ、これはあくまでも「映画」なので、史実とは多くの点で隔たりがあるらしい。例えば、訓練兵が反乱を起こすきっかけとなった「抹殺命令」は、実際には出されなかったという説が有力である。大規模な官僚組織というのは、面倒な問題を「先送り」にするのが大好きだ。恐らくは、韓国軍もその例外では無かっただろう。684部隊をどう扱うべきか、書類を盥回しにして問題先送りを続けているうちに、疑心暗鬼と欲求不満にかられた訓練兵が、あのような暴発を起こしたというのが歴史の真実なのだろう。それでも、映画で語られる「抹殺命令」の描写に非常にリアリティがあったために、ストーリーが違和感なくスムーズに展開したのだから立派である。

 正直言って、私は日本映画より韓国映画のほうがレベルが高くて面白いと考えている。その最大の理由は、韓国映画は「語りたいテーマ」がしっかり備わっているのに対して、日本映画にはそれが存在しないからである。

   


ブラザーフッド

       BROTHER HOOD

 

制作;韓国

制作年度;2004年

監督;カン・ジェギュ

 

(あらすじ)

 1950年、ソウルに住む仲の良い兄弟ジンテ(チャン・ドンコン)とジンソク(ウォンビン)は、兄の恋人ヨンシン(イ・ウンジュ)や優しい母とともに幸せに暮らしていた。しかし、北朝鮮軍が突如として奇襲攻撃を仕掛けたことから、彼らの生活は破られる。家族を守って水原(スオン)に避難しようとした兄弟は、その途中で無理やり韓国軍に編入されてしまった。

 喘息持ちで体の弱いジンソクを労わるジンテは、自分が二人分の活躍をすれば、兄弟揃って除隊できるものと信じて、あえて危険な任務に志願するようになる。

 北朝鮮の大軍は、たちまち韓国領のほとんどを占領し、ついに最後の砦・釜山(プサン)橋頭堡を攻囲した。兄弟をはじめ、最後の韓国軍は絶望的な奮闘を見せるが、敗色は次第に濃くなる。

 しかし、アメリカ軍が北朝鮮軍の横腹を衝いて仁川に上陸したことで戦局は逆転した。韓国軍は、釜山から猛反撃に出てソウルを奪回し、平壌も占領し、ついに中国国境に迫る。しかし、この過程であまりにも過酷な生活を強いられた兄弟の人格はすさみ、特にジンテは冷酷な殺人鬼のようになっていた。

 やがて、中国が参戦したことで、朝鮮戦争の戦局は再び逆転する。兄弟は多くの戦友を失いながらソウルに撤退する。しかし、この地でようやく再会したシンテの恋人ヨンシンは、狂信的な韓国人の愛国者集団によってスパイの濡れ衣を着せられ挙句、兄弟の目の前で同胞によって殺されてしまうのだった。

 彼らによってジンソクも殺されたと誤解したジンテは、怒りのあまり北朝鮮軍に寝返り、精鋭部隊「旗」師団の将校となった。それを知ったジンソクは、負傷を推してソウル北郊の激戦地へと向かう。悲惨な流血の中で、ついに再会を果たした兄弟。心を取り戻したジンテは、愛するジンソクを逃がすために最後の奮戦を見せるのだった。

 

(解説)

 朝鮮戦争(1950〜51)の全貌を、史実どおりに開戦から休戦まで描いた唯一の映画である。歴史ファンは必見である。

 主演のチャン・ドンコンとウォンビンがアイドル的なイケメン俳優なので、当初はいろいろ危ぶんだのだが、彼らの演技は実に見事だった。さすが、ジャニーズとはレベルが違う。

 なお、大勢の日本の女の子たちは、二人のイケメンスターをスクリーンで見るために「きゃーきゃー」叫びながら映画館に突進したものの、2時間後には青ざめて映画館を後にしたという(笑)。これは、それくらいハードな映画なのである。

 カン・ジェギュ監督は、超ヒット作となった「シュリ」で、随分と漫画チックなアクションを描いた人だ。しかし、この「ブラザーフッド」では逆を行き、かなりリアルで生臭くバタ臭い戦闘シーンを描いている。この映画の印象を一言で表現するなら「泥と血」である。しかし、実際の朝鮮戦争もきっとそうだったことだろう。

 こういったリアル志向の背景の中、兄弟の情愛の描き方がとても上手だったので、ラストは思わず感涙が溢れてしまった。この映画に限らず、韓国映画は友情とか愛情の書き方がとても上手だと思う。それに引き換え、日本製の友愛はいつも「わざとらしいし嘘臭い」のである。これは、俳優の演技力の問題というよりは、脚本家の能力の問題じゃないかと思うのだが。

 物語を貫く思想も、純粋な「反戦」が力強く表現されていて見事だった。この映画は、侵略してきた北朝鮮の悪を描くのではなく、その背景に横たわる国際政治の悪を描くのでもなく、韓国の正義を描くわけでもない。「戦争そのものの本質的な悪」を描いているのだ。だからこそ、ジンテの恋人が同胞の韓国人によって殺されるシーンも衒いなく描かれたのだ。

 ところで、我が国での戦争に関する議論は、「60年前の戦争は正義だったか悪だったか」という内容が多い。大雑把に言えば、あれを正義だと主張するのが右翼であり、悪だと主張するのが左翼だ。私に言わせれば、どちらも幼稚である。日本が悪かった、否、アメリカや中国が悪かったなどと言い合っていても、水掛け論になってしまい、絶対に結論は出ないのである。くだらない水掛け論など忘れて、戦争そのものを悪と認識し、これを無くすための議論を講じるほうが遥かに建設的だ。「ブラザーフッド」は、こういった見識に人を立たせる上で優れた映画だと思う。

 しかし、このような巨悪の中で、主人公兄弟だけは命がけで「誠」を貫いた。これが、泣き所なのである。私は、昔からこのようなストーリーに弱いのであった。

 韓国映画は、まったく侮ることが出来ないと感じた瞬間である。