(※この文章は『インターコミュニケーション』誌(NTT出版)に発表したものに若干、 手を加えたものです。その後、大幅に加筆訂正された単行本『ダンシング・オールナイト 〜グルーヴィな奴らを探せ!』(NTT出版)に所収のものとはかなり異なります。)
第5回 無邪気に踊ってみせた
アトランタ五輪を目前に控え、今回はスポーツについて考え てみたい。スポーツ観戦はオリンピックに代表されるように、 人生訓を引き出す装置として扱われたり、ナショナリズムの 物語として読まれたりしがちだが、そうした身体(の見られ 方)の対極にあるような、いわば純粋な「スポーツする身体」 が、例えばバスケット・ボールのマイケル・ジョーダンだ。 その耐空時間の長さはもちろん例えば、後方に高く飛んでシ ュートしたり、後ろ向きでジャンプして180°回転してシュ ートするなど、ジャンプしてからの複雑な身体操作は誰にも 真似できない、まさに驚異である。あるいはボクシングのナ ジーム・ハメド。イングランド出身(オマーンからの移民の 子でアラブ系)のWBOフェザー級チャンピオンで、現在21 勝無敗。彼のファイティング・スタイルはこれまでになかっ たユニークなものだ。腕を決して上げずに、相手のパンチを 紙一重でかわしていく。上体を波打つように上下左右のくね らせる「ウィービング」や、上体を後ろに反らせてかわす 「スウェーバック」といったテクニックを駆使して、それこ そダンスするようにリング上を移動し、普通なら無理と思わ れるような態勢からパンチを繰り出していく。セオリーから はずれた打ち方ではあるが、きわめて柔軟に身体を使ってい るため、よくパンチが伸び、KOの山を築いている。ジョー ダンとハメド。この二人の動きは、たとえルールを知らない 者が見たとしても、驚きと喜びを与えずにはいない。(押切) 桜井:ベルリン・オリンピックの『民族の祭典』なんか見る と「何だよ、サッカーもバスケットもないじゃん」って、当 り前だけど。 押切:いままでは、走るとか、重いものを持ち上げるとか、 投げるとか、ものすごく基本的な、人間の役に立つというか、 ブルドーザーやトラックないときに代用品になる行為を競っ てた。ボールをうまく扱えてもまったく意味ないわけでさ。 いとう:「近代五種」はギリシャからきてることになってる けど… 押切:槍投げとかって、近代にオリンピックを始めたときに、 勝手にねつ造したってことはないのかな。 桜井:ギリシャの壷にかいてある絵を見てとかね。 いとう:本来は槍を投げる向こうに突き刺す標的があるわけ でさ。何が平和の祭典だか。 桜井:戦争に使うからだの技術だよね。みんな陸上競技は。 いとう:球技は戦争には役立たない。 桜井:スポーツっていうものは、まあ「疑似戦争」みたいな ものではあるよね。ちょうど中沢新一さんの『純粋な自然の 贈与』を読んでたら、ゲリラ戦や奇襲戦を組み込んだアジア 型の戦争モデルの話が出てきた(「すばらしい日本捕鯨」) 。従来の西欧型の戦争は「決定戦の場面では敵と味方はたが いにむかいあわなくてはならない」、つまり正々堂々ヨーイ ドンで合戦する。いってみれば100メートル走とか陸上競 技はこういう戦いだよ。いっぽうゲリラは「かくれんぼ」み たいなもんだから遊戯性ということで球技に近い。敵の裏を 掻くっていうのは要するにフェイントでしょ。ゲリラは勝つ ことが目的というより「負けない」ことが眼目じゃない?勝 敗よりもその「戦い振り」のしなやかさでしょ。ボールを使 った「ゲーム」のみどころと同じだよね。 いとう:アメリカの野球やバスケットや韓国のテコンドーと か、ヨーロッパ以外の「周辺的」なスポーツがどんどん入っ てきて、ようやくオリンピックが「ワールドミュージック」 みたいな状態になってきたでしょ。僕、小さい頃オリンピッ クなんてそんな楽しくなかったよ、いまみたいには。多彩じ ったよね。それが、ようやくいろんな微細な動きが入ってき て、見てて楽しめるようになった。でも、いまだに陸上競技 がメインではある。球技とかの対戦型のものは、どこか「脇」 のものかなって感じは続いてる。自分が記録を伸ばすものの ほうがスポーツの「王道」みたいになってるのは変わらない よね。 押切:「自分に挑戦」みたいな。 桜井:自我とか主体というような「近代」と密接な身体のも のがね。 いとう:「個」のスポーツ。でもサマランチなんかがオリン ピックの人気を上げようとしたとき入ってくるのはサッカー とかバスケットなわけでね。 桜井:だけどいまだに、特に日本なんかマラソンとか大好き じゃない。何?人生ドラマ?歯くいしばってるのを見るのっ て。「がんばれ日本」とか。でも実際はもう、そういう国威 発揚チックな見方は薄れてきているはずだと思うけど。 押切:そういう感じの国はまだまだいっぱいあるけどね。 桜井:たしかに韓国なんかは、「それ」があるから選手も強 くなってるわけだ。 いとう:だからある段階までは確かにそうなんだろうけど 、そこから先はアイデアを尊重できるか否かにかかってくる。 アメリカ流のね、プレイをエンジョイするというスポーツ哲 学。つまり、国威発揚とか、型にはまってると体が硬くなっ ちゃうでしょ。楽しんじゃいけないんだから。それはある程 度までは強いんだけど、そこから先はどうしようもない。だ って、M・ジョーダンみたいにとんでもない動きしてるやつ がいっぱいいるんだもん。決まった情報がないじゃん。そう いうものには、「エンジョイ」型じゃないと対応できないよ。 まあ日本もようやくサッカーで変わってきつつあるとはいえ るかもね。Jリーグが出来てから解説なんかで「よくゴール 前であれを思いつきましたねえ」とか言うようになったじゃ ない。むかしは常識みたいなのがあって、こう来たらこう打 つとか、それをうまくやったひとがすごいんだ、って思い込 まされてたけど、ほんとは「思いつき」なんだ、「センス」 なんだ、その瞬間に生成してくるアイデアがほんとなんだ、 ってことになってきてるんじゃないの。イチローや落合もさ、 こう球がくるんだったらこう打ってみたらどうだろう、とか いうようなその場の思いつきが大きいはずだよ。解説もサッ カー以来変わってきてて、「あそこでああ打つっていうアイ デアがすごい」とか。 押切:イチローなんか「いい三振ができましたねー」とかい うもんね。変に当たるより自分の軸とか、持ってるものが崩 れないっていうことはあると思うんだよね。ボールが当たら なかったというか。スパーンときれいに三振できたら、次の 打席のときにそのときの身体記憶(快感)が残ったままスカ ーンと打てるって、そういうこと言ったりする。 いとう:今までの「スポーツ言説」とは全然違ってんじゃん。 練習通りやることがスポーツだ、というふうに… 押切:思い込まされてきたんだけど、昔のプロ野球の職人み たいな名選手の話を読むと、けっこう、セオリーを守ってい ないんだよね。しごかれてもコーチとかの話を聞いてない。 いまも、ウエイトトレーニングなんかのメニューが組まれて も、一流になるやつは大抵ちょっとさぼるらしい。二流とか 一流半だとすごくしっかりやって、球も速いの投げるんだけ どなんだか勝てない、っていうことはよくあるらしい。 いとう:じゃあ、やっぱり結局アイデアってことだよね。M ・ジョーダンなんかの、“なんでこんなところでレイ・アッ プしちゃうんだ?押されてるのに”っていうプレイは、たぶ んその度に思いついてる。これだったら後ろ向きに投げたら 入っちゃったりなんかして、と思ってるのを見てるのがこっ ちも楽しいわけで。 押切:アド・リブだよね。 いとう:ナジム・ハメドのボクシングもそれだよね。その度 に思いついたふざけた踊りしてる。あれ見てると、なんで思 いつきって見ててこんなに楽しいんだろうなあ、って思う。 ところがさ、きのう竹原の試合みてたら同じような「パフォ ーマンス」するんだけど、ぜんぜん硬いんだよ。これとこれ はやろうって決めてたみたいな。で、それしてる間に手がぶ らんとしてるから、バンバン打たれちゃって全然意味ない。 押切:防御のほうがアイデアがいる、難しいんだよね。相手 がどう攻めてくるかで、さっと切り替えなきゃいけないから。 日本のボクサーなんかはマスコミも、とにかく打って倒せと か特攻精神みたいなことを言うもんだから防御がいつまでた ってもだめなんだよね。ほんとはクリエイティヴなものって いうのは防御から生まれるのに。 いとう:そうだよね、相手が打って来るのに対応してその場 で思いつくわけだから、より複雑な動きが生成される。 押切:ジョーダンはディフェンスでも何回もベストチームに 入ってる。 いとう:どうやって思いつくんだろうね。一瞬でしょ。脳味 噌じゃないよね。脳味噌じゃないものが思いついてる。 押切:遊んでおぼえるって言い方しかないだろうね。ハメド も子供のころスラム街で殴り合ってたんだって。それをみた 会長がこれはいいってんでボクシングに入ったらしいよ。 いとう:やっぱ型じゃないんだ。からだの思いつきに従うよ うなことを自由にやらせとけば、いつまでたってもからだが アイデアを生む。 押切:ただある種のスーパースターになるためにはからだの なかにそれを反復できる回路を持ってないと、スランプに陥 ったときに、あれ、こうやって動けたはずなのに、ってなっ ちゃう。ジョーダンが何年もブランクがあって、野球やって てまたカムバックしても、またすぐ出来るようになったのは そういうのをちゃんと持ってるから。 桜井:野球はバスケとは全然違うのにね。 押切:動きの質が違う。バッティングはねじる運動だから。 それに対してバスケはかなり上下運動が要求されるからね。 だからジョーダンも野球ではうまく行かなかった。 桜井:野球は、対戦相手との関係性もかなり間接的だよね。 だって基本構造としては、投げた球だけが遠くのほうから来 て、こっちも突っ立って待っててやっぱり球だけ送り返すわ けだから。動きを読むっていっても一度放られた球はもう軌 道に乗ってるわけで、カーブだってバスケのフェイントみた いに一旦バックして変なところから飛んでくるとかってこと はありえないでしょ。消える魔球とか。 いとう:野球はある種、計測可能なシステムのなかでやるス ポーツだよね。だからやっぱり高度成長期の国が強いスポー ツって気がするんだよね。メディアとしての球があいだにあ って、それをどうやってシステマティックに動かすかってこ とが問題なわけで。さらに情報資本主義になってきて、もう とにかく情報が入り乱れるとサッカーなんかのほうが社会に 合ってくる。バスケットもそう。スピーディなほうが社会に 合ってくる。アメリカも野球から始まって、成長した後バス ケットのほうに行った。日本もようやくサッカーに行った。 この図式だと、そもそもサッカーが盛んな発展途上国は、実 は情報資本主義に向いているということになるんだな。 桜井:ツリーからネットへ、だ。 押切:日本の野球って大リーグに比べて圧倒的に試合時間が 長いじゃない。考えてる時間が面白いとかって、碁とか詰め 将棋みたいな。投げて来た球に対して、この高さだったら打 とう、たぶんカーブだから、とか考えて、それから体を始動 させる。アメリカだと、投げてきたらとりあえず振っときゃ いいじゃんという感じ。それでからだついてけば勝ちだし、 ついてけなかったら負けだろうっていうのはさ、どっちかっ ていうとサッカーなんかに近いんじゃない。 桜井:将棋も手を打つ制限時間を5秒とかにして、ポンポン 打たせたらおもしろいんじゃない?あんな腕組んで考え込む 暇なんか与えないで。 いとう:「妨害」もあるとか。押されたりなんかして。飛び 上がって打っちゃうみたいな。 押切:ルックス変わったりして。 いとう:茶髪でしょう。 押切:「銀縁派」は勝てなくなる。 いとう:あとさ、テレビとスポーツの関係ってあるよ。サッ カーと野球とじゃ、野球はほんとよく出来てるんだよ、テレ ビにとっては。サッカーはずーっと「引き」の絵じゃないと だめでしょ。 押切:テレビはほんと「クローズ・アップ」のメディアだか ら、バッター・ボックスで待つバッターの表情とか捕えやす い。サッカーだとそれあんま意味ないじゃない。動いてるわ けだから。 いとう:だれがシュートするかわからないから、その前の 「決心した顔」は撮れないわけよ。あとサッカーは変なとき にCMが入ちゃったりせざるを得ないから、どうも見てても うひとつ…。 押切:イギリス的なものって基本的に時計がしっかり止まら ないじゃない。レフェリーがだいたいで見てるわけだよね。 適当に止めて適当に始まる。アメリカの場合タイムアウトで きっかり30秒とか、フリースローでは止まるから、それだ とクローズアップ出来るんだよね。 いとう:それはテレビから決まったルールですね。もともと のサッカーのルールもテレビの要請で変わったりしてるらし いし。「CM討ちにくいんで、そこんとこひとつ」みたいな 圧力がすごくあるみたい。 押切:逆に野球だとNHKでCMないと、たるいじゃん。攻 守交代のときとか。 いとう:そう、困るんだよ。なんかぬいぐるみ踊ってんの見 せられたりして。結局野球みてるのって「テレビ番組」みて るってことでしょ。からだの動きを純粋に楽しんでいるわけ ではない。やっぱりからだの接触があるスポーツは動きのき れいさを楽しめる。ハメドなんかボクシングみてるっていう よりすごい楽しいダンスみてるっていう気がするんだよ。し かも勝敗っていう人間の基本的な欲望を満たすものが基本に あるだけに、ダンスより面白い。ところでさ、ジョーダンも サッカーもそうだけど、一番だいじなフェイントは、違う方 を見ておいて違う方にボールをやったりするじゃない。 押切:そうだね、あれは、あらかじめ決めてあるから全然不 安なくやれるっていうことはあるよね。もう一回見なきゃい けなかったら、スッといかないよ。 いとう:ハメドのパンチだって、左みてるのにそのときすで に正面の相手の顔狙ってたりするものね。よけられないでし ょ。サッカーでも、パス打つときパス打たないほうを見とい て打つ。からだの線が複数になるってことでしょ。それって フォーサイスじゃん。 桜井:うん、ハメドのからだの軸線もそうだしね。それと、 空間把握とかその空間に対してどう関与していくかっていう ことでもジョーダンのバスケットとかはフォーサイス的だよ。 むしろフォーサイスがバスケット的だってことかな。ジョー ダンの頭のなかに極めて視覚的にあるのは細かくグリッドに なった碁盤みたいなフォーメーション・ディスプレイ、しか も伸縮性のあるネット状のプレイ空間でしょう。まず、あそ ことあそことあそこに敵がいて、こことこことここに味方が いるとかいうことが完全に見えてる。で、それらがどういう ふうに動くかも予測として読めるんだろうけど、どうも彼に は自分が動いていくことで変化していく空間が瞬間瞬間ぜん ぶ見えてるんじゃないか、形態として。 いとう:自分は前見てても後ろの、例えばプレイ空間のグリ ッドのB-7ポイントに投げれば今ピッペンがいるとか、 押切:将棋で言ったら「三のなんとか」に桂馬がいる、と。 いとう:次にここに来るはずだ、じゃ角を打っとこう、と。 桜井:関係を目の前にいる奴と自分というのではなくて、か ならず空間のなかで考える。しかも空間の一点と一点じゃな くてネットワークだから、すべての因子が動的に関係してく る。フォーサイスだよ。従来のダンスのシステムでも舞台の グリッドのなかでの移動がすなわち振付であるわけだけど、 空間把握は固定的でしょ。フォーサイスは空間じたいを変え ていく。 いとう:要するに位置関係がちょっとでも違ってくれば…。 桜井:空間の形態じたいが変化していることになる。そして ダンサーはその空間を一瞬一瞬読んでさらにそこに介入し空 間を変えていく、と。バスケットとおなじでしょ。 いとう:じゃ、やっぱりスポーツのほうがすごいじゃん。だ ってフォーサイスは別にしても、ふつうのダンスのひとはそ の網目が粗いでしょ。 桜井:粗いというより、ないほうが多い。 いとう:だったらバスケとかのほうがよっぽど“ダンスとし て”もかっこいいわけで、だから興奮しちゃうんでしょ。だ からといって新体操なんか全然グルーヴないわけじゃん。 押切:シンクロナイズド・スイミングとかね。 いとう:我々がスポーツとダンスを新しく分けたほうがいい んじゃないの。シンクロナイズドとか新体操とかはダンスの なかに入れて、ダメなダンスとする。で、スポーツのジョー ダンとかハメドはダンスのすごくいいところに入れる、と。 押切:さっきのフェイントのことだけど、武道の世界では逆 に邪魔になっちゃう。お互い読めるようになってくると、フ ェイントしても、もうどこを攻めようとしているのか分かっ てるから無駄なわけ。ただ、スポーツの場合は常に攻撃的に 動いてなければならない、つまりじっと待って相手を見られ ないから武道のようには出来ないと思うのね。だから網目状 にグリッドでとらえて、振っといて、行くっていうのがすご く有効になると思うんだ。 いとう:フェイントをかけて左を向いたとき、相手は“グリ ッドが今こっち側に歪んだな”と思う。しかし、攻撃側は元 のグリッドの中で投げてるわけでしょ。そういう読み合いが ある。俺たちには底知れないような。そういうものはダンス にはないもんな。 桜井:ダンスというものが、歩行なら真直ぐ最短距離行くと ころを、くねくね歩くところに成立するようなものだとした ら、くねくねはフェイントみたいなもんだ。ところが、いま のダンスがダメなのは、真直ぐ行くべきときでもくねくねと しか歩けない、歩かない。フェイントが自己目的化するとい うか、ハメドのまねをしてる竹原みたいに、フェイントじゃ なくて意味のないパフォーマンスでしかなくなってる。 いとう:“やってみました”でバンって打たれちゃう。その 瞬間瞬間思いついて動かないとだめなのにさ、あれとあれを このラウンドではやろうと思って腰ふったりしてみせてるだ けだと、鼻っ面をバキーンとやられちゃう。 桜井:まったくそれはダンスの今日的状況と同じでしょう。 フォーサイスが出てきて慌てふためいてるけど「敵」の考え が全然読めないもんだから、ひたすら一生懸命動きをコピー する。そんなさー、“J・コルトレーンのアドリブ・ソロ 「完全コピー」!”みたいなことしてどうすんだよ?って。 ( 許可なく複製、転載をしないでください。) ダンシング・オールナイト: 第1回 第4回 第6回 へ行く
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