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2002年3月29日(金)        春の雪

 

 

ふわふわと雪が舞い上がる。
弧を描くように……。
ひとつひとつは、勝手に漂っているのに、
それが折り重なると、
不思議な統一性を生みだす。
そんな忘れられない光景を思い浮かべる。

昨日、花冷えのわずかな晴間に、
盛りを過ぎたソメイヨシノを観に、
この時期恒例の目黒川沿いを走った。
冷気の中、はらはらと花びらが舞い落ちる。
それはまさに春の雪。
風がなかったせいなのか、
まだ散りはじめて間もないせいか、
雨というよりは、雪だった。

今年は、ソメイヨシノが満開になるのが早かった。
ソメイヨシノだけでなく、
僕の好きなヤエベニシダレもすでに満開。
昨年、ランの途中でみつけた駒場野公園のヤエベニシダレももう散り際だ。
そうそう、有栖川公園でもヤエベニシダレを2本見つけた。
今日の雨で、散りはじめてしまうのだろうか。

 


 

 

2002年3月14日(木)        つがい

 

 

前にエッセイとかこの日記とかで書いたことがあると思うのだが……。
僕の住んでいる場所は、マンションの3階で、
電信柱の頭の部分が、部屋の天井の高さくらいだ。
部屋のソファに座って窓から外を見ると、
ちょうど目線のあたりに、
各家庭へと電気を配線するゲージが入っている長方形の箱が三つ、
電信柱に並んでくっついている。
ちょうどその奥に東京タワーが見えるので、
引っ越した当初は、この部屋の唯一のとりえの眺望を遮るので、
腹立たしかったのだが、
しばらく生活しているうちに、
その箱が愛おしくなってきた。
箱の中に、雀が毎年巣を作るからだ。
配線菅の入る小さな穴から、
小枝や草を少しずつ、くちばしで加えながら
すっと巧みに身体を入れて、
つがいで巣作りをはじめる。
なんでこんな無味乾燥な場所にと思っていたが、
そのうちに、その理由がわかった。
ある日、カラスがその穴をくちばしで突っついているのを目撃した。
そうか、カラスなどの外敵から卵を守るためにこの場所にしたのだ。
都会に暮らす、雀の知恵。
結局、カラスは何度かトライしていたが、
穴が小さすぎるのか、ほどなくあきらめた。
知恵比べは雀に軍配が上がったようだ。
そのうちに雛が孵り、鳴き声がベランダでも聞こえるほどになる。
そして、やがて巣立っていく。
そんなサイクルが、例年繰り返される。

仕事がひと区切りついたので、
昨日、確定申告をした後、
多摩川の河川敷まで走りに行った。
春の日差しで気分は爽快。
快調に走っていると、
前方に老人の背中。
抜かしながら見ると、車イスを引いている。
車イスには、帽子を小粋に被った老婦人が座っていた。
春の日差しに誘われて、
足の悪いおばあさんを河川敷に連れてきてあげたのかなぁ、
などと思って、二人を追い越した。
それから5キロほど走って、
そろそろ戻ろうかと思って、
もと来た河川敷の道を引き返す。
しばらくすると、さっきの老夫婦がこっちへゆっくりと近づいてくるのが見えた。
やっぱり車イスを引いて……。
でも、今度は、おじいさんがニコニコして、イスに座っている。
おばあさんが車イスを引いているのだ。
そして、おばあさんも微笑んでいる。

歩けないわけじゃない。
でも、お互いに少しずつ車イスを引く。
それだけのことなのに、
なんだか昨日の日差しのように温かい気分になった。

春の余韻とともに、今年も雀がやってきている。
去年のカップルなのか、巣立った子どもなのか、
よくわからないが、
今朝も高らかに、つがいで仲良く囀っている。


 

 

2002年2月25日(月)        花粉の時期のささやかな楽しみ

  

 

紅梅、白梅、そして、老梅の淡い色。
どこからか薫ってくる沈丁花の香り。
日ごとにほんわかした日差しが空気を包み込む。
なんでこんな春の気持ちのいい時期に、
杉花粉も一緒に飛ぶのだろう。
花粉には、罪はない。
でも僕ら花粉症を患っているものにとって、
花粉は凶器と化す。
春を満喫することは許されないようだ。

もう二十数年もつきあっているのだから、
対処法もいろいろ考えるのだが、
ここ数年は、花粉の量が多く、
薬なしでは生活できない状況が続いている。
今年もすでにレベル2の薬を飲んでいる。
レベル1だと、そんなに強くないから、
ほとんど飲んでいない状態と同じ。
かなりレベル1で、我慢していたのだが、
沖縄から戻って、花粉が蓄積されていないせいか、
戻った翌日は、春を満喫する余裕があったのだが、
翌日には、もう症状が出てきて、
先週末から、レベル2に切り替えた。
レベル2は、眠くはならない。
日常生活には影響ないが、
運動などを少しでもすると身体全体がだるくなる。
レベル3まで行くと、
もう常にだるくて、眠い。
願わくば、レベル2で留まってほしい。

花粉症に効くからと教えてもらった甜茶も、
1月から飲んでいるが、
今のところどのくらい効いているのかは、
わからない。
でも、やめたらもっとひどくなるような気もするので、
朝晩とせっせと飲んでいる。

とはいっても、嘆いていてばかりいても、
なんの解決策にもならない。
そんでもって、見つけだした花粉の時期のささやかな楽しみ。
この時期、花粉がびっちりとくっつくから、
洗濯物をベランダには干せない。
だからコインランドリーの乾燥機で
洗濯物を乾かさないといけなくなる。
すごい手間なのだが、
それを逆手に利用することにしたのだ。
乾燥機がまわっている間、
コインランドリーの横にある銭湯に入るのだ。
大きな風呂にゆっくりとつかる贅沢。
乾燥機代が300円の銭湯代が400円。
それぐらい花粉と闘うご褒美だと思って、
目をつぶることにしている。

杉花粉 風呂で流せば ただの粉
(おそまつ)

ところで……
杉花粉という季語は、存在するのだろうか。

 


 

 

2002年2月4日(月)        マニュアルじゃない

  

 

外食する時は、
なるべく画一的なチェーン店や
ファーストフードの店は
避けるようにしているのだが、
ちょっとランチの時間に遅れてしまったり、
夜遅くなったりした時は、
便利だから入ることもある。

ちょっと寝坊したので、
ブランチを食べようと、
モスバーガーに入った時のこと。
きんぴら入りのライスバーガーなどもあって、
ちょっとヘルシー感もあるので、
ハンバーガー屋の中では、
いちばん利用しているかもしれない。

そこの店員の茶髪の兄ちゃん。
細身で今風の感じ。
バンドでもやっているのかもしれない。
絶対バイトって感じ。
別にスマイルがあるわけでもなく、
淡々と注文を聞き、
淡々と会計をして、
『お席でお待ちください、できたらお持ちします』
と番号札をくれた。
はい、はい。マニュアル通り、よくできました……って感じ。

2階の窓際の席で、
飯を食ったら花粉症の薬を飲もうと、
(よく飲み忘れるので、食べる前に食卓に出しておくことにしている)
薬を鞄から出して、
ボケッと待っていると、
先ほどの兄ちゃんが注文したクラムチャウダーと
きんぴらのライスバーガーと
コーヒーをトレイにのせて運んできた。
『どうぞ、ごゆっくり』
とこれもマニュアル通り。
目もあわせずに、僕はぺこっと頭を下げる。
じゃあ、食べるか……と突然、
『あ、薬をお飲みになるんなら、水をお持ちしましょうか?』
『は?』
思わぬ展開に返す言葉がなかった。
兄ちゃん、そんなに優しい言葉をかけるなよって感じ。
たぶん、これが笑顔がいっぱいの女性の店員だったら、
そんなに驚かなかったかもしれない。
でもいかにもやる気のなさそうな今どきの若者から、
マニュアルとは違った言葉を聞いて、
『いいやつじゃん、こいつ』
一挙に株が急上昇。
いや、人は見かけじゃない。

『ありがとう』
そう返事をすると、
しばらくして、水を持ってきてくれた。
ほのぼのと照れ臭い感じだったけれど、
なんとなく気持ちが和んだのだ。

 



 

 

2002年1月26日(土)        馴染みのある響き

  

 

南太平洋にあるトンガから帰国した。
トンガは10万人ほどの人口を抱える王国。
王様が親日家ということもあって、
かなり日本との繋がりが深い。
青年協力隊などの援助関係の人たちも
かなり来ているので、
街を歩いていても、
あまり好奇の視線を浴びたりしないし、
人びとも普通に接してくれるので、
居心地がよかった。

それにしても・・・
トンガ語が、かなりイケているのだ。
離島から戻るプロペラ機に乗ろうとした時、
チケットに座席番号を手書きで書かれた。
他の乗客はちゃんと搭乗券をもらっているのに、
僕ら取材班だけが、なぜか搭乗券をもらえなかった。
もしやオーバーブッキングか?
とドキドキしていると、
ほどなく搭乗開始になった。
ゲート(といっても柵があるだけなのだが)のところで、
係員の青年にそのチケットを見せると、
「イイヨ」
といって僕らを通してくれたのだ。
えええ。
日本語が話せるのかなぁ?
・・・とその時思ったが、ガイドの話によると、
「イイヨ」はトンガ語でYESの意味だという。

まだまだある。
トンガには自国のビールがある。
もともとは、スウェーデン人がはじめたのだそうだが、
今ではトンガにはなくてはならない存在になっている。
そのビールのラベルには、『麒麟』ではなくて『鷲』の絵が描いてある。
名前は『イカレ・ビール』。『イカレ』とはトンガ語で鷲のことなのだ。
金曜日の夜ともなると、
普段はまじめで静かなのんびりとした気質のトンガの人びとも
ここぞとばかりに、海岸にくりだし、
遅くまでこのビールを抱えて大声で騒いでいた。
まさにイカレたビールなのだ。

極めつけは、
首都フクァロファの隣村の名前だ。
・・・・『ヌクヌク』。
思わず笑みがこぼれた。
トンガ語には、
なぜか妙に馴染みのある響きがある。
厳冬の日本に戻って、
のんびりとしたその村を思い出しながら、
鍋でも食べてヌクヌクしたい気分なのだ。


 

 

2002年1月2日(水)        僕流の正月の過ごし方

  

 

2000年に引き続き、今年も日本で正月を過ごしている。
昨日は、江ノ島元旦マラソンに参加した。
5キロの往復のコースだと聞いていたので、
フルマラソンだと、行ったり来たりを4往復。
ちょっと飽きるかもと、
20キロ部門にエントリーした。
快晴ではなかったのだが、
湘南の海の向こうに
富士山の雄姿が優雅に見えていた。
その富士山に向かって海沿いを走る。
富士という山は、
見れば見るほど調和のとれた自然美だと思う。
一幅の掛け軸の絵に吸い込まれるような感覚で、
気持ち良く走った。
12月はあまり走る時間がなかったのだが、
身体が軽く、思いがけなく良いタイムでゴールした。
ジムの仲間と昼飯を食った後、
都内の温泉のひとつ
用賀の山河の湯に行った。
元旦から露天に入って、
極楽、極楽。
僕流の東京の元旦を満喫した。

元旦はそれでよかったのだが、
まだまだ続くお正月。
それにしても・・・
正月はどこもかしこも休みなんだよね。
東京は静かでいいけれど、
プールも図書館も近くのドトールもあいていない。
こういう時は、こたつに入って、
テレビでもみながらミカンでも頬張るのが、
慣れ親しんだ正統派の日本の正月の過ごし方なのだろうが、
生憎、テレビもこたつもない。
40歳の節目の中学の同級会が田舎で5日にあるので、
それにあわせて帰省しようと思っている。
なつかしい正月はその時に満喫するつもりなので、
1月は結構忙しくて、原稿締め切りも重なっているから、
それじゃあ、仕事でもするかと、
代々木の貸机屋の『自習室』へ行くことにした。
その自習室の会員証にも年中無休と書いてある。
新年早々、集中して仕事をするぞと意気込んで、
代々木までパソコンを抱えて本日行ってみると・・・
『満席』
・・・そうだよなぁ。
図書館も休みだし、勉強したい人は山のようにいる。
予備校生は、正月なんて言っていられないはず。
センター試験まで、あと2週間だもんなぁ。

すごすごと帰ってきて、
今、この日記を書いている。
なんだか今年も、行き当たりばったりの
計画性のない年になりそうである。

 


 

 

 

2001年12月25日(火)        退化

  

 

思えば今日はクリスマスだ。
街は華やいでいることだろう。
僕の方はといえば、まったく世間の喧騒とは無縁で、
明日の締め切りに向けて、
ラストスパートという感じ。
本日も図書館に缶詰めだった。

あっという間に師走が過ぎた。
この2週間は、図書館通いに加えて、
忘年会のオンパレード。
重なってしまって、結局伺えないこともあるのだが、
フリーの身としては、
誘っていただけるだけでありがたいものだ。
今週もあとまだ3つも残っている。

ネパールの方と結婚している知りあいのライターの女性がいるのだが、
現地で仕入れたばかりの材料を使ってご夫婦が料理した、
『ネパールの家庭料理を食べる』
という忘年会に呼んでもらった。
野菜中心の素材を活かした料理は、スパイシィながらも優しい味で、
しかもヘルシーな感じで、とにかく美味い。
いくらでも食べることができる。
蓮の茎で作った食材は、
なんとも不思議な触感。
まるで肉を食べているようだった。

料理もさることながら、旦那さんの話がおもしろい。
たとえば・・・
ネパールの人びとは、
遠くからでもヤギのオスとメスを見分けることができる。
なぜかというと、
オスとメスでは、それぞれ独特の匂いを放っているそうで、
ネパールの人びとは、
幼い頃から当然のように嗅ぎ分けることができるそうだ。
視覚ではなく嗅覚で違いがわかるのだ。

人間の能力というのは、
使わないと退化する。
きっと僕がヤギのそばにいっても、
同じ匂いに思えるのだろうなぁ。

 


 

 

2001年12月1日(土)        魅せられて

  

 

先日のダイヤモンドが消えてなくなる話の日記を読んだ方が、
ダイヤモンドの燃焼実験ができるセットがサイトで売られていると教えてくださった。
本当に、ダイヤモンドを燃やしてみたいと思う人が、
この世の中には、たくさんいるというわけだ。

その方のメールを1部転載させていただきます。

●中村理科工業(株)

http://www.rika.com/index.html

オンラインショップのページから、「ダイヤモンド」で検索すると、
見つかります。以下、サイトから引用です。

 

 

ダイヤモンド燃焼実験セット

F35-1421
\4,800

左巻健男先生 考案ご指導

「ダイヤモンドは炭素原子からできていて、燃やすと

全部二酸化炭素になる」という実験を話だけではなく、

実際にやって魅せるためのセットです。実験室にある

ガスバーナーで簡単に燃焼できます。

 

【仕様】

■ダイヤモンド原石:(約0.03g)2個

■石英管:φ5(外径)×200mm 1本

■ゴム管:1m 1本

この宣伝文句のコピーをよくみると、
『やってみせる』が、『やって魅せる』になっている。
メールを送ってくださった方も、
これは単なる誤字なんだとうと、
書いていましたが、
もし、わざとこの『魅せる』という字を使っているとしたら、
かなりいけてるかもしれない。

どんな色を放って、
燃えるのだろうか。
ちょっと興味はある。
それにしても、どんな人がこのセットを手に入れて、
実際にやってみるのだろうか。
ダイヤモンドを燃やすことに魅せられて、
どんどんとエスカレートして、
何カラットものダイヤモンドを燃やしたくなったりはしないものか。
ちょっとへんなことにはまる僕としては、
危うさが見え隠れする、
この手の誘惑には、のらないほうが無難のようだ。

注:懐メロのようなタイトルが続きますが、
故意ではありません。たまたま思いついただけです。
若いころに流行った歌は、
今でも記憶のどこかに残っていて、
突然、流れ出すものです。


 

 

2001年11月24日(日)        色づく街

  

 

南国のロタから先週帰国したら、
めっきり街が色づいている。

あいかわらず図書館通いは続いているのだが、
夜、図書館の帰りに、六本木で大江戸線で乗り換えて、
プールへ行くのが日課になっている。
ある日、大江戸線の車内広告に目が止まった。
それがみごとな紅葉。
沿線のどこかの公園らしい。
で、よくよく見てみると、
代々木公園の木々の紅葉なのだ。
公園の近くに住んで早20年。
ここ数年は、時間ができれば公園の中を走っているのに、
あんなにきれいな紅葉ってみたことないなぁ・・・
とその時思った。

翌朝、早朝ランに代々木公園に出かけた。
紅葉は、寒い場所の方が美しい。
代々木公園で新緑の芽吹きは美しいと思った覚えはあるが、
紅葉はぴんとこなかった。
でも、よくよく見れば
代々木公園の木々の紅葉も、なかなか見ごたえがあるではないか。
東京も捨てたもんじゃないねぇ。
ただ、気がつく余裕がないだけなのかもしれない。
何より心を突き動かしたのが、朝焼けに輝くイチョウの黄葉。
光が黄金色に葉を染め上げて、
思わず立ちどまりたくなるような清冽な美しさだった。

人が気がつこうがつかまいが、
木々は毎年色づいているのだ。
今年の秋は、イチョウに気がついた。
来年の秋は、何に心が目覚めるのだろう。

それにしても、少し前まで、銀杏が臭くて臭くて、
走っていても毛嫌いしていたくせに・・・。
自分勝手なものである。
明日は、プールへ行く前に途中下車して、
絵画館前のイチョウ並木にでもいってみようか。

 


 

 

2001年11月7日(水)        消えてなくなる?

  

 

光り物には、まったく縁がない。
身につけているものといったら、
腕時計くらいなもの。
華僑は、異常なくらい金に執着するといわれているのだが、
僕は、とんと興味がない。
華僑の血が流れているはずなのだが・・・。

で、なんでそんな話題になったかは秘密にしておくが、
あるものを守るために、
金銭的なことを考えなければ、
鉄で覆われている場合とダイヤモンドで覆われているのと、
どっちが安全か・・・と悪友に聞かれ、
「そりゃ、鉄よりもダイヤモンドの方が堅いから、ダイヤモンドでしょ」
と答えたら、
「ば〜か。火であぶったら一瞬のうちにダイヤモンドって溶けちゃうんだぞ」
だって。
ダイヤモンドって炭素の塊だったことは知っていたけど、
ホントに溶けちゃうだろうか。
・・・ってことは、女性陣が必死で集めているダイヤモンドも、
火事とかになった場合は、消えてなくなってしまうってこと?
火事みたいに大袈裟じゃなくても、
たとえば、たばこの火とか間違って、
ダイヤモンドの指輪かなんかにこすりつけちゃったら、
溶ける?
ホントかぁ?

また無知さ加減をさらけてしまっただろうか。
文系だし、光り物には興味ないし、
また悪友に担がれたかなぁ?
でももし本当ならば、
紛い物か、本物かを見分ける一番簡単な方法は、
火であぶれば、いいということになる。
・・・でも溶けちゃったら、意味ないじゃん♪

 


 

 

2001年10月22日(月)        居心地

  

 

あっという間に10月は過ぎる。
「日記がちっとも更新されない!」
とのメールも何通か届いています。
「ああ、日記に書こうかな」
という気分的な余裕や日々の発見が、
なかなか原稿に追われていると、
なくなってしまうのかもしれない。
いけない、いけない。

最近は、代々木の自習室にもそろそろ飽きてきたので、
ちょっと遠いのだが、
広尾の有栖川公園の中にある図書館に通っている。
数年前までパソコン席というのはあったのだが、
電源が使えなかった。
最近は電源が使えるようになったという情報を先日友人から聞いて、
毎日というわけではないが、
さっそく通っているのだ。
公園の中にあるので、
風に揺れる木立なんかも窓越しに見えて、
環境としては、なかなかいい。
筆の方も、進む・・・はずなのだが、
思惑通りにはいかないものだ。
この図書館は、5階建なのだが、
階ごとに「自然科学」「社会科学」「人文科学」と分野ごとにわかれている。
別に資料を調べるわけでもないのに。
なぜだか、決まって選ぶのは、
「人文科学」の階。
なんとなく居心地がいいのだ。
文系の人間だからかなぁ。
理系の大学出身の池澤さんだったら、
どの階を選ぶんだろう。

・・・とここでやっと本題。
池澤さんは、あのテロ事件以来、
ほぼ日刊で私的にコラムを発信している。
最初は私信だったのだが、
転送自由ということで、どんどんとその輪が広がり、
今では多くの読者がいることと思う。
asahi.comで発信予定だとか。
ほぼ毎日届くこのコラムは、
あの事件以降、僕の中にたまった澱を
整理する上で役立っているような気がする。

そのコラムで、本日、フンザのアリとのことを記述してくださったので、
転送自由ということですので、
この場をかりて、
転載させていただくことにします。

 

**************************************************

新世紀へようこそ 029

山のエピソード

 

 世の中がひどくとげとげしくなってきました。

 アメリカはアフガニスタン攻撃を続けています。怒り

を表明する人たちがたくさんいます。世界中の論者が誰

が悪いか、何が悪いかを指摘し、解説しようとしていま

す。

 ぼくもその一人ですが、ここ数日でなんだか関係者一

同の疲労感が一段と増したような気がします。徒労感と

言ってもいい。

 批判や罵倒は基本的に否定の姿勢で書くものですから、

エネルギーを出すことになる。その分だけ疲れる。誉め

るのだと、書きながらもエネルギーを貰えるのですが。

 疲労感の理由の一つは、アメリカの「白い粉」騒ぎで

す。銃を手に堂々と敵に向かっているつもりのヒーロー

の足に無数の虫がはい上がってきて毒針で刺す。西部劇

のはずがホラー映画になってしまった。

 それでなくともアメリカや日本などの先進国と、中東

の貧しい国の間は遠いのに、それが憎しみによってます

ます遠くなる。今でさえ、あるいは今だからこそ、離反

を謀るよりは和解の道を探るべきなのでしょうが、これ

が本当にむずかしい。互いに相手が見えていない。

 

 これはアフガニスタンではなく隣りのパキスタンの話

です。

 20年前のこと、日本の青年たちが3人で山登りに出

かけました。イスラマバードからバスで一昼夜ほど北に

走って、フンザ地方のカリマバードという村に朝早く着

きました。ここの標高は2500メートルですが、目の

前にはヒンドゥークシ山脈の7000メートル級の山々

がそびえています。

 今回は3人はそこまで登るつもりはなく、4000メ

ートルの峠をいくつか越えるトレッキングを一か月ほど

続けて帰ろうと計画していました。

 着いてすぐ、彼らはきらきら輝く氷河を目指して登り

はじめました。ところが、しばらく登ったところで高山

病に見舞われ、ふらふらになってしまった。こんなはず

ではないと思いながらも身体が動かない。

 まだ明るいうちにテントを張って、みな横になりまし

た。40度を超える高熱と激しい下痢。

 夜が明けても体調は快復しません。このままでは危な

いと気づいた3人は、力をふりしぼって下山し、カリマ

バードまで戻って宿を見つけ、転がりこんでそのまま意

識を失いました。

 それから数日間、この宿の主であるアリという男が親

身になって看病してくれました。夢うつつのまま、抱き

起こされて滋養のあるスープを少しずつ飲まされ、また

眠る。医者を呼んでもらって診察を受け、薬をもらう。

また眠る。実にゆきとどいた世話でした。

 やがて彼らは快復しました。もう大丈夫と見きわめて、

トレッキングに出発します。世話になったアリに宿賃や

医者と薬の代金を払おうとすると、一日15ルピー(約

330円)の宿賃だけでいいという。

 「病人をたすけるのはあたりまえのこと」とアリは言

いました。

 助けられた一人である謝孝浩(しゃ・たかひろ)はこ

の後、何度となくカリマバードに通い、アリの一家の生

涯の友人になりました。それだけでなく、山の魅力と人

の魅力を求めて、職業的なトレッキング・ガイドになり、

その体験を伝えようと本を書きました。

 

 パキスタンにはアリのような人たちが住んでいます。

もちろんいい人ばかりではないでしょう。隣りのアフガ

ニスタンのことはぼくは知りませんが、やはり同じよう

にたくさんのいい人と少しの悪い人がいるのではないか

と想像します。日本でもアメリカでもそれは同じではな

いですか。

 自分たちと他人を並べて、違いを探して強調するのは

簡単です。反感や敵愾心が手伝ってくれる。いくらでも

ふくれ上がる。そうやってグループ内の結束をはかる。

敵意によって自分たちを鼓舞する。政治家の基本的な手

法です。

 でも、別のやりかたもあります。共通点の方を探す。

それぞれの文化の枠を超えて理解できるものを探す。そ

ちらも試してみなくてはいけないと思います。

 

 ここに紹介した話は謝孝浩の『風の足跡』(福音館書

店)に載っています。書店で手に入らなかったら図書館

を探してください。同じ著者が今年出した『スピティの

谷へ』(新潮社)は、また別の土地でアリのような人た

ちに会う話です

 

        (池澤夏樹 2001−10−22)

 

**************************************************


というようなコラム・・・。

何か共通点を探していく。
そんな人間関係を培うことをあきらめない。
僕は、そこに居心地の良さを感じる。

去年、アリは亡くなってしまったが、
今でも、僕のシステム手帳には、
彼の笑顔の写真が入っている。

池澤さんのコラムは、誰でも無料で受け取ることができます。
新規に直接の配信をご希望の方は以下でお申し込みください。

http://www.impala.co.jp/oomm/index_i.html

 


 

 

2001年10月1日(月)        39

  

 

渋谷区の保健所から封筒が届いた。
なんだろうって開けてみると、
水色の「健康手帳」なるものが同封されていた。
むむむ。
案内には、
〜渋谷区では毎年、40歳を迎える方に「健康手帳」を送付しています〜
と書いてある。
手帳を開くと、
〜すこやかな老後をめざして〜
とある。
老人保健法の保険事業は、40歳以上の区民を対象に行なうのだそうだ。
むむむむむ。

そうか。
あと少しで40歳を迎えるのは、この僕なのだ。
他人事のようであるが、実感がともなわない。
とはいっても、確実に中年の仲間入りなのだ。
人生も折り返し地点。
あと40年も生きられない可能性の方が高いが・・・。

いつのころだろうか。
歳をとるのが面白くなってきた。
マラソンやトライアスロンのレースをやっていると、
ずっとずっと年齢が上のオヤジたちが僕なんかを
颯爽と抜いていく。
カッコいいんだなぁ、それが。
僕だって、まだマラソンもトライアスロンも自己ベスト更新中だ。
どこまでできるかわからないが、
まだまだ記録がのびている。

とはいっても、
やはり30歳代と40歳代とは響きが違うのも事実。
僕の悪友は、この10月でいよいよ独身生活に終わりを告げる。
彼も39歳である。
強がってばかりもいられないのだ。
あともうひとつ、僕の中で、
この歳にこだわっていたことがある。
詩人だった池澤さんが、はじめて小説を書いた歳、
それが、39歳だったのだ。
ひとつの指標だったわけで、
その39歳という年齢もあと4カ月弱になったというわけだ。

まぁ、いずれにしても、
あんまり意気がらない、
かっこいいオヤジになりたいもんである。

誕生月には、渋谷区では、無料の健康診断があるそうだ。
がんの検査もできて、
フリーの身としては、とてもありがたいシステムだ。
2月になったら、
いそいそと健康診断に行くことだろう。
このブルーの健康手帳を大事に持って・・・。

 


 

 

2001年9月29日(金)        意識と認識

  

 

昨晩、こんなメールが届いた。
「今年は金木犀の匂いかぎましたか?」
インドから戻ってから早1週間。
涼しさから、触感では秋を感じていたが、
金木犀の薫りはまだだなぁ・・・と思って寝た。

そんでもって今朝。
トライアスロンシーズンが終わり、いよいよマラソンシーズンの到来なので、
東京へ戻ってからは、毎朝、走っていた。
代々木公園のいつものコースを走っていると、
薫ってくるではないか、あの甘くてなつかしい匂いが。
そう、金木犀。
昨日だって、同じ時間に同じ場所を走っていたのに、
全く感じなかった。
でも、今日は、ほのかではあるが、確実に僕の嗅覚が反応したのである。
ただ単に、金木犀が薫り出しただけなのかもしれないが、
その可能性は低いような気がする。
たぶん、昨日も同じように薫っていたんだと思う。
ただ、僕の脳が、その薫りに反応しなかった。
でも、昨晩のメールのおかげで「金木犀がそろそろ薫りだす」ということを意識したことで、
昨日と同じ薫りが、僕の脳の中で反応して、認識したんじゃないかと。

雑踏の中で、突然、ある人の声だけが聞こえてくることがある。
それを意識すると、雑踏の音は、自然と弱まり、その人の声だけが鮮明になる。
それに似ている。
人間の機能っておもしろい。
ソムリエや香水を調合する人は、
ある一定の匂いに反応するように
人間の機能を磨ぎ澄ます訓練をしているのだろう。

とはいっても、まだまだ金木犀の匂いはほのかなはず。
それを認識したのは、
この薫りが、僕にとって特別な薫りだからに違いない。
(昨年のウインズ11月号をお読みになった方には、おわかりだと思うが・・・)

 


 

 

2001年9月25日(火)        

  

 

8月の下旬から続いていたバタバタがやっとひと段落した。
タイ→カンボジア→ベトナムと陸路で辿り、
一時帰国しているわずかの間に、
あのテロ事件が起きた。
なんだか澱のようなものが胸の奥の方で沈み、
消化不良のままインドへ旅立った。
一時帰国している間、時間が全くとれなかったわけではないが、
あまり日記を書く気分にはなれなかった。
テレビが家になかっため、
僕が受け取る情報は、活字と写真のみ。
どっか一歩引いた感じだったかもしれない。

インドの取材は、ラジャスタン州だった。
砂漠のとある民を取材したのだが、
地図でみると、パキスタンまで100キロ弱の場所にいたことになる。
世界的に注目を浴びている地域から数100キロの距離に滞在しているのに、
そこに住む人びとは、いつもの生活を淡々と過ごしていた。
スピティの人びとと同じように、ここにも昔ながら守ってきたなんでもない日常がある。
それは、誰にでも同じではないだろうか。
アメリカ人にしても、アフガニスタン人にしても。
もちろん僕らひとりひとりにだって。
じゃ、どうすればいんだろうか。

そんな思いを抱えて再び日本に戻り、
翌朝、新潟県の村上へ行った。
トライアスロンのレースに参加するためだったのだが、
レース前に、テロの被害者の方々のために1分間の黙祷があった。
黙祷というものは、こういう機会でもないと、
あらためてしないものである。
この1分間で、今まで執拗にまとわりついてきた澱が
一挙に頭の中を巡ってきた。
さまざまな思いが吹きだす。
1分間が、とても長く感じられた。

それからはじまったレースは、
なんとなく力が入った。
自分の肉体をいじめることで、
自分の中に溜まっていた澱をはきだそうとしているような、
答えの出ない問題に怒りをぶつけているというか。

僕の場合、単純だから、かなりそれですっきりした。
もちろん解決したわけではないけれど・・・。
たぶん、みなさんもなんらかの形で、
あのテロからの数日間、思いをぶつけたんだろうと思う。
平和への祈りに参加したり、インターネットの署名運動に参加したり、
メディアに浸ったり・・・。

澱が心に残らず、
一辺倒に突き進む。
それの方が、怖いと思う。

最後にダライ・ラマがブッシュ大統領に宛てた手紙の日本語訳を紹介します。
http://www.netlaputa.ne.jp/~tibet-lo/What's_New/US_terrorism/His_Holiness_condolence_Yamagiwa_Sep12_2001.html

 


 

 

2001年8月8日(水)        半分だけど

  

 

以前にも書いたことがあるが、
事務所兼自宅にしているこの部屋。
収納も少なく、ウナギの寝床のようなつくりで、
本当に狭いウサギ小屋なのだが、
ただひとつとりえがあるとすれば、
・・・眺め。
新宿の副都心から新宿南口周辺、そして東京タワーまで、
見晴らすことができる。
それで、引っ越してきてから毎年、夏のささやかな楽しみが、
この部屋から外苑の花火を見ることなのだ。

数年前までは、夏といえば添乗員の仕事がかきいれ時で、
ほとんど日本にいなかったのだが、
ツアーとツアーの間の数日のわずかな一時帰国の時に、
この外苑の花火の日に不思議と重なって、
見ることができていた。

しかし去年は、スピティの取材で見ることができなかった。
とはいっても、
「今年こそは、見るぞぉ」という意気込みは、
ほとんどなかった。
今年の外苑の花火が昨日8/7にあると知ったのは、
前日の外苑の近くに住む友人からのご招待メールだった。
「屋上で花火を見るためにみんなと集まるから、おいでよ」
というもの。
「行きたい!!」と思ったが、
昨日の夕方は、バイク(自転車)の練習で
多摩川に行く約束を前からしていたので、
急に変更はできなかった。
あえなく断念。
そんでもって、バイクの練習が終わって、
家に帰り着く前から、花火の音があたりに鳴り響いている。
風向きのせいだろう、外苑と家は、かなり離れているのだが、
今年は音が聞こえるのだ。
重いバイクを抱えて、走る、走る。
あわてて部屋に入り、ベランダに出ると、
そこには・・・すばらしい夜空の花が舞い上がっているはずだった。

でも・・・。
去年建てられた遥か前方に見えるマンションに遮られて、
全貌の半分しか見えないのだ。
そのマンションが去年の冬頃できた時は、
まったく気にも留めなかった。
外苑の花火がそっち方向に上がるというのさえ、
その時は、忘れていたのだ。
冬だったし。
あちゃ、ちゃ、ちゃ、ちゃ。

それでも、昨日の花火はちょっと幻想的だった。
雲が低くたちこめていたせいか、
花火の光が薄白く雲に反射して、
時々、あたりをほのかに照らし出す。
赤や黄色や黄金やシルバー。
飛びだす光が、靄に包まれて、
ぼおおおと照らし出される。
マンションに遮られて、
半分しか見えないだけに、
音とともに想像力が働いたのかも知れない。
結構、趣があったのだ。

長く住めば住むほど、物が増え、
環境は悪化するばかり。
仕事にも集中できなくなってくる。
ここ数年、自習室通いなんて面倒なことをやっている。
何度も引っ越そうかと思った。
でも、やっぱり、この部屋の魅力は、
捨てがたいのである。

 


 

2001年8月1日(水)        僕の夏休み

  

 

あっという間にもう8月だ。
6月中には、スピティ関係のプロモーション関係の仕事も、
ひと段落。
本来ならば、今年の7月は東京にいて、
次の作品のための準備などをしながら、
スポーツ三昧の日々を送るはずだった。
トライアスロンのレースも二つエントリーしていて、
レースに向けて、コツコツ練習するという
マイペースな生活を送るつもりだった・・・。
が・・・そう甘くはなかった。
突然の海外取材の仕事・・・。
結局、東京にいる時間は、わずかに数日。
その間も、締め切りに追われていて、
結局、十分にスポーツできず。

しかし、レースはそれでもやってくる。
海外取材と重なってしまった愛知県のレースは断念したが、
もうひとつエントリーしていた青森県の日本海で行われる
「白神杯鯵ヶ沢トライアスロン」には出なずばなるまい。
これが僕の夏休み・・・ってことになる。
このレースに惹かれた理由は、なんといっても白神杯という響き。
あの白神山地の麓でレースをするのだ。
バイクコースは、白神へ向かうコースだと聞いていた。
「いやぁ、もうこりゃ、エントリーするしかないでしょう」と
気軽に申し込んだ。
が、あとで聞いたのだが、
この鯵ヶ沢のバイクコースは、
日本のレースの中でも難しいコースのひとつに数えられるという。
標高差400mで、坂道が延々と続くという。
そうだよなぁ、白神山地へ向かっていくということは、
すなわち山道ということで・・・。
ちょっと考えれば、わかりそうなものだけれど、
あ〜ぁ。バイクが一番苦手なくせに。
もうエントリーしてしまったからには、やらねばなるまい。

そんでもってレース当日の先週の土曜日。
熱帯夜の東京では想像できない、涼しさ。
台風の影響もあったみたいだけど、
朝は、肌寒いくらい。。
ちなみに日本海の水温・・・なんと21度。
ウエットスーツを着ていても、その水の冷たいこと。
台風の影響で三角波も、あり。
それでもなんとかスイム1.5キロは、泳ぎきる。
順位は、半分くらいか。
そして、いよいよバイク。
とにかく折り返しの最高地点へいくまでは、
なるべく疲れないように漕ぐ。
そんなことをしているうちに、どんどんと抜かされていく。
地元の応援が温かくて、頑張らねばと思うのだが、
坂、坂、坂。
それでも、途中に平坦な場所があれば、少しは息もつける。
ところが、最後の4キロは、坂、坂、坂、坂、坂、坂、坂、坂、坂、坂・・・。
前に全然、進まない。
それでも、なんとか、折り返し地点に到達。
かなり順位を下げたのは、いうまでもない。
おまけに、折り返し地点で自転車を降り、
ゆっくり給水、給食、そしてストレッチまでしてしまった。
この余裕・・・というより完走するための必須アイテム。
(腰痛持ちは、これだから困る)

帰りは下りだから、簡単なように感じるかもしれないが、
ハンドルさばきな未熟な僕にとっては、下りの方がやばい。
かなり難しいコーナリングも数箇所ある。
ううう。
転ばないように、転ばないように。
・・・さらに順位は下げる。
おまけに帰りは、台風の東風で、向かい風ときたもんだぁ。
疲労困憊。
バイク40キロのゴール地点に来た時は、
もう完走したかのように、嬉しさがこみあげてきた。
でも、喜んでいる場合ではない、ラン10キロが残っているのだ。

ランは、バイクに比べれば慣れているが、
あの坂のあとのランは、辛い。
それでも少しずつ順位をあげていく。
ううう。
ランのコースも結構、上りが続くじゃないかぁ。

・・・そしてフィニッシュのゲートが見えてきた。
今まで、オリンピックと同じ距離のこのショートのレースは3回出場しているが、
最も遅いタイムでゴール。
でも、練習がおもうようにできなかったにしては、
この厳しいコースを完走できたことに満足。

ちなみに公式記録は、
スイム0:33:45 (73/139)
バイク1:49:07 (126/139)
ラン 0:54:04 (75/139)
総合 3:16:56 (109/139)
完走者139人中109位の成績だった。
ベスト記録より20分近く遅い。
それにしても、バイクが遅いなぁ。

で、白神の自然は、楽しめたかって?
とてもそんな余裕が、レース中には全くなかった。
結局、翌日、ブナの森をあたらめて、散策することになった。

これが、僕流の♪あ〜ぁ、夏休み♪だったのである。

 


 

 

2001年7月8日(日)        オマケ

  

 

沖縄の慶良間諸島のひとつ渡嘉敷島から
シーカヤックで約2時間近く漕いで、
安室島という無人島で野宿した。

シーカヤックを乗りつければ、
白浜の海岸は、まさに自分たちだけの空間。
目の前は、手つかずのサンゴ礁の海。
そこでとれたての貝を酒の肴に、
泡盛を酌み交わしながら、ただ時を過ごす。
夕陽が沈み、そしてやがて同じ方向に月が沈み、
と同時に夜空の星がさらに増える。
いつのまにか、その天空を見上げながら、
砂浜に寝そべっていた。
酔いの中で夢と現実が曖昧になりながらも、
波の音だけは、遠くに響いている。
星の軌跡をぼんやりとした視線の中で辿る。
なんとも贅沢な時間である。

東の空が白みだし、
至福の時間は、終わりを告げた。
夜露に濡れて、ちょっぴり湿った身体。
砂浜にゴロ寝なので、
節々は痛いのだけれど、
なんとなく気分のいい朝だった。

・・・なかなかこの時間の過ごし方は
自慢できるなぁと思っていたのだが、
ちょっと大きな声では言えない事情がある。
実は、なんと筋肉痛になってしまったのだ。
体力自慢の体育会系ライターだったはずなんだけどなぁ・・・。
普段使わない筋肉を使ったせいか、
シーカヤックのおかげで、
もう1週間以上も前の話なのに、
いまだに肩の奥の方がかなり痛い。
実は、寝返りもうてないほどだった。
トホホ。

それだけなら・・・まだいいのだが。
さらにもうひとつ。
東京へ帰ってプールへ行ったとき、
シャワー室で友人から指摘されて、びっくり。
なんと尻にカサブタが二ヶ所できているというのだ。
シーカヤックを終えた後、
なんとなく尻のあたりが痛いなぁと思っていた。
どうも擦れたようだ。
あああ。
大人の遊びの時間には、
とんだオマケがついてきてしまったのだ。

 



 

2001年6月17日(日)        巷で大騒ぎ!?

  

 

キューピーちゃん。
今、巷で大騒ぎなのだろうか?
この日記でキュ-ピーの話題を書いたほぼ同時期に、
旅の雑誌「旅行人」のサイトの掲示板でも話題になっているとか。
そんなメールをいただきさっそくクリックしてみた。
なるほど、こちらの話題は人形の方ではなく、
マヨネーズの話のようだが、
キユーピーの「ユ」が大文字だなんて、
やっぱり世の中には、
同じようなところに気がついている人がいるんだなぁ、
と感心する。
いやこれは常識だったのかぁ?
僕は全然、気がついていなかったのだが。

さて、問題の羽の色。
(6/17 10:45AM現在)
緑・・・4票
髪の毛と同じ栗色・・・2票
白・・・1票
やっぱり緑に軍配があがるかぁ?

 


 

2001年6月15日(金)        新たな疑問

  

 

一件落着のはずのキューピーちゃん。
ところが・・・思わぬ反響あり。
キューピー・マヨネーズのキューピーの「ュ」は、
大文字の「ユ」が正しいんじゃないかとメールが届いたのだ。
指摘してくれたのは、デザイナーの友人で、
校正の時に赤字が入って気がついたという。
えええ。
そんでもって調べてみる。
またまたインターネット検索で、
キュ-ピー社を、検索。
便利、便利。
http://www.kewpie.co.jp/index1.html
↑今回もとりあえずクリックしてみよう。

なるほど。
よくよく見るとほんとにキユーピーが正しい。
子どものころから親しんできた会社だし、
ごく身近にマヨネーズのパッケージはあるはず。
キユーピー3分クッキング♪だって
昔から何度も見ているはず。
なのに全然気がついてない。
みなさんは、どうなのだろうか?

おまけにロゴのキューピーちゃんをよく見れば、
くだんの羽があるではないか。
人間の記憶とは、なんと曖昧なものであろうか。

ちなみにそのデザイナー曰く、
「キューピーの羽は緑色じゃなかっただろうか」
という新たな疑問を投げ掛けてきた。
わ〜。
やっぱりこりゃ、みなさんにお聞きするしかない。
かつてセルロイドのキューピーちゃんを持っていた人。
昔の記憶を辿ってみてください。
羽は何色ですかぁ?


 

 

2001年6月13日(水)        小さすぎる

  


「キューピーには羽があるはず」
悪友が、今度は、こんなことを言い出した。
このサイトで物議をかもしだした「西京焼き」のきっかけをつくった(2000年10/14の日記参照
同じあの男である。

彼曰く、幼いころ持っていたキューピー人形には羽があって、
それを触りながら寝るのが好きだったという。
キューピーと聞いて、
すぐに思いだすのは、マヨネーズ。
僕の記憶の中で、キューピー・マヨネーズのロゴには、
羽がなかったような気がしたので、
「キュピーは赤ちゃんがモチーフなんだから、あるわけないじゃん」
と反論した。

悪友は、いや絶対あると引き下がらない。
じゃあ、とりあえず調べてみようということになった。
(暇人だと言われそうだが・・・気になるといてもたってもいられない性格なので)
とはいっても、
ムクツケキ男がおもちゃ屋に行って
キューピー人形を抱える図を想像しただけでも
おぞましい。

そこで便利なインタネット検索。
「キューピー」で検索すると、ある、ある。
そこで出たサイトがこちら→http://www.kewpie-jp.com
まずは、みなさんもクリックしてみましょう↑

・・・・
オヨヨ。
それにしても、小さすぎやしませんかぁ。
あれで重たそうなマンマルのお腹も持ち上げられるのかなぁ。

日本に公式サイトやキューピークラブなるものがあるのには驚いた。
キュピーは、キューピットから来ているんだなぁ。
とにもかくにも、このサイト上で再び物議をかもしだす前に、
結論が出てよかった。
まったく人騒がせな悪友である。
勉強になったけど。


 

2001年6月12日(火)        呪文

  


ひなびた古そうな温泉でりんごのようなほっぺをしたおばちゃんたちが
ギャハハと笑っている。
JRの福島の温泉かなんかの宣伝のポスター。
完璧には覚えていないのだが、
「世の中には、嫌なことより良いことがちょっぴり多いような気がします」
というような意味のキャッチコピーがついている。
なんだか最近、心がつぶれるような殺伐とした事件が多くて、
このキャッチコピーを呪文のように唱えている。

「山の郵便配達」という映画を観た。
中国の湖南省の山間の村々に郵便を配る男。
淡々とした日常の集積が彼の半生のほとんどを占めてきた。
長年、2泊3日で、
くりかえしくりかえし辿ってきた厳しい山道。
その歩き慣れた道を、
実の息子とはじめて歩くことになる。
年を重ね、膝を痛めて郵便配達の仕事を息子に引き継ぐためだ。
息子にとっては、はじめての道。
そして父親にとっては、最後の道。
父と子の間に流れる空気感と時間が絶妙だ。
この映画の根源に流れるものは、
スピティに通じるものがあると思った。
なつかしいのは、でてくる風景だけじゃない。
忘れかけていた人間の本質が、
いっぱいつまっているような気がした。
ここではこれ以上詳しく書かないけど・・・。
8月下旬までやっているみたいなので、
ぜひ、お勧めです。

観終わって、
ちょっぴり良いことが多いって
思えるようになった。

岩波ホール 

月〜土・祝

11:30

2:00

4:30

6:50

日曜日のみ

11:30

2:00

4:30

なし


 

2001年6月3日(日)        仕掛け

  

5/25〜30の6日間、原宿のロケットで開催した
「SPITI企画展」は、1000人を越える入場者数があった。
ご高覧いただいた方々、
わかりにくい場所に足を運んでいただきありがとうございました。

本の紹介も掲載してくれた
「ほぼ日刊イトイ新聞」のサイトの糸井重里のコラムの中に、
木村拓哉から教えてもらったジーパン屋を探す話がある(ドゥニーム探して90分)。
千駄ケ谷の街をドゥニームというジーパン屋を探して歩き回る話なのだが、
やっとのことでみつけた本物指向のジーパン屋に彼は好意を持つ。
駅から遠くてみつけにくく、便利とはいえない場所。
でもどうしてもドゥニームで買い物をしたいと思う人は、
不便であろうがやってくる。
駅のそばにある便利のよい場所が商売繁盛するという
既存の価値観をくつがえすような新しい価値観に気がつく。
そういうスタンスが、糸井重里は気に入ったのだ。
そして、彼は表参道からすぐそばにあったオフィスを引っ越す決心をする・・・という話。


当初、ギャラリー探しをしている時、
いくつか候補地があった。
駅から近い銀座や広尾のギャラリーという案もあった。
でも、敢えてわかりにくい場所にある
ロケットにしたのは、
「ほぼ日刊イトイ新聞」を前から読んでいたカメラマンの丸山さんが、
僕らにこの糸井重里のコラムの話をした時だ。
「なんとなく探してみつかった時、嬉しい感じがするんじゃないかな」
という丸山さんの言葉に、
もうひとりのカメラマンの三原さんと僕も共感したのだ。

「全然、わからなかったよ」
「探したぞぉ!」
なんて入ってきたとたん、
たくさんの方々にいわれたけれど、
その誰もが笑顔だったのには、救われた。
原宿の住宅街を何度もいったりきたりして、
それでもあきらめず来てくださった方々、
本当にありがとうございました。

企画展の模様は、
www.spiti.tvの「SPITI企画展」のコーナーでも
アップしましたので、どうぞ。


 

2001年5月25日(金)        消息

  

昨日、新作の本が僕の手元に届いた。
書店に並ぶ前に、著者のもとには、
仕上げの部分を手作業にして、
先に本が届くのだが、
今回は、企画展で先行販売するので、
最後の搬入作業をする企画展会場に送られてきた。
校正も何度もしていて、
内容がわかっていて見慣れているはずだが、
一冊の本として形になると
感慨もひとしおである。
自分の子どもが誕生した時のような感じかな。

 

今回、さまざまな方に企画展と新作の出版のご案内を出した。
5年ぶりにお便りした方もいたのだが、
かなりの数、案内が戻ってきてしまった。
生きている間に、出会う人の数というものは、
どれぐらいだろうか。
戻ってきた手紙の上の名前を見ながら、
その方たちの顔を思い浮かべた。


 

2001年5月24日(木)        見ている

  

ベランダに置いてあるリュウゼツラン。
数日前に、
つぼみがついているのを見つけた。
だいぶ膨らんで、
今にも咲きだしそうだ。
こんな時期に花が咲くのかなぁ。
5年前に枯れてしまってから、
1度2年ほど前に咲いたのだが(99.2/5の日記参照)
それ以来は、
雨ざらしになっていて、
これといって手入れをしていたわけではない。
でも放ったらかしにしていても、
淡々と生きていたわけで、
「生きているんだぞぉ」と主張するかのように、
またつぼみをつけたのだ。

このリュウゼツラン。
5年前の1作目の出版の時に
お祝いでいただいたものだ。
あれから5年。
紆余曲折して、
やっと2作目が出る。
ただの偶然だろうけど、
ずっと見守られていたような気がして、
突然、愛おしくなったのである。

実は・・・
1度、植えてある鉢植えが割れたとき、
ついでにリュウゼツランも捨てようとしていた・・・
不届き者なのである。


 

2001年5月17日(木)        蜃気楼

  

最近、JTBとかのごく一般的なパンフにも
「デュバイ」という文字が目に付くようになっている。
「ハワイ」とか「バリ島」のパンフの横にすまし顔で並んでいるのだ。
昔はドバイと発音していた7つの国が集まったアラブ首長国のひとつで、
ほんのひと世代前は、砂漠の中でラクダを放牧させながら
ベドウィン(遊牧民)として暮らす人がほとんどだったという。

アラビア海に面したデュバイの中心地も
真珠と漁業で生計をたてていた小さな漁村だった。
しかし、1960年代に石油が発見されて、急激に様変わりした。
漁村だった中心地は、今や大都市となり、
高層ビルが乱立し、
高速道路がその間を駆け抜ける。
一見、アメリカの大都市や東京と見紛うほど。

でも一歩、郊外に出ると
そこは褐色の大地。
砂漠が広がるのだ。
荒涼とした無の砂漠の砂煙の彼方に、
近代的なビル群。
オイルマネーで造られたデユバイの街は、
それ自体が蜃気楼のように見えた。

池澤さんの本を思いだす。
「現代人は、未来の人に借金をして生きている・・・」
数百年後、この街は、本当に消えてしまうのではないか、
そんな気がしてならなかった。
(詳しくはJAL機内誌「ウインズ」8月号で)

・・・・
デュバイから日曜日に帰って、
早4日。
ずっとSPITI企画展のDM作業をやっていました。
本日ほぼ完了。
住所を教えてくださった方で今週中に届かなかった方は
ご一報ください。


 

2001年5月2日(水)        Make Love

  

あっという間に4月が終わってしまった。
仕事とはいえ、バタバタといろんな場所へ行ったなぁ。
長野→宮古島→石垣島→関西
→の部分に東京がすべて入るところが問題だ。
特に宮古島と石垣島の間の2日間の東京は、
なんとも悔しい日程だ。
昔だったら絶対に沖縄に居続けてのんびりしたはず。
でも最近のこの忙しさでは、東京に戻らざるおえなかった。

宮古島はトライアスロンの取材だった。
トライアスリートならば、誰もが憧れるあのレースだ。
JTAの機内誌の仕事なので、
選手に焦点をあてるというわけではなくて、
ボランティアの人が主役。
華やかなレースを陰で支える人びと。
とってもいい話がいっぱい聞けた。
スイム3キロ、バイク155キロ、ラン42.195キロ。
僕にとっては未知なる世界。
スイムとランはなんとかできそうだが、特にバイクが難しそう。
ボランティアの温かい力で支えられた大会。
いつの日かこのレースに参加してみたいなぁと思ったのであ〜る。

石垣島では、鳥になった。
パラグライダーに乗ったのだ。
四角いパラシュートみたいなあの乗り物である。
とはいってもひとりで乗ったのではなく、
タンデム(二人乗り)で、
インストラクターの方の前にくっついていたというのが、
ホントのところだ。
それでも鳥の視線になったのには変わりない。
200メートル近い山の上から一気にサンゴ礁の青い海を目指して飛ぶ。
最初は少しビビったが、風をつかまえたら、
あとはゆっくり浮かんでいるだけ。
そう、ブランコに揺られている感じだ。
なによりエンジン音がしないのが、いい。
風をキャノピーと呼ばれるパラシュートの中に入れ込んでしまえば、
風の音さえもほとんどしない。
不思議だった。

いつしか海の上を飛んでいた。
海の色が幾重にもグラデーションになって、
微妙な色合いをしている海。
リーフの白波がどこまでも続く。
飛行機から見る風景とはまたひと味違った視線。
鳥は、こんなにも雄大な風景をいつもみているんだなぁ。

パラグライダーの面白いところは、
いったん下降しても、風をとらえれば自在に再び浮かび上がることだ。
インストラクターの上原さんには、
風の透明な道が見えるのだと思う。
行きたい場所、そして降りたい場所に、
正確にパラグライダーを操っていく。

波とメイク・ラヴする・・・
有名なサーファーのレラ・サンの言葉だ。
パラグライダーは風とメイク・ラヴするスポーツだと思う。
どちらも自然が相手というところが魅力である。
(詳しくはJTA機内誌「コーラルウエイ」真南風号 7月1日搭載で)

 


 

2001年4月3日(火)        頬染めて

  

本日なんだかやっと桜を観る余裕ができた。
早朝、目黒川までランニングしたし、
昼は、お世話になっている編集部の人たちと、
新宿御苑で花見だった。

毎年この時期に訪れる
目黒川のお気に入りの花見スポットは、
桜は散りはじめ、川面には薄紅の絨毯。
でもまだ桜の雨とはいえない程度。
桜は満開の時より、やっぱり散り際がいいなぁ。

元来ひねくれものなので、
これだけソメイヨシノばかり観ていると、
ちょっと見慣れない桜の方に、
惹かれたりする。
目黒川からの帰りに駒場野公園を横切った。
駒場野公園には、コヒガンやヤエベニシダレなどの木がやはり散り際だった。
それは趣があった。
どちらとも色がよろしい。
ソメイヨシノよりももう少し頬を染めている感じ。
ほのかに紅を落した感じなのだ。
花自体もわ〜と固まって咲いていないので、
なんとなく可憐さが漂う。

桜吹雪を見上げて新宿御苑では昼寝をした。
みんなで持ち寄った飯も美味かったし、
最高に気持ちよかった。
でも花を愛でるのならば、人も少ないし、やっぱり平日の朝だなぁ。

 


 

2001年4月2日(月)        ナマケモノ

  

桜が満開だ。
あまりに美しいとなんとなく哀しい気分になるのは、
なぜだろう。

なんだかあわただしく歳月が過ぎていく。
6月の中旬まで予定がびっしりだ。
フリーの身としては、
それはとてもありがたいことだ。

そのかわりに、
ボーとする時間がなくなったのも事実だ。
数年前までは、とっても暇で(^^;
時間だけは、いっぱいあった。
一日なにもしないって日もあった。
多摩川にチャリで行って、
一日中、日向ぼっこをしながら、
本を読んでいたこともあった。
部屋の前の電信柱に巣をつくっている雀を
ぼんやりながめていたこともあった。

元来、ナマケモノなんだろうね。
今の状況だって、もっともっと忙しい人に比べたら、
全然、甘い。

どんな状況になっても、
ささいなことに気がつける視線だけは、
なくさないようにとは思っている。
ナマケモノらしさを・・・。


メール 待ってます
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