His Diary
近況報告

 記といっても、 三日坊主になるのは目にみえているので、

徒然なるままに、思いついたら綴っていきます。

日記フリークの方、またちょっと時間のある方、

私の近況を知りたい方……。

つぶしに、どうぞ。

 お知らせ
パソコンが故障したため、長らく更新できずに申し訳ありません。
暫定的に以下のblogに日記を更新しています。
http://blogs.yahoo.co.jp/shatakahiro2005

 10 月•11月の予定
今のところ東京

 

★2005年★

 4月  5月 6月 7月 8月 9月

★2004年4月〜 2005年3月★

★2003年4月〜 2004年3月★

★2002年4月〜 2003年3月★

★2001年4月〜 2002年3月★

★2000年4月〜 2001年3月★

★1999年4月〜 2000年3月★

★1998年4月〜 1999年3月★

★1997年6 月〜1998年3月★

 






 

 

2005年9月1 日(木        時 間つぶし

 

 

街中で、どうしても時間をつぶさないといけない時、
どうやって過ごしますか?
たとえば1時間の場合……。
僕だったら、スタバで読書か、やっぱ本屋かなぁ。
どんな新刊が出たのか、眺めているだけでも結構、時間がつぶれるもんだ。
じゃ、2時間だったら?
プール道具を持っていれば、プールかなぁ。
3時間なら?
う。スーパー銭湯にでも行くかなぁ。

先日、福岡でのこと。
ホテルチェックアウトが10時で、
仕事の約束の待ちあわせまで4時間近く、福岡の街中で時間をつぶさないといけなかった。
なにせ地理が不案内だから、プールやスーパー銭湯の場所などわからない。
映画館はあったけれど、なんか流行りのロードショーは観る気にはならない。
ウインドショッピングは、好きじゃないし、
本屋だって4時間はつぶれない。
どうしよう?

……と目に飛び込んできた看板。
マンガ喫茶
漫画は、中学の頃、メッチャはまっていたのだが、
それ以降、すっかりご無沙汰。
実は、マンガ喫茶というものが、どういうものか良く知らなかった。
でも、その看板には、インターネットもできると書いてあるので、
ネットサーフィンでもするかと、
雑居ビルの細い階段を上っていった。
……ドキドキ。
マンガ喫茶、初体験である。

受付では、若いお兄ちゃんが、
「リクライニング・シートにしますか? マッサージシートにしますか?」と聞く。
なんじゃ、これ、ちょっとヤバイ感じ? と思ったのだが、
店内は清潔だし、薄暗いけれど、猥雑な雰囲気はしない。
ちなみに、料金表を見ると、最初の1時間が399円で、
延長料金が15分ごとに、89円。
30分の無料券を入り口でゲットしていたので、
とりあえず、リクライニング・シートで3時間のパックをチョイス。
899円。
これで、3時間30分は街の雑踏から逃れられる。

番号の書いた領収書をはさむ板(なんというのだろう)を渡され、
指定された番号のブースへと行く。
そのブースは、パーテンションで区切られた2畳ほどのスペースで、
個室感覚。
机の上にはパソコンとテレビとDVDまである。
机の前には、リクライニングシートと、足置きのソファまである。
う〜ん、これはなかなか居心地が良さそう。

まず手始めに、店内を散策することにした。
薄暗い店内は、本棚がズラリ。
マンガ以外にも、雑誌、DVD、ゲームソフトなんかが並んでいる。
びっくりしたのは、飲み物が全部無料だっていうこと。
コーヒーやソフトドリンク、スムージーの機械もある。
おまけに、DVDのレンタルも無料。
これで899円とは、なかなか。

それで、その3時間半をどう過ごしたかというと、
まず、ネットサーフィンを少しして、
その後、DVDを鑑賞。
渋い映画なんかは置いてなかったけれど、
いつか観てみたいと思っていた『デイ・アフター・トゥモロ』を観た。
かなり充実した時間つぶしになった。

今度、東京でこんな風に時間があいたら、
チョイスのひとつに加えてもいいかなぁ、と思った。
結構、気に入ったのである。
でも、年齢制限、ないよねぇ。


 

 

 

2005年8月21日(月         面影 

 

 

何年かぶりでお盆に帰省した。
ちょうど高校を卒業して25年が経ち、
その記念の同窓会があったためだ。
クラスメートは、卒業後も何度か会っているので、
違和感なく認識でき、すぐに会話の輪の中に入っていける。
しかし他のクラスとなると、曖昧で、もどかしい感じだ。
このもどかしさ、どこからくるのだろう……。
確かに、知っている顔である。
しかし、街ですれ違ったら、気がつかないほどの。
でも、その面影のわずかな一端に、忘れていた記憶が凝縮している。
その記憶を思い出す作業が、懐かしくも、もどかしさを感じるのだろうか。
でも、ひとたび記憶がほどけると、
次々と25年前の光景が浮かび上がってくるから不思議だ。
それぞれの25年を経て、こうしてまた繋がりが生まれていく。
歳を重ねたためだろうか、
そういう再会が、とても新鮮で、大切に思えるようになっている。

高校時代の記憶といえば、
昨日、観た映画は、秀作だった。
「いつか 読書する日」という題名。
主人公は、50歳の独身女性。
彼女の淡々とした日常の中に、静かに佇む想い。
綿雪のような高校時代の想いがやがて根雪となる……。
生まれた街の坂の風情も、いい。
演じるのが、田中裕子なので、
だいぶ点数が甘くなるのだが、
彼女の抑えた演技が、秀逸である。
全く派手さはないのだが、
大人の映画だと思う。

7月頃からやっている映画のようで、
もう、東京ではモーニングの1回上映だけれど、
お薦めです。

ユーロスペース1

モーニング1回のみ 9:45〜12:00 


 

 

2005年8月1 日(月        想 像力 

 

 

電気を消す。
ベランダから見るいつもの夜景。
3階建ての低層マンションなのだが、
高台にあるため、奇跡的に
東京タワーも、六本木ヒルズも、代々木のドコモビルも、都庁も見える。
なかなか引っ越す踏ん切りがつかない理由のひとつだ。
この家賃で、この眺望の部屋を見つけるのは至難の業だろう。

見慣れた夜景ではあるが、
今日だけは、特別な彩りが添えられる。
今年もやって来ました、外苑の花火。
ここに引っ越してから、ベランダから夜空に開く花々を眺めるのが、
夏の僕の風物誌になっている。
この日記を昔から読んでいる人は、ご存知だと思うが、
数年前に、花火が上がる方向に、マンションが建ってしまって、
半分しか花火は見えない。
しかし、想像力を目一杯駆り立てて、
開き直って、花火を楽しむことにしている。

音だけは、軽快に聞こえてくるのだが、
僕の乏しい想像力では、
半分しか見えない花火からは、華やかさというより、儚さを感じてしまう。
それでも、やっぱこれを見ないと、夏が来たと思えないのである。

ちなみに去年の日記によれば、
花火見物のお供は、ビールに枝豆ではなく、
杏仁豆腐だったようだ。
今年は……。
桃のタルトとカプチーノだったことを、告白いたします。
(ひとつ歳を重ねたというのに、進歩がないようで……。あいもかわらずの甘党だ)

 


 

 

2005年7月27日(水         台風一過が眩しいぜ  

 

 

台風が関東に夕方に上陸する!
北陸から戻ってきたら、マスコミは、そのニュースで持ち切りだった。
そんなわけで、昨日は、早めに用事をすませ、
食糧も買い込んで、帰宅して、準備万端で台風上陸予定時間を迎えた。
しかし進路が東に逸れたので、
思ったほど台風の凄さを実感できなかった。
被害が少なかったのは、喜ぶべきことなのだが……。

接近した時よりも、どちらかといえば、外に出ていた午後の方が、
雨足と風が強かったように思う。
14時過ぎ、僕は新宿南口にいた。
改札付近では、テレビ局のカメラがあって、
強風にあおられる人の姿を撮影していた。
このあたりでツルリンと滑ったら、まともにテレビに撮られると思って、
柱の陰に隠れた。
南口からサザンタワーへ行くあたりが、風と雨がひどかった。
台風の風に加え、いつものビル風で、押し戻されそうなほどだった。
傘をさしていたが、ほとんど用をなさず、びしょ濡れになってしまった。

と、濡れ鼠の僕が思いついたこと。
こんな日にこそ、宝くじを買ったら当たるかもしれない。
なんとも、まあ、短絡的なのではあるが、
思いたった時が、買い時である。
宝くじを買うときは、南口のとある簡易宝くじ売り場で買うことに決めている。
道端にポツンと立っている箱形の売り場だ。
もしかしたら、こんな日には、売り場は片づけられているかと思ったが、
風雨の中、辿り着くと、売り場は、いつものようにそこにあった。
台風の影響がひどくならなければ、
まだまだ片づけないで、頑張ると言っていた売り場のおばさん。
結局、何時まで営業していたんだろう。

サマージャンボ。連番の10枚。3000円なり。
まぁ、これで真夏の夜の夢が、数週間でも見ることができるのであれば……。
トホホ。
台風一過の青空が、やけに眩しいぞ。

 


 

2005年7月1 日(金        涼 しい顔  

 

 

宮部みゆきの新刊が出た。
しかも時代小説だ。
宮部みゆきの作品は、
推理からSFっぽいものまで、ジャンルが多岐に渡っている。
ジャンルが違っていても、読んでみると同じ作家だから共通性はあるのだが、頭の構造を見てみたいものだ。
それに、いつ、こんなにたくさん作品を書いているのだろう……発想が枯渇しないのは、やはりすごい。
さまざまなジャンルの中でも、この「江戸もの」は、人情味溢れ、新刊が出るのを心待ちにしていた。
読むのが楽しみである。

「江戸もの」といえば、最近、落語がブームのようだ。
テレビドラマの影響が大きいと聞いた。
もちろん、僕も昔から好きな方で、
落語家の同級生がいたりして、寄席に足を運んだりしていたのだが、
ここ数年、トライアスリート仲間の橘家圓太郎師匠 と親しくさせてもらうようになって、
さらに拍車をかけて落語に興味が沸いている。

すると面白いもので、思わぬ仕事が入るものだ。
上方落語の桂 小春団治師匠にインタビューするという仕事だった。
そこで江戸落語との違いなどをお聞きしたのだが、
興味深い話をたくさん聞いて、楽しい時間だった。
小春団治師匠のインタビューの中で、驚いたことをひとつ紹介。
寄席は、演目が当日にならないと決まらないというのだ。
自分の出番までにどんな噺が出たかを知ってから、
落語家は、その日の演目を決めるのだそうだ。
たとえば、その前に、幽霊の噺が出たら、もう幽霊ことが入っている噺はできなくなる。
他にも、酔っ払いの噺とか子供が出てくる噺とか……、重なってはいけない決まりごとがたくさんあるのだとか。
ということは、すぐ前の演者が噺をはじめるまで、演目を決められないということだ。
直前まで、話す内容が決まらないなんて……。
時には高座にあがってから、観客の反応を見てから、
噺を決める時もあるとか。
さすがである。
さらに出番が遅くなればなるほど、自分の話す選択肢が減っていく。
トリをつとめる人は、それだけ経験と持ちネタがないといけないというわけだ。

落語家にしても、宮部さんにしても、
涼しい顔をして、すごいことをやってのける。
その道の本物のプロとは、そういうものなのだろう。


 

 

2005年6月14日(火         パークライフ  

 

 

6月に入ってから、広尾図書館が、ずっと休館である。
恒例の特別整理という奴でしかたがないのだが、
仕事場のようにして利用している僕にとって、影響大である。
でも締め切りは待ってはくれない。
そんな時に、利用するのが日比谷図書館。
日比谷図書館は、オフィス街のオアシス日比谷公園の中にある。
広尾図書館に比べて、なんとなく閉鎖的な感じがして、
あまり快適とはいえないのだが、贅沢をいっている場合ではない。
迫り来る締め切り……。

というわけで、6月に入ってから、日比谷図書館通いをしている。
昼時、息が詰まりそうな館内から日比谷公園へと飛び出す。
梅雨の晴れ間などは、結構、気分がいい。
緑眩しい芝生を眺めながら、公園を横切り、スタバへ……。
ここ数日の日課である。
吉田修一の芥川受賞作にも出てくる『スタバ女』を真似て、
『スタバ男』を気取っているというわけだ。
それにしても、このスタバ。
かなり疎外感を覚える。
ほとんどまわりは、OLかスーツ姿のサラリーマン。
GパンにTシャツという僕の格好は、
かなり異質に見えるに違いない。

6月も半月が過ぎる。
特別整理も終りだ。
僕流のパークライフも、あと少しだ。


 

 

2005年6月3 日(金        8 年   

 

 

早いもので、このサイトを立ち上げてから8年が経つ。
たまたま香港が中国に返還された日にサイトをオープンした記憶がある。
当初の予定では、コンテンツを増やして、
次々と更新していくはずだったのだが、
現実には、この日記くらいしか更新できていない。
しかも、その日記さえも、気がついた時に更新するくらいである。

この8年、どんなことがあったのか。
久しぶりに、サイトに書き記した日記を読み返してみた。
日記に書いたということは、
その時々に、なにかしら心に引っ掛かっていた事柄のわけで、
当時の気持ちや感覚が、くすぐったいような、
それでいて、新鮮に思える要素もあった。
ほとんど月記化していた、サイトの日記だが、
今となっては、書き続けてよかったと思う。
プライベートな日々の記録というものは、
こういう場所でもない限り、
きっと雑事に忙殺されて、書き記さなかったことだろう。

最近は、ブログというものが流行りだして、
他人と共有する日記を書く習慣が、一時期よりも浸透してきているのではないだろうか。
ふと『交換日記』を思い出した。
中学生の頃だったか。
思春期真っ盛りの甘酸っぱい感覚。
ブログって、交換日記の進化系かもねぇ。

日記を読み返したことによって、
忘れていた記憶が蘇ったのだが、
ほんの1部に過ぎないだろう。
その瞬間、瞬間の積み重ねが、歳月となって過ぎていくのだけれど、
膨大な歳月の中で、記憶として残っているものの、
なんと少ないことか。
でも、記憶にも残らないような、なんでもない日常が、
どんなにかけがえのないものかを、
この歳になって、少しわかりはじめたような気がする。


 

 

 

2005年5月25日(木         鉄人の称号     

 

 

五島列島から、昨晩戻った。

世界中のトライアスリートにとって、
ハワイのアイアンマンの大会は、頂点のようなレースである。
スイム3.8キロ、バイク180キロ、ラン42.195キロ。
この距離を完走できる体力があったとしても、
誰でも出られるというわけではない。
世界中で公認された予選レースでスロット(出場権)をとった選手だけしか参加できないのだ。
予選レースごとに、
5歳ごとのカテゴリーにわかれた年齢別のスロット数が決まっている。
その厳しい予選を勝ち抜いた精鋭たちが、毎年、ハワイ島に終結する。
まさに『鉄人の中の鉄人』と呼ばれるにふさわしいレースなのである。

日本の予選レースが先週の日曜日に、五島列島であった。
僕も参加したのだが、
とてもじゃないが、ハワイのレースのスロットが獲得できるレベルではない。
あくまで完走が目的。
公認レースに完走して、真の『アイアンマン』になることが目標だ。

前日の晴天が嘘のような雨模様。
水温19度の海に入るころから、雨が激しくなってくる。
でも、スイムの時は、あんまり雨は気にならない。
フローティングスタートなので、思ったより余裕があって、
アウトコースを選んだので、バトルに巻き込まれることもなく、
波はあったけれど、気持ちよく泳げた。
スイムフィニッシュタイムは、1:19:02 (288位/811人中)

自転車に入っても、雨は止まず、ヤバイ感じ。
去年、レース中に落車しているので、
恐怖感がインプットされていて、慎重に漕ぐしかなかった。
途中から天気も回復してきたが、
世界中の予選レースの中でも、1,2を争うほど厳しいバイクコースといわれているだけに、
坂が多くてまいった。
勾配はそれほどないのだが、嫌というほど、坂が立ちはだかる。
いつものように、どんどん後続の選手に抜かれた。
下り坂を慎重に下っている間に、前方の選手が見えなくなってしまった。
その時、左折の看板が……。
そのまま左折すると、急に道幅が狭くなり、急坂の登り。
おかしいと思いつつも、さらに登る。
そのうちにガタゴト道になって、どう見ても行き止まりだ。
すると下の方から、地元の人が大声が聞こえた。
『そっちじゃ、ないですよぉ!』
トホホ。
応援していた人が、僕が道を間違えたのを遠くで見ていて、
探しに来てくれたのだ。
1本先の場所で左折するための表示を見間違えたようだ。
間違えた道から戻ってくると、
地元の人が集まっていて、その中のひとりのお婆さんが、
「大回りして、たいへんだったねぇ、これでも食べなさい」
と飴を僕の口に入れてくれた。
ロスタイムは、10分ほどか。
僕の場合、タイムを狙っているわけではないので、
制限時間に間に合えさえすれば、良かったので、
飴の仄かな甘さとともに、
地元の温かさに触れられて、かえって思い出に残るエピソードになった。
それで、その後も、坂と格闘して、なんとか自転車を漕ぎ終えた。
バイクフィニッシュタイムは、7:59:39(710位)
やっぱ、予想通り、遅かったです。

ランの頃には、晴れ間も覗いて、
まわりの景色を見る余裕も出てきた。
鬼岳という秀峰や、点在する島々の夕景や、漁村の夜景などを見ながら走る。
バイクコースのハードさの後にしては、
イーブンペースで走れた。
そして、ゴール。
ランフィニッシュタイムは、5:00:50(518位)
総合タイムは、14:19:32 (603位/完走者712人)だった。

フィニッシュ・ストリートに入り、
観衆の人たちとハイタッチしながらゴール地点を踏み、
そして『アイアンマン』と書かれたメダルをもらった時は、
やっぱ言葉にはならない、感動があった。
初のアイアンマンのレース。
15時間の制限時間内にゴールでき、自分としては満足である。

僕らの年齢のカテゴリーは、選手層が厚く、
ハワイのスロットを獲得した人のタイムは、10時間30分くらいである。
夢のまた夢の、僕にとっては不可能なタイムだ。
ただひとつ、ハワイに参加する方法がある。
それは、くじ引きというもの。
予選レースでスロットがとれなくても、
毎年、くじ引き枠がほんの少しある。
知り合いの中にも、くじ引きで参加した人がいる。
アイアンマンの距離を完走できた今、
くじ引きに、応募してみようかと思っている。
10年くらい応募したら、1度くらいは当たるかなぁ。
でも、くじ運は、悪いからなぁ。

とにもかくにも、なかなか冷めないトライアスロン熱である。
生涯スポーツとして、ケガや故障をしないように、
続けていければと思っている。


 

 

2005年5月19日(木         物心     

 

 

最近、かなり髪を短くしている。
プール後に楽だということもあるが、
実は、白髪が目立ってきたからだ。
歳を重ねていくことに抵抗しているわけではないのだが、
『白髪増えたねぇ』と悪友たちが、口を揃えるので、
少しは対策を考えようかと思ったわけだ。
染めるのは、面倒だし、どうも好きになれないので、
小まめに短くするようになった。
最初はそれほど短かったわけではないのだが、
短い髪に慣れると、少し伸びるとうざったくなり、
もっともっという気分になってきた。
今では……植木職人風になっている。
手に職を持っている人たちに憧憬を抱いているので、
自分としては、結構、気に入っている。

……とそこでお目見えしたのが、古傷。
ちょうど、脳天のあたりに15cmほどの白い筋状の傷跡が露出したのだ。
『物心ついた』という言葉があるが、
それはいつだったか、と考えたことがあるだろうか?
僕にとって、最初の記憶とは、この傷ができた瞬間だったような気がする。

たぶん2歳か3歳の頃。
僕は裏庭でブランコに乗っていた。
公園にある2本の鎖に繋がっているブランコではなくて、
対面式の家庭用の小さなブランコ。
確かプラスチックではなく、青色をした鉄製だったと思う。
思い切って揺らしていたのだろう。
支柱がはずれて、宙を翔んだ。
そしてブランコのどこかに頭を打った。
その瞬間を覚えているのだ。
『カマイタチ』という言葉を覚えたのも、
その時のような気がする。

こう日記に書いているうちに……
もしかすると、そのケガから数年後に、親からその時の状況を聞いた時に、
自分でイメージした光景を、古傷がお目見えしたことで再び思い出して、
それがあたかも自分が体験した記憶となって残っているのかもしれないと思い直した。
なんだかややっこしくなっちゃっけど。

とにもかくにも、人間の記憶って、面白いなぁ。

今日から、五島列島。
頑張ってきます。


 

2005年5月 12日(木        分 身     

 

 

テレビをつけっぱなしで寝てしまったことがある。
夢を見ていたのだが、そこにはBGMが……。
意識の奥の方で、懐かしい曲が流れている。
ふと目覚めると、すでに明け方近くで、
テレビ画面からは、70〜80年代の歌謡曲が、次々と流れている。
懐かしの曲を集めたCDのテレビショッピングかと思っていたら、
どうもチャンネルは、NHKらしい。
歌謡曲自体も懐かしいのだが、
歌と一緒に流れる映像に、時代の空気感のようなものが伝わってきて、
眠気も吹っ飛び、くぎ付けになった。
デパートの屋上とか、とある公園とか、どこかの街角とか、華やぐディスコとか……。
なんでもない場所である。
有名人が出ているわけではない。
事件とか事故とかを知らせるものでもない。
ただその当時の、なんでもない日常を映像化しているVTRが流れているのだ。
街を歩く人びとの、流行りのファッションや髪形。 
そして、そこに重なる過去の自分の姿。
記憶の断片が、次々と生まれては消えていく。
不思議な時間だった。

保坂和志の『季節の記憶』という小説の後半で、同じようなことが書いてあったように思う。
読んだ当時は、ピンとこなかったのだが、この感じを言いたかったのではないかと、
その時、はじめて納得できたような気がした。

少し前までは、その役割は写真だけだったような気がする。
それが今は、ビデオというものも加わった。
いや、もう加わってから久しいのかもしれない。
時代の空気感を呼び覚ますもの。
この明け方の懐かしい映像の中に、
その時代に生きた過去の自分が、
まったく今とは無関係に、
分身のようになって存在しているかのように思えた。
 

 


 

 

2005年4月21日(木          進化

 

 

昨年のオリンピックの日本選手の活躍は、記憶に新しい。
自分の記録を次々と塗り替えていく選手たちの姿は、
見ているものに、感動と清々しさを感じさせた。

オリンピックとは、まったくレベルが違うのだが、
今年も宮古島のトライアスロンのレースに参加した。
5年前に、地元ボランティアの取材をした。
その翌年から選手として出場して、今年で4回めになる。

記録は以下の通り。

スイム 0:53:48  (0:56:40)
バイク 6:23:31  (6:34:45)
ラン  4:51:30  (4:57:00)
総合 12:08:49 (12:28:25)
順位  679位     (856位)
            ( )は昨年の記録

まぁ、興味のない人には、
どうでもいいような記録なのだが、
厄年も過ぎたオジサンにとっては、
結構、頑張った涙モノの記録なのである。
この歳になると、体力というものは、下降線を辿るばかりである。
エネルギーが漲る旬の若い世代のオリンピック選手とは、
わけが違うのだ。
下降線をなんとか平行に維持するのが、やっとだ。
しかしながら、今回、自己ベストの記録が出た。
牛歩の歩みではあるが、まだ進化しているということになる。
身体が人並み以上に堅く、腰痛をかかえる我が身体。
それでも、なんとか遣り繰りして、
やっと出た自己ベストなのである。
なんの役にも立たないし、なんの利益にもならないのだけれど、
だからこそ、価値があるような気がするのだ。

無意味で無駄なこと。
そんな酔狂さが、僕は好きなのかも知れない。
だからトライアスロンは、やめられない……。

 


 

 

2005年4月9日(土         満開の時期に

 

ソメイヨシノがまさに満開である。
僕の好きなヤエベニシダレも、綻びはじめている。
総武線の車窓からは、
薄桃色の帯が、土手沿いにずっと続いているように見えた。
日本でいちばん美しいこの時期に、
ダライ・ラマ法王が来日されている。
本日は、東京の両国国技館で講演が行なわれた。
実は、昨年11月にCoyoteという雑誌の取材で、法王にインタビューしていた。
46年前にチベット本土からインドへと亡命した時の話を主にお聞きしたのだ。
僕自身も、そのルートを辿ったばかりだったので、法王の話が胸になおさら響いた。
ご一緒した時間は、5カ月経った今でも、鮮烈に心に焼きついている。
緊張気味の僕を優しく包んでくれるような懐の深さがあった。
今回の来日は、そのインタビュー後に知った。
ちょうど雑誌の発売時期とも重なり、感慨もひとしおである。

両国国技館では、取材でお世話になった人や、
現地で知りあった人びとにも再会できた。
チベット好きの仲間にも久しぶりに会った。
同じことに興味を持つ人びとと法王の話に耳を澄ます。
いい時間の流れであった。
集まる人たちの気というか、エネルギーというものはあると思う。
スピティでカーラチャクラの儀式で集まった人たちから発するエネルギーはすごかった。
今日は、そこまで強くは感じられなかったが、
少なくとも、集まった人びとが『慈悲』について考えただけでも、
会場に良い雰囲気が生まれたと思う。
敵は自分の心の中にある。
なぜだか、そんな思いが、法王の話を聞きながら沸き上ってきた。

実は、できあがった雑誌を渡すために、講演後に、滞在中のホテルにも伺った。
この同じ東京で、あのホテルの部屋でこの瞬間に法王がおやすみになっていると思うと、
少し不思議な感じがする。
薄桃色でちりばめられた日本の風景が、
温かい記憶として法王の心に残ることを願ってやまない。


メール 待ってます

sha@t3.rim.or.jp


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