His Diary

 

 

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JTAの機内誌「Coralway」の特集記事を集めた、
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2004年3月29日(月         都会の片隅も悪くない

 

 

ひとりで食事をしようと思った時、
昔ながらの定食屋をまず探す。
焼き魚定食に納豆なんてのが、
僕にとっては、いちばんのご馳走なのだ。
それでもランチ時間をはずしたり、
ひとりでは入りにくいレストランも多い。
でもできればファーストフード系は、避けたい。
そんな時、モスバーガーを探す。
ハンバーガー屋の中では、やはりダントツにヘルシー感がある。

小田急沿線に和泉多摩川という駅がある。
名前の通り、多摩川沿いにある。
各駅停車しか停まらない、住宅街の静かな駅だ。
この駅、実は学生時代から、馴染みがある。
運転免許を取る時に、足繁く通った教習所が近くにあるのだ。
当時とは趣きは変わっているが、
ここ数年、トライアスロンをはじめてから、
また通うようになっている。
自転車が苦手なので、
246号線のような危険と隣り合わせの一般道路を多摩川まで自走するのは、
とても精神的な負担になる。
そこで和泉多摩川まで輪行(自転車のタイヤをはずして袋に入れて電車で運ぶ)して、
ここからバイク練習に出かけているのだ。
宮古島のレースまであと1ヶ月を切っているので、
この週末も、二日続けて有馬ダムまでロングライドに出かける予定だった。
その初日の土曜日、早朝。
いつものように和泉多摩川駅に降り立ち、自転車を組み立て、
いらない荷物をコインロッカーに入れようとした。
と……。

・・・・・・・・・

テロ対策のため、このコインロッカーは閉鎖します。
ご迷惑をおかけしますが、みなさまのご理解とご協力をお願いいたします。

・・・・・・・・・


ロッカーの上にベタと貼られている、白い紙。
ガ、ガ〜ン。
こんなところにも、テロの余波が。
そういえば、最近、警官の姿を新宿駅とかで良くみかけるなぁ、と思っていた。
スペインの列車爆発から、警戒を強化しているのだろう。
僕はイラクにアメリカが攻撃したこと自体、反対していたので、
そこから先のことは、すべてがイライラの原因になる。
ごみ箱撤去みたいなささいなことでも、頭にカチンとくる。
あわてて駅員さんに、問い合わせてみると、
小田急線沿線のすべてのコインロッカーが閉鎖されたのだそうだ。
そんな……。
しかしテロ対策ならしかたがない。
それにしても、この荷物をどうしよう。
実は、いつもコインロッカーに預けていたから、
着替えや運動靴や輪行袋など、かなりの荷物になる。
(自転車には専用の靴がある)
駅員さんに事情を説明して、
荷物を預かって貰えないかと聞いてみたが、
「申し訳ありませんが、預かることはできません」
という想像通りの返事。
まぁ、そうだよなぁ。
テロ対策でロッカーを閉鎖しているのに、
何が入っているかもわからない、
いかにもあやしい汚い荷物を、
預からないだろう。
これを背負って、120キロのロングライドはきついなぁ、
と意気消沈した。

とりあえずはコーヒーでも飲むかと、
駅前にあるモスバーガーに入った。
いつものように、にこやかな店員さんの笑顔に迎えられる。
……と、ひらめいた。
荷物を預かってもらえないかと、
事情を説明して、その店員さんに頼んでみたのだ。
もちろん、当然、断られると思った。
こういうチェーン店は、いろいろとマニュアルがあるはず。
絶対に、預かってはもらえないだろう。
それでも頼んでみたくなるほど、事態は切迫してたのだ。
(おおげさだけど……)
「構いませんよ。事務所で保管しておきますから、安心してください」
学生のバイトかもしれない、その若い女性店員からの思わぬ返事。
コーヒーを飲み終ってから、お礼を行って、荷物を預け、ロングライドに出かけた。
本当に助かった。

ロングライドから戻ってきたのは、午後3時過ぎ、
もちろんシフトが変わっていて、
さっきの店員さんは、いなかった。
たまたま目のあった店長さんらしい店員さんに事情を説明すると、
「お話は聞いています。またいつでも預けてくださいね。
こちらは構いませんから」
とにこやかに微笑んで応対してくれた。
なんだか、馴染みの商店街のお店のような応対に、
モスバーガーの株が、一挙に上昇した。

そして日曜日。
お言葉に甘えて、再び荷物を預けたのである。
冷静に考えれば、とても図々しいのだが、
練習できる時にしておかないと、宮古島のレースには、完走できない。
日曜日に荷物を受け取る時、会話の中から、トライアスロンのレースのための練習だと知って、
もう顔馴染みになった、その店長さんは、
「応援しています。頑張って下さい」とさえ、言ってくれた。
ありがたいことである。

マニュアルのあるチェーン店でも、
実際に働いているのは、個性のある人間なのだ。
最近は、地方の取材が多く、
いろんなところで、人情というものに触れてきたが、
都会の片隅でも、体温を感じられる交流ができることを
あらためて感じさせられた。

お礼に宣伝しておこうかな。
季節限定ですが、
ゆず風味のだいこんバーガーは、お薦めですよ。
ぜひ、お試しあれ。

 


 

 

2004年3月3日(水         名画座

 

 

僕の半生の中に思春期というものがあったとすれば、
それは中学生の時だったように思う。
漠然とした大きな力に対して、
無性に腹立たしく、わけもなく反抗したくなったものだ。
今では想像もつかないのだが、
あの頃は、長髪が流行りで、
小学校の卒業式の写真を見ると、すでに髪をのばしはじめている。

そんな少しひねくれた中学生が、背伸びをして通ったのが、
地元の名画座だった。
薄暗くて狭い階段を上っていった2階に、その名画座はあった。
1列が4席ずつの小さな映画館。
たぶん50席くらいだったと思う。
チャップリン、オードリー、ジュリアーノ・ジェンマ……。
スクリーンから飛び出してくる映画の世界は、
現実から異次元へと僕を連れていってくれた。
あの頃観た映画で、今でも忘れられないシーンがたくさんある。
ジェルソミーナという少女が主人公だった大道芸人の話、『道』も、そのひとつだ。

・・・・・・
変わらずにずっとある、と信じていたものが、
突然なくなってしまって、気持ちだけが右往左往している感じです。
・・・・・・

僕の田舎に住んでいる地元の方からメールが来た。
あの名画座が閉鎖されてしまうというのだ。
数年前に、郊外型のシネコンプレックスができて、
従来あった映画館は、どこも経営難なんだそうだ。
もともと閑散としていた、あの名画座には、
時代の流れに立ち向かう、体力がなかったに違いない。
メールをくれた方も、高校生の時に良く通ったそうだ。

僕にとっても思い出がいっぱい詰まった空間である。
東京に出てから20年以上、
たまに実家に帰っても、その名画座に行ったわけではない。
思い出したことさえ1度もなかったかもしれない。
でも、そのメールを読んだとたん、
さまざまな記憶が蘇ってきた。

変わらずにずっとある。
そうでないものが多いことに気がつくのが、
歳を重ねることなのかもしれない。
でも、記憶や思いは、知らず知らずのうちに根を生やしている。
水をやることだけは、忘れたくないものだ。

 


 

 

2004年2月19日(木         5年という歳月

 

 

免許の更新に行った。
ペーパードライバーの僕は、
もちろんゴールドカード。
大学時代に免許をとった当時は、
レンタカーで千葉の海なんか行った記憶があるが、
今では、どっちがアクセルでどっちがブレーキかもわからない。
オートマなんてもんは、1度も運転したことがない。
もう20年近く車のハンドルを触ったことさえないのである。
こわいゴールドカードである。
ほとんど身分証明書と化している。

それでも携帯しているだけでは、
本当の優良ドライバーかペーパーかの識別はできないので、
こんな危うい僕でも、30分の簡単な講習で再びゴールドカードをゲット。
そのまま警察署を出て、何の気なしに、
穴のあいた今までの免許書と、
出来上ったばかりの免許書を見比べてみた。
と……。
愕然とした。
5年の歳月というものが、そこに。
そもそも免許書の写真というものは、たいして良くはとれないものだが、
それにしても、あ〜んまりの違いに愕然としてしまったのだ。
白髪は多いし、おでこはひろくなっているし、
肌にも艶はないし、ひとまわりほど顔もたるんでいるし。
老けたなぁっていう印象。
同じ大きさで、同じ背景、同じ構図だからこそ、
その変化が顕著に露見したようだ。
トホホ。

ヒマラヤなんかに行くと、
日に焼けて、皴が深くても 
『ああ、味のある顔だなぁ』と思う人に出会う。
老けていくのは、しかたがない。
抵抗しようとも思わない。
ただ歳をどのように重ねていくか、
それが顔に出るんだなぁ。
味のある顔になりたいもんである。


 

 

2004年2月2日(月         透視

 

 

土曜日に『人体の不思議展』に行った。
「絶対に1度は観に行った方がいい」
と理系の友人からずっと前からいわれていたのだが、
ホーラー系の映画が苦手な僕にとって、
なんとなく後回しにしている間に、
気がつけば、最終日の前日。
あわてて会場に向かったというわけだ。

会場の東京国際フォーラムのエリアに着いて、
地下鉄の連絡口から地上へとエスカレーターで上ってくると、
ガラス越しに屋外の広場が見えて、そこに長蛇の列。
東京国際フォーラムは、コンサートホールやイベントホールなどがたくさんある場所。
ああ、人気グループのコンサートでもあるのかなぁ、と思って
不思議展の会場の方へ向かう。
と……。
うぐぐ。
その長蛇の列は、なんと不思議展の当日券を買う人の列だったのだ。
入場券を買うまでに1時間。
そして、券を買ってから入場するまでにさらに1時間かかるという。
人気の展示で会期延長になったとは聞いていたが、
こんなにすごいことになっていようとは。
僕のように、間際の駆け込みの人も多いはず。
「どうしよう」と迷っている間にも、
どんどんと列が伸びていくので、
とりあえず並びながら観るかどうか考えようと思って、
最後尾に並ぶ。
でも、いざ並びだしてみると、気分が高揚してくるもんである。
ここで観逃したら、後悔するかもしれないと。
……ラーメン屋の列に似ている。

不思議展の後は、プールへ行く予定だったのだが、
プールならいつでも行けると意を決した。
本腰を入れて列に並ぶことにした。
幸い仕事の資料を読まないといけなかったので、
寒空の中、資料片手に列が進むのを待つ。
僕のようにひとりで来ている人もちらほらいるが、
圧倒的にカップルが多い。
結構、若者が多いのには驚いた。
ここは、ディズニーシーの人気アトラクションか……。

チケット売り場に辿り着き、さらに入場制限のため屋内に移って並び、
やっと入場。
しかし、この人数。
展示物は人垣で溢れていた。
ほとんど観ることができない状態だった。
それでも、人垣の合間から覗く、
人体のさまざまな臓器は、
オドロオドロしいというよりは、
神秘的な感じがした。
今、展示されているその部分が、
この自分の身体の中にも同じように存在している。
自分の中身を透視しているみたいな。
そんな思いにかられたのだ。
長い時間、ひとつの人体のすみずみを観察している人が多かった。
研究者のような容姿の人がやっているなら頷けるが、
コギャルといえるような若い女の子たちも、
真剣な表情で魅入っている。
きっと僕みたいに、
自分の内部と重ね合わせているに違いない。

印象的だったのは、血管。
腕や足の部分の血管を抽出して、
その部分に特殊加工して色をつけてあるのだが、
まるで芸術作品だ。
無限の広がりを感じた。
自分の血管も、この瞬間に、同じように存在している。
展示会の名前通り、まさに不思議だった。

展示の最後に、人間の脳みそを持たせてくれる。
もちろんここも列になっていたが、
迷わずに並んだ。
脳を包み込むように下から両手で支える。
女性の脳だそうだが、
思ったより軽かった。
でも、確かに脳の重さが掌に残った。

1時間、人垣に揉まれ、会場を後にした。
もしまたこの展示が来ることがあったら、
もっとじっくりと観たいなぁ、と思っていた。
2時間待った甲斐は、あったようだ。


 

 

2004年1月22日(木         時を経て

 

 

縁というのは、不思議なものだ。
添乗員時代、アフリカのエリトリアという国へ行った。
エチオピアの隣の地中海に面している小さな国。
あまり知られていないこの国で、
ひとり旅をしている日本人の青年に会ったのである。
日本から鑑真号という船に乗って、上海に渡り、
インドを経由して、ケニアからアフリカ大陸に入った。
シティバンクにお金を預けていたのだが、
かなり懐が寂しくなったので、
エチオピアの銀行で引き出そうとしたら引き出せなかったため、
エリトリアまでなんとか辿り着いたそうだ。
しかし結局、エリトリアの銀行でも引き出せないことがわかり、
エジプトに行ったらシティバンクの支店があるので、
エジプト行きの船に乗りたいという。
その船代を貸して欲しいと頼まれたのだ。
必要だという金額が、僕の記憶では20ドルだったと思う。
その金額を聞いて、僕は昔、自分が貧乏旅行していたことを思い出した。
1ドルでも無駄にできない、節約しながらの若い頃の旅。
彼は、自分の運転免許書を20ドルのかわりに僕に預けるという。
その彼の姿に、
僕は若い日の自分を重ね合わせていたのだろう。
エジプトでもお金をおろせない万が一のために100ドル貸すことにした。
免許書のかわりに、旅先から絵はがきを書いて欲しいと彼に頼んだ。
どんな風に彼が旅をしていくのか、僕は知りたかったからだ。

それから1年ほどして、国際電話がかかってきた。
最初はその声の主が誰だかわからなかったが、
エリトリアのあの青年だとわかった。
しばらくニューヨークにいるから、
お金を送金しますという用件だった。
『お金は日本に帰ってきてからでいいから、電話代がもったいないから切りなさい』
と言って、そそくさと電話を切ったのを覚えている。

そしてニューヨークから絵はがきが届いた。
エジプトからヨーロッパを経由して、ニューヨークへ。
彼が辿った旅がそこには書かれていた。
そして、しばらくニューヨークにいて、
カメラマンの勉強をすると……。
僕は、書かれていた住所に、処女作『風の足跡』を送った。
彼と同じように僕が20代の時に旅をしていたことを綴った本だったからだ。
でも、しばらくして、その本が入った小包みは、
宛先不明で戻ってきてしまったのだ。
そして、彼とは音信不通になった。

つい1週間前、突然、彼から電話がかかってきたのだ。
日本に戻ったので、お金を返したいから、会ってもらえないかというのだ。
僕の方は、お金を貸していたことさえ忘れていたから、
本当に懐かしく、そして嬉しく感じた。
カンボジア料理をつつきながらの、
8年ぶりの再会。
彼は29歳になっていた。
そして、何より嬉しかったのは、
彼が、ニューヨークでカメラマンの勉強をして、
日本でも、カメラマンとして仕事をしていたからだ。
作品も見せてもらったが、
なかなか味があって、いいのである。
「いつの日か、一緒に仕事ができるといいね」
そう言って、代々木の駅で別れた。

8年の時を経て、貸したお金は僕のもとに戻ってきた。
日本にいるとあっという間になくなってしまう金額だが、
僕にとっては、気持ちが温かくなるかけがえのないお金になった。

 


 

 

2004年1月8日(木         過程

 

 

学生時代は、学生割引の周遊券を片手に、
夜行列車に乗って、よく北海道に旅をしたものだ。
夜汽車の堅いシートの上で、心地よい振動を感じながら、
暗闇の先に飛んでいく明かりをボーと見ているのが好きだった。
今から思えば、目的地に着くことよりも、
その過程を楽しむ余裕があったのだろう。
お金はなかったが時間はあった。
闇をスクリーンにして、
思考の奥に潜んでいるものを眺めていたのかもしれない。

久々にそんな旅が体験したくなって、
先日、福岡から夜行バスに乗った。
福岡の繁華街の天神のバスターミナルは、なんとビルの3階。
行き先は、九州の各方面が多い。
大阪や名古屋などもあるが、
一番の長距離バスは、やはり僕が乗ろうとしている東京。
夜の7時に福岡を出て、東京に着くのは、予定でも翌朝の9時過ぎである。
・・・・14時間。
僕にとっては、こういう移動時間は、海外でよくあるので慣れているのだが、
ここは、ヒマラヤでも南米でもなく、日本。
このスピード時代に、そんなに時間をかけて移動する人は
たくさんはいないだろうと思っていたのだが、
ちょうど正月明けで上京する人が多いのか、
本日は5号車まで出るという。
ちょっと驚く。
バスに乗り込んで、再びビックリ。
すごくゆったりしているのだ。
一列に3席しかなく、窓際と真ん中の列の間に通路がある。
要するに、ひとつひとつの席が孤立している。
しかも、消灯時間になると、四方にカーテンがひかれ、
完全に自分だけの空間になるのだ。
リクライニングシートは、ほとんど平坦といっていいくらい、
かなり倒すことができ、快適この上ない。
九州、中国、阪神、名神と高速道路を通って、
ふと気がつけば、中央道の諏訪湖インターチェンジ。
広島のインターチェンジで10時過ぎに休憩して、
それからすぐに消灯時間になったのだが、
いつの間にか寝てしまったようだ。
とっくに外は白んでいる。
飛び去る闇を見ながら、物思いに耽るはずではなかったのか……。
快適すぎるのも、いかがなものか。
おまけに休憩した諏訪湖インターチェンジでは、
軽食のサービスもあった。

予定よりは30分ほど遅れたが、
とにもかくにも、夜行バスは終着地点の新宿に着いた。
これって不思議なのだが、
夜、寝ている間に違う場所に移動していると、
ちょっと得をした気分になるのは、僕だけだろうか。
日本の広さを身をもって体験する。
時には、いいのではないだろうか。


 

 

2003年12月16日火)         プチ断食の顛末

 

 

Breakfast の語源をご存知だろうか?
寝ている間に絶食(fast) していたのを破る(Break) 食事が、
朝食(Breakーfast )というわけだ。
断食明けの朝飯。
まさに、Breakfastを実感。
食事の前に、まずはミネラルウォーターを飲むことになっている。
それが、思いもかけずに甘く感じたのだ。
えええ、って感じ。
フランスのVOLVICだったのだが、
水の味を感じるなんて……。
その後、メニュー通りにレトルトの梅粥を食べた。
それが、また驚きだった。
塩分控えめと書いてあるのに、
とってもしょっぱく感じたのだ。
味に敏感になったのは、1食抜いたせいなのかなぁ。
食べることに意識を集中しているからかもしれない。
ずっと楽しみにしていたのだから。
とにもかくにも、その梅粥の美味かったこと。
小さなスプーンで食べたせいか、
結構、満腹感があったのも不思議だ。

昼飯は、図書館を抜け出して、
いざ、スープ・バーへ。
今日は、悩みに悩んだ末『じゃがいものポタージュ』。
じゃがいもの濃厚な味と具のキノコが絶妙。
まだまだいろんなスープがあるので、
今度は、断食じゃなく、パンと一緒に試してみよう。

そして、いよいよ待ちに待った夕食。
実は、ストレス発散でプールに寄って帰るのが日課なのだが、
(昨日は、空腹の中でも、1.8キロ泳いだ)
本日は、なにより夕食が優先だった。
断食メニューの最後は、『鍋焼きうどん』。
昨晩から、後光が差して想像していた代物である。
代々木上原の駅から即効で馴染みのそば屋に直行する。
まだ夕方の6時前だった。
このそば屋の鍋焼きうどんには、思い出がある。
3年ほど前、柄になく、大風邪をひいて4日ほど高熱で寝込んだことがある。
やっとのことで起き上がれるようになった時、
食べたのがこの鍋焼きうどんだった。
僕にとっては元気回復の素。
久しぶりに注文しようとメニューを見てビックリ。
きつねうどんのなんと2倍の1200円という値段。
こんなに高かったっけ?
さすが、元気回復の素である。
断食のご褒美に、まぁ、いいかぁ、と頼んだ。

運ばれてきた、『鍋焼きうどん』さま。
後光のかわりに、湯気が立ち上っていた。
さすが、この店で1、2位を争う高額メニュー。
大きなエビ天が、どかっと腰を落ち着けている。
これは、美味そうである。
なのに……。
大好物のはずのエビ天を食べる気がしない。
どうも断食で流動食ばかり食べていたので、
天ぷらの衣は、まだハードすぎたようだ。
トホホ。

大好物は残したものの、筍も椎茸も、そして出汁も。
それはそれは美味く感じた。
素材の触感や味をじっくり楽しむ。
思えば食べることに無頓着になり、
ただ欲のまま惰性で食べていたような気がする。
1食抜いたぐらいでは、身体が浄化したとはいえないだろうが、
今回の断食は、『食べる』という根本的な意識をもう一度呼び覚ます、
きっかけにはなったような気がする。

それにしても、この今の世の中、誘惑が多すぎる。
ものが溢れすぎ、つい余計なものを買ってしまうものだ。
断食するには、それなりの強い意志が必要と感じた。
今回は、仕事がらみだったから、なんとかやり遂げられそうだが……。
……そば屋の帰り道にコンビニに寄り、
ハーゲンダッツのアズキを買ったことを、
ここに告白いたします。 

 


 

2003年12月15日月)         プチ断食当日

 

 

添乗員時代にアラブ諸国に行った時、
断食月(ラマダン)だったことがある。
イスラムの戒律で、
日が出ている間は、食事ができないのである。
ただし外国人観光客は特別で食事はできる。
でも開いているレストランも限られているし、
田舎では、バスの中でお弁当を食べたこともあった。
食べられない恐怖感であたふたしている我々とは違って、
同行している現地ガイドや運転手が、
日中、何も食べずに、平然と仕事をしているのには驚いたものだ。
『ファスティング(断食)すると、身体が浄化する感じがするよ』
そう言って、ガイドは僕に微笑んだ。

それに比べて、1食抜くだけで、ビビッている自分。 
欲にどっぷり支配されているのだ。
プチ断食の日を迎え、
どうせやるなら、めいっぱい断食を楽しんじゃおうと
頭を切り替えることにした。
それで、思いついたのが、スープ・バー。
夏頃に、広尾に新しいお店ができた。
ガラス張りで、ちょっとオシャレなカフェのような感じ。
メニューを覗くと、カレーや一緒に食べるパンもあるが、
メインは、さまざまな種類のスープ。
ヘルシーで美味そうだ。
図書館へ行く途中、何度もその店の前を通ったのだが、
お客は女性が多く、なんとなく入りずらかった。
断食用に作られたメニューは、あくまで基本だというので、
コンビニのものを食べるよりは、数段、身体にいいに違いないと、、
そのスープ・バーに思い切って入り、昼飯を食べることにした。
僕が食べたのは、『東京ミネストローネ
かなり美味かったけれど、
「わ〜、これで終り?」って感じ。
これでパンと一緒に食べれば少しは違うのだが、
それは、許されない……。トホホ。

昼飯が終ると、あとは翌朝まで、何も食べられない。
水分は摂らないといけないので、
ミネラルウォーターを買い込んで、帰宅。
食べられないとなると、腹が空くものである。
ううう。
しかたなく、水を飲む。
それでも、腹は空く。
しかたなく、水を飲む。
無意識に買い置きしてあった、みかんに手が伸びていた。
ダメダメ。
しかたなく、水を飲む。
……こうして、断食の夜は更けていったのでありまする。


 

2003年12月14日日)         プチ断食前夜

 

 

サトウキビ刈りをしたり、カヌーに乗ったり、トライアスロンをしたり、
体験ものの取材は多いが、
今回、頼まれたのが『断食』の体験。
ううう。
とはいっても、夕食を1食抜くだけのローインパクトなもの。
専門の栄養士の方の指導によって作られたメニューを見ると、
断食する朝食から徐々に消化のよいものを食べ、
夕食は抜いて、翌日一日かけて、流動食から戻していくやり方。
料理も負担のないように、コンビニで買えるもので簡単に作れるメニューもある。
これならば、できそうだと引き受けることにした。

いくら1食抜くだけとはいえ、
明日から、2日間は好きなものを食べられないと思ったら、
今晩中に思いきり好きなものを食べようと、
ハーゲンダッツのアズキを買い込んだ。
(これは、濃厚な味で、冬にぴったり)
キーン!!!!
無意識だが、やっぱり断食への恐怖を感じでいるのだろうか。
焦って食べたせいか、こめかみあたりが……。
この『キーン』、アイスクリーム頭痛と言うらしい。
詳しくはこちら
それにしても、アイスクリーム頭痛とは、ぴったりの名前だ。
頭を抱え、抱え。
それでも、あま〜い、至福の時を過ごす。
ただし、時計の針が12時を過ぎれば、断食が待っている……。

 


 

 

2003年12月10日(水)        結晶

 

 

『星状六花』という文字を見て、何を想像するだろうか。
星形の六角形の花。
そう、雪の結晶である。

昨日、故郷から初雪が舞ったよという電話があった。
まだ20度もある沖縄から戻る便の機内誌で、
雪の結晶についての記述を読んだばかりだったので、
不思議な感じがした。

以下は、機内誌より抜粋
・・・・・・・・・・・・・・・
天保年間の古河(茨城県古河市)藩主、土井利位(としつら)。
彼はオランダ製の顕微鏡を使って、雪の結晶のスケッチをした。
その10年以上に及ぶ研究は『雪華図説』(せっかずせつ)にまとめられ、
続編も含め183種もの結晶図が紹介された。
・・・・・・・・・・・・・・

雪に魅せられた藩主とは、どんな人なんだろう。
なんとなく親しみを感じる。
このスケッチは、ぜひ見てみたいものだと思った。
雪の結晶といえば、僕にも思い出がある。
昔、エッセイにも書いたことがあるが、(詳しくは、こちら
ネパールのヒマラヤ山中で、結晶のまま降ってきた雪に遭遇した。
その神秘的な美しさといったら……。

『雪の結晶』でネットサーフィンしていたら、
面白いサイトをみつけた。
雪の結晶は、できる時の気温と湿度によって、
さまざまな形に変形するのだが、
それをCGで体験できるのだ。
試したい方は、こちら
自分の好きな色や湿度を変えて、
自分だけの結晶を生み出していくことができる。
ホントに結晶ができあがっている過程を見ていると、
まるで生命が宿っているかのようである。

夏川りみの『童神』を聞きながら、
雪の結晶が育っていくのを見る。
心が安らぐのはなぜだろう。
生命。
でも、このひとつとして同じでない結晶は、
一瞬のうちに溶けてしまうのだ。


 

2003年11月20日(火)        心で観る

 

 

スピティが放映された後、
バタバタと海外取材に行っていた。
その間に、たくさんの番組に関する感想メールが届いた。
ありがたいことである。
本日、ようやく完成後のスピティのテレビ番組をビデオで観た。
できあがる途中の段階でしか、観ていなかったのだ。

もう1回、再放送もあるし、ビデオに録画した方も多いみたいなので、
ここからは『スピティの谷へ』の読者へのマニアックな番組の楽しみ方。
本の登場人物で実際に番組に登場したのは、ケントゥール・リンポチェだけだが、
画面のそこかしこに、本の登場人物は出てくる。
まず、郵便配達人のハドゥンマは、主人公の女の子とカザへ一緒に行ったし、
お祭りの時、ラルーンの踊り子の中のひとりでもあった。
崖の上で踊りを練習している時、
『そんなに恥ずかしがっていたら、本番の時に踊れないよ』
と言っているのが、ハドゥンマだ。
一番最初の夜会の会場も、彼女の家だ。
ハドゥンマは若者たちのアネゴ的存在で、
今回のテレビ取材の時もとても協力してくれたのだ。
ロケハンの時、主人公のカップルの情報をくれたのも彼女だ。
そして出家するロプサン少年のお母さんドルジは、
ハドゥンマのお姉さん。
本の214ページ上段に、3年前の親子の姿も載っている。
その他には、ほんの少しだが、問答する立っている方の僧が、
ダンカールの寺子屋のソナム先生だ。

「スピティの谷へ」を読んだ時に、心に描いたものと、
実際の映像とは、ギャップがあったという感想メールもあった。
活字を愛するものにとって、
心で観る風景は、無限の広がりがあるに違いない。
僕もどちらかというと、そういう種類の人間ではある。
それでも、いろんな人にスピティについて知ってもらういい機会だったと思う。

番組をあらためて観終えて、
肌に馴染んだ空気感が再び蘇って、
ちょっぴり懐かしいような、そしてなぜか寂しいような気分になった。
スピティは、そうやって独り歩きして、
さまざまな人びとの心に広がっていくのだろう。

 


 

 

2003年11月5日(水)        体感

 

 

What's Newにも書いたが、今週末、スピティがテレビ放映される。
昨晩、ナレーションの録音に同席して試写をした。
不思議な感じである。
知っている顔が、画面から次々と出てくる。
僕らが数年間通って培った人脈を駆使して、この番組はできたからだ。
内容は、まだ放映前なので、多くを語らないが、
『スピティの谷へ』で表現したかった余韻のようなものは、
この番組でもところどころに表現されている。
テレビスタッフは、最初に僕らが雑誌に発表した当時から、
ぜひ映像化したいとコンタクトしてきた人たちなので、
僕らのスピティの人とのスタンスのとりかたも理解して、
テレビを制作することによってスピティの人びとの生活が激変しないような
配慮もしてくれたように思う。

テレビ番組で焦点が当てられている家族は、『スピティの谷へ』の中に出てくる人物とは異なるが、
モチーフなどは、あの本の世界だ。
脇を固めているのは、本の登場人物だったりする。
お読みになった方は、風景や人物など、
頭の中で想像していた映像とどう違うか比べてみるのも面白いかもしれない。

画面に映しだされる、見慣れた風景や人びとの顔。
スピティの空気感を東京にいながらにして、体感する。
僕にとっては不思議な感じだが、
ぜひ茶の間で、1人でも多くの方に
スピティを体感してもらえたらと思う。


 

 

2003年10月21日(火)        空に掛かる橋

 

 

大分県の国東半島に行っていた。
国東半島は仏の里として知られている場所だが、
その山の奥深いことに驚いた。
海岸線からほんの少し内陸に入っただけで、
奇岩が剥き出しになっている山々が連なっている。
レンタカーを使って取材をしていたのだが、
点在する寺を巡っているうちに、
細い道に迷いこみ、人の気配などまったくない自然の懐へと
あっという間に包まれてしまう。
土地のもつ気のようなものを感じるから不思議だ。
そんな山道を辿って、峠をひとつ越えると、
その先にふっと山里が現れた。
峻険な坂の途中に、瓦屋根の家が佇んでいる。
家のそばには、柿がたわわに実り、
その奥には段々畑が広がる。
ヒマラヤかどこかでみたような風景が……。
稲穂が頭をもたげ、
洗濯物が風に揺れ、
人っ子ひとりいないのだけれど、
人の匂いのする風景。
いい感じだった。

国東ではどうしても見てみたいものがあった。
僕の最初の本の担当編集者からずっと昔に聞いていた橋。
……空に掛かる橋
国東半島にあるということだけしか覚えていなくて、
詳しい場所も名前も知らなかったのだけれど、
心の深いところで引っ掛かっていたようだ。
国東に行く直前にたまたまその編集者の方と会うことになったので、
しっかり場所と名前を聞いた。
天念寺の無明橋。
その姿を見上げた時、心がグラッときた。
眼前に聳える岩山。
いくつかの岩山が連なっている。
その岩山の尾根と岩山の尾根をつなぐ場所に、アーチ型の橋が掛かっている。
岩山と岩山の間は、絶壁で、青空が覗いている。
まさに空に掛かる橋なのだ。
国東半島一帯には、かつて修験者たちが歩いた道が残っている。
無明橋を渡る尾根伝いの道もそのひとつ。
そして、今でもあの橋を渡ることができるという。
どうしても、あそこに行ってみたくなった。
鎖場や峻険な岩場があって、結構、危ない道だったが、
橋の近くの尾根まで20分ほどで登ることができた。
近くで見ると、さらに心もとなく感じる。
その幅1メートルほどの石橋。
手すりなどない。
渡る時に、不浄のものは、落下するという。
ううう。
高所恐怖症ではないのだが、
さっき下から見上げたばかりなので、
橋の上で宙に浮いている自分の姿を想像すると、
思わず手から汗が吹き出る。
それでも、エイヤアと、橋を渡る。
「はい、そこで振り返って!」
とカメラマンの非情な声。
『○○タマが縮みあがる』とは、まさにこのことだ。
くびれている谷の高さは300メートルほどか。
足元を見ることは、ままならない。
とにもかくにも、撮影も終え、
無事、橋を渡ることができた。
(注:マジで気をつけないと危険です) 
橋の近くで食べたキットカットと生茶が、
なんと美味かったことか。
ホッと、ひと息。
でも、橋の先は行き止まり。
もう1度、橋を渡り返さないと
里には降りられないのでありまする。

今でも10年に1度、修験者たちは、
この無明橋をはじめ、さまざまな道を巡礼するそうである。
次は7年後。
一般の人たちも募集するそうなので、
白装束を来て、歩いてみるのもいいかもしれない。

 


 

 

2003年10月1日(水)        再会

 

 

一昨日、取材で行っていた沖縄から戻ったのだが、
予期せずに、突然、あの匂いに包まれた。
東京を離れていたのは、ほんの4日。
その前は、まだ薫っていなかった。
『ああ、秋だなぁ』
とっさにそう思った。
まだ夏の日差しだった沖縄に慣れていた皮膚には、
だいぶ冷たさを感じる夜風にあたりながら、
ゆるゆるとその匂いを吸い込みながら帰宅した。
それでメールチェックしたら、なつかしい差出人がいくつか。
さっそく開いてみると、そのどれもが、
『金木犀の匂いを嗅いだら、謝さんのことを思い出しました』
というような内容だった。
ありがたいことである。
作品やこの日記の中で、金木犀の匂いのことを書いたことがある。
僕にとっては、淡い思い出なのだが、
それを読んでくださった方たちが、
その匂いと僕をリンクさせてくれているとは。

僕自身もこの匂いは、ほぼ一年ぶりの再会ということになる。
普段は忘れているのに、その匂いに遭遇した途端、
沸き立つさまざまな思い。
人の記憶とは不思議なものである。
そんな引き出しをいっぱい持っているってことが、
豊かってことなのかもしれない。

9月は出張も多く、
かなり夜型になってしまい、
生活のリズムが崩れがちだったので、
10月は規則正しい生活を送ろうと、
毎朝、走り込もうと思っていたのだが、
先週あたりから足首に違和感があって、
沖縄の伊是名島での仕事がらみのトライアスロンのレースで酷使したせいか、
靭帯が少し痛んでしまったようだ。
角度によっては歩くのもままならないほど。
医者にいったら、それほどひどい損傷ではないが、
全治3週間とのこと。
無理して走れないことはないが、
少しおとなしくしている方が賢明のようである。
ランのシーズン到来で、今週末には駅伝にも参加する予定だったのだが……。
ただ今、代走者を探してもらっている。
ううう。走りたいのに走れないのも辛いものだ。
あらためて健康の大切さを痛感している。
 


 

 

2003年9月3日(水)        出世魚

 

江戸ものの小説を読んでいると、
『鯔背』という言葉がよく出てくる。
鯔ってボラのことだよなぁ。
『いなせ』と平仮名で書いてあれば、それほどひっかからなかったのだが、
漢字だといろんなことが想像されて気になってしかたなくなった。
さっそく広辞苑を開く。

いなせ……【鯔背】@髪を鯔背銀杏に結っていたところから江戸日本橋の魚河岸にいた粋で侠気ある若者。勇侠。
         Aいきでいさみはだの容姿・気風。
いなせいちょう……【鯔背銀杏】江戸日本橋の魚河岸のいなせな若者の結った髷で、鯔の背に似た形のもの。

ふ〜む。じゃ、ついでにボラを引いてみる。

ぼら……【鯔】スズキ目の魚。(中略)卵巣を塩漬にして「からすみ」とする。
       ごく小さいときはオボコまたスバシリ、淡水に入り込んでくる頃をイナ、
       また海に帰り成長したものをボラ、またきわめておおきものをトドなどという。

なるほど、ボラって出世魚だったんだ。
オボコって、よくお代官さまが「オボコじゃあるまいし〜!」のオボコかなぁ。
トドのつまりとかの語源もこのあたりにありそうだ。

こういう時に、便利なのがインターネット。
鯔背で検索してみると、でるは、でるは。
僕と同じようなことに気になって調べた人が山のようにいるということにビックリした。
そのうちのひとつが→こちら
これって、かなり常識だったみたいだ。

ちなみにトドと聞いて、僕が想像するのは、タマちゃんみたいな動物の方。
そっちの方は、胡+ケモノヘンに賓と書くらしい(パソコンの文字パレットでは探せなかった)
それにしても、日本語は奥が深い。

 

 


 

 

2003年8月5日(火)        馬について語る

 

 

注:食事時の方は、後ほどお読み下さい。

 

ニュージーランドに行ってきた。
とはいっても滞在期間、わずかに二日。
駆け足の凝縮されたスケジュールだった。
北島のオークランドまわりの取材だったため、
氷点下に下がるほどの寒さではなかったのだが、
それでも日本との気温差は結構ある。
そのためか、たびたび尿意をもよおした。
取材中あちこちでトイレを探しまわる僕に、
とっておきのキウイ・イングリッシュを伝授してくれたのが、
同行した現地コーディネーターの女性。
日本語でも「便所へ行ってくる」と言うよりは、
「用を足してくる」という表現の方が、ずっとスマートだ。
ニュージーやオージーたちの間でも、
そんな表現があるというのだ。

I will go to see a man about a horse.

直訳すれば、「馬について語るために人と会ってくるよ」ってな感じか。
なんだか雄大でおおらかな環境が浮かんでくる。
言葉には土地柄が出るもんである。

「キジを撃ってくるよ」
そういえば、山仲間にも隠語があった。
なんとも勇ましい表現。
しかし茂みにしゃがみ込んで、やることといえば……。

野糞のあの解放感は、たまらないので、ある。

 


 

 

2003年7月16日(水)        渋い柄

 

 

本屋をブラブラしていたら、
少し変わった本が平積みになっていたので、
手にとってみた。
「かまわぬだより」という本。
江戸情緒が溢れる、てぬぐい柄の本で、
ポストカードになっている。
元来、江戸モノは好きなので、
小説も読むし、一筆書きの便せんなんかも
江戸モノの柄を使っている。
だから楽しんでページをめくった。
豆絞りや疋田文など、渋い柄がいい。
てぬぐいひとつにしても、
季節感が溢れていて、
当時の人たちの文化的高さをしみじみ思う。
一冊、1300円。
『買ってもいいなぁ』と思ったとき、
すぐ横に布に包まれている同じ「かまわぬだより」を発見。
しかも『限定1000部』という文字が見えた。
よく見ると、この限定版の方は、
てぬぐいが一本ついて、1800円なのだ。
なんで『限定』という言葉に弱いのだろう。
渋い柄のてぬぐいをバンダナ変わりに使うのも粋でいいなぁ、
などと思い、限定版の方をレジに。

ここがミソなのだが、
この限定版の中に入っているてぬぐい。
中身を開けるまで、どんな柄が入っているのかわからないのである。
だから、それから家に帰るまで、
ささやかな楽しみが増えた。
どんな柄のてぬぐいが入っているのか、わくわくである。
いそいそと帰宅して、
布の包みを開けてみる。
「疋田文の抹茶色だったら、嬉しいなぁ……」
などとドキドキしながら中身と取りだす。

その後の、独り言。
「わ、赤?」
「ええええええ! おかめえええええ!」

トホホ。
な、なんと中に入っていたのは、
白地に真っ赤に描かれた「おかめ」と「ひょっとこ」。
確かに伝統的な柄なのかもしれない。
でも、こんな派手なてぬぐい。
とてもバンダナ変わりに身につけられそうにもない。
粋を通り過ぎて、危ないオジサンになりそう。

果たしてどうやって使おうか……。
問題の種が増えたのでありまする。

 


 

 

2003年7月2日(水)        インドのマック

 

 

3週間の留守の間に来たメールの数が160件。
そのうちの半分以上が、なんやら怪しい添付書類付きだったり、
英文のタイトルや、明らかに宣伝とわかるもの。
あっという間に開封されずに削除されるメールたち。
ウイルスメールは別にしても、毎日処理をしている時だったら、
「まぁ、ちょっと読んでみようかぁ」
という気持ちになったかもしれない宣伝のメールたちも、
この多さでは……。
間が悪かったというもの。

というわけで、インド・スピティより帰国しました。
久しぶりのスピティでは、さまざまな再会があり、
それぞれの3年という歳月が過ぎていることを実感した。
今回は11月のNHKのBS放送のためのロケハンだったので、
内容についてはあまり多くを語れないが、
そのうちにどこかにまた書いてみようと思う。

スピティから首都のデリーに戻った。
街を歩いていると、見慣れた『M』をあしらった看板が。
「え? インドにマクドナルドがある?」
インドといえば、敬虔なヒンドゥー教徒が多い国。
神の乗り物である牛をとても大事にしているお国柄である。
大都会のデリーの街中でも、牛が道の真ん中を闊歩しているのを見かける。
交通渋滞を引き起こしているなど知らん顔で、
牛は悠々と道路を渡っていく。
車よりも牛の方が偉いのだ。

マックといえば、ビーフ。
インド人はビーフを食べないはずなのだが、
外人向けなのか?
しかし、店内はインド人で溢れかえっている。
「どんなメニューがあるんだろう?」と
カレーにも飽きていたし、ランチはマックにすることにした。

店内は、日本のマックとさほど変わらない。
システムも同じで、メニューを書いた看板を見上げてオーダーする。
看板は、ベジタリアンとノン・ベジタリアンに分かれている。
たとえば、ベジタリアンのメニューには、
Suprise Veg (49ルピー)なんていうのもある。
(1ルピーは、3.5円ほど)
『驚きの野菜バーガー』とはどんなものか、
とっても興味があったが、
無難にフィレオフィッシュを頼んでしまった。
ノン・べジの方は、やはりチキンがベース。
チキンのチーズバーガーやハンバーガーに加え、
Big MacみたいなChicken Maharaja Mac (59ルピー)とか
カレー味のチキンバーガーだとか、
インドならではのメニューがあった。
ところ変われば……である。

ちなみにストロベリーシェークは日本と同じ味でした。

 


 

 

 

2003年6月10日(火)        道具

 

 

収納が少ないので、自宅のベランダには、3つの小型のコンテナー型の物置が置いてある。
一応、用途別に分けていて、ひとつはスーツケースなどの旅行用品。
もうひとつはダイビング器材、最後のひとつは登山用品。

明日からの準備のため、
日曜日に、久しぶりに登山用品の物置を開けてみた。
本格的な山道具を使うのは、三年ぶりか?
埃をかぶったザック、泥のついたままのゴアテックスの雨具、
収納している袋に入れっぱなしの寝袋、底のすり減った登山靴……。
なつかしい道具たちを太陽の光に当ててやる。
すると心の中に眠っていた気分までもムクムクと動き出してくる。
あの匂い、空気、日差し……。
あっという間にヒマラヤの襞に包まれたあの谷へと、
思いは飛んでいく。
そして浮かんでくる馴染みの顔たち。
みんなどうしているのかなぁ。

今年は雪が多く、峠が開いたのはたった3日前。
行ってみないと予断を許さない状況だ。
でもなんだかワクワクするのは、
この道具たちも同じかもしれない。

今回はいつもの取材とは、ちょっと趣向が違うが、
三年ぶりのスピティがどうなったのか、
しっかり見て感じてこようと思う。

 

 


 

 

2003年5月30日(土)        ぽっかり

 

 

予定では今ごろ長崎港から五島列島へ行く船に乗り込んでいる時間だ。
なのに……。
東京にいるのである。

実は、五島列島へ行く取材が突然キャンセルになった。
今シーズンもトライアスロン・ジャパンという雑誌で、
『おらがレース探訪』という連載をやるのだが、
台風が接近しているため、
突然、レース自体が中止になってしまったのだ。
予報では、試合当日は台風一過で晴れそうな感じだが、
前日に船が欠航すれば選手自体が島に渡れない。
悪天候の中では、レースの設営だって危険だ。
そのための大会事務局が早めの決定をしたようだ。
ずっと大会開催のために尽力してきた島の人たちのことを考えると、
残念でならない。
昨年の連載開始の時から、このレースは候補にあげていて、
僕もずっと行きたかった大会だっただけに、
がっくりである。
自然の前では、人間は無力だ。
普段は忘れているけれど。

5月はかなり綱渡りの日程だった。
地方取材が重なり、と同時に原稿締め切りが続き、
息をつく暇もなかった。
昨日も原稿をひとつあげ、『さぁ、五島列島だぁ!』と意気込んでいただけに、
ぽっかり穴があいてしまった感じ。
脱力感。
とはいっても、スピティに行くまでにまだまだ原稿が残っているのだから、
息を抜くわけにはいかないのだが、
なんだか張りつめていた気持ちがホニョニョニョニョとなってしまった。

来年こそ五島列島へ行くぞぉ!

 


 

 

2003年5月3日(土)        関もの

 

 

3連休初日、どのようにお過ごしだろうか?
『え、もう更新されている』とお思いのあなた。
はい、珍しく中1日で更新しています。
というのは、1日の日記で訂正があるからです。

関サバと関アジについて、ご指摘を受けました。
この『関もの』と呼ばれる極上の逸品は、
愛媛県の佐多岬半島と大分県の佐賀関の間の
豊予海峡で獲れたもののみを言うそうです。
しかも一本釣りされたものだけがホンモノ。
数年前に、佐多岬から別府へ行くフェリーに乗った時、
関サバと関アジのポスターを見たので、
関門海峡あたりまで、
ずっと関サバとか関アジとか言うのかと思っていたが、
それは間違いでした。
詳しくは、佐賀関町のHPへ。
http://www.town.saganoseki.oita.jp/kankou/tokushu/towa/top.html

ここまで聞くと、やっぱり食してみたい『関もの』。
ううう。高いんだろうなぁ。

地図を見ていて思ったのだが、
この豊予海峡と先日行った関門海峡、
そして淡路島側の鳴門海峡と明石海峡の4つの海峡の中が
瀬戸内海のようだ。
明石海峡の先は、大阪湾なのでこれは内海とするならば、
たった3ヶ所で外海と繋がっていることになる。
流れが速いわけである。
そういえば、鳴門海峡は渦巻きで有名。
魚好きには、たまらない場所がまだまだありそうだ。
 


 

2003年5月1日(木)        今再びの西京

 

 

季節は巡る。
桜の雨から、花水木、そして眩しい新緑。
ハワイイの後、原稿に追われつつ、
宮古島、福岡・山口とバタバタと駆け回っていた。
あっという間に5月である。
いよいよスギの後に飛んでいたヒノキの花粉からも、
解放されそうである。
ああ、青空に洗濯物を干すことのできる幸せ。

宮古島は、昨年に引き続きトライアスロンに出た。
スイムはコンディションが良く、
昨年よりタイムを縮めたが、
バイクとランは、思ったほどの結果を残せなかった。
苦手のバイクもだいぶ経験を積んできたのだから、
少しはタイムが伸びてもよさそうなものだが、
どうも機械的なものを介在して、
動力を生むということにセンスがないらしい。
腰痛のせいもあるのだが……。
タイムは伸びなかった割に、
スピードを出そうと調子よくバイクを漕いだので、
足にダメージが残り、
ランも最後まで走り続けたが、
昨年より45分も遅く、身体が重かった。
課題の残るレース展開になってしまった。
結局、制限時間まであと15分というギリギリのフィニッシュ。
それでも、完走できた喜びは昨年と同じだった。

宮古島から中1日で福岡に飛ぶことになっていた。
しかも東京にいるその1日で、深夜までの入稿作業という綱渡りの日程だった。
それもなんとか予定通りにこなし、福岡へ。
福岡から高速に乗って車で山口へ向かった時のこと。
関門海峡にかかる橋を見てびっくり。
『なんて短いんだろう』というのが第一印象。
この関門橋の長さは1068mだという。
見慣れているレインボーブリッジの半分くらいの長さっていう印象だ。
そこでレインボーブリッジの長さを調べてみると、
吊り橋部分は918m。
でもその両側が長く伸びているから、全長はもっと長いに違いないが……。
数字で出てくる差よりもずっとレインボーブリッジの方が長く感じるのは、
双方の橋が掛かっている先の風景の違いだろうか。
関門橋の方は、かなり山が迫っている感じ。
一方、レインボーブリッジは埋めたて地を結んでいるから、空が広々としている。
目の錯覚なのかなぁ。不思議だ。
いずれにしても人間の頭の中にあるイメージほどあてにならないものは、ない。
生まれてこのかた、関門海峡は、もっともっと広いというイメージだった。
やっぱり実際に目で見てみないとわからないもんである。
この狭い急流の中を泳ぐからこそ、極上の関サバや関アジが生まれるんだろうなぁ。
ゴクリ。
ううう。また話が食い気の方に進む……。

山口は京都を真似てつくられたというひっそりとした趣のある街だった。
小説の舞台にでもしたくなるような、
そんな心休まる場所を幾つもみつけた。
そういえば……。
山口のことを『西京』と呼ぶそうな。
以前、物議を醸し出した『西京焼き』のことを思い出したのであります。
もしかしたら、ここがルーツ?

なんだか日記のダイジェスト版になってしまいましたが、
まぁ、そんな4月を過ごしていました。
 


 

 

2003年4月6日(日)        例の……

 

 

今年は桜のつぼみが綻び始めた頃、
ハワイイに行くことになった。
もう散ってしまったかと、あきらめて帰国したのだが、
僕の好きな桜の雨の時期には間に合ったようである。

この時期にハワイイである。
地元の人びとにインタビューする仕事だったのだが、
イラクと戦争をしている国に来ているという緊迫感は、
まったく感じられなかった。
ハワイイという場所柄なのかもしれないが……。
日本からの観光客は激減しているようだが、
アメリカ本土からの観光客は、それほど数は減っていないようだ。

『ハワイイか、いいなぁ!』
……とお思いのあなた。
確かに、花粉は飛んでいないし、気候も穏やかで暖かかった。
しかも今回は、ハワイイ滞在中、一日だけオフがあった。
朝からダイヤモンドヘッドまでジョギングをして、
ビーチで寝ころびながら、読むのを楽しみにしているある小説に浸って、
時にはオーシャン・スイムをしよう、
な〜んて密かに企んでいたのだが、
そんなに甘くはなかった。
僕はその日なにをしていたかというと……。
昼飯と夜飯のため同行していた編集者とカメラマンと一緒に外出した以外は、
朝から夜まで、ずっと部屋の中で、テープレコーダーと仲良くしていた。
そう、取材者たちのインタビューのテープ起こしの作業をしていたのだ。
実は、4月中旬までかなり仕事が詰まっていて、
どう考えても、この日テープ起こしをしておかないと、
帰国してからたいへんなことになると思ったからだ。
ひたすらパソコンに向かう一日。
外の楽園特有の真っ青な空が、
恨めしく感じたのでありまする。

ところで帰国した翌日のためか、
まだ花粉症の症状が出ていない。
でも明日からはちゃんとマスクをまたしようと思っているのだが、
例の超立体マスクは売り切れ状態で困っている。
このマスク、とっても重宝している。
フィット感もいいし、肌触りも抜群。
ただひとつ難点といえば……。

図書館へ行く地下鉄の中でのこと。
目の前にはドアの窓ガラス。
ふと気がつけば、そこに映し出された
色の黒い、不気味な姿。
まさに……
カラス天狗!
Oh! こわ!
お察しの通り、例のマスクをつけた
我が顔だったのであります。

 


メール 待ってます

sha@t3.rim.or.jp


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地球の片隅を歩く自然の懐を歩く街角をブラリ歩く工事中


謝 孝浩のこと Links