AI着色は昭和時代の夢を見るか(その22)
PhotoshopのAIカラー化のニューロフィルターのプラグインの鉄道写真への利用を実験するこのシリーズ。今回は前回に引き続き最初の北海道撮影旅行で撮影したカットから、1972年7月14日に行った室蘭本線沼ノ端-遠浅間・千歳線沼ノ端-植苗間で撮影したカットのカラー化をお送りします。間違いなくこの日はぼくの鉄道撮影史上一日に最も多くの本数のフィルムを撮影した日なので、このネタは当分続きますよ。今回掲載したカットのモノクロ版は</「あそこ」での一日(その2) -1972年7月14日-->と<「あそこ」での一日(その3) -1972年7月14日->の中で掲載しています。今回もモノクロ発表時の4:3トリミングではなく、ほぼノートリミングの3:2で作画してみました。また今回もカラーポジで撮った正真正銘のオリジナルカラー版があるカットもありますが、それは<続・「あそこ」での一日 カラー版(その8) -1972年7月14日->に掲載しています。こちらの比較もお楽しみ下さい。

まず最初のカットは、前回最後のC58の牽引する上り貨物列車と同じ「あそこの下」で撮影したもの。連続してやってきた、岩見沢第一機関区機関区のD51872号機の牽引する上り貨物列車。原木を積んだチキやトラ、チップ積みのトラ90000などを連ねていますので、苫小牧の製紙工場に上川地方の木材資源を運んでいるようです。前位の車掌車がないですから、拠点間直通ということで岩見沢操車場発苫小牧操車場行きでしょう。これが新聞用紙となって本州にワキで運ばれるわけです。まさに経済がすべて蒸気機関車で回っていた時代を感じさせます。このカットのモノクロ版は<線路端で見かけた変なモノ その5 -1/1のジオラマ「あそこの立体交差」 1972年7月->で公開しています。これは遠慮気味ながらもガーダーにローズピンクを塗ってきてますね。なんかわかってきたような。学習してますな。

今度は下りの貨物列車がやってきます。そこで線路を渡って詰所の小屋の南側から撮影します。機関車は滝川機関区のD51561号機。同機は苗穂工場製の道産子ガマで、最後まで道内で活躍しましたが、群馬県の川場村にSLホテルとしてブルートレインと共に保存された。SLホテルが廃業した後も、機関車だけは静態保存されていたが、元国鉄長野工場の常松氏により圧搾空気による動態保存の第一号となって広く知られることとなった。最後は長野工場スタイルの仕様で動いていたが、常松氏が亡くなると共に動態を維持できなくなり、現在はSLホテルの後をついだホテル田園プラザにて最後の姿のまま静態保存されている。全体のカラー化はまあ及第点かな。悪くないですね。

続いて下りの旅客列車がやってきました。こちらは立体交差の北側に移動しての撮影です。牽引機は岩見沢第一機関区のC57135号機。まだ踏段改造もなく、テンダも本来のものという、重油併燃関連の機器を外しただけのオリジナルの姿です。草木の様子は慣れたものですが、ちょっと鮮やかすぎて初夏のような感じもしてしまいます。機関車はかなりヘビーなウェザリングですが、まあ北海道なら9600とかだとこのぐらいのヤツもいますから、間違いとはいえないでしょう。ガーダー橋は先程のはしっかりローズピンクを入れてきましたが、今回自信なさげな感じ。でも諸元が書いてあるあたりには申し訳のように赤味が入っていますね。AI君が弱きのときにやりがちなアリバイ作りのようです。

次にやってきたのは上りの旅客列車。牽引機は岩見沢第一機関区のC57144号機です。これはオリジナルのカラーでほとんど同じ構図を撮影していますが、カラーポジ版は褪色が目立つ分、こちらの方が自然な感じです。それだけカラー化もウマく行っているということでしょう。144号機は長らく北陸地区で活躍したカマで、渡道したのは1960年代。ということで密閉キャブ化もされず、この時点は踏段改造も行われる前ですから、サイドビューのシルエットで見る限り、本州のカマと区別がつきにくいです。まあ、C57らしい写真ともいえますが。客車のぶどう色2号は実に得意ですね。AI君、ぶどう色2号についてはさらに腕によりがかかったみたい。

さて、もう飽きてきて思いっきり遊びだしたカット。前回のモノクロの時は思いっきりトリミングして掲載しましたが、今回はノートリミングです。下り貨物列車を牽引するのは、追分機関区のD51842号機。前回、苦労して機番を比定しました。モノクロカットだと、機関車がこれだけ小さいとどうにもつまらなくなってしまいますが、カラー化して景色がそれなりに自然に見えてくると、なんだかそれなりに見れますね。右側は千歳線の下り線の築堤なのですが景色の一部になってますし、カラー化の思わぬ効果を発見できます。ムービーだから成り立つ構図というのはよくありますが、カラーだから成り立つ構図というのもあるのだということを実感させてくれます。

今度はさらに南に下がって、千歳線の下りが平行に走っているあたりから、下り線路越しに上りの貨物列車を撮影します。前回はウヤムヤにしてしまいましたが、この列車アップのカットがないので、牽引機の機番を比定していません。かなりの引きのカットなのでナンバーは読めないのですが、ナンバープレートの大きさとわずかに見えるテンダから、戦時型のD51であることは判別できます。しかしよく見ると、この時期では珍しくなった皿付きの回転火粉止が装着されています。この時期にこの区間に運用のある戦時型D51で皿付きのクルパーを装着していたカマを探すと、唯一小樽築港機関区のD511023号機が該当します。ということで機番も比定できました。カラー化はいい感じですが、この頃のここいら、こんなに青々してましたっけ?

今回の最後は、岩見沢第一機関区のD51566号機の牽引する上り貨物列車。モノクロ発表時には大胆なトリミングで縦構図にしてしまいましたが、今回のがノートリミングです。モノクロでも花は目立っていましたが、カラーだと引き立ちますね。草木の蒼さが全体に目立つので、このバランスでも落ち着いています。これもまたカラー化が映えるカットということができるでしょう。しかし青々としすぎているので単なる原野の雑草なのですが、なんか一面の水田に穂が付き始めたような感じにも見えます。それも含めて、「色が付いてる」という段階からもう一歩先の、色が付くことで絵柄としての味わいを引き出す段階に進んできているのでしょう。
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