続・「あそこ」での一日 カラー版(その8) -1972年7月14日-


ということで前回の予告通り、今回からは「あそこ」のカラー版をお届けします。すでに35oモノクロのメインカメラ(標準・広角)とサブカメラ(望遠)で撮ったカットはこのコーナーで全列車紹介済みですし、カラーのカットも<あそこの千歳線・植苗-沼ノ端間 -1972年7月14日->をはじめ、このコーナーですでに紹介したカットも結構あります。今回は、それ以外のブローニーのカラーポジで捉えたカットを、丸一日分ご紹介します。まあ、ほとんどが既出の列車ですが、一部カラーのみで撮影したカットもあります。また微妙にタイミング構図が違う(この時は、ブロニカは三脚に付けてちょっと離れたところにセットし、リモコンレリーズでシャッターを切っている)ものもありますので、比較してみてください。。



この日の最初の獲物は、千歳駅の駐泊所でのC5738号機でしたが、これはカラーではワンカットしかなくすでに<北の庫から 1972年7月>で発表済みです。てなわけで最初のカットはまだ「あそこ」ではありませんが、植苗駅で下車して構内で撮影した、小樽築港機関区のD51943号機が牽引する札幌貨物ターミナル行きの千歳線下り貨物列車。ローカルの車扱貨物のようです。これはブロニカを手持ちにして、カラーでしか撮影していません。こんなカットがあったことは、今回スキャンしてはじめて気が付きました。当時の植苗駅構内の様子がよく伝わってきます。さすが築港所属機、この時期の北海道にしてはよく手入れされ、LP405副灯のリングも磨かれて輝いています。


続いては千歳線上り線の築堤の上から撮影した、室蘭本線の上り貨物列車。ギースル・エジェクタを装備した追分機関区のD51345号機が牽引しています。同時に撮影したモノクロのカットは<「あそこ」での一日 -1972年7月14日->に掲載しています。345号機新製配備で東北地方で活躍した後、早くも1950年代に渡道し、現役蒸気機関車終焉の時まで活躍しました。なぜか兵庫県太子町に保存されています。このカットは北海道というよりは、蒸機全盛時代の東海道本線や山陽本線といった幹線のイメージで撮影したいと思って狙ったようですが、まあその気分は伝わってきますね。木造のレ5000の銀色が目立ちますが、この時期は現役最末期にあたるので結構貴重かもしれません。


苗穂機関区のC58425号機の牽引する、上りの車扱貨物列車です。同時に撮影したモノクロのカットは<「あそこ」での一日(その2) -1972年7月14日->に掲載しています。この列車はバッタ撮り的に線路際の犬走りから撮影していますので、そう凝った違いは出せず、単なる連続写真で「次のコマ」という感じです。それにしてもカラーだと汚れが一段と強調されます。前照灯はレンズ自体も磨いてないですね。基本的に勾配があまりない区間なので、C58といえども現車で20輛以上あるでしょうか、結構な輛数を牽引しています。北海道は「道外禁止」の○ロ車でおなじみのように、貨物列車の速度が基本的に65km/h以下でしたから、それもあって多めの定数を牽けるということだったのでしょう。


岩見沢第一機関区のC57144号機の牽引する室蘭本線の上り旅客列車。これと同時に撮影したモノクロのカットは<「あそこ」での一日(その3) -1972年7月14日->に掲載しています。これは真横のカットを狙ったのでほとんど同一タイミングですが、バックの電柱との関係を見ると。カラーが先でそれからモノクロを撮ったようです。144号機は、この時点ではまだ踏段改造も行われておらず、開放キャブやドーム前ステップ手摺りなどの北海道仕様の特徴があまり出ていないこともあって、サイドビューは原型に近くすっきりしています。そういう意味では、真横を狙っているところに144号機がやってきたというのは、運が良かったということができるのではないでしょうか。


ギースル・エジェクタを装備した追分機関区のD51357号機が牽引する、上りの車扱貨物列車。これまた編成中の冷蔵車が目立ちます。これと同時に撮影したモノクロのカットは<「あそこ」での一日(その3) -1972年7月14日->に掲載しています。比べてみると画角がかなり異なりますが、千歳線の下り線との位置関係からわかるように、実はシャッタータイミングはそれほど違いません。ブロニカの標準レンズとされていた「ニッコール75mm F2.8」は、ブローニーではかなり広角です。スクエアフォーマットなので、トリミングして作画するように、周りを大きく写し込む考えかたなのでしょう。その分、リモートシャッターには向いていました。



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