雨の栗山 カラー版(その5) -1972年7月16日-


さて今回も前回・前々回から引き続いて、1972年7月16日に栗山-栗丘間で撮影したカラーポジのカットをお届けします。今回残りのカットを全て出しますので、このシリーズは今回で終わりです。雨はやはり降り続いていたので、カラーポジは小降りの時を狙っての撮影となり、全てを撮れているわけではありません。また構図も、手持ち撮影しながら差した傘に入るところに三脚を立てることになりますから、どうしてもありきたりの構図になってしまいました。それでもこういう形で半世紀前の記録が残っているわけですから、写真は撮っておくものですね。



今回の最初のカットは、栗丘よりの複線が離れていない区間を行く上り貨物列車。本輪西への返空のタンク車と車扱貨物が混じった、操車場間の連絡貨物です。牽引しているのは岩見沢第一機関区のD5111号機。43・10ごろから円筒型のクルクルパーが主流になったので、この時期に皿型クルクルパーが残っていたのはかえって珍しく、踏段改造+皿型クルパーというのはけっこうポイントですね。おまけに一次形だとこの時期は11号機しかいなかったのではないでしょうか。この列車は<雨の栗山(その2) -1972年7月16日->の中でモノクロのカットを公開しています。こうやってみるとカメラの焦点距離の差による画角の違いだけで、ほとんど同じタイミングでシャッターを切っています。ブローニー用の三脚は自分の左側にあったようですね。。


続いては、岩見沢第一機関区のC5744号機が牽引する上り旅客列車。44号機はD51118号機と重連で下り旅客列車を牽引いて岩見沢に向かっていましたから、その折り返しということでしょう。これは例の国道をオーバークロスするところのラーメン構造のシェッドの上から撮影したものです。ここは数人並んで三脚を立てて撮れましたので、当時すでに「お立ち台」的に言われていました。まあ、撮れるカットはつまらないのですが。この列車を35mmのメインカメラで押えたカットは<雨の栗山(その2) -1972年7月16日->の中で公開しています。またこの時は小降りになったのか望遠のサブカメラでも撮影しており、そちらのカットは<無意味に望遠 その4 -1972年7月15日〜16日->の中で公開しています。
ません。


今度は、国道の南側の斜面から上り貨物列車を引きの構図で捉えます。牽引するのは岩見沢第一機関区のD51915号機。画角が広い分ちょっと手前の茂みがうるさいですが、特徴的な丘はその全貌を捉えられました。地層が露出していたりして、けっこう模型の山のプロトタイプにすると面白うそうです。35mmのメインカメラで押えたカットは<雨の栗山(その2) -1972年7月16日->の中で公開しています。またこれもまだ小降りにだった時に撮影したとみえて、サブカメラの望遠で撮影のカットは<無意味に望遠 その4 -1972年7月15日〜16日->の中で公開しています。シャッタータイミングは、望遠サブ→カラー→35oメインという順序ですね。



最後は栗丘から苫小牧まで乗車して来た上り旅客列車を苫小牧駅のホームで撮影したカット。牽引していたのは岩見沢第一機関区のC57168号機。雨が本降りになっていて、機関車もすっかり濡れて天賞堂の16番のように黒光りしています。もともとこの時の168号機はかなり手入れが良くキレイだったのですが、雨に濡れた姿は北海道のカマとは思えません。九州で活躍した169号機(二次型ラストナンバー)とは同ロットの連番ですが、九州一筋の169号機と異なり、主として関東で使用された後、1962年に渡道したものです。いかにも北海道らしい、苫小牧駅の旧駅舎が懐かしいです。同じカットをモノクロでも撮っていて、そちらのカットは<線路端で見かけた変なモノ その7 -ホームでお駄賃(北海道編)1972年7月->の中で公開しています。




(c)2022 FUJII Yoshihiko よろず表現屋


「記憶の中の鉄道風景」にもどる

はじめにもどる