「まっすぐな道」を訪ねて(その3) -1972年7月15日-


さて今回は、「何もない」の白老-社台間での撮影の3回目です。ここも本当に同じ構図になってしまいますので、5〜6列車撮影すると、あとは「同じ」になってしまいます。おまけにやって来る機関車もC57とD51ばかり。特にD51標準型は個性の少ないカマが多く、こちらの面でも同じような感じになりがち。まあ、それを味わえたというのは、何とも贅沢ができたということなのでしょう。「ライフラインを蒸気機関車が支えている」というのはこういうことを言うんだ、と改めて感じた撮影旅行でした。



今回最初に登場するのは、小樽築港機関区のD51756号機が牽引する下りのコンテナ特急列車。セキの2400tを単機牽引するのも壮観ですが、青函連絡船の航送容量一杯の17輌のコキを連ねて単機牽引する姿もこの区間の見せ場の一つです。全車コンテナ満載というのも、当時の貨物の需要がいかに大きかったかを示しています。43・10前は、これは十三本木峠を三重連で越えていたワケですから、いくら平坦で速度制限がかかっているといっても、やはり腕の見せ所でしょう。もっとも西の里では補機が付きましたが。756号機は、東北筋での活躍の後、昭和40年代になってから渡道し、小樽築港や長万部など道南を中心に活躍しましたが、73年の小樽築港の無煙化と共に廃車になりました。


岩見沢第一機関区のC5744号機の牽引する、下り旅客列車。北海道のC57は、まだこの頃は踏段改造が施工されていませんので、正面から見た顔は、単にLP405副灯付きというだけで関東や東北のカマとあまり変わりません。特にこういう本州にもありうる景色だと、常磐線とかでもおかしくはなく「一体ここは何線なんだ」という不思議な感じもします。地味な写真ですが、そういうトリックという意味では成功かもしれません。44号機は「最後のC57」5輌の中に入り、蒸気終焉の時まで活躍していましたので、これまたおなじみのカマです。なぜか今は四国で保存されているようですが。望遠で捉えたカットは<無意味に望遠 その4 -1972年7月15日->で公開しています。


ギースル・エジェクタを装備した追分機関区のD51842号機が牽引する下りの貨物列車。タンク車やトラ90000が入っていたりしますので、区間の車扱貨物かと思われます。これも望遠で捉えたカットを<線路端で見かけた変なモノ その7 -ホームでお駄賃(北海道編)1972年7月->で公開しています。望遠で撮ったカットほど爆煙ではありませんが、ギースル特有の煙の出方が印象的なので、縦位置のカットとしてぼくにしては珍しく煙の広がりをメインに描いています。842号機は40・10の熊本電化で熊本から追分に移動してきたカマですが、75年末の蒸機最末期まで追分で活躍していたので、撮影された方も多いかもしれません。


続いてやってきたのは、岩見沢第一機関区のD51872号機が牽引する上り貨物列車。この列車を望遠で捉えたカットは<無意味に望遠 その3 -1972年7月15日->で発表しています。室蘭からの石油輸送用のタンカー列車ですが、岩見沢第一の運用ということは、室蘭本線経由で旭川とか帯広とか道央方面に向かう列車でしょう。石油タンカー列車は、この区間では室蘭に向かう石炭列車と並んで頻繁に走っていましたが、クルマの燃料や家庭用の灯油、工業用の重油等を一手に運んでいたわけで、まさにライフラインを支えていた感があります。石油製品を蒸気機関車が運んでいる、というのも複雑といえば複雑な関係ですが。


岩見沢第一機関区のC57149号機が牽引する上り旅客列車。この日午後になって白老-社台間に来てから、すでに135号機、144号機、44号機、149号機と岩見沢の配属6輌中4輌が登場しているのだから効率がいいですね。149号機は、昭和20年代に渡道し、135号機などと共に小樽築港機関区で活躍していた、北海道では比較的古株のカマです。函館本線電化とともに岩見沢第一機関区に転属になり、それ以来室蘭本線での活躍です。かなり後まで活躍しましたが、蒸気終焉の日を見ることなく、1974年5月に廃車になりました。新製時からのものと思われる、一回り大きなAD66180基準のナンバープレートが印象的です。


実は白老-社台間での撮影は、これで全列車なのでここにて打ち止め。となるとちょっとコマ数が少ない感じなので、おまけのカットが付きます。これは線路際に立つ、白老駅の停車場予告標識。こういうのって、「ある」ことは覚えていても、その形や大きさ、立て方とかについてはけっこう資料が少ない。必然的に車輌の脇に偶然写っているカットを探すことになるが、なかなかバッチリ求めていたものに出会えることは少ない。ぼくは模型、それもレイアウトにも興味があったので、けっこう資料として撮れるものは撮っておいた。これもその一つ。北海道総局管内では、こんな感じでした。


さて最後は、完全に「帰りがけの駄賃」。小樽築港機関区のD51600号機の牽引する上り貨物列車。タンク車なので、室蘭というか輪西の製油所への返空列車です。これは完全にすれ違いざまなのですが、駅の構内でしょうか多少線路間隔が広がっているので、顔だけでなくちょっと編成も写っています。それにしても突然来たので電柱がカブってしまっています。でもまあ、顔はちゃんと写っているので、資料としては使えますね。600号機は戦後すぐに山陽筋から築港に転属になり、それいらい廃車まで築港一筋で活躍してきたカマです。さすが築港所属だけあって、キリ番のナンバープレートが凛々しく輝いていますね。




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