我が病巣 〜連敗続きの闘病記

一番下へ



2000/6/29(木)
中野で、コシナの28〜70mmの自己完結AF玉がゴロゴロしてた。ジャンクのカゴなれど、どれもやけにキレイ。 デッドストックか? KマウントとOMマウントがあって、気がつくと1つずつ包んでもらってた(汗)。¥2Kというのがイケナイ。 家に帰って、早速電池を入れて試す。じぃっ、ぴぴっ、をををっ意外と速い! じーこじーこという優雅な(?)動きと、 合うのか合わないのかハッキリしない大らかさ(?)を予想していたのだが、さにあらず。ほぼ実用レベル・・・・・これはもしや、 α−7000あたりなら凌ぐのか? つい、レリーズ半押しで反応を待ってしまうのは、ご愛嬌。TTLでないから、 なんとシャッターが開いている間でもAFが作動する! こんなの、EOSのペリクルミラー機にだって出来ない芸当である。 AFをOFFにしてMF操作しても、モーターは繋がったまま。ならワンショットモードで停止した後で回すのも同じこと。 と、いうことは、これはフルタイムMFなのか? スバラシイ。調べてみると、この玉は‘88年頃の発売らしい。 既に本格AF時代に突入してからの商品化だから、動作も速いわけである。MFボディの救済的位置付けのようだ。 シグマSa−1に着けてみた。見せびらかしたくなった。オリーブ色のA3デートに着けてみた。なんだか民生用じゃないような趣、 色もコーディネートしたくなったり。OM−2に着けた。やや冷めた。 そーだアダプター介してこいつをEOSに着けたりしたら、なかなか天邪鬼だよな。

2000/6/24(土)
キヤノネットに、今日は金属の丸フードを着けた。くたびれたキヤノネットに、やけに真新しいフード・・・・・・ 出掛けにふと思い、玄関の叩きでフードの先をガリガリ。うーむ陸サーファーのような真似をしてしまった。 お陰で幾分か馴染んだ感じには、なったのだけど・・・。 ミノルタのサービスで、TC−1の改造を依頼する。まずオートパワーオフが鬱陶しかったのでこれのタイマーの延長、 スローシンクロ時のAF駆動域とシャッター連動域のそれぞれの拡大、といった具合。あと2、3メニューがあったが、 必要無かったり余計な機能だったりで、やめておく。オートパワーオフと並んでTC−1の最も気に入らない部分として、 スイッチOFF状態ではフィルムカウンターが表示されない、というのもあったのだが、これの変更は出来ないとのこと。 手間賃¥1K、納期3営業日。サービスの人が、フィルム種別窓の塞いであるのに気付いて、 モルト貼り換えをするかと訊いてきた。構造的に、フィルムを入れて蓋を閉じる度に、 このモルトを剥がす方向に力がかかるTC−1、またビクビクしながら使うのも嫌なので、そのままにしてもらう。 第一ソレやってもらうと¥10Kほどかかるというのだから、冗談ではない。

2000/6/18(日)
出掛けに、今日デビューさせるつもりのオートロンに何を詰めようかと、冷蔵庫を覗いて思案した。センシアIIか、 トレビにするか、いやいや基準フィルムのプロビアにするか・・・・・とそこへ、先月で期限切れのMS100/1000が転がり出てきた。 半ば非常用に置いていたフィルムだが、平穏無事に今日に至ってしまったというわけか・・・・・勿体無いのでこれを詰めた。 ノーマルで撮るのもなんとなく勿体無い気がして、ISO200にしてみる・・・・・中途半端だったかな。 あのダメ発色なプロビア400が、今度随分改良されたそうだから、MS100/1000を使うのも、これでおしまいカモ。

2000/6/17(土)
例のEOS−1用の革ストラップ、今日はミンク油を馴染ませ、なめしまくった。そういうのが結構好きなのである。 さて「使うキヤノン」という本を見つけた。普段使ってる機種の使い方教室を読んだところでしょーもないのだが、 読み物部分で楽しんでみようかと思った。これとて、これまで語られた話をなぞっていたりもするのだが・・・・・ ぱらぱらと捲ってて、「ニコンやライカが先行しているところへ追い上げてる時の機種が魅力的」みたいな一節が目に止まった。 そうなんである。かの「荒法師」と呼ばれたナイジェル・マンセルも、ピットワークなんかでヘマした時の追い上げの走りが、 好きだった。シリーズ優勝した年など、ポール・トゥー・フィニッシュばっかで彼のアドレナリン走法が殆ど見られず、 まったくつまらなかったではないか。むしろ勝ち損ねたモナコで、燃えた年だった。それっきりF1は冷めちゃったな・・・。

2000/6/12(月)
新宿で、FD50mm用の55φのフードを見つける。しかも初期の金属製。たまりかねて所望・・・・・我ながら、 ただのコレクターオヤジのようなマネをしてしまった。あ、最早コレクターオヤジなのか(汗)。しかし古過ぎたか、 家で着けてみるとこれがガタガタに緩い。バヨネット部を分解してみると、プラだかゴムだかの摩擦させるらしい小さな部品が、 劣化しまくってボロボロ。だがこれさえ取り替えれば解決出来そうな予感。単純なカタチの部品なので、そのうち自作してみるか。 それと・・・・・「EOS−1」ロゴ入り革ストラップの新品を、つい買ってしまった。どうしたもんか。

2000/6/11(日)
どうも体調が思わしくなかったのだが(ここで書いてる闘病とは別である)、プリントに出さねばならぬコマがあったので、 落ち着いたところでヨドバシへ出かけた。そのままフラフラ京急の改札口へ入ってしまい、仕方なく横浜へ足を伸ばす。 早速、シグマ28mm/f1.8(EF用)に出くわす。現行のII型ではなく、最初の方。前のオーナーは持て余してたのか、 やけに綺麗で、フードもあって、前後キャップもシグマのオリジナル(ここ重要)で、¥11K。一応、店員にII型との違いを訊ねる。 あまり答えは期待してなかったが、ROMだかのバージョン、いわゆる相性問題のことに及ぶと、本体CPUの演算性能と、 レンズとの通信と、なーんかごっちゃになってる。演算ビット数とクロックとも混同している様子なので、テキトーに聞き流す。 それともこっちの理解力の問題か? ともあれ、ウチのEOSボディはどれも古いから、べつに良いんだけど。

2000/6/8(木)
秋葉原のマップの相変わらず狭い階段を登ると、ショーケースのS3をビデオ撮影している一団が。思わず引いてしまった。 すぐ済むからと恐縮してみせるスタッフ、店員も苦笑いしながら頭を下げた。「やっぱりこういうのがお好きなのですか?」 とスタッフの一人に訊かれる。アンチニコンだぜと答えるのもなんかアレなので、テキトーに話を合わせる。でも実際、 こんなモノ復刻してしまうニコンは、やはりタダモノではないと思う。勿論皮肉ではない。 なんでもどっかの番組の素材として撮ってるそうなのだが、詳しくは聞き損ねた。聊か気になる。

2000/6/6(火)
一昨日、触雷無しといいつつ実は、ペンタックス初代オートロンにグラグラ来ていた。別体のワインダー付という、 ギミック的に危険な物品である。本体は写ルンですよろしくダイヤル(というかギア)をじーこじーこと巻くタイプなのだが、 ワインダーはこのダイヤルに噛み合わせて巻く。後に結局ワインダー内蔵に変更されたと思うが、そこいらへんの儚さというか、 ハズし具合というか、なーんか美学を見てしまうのである。でま、今日また渋谷へ寄ってみると、これがまだいるのだな。 こっちを見てくーんくーんと鳴いてるので、連れて帰ることにする。殆ど使ってないのかテカりも無い。 店員も前にこれを使ってたそうで、良く写ると誉めてた。ぶつけて壊したとも言ってた。ペンタックス初のコンパクト機、 だったように思うが、半端なモノは出せなかっただろうし、実際操作系など色々凝ってて、気合を感じる一品である。 ワインダー外すと結構小さく、例えばオリンパスXAよりやや大きい程度。AFとフラッシュの内蔵を考えると、 この頃としてはなかなかの密度カモ。

2000/6/4(日)
キヤノネットを・・・・・キヤノネットで始まるのが続いているが、昨日、今日とこいつを連れ出す。フィルムはまーたスカーラ。 昨日は出先で風景撮ったり、今日は街でスナップしたり・・・・・ちょっとだけだったけど、まあ、提げてるだけで気分が良かったり。 特に今日は渋谷の中古市へ行ったから、そこで時々覗き込まれたりもして・・・・・・お生憎、たーだのキヤノネットだって(笑)。 因みにここでの買い物は、¥100のレンズキャップを10枚。触雷無し。ところで、 着てるシャツも背負ってるデイパックもオリーブ色だったりで、そこへフード付の黒いキヤノネットなんぞ提げてると、 なんとなく昔の戦場カメラマンみたいである。んがしかし、こいつはライカじゃないし、「キヤノネットでグッバイ」 では長過ぎる。それよか本人が、せいぜい標的にされそうな虚弱野郎だから、ニセモノも良いところだ。 さて渋谷の前に、新宿は花園神社の「さくらやまつり」というのを覗いた。販促グッズの巨大AFニッコール80〜200mm (空気で膨らますアレ)なんぞを求める。ばったり会った伊藤しゃんと、生ぬるいKR10本¥2Kを半分ずつにしたり。 うーむKRで何を撮ったものか・・・・・。その後新宿の中古屋で懸案のシグマ28mm/f1.8を見付ける。 ¥14Kだから安い方か。早速覗かせてもらうと、埃らしき物が・・・・・う、その周りにもやもやもや・・・・・ 店員に告げると、彼は中を覗き「ああっ、カビだぁ・・・」。なんとなくわざとらしい気もしたが、とにかく買うのは止める。 そうそう、さくらやホビー館で宮崎美子のフィギュアを発見。カメラショーでも見た、ミノルタX−7の懐かしいCMのアレだが、 箱がどうも怪しげで、手に取るのも憚られた。で、志村けんバージョンは?(ぉ

2000/5/30(火)
キヤノネットのフード(hamaのプラ製角形)を、また削ってみた。削る、というのは実は正しくなく、 一体成形で2重構造になっているのの、その内側の方だけ切り欠くのである。まあ肉厚を削るのと同じことではある。 測光部のケラレを少しでも減らすべく、切り広げてみた。仕上げらしいことさえしてないが、フードの内側のこと、 覗き込まなければ判らない程度。切り欠いて出てきたツルツルの面も、下から強烈に照らされない限り、悪影響は無しか?  で切り広げてたら、後ろから透けることが判った。ファインダー視野内に見える部分を、さらに切り広げる。 面白いように視野が広がるようで、さてお次はどこを切ろうか・・・・・強度が不安なので、やっぱやめとく。

2000/5/28(日)
キヤノネットを使おうと思ったが、今朝の出がけに、どうせ雨だし機材を減らそうと思い、置いて行ってしまった。 しかし聞いていた予報は結局外れ、臍を噛む。ところで最近また病気がぶり返しそうな気配である。EOS−1Vが登場して、 どうもあの間延びしたカタチが好きになれないんだけれども、一方型落ちしてまだ日は浅いがいずれ安くなる筈の中古のEOS−1N、 さらに古い初代EOS−1。この初代というのが、既にじわじわ値が下がっていたのだが、玉突き的にまた下がるんじゃなかろかと踏んでいる。 で、そろそろ、初代EOS−1はEOSのヴィンテージだよなー、とも思う今日この頃。手許の630をはじめ、 600シリーズなんかはまさにそれになるのだけれども、操作系など色々エポックであったEOS−1の「熱さ」が、 ‘71年のF−1に通じるような気がしてしまうのだな。FDの始まりと、EFの始まり。それぞれのシステムでの、 旗艦にかけた熱さ・・・・・勝手な結び付けだけど、そのへんでしみじみなのである。でま、 キヤノン党的にいずれはEOS−1にも手が伸びるのだろうけど、性能や使い勝手が数段良い筈のEOS−1Nよりも、 荒削りな感じがなーんか良いのである。スタイリングも、やや低く構えた初代の方が、オリジナルだけあってピュアに思える。 その点EOS-1Vってのはどうもな・・・。HSタイプはあまり考えない。630より巻き速が遅くなるが、いっそ手巻きのようなつもりで。 主力が今なおFD系なので、EOS用のレンズはあまり無いのだが、こいつの気分としては、単焦点で2、3本ってところか。 むしろバリバリ撮影は避けたい、というのは天邪鬼か。で、50mmはある。あとシグマの28mm/f1.8だな。 なにげに前から物色している玉なのだが、うーん。

2000/5/27(土)
キヤノネットの測光部は前玉の上にあるのだが、そのためフードを着けると構図の上の方が測れない。特にhamaの角形。 横位置なら大抵そこに空が来るから好都合とも言えるが、オーバー傾向になる恐れはある。ネガカラーで撮ってる分には問題なかったが、 リバーサルを使うとなると、不安である。そういう頭で見ると、スカーラで撮ったのもちょっと、どうかな・・・。 尤も、露出計をどれほど頼りにして良いのかも、判りかねるし、AEロックが出来るから、 クセさえつかめば乗り切れそうな話でもある。で、hamaの角形フード、プラなので測光部周辺を削ってみた。 細かいことを言わなければまあまあに出来たが、効果のほどは・・・・・・とりあえず前よりはマシだと思うのだが。

2000/5/22(月)
キヤノネットが帰って来た。ボディはブラックなのだが、巻き上げレバーが銀色に変わってる。 指当てのプラ部品が少々傷んではいたものの、ここは機構に関係無い場所である・・・・・色が変わったのは少々戸惑ったが、 多分黒の在庫部品が無かったのだろう、意外と悪くないのでこれでも良いか。元々付いてた部品も返って来たから、 まあ、ガタガタ言うこともないな。この個体は‘94年夏に購入した中古だが、凹みがあったりで結構くたびれていて、 さらに前のオーナーは何を考えていたのか、ロゴなど黒く塗りつぶされてたりと汚いシロモノだった。お陰で、 当時既に値が上がっていた最終型ブラックにもかかわらず、¥6Kだか¥7Kだかで買えたのだが、その汚さはまた、 こちらも気兼ねがいらなかった。トップの凹みは少々修正されたのか? 中途半端に跡がある。うーん、なんか、 こいつの履歴が削られたような気分だな・・・・・。色差し部分は皆キレイになっていて、 明らかに剥げていた所も直っているから、汚れ落としだけではない筈だ。たーだ、枯れた感じの中色差しだけ際立って、 聊か小っ恥ずかしい。仕事っぷりとしては上々なのだけど、思い入れがからむとこれがなかなか、複雑なのだな・・・・・。 肝心の中身は、操作感が尽く滑らかになっていた。やはりリフレッシュすべきだったのだ。 なんとなく合わせていた距離計も、カッチリ来る。レンズは、カビ/クモリが取り切れなかったとのことだが、 言われてみれば・・・・・と今更言ってる私にはあまり重要ではない(笑)。さてさて、ストラップも通したし、 Tボタンも着けた。早く連れ出してやりたい。

2000/5/15(月)
新宿で、シグマSA−300とSA−300Nのカタログが売られてたので、買った。ヨドバシカメラの名前が入ってる。(^^;;  初代F−1だのCLEだの初代RTSだの、宮崎美子だの大場久美子だの早見優だの横須賀昌美だの(ぉ  と昔貰っているのを良いことに、カタログなんてモンはタダで貰うものだぜ、んなモンにカネ出すたぁ、 どーかしてるぜ、などと言い放ってた私だが・・・・・実際、他のコレクションにしても、 時代だとか地域だとか「自分との縁」を軸にリアルタイムで集める主義なのだが・・・・・ 流通している「相場」が適正であるかはともかくとして、捨てられてしまうよりはマシだよなー、こういうのもアリかなー、 と思ってみたりな昨今。しかも、他のはともかく、シグマとなると話は別なのである。 雑誌のオマケに復刻されることも無いだろうし(苦笑)。因みに、AFが主流になった頃ってなんか冷めてたんで、 この頃のがぽっかり抜けてたりするのだな・・・。で、SA−300もSA−300Nも、開いてみるとこれが、 表紙以外SA−5のと殆ど同じ(爆)。考えてみると、この一連の流れでは、ダイヤルがちょっと大きくなったとか、 スーパーFP発光対応になったとか、AFが速くなったとかクロスラインになったとか、それくらいの変化しかないのだな。 路線を変えないなら、カタログで語るべきことも変わらないのだろうし(あまりぱっとしないのだが)、第一販売実績的に、 そんなにお金もかけられないカモ・・・。あ、あとマークIのが手に入れば、シグマ一眼レフはパーフェクトなのか。(ぉぃ

2000/5/13(土)
秋葉原でFD50mm/f1.4を求めた。病状が・・・・・ともかく超初期のFDレンズで、先っぽに銀色の輪っかがあったりする。 手許の初代F−1前期型とコーディネートというミーハー心もありつつ、キヤノン党的にはやはり、 ISOの基準だかになったというこの玉を手にしたかった・・・・・やっぱミーハー心か。ただ、 打倒ニコンFに燃えてた頃というのが、熱いんだな・・・・・店員も、そんなキヤノンの熱さを、ちょっと嬉しそうに話してた。 同志か?(^^;; 古い攻略本によれば、NewFDで随分コンパクト化されて、光学系が少し変わったものもあるらしい。 たしかに、このFD50mm/f1.4と比べると、手許のNewFD50mm/f1.2さえ、聊か小さい・・・。 キャップはオリジナル付。55φのスペアってあったかな・・・・・専用フードは無理カモ。時期的に近いものとして、 超初期のFD135mm/f2.5やFL28mm/f3.5なんてものがウチでゴロゴロしてるけど、 リアルタイムでこういう組合せだった人も、いたかな。FやF2持ちと、張り合ったかな。

2000/5/10(水)
久しぶりに中野を覗く。実のところ初代F−1用のワインダーが気にかかってたりするのだが、なかなか発作に到らないあたり、 健康を取り戻しつつあるということか・・・・・予断を許さないが。色々物色してて、これくらいならいいかなと、 ペンタの645用レンズをKマウントに着けるアダプターを求める。67→645と違い実絞りになってしまうが、 その利便の前では、さして重大でもなかろう。しかし何故今まで持っていなかったのかと考えると、やはり余計な物品なのカモ。 家で早速試してみる。ボディは何故かシグマSa−1を。超広角である筈の35mmも、135サイズにすればただの広角。 それにしても嵩張るな。28〜300mmのズームよか大きいか? 45mmも然りで、この意味無しレトロフォーカス(笑)がニクイ。 これでパンケーキ玉と同じ役割かと思うと、光学の不思議を覗く気分である。多分・・・・・75mmでようやく釣り合うんだろな。 これ以上の玉用と考えるべきだろう。イメージサークルの大きい玉の、中央部だけ使う贅沢さ・・・・・ 67→645→Kと2段構えで67用の300mm/f4を着けてみた。まるでサンニッパ。 こんなモンどーすんだよ・・・・・「贅沢」と「無駄」とは紙一重であると知る。

2000/5/7(日)
部屋を片付けてたら、いわゆるひとつのレンズ付きフィルムが発掘された。モノクロだのセピアだのの、未開封。 しかも期限切れ。うーむどうしたものか・・・・・あ、ラピカ(「ラピタ」誌の企画によるクラカメ風ケース) に着けっぱなしの撮りかけもあるわ(汗)。

2000/5/6(土)
早速地元の修理屋へ行く。見積もってもらうと、程度上の同じ物が買えそうだ(汗)。でもこれはOHとのことで、 巻上げ機構部分だけだと¥8Kとか。うーむ・・・・・でもこの際だから、全身リフレッシュさせてやろうと思う。 程度上の中古だって、爆弾抱えているかも知れないのだし。それにこの個体には既に愛着がある・・・・・調べてみると、 ‘94年夏の購入。色々な所へ連れて行ったもんなー・・・・・(遠い目)。ついでに、 スクリューのキヤノン50mm/f1.5の曇リ取りの見積もりを・・・・・以前にも取ってもらってて、 今回また取ってもまたまた再発するカモということで、こちらは止めておく。このまま「味」として楽しむとするか。 キヤノネットの帰還は、多分再来週・・・。

2000/5/5(金)
なんとなくキヤノネット(最終型)をいじってたら、巻き上げのロックがかからなくなった!・・・・・ううううううむ、 どんどん巻ける。困った。手にしてからたしか5年、最初から結構ヨレヨレだったけど、とても気に入っているので、 まだ使いたい。ここは修理だろうけど・・・・・それが出来ることを祈る。とりあえず地元の修理屋だな。

2000/5/2(火)
近頃病状も治まってたりして、つまりここに書くネタもあまり無いのだが、新緑でも撮ろうかと碓氷峠へ出かけた。 桜に続いてペンタ645の出動である。しかし予報は外れて朝から曇り・・・・・あうう。 夏山も新緑に写すという魔法のフィルムRVPで、なんとか発色が得られないかと思ったが、さてさてどんなものか。 サブには久しぶりにペンタA3オリーブを。オリーブ系の装いに合わせてみたりなんかして・・・ホント、そんだけ。 帰りに高崎のビックで逆輸入のRDPIIIを所望。どうかな、これ。

2000/4/25(火)
O−Productで撮ったスカーラが上がってきた。手出し無用カメラながら、なかなか撮れているではないか。 描写が柔らかい気がするのはフィルムのせいか? 今度はセンシアIIでも入れてみようか。でこれ、逆光で暗くなっていないあたり、 ひょっとして逆光強(ぎゃっこうつよし)くんだったりするんだろか? 或いは測光範囲がやたらと狭いとか・・・。 どうも、普通の平均測光とは違いそうな感じ。でま、なかなか使えるようではある。聊か嵩張るけれど、持ってて心地良いし。 ただ、グッズ系雑誌の「正しい読者」のような小っ恥ずかしさは、ちょっとあるカモ・・・。

2000/4/21(金)
ここのところなかなか中古カメラ店を覗く機会が無く、お陰でどうにか落ち着いている。さて、 カメラ談義してて、あることに気付いた。EOSには、ハイフン付と無しとがあること。例えばEOS630には無いが、 EOS−1にはある。EF−Mなんかはこの際忘れる。で、色々調べていくと、EOS−1とEOS−3だけ、 ハイフン付らしい。EOS−1より後に登場のEOS5には、付いてない。しかしEOS−3ではまたついた・・・・・ 2段式の本体表記でこそEOS5同様付いてないが、カタログなどの横一列表記では付く。たしかに、 EOS−3はEOS−1の仲間みたいなもんなのだが・・・・・そのあたり、 やはり何かしらのステータスを示しているのだろうか? 勿論、ただの気紛れというセンもあるんだけど。

2000/4/16(日)
岩山から俯瞰をした。連れて行ったのは初代F−1。もののついでにと、レフレックス500mmと合わせて、 ミラーアップ機能の真価を問うてみようと思った。空シャッターでもその差は判っていたが、以前超望遠でアレコレ撮ってた頃、 一脚添えたりウエイト載せたりだのとやる一方、実はミラーアップ機構付のボディを考えたこともあったので、 今更ながら検証してみたかったのである。早速岩の上に三脚で据えてフレームを決める・・・・・あ、ケーブルレリーズ忘れた。 まあいいや、セルフタイマー使えば・・・・・あ、セルフタイマーと絞り込み&ミラーアップは兼用だったんだ(汗)。 結局手で押す・・・・・意味ねーよな。

2000/4/12(水)
魚眼を持っていることを思い出したのである。 桜散る風情でも撮ろうかと、いつも出勤に間に合うギリギリまで決してベッドから降りることの無い私が、 あろうことか1時間も早く家を出てたり。カメラはNewF−1、なにげに気合が入ってんだな。そんな自分が嬉しかったりもする。 近くの駅でホームに散った花びらでもと思ったら、昨日は強風で全て飛んでた。仕方が無いので今朝リターンマッチを挑む。 で、魚眼・・・・・20mmではどうも足りない感じがあって、それでこいつを思い出した。現場で着けてみると、ナルホド悪くない。 おっとつま先が写っちまう(笑)。前にどこで使ったか忘れたけど、似たようなモン撮った気もするけど、 どうせまた、仲間連中には「好きだねー」とかなんとか呆れられるのだろう。いーんだよそれで。へっ。

2000/4/9(日)
ジャンクから救ったO−Productを、ようやく連れ出す。フィルムは・・・・・ちょっと考えて、スカーラ。 低速が1/45までらしいので、ISO200にしたってこともあったが、ちょっとモノクロな気分もあったりしたので・・・。 でこのカメラ、本当にシャッターを押すだけの、手出し無用もいいところなシロモノなのだが、露出などにピリピリするでもなく、 気楽ではある。逆光ではきっとアンダーだろうし、黒いものはオーバーに写るのだろうけど、そういう出来さえ、 上がりが楽しみになったりする。そんなO−Product。メカ的な密度感には乏しいものの、 手にしてしみじみなアルミボディではある。ちょっと人目に付き過ぎカモだけど。そうそう、意外と低速警告灯が出ない。 なんだ結構大丈夫じゃん・・・・・世の中は思ったほど暗くは無いということか? ISO200のお陰でもあるかな。

2000/4/7(金)
ヨドバシカメラ錦糸町店オープン。全店制覇タイトルは防衛(馬鹿)。今回はなにげにセコニックのツインメイト。 小さいのが欲しかった・・・・・これは発作ではない、と思うが。で、駅ビルの3階までを、ヨドバシが占める。1階の正面には、 端から端まで、各取引先からの花が並んでいて、その数100は軽く超えてたと思う。恐るべしヨドバシ。しかし広い広い売場の中にあって、 カメラ/写真関係は、ちょいと寂しい。小物類もヨドバシにしては申し訳程度、暗室関係は皆無。新宿へ出ろということか。 そんなわけでカメラ方面では、4階のヒカリカメラの方がソソられたカモ。

2000/4/6(木)
現実と向き合ってみようと思い、昨年1月からのカルテを作ってみた。1月7日、オリンパスOM−2。1月8日、ズイコー50mm/f1.8 ・・・・・以下病状が続く。処方の記録は無い。己自身のこととはいえ、しばし直視できず。公表は控えたい。でもま、安原一式、 ヤシカ108「YODOBASHI」仕様、それにシグマSa−1といったところが、トピックといえばトピックであった。 ま、そろそろ落ち着くんじゃないかと思うけど。・・・思うんだけど。

2000/4/5(水)
なんか、桜を撮る気になったのである。近くの駅で夜桜なんぞ撮ってみたり。久しぶりにペンタ645が出動となったのだが、 前に使ったのはいつだったか・・・・・もしや昨年のGWか!? 道理で、我ながら手つきが覚束ないわけである・・・・・ しかもストックのフィルムが期限切れ(汗)。燃え燃えの日々も、今は昔、か・・・。とほほ。

2000/4/2(日)
初代F−1を連れて小旅行(・・・と言っても夜行から終始鈍行乗り継いでほぼ24時間かけて犬山〜京都と巡ってきたのだが)してきた。 先々週の、EOSではどーだこーだの反動の選択、ではあるカモ。近頃AEが多くて、F−1のマニュアル露光というのがやや面倒になっていた自分が、 寂しい・・・・・寂しかったのだがしかし、スナップにしても、マニュアルで撮るとこう、被写体を愛しく感じる気がするから不思議である。 そしてそれは、今日の気分に合ってた。それと、手巻きで撮るリズム感。1コマに賭ける集中力というのも心地好く、 いつもより手応えが良かったような気さえする。解っていたつもりだったが、モードラというものの持つ「漫然」という副作用を、ここに再認識。 そういえばここんとこ随分「漫然」となっていたような気も・・・・・うーむ。それにモードラというのは、さあさあと急かされるのだな。 ぼーっとしているとこっちがカメラに振り回される。・・・・・ついでに打ち明け話をすると、かつて小僧の頃、 モードラの着かないカメラなんてアカラサマに卑下していた。モードラは偉かった。当時はカタログを読み漁っているような小僧で、 そんな盲信をしてた。今となっては恥ずかしい限りである・・・・・あれから、こうして歳を重ねているわけだな。


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