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小説評論もどき 2023年上半期 (17編)


私の読書記録です。2023年1月分~6月分、上の方ほど新しいものです。 「帯」は腰帯のコピー。評価は ★★★★★ が最高。

June, 2023
ヴァケーション 異形コレクション 監修: 井上雅彦
光文社文庫 2023年, 1100円, ISBN978-4-334-79534-4 〈非日常〉の時間にこそ幻想怪奇の扉が開く―― 怖ろしき〈休暇〉を巡る傑作十五篇!
異形コレクション第55冊目。休暇、ヴァカンスをテーマ、舞台とした書き下ろし短編15編。
統合人格評★★★ / SF人格評★ / ホラー人格評 ★★★★
コロナ禍がようやく落ち着き人々が長期の旅行を楽しめるようになってきた世相を反映したテーマ選定。 編者の言うように、異形コレクションでも類似のものが何度か取り上げられてきた定番的なテーマだけに、 安定した品ぞろえになっているが、逆に尖った作品も少ないかも。 円周率表の数字の羅列の中に空想の旅を見出す柴田勝家「ファインマンポイント」が今回の私の一推し。
ギリシャSF傑作選 ノヴァ・ヘラス (原題: NOVA HELLAS) 編: フランチェスカ・T・バルビニ & フランチェスコ・ヴァルソ (Francesca T Barbini and Francesco Verso) / 訳: 中村融 他
竹書房文庫 2023年(原典2021年), 1360円, ISBN978-4-8019-3280-7 発動 ギリシャ × SF 新たなる神話の誕生
ギリシャ発のSFアンソロジー。 ある展覧会との連動企画としてアテネSFクラブが未来のアテネをテーマとした作品を集めたアンソロジーを再編集した英語版・イタリア語版から邦訳。 11編を収録
統合人格評 ★★★ / SF人格評 ★★★ / ホラー人格評 ★
イスラエルSFアンソロジー『シオンズ・フィクション』に続く、竹書房の非英語圏SF企画。 出自からいって、ギリシャ版『2084年のSF』といったところか。 したがってギリシャ神話に連なるようなギリシャっぽさ(観光客的な安易な感覚だが)はあまりに表に出ず、 現代テクノロジー、社会課題の外挿が主で、一連の中国SFのような異文化感はない。 それでも未知のエキゾチックなSFの市場を知ることができるのは良い。次は、アラブ圏SFあたりを編んでくれないかな。
ロマン (原題: Роман) 著: ウラジミール・ソローキン (Владимир Сорокин) / 訳: 望月哲男
国書刊行会 2023年(原典1994), 5940円, ISBN978-4-336-07461-4 創造的破壊とはこのことか。
19世紀ロシア。モスクワでの弁護士生活を終え、画家として悠々と暮らすため叔父夫妻の住む田舎町にやってきた青年ロマン。 彼は、旧知の友人や村の住人達と知的な会話や優雅な食事、狩りなどの遊びを楽しみ、また、粗野だが素朴な農民たちと交流を深め、田園生活を謳歌する。 やがて、彼は村に住む娘と運命的に出会う。若い二人はたちまちに惹かれ合い、とんとん拍子に結婚することになる。 盛大な結婚式が開かれ、村中のすべての人が彼らを祝福する。そして小説世界のことごとくを解体する大虐殺が始まる。
統合人格評 ★★★★ / SF人格評 ★ / ホラー人格評 ★★★★
ソローキンの初期代表作。 1998年発行の旧版を書店でたまたま手に取ったとき、終盤の痙攣的に反復するテキストに唖然としたのだが、 まだ作者の名前を知らず、それなりに高価だったこともあり購入にはいたらなかった。 それが四半世紀を経てのまさかの新装再刊。しかも旧版は上下巻2冊だったものを1冊にまとめて破壊力も倍加。 何しろハードカバーで厚さ5cm弱、重さ約1kg。外観は鈍器で内容は狂気。 ページの8割ほどを使って丁寧に積み上げられる、のびやかで美しい古典ロシア文学の世界が唐突に徹底的に壊れ尽くして行く様に圧倒される。 登場人物たちが無意味に命を奪われ冒涜され、それを実行する人物は目的や感情や理性を失い反復運動をする機械と化し、 やがて文章が意味と構造を喪失して単なる模様のような文字列になっていく。 本書760ページあたりを一瞥して面白いと思える人は読んでみた方が良い。 ソローキンのモンスター性、計算された怪物的狂気を堪能できる。
イカした言葉 「いいかい、僕にはすべてが分かったような気がする。僕はすべてを理解したんだ!」(p636)
橘外男海外伝奇集 人を呼ぶ湖 著: 橘外男
中公文庫 2023年, 1100円, ISBN978-4-12-207342-5 地球全土を覆いゆく奇怪なる“譚”の影!
『蒲団』に続く橘外男のオリジナル短編集。 コンゴ奥地で発見された白人女性の死体の傍に残された、ある研究調査隊が壊滅するまでの経緯を記録した日記「令嬢エミーラの日記」。 アルゼンチンで成功した醜男の作家が、美しいが高慢な妻を迎えた末に起こる事件を語る「鬼畜の作家の告白書」。 密林の奥やエキゾチックな異国の街など、海外を舞台とした伝奇的な物語8篇を収録。
統合人格評 ★★★ / SF人格評 ★★ / ホラー人格評 ★★★
戦前から戦後にかけて活躍した著者が得意とした、世界を舞台とした奇譚を集めた短編集。 帝国主義や植民地の時代の話だけあって、ちょっと今では書けない差別的な表現が頻発するし、直截的なエロ・グロ描写も目を引く。 これらは、そういう時代だったというよりは、人間や社会に対する作者の底意地の悪さが根にあるようだ。 とはいえ、『蒲団』同様、古さはありながらも、現代でも読ませるイマジネーションと文章のテンポで面白い。
May, 2023
ノー・カントリー・フォア・オールド・メン
(原題: No Country for Old Men)
著: コーマック・マッカーシー (Cormac McCarthy) / 訳: 黒原敏行
ハヤカワepi文庫 2023年(原典2005年), 1500円, ISBN978-4-15-120108-0 世界の深淵を直視するような本書は、犯罪小説の形をしたブラックホールなのである 佐藤究
ベトナム帰還兵の溶接工モスは、メキシコ国境近くの砂漠で麻薬密売組織の取引が銃撃戦に終わった現場を見つける。 多数の死体が転がるそこに残された大金を密かに持ち帰ったモスだが結局、組織に知られてしまう。 住まいを捨て痕跡を消して逃げる彼を追う一団の中に、殺し屋シガーがいた。 独特の行動哲学を貫き、敵対勢力ばかりか通りすがりの一般人でも躊躇なく殺すサイコパスのシガーは、無数の死と破壊をまき散らしながらモスを追う。 連続する凄惨な事件とモスがそれに巻き込まれたことを知った昔気質の実直な保安官ベルは、事態を収めるべく捜査を始める。
統合人格評 ★★★ / SF人格評 ★ / ホラー人格評 ★★
アカデミー賞受賞の映画『ノー・カントリー』の原作で、 2007年に扶桑社から『血と暴力の国』の邦題で出版された単行本の文庫化復刊。 上述の通り、すさまじいばかりの犯罪小説なのだが、この作者が語るとそれだけでない哲学性や神話性を帯びる。 人の運命の不条理を体現する死神のごときシガーが行く先々の人に投げかける問答、 章ごとに挿入される、地に足の着いた人間性の象徴のような保安官ベルの独白は、いずれも人生の多面的な真実を物語る。 ただ、本書だけでなくマッカーシーの物語はどれも、砂漠とか荒涼とした自然かその周辺の街でしか成り立たない気がする。
イカした言葉 おまえは生まれたときから賭けつづけてきたんだ。自分で知らなかっただけだ。(p71)
聖者の落角 著: 芦花公園
角川ホラー文庫 2023年, 700円, ISBN978-4-04-112807-7 見ちゃダメだよ。“それ”は、目から入ってくる。
心霊案件を扱う佐々木事務所に持ち込まれた依頼。重い心臓病を患う少女が突然完治したが、 同時に奇怪な言動が始まり意思疎通ができなくなったばかりか、周囲で様々な怪現象が起こるという。 調べると、治るはずのない難病が治る一方で同様の異常を示す子どもが他にも数多くいて、 彼らの言動は土地の観音信仰と月にまつわる何かに関係していること、 病児たちのレクリエーションの場に現れた若い男が起点であることが分かってくる。 やがて所長の佐々木るみ は、助手の好青年 青山幸喜の様子がおかしいことに気づく。
統合人格評 ★★★ / SF人格評 ★ / ホラー人格評 ★★★
佐々木事務所シリーズの3作目。今回の怪異は最後まで正体がつかめない。名前も由来も不明、魔なのか神なのか妖なのかも分からない。 人の祈りを乗っ取って歪める、その方向も不明瞭。そのため不完全燃焼な読後感で、それが作者の意図なのかもしれないのだが何かモヤモヤ。 シリーズが進み、実はもっとも凶悪な力を抱えた佐々木が何とかこちら側にいられる支柱である青山、 善良と正常の化身のような彼がいよいよ捻じれる気配がしてきた。おそろしい災厄が近づいてくる兆しか。
イカした言葉 「苦しみは糧だよ。人生、捻じれていて、しなくてもいい苦労があった方が、面白いよ」(p200)
ドラキュラ ドラキュラ 吸血鬼小説集 編: 種村季弘
河出文庫 2023年, 880円, ISBN978-4-309-46776-4 すべての吸血鬼愛好家に捧ぐ
1973年に刊行され、何度か再刊された吸血鬼アンソロジーの文庫新装版。 ポリドリやホフマンに加え、ヴェルヌやドイルによる変種など、古典でかつ短い吸血鬼小説11編を収録。
統合人格評 ★★★ / SF人格評 ★ / ホラー人格評 ★★
半世紀も前に編まれたアンソロジーなので、古色蒼然とした物語の数々ではあるが、その古び具合がなかなかに薫香を感じさせる。 シュールレアリスム的な作品もあればコントもあり、と意外とバリュエーション豊か。 ドイルの「サセックスの吸血鬼」はシャーロックホームズの一編で、怪奇に見える事件は合理的に解決されてしまうし。 とはいえ、帯に記された「全ての吸血鬼愛好家に捧ぐ」の通り、それなりにスレた読者向けで、このジャンル初心者にはあまりお勧めできないかな。
輝石の空 (原題: The Stone Sky) 著: N・K・ジェミシン (N. K. Jemisin) / 訳: 小野田和子
創元SF文庫 2023年(原典2017), 1500円, ISBN978-4-488-78403-4 古代絶滅文明の巨大な力を求め最後の闘いがはじまる 『第五の季節』三部作堂々完結!
『オベリスクの門』の続編で、三部作完結編。 〈季節〉のもたらす厳しい環境のもと、生存をかけた闘争の過程で、軌道上に浮かぶオベリスクの力を使う術を得たエッスンは、 その力を使って失われた月を取り戻し〈季節〉を永遠に終わらせることを目標と定める。 一方、エッスンと同様の力を得た彼女の娘ナッスンは、彼女の守護者シャファを生かすため対価としてすべての人類を滅ぼす決断をする。 分かたれた母娘ふたりの旅は、スティルネス大陸から遠く離れた地球の裏側にある孤島コアポイントで交わろうとしている。 そこは強大な科学技術を使い大地の力を支配しようとした末に地球そのものから報復を受けて滅びた太古の文明シル・アナジストの遺跡。 オロジェニーや魔法の原点であるその地で、歴史の転換点が訪れる。
統合人格評 ★★★ / SF人格評 ★★★★ / ホラー人格評 ★★
三年連続でヒューゴー賞を受賞した大河三部作だけあって、未来の科学史・人類史、そこで生きる人間社会を 丸ごと作り上げる重厚な仕事。ただ重厚すぎて各巻を読む時期にブランクがあると色々忘れてて困る。 まとめて読むべきなんだけど、重厚なので再読は躊躇するね。 それから、一作目『第五の季節』に比べるとだんだん直接的な説明の比重が大きくなっていて、 たとえば、すべての原因となった古代文明シル・アナジストのパートなんかそうだけど、その分面白さが減っていると思う。
イカした言葉 「世界は友だちと敵でできているわけじゃない。あんたを助けてくれるかもしれない人とあんたの邪魔をするかもしれない人でできてるんだよ」(p99)
April, 2023
ブッカケ・ゾンビ (原題: Zombie Bukkake) ジョー・ネッター (Joe Knetter) / 訳: 風間賢二
扶桑社ミステリー 2023年(原典2009年), 1320円, ISBN978-4-594-09226-9 ジョージ・A・ロメロも驚愕 Z級ホラー、まさかの日本上陸
美しい妻と幼い娘を愛し、幸せな家庭を築いているフォリーには、ポルノサイト巡回やエロ動画漁りというやめられない趣味がある。 ある日、近所で予定されるポルノビデオの撮影とエキストラ男優募集の案内を見つけた彼は、主演がお気に入りの女優だったことから思わず申し込んでしまう。 当日深夜、家族が寝静まってからこっそりと現場である墓地に向かうフォリー。 他の応募者たちと女優の前に裸で並んでいると突如、埋葬された死体が這い出し人々を襲い始める。 次々とスタッフや演者がゾンビに食らわれていくパニックの中、フォリーは衣服を探して家族のもとに帰るために逃げ惑う。
統合人格評 ★★★ / SF人格評 ★ / ホラー人格評 ★★★
いや、タイトルからしてド直球、ストーリーも上記のとおりでこの読書録に載せるのを躊躇する(してないけど)下品さ。 とはいえ、もとよりグロとエロは相性が良くて、扇情的な性と死の相乗効果はこのジャンルを愛してることが明らかな作者の狙い通りかと。 なのでB級C級ゾンビ映画の基本線を的確に押さえた、ある意味真面目で王道な作品。 そして、ラストシーンは何か情緒的で美しいところもあって、ちょっとやられた感あり。
イカした言葉 「好奇心は強力な霊薬だ。遅かれ早かれ、外に出て身辺の惨劇をじかに見聞するだろう。それが人間のもっとも原初的な特性だ」(p154)
ニードレス通りの果ての家
(原題: The Last House on Needless Street)
カトリオナ・ウォード (Catriona Ward) / 訳: 中谷友紀子
早川書房 2023年(原典2021年), 2800円, ISBN978-4-15-210199-0 スティーヴン・キングをはじめ、ホラー小説界の巨匠たちが絶賛。新鋭が放つ鮮烈な傑作。
暗い森の傍の家で黒猫オリヴィアと暮らしているテッドは、ときおり訪れる娘のローレン以外に他人との接触はほとんどない。 そして、十数年前に幼い妹が失踪したことで家族が崩壊し人生が狂ったディーは、テッドがその事件の容疑者だったことを突き止め、 彼の隣家に引っ越し密かに監視し始める。 挙動不審で家に何かを隠しているテッドの様子に、彼女は次第に一線を踏み越えていく。 精神的な問題を抱え、時に記憶が飛ぶテッドの語り、猫なのに人語を解するオリヴィアの語り、 過去に囚われるあまり常軌を逸した行動を取るディーの語り。信頼できない語り手たちの物語の積み重ねの先に、 幾重にも隠された恐ろしい過去と真実が浮かび上がる。
統合人格評 ★★★ / SF人格評 ★ / ホラー人格評 ★★★
明らかに現実から乖離した要素が混じる独白で始まる物語は、不穏で不快な何かを仄めかすが、 語り手たちが語り手たちなのでそれが何かは要領を得ない。 読み進めるうちに明かされていくように見える真相も、二転三転し、結末まで姿を変え続ける。 最後に残るのはサバイバーの物語(誰が何からサバイブしたのかは書けないが)。 つまりサイコホラーの顔で始まっても希望と救済が核にある。その点、ホラーマニアは夾雑物と感じてしまうかも。
イカした言葉「よし、外に出よう」(p353)
March, 2023
フォワード 未来を視る6つのSF (原題: Forward) 編: ブレイク・クラウチ (Blake Crouch) / 訳: 東野さやか 他
ハヤカワ文庫 2022年(原典2019), 1240円, ISBN978-4-15-012392-5 6人の創造力、6つの未来
未来において世界がどう変わるかを見通す6つの短編。作者は、ブレイク・クラウチ、N・K・ジェミシン、 ベロニカ・ロス、エイモア・トールズ、ポール・トレンブレイ、アンディ・ウィアー。
統合人格評 ★★★ / SF人格評 ★★★ / ホラー人格評 ★
最近、SF作家の想像力が描く未来社会の姿から現在の課題を逆算して経営とか政策立案に生かそう、 というSFプロトタイピングが流行っているそうだが、その動きに乗っかった感のあるアンソロジー (といっても、本書中どこにもそういう言及はないので単なる私の印象だが)。 SFの機能として、未来を外挿してその姿を描き出すのはあるにせよ、それが現実社会で有用なのだ、と強調されると興を削がれる。 本書に収められた各編一つ一つは面白いんだけど、まとまるとそういうカラーが感じられて一歩引いて見てしまう。
インヴェンション・オブ・サウンド
(原題: The Invention of Sound)
チャック・パラニューク (Chuck Palahniuk) / 訳: 池田真紀子
早川書房 2023年(原典2020年), 2200円, ISBN978-4-15-210200-3 絶叫 暴力 陰謀 世界の底が抜けても人生は続く。
聞いた者の感情に突き刺さる、彼女にしか作れないリアルな悲鳴を武器にハリウッドで活躍する映画音響効果技師ミッチ。 17年前に行方不明になった娘の手がかりを求めてダークウェブ上の児童ポルノサイトを探り犯罪者をあぶりだすことに執着する会社員フォスター。 ふたりの運命が交錯するとき、過去から続く恐ろしい物語が浮かび上がる。そして想像を絶する惨事が起こる。
統合人格評 ★★★ / SF人格評 ★★ / ホラー人格評 ★★★
待ちわびたパラニューク18年ぶりの邦訳新刊。訳者あとがきによるとこの空白期間も著作は出ていたものの低迷していたようで、 本作には初期の切れ味復活の評もあるとのこと。 これまでの作品と同様に本作の主人公たちは人生を極度にこじらせていて、そのこじらせ具合がドライブする過激で最悪な方向へと突き進む物語。 過激で最悪な、そして相変わらず切れ味鋭い描写は、現代人が置かれている歪みを切り出している。 本書だと、人の不幸が切り取られパッケージ化されて消費される社会の様、その中に何かの陰謀を読み取ってしまう不安、といったところか。 あの現象は物理法則を超えているのと、あの人(たち)の動機とか力の源泉がよくわからないという点は弱点だが、広義のファンタジーということで。
イカした言葉  誰かに悲鳴を上げさせるには、ナイフで一度斬りつけるだけでいい。しかし悲鳴を止めるには、もう百回繰り返さなくてはならない。(p244)
Feburary, 2023
SF&ファンタジィ・ショートショート傑作選 吸血鬼は夜恋をする 編・訳: 伊藤典夫
創元SF文庫 2022年, 1000円, ISBN978-4-488-79301-2 伝説のアンソロジーを増補し、半世紀を経て初文庫化!
1975年に発行された伊藤典夫が全編を訳し編んだアンソロジー。 文庫化に際して9編を加え、32編を収録してあらためて世に出る。
統合人格評 ★★ / SF人格評 ★★ / ホラー人格評 ★★
もともとは1975年発刊のアンソロジーということで、どの話もクラシックなテイスト。艶話が多いのにも時代を感じる。 それにしても、シェクリィやヴォークトなんて人たちの作品を今になって読むことになろうとは。 リチャード・マシスンだけでも5編あるし。 懐かしいのは良いのだが、現代の読者からすると物足りないし、「逆に新鮮」てこともないし。 ありていに言って何でこれを今出版したのか、する意義があったのかは疑問を感じるね。
プロトコル・オブ・ヒューマニティ 著: 長谷敏司
早川書房 2022年, 1900円, ISBN978-4-15-210178-5 右足を失ったダンサーとAI義肢との共生。それは、最も卑近で最も痛切なファーストコンタクトの始まりだった。
新進気鋭のコンテンポラリーダンサー護堂はバイク事故で右足切断の重傷を負った。 キャリアを断たれ失意の彼に、ダンスカンパニーの知人でロボット工学者の谷口が義足でのダンスの可能性を提示し、 さらに、谷口が始めようとしているロボットと人間のダンス公演のプロジェクトに誘う。 それは、単にロボットに振付を指示する、というものでなく、人間とは異なるAIの身体性・身体感覚からAI自身が生み出したダンスと 人間のダンスの相互作用により生み出される新しい表現を目指す、前人未踏の挑戦だった。 護堂とAI内蔵義足の共生から生み出されるデータを活用し、義足を用いて自分のダンスの再生を試みる護堂の経験を取り入れて動き始めたプロジェクトは難航し、 ダンスという行為の根源や、AIの内発的な表現を求める雲をつかむような研究・試行が続く。 さらに護堂は認知症を発症した家族の介護にも追われることになり、生活と介護とダンスの葛藤に苦しむことになる。 極限状態の中で彼らは道を探り続ける。
統合人格評 ★★★★ / SF人格評 ★★★★★ / ホラー人格評 ★
派手な活劇は無い、世界や人類の存亡に関わる事態が起こるわけではない、科学技術や倫理の限界を越境するような挑発でもない。 舞台は2050年代の近未来だが、いま、まさにどこかの大学で研究されていそうなテーマと、 終わりの見えない肉親の介護の経済的・心身的ストレスを描く、地に足のついた現実的な物語である。 しかし、これはSFとして傑作だし、SFでない目で見ても傑作だ。 人間がダンスをする衝動を言語化しようとし、その中で、人間の身体性とコミュニケーションが「人間性」をいかにかたち作るかを、 ロボット工学と、認知症により失われていく脳機能のハード・ウェット両面から、読んでいて一頁一行たりとて気が抜けない精度と深度で描く。 登場人物たち苦闘の果てに生み出されるクライマックスのダンスシーンは圧巻。
イカした言葉  われわれの頭蓋の中にあるものは、つまりは、ただの内臓に過ぎない。(物語冒頭 p3)
超常気象 異形コレクション 監修: 井上雅彦
光文社文庫 2022年, 1100円, ISBN978-4-334-79458-3 「異常気象」を遥かに凌駕する世界へ ―― 私たちは〈超常気象〉のただなかにいる!?
シリーズ創刊25年となる異形コレクション第54冊目は、天気・気象にまつわる怪異を描く書き下ろし短編15編。
統合人格評★★★ / SF人格評★ / ホラー人格評 ★★★
ホラーや怪奇小説のテーマとして「気象」は突飛な印象だけど、 例えば聖書の黙示録は天候にかかわる災いが多いし、日本でも、雪女や、菅原道真の祟りによる台風や落雷の説話が挙げられる。 人類の古来からの畏怖の対象である「気象」は実は伝統的な主題なのだね。 地球温暖化による気候変動・激甚化する災害に目を向ければ、喫緊の恐怖とも言えるわけで。今回も編者のテーマ選定眼が冴える。 掲載作は、異様な何かが降ってくる話が多く、また、暗雲の重苦しさもありいつも以上に救いのない話が多いのだが、 オフビートなギャグが変なアクセントになってる田中啓文「地獄の長い午後」と、唯一SFの上田早夕里「成層圏の墓標」が その重苦しさがないこともあって印象に残った。
January, 2023
マシンフッド宣言(上/下)
(原題: Machinehood)
著: S・B・ディヴィヤ (S. B. Divya) / 訳: 金子浩
ハヤカワ文庫SF 2022年(原典2021年), 各1200円, ISBN978-4-15-012388-8/978-4-15-012389-5 人間たちよ、あなたがたには選択肢がある。機械知能の権利を認めるか、絶滅するか。  / 有機知能と無機知能の区別を撤廃すべき時だ。いかなる知性も他の知性を所有してはならない。
2090年代、主要な仕事のほとんどはAI(自意識をもつような「強いAI」はまだ実現していない)が担い、 AIに対抗する能力を得るため心身を強化する様々なナノテク薬〈ピル〉が広く使われているが、 それでも人間の仕事は高度な専門職か単価の安いギグワークに二極化された未来。 元軍人のウェルガはピルの副作用による体調不良を抱えながら、警備会社に所属し要人の護衛を行っている。 ある日、彼女が護衛するピル開発の出資者を〈マシンフッド〉を名乗る謎の勢力が襲撃する。 AIにヒトと同じ権利を与えよと主張するマシンフッドは極めて高度な技術を持ちながらその正体は全く不明。 ウェルガは、社会をさらなる混乱に陥れようとするマシンフッドを止めるべく、わずかな手がかりをもとに世界中を駆け巡る。
統合人格評 ★★★ / SF人格評 ★★★ / ホラー人格評 ★
インド出身の作家のデビュー作で、テクノロジーにより急速に変化する未来社会を舞台とする活劇。 通貨の役割が小さくなった互恵的な経済構造とか、ドローンやボットによりあらゆるものがネットワーク化・オープン化した社会の描写は実に今風。 全世界を巻き込む事件は、さらなる変容を求める革命か、それとも変化に対する抵抗か。 ただ、マシンフッドの正体とその目的を考えると、あの宣言文はちょっと違和感があるし、 主人公だけが核心に迫る当たりを引き続ける、というご都合主義も気になるかな。良くできた物語ではあると思うのだが。 映画化向きではあるけれど企画書を通すにはパワー不足か。
イカした言葉 「死んでから眠るよ」「変なフラグは立てないほうがいいぞ」(上巻p290)
ミン・スーが犯した幾千もの罪
(原題: The Thousand Crimes of Ming Tsu)
著: トム・リン (Tom Lin) / 訳: 鈴木美朋
集英社文庫 2022年(原典2021), 1100円, ISBN978-4-08-760781-9 一読して、度肝を抜かれてしまった。若々しくも円熟した筆力…… ただただ舌を巻くばかりだった。 東山彰良氏(解説より) 
大陸横断鉄道が開通目前のアメリカ中部。中国人ミン・スーは荒野を西へと進んでいる。 彼にいわれのない罪を着せ、鉄道工事人夫に追いやった者たちに復讐し、愛する妻の待つカリフォルニアに向かうためだ。 未来が見える盲目の老人〈預言者〉を導き役として引き入れ、 さらに、やはり西へ向かっているそれぞれが特殊な力をもつ奇術ショー一座と出会い彼らとともに旅を続ける。 かつて凄腕の殺し屋であったミン・スーは、一人またひとりと仇敵への復讐を果たしながら、 命を奪う苛酷な自然環境を踏み越え、敵や権力の追走をかわして目的の地を目指す。
統合人格評 ★★★ / SF人格評 ★★ / ホラー人格評 ★★★
重量級で、マジックリアリズムが際立つ西部劇。 コーマック・マッカーシーを思わせる非情の中に詩情が光る語り口で、これが上梓当時25歳のデビュー作とは。 生命を拒絶する荒涼とした大地を行くミン・スーの過去に囚われた旅路は、現在も未来も明らかに希望がなく、悲劇的な結末が暗示され続ける。 職業犯罪者である彼の行動は社会的にも倫理的にも正義からはほど遠い。 しかし、〈預言者〉や同行する一座のメンバーとの記憶や運命に関するある種哲学的な対話を通じて、 彼の復讐とそれに連なる旅は意味を持つようになっていくのだ。
イカした言葉 「記憶とは心ではなく体が運ぶものだ。ほんとうの記憶とは、思い出すことではない。実行される儀式のことだ」(p151)