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小説評論もどき 2023年下半期 (15編)


私の読書記録です。2023年7月分~12月分、上の方ほど新しいものです。 「帯」は腰帯のコピー。評価は ★★★★★ が最高。

December, 2023
京都SFアンソロジー ここに浮かぶ景色 編: 井上彼方
Kaguya Books 2023年, 1500円, ISBN978-4-7845-4149-2 1200年の都? いえいえ、わたしたちの棲む町。
『大阪SFアンソロジー』と同時刊行の、いずれも当地にゆかりのある作家による、京都を舞台とする8篇を収めたアンソロジー。
統合人格評 ★★★ / SF人格評 ★★★ / ホラー人格評 ★
観光地としての非日常の舞台の側面と、そこで暮らす住人にとっての日常の場の側面を持つ京都。 このアンソロジーのコンセプトは〈観光地の向こう側〉だが、京都の人々が長い時間のなかで積み上げてきた生活や歴史の「記憶」が隠れた共通テーマ。 それを最も体現しているのは溝渕久美子「第二回京都西陣エクストリーム軒先駐車大会」というタイトルも内容も一見ふざけた作品だと思う。 異形コレクション『京都宵』 と比べてみるのも一興。
大阪SFアンソロジー OSAKA2045 編: 正井
Kaguya Books 2023年, 1500円, ISBN978-4-7845-4148-5 2045年、大阪 万博・AI・音楽・伝統、そこに生きる人々――
SFウェブメディア VG+(バゴプラ)が立ち上げた新レーベル Kaguya Books から、2045年の大阪を舞台とする10篇を収めたアンソロジー。 『京都SFアンソロジー』と同時刊行。北野勇作、牧野修、主にウェブで活動する他8名の作家はいずれも大阪にゆかりのある人たち。
統合人格評 ★★★ / SF人格評 ★★★ / ホラー人格評 ★
ウェブメディアにまで手が届かなくて、そこで展開されている作品や流行りは押さえていないのだが、 「ネットで話題の●●を書籍化」ではなくウェブマガジンの企画がリアル書籍になる逆輸入はまだまだ珍しい(のかな?)。 ゴリゴリのSFではなく、少し変わった日常を切り取った、というタイプの作品が中心で、また、やはり新旧大阪万博を題材としたものが多い。 発行者の属性、書き手の属性もあって商業と同人の中間的な味わいだが、SFを表現する場が広がっているのは喜ばしい。
チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク (原題: TIK-TOK) 著: ジョン・スラデック(John Sladek) / 訳: 鯨井久志
竹書房文庫 2023年(原典1983年), 1350円, ISBN978-4-8019-3667-6 狂機誕生
人類の従順な下僕として家事や労働にロボットが広く使われている未来。ある家庭に買われたロボット、チク・タクはヒトに害を与えることを禁ずる 〈アシモフ回路〉が機能していなかった。あるとき近所の少女を殺害した(その罪は隣人になすりつける)あと主人の家の壁に勝手に書いた絵が世間に見いだされ、 チク・タクは芸術家としての活動を始める。その後も商売を成功させ文化人・経営者として名を挙げていく裏で、殺人や強盗、詐欺、テロなどあらゆる悪徳を重ねていく。 そして、ついにはロボットの権利解放運動の旗頭として政治の世界にまで活動の場を広げていく。
統合人格評 ★★★ / SF人格評 ★★★ / ホラー人格評 ★★★
2023年になってスラデックの新刊が読めるとは。かなり悪意の強いブラックユーモアに満ち、随所に凝った言葉遊びが仕込まれた作風は類を見ない。 生成AIが発展していく先の、この現実と地続きな未来のとりうる一つの姿と言えなくもないが、すごく20世紀を感じさせるオールドスタイルで、最近のSFとは毛色が違う。 こういう作品を掘り出して世に出す竹書房の攻めた姿勢は称賛するが、この邦題はやりすぎ。
イカした言葉 しかしわたしはいない、へっへっへ(p186)
November, 2023
近畿地方のある場所について 著: 背筋
KADOKAWA 2023年, 1300円, ISBN978-4-04-737584-0 見つけてくださってありがとうございます。
ホラー好きが高じて出版社に入社しオカルト雑誌の編集者になった友人、小沢君が失踪した。 彼は、ネタを求めて収集した過去の雑誌記事や読者投稿のいくつかに近畿地方のある場所に共通する何かが隠れていることに気づき、その正体を求めて 山の麓に造成された団地、ダム湖、廃神社が位置するその地域に関わる様々な怪異のエピソードを取材するうちに様子がおかしくなっていたのだ。 自身もオカルト系のライターである筆者は、小沢君が集めた記事、読者投稿、怪異に会った人のインタビュー、ネット掲示板のコメントなどを提示して、 小沢君の消息に関する情報が得られないかと本書の読者に問いかける。
統合人格評★★★ / SF人格評★ / ホラー人格評 ★★★
小説投稿サイト「カクヨム」に掲載されて人気を集めていた一連の投稿の書籍化。拡大版実話怪談という体裁で、 様々なメディア、フォーマットに正体不明の怪異を散りばめ、落とし込んでいく。 話が進んでいくうちに、作者が怪異に巻き取られ、さらに読者に呪いをかける造りも、いまや目新しくはないものの良い感じ。 ただ、これだと、作者は同じペンネームでは次の作品が書けないね。
イカした言葉 「うちへきませんか。かきもありますよ。」(p5)
October, 2023
オーラリーメイカー 〔完全版〕 著: 春暮康一
ハヤカワ文庫 2023年, 1200円, ISBN978-4-15-031556-6 春暮作品の「知性とは何か?」という本質的な問いかけから為される決断は、倫理という問題を突きつけてくる。 ―― 林譲治
宇宙に進出した知的種族が繋がりあう《水―炭素生物連合》と、彼らから決別した人工知能の集合体《知能流》がそれぞれ銀河系に広がっている遠未来。 軌道が工学的に操作されたと思しき惑星群からなる恒星系が発見されるが《連合》の調査チームが探査しても域内には文明はなく、またその痕跡も一切見つからない。 〈オーラリーメイカー〉と仮称されるその工作者を求めて単身で銀河を横断する調査チームの一員の行路と、ある文明の興亡を40億年にわたり描く表題作「オーラリーメイカー」。 同じ宇宙史を背景として、知的存在間の交流のために身体を改変した(元)外交官を主人公とする2編「虹色の蛇」「滅亡に至る病」を収録。
統合人格評★★★ / SF人格評★★★★ / ホラー人格評 ★
2019年の第7回ハヤカワSFコンテストで優秀作を獲得し刊行された単行本に加筆修正して文庫化。 スケールの大きなハードSFで、さまざまな「知性」の在りようが描かれる。ただ、本質的に異質な存在なのにどの種族も極めて「人間」的で、 神を信仰し畏怖したり(下に引用したセリフは地球人類のものではない)、異種族間の交流でも感情の共感があったりするのが意外と引っ掛かる。 同じ水―炭素を生化学の基盤としているので、そこから組み上がる生命の様式が類似している、という理屈はあるし、 それに、そんなこというなら、ハル・クレメント『重力の使命』やR.L.フォワード『竜の卵』はどうなんだ、となるのだが。
イカした言葉 「正しいと証明されてから信じるのは、本当の信仰ではない。」(「オーラリーメイカー」p45)
著: 小田雅久仁
新潮社 2023年, 1700円, ISBN978-4-10-319723-2 セカイの底を、覗いてみたくないか? 孤高の物語作家が放つ、中毒不可避の悪魔的絶品集。
スランプ中の作家は、本を食べる女を見たことをきっかけに狂った世界に足を踏み入れる「食書」  失踪した恋人を探す男が、彼女の自宅の隣人から聞かされる、他人の耳から体内にもぐりこむ秘技にまつわる奇怪な話「耳もぐり」  この他、毛髪や鼻など人の身体の部位から起ち上がるグロテスクな物語7編を収録する短編集。
統合人格評 ★★★ / SF人格評 ★★ / ホラー人格評 ★★★
『残月記』で吉川英治文学新人賞と日本SF大賞をダブル受賞した著者の短編集。 人間の身体はパーツごとにじっくりと見てみれば、それぞれなかなかに気色悪いもので、その気色悪さを起点に卓越した想像力で編み上げた物語群。 じっとりとした湿度・粘度が感じられる語り口で、いずれもホラーとかファンタジーというよりは、怪奇幻想小説と分類するのがふさわしい。 コメディっぽい作品もあるけれど。
イカした言葉 「そもそも言葉は嘘をつくために生まれたのです。真実を殺すために生まれたのです。」(「食書」p43)
September, 2023
シャーロック・ホームズとミスカトニックの怪 (原題: The Cthulhu Casebooks: Sherlock Holmes and the Miskatonic Monstrosities) 著: ジェイムズ・ラヴグローヴ(James Lovegrove) / 訳: 日暮雅通
ハヤカワ文庫 2023年(原典2017年,2018年), 1360円, ISBN978-4-15-020619-2 精神病院の患者が書き綴った謎の言葉とは!? ホームズが古き神々に挑む驚愕のパスティーシュ!
前作から15年。ワトソンが著し世間で好評を博すホームズの推理物語の裏側で 異界の邪悪の侵入を防ぐ彼らの奮闘は続いていた。あるときホームズたちは、顔の半分と左手を失い壁や床にルルイエ語を書き連ねる患者を精神病院で見つける。 彼の正体を調べるうちに、ミスカトニック大学で学んでいたアーカム名家の青年ホウェイトリーと、彼の友人で医学の革命的理論に取り組んでいたコンロイの二人に行き着く。 彼らはミスカトニック河を遡行しショゴスを探そうとした調査旅行を悲惨な事件で終えていた。 やがてロンドン郊外の湿地帯に導かれたホームズとワトソンは、彼らを出迎えた人物のもとで調査旅行の真実を記したコンロイの手記に接し、 そして、混沌の果てから触手を伸ばす存在と対峙することになる。
統合人格評 ★★★ / SF人格評 ★★ / ホラー人格評 ★★★
シャーロック・ホームズとクトゥルー神話マッシュアップ3部作の第2弾。 シャーロック・ホームズは小学生のとき読んだきりの初心者なので、本作がどれくらいシャーロック・ホームズかは評しがたいのだが、 本家の修飾過多ぶりは薄いもののラブクラフトっぽさは結構感じられる。 特に、コンロイの手記は要素満載。ハーバード・ウェストばりの禁断の医学実験、荒涼とした未踏の地に有史以前から在る呪われた何か、 それらを仄めかす「ネクロノミコン」等の禁書から邪な知識を手に入れようとするアーカムの悪名高い名家の主と、その破滅までの顛末。 このパートは読んでいて、ちょっとうれしくなった。 一方で、外枠のワトソンの記録では、いくつかの怪物・邪神は現れるものの、正しい知識と準備があれば対処可能で「名状しがたい」度が弱いのが少し残念。 ここはホームズ領域なので仕方ないけど。
イカした言葉 「おめでとうと言うべきかな」「きっと自分でしつこいほど祝ったことだろうが」(p452)
蒸気駆動の男 朝鮮王朝スチームパンク年代記
(原題: 기기인 도로)
著: キム・イファン(김이환), パク・エジン(박애진), パク・ハル(박하루), イ・ソヨン(이서영), チョン・ミョンソプ(정명섭) / 訳: 吉良佳菜江
新☆ハヤカワ・SF・シリーズ 2023年(原典2021), 2600円, ISBN978-4-15-335060-1 蒸気機関が発達したもう一つの李氏朝鮮、歴史の転換点で暗躍した男がいた。
謎の人物〈都老〉が李氏朝鮮にもたらした蒸気機関とそれを動力とするロボット工学。 このテクノロジーが書き換えた朝鮮史を舞台に、宮廷内外の権力争いに翻弄される人々や、 歴史の節々で現れ、自身も機器人と噂される都老の彷徨を描く、韓国発のスチームパンク・アンソロジー。
統合人格評 ★★★ / SF人格評 ★★★ / ホラー人格評 ★★
朝鮮史には詳しくないのだけど、どの話も陰気な印象で、李氏朝鮮ってそんな時代だったの? 王宮の高官から平民や奴婢にいたるまで皆、権力争いの大波に翻弄され生き残るのに必死でとても辛そうなのだ。 歴史に別の角度から光をあてて見ようという試みなのだろうが、せっかくのスチームパンク設定があまり活かされてないように思える。 架空の日本を舞台とした同じ趣向の乾縁郎『機巧のイブ』シリーズがエンタメとして圧倒的に面白かったのと比較しちゃうね。
AIロボット反乱SF傑作選 ロボット・アップライジング
(原題: Robot Uprisings)
編: D・H・ウィルソン & J・J・アダムズ (Daniel H. Wilson & John Joseph Adams) / 訳: 中原尚哉 他
創元SF文庫 2023年(原典2014), 1400円, ISBN978-4-488-77205-5 AIが反旗を翻す。人類よ、恐怖せよ――
発達しすぎた機械知性が人間の地位を脅かす。ロボットSFの原点『R.U.R』以来繰り返されてきたモチーフを主題とするアンソロジー。 底本の17編から13編を邦訳。珍しいところでは、Artificial Intelligence の語を初めて提示したほか、タイムシェアリングの概念やフレーム問題の提唱など、 初期のAI研究を牽引した計算機科学者ジョン・マッカーシー(John McCarthy)が書いた「ロボットと赤ちゃん」。
統合人格評 ★★★ / SF人格評 ★★★★ / ホラー人格評 ★★
同じ創元SF文庫アンソロジーの『創られた心』や、この二つ下の『AIとSF』に 呼応するアンソロジーだが、原典はこのなかでは最初に出版されている。 この領域の研究は日進月歩で、たった数年の差で本書の収録作には若干古臭さが感じられてしまう。 「AIの脅威」はオーソドックスなテーマながら、アンソロジー出版当時より現在の方が圧倒的にリアルなものになっていて、 数年先にはその危機が一部現実化していそう。
August, 2023
吹雪 (原題:Метель) 著: ウラジミール・ソローキン (Владимир Сорокин) / 訳: 松下隆志
河出書房新社 2023年(原典2010), 2900円, ISBN978-4-309-20881-7 皇帝化するプーチンを予言!!! 世界で注目される危険な作家の奇妙奇天烈な近未来ロードノヴェル
辺境の村で発生したエピデミックのワクチンを届けるため、馬を乗り継いで旅をする医師ガーリン。 ある駅で馬を得られず調達したのは、パン運びのセキコフが運転する、ボンネットに収めたヤマウズラ大の馬50頭をエンジンとする車。 視界を遮り体温を容赦なく奪う吹雪が強まる中を強行軍で進むが、道を見失い、雪だまりに隠れた障害物に乗り上げて故障したりと予定から遅れ続ける。 小人の粉屋とその妻や、謎めいた麻薬装置の売人に助けられ、なんとか進み続けるのだが、 吹雪により迷宮と化した大地を行くガーリンは果たして目的地にたどり着くのか...
統合人格評 ★★★ / SF人格評 ★★ / ホラー人格評 ★★★
まず、帯がミスリーディングで、「皇帝化するプーチンを予言」は本書の内容ではない。 作者の政治的発言や『親衛隊士の日』などの他の著作のことで、 その名前を出しとけば目を引くだろうという出版社の売らんかなの姿勢はいただけない。 本書は不快感をズブズブと流し込んでくるような強烈さはあまりなくて、むしろポップな印象。 何しろ体長30cm程の馬の一群が整列して頑張って車を動かしているとか、想像するとかわいらしい。 まあ、それなりにグロテスクなあれこれもあるのだけど。なので、ソローキンらしさを求めていると肩透かしを喰う。 舞台は最初19世紀あたりのロシアを思わせるが、多分『親衛隊士の日』と同じ世界線・同じ時代。
イカした言葉 「酔っ払って行き倒れた…… たわ言だ! ロシア的なたわ言だ!」(p243)
AIとSF 編: 日本SF作家クラブ
ハヤカワ文庫JA 2023年, 1320円, ISBN978-4-15-031551-1 未来をつかむのはどちらか?
『ポストコロナのSF』『2084年のSF』に続く、 日本SF作家クラブ発のテーマアンソロジー第3弾。いままさにブームの渦中のAIをテーマとした22編。
統合人格評 ★★★ / SF人格評 ★★★★ / ホラー人格評 ★★
このシリーズは機を見るに敏で、現在進行中でかつ未来に与えるインパクトの大きい題材をテーマに選ぶが、これこそがSFの機能の一つ。 人工知能はむしろSFでは手垢のつきまくった題材だが、今回のブームはかなり現実がSFに追い付いてきた感はある。 特に大規模言語モデルは、今日はともかく明日には人間の作家の競合相手になるポテンシャルがあり、人間の小説家たちの切実さが感じられる一方、 最新の研究を取り込んで新たな物語を作ろうとする気概も感じられる。 大阪万博の準備中に起こったブレークスルーを描くドタバタ劇、長谷敏司「準備がいつまでたっても終わらない件」が印象に残った。 日本SF作家クラブ新会長となった大澤博隆氏は作家ではなく、この領域にかかわる研究者というのも示唆的。
悪魔はいつもそこに (原題: The Devil All the Time) 著: ドナルド・レイ・ポロック (Donald Ray Pollock) / 訳: 熊谷千寿
新潮文庫 2023年(原典2011年), 900円, ISBN978-4-10-240291-7 オコナー、トンプスンを凌駕する、狂信と暴力の文学。
オハイオ州のさびれた田舎町。貧しい生活の中で母親を病気で亡くし、 母を救おうと信仰にすがった父親も自死し孤児となった少年アーヴィンは、祖母のもとに身を寄せる。 そこには、やはり狂信的な信仰が原因で両親を失った孤児のレノラが引き取られていた。 父親ゆずりの暴力性を内に抱えながらも新しい家族とともにそれなりにまっとうに暮らしていたアーヴィンだが、 彼の住む町に新たな牧師がやってきたことから、運命の歯車が回り始める。 卑劣で醜悪な欲望を隠した牧師は町を毒しアーヴィンの家族にもその手が伸びる。 さらに、旅をしながらヒッチハイカーの惨殺を繰り返す夫婦、職務に誠実だが裏では悪事に手を染める保安官など、 様々な悪人を巻き込んで、非情な暴力が連鎖していく。
統合人格評 ★★★ / SF人格評 ― / ホラー人格評 ★★
帯に惹かれてのセレクトで、Netflixでもオリジナル映画化された原作ということで期待したのだが、 結論から言うとそこまでではない。 主人公アーヴィンの父親の代から生々しく描かれるライフヒストリーは凄絶なものではあるが、 なにもない大地にへばりつくように暮らす人々の中で生まれる悪の形は、いかに異様でも個人的なもので、 巨悪にまでは育たないし、既存の物語を超えるような過剰なそれにはならない。 思うにまかせない人の世で、悪に転じてでも生きていく人々の話だ。 この後の彼の人生が幸せなものとなる可能性は低いが、それでも新たな世界で新たな道を見つけることを願う。
イカした言葉 「あの男をあまり長く待たせるのも悪いし」(p174)
July, 2023
マルドゥック・アノニマス 8 著: 冲方丁
ハヤカワ文庫 2023年, 900円, ISBN978-4-15-031549-8 ハンターか、マクスウェルか?
マルドゥック市を実質的にコントロールする〈シザーズ〉の覇権に挑戦するハンターの策謀が動き出す。 ハンター率いる〈クインテット〉とその傘下のギャンググループは、〈シザーズ〉であったことが明らかになったマクスウェルが潜むマルセル島に攻め込むが、 マクスウェルと彼が支配する一団もこれを迎え撃つべく準備を尽くして待ち構えている。 しばらくして、オクトーバー社に対する集団薬害訴訟を進めるイースターズ・オフィスと協力者たちは、マルセル島の抗争で地歩を固めたハンターが 市会議員選挙に出馬するとの一報に驚愕する。裏社会から表舞台へと歩を進め、着々と版図を拡大するハンター、 さらには彼を支えるオクトーバー社との闘いの舞台は、法廷からさらに政治の世界へと広がっていく。
統合人格評★★★ / SF人格評★★ / ホラー人格評 ★★
前巻までの数巻にわたり不気味な戦闘集団を率いてきたマクスウェルがついに陥落するのだが、 『ONEPIECE』かよ! 本書はほぼ丸々異能者集団間の抗争で、複数のエリアで同時並行に進む戦闘描写のゴチャゴチャぶりも含めて最近の『ONEPIECE』を読んでいるような印象。 派手でコミカライズすれば映えそうだが、さすがにこれだけの尺を取るのはどうか。 しかし、バロットらイースターズ・オフィスとハンターとの闘いの様相は拡大する一方で、広げた風呂敷をどうやって畳むのか心配になってきた。
イカした言葉 「資本は、あなたたちがカネと呼んでいるものとは違う。」(p375)
NOVA2023年夏号 責任編集: 大森望
河出文庫 2023年, 1200円, ISBN978-4-309-41958-9 日本SF史上初! 女性作家のみでおくる書き下ろしSFアンソロジー
女性作家13人による13編。編者いわく「二〇二〇年代のいま、女性の作家たちがいかに豊穣なSF/ファンタジー世界をつくりあげているかを 一望できるショーケースになればさいわいです。書き手の性別なんか気にしたことないんだけどという人は、いつもの『NOVA』だと思って読んでください。 分厚いだけのことはありますよ。」
統合人格評 ★★★ / SF人格評 ★★★★ / ホラー人格評 ★★★
ティプトリーの例を挙げるまでもなく、現代において書き手が男性か女性かを問うことはあまり意味がない。 実際、この人女性だったんだと本書で始めて知った作家もいる。とはいえ、編集後記にあるように、特に意識しなくても「書き下ろし男性作家アンソロジー」が できることはあってもその逆はない、という現状では意義のある趣向。その趣旨に鑑みるとアンソロジーの「意思」である編者が男性なのはマイナスかもね。 本書に収められていないベテラン勢や若手実力者も多いので、すぐにでも続編が編めそう。
終末の訪問者 (原題: The Cabin at the End of the World) 著: ポール・トレンブレイ (Paul Tremblay) / 訳: 入間眞
竹書房文庫 2023年(原典2018年), 1200円, ISBN978-4-8019-3506-8 その選択の結末は、家族の犠牲か、世界の終焉か。
同性婚カップルのアンドリューとエリック、彼らの養子ウェンの3人家族は人里離れた小屋で夏の休暇を過ごしている。 そこに突然訪れてきた4人の男女。柔らかい物腰ながら奇怪な武器を手にした4人は、小屋に押し入りアンドリューとエリックを拘束する。 そして、家族3人の中から一人を選び自分たちの手で命を奪うことを要求する。そうしないと世界が滅びるのだという。 終末カルトめいた戯言にしか聞こえない彼らの要求を当然拒否するアンドリューたちだが、次第に事態は常識から外れていく。
統合人格評 ★★★ / SF人格評 ★★★ / ホラー人格評 ★★★
シャマラン監督の映画『ノック 終末の訪問者』の原作。映画はタイミングが合わなくて未見だが、 確かにシャマラン監督が好みそうな物語だ。選ばれた理由も選択の道理もなく、責任だけがある不条理。 それは人間をあざ笑う神の悪意か、世界を動かす人知を超えたシステムの発露か。 中盤以降の展開はなかなかの地獄で、現実が、全ての登場人物が望まない方向へ、聖書の黙示録をなぞるような異様な姿に崩壊していく。 これが世界を維持するために必要だというなら、そんな世界は滅びたほうが良いのかもしれない。
イカした言葉 なぜなら、この局面で希望は人を酔わせ、知性を鈍化させるから。希望は危険なものなのだ(p79)