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小説評論もどき 2022年上半期 (16編)


私の読書記録です。2022年1月~6月分、上の方ほど新しいものです。 「帯」は腰帯のコピー。評価は ★★★★★ が最高。

June, 2022
メルキオールの惨劇 著: 平山夢明
ハルキ文庫 2022年, 680円, ISBN978-4-7584-4476-7 世界の扉を開ける鍵を持つ作家が恐怖の根源に迫る小説、それが本書だ。―― 杉江松恋(書評家)
さびれた田舎町にやってきた「俺」は、二人の息子と暮らす未亡人に近づく。 いわくつきの不幸とそれにまつわる遺品をコレクションする全身麻痺の富豪の依頼に応えるためだ。 末息子を殺しその首を切断し収監されていた彼女にインタビューし、行方不明の頭部を手に入れようとするのだが、 何かがかみ合わない。それに、彼女の息子たち、白痴の巨漢の兄と、白髪で利発すぎる弟、 の二人とも見た目通りではない面を隠しているようだ。 やがて、この家族の恐るべき秘密と、さらには「俺」の抱える妄執が絡み合った惨劇が幕を開ける。
統合人格評 ★★★ / SF人格評 ★★ / ホラー人格評 ★★★
2000年に刊行された小説の新装版。通常のモラルなどまったく持ち合わせていない人物しか出てこず、 それでいてペダンティックな物語はいかにもな平山節ではあるが、昔の作品だからなのかキレはあまりよくない。 メルキオールともう一人が、結局何を目的としているのかがはっきりしないので、物語が澱んでしまう。
イカした言葉 「憂鬱って、楽なものです。」(p266)
吸血鬼ハンターたちの読書会  (原題: The Southern Book Club's Guide to Slaying Vampires) 著: グレイディ・ヘンドリクス (Grady Hendrix) / 訳: 原島文世
早川書房 2022年(原典2020年), 2900円, ISBN978-4-15-210126-6 殺人ノンフィクションを楽しむ主婦、吸血鬼ハンターになる!?
アメリカ南部の高級住宅街に暮らす中年主婦パトリシア。夫を支え子どもたちや義母の世話で忙しい彼女は、 ひょんなきっかけで始まった殺人ノンフィクションなどを題材とする読書会で主婦仲間と交流することを楽しみにしていた。 ある日、パトリシアは正気を失った隣人の老婦人に襲われる。大ケガを負った彼女は、 事件後亡くなった老婦人の親戚で最近街にやってきたジェイムズと知り合う。 さわやかな人柄と巧みな儲け話でコミュニティに溶け込むジェイムズだが、 過去や経歴について言っていることが時によって変わることにパトリシアは違和感を抱く。 また、同じころ、街の近くの貧しい地区で女性や子どもたちの失踪や怪死が連続していた。
統合人格評 ★★ / SF人格評 ★ / ホラー人格評 ★★★
タイトルや紹介文で明記されているとおりジェイムズは吸血鬼なのだが、多分その業界では小物。 物理的に狙うのは女子どもだけだし(その方が美味いのかもしれないけど)、 人をそそのかして資産を吸いつくす巧妙さは長けているが、そのくせ人間をなめていて、 パトリシアに疑念を持たせてしまうあたりに隙がある。経験は長いがパッとしないドサ回りの詐欺師の印象で、 そんなだから、家族を守る覚悟を持ち結束していても特に攻撃力も知恵もない主婦たちに足元をすくわれてしまう。 かたやパトリシアと仲間の主婦たちも、ジェイムズが悪人かどうかすら確信を持てないままに右往左往するので、 タイトルから疾走感を連想していると拍子抜けする。
イカした言葉 「男のほうは間違いなく連続殺人犯だよね」(p111 『マディソン郡の橋』を読んでの解釈)
May, 2022
なめらかな世界と、その敵 著: 伴名練
ハヤカワ文庫 2022年, 800円, ISBN978-4-15-031518-4 この世界で、生きていく。心の隔たりと繋がりをめぐる奇跡の傑作集
2019年ベストSF国内篇第1位を獲得した短編集の文庫化。誰もが並行世界を自在に認識できる世界の青春と決断を描く表題作、 伊藤計劃『ハーモニー』への返歌たる「美亜羽へ贈る拳銃」など6編を収録。
統合人格評 ★★★ / SF人格評 ★★★★ / ホラー人格評 ★★
今や、本人の著作だけでなく、歴史に埋もれた名作を紹介したり洗練されたアンソロジーを編んだりと、 日本SFの筆頭体現者として活躍する作者の第一短編集。 SFへの深い造詣が感じられながらも同人っぽい感じがするな、と思ったら多くは京大SF研の同人誌が初出なのね。
ギフト 異形コレクション 監修: 井上雅彦
光文社文庫 2022年, 1000円, ISBN978-4-334-79346-3 それは「祝福」なのかそれとも「呪い」なのか――
異形コレクション第53冊目。「贈り物」をテーマにした書き下ろし短編15編。
統合人格評★★★ / SF人格評★★★ / ホラー人格評 ★★★★
「ギフト」――、贈り物や天与の才能を意味する言葉。 思わぬ幸運のこともあれば、自分の望んだものとは限らない、むしろ振り払えない災いかもしれないそれを題材とする物語は、 古今、洋の東西を問わず無数に書かれてきた。 本書に収められた15編だけでなく、これまでの「異形コレクション」も実はほとんどがこの要素を持っているのではないか。 今回は、斜線堂有紀「痛妃婚姻譚」が一番良かったかな。
April, 2022
リラと戦禍の風 著: 上田早夕里
角川文庫 2022年, 1100円, ISBN978-4-04-112439-0 少女を救えるのは「魔物」だけ
第一次大戦中、ドイツ軍の一兵卒として西部戦線で戦うイェルクは、砲撃に倒れたところを 戦場には似つかわしくない優雅な装いをした伯爵と名乗る人物に助けられる。 伯爵に運び込まれた館で、イェルクはリラという少女に引き合わされ彼女の護衛を依頼される。 数百年を生きてきた人外の魔物である伯爵に導かれてヨーロッパの複雑な歴史を知り、 戦禍に苦しむ敵味方各国の庶民の声に触れることができるようになったイェルクは、 リラとともに、誰も止め方がわからなくなった悲惨な戦争にささやかな抵抗を行う計画を始める。
統合人格評 ★★ / SF人格評 ★★ / ホラー人格評 ★★★
図らずも時宜を得てしまった物語。民族や国家の間で遺恨に遺恨を重ね絡み合ったヨーロッパの歴史は 一度戦争が始まるとどこまでも燃え広がり無数の命をすりつぶし飲み込んでいく。 そういう苛烈な時代に翻弄される庶民の視点を、ファンタジーの力を使い、混沌としたヨーロッパ史と地政学を鳥瞰する高さまで引き上げる。 多数の参考文献が示すような歴史書的な情報は盛りだくさんだが、魔物の能力が万能すぎて物語としての緊張感が薄くなるのがよろしくない。 〈無〉の魔物ニルがもっと悪くて強力であれば良かったのかもしれない。
イカした言葉 「『こんな形で戦争が始まってしまうなんて』などという言葉ほど無意味なものはない。 人は誰でも、平和な時代のごくありふれた日常の中で、次の戦争の形をつくりながら生きている」(p266)
マルドゥック・アノニマス 7 著: 冲方丁
ハヤカワ文庫 2022年, 840円, ISBN978-4-15-031515-3 ナタリア・ボイルドは、ここで永遠に幸福であり続けるというわけか?
〈クインテット〉と乱入してきた〈誓約の銃〉との激戦の末、バロットたちに救出されたウフコックは、 イースターズ・オフィスのメンバーだったブルーの頭部が〈誓約の銃〉に囚われていることを知り、再び潜入した。 ウフコックの連絡に基づき、バロットたちは〈誓約の銃〉の本拠地で彼らを壊滅させる作戦に取り掛かる。 一方、ナタリアの精神世界に沈んでいたハンターはついに〈シザース〉の支配を逃れることに成功し、 再び〈クインテット〉を率いてマルドゥック市の権力闘争の中心を目指す新たな企図を描く。 そして、イースターズ・オフィスと協力者たちは市の腐敗の本丸たるオクトーバー社を抑えるための集団薬害訴訟を開始し、 ついに大規模な法廷闘争が幕を開ける。
統合人格評★★★ / SF人格評★★★ / ホラー人格評 ★
『マルドゥック・スクランブル』『マルドゥック・ヴェロシティ』に続くこの長大なシリーズは、 第7巻になっても終わりが見えない。 登場人物が多くて相関図は入り組んでいるし、かなり長く込み入ったカットバックを多用していることもあって、 ちょっと脱落しそう。これだけややこしいのにスムーズに読ませる作者の筆力はすごいのだが。 あとは、ガンファイトでも法廷戦でも、片方が華麗に圧勝することが多くて、カタルシス狙いのあざとさが 鼻につく感じもどうかな、と。
イカした言葉 「恐るべき相手に対して重要なのは、必要以上に恐れないことだ」(p333)
March, 2022
漆黒の慕情 著: 芦花公園
角川ホラー文庫 2022年, 680円, ISBN978-4-04-111985-3 どこまでも追いかけてくる呪い
塾講師として働く片山敏彦は絶世の美青年。幼いころより常に他人の視線を集めるだけでなく、 様々な過剰な想いを向けられることにも慣れている。 しかし、異様なストーカーに付きまとわれ、さらに教え子や同僚に常識を超えた危害が及ぶようになり、 片山は心霊案件を扱う事務所を経営する知人の佐々木るみを訪れる。 そのころ、事務所の一員である青木は近くの小学校に広がる「ハルコさん」なる怪異の解決にかかわっているのだが、 この2つの「呪い」には奇妙な共通点があった。
統合人格評 ★★★ / SF人格評 ★ / ホラー人格評 ★★★
『異端の祝祭』の続編。 前作に比べてなんか上手くなった気がするが、タイトルはダサくない?  また、誰が呪いの主なのかは序盤で読めてしまうので、盛り上がりには少々欠ける。 前作同様、呪われる側も内に隠してはいるけど結構な問題人物で、さらに事件が解決したあと、 呪う者と呪われる者の関係が切れるわけでなく、むしろ逆転するというのは珍しいかも。 今後もシリーズは続きそうだが、実は最も恐ろしい爆弾であることを自覚しているるみは そのうち本当に暴走してしまうのだろう。
イカした言葉 「べったりくっついてて、もうダメです」(p112)
AIロボットSF傑作選 創られた心 (原題: Made to Order) 編: ジョナサン・ストラーン (Jonathan Strahan) / 訳: 佐田千織 他
創元SF文庫 2022年(原典2020), 1360円, ISBN978-4-488-79101-8 AI、ロボット、有機生体―― “ヒトに造られしモノ”の競演!
ロボットや人工知能をテーマとする16編からなるアンソロジー
統合人格評 ★★★ / SF人格評 ★★★ / ホラー人格評 ★
チャペックの『R.U.R』が書かれてから100周年に編まれたアンソロジー。 これまでにアシモフの諸作をはじめとする多数の同テーマの物語が作り出されているが、 AIがいよいよ現実の世界で発達し、ロボットが製造業を超えて社会に進出しつつある現代において SF作家たちは、その意味付けを新たな想像力で再構築している。 本書に収められた多くの作品は、AIやロボットが社会やヒトとどう関わり、どのように変えていくのかを 解像度高く描いている。そしてピーター・ワッツ「生存本能」はさらにその先に手を伸ばす。
イカした言葉  単純なことさ。彼らはおれたちが道具であることを望み、おれたちはヒトになりたいんだ。(「エンドレス」p114)
旅書簡集 ゆきあって、しあさって 著: 高山羽根子, 酉島伝法, 倉田タカシ
東京創元社 2022年, 1600円, ISBN978-4-488-02854-1 ひとつ手紙を開くたびに、心は地上のはるか彼方に飛ばされる。 手紙を受け取るということは、もうそれだけで旅なんだ。 ―― 岸本佐知子(翻訳家)
3人の作家が、旅をしながらお互いに書簡を交わしあう。 地球上のどこかに隠された隙間を抜けた先にあるような、現実にはあり得ないが奇妙にリアルな街々で 彼らは尺度が歪んだ経験の数々とその感想を報告し、また、他の2人の手紙の内容に驚き、労りあう。 全くかけ離れているのに、何かが共有されている、そしていずれ自然にどこかで落ち合うに違いない旅程を、 27通の書簡と彼ら自身によるイラストや写真で描く。
統合人格評 ★★★ / SF人格評 ★★★ / ホラー人格評 ★★★
2012年から2014年にかけてウェブ上で連載された、 旅という非日常の経験の「非日常」を抽出してヒトの限界濃度まで煮詰めたような連作。 各人、今やクセの強いSFやら幻想小説のトップランナーだが、当時はデビューしたてで、その筆致は瑞々しい。 手紙にフリを仕込んではは、それを次の人が拾って広げたり曲げたりしていく連歌のような風情も楽しい。 結局、カッカピィって何よ。
イカした言葉  一人だけ置いて行かれた格好ですが、この先に行くことを許されるのはこの土地のものだけだよ、 と言われるのは、いつもけっして悪い気分ではないいんです。(「飛行機の街」倉田タカシp31)
スノウ・クラッシュ(上/下) (原題: Snow Crash) 著: ニール・スティーブンスン (Neal Stephenson) / 訳: 日暮雅通
ハヤカワ文庫 2022年(原典1992年), 各1080円, ISBN978-4-15-012354-3/978-4-15-012355-0 人類の未来は、ここから始まった。/これはSFか、それとも言語ウィルスか?
アメリカはグローバル化の末衰退しフランチャイズ化された都市国家のパッチワークになっている未来。 VR・ARベースでアバターを通じてアクセスする仮想空間「メタヴァース」を創出し基盤を書いたメンバーのひとりであるヒロは、 時代遅れになりつつある個人ハッカー稼業の傍らマフィアの経営するデリバリーピザ国家の高速配達人として働いている。 あるとき、彼はメタヴァース内で「スノウ・クラッシュ」なるドラッグ/ウィルスが友人をシステム的にダウンさせるだけでなく、 肉体的にも機能不全に陥らせるのを目撃する。 リアルでもヴァーチャルでも日本刀を巧みに操る凄腕剣士でもあるヒロは、ある事件で知り合ったハイテクスケボーで 高速道路を駆ける特急便屋の少女Y・Tとともに、世界を変容させようとする何者かとそれを防ごうとする勢力の 対立に巻き込まれ、やがてその焦点に近づいていく。
統合人格評 ★★★ / SF人格評 ★★★★ / ホラー人格評 ★★★★
2001年にハヤカワから刊行された作品の新版。その先見性から近年評価が高まる作者の諸作の中でも 「メタヴァース」という言葉を生みその在りようを鮮やかに描き出した本書に30年を経て時代が追いついた。 猥雑でアナーキーな世界像、現実世界と仮想空間を自在に駆け巡るスピード感、 竹槍やドローン兵器や旧ソ連の核弾頭が入り乱れる戦闘など、派手でポップでテンション高め。 かと思えばシュメール文明時代の言語/遺伝子的カタストロフに関する議論に結構なページ数が割かれたりする。 ところで、作中で語られる歴史を考えると舞台は2000年前後と思われ、現実はだいぶ置き去りになっているのだが、 日本企業や日本人ビジネスマンが幅を利かせている描写は、しみじみと時代を感じる。
イカした言葉  音の障壁(サウンドバリア)なんてクソくらえ。ガンガン騒ごうぜ。 (下巻p387)
February, 2022
心霊電流(上/下) (原題: Revival) 著: スティーヴン・キング (Stephen King) / 訳: 峯村利哉
文春文庫 2022年(原典2014年), 各1200円, ISBN978-4-16-791821-7/978-4-16-791822-4 妻子の凄惨な死に絶叫、神を呪う牧師の狂気
/ 電気に憑かれた元牧師は詐欺師か、魔術師か?
1960年代初頭、田舎町の大家族の末子である6歳の「僕」が出会った新任の牧師ジェイコブス。 電気と生命の関わりを研究していた彼は、愛する妻子を悲惨な事故で失った後、神を呪う説教を行って地域社会を震撼させ姿を消した。 そして20数年後、ヘロイン中毒ですべてを失ったギタリストの僕は偶然ジェイコブスに再会、 電気を使った奇跡のショーを行う巡回興行師となっていた彼は〈神秘の電流〉で僕の中毒と身体の不調を治療する。 その後も僕は人生の時々で、電気仕掛けの心霊治療で多くの信者たちと富を獲得しながら研究を深めるジェイコブスとかかわっていく。 彼の探求には更に神秘的な、しかし恐ろしい目的があることが分かってくるが、それでも僕は離れることができない。
統合人格評 ★★★★ / SF人格評 ★★ / ホラー人格評 ★★★★
完璧なキャラクター造形と完璧なプロットの完璧なホラー。 S・キングが書くのだから当然かもしれないが。約50年にわたる物語には、読者を不意打ちで驚かせるような仕掛けはないが、 道なりに歩いていくうちに、いつのまにかとんでもない高みで崩れそうな足場にいることに気づく。 冒頭の謝辞にメアリ・シェリーやラブクラフトの名前を挙げているがさもありなん。 見返してみるとこの読書録には、アンソロジーに収められた短編はいくつか取り上げているし、 評中にキングの名前を上げたことも多々あるのだが、本人の長編を取り上げるのは初めてだった。
イカした言葉 「クソ格好いい曲はみんなEから始まる。」(上巻p140他)
短くて恐ろしいフィルの時代
(原題: The Brief and Frightening Reign of Phil)
著: ジョージ・ソーンダーズ (George Saunders) / 訳: 岸本佐知子
河出文庫 2021年(原典2005年), 810円, ISBN978-4-309-46736-8
国民が一人しか入れない極小の〈内ホーナー国〉。その国民のうち6人は国土からはみ出して、 〈外ホーナー国〉の一時滞在ゾーンで肩を寄せ合って暮らしている。 〈外ホーナー国〉のフィルは、ある日、国境政策の強化を訴えて〈外ホーナー国〉国民を扇動し始める。 課税を口実に〈内ホーナー国〉国民に対する迫害をエスカレートさせながら、フィルは存在感を高めていく。
統合人格評 ★★★ / SF人格評 ★★★ / ホラー人格評 ★★
突拍子の無い設定、機械や植物が混合したような玩具っぽい登場人物たちの姿、 ユーモラスでボケ倒す語り口が示す通り「寓話」たるこの中編は、抽象的であるがゆえに 現実世界の歴史上や現代のあれこれを重ね合わせることができる。 自国民への称賛と他国民への蔑視を理路整然と自信たっぷりに語る(でも内容は空虚な)言説に流されて 迫害を正当化していく姿は空恐ろしい。「独裁者の最大公約数」(p153 単行本訳者あとがき)のフィルは たまたま時流にのって頭角を現すのだが、もっと頭が良ければさらに悲惨なことが起こったのだろう。
イカした言葉 「お脳、戻したほうがよかないですか?」(p52)
未踏の蒼穹
(原題: Echoes Of An Alien Sky)
著: ジェイムズ・P・ホーガン (James P. Hogan) / 訳: 内田昌之
創元SF文庫 2022年(原典2007年), 1200円, ISBN978-4-488-66328-5 『星を継ぐもの』の興奮再び! ハードSFの巨星が放つ傑作
数千年前に滅びた地球の本格的調査を始めた金星文明。地球人は見た目も遺伝子も金星人と同じなのだが、 金星人類が発生するより前に地球人類は滅びており、その類似は大きな謎として研究の対象となっている。 地球上の遺跡から、地球文明が戦争で破壊されたこと、彼らが重力と電磁気との関係や惑星進化のタイムスケールを誤解していた ことなどが分かってくる。調査チームの一員として地球を訪れた電気宇宙推進研究者カイアル・リーンは、 月面で発見された地球人が持っていなかったはずのテクノロジーの遺跡の調査を通じて謎に挑む。
統合人格評 ★★★ / SF人格評 ★★★ / ホラー人格評 -
地球とはかかわりなく進化してきたはずの金星人が容姿も文化・社会もほぼ現代地球人と同じ、 というところに読み始めは強烈な違和感があって、物語に入りづらかった。 それに、重力とは実は電気力から派生する効果だとか、惑星進化・生命進化のタイムスケールの考え方などの 物語世界の根本原理が相当に疑似科学的で、何らかの宇宙の原理の相転換が隠れているのかと思いきや... (しかもホーガン本人もこれを半ば信じていたらしい) これをハードSFと呼ぶのはどうかなぁと思う。 更に言えば、物語にはある悪人が登場して悪いことをするのだが、その顛末は表面的で、 さすがに本作は「傑作」とは言いづらい。
イカした言葉 「世界をより良い場所にするためにレンガを積む人生は、生きる価値のある人生だ」(p426)
January, 2022
残月記 著: 小田雅久仁
双葉社 2021年, 1650円, ISBN978-4-575-24464-9 ダークファンタジー×愛×ディストピア 息を呑む感動の超弩級エンターテインメント!
幼いころから月を恐れる大槻高志は、大学の准教授となり愛する家族と幸福な生活を送っているが、 家族と訪れたレストランで観た満月が裏返り別の現実に弾き飛ばされる。「そして月がふりかえる」
病死した叔母の形見である月を思わせる風景石。枕の下に入れて眠ると月に行けるがものすごく悪い夢をみるという。 関係の冷めつつある男との話の拍子に「私」はその石を枕の下に入れて眠ることになった。「月景石」
感染者は満月時に抑えきれない暴力性や身体能力・芸術的能力を発揮する”月昂“。近未来の独裁政権下の日本で、 月昂者たちは隔離され差別されている。あるとき月昂を発症した冬芽は、療養所に送られる代わりに、独裁者が密かに 開催する月昂者の闘技会に参加させられることとなる。彼は手に入ることのない愛と未来に手を伸ばして 権力者の戯れと運命に抗い続ける。「残月記」
統合人格評 ★★★ / SF人格評 ★★ / ホラー人格評 ★★★
異相の満月に照らされた3つの短編。いずれも、ふいに現実が裏返る物語だし、 月の異世界やローマの剣闘士を模した秘密のトーナメントとかのマンガか派手目な映画の題材だが、 軽薄な印象はまるでなく、静謐な叙情とかそういった印象。 描かれている本質は、失ったもの、手の届かないものに対する渇望やその先の諦念といった情念なのだろう。 いろんな書評者が激賞するのも分かる。
イカした言葉 「人を生かすのは楽しみなんかじゃないよ。恐怖だ。恐怖こそが人を生かすんだ」(「残月記」p355)
プロジェクト・ヘイル・メアリー(上/下)
(原題: Project Hail Mary)
著: アンディ・ウィアー (Andy Weir) / 訳: 小野田和子
早川書房 2021年(原典2021年), 各1800円, ISBN978-4-15-210070-2/978-4-15-210071-9 大宇宙に、たった一人 ―― 人類存亡を賭けた不可能ミッションに挑む宇宙飛行士  / ファーストコンタクトSFの大傑作。ほぼ現代のテクノロジーで、リアリティを損なわず、こんな面白い展開を作れるとはすごい。 野尻抱介(作家)
記憶喪失で昏睡状態から醒めたライランドは、断片的に蘇る記憶といくつかの手がかりから、 自分がいるのは宇宙船の中で、しかも太陽ではない恒星の軌道上にいることを知る。 やがて、太陽が急速に光量を落としていてこのままでは数十年以内に寒冷化により人類が滅亡しかねないこと、 その原因が宇宙で活動し太陽のエネルギーを食べる微生物であること、 同じ事象が観測される近傍の恒星のなかで唯一の例外であるタウ・セチを調査し解決策を見つけるミッションに 送り込まれたことを思い出す。 しかし、彼以外の乗組員は到着前に死亡しており、たった一人でこの困難なミッションに取り組まざるを得ない。 ところが、タウ・セチ星系に居るのは彼だけではなかったのだ。
統合人格評 ★★★★ / SF人格評 ★★★★★ / ホラー人格評 -
絶望的な状況に、どこまでも前向きでへこたれない主人公が立ち向かい、 深刻なトラブルが起きたら仮説と検証の繰り返しで原因をつきとめ、解決策を試行錯誤で生み出し実行する。 そして、『ドント・ルック・アップ』とは異なり 人類存亡の危機を科学者や政治家が正しくとらえ、世界が協力して成功するかどうかも分からない事業に資源をつぎ込む。 説得力のある科学技術描写(亜光速航法も現代科学ベース!)とポジティブでユーモアあふれる語り口はこの作者の持ち味で、 出世作『火星の人』をよりスケールアップしたクラシカルだけどSFはこうじゃなくちゃね、という佳品。 なんといっても、異星人とのファーストコンタクトとその後の展開は胸が熱くなる。 生命の基盤すら異なるのに、地球上の異国人同士でも無理な早さでコミュニケーションを確立するのはどうかとは思うが。
イカした言葉 「で、“彼”は相対論をすごいものにしてくれたと思ってるんです。そう思いませんか?  早く進めば進むほど経験する時間が少なくなる。まるで“彼”がぼくらに宇宙を探検しろと いってるみたいじゃないですか。」(下巻p81)
ヌマヌマ  はまったら抜けだせない現代ロシア小説傑作選 編訳: 沼野充義・沼野恭子
河出書房新社 2021年, 3200円, ISBN978-4-309-20840-4 これこそは我々のロシア文学関係の仕事のど真ん中だ。
ロシア文学研究者・翻訳者として知られる沼野夫妻がピックアップする、 12人の作家による12編からなる現代ロシアの多彩さを示すアンソロジー。
統合人格評 ★★ / SF人格評 ★ / ホラー人格評 ★
沼野充義さんといえば、ロシアや東欧のSFや幻想小説翻訳の第一人者で、 これまでにも何作も読ませてもらってきたし、目立つ愛らしい装丁もあって購入したのだが、 ちょっと難しいというか僕の感性では焦点が合わない感じ。 SFや幻想の要素が少ないし、ロシアの文化や歴史になじんでないとこれらのヘンテコな作品群には没入できないのかも。