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小説評論もどき 2006下半期 (14編)


私の読書記録です。2006年7月分-12月分で、上の方ほど新しいものです。 「帯」は腰帯のコピー。評価は ★★★★★ が最高。

December, 2006
永遠の戦士エルリック5  夢盗人の娘
(原題: The Dreamthief's Daughter)
著: マイクル・ムアコック (Michael Moorcock) / 訳: 井辻朱美
ハヤカワ文庫SF 2006年(原典2001), 920円, ISBN4-15-011589-3 新三部作、堂々開幕!
エルリック・サーガ後期3部作のスタート
ナチスの台頭による狂気の火種がくすぶりはじめた時代のドイツ。地方の領地を治める貴族の血統、 フォン・ベック伯ウルリックは白子・紅目の虚弱な若者であった。 彼の一族には代々〈鴉の剣〉レーベンブランドという黒い大剣が伝えられているが、ある日、 SS将校となった従兄ゲイナーが訪れ、レーベンブランドと、 フォン・ベック家が守護しているはずの聖杯をヒトラーに引き渡せと迫る。 それを断ったウルリックは捕らえられ囚人となるのだが、獄死寸前の彼の手に突然レーベンブランドが出現し、 その異様な力で看守らを殲滅してしまう。 収容所から逃れたウルリックはウーナという不思議な娘に助けられると、彼女の導きでゲイナーをかわし、 地底にある広大な異世界に足を踏み入れる。 そこで、多元宇宙の真相に触れたウルリックは、自分の分身であるメルニボネのエルリックと共に、狂った〈法〉の女神や、 彼ら〈上方世界の神々〉を操ろうと画策するゲイナーとの、夢幻の諸世界を舞台とした戦いに身を投じることになる。
統合人格評 ★★★ / SF人格評 ★★★ / ホラー人格評 ★★
エルリック・サーガ開始から30年たって開始した後期3部作は、現実世界を取り込んで、 より成熟したファンタジーへと成長を遂げた。 英国をほぼ落としかけたドイツ軍が、アレに撃退されるあたりのビジョンは非常に面白いのだが、 多元宇宙を駆けめぐるところは、なんというか幽玄すぎる印象があるね。 後続する作品でしっくりはまっていくのかな?
マルドゥック・ヴェロシティ (1 / 2 / 3) 著: 冲方丁
ハヤカワ文庫JA 2006年, 各680円, ISBN4-15-030869-1/4-15-030870-5/4-15-030871-3 楽園の解体、覚醒する虚無 / 腐食の血、拮抗する狂気 / 灼熱の暗黒、失墜する魂
『マルドゥック・スクランブル』の前日譚とエピローグ。 ボイルドが虚無の爆心地へ身を投じるまでの物語。
戦争で心身に回復不能な傷を負った兵士を素材として実験的な軍事技術の開発を行う研究所。 投与された覚醒剤の中毒になり自軍を爆撃した過去/内なる虚無を抱えたボイルドは、擬似重力をコントロールする装置を移植され、 万能兵器存在で人間並の知能を持つネズミ・ウフコックをパートナーとして新しいキャリアを生きようとしていた。 戦争が終結し、危険なテクノロジーの結晶である被験者らは研究所ごと廃棄されそうになるが、 研究所を統括する3人の博士達の働きにより、新しい道が示される。 その中の一つ、社会の底辺から個人の幸福/生命を保全し自らの有用性を証明する道を選んだボイルドと それぞれ特殊な武装を内蔵する11人の被験者達は、マルドゥック市へ導かれる。 この道を提唱した3博士の1人クリストファーが彼らの活動の根拠として成立を図った法案の名前そのままに 「09法案」と呼ばれることになったボイルド達は、やがてマルドゥック市の暗部を支配するネイルズ・ファミリーと、 彼らとつながる正体不明の拷問・暗殺のプロ集団「カトル・カール」と激突することになる。 しかし、それは、都市そのものの悪意が「09法案」を押しつぶそうとする先触れでしかなかった。
統合人格評★★★ / SF人格評★★★★ / ホラー人格評 ★★★
趣向を凝らしたワン・アンド・オンリーの異能力者/超能力者の集団が闘いを繰り広げる、 といえば少年マンガ、アメコミ、山田風太郎の忍者小説でおなじみの構図。 敵役であるカトル・カールのメンバーの奇形ぶりは、『ベルセルク』の使徒達を思わせるが (余人には取扱不能の巨大な武器を振るい、黒い狂気に魂を焼き尽くされるぎりぎりの所で踏みとどまろうとする大男が 主人公という点でも通じるモノはあるね)、その造形や彼らとの激闘の経過がけっこう乱雑だし、 前作ではその熱気にピッタリあっていた(関西弁で言う)「イキった」文体も今作では上滑りしている印象があった。 ところが3巻の中盤以降で、その印象は覆される。 前作でも語られた、ボイルドとウフコックが決別する原因となった事件の本当の意味・隠された視座が明らかになったとき、 前作も含めた物語全体が別の様相を示すことになるのだ。その技の鮮やかさに、改めて作者の力と熱を感じた。
November, 2006
ラヴクラフトの世界 (原題: Return To Lovecraft Country) 編: スコット・デイヴィッド・アニオロフスキ (Scott David Aniolowski) / 訳: 大瀧啓裕
青心社 2006年(原典1997), 1200円, ISBN4-87892-326-1 ラヴクラフト・カントリイの旅へ
ラブクラフトが、 陰鬱な小説の舞台として幾度となく描いたニューイングランド一帯。彼の創出したクトゥールー神話の断片が題材とした、 禁断の書や禍々しい存在が潜むこの地にまつわる物語のアンソロジー。
統合人格評 ★★★ / SF人格評 ★★★ / ホラー人格評 ★★★★
正直に言うと、掲載された小説の作者はあまり知らない人ばかり。 『復活の儀式』のT.E.D クラインくらいかな。 でも、クトゥールー神話愛好家であれば非常に楽しめる(そうでなければ面白くないかも)レヴェルの高い作品ぞろい。 同種のアンソロジーとしては『インスマス年代記』が あるが、本書の方が面白いかな。 巻末で爆発する訳者の大瀧氏の偏屈マニアぶりは、失礼ながら、ちょっと余分な感じ。
狂嵐の銃弾 (原題: Bullets OF Rain) 著: デイヴィッド・J・スカウ (David J. Schow) / 訳: 夏来健次
扶桑社ミステリー 2006年(原典2003), 876円, ISBN4-594-05224-X 荒れくるう嵐と銃弾 ホラー界の鬼才が放つ驚天動地のスリラー
妻に先立たれた傷の癒えない建築家アートは、カリフォルニア近郊の浜辺に建つ 自らがデザインした要塞のような館で愛犬とともに隠遁生活をしている。 かつてない巨大なハリケーンが近づくが、自宅の堅牢性を確かめるため避難しないことにしたアートを、 突然旧友が訪れ殺人の告白をして去っていく。 その体験が現実か幻覚か動揺する彼の前に、近隣で行われているパーティーの場から迷い込んだという美女スーザンが現れる。 彼女を会場となる邸宅に送り届けたアートは、ハリケーンの危険を省みず行われている退廃的なパーティーを仕切り、 参加者をカリスマ的に支配する正体不明の男プライスに出会う。 行きがかり上、パーティーに参加したアートだが、次第に参加者達の言動が常軌を外れていき、 情況が思わぬ方向にズレていくことに困惑する。 暴風雨の脅威が強まる中、得体の知れない暴力と銃撃に彩られた週末が始まる。
統合人格評 ★★★ / SF人格評 ★ / ホラー人格評 ★★★
バイオレンス系のスリラーなのだが、ただのソレなら余程のことがなければ読まない。 後書きや幾つかの書評で過剰なネジレ具合が吹聴されていたことと、 作者がスプラッタ・パンクの推進者であることもあって手に取ってみた。 確かに突き放したような独特の描写や、小説ならではのある大仕掛けは面白い。 が、チャック・パラニュークあたりの過激さと較べればそれほどでもない気もするよね。
イカした言葉 「もしこちらで他人に見られたくないようなものがおありでしたら、 わたしたちが戻ってくる前にかだづけておいてください。よろしいですね?」(p305)
邪魅の雫 著: 京極夏彦
講談社ノベルズ 2006年, 1600円, ISBN4-06-182438-4 連続する毒殺事件にあの男は……?
江戸川の河原で発生した商社員毒殺事件の捜査に携わる警察官青木。 この事件は、大磯の海岸で起きた名家の子女である女学生、平塚のアパートで起きた身元不明の女性の毒殺事件を 含めた連続殺人らしいのだが、被害者間には何の関係も見あたらず、かといって無差別とも思えないこれらの事件を 「連続」と断ずる上層部の動きが腑に落ちない青木は、博覧強記の古書肆中禅寺を訪れる。 一方、旧華族の奇人探偵榎木津の押しかけ部下益田は、榎木津に対して持ち上がった縁談話が次々と消えていく 原因の調査を依頼される(当然、榎木津自身は縁談話にも依頼にも興味などない)。 相手の一人の家族が大磯で殺された女学生なのだが、それがどう関係するのかは見えてこない。 益田も、中禅寺を訪れ、彼の旧友である榎木津の過去の女性関係を質問する。
その後も、平塚・大磯を舞台に、一見デタラメに毒殺死体が増えていく。 存在しないはずの毒物だけが共通し、しかも、それぞれの事件は互いに関係がありそうでいて 全体としては全く意味不明という状況に警察の捜査は混乱を極める。 そんな中、探偵榎木津が何かを求めて大磯に姿を現す。 そして、壊れた男達の奇妙に歪んで重なり合う「世間」に取り憑いた妖怪、 邪魅を落とすために漆黒の衣装をまとって中禅寺が登場する。
統合人格評 ★★★ / SF人格評 ★ / ホラー人格評 ★
忘れた頃に世に出てくる京極堂シリーズの最新刊。 今回スポットライトが当たるのは、個人でも家族でも社会でももちろん世界でもない「世間」という不思議なモノ。 さて、これは「世間」を誤って捉えてしまった壊れた男達の物語だ。 しかし、今回の憑き物落としは、実は成功していないのではないか? 中禅寺の「世間話」で事件は見事に解釈されているが、解体には至っていない。あの女性は囚われたままだ。 惨劇の種を投げ込んだ悪意の源泉は、この小説世界の枠から遠く離れた所にいる「あの男」だからだ。 そのことは中禅寺は自覚しているし、榎木津もおそらく識っている。その意味でも鬱屈した読後感。
イカした言葉 「考えるなとは云わんよ。考えたほうが良いに決まっちょる。だが信じ込むのは危険なのだ。」 (p239) この言葉の主である老刑事が渋い。
October, 2006
永遠の戦士エルリック4  ストームブリンガー
(原題: The Bane Of The Black Sword and Stormbringer)
著: マイクル・ムアコック (Michael Moorcock) / 訳: 井辻朱美
ハヤカワ文庫SF 2006年(原典1977), 960円, ISBN4-15-011579-6 ヒロイック・ファンタジイの最高峰
エルリック・サーガ4冊目、エルリック編最終巻。
商都バクシャーンで豪商間の勢力争いから暗殺を依頼されたエルリック。意に沿わぬ依頼だったが、 ターゲットである商人ニコーンを仇敵の魔術師セレブ・カーンが護衛していることを知り、 自らが滅ぼしたメルニボネ帝国で彼の側近であったダイアム・トヴァーに力を借りてニコーンの居城を急襲する。 しかし、そこにはセレブ・カーンの罠が待っていた。「魂の盗人」
呪われたトルースの森で、ザロジニアという乙女を救ったエルリック。たちまち恋に落ちた二人は彼女の故郷へ向かうが、 その途上でオルグ人に襲撃を受ける。「闇の三王」
ザロジニアと結婚し、彼女の故郷カーラークで束の間の平安を楽しむエルリック。 しかし、東の地から〈炎の運び手〉を名乗る元盗賊に率いられた蛮族の軍隊が迫ってくるという知らせが入る。 強力な魔法と凶暴な兵力で各地を略奪し荒野に変えながら進む〈炎の運び手〉を迎え撃つべく、 エルリックは再び魔剣ストームブリンガーを手にする。「忘れられた夢の隊商」
最愛の妻ザロジニアが謎の魔物にさらわれた。彼女を探すエルリックが行く先々で触れる予言には、 近づく大きな戦乱と、彼の運命がそこに深く係わっていることが仄めかされていた。 一方、西大陸の強国ダリジョールが魔術師ジャグリーン・ラーンと手を組んで、世界征服に乗り出そうとしていた。 〈混沌〉の神々とこの世ならざる軍勢を召喚した彼らは、自身も人としての姿を失いながら、 恐るべき勢いで世界を〈混沌〉の異形に塗りつぶしていく。 本来〈混沌〉に仕える身ながら、エルリックは世界と未来を守り〈法〉とのバランスを取り戻すために、 勝ち目のない戦いを続けるが、それは彼の悲劇的な最期へと至る道であった。「ストームブリンガー」
統合人格評 ★★★ / SF人格評 ★★★ / ホラー人格評 ★★
遂に、エルリックの世界で〈混沌〉と〈法〉の最終闘争が始まり終わる。 ここまで、どちらかというと個人的な悩みや矛盾が語られていたが、 最終作「ストームブリンガー」で急にスケールアップした展開を見せる。 最後まで、いろんな意味で矛盾したヒーローであったエルリックは、僕にとっては 正直感情移入はしにくいキャラクターだったが、この世界観を含めた「原型」的物語のパワーは楽しめた。 まだエルリック・サーガ自体は続くのだが、とりあえず一段落ということで総括的意見。
怪奇小説傑作集 (1~3(英米編)、4(フランス編)、5(ドイツ・ロシア編)) 【新版】 編: 平井呈一(1巻)、宇野利泰・中村能三(2巻)、橋本福夫・大西尹明(3巻)、青柳瑞穂・澁澤龍彦(4巻)、 植田敏郎・原卓也(5巻)
創元推理文庫 2006年(初版1969年), 860円,840円,920円,1000円,880円, ISBN4-488-56401-1/ 4-488-50106-0/ 4-488-50107-9/ 4-488-50108-7/ 4-488-50109-5/ 4-488-50110-9 「怪奇幻想小説についての入門書として高く評価され愛され続けてきた」紀田順一郎
「本書はわたしにとって怪奇小説に開眼するきっかけを得た記念すべき1冊である」荒俣宏
「本全集との出逢いによって総てが始まり、あれよという間に西欧怪奇小説の豊穣な世界へと導かれた」東雅夫
「私たちはひたすら面白がりながらこの一巻を読めばいい。」出口裕弘
「君を眩暈と陶酔の世界に、歓喜と恐怖の世界に誘おうと、すぐそこで待ちかまえている。」沼野充義
1969年に世に出て以来、世界の怪奇小説の沃土を顕し、 数多くの読者に道を示してきたこの世界の伝説的全集。古今東西の怪奇幻想小説の名作63編を収録。
統合人格評 ★★★★ / SF人格評 ★★ / ホラー人格評 ★★★★
いまだ旧版が普通に書店で流通しているというのも驚異的な、 このジャンル読者必携の大アンソロジー。ではあるのに恥ずかしながら未読だったので、新版刊行をきっかけに挑戦。 このアンソロジーにならって後に編まれた『日本怪奇小説傑作集』と同じく、 この領域を歩く以上は最低限の教養であることを痛感した。 「パンの大神」(1巻)など、いたるところで題名を聞くのに内容は今まで知らなかった作品に触れられたのは大きい。 しかし、歴史的価値はともかく、物語としては既に古さびてしまっているのも多い。 というのは、私が読者として未熟がゆえの印象かも。
September, 2006
ニュートンズ・ウェイク (原題: Newton's Wake) 著: ケン・マクラウド (Ken MacLeod) / 訳: 嶋田洋一
ハヤカワ文庫SF 2006年(原典2004), 920円, ISBN4-15-011573-3 読者諸兄に警告する。乗り遅れるな! 本書は最高速で突っ走る21世紀型最新鋭スペース・オペラなのだ。  堺三保氏激賞
第3次世界大戦のさなか、米国の軍事AIが自我を獲得したときにネット接続していた人々は、 強制的にアップロード〈強制昇天〉され、さらに急速に進化し〈後人類〉となり宇宙に広がり、 そしていずこへともなく姿を消した。 その後、瓦礫のなかから再興を遂げた地球人達は、〈後人類〉が遺した超技術をサルベージしながら宇宙へと進出していた。 その主な勢力の一つで、〈後人類〉の遺物である銀河中に張り巡らされたワームホール網を支配する「カーライル家」 の一員ルシンダが、新たなゲートを抜けて探索に訪れた惑星エウリデュケ。 そこには、AIと戦いから逃れ、その後の人類の発展を知らないままに孤立した文明を築いた人々が暮らしていた。 しかし、同時にルシンダは、エウリデュケ上の謎の遺跡を刺激してしまい何かを目覚めさせてしまう。 そして、発見されたこの新しい文化圏を目指して、〈後人類〉の技術を研究し独自の宇宙観を発達させた「啓蒙騎士団」、 AIを避け惑星上で農業を展開する「アメリカ・オフライン」、北朝鮮発祥の主体思想を奉じる共産主義者の「DK」 がやってくる。エウリデュケの政治的マイノリティの闘争などもあり混迷の度合は、深まる一方で...
統合人格評 ★★★ / SF人格評 ★★★ / ホラー人格評 ★
最近勢いのある、イギリスSF界のニュー・スペースオペラの一つ。 〈特異点(シンギュラリティ)〉という概念を軸に大風呂敷を広げる面白さはこのジャンル共通だが、 本作については、設定オンリーと言ってしまえばそれまでで、基本的にはスラプスティック・コメディ。 ダン・シモンズの『ハイペリオン』シリーズを彷彿とさせるところはあるが、ちょっと野暮ったい。 といっても較べる相手が悪すぎるか。
イカした言葉 「昔の音楽ファンがいちばん望まないのは、カリスマが復活してきて新しい音楽を作ることなんだから」(p75)
ヘルファイア・クラブ (上・下) (原題: The Hellfire Club) 著: ピーター・ストラウブ (Peter Straub) / 訳: 近藤麻里子
創元推理文庫 2006年(原典1996), 各1180円, ISBN4-488-59305-4/4-488-59306-2 幻の作家の代表作に秘められた謎 それに魅入られた彼女に迫る魔手! /
殺人鬼から逃れ、過去の迷路の中 彼女は闇のパズルを組み立てる
ウェスターホルムの町は、女性ばかりを狙った連続殺人に怯えていた。 そんななか、元看護婦のノラの友人ナタリーが大量の血痕を残し自宅から行方を消した。 ノラはまた、義父オールデン・チャンセル — 半世紀前にヒューゴー・ドライヴァーが書いた ベストセラーファンタジー『夜の旅』の出版社チャンセルハウスのオーナー — が 彼女の夫デイヴィーを強権的に支配して縮こまらせていることに反感を持っていた。 ナタリーの失踪からしばらくして、ノラの人生を奈落に落とす事態が連続して起こる。 全てが失われようとするなか望まぬ逃避行を強いられた彼女は、連続殺人鬼やFBIなどに追われながら、 1938年の夏にある避暑地に集まったドライヴァーを含む文学者達の間で起きた女流詩人の失踪事件と、 そこに端を発する『夜の旅』とチャンセルハウスに秘められた謎へと近づいていく。
統合人格評 ★★★ / SF人格評 ★★ / ホラー人格評 ★★★
ストラウブは巧いなあ。この物語の核心である幾つかの事件の真相は実にショボい。 しかし、ショボい核に巧い語りを巻き付けていけば、抜群の物語ができあがる。 ストラウブ自身がその辺の構造を意識しているのは明らかで、語り手としての自信が憎たらしい。 さて、この物語における超自然的な何かの有無についてここで触れることはできないのだが、 連続殺人鬼の祝福のされかたといい(悪く言えば「ご都合主義」なのだが)、ある種の魔法がやはり根底にあり、 全体的に独特のファンタジーの香りが漂う作品になっている。 背表紙の粗筋は書きすぎ、だけどネタバレを避けると上の様なわかりにくい紹介になってしまううんだよね。
イカした言葉 「言葉を替えれば、あの人はあなたを飼っているのよ」(上巻p296)
August, 2006
進化論異形コレクション 監修: 井上雅彦
光文社文庫 2006年, 819円, ISBN4-334-74116-9 梶尾真治「エマノン」新作!
第36弾は異形なモノどもの進化を描く18編
統合人格評★★★★ / SF人格評★★★★ / ホラー人格評 ★★
テーマが「進化論」となれば、どうやったってSF濃度が高くなってしまう。 というか、ホラー要素皆無の作品がほとんどなのだが、どの作品もハズレなし。 本巻は、恐ろしく立派なSFアンソロジーとして賞の一つ二つとってもおかしくない完成度で、 それぞれの物語の豊穣なる多様さそのものがタイトルにふさわしい。いや、傑作だと思います。
月光とアムネジア 著: 牧野修
ハヤカワ文庫JA 2006年, 600円, ISBN4-15-030859-4 三時間前のことは何も憶えちゃいない……  記憶と言語の混濁が生み出す複雑怪奇幻想長編
かつては県警の猛者として知られていた漆他山は、レーテ性認知障害症候群を患い入院していたところ、 広域犯罪組織〈ホッファ窯変の会〉の暗殺者、町田月光夜の捕獲を命じられる。 60年以上にわたり活動を続け、姿ばかりか年齢・性別すら不明の伝説的殺人者が、 〈レーテ〉を踏破し軍事的緊張関係にある他県に逃亡しようとしているというのだ。 突如半径10数キロの範囲を覆う自然現象〈レーテ〉の中では3時間毎に記憶がリセットされ、 長期間曝されると重篤な認知障害を引き起こすため、〈レーテ〉を経験し多少の免疫を持つ者達で 編成される部隊が送り込まれることになったのだが、突入した12人のメンバーは原因不明の同士討ちにより数を減らす。 そんな中、彼らはこの天災に巻き込まれた少女を発見する。 どうやらメンバーの中に〈窯変の会〉の潜入者がいるらしく、 それどころか月光夜その人が紛れ込んでいるのではないかという疑いまで出てくる。 混乱を増す状況の中、漆は何とかして生き延びるべく奮闘するのだが...
統合人格評 ★★★ / SF人格評 ★★★ / ホラー人格評 ★★
なぜか記憶の混乱を題材にした小説が続く。こちらは話そのものは非常に明解なのだが、 牧野流のグロテスクな言語造形と世界構築がキモ(一応断っておくと、読み始めて直ぐに分かるが異世界ファンタジーだからね)。 多少、きれいにまとまりすぎるかなという感じはするけれど牧野修のこの方向の話は久しぶりなので嬉しい。
イカした言葉 「メルヘンであるな」(p172)
カオスコープ 著: 山田正紀
東京創元社〈創元クライム・クラブ〉 2006年, 1800円, ISBN4-488-01213-2 「虚ろな男」の周囲で起きる異様な殺人
脳に甚大な障害を受けているらしい鳴瀬君雄の記憶は様々な場面を酔歩する。 その中で、彼は自宅で父親と思われる凄惨な他殺死体を発見したばかりか、ちょうどそこに 「万華鏡連続殺人事件」を捜査中の刑事が聞き込みにやって来る。 朦朧とさまよう記憶の迷路の中で、鳴瀬は自分が一連の事件の犯人なのかどうか思い悩む。 一方、「万華鏡殺人事件」を捜査中の刑事鈴木。ふとしたことからビルの屋上からの墜落事故、 何でもないはずの事故が見かけとは違う異様な何かの断片であることに気が付く。 二人の軌跡が交わるとき、きな臭い陰謀と「カオスコープ」が姿を現す。
統合人格評 ★★★ / SF人格評 ★★★ / ホラー人格評 ★
混乱した記憶を題材にとった、山田ミステリとしてはおなじみの、というか、いつものテイスト。 正直言ってこのトリックではミステリとは言い難くて、SFの仕掛けのサスペンス、というところ。 作者がある映画にインスパイアされて書いたと語るとおりで、 そこに思いいたり、さらに過去の山田作品を読んでいれば構造は分かるが、それにしても強引だ。
イカした言葉  喉をかっ切られた人間はなにより死ぬことに忙しい。それ以外のことは何もする余裕がない。(p81)
July, 2006
永遠の戦士エルリック暁の女王マイシェラ
(原題: The Vanishing Tower and The Revenge Of The Rose)
著: マイクル・ムアコック (Michael Moorcock) / 訳: 井辻朱美
ハヤカワ文庫SF 2006年(原典1977,1991), 960円, ISBN4-15-011570-2 雪原にそびえる古城のなかただひとり昏々と眠り続ける美女の正体は……!?
エルリック・サーガ3冊目。
宿敵の魔術師セレブ・カーナを追うエルリックは南方大陸の雪原にそびえる城のなかで眠る美女、 〈法〉に仕える女王マイシェラを見いだす。彼女は、セレブ・カーナが彼方の地の〈混沌〉の勢力と手を組んで、 エルリックを倒し世界を手に入れようとしていることを告げる。 〈混沌〉に仕える身ではあるが、エルリックはマイシェラに手を貸すことにした。「暁の女王マイシェラ」
エルリックは竜に導かれた次元の狭間で、死んだ父親の霊に会う。父親は彼に、自分の魂を収めた薔薇の小箱を探すように求める。 仕方なく探索に出たエルリックは、次元の旅人である英国詩人のウェルドレイクや、女戦士〈薔薇〉、 千里眼のファット一家らとともに時を超え次元を渡り幾つもの奇怪な世界を訪れる。 小箱をもっているという3姉妹を追う彼らは、〈混沌〉の神々の勢力争いがこの探索行に影を落としていることを知る。 「薔薇の復讐」
統合人格評 ★★★ / SF人格評 ★★★ / ホラー人格評 ★★
だんだん世界描写のSFっぽさが増してきた感じがする。 特に、「薔薇の復讐」はシリーズ刊行開始から20年を経て書かれたエピソードで、ムアコックの円熟の描写は、 宇宙の中で重なり合う世界の夢現を華麗に現出させていて、ヘンテコな構成だけど嫌いではない。 でも、セレブ・カーナとの争いは、そもそもの発端が、恋慕する相手がエルリックに心惹かれたことに セレブ・カーナが嫉妬してちょっかいを出し、それが気に入らないエルリックがしつこく彼を追い回すという構図で、 そんなことに沢山の人達が巻き込まれて命を落としたりすることとのギャップが苦笑を誘ったり。どうなのかね。
シンギュラリティ・スカイ (原題: Singularity Sky) 著: チャールズ・ストロス (Charles Stross) / 訳: 金子浩
ハヤカワ文庫SF 2006年(原典2003), 940円, ISBN4-15-011567-2 英国SF界に新星登場!
突如出現した超AIエシャトンにより人類の大半が強制的に様々な星系に移住させられてから2世紀。 テクノロジーを厳しく制限する新共和国の辺境惑星ロヒャルツ・ワールドに、フェスティヴァルが到来した。 フェスティヴァルはロヒャルツ・ワールドに電話を雨のごとくばらまき、それを通じてほぼ無償で全住民の個人的希望を叶えはじめ、 体制はあっけなく崩壊した。 この奇妙な侵略者に対し新共和国皇帝は主力艦隊の派遣を決定する。 艦隊は戦略的優位に立つ為に超光速機関による因果律侵犯を作戦に組み込んでいるのだが、 それはエシャトンが厳罰を持って禁止している行為だった。 その無謀な行為に気づいた地球の国連は特別査察官レイチェルをオブザーバとして艦隊に同乗させる。 また、超光速機関のアップロードを請け負った地球人技師マーティンも乗艦しているのだが、 彼らはそれぞれ秘密の任務も抱えていた。その頃、混乱の度を増すロヒャルツ・ワールドに フェスティヴァルから奇怪な来訪者が降り立とうとしていた...
統合人格評 ★★★ / SF人格評 ★★★★ / ホラー人格評 ★
SFマガジンに掲載された『アッチェレランド』の 高密度・高速度の文体に注目していた英国の俊英ストロスの長編デビュー作。 革命的なテクノロジーやイデオロギーにより、社会・経済が過去とまったく異なる様相に変化する 特異点=シンギュラリティ後の世界を、旺盛なイマジネーションで描く。 そのサービス精神や佳し、なのだが、若書きの感じは否めなくて、 舞台転換の分かりづらさや構成の荒さは目立つ。エシャトンが結局の所何なのかよくわからなかったり。
イカした言葉 「だいじょうぶよ。テーブルクロスっていうのはこれを隠すためのものなんだから」(p96)