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小説評論もどき 2006上半期 (15編)


私の読書記録です。2006年1月-6月分、上の方ほど新しいものです。 「帯」は腰帯のコピー。評価は ★★★★★ が最高。

June, 2006
無痛 著: 久坂部 羊
幻冬舎 2006年, 1800円, ISBN4-344-01158-9 人を殺せば殺すほど、罪に問われぬ人がいる。
神戸の街角で小さな診療所を営む医師の為頼は、 外見を一瞥するだけで人の病状とその治癒可能性を見抜く能力を持っている。 為頼の能力に気づいた精神障害児童施設の臨床心理士高見菜見子は、ある相談を持ちかける。 それは、施設にいる少女サトミの告白 — 教師一家惨殺事件の犯行の自白 — が真実か どうか確かめて欲しいというものだった。また、菜見子にはもう一つ、 自分の不遇を全て他人と社会のせいにし嫉妬する性格異常者の元夫によるストーカー行為という悩みもある。 一方、富裕層をターゲットに医療保険制度の枠を超えた最先端医療を提供する巨大病院を経営する 天才外科医白神も為頼と同じ能力を持っていた。彼は、「痛み」を軽減する研究を行っており、 その目的から先天性無痛症の青年イバラを病院内の作業員として雇っている。 事業拡大の為に為頼の力が欲しい白神。菜見子に為頼が近づくことに嫉妬し異常な行動に出る元夫。 サトミの告白を知り、彼女と彼女を診た為頼に事情を聞こうとする刑事。一連の事件は大きく展開する。
統合人格評 ★★★ / SF人格評 ★★ / ホラー人格評 ★★★
そうとは知らず読んだが、これは貴志裕介『黒い家』を彷彿とさせる立派なホラー小説だ。 関西で小学校に乱入し複数の児童を殺傷したあの男をモデルとする登場人物が出てくるし (登場人物とその男の間には決定的な違いがあるのだが)、心神喪失者を罰しないとする刑法第39条の悪用・乱用もテーマであり、 信じがたい事件が頻発する現代日本の住人にとって心穏やかでいられない。 そして、物語はそこを超えて異様な領域へと向かっていく(なのでSF人格評が★2つ)。クライマックスの「痛い」こと。 最後に姿をくらますあの人はきっとレクター博士のような存在になっていくんだろうなぁ。続編予定あり?
イカした言葉 「それでは、はじめます」(p376)
ネクロノミコン  アルハザードの放浪 (原題: NECRONOMICON: The Wanderings of Alhazred) 著(訳?): ドナルド・タイスン (Donald Tyson) / 訳: 大瀧啓祐
学研 2005年(原典2004), 2500円, ISBN4-05-402948-5 禁断の書、開封!!
クトゥールー神話の諸作の中でたびたび引用される、 禁断の魔道書「ネクロノミコン」。 命を拒む荒涼とした大砂漠や、ヒトでないモノの築いた知られざる遺跡の点在するアラビア半島を 彷徨した狂えるアラブの詩人が、そこで得た忌まわしい智慧と恐るべき世界の実相を記した本書は、 何度となく禁書とされ焚書になりながら1000年の時を超えて呪われた知識を伝えてきたのだ。
統合人格評 ★★★ / SF人格評 ★★★ / ホラー人格評 ★★★
H・P・ラヴクラフトが創出したクトゥールー神話体系において扇の要たる「ネクロノミコン」は、 当然ながら架空の書物なのだが、これを現実の物とする試みは何度かされていて、本書もその一つ。 したがって、マニア以外にはなんら価値のない本と言っていいだろう。 それはそれとして、記述が平易で明解にすぎないだろうか。禁断の魔道書であるからには 暗号と象徴に彩られた難解なもの想像するのだが、これでは「アラビア半島神秘スポット紀行」というタイトルが似合う。 それから、地動説を前提とした箇所が沢山でてくるのだが、時代背景を考えるなら、それそのものが禁断の知識であり、 もっと勿体ぶった書き方がされていても良さそうだ。労作であることは否定しないけれど。
イカした言葉  何も信じるな。誕生に目的はなく、人生に魂の救済はなく、死後に報いはない(p23)
翼とざして アリスの国の不思議 著: 山田正紀
カッパ・ノベルス 2006年, 800円, ISBN4-334-07632-7 これは、毒か。いいや、愛だ。
1970年代、夏。数名の若者からなる右翼団体にどこかひかれるものを感じ参加している女子大生の綾香は、 彼らとともに南洋の無人島、鳥迷島に上陸する。中国・台湾と日本が領有権を主張しあうこの島に、 手製の灯台を設置するのが目的だ。 ところが、上陸早々、綾香は一緒にメンバーとなった友人を、 “自分自身”が断崖から突き落とすところを目撃してしまう。 それは、奇妙に現実感を欠く島で連続する惨劇の始まりに過ぎなかった。
統合人格評 ★★★ / SF人格評 ★ / ホラー人格評 ★
この秋刊行予定の『サスペンス・ロード(仮題) アリスの国の鏡』との2部作となる、 「アイデンティティの揺らぎ」「サスペンス、スリラーがどこかで本格ミステリーへと飛翔する至福の瞬間」 (いずれも著者あとがきより)を目指した挑発的ミステリ。 島が何故か白日夢的なのは○○が○○していて、とか、一連の事件の動機がアレで、とかは、 ミステリ的ではない気もするが、それが狙いなのでは仕方がないか。 ポイントは「サソリ」と「サソリの寓話」というところかな。メンバーの中にサソリがいます。
イカした言葉 「頼まれなくてもするから義務というんであってね、頼まれてするのは義理という。ご存知ですか」(p72)
永遠の戦士エルリックこの世の彼方の海
(原題: The Sailor On The Seas Of Fate and The Weird Of The White Wolf)
著: マイクル・ムアコック (Michael Moorcock) / 訳: 井辻朱美
ハヤカワ文庫SF 2006年(原典1976,1977), 860円, ISBN4-15-011561-3 この世の彼方の海を旅する不思議な船でエルリックを待っていたのはエレコーゼ、コルム、ホークムーンだった!
エルリック・サーガ2冊目。
メルニボネ皇帝の座を捨て独り旅するエルリックが、敵に追われたどり着いた辺境の海辺で出会った不思議な船。 そこにはエレコーゼ、コルム、ホークムーンと名乗る戦士が乗っていた。 それぞれの属する平行宇宙から、彼ら「一なる四者」を招集したこの世の涯を旅する船の船長は、 宇宙全体を飲み干そうとする魔術的存在を討つ使命を彼らに告げる。「この世の彼方の海」
メルニボネ皇帝だったエルリックを憎悪し反旗を翻しながら敗北した従兄イイルクーン。 皮肉にもエルリックが国を離れている間の名代を任された彼は、その隙に国を奪い取ってしまう。 祖国の頽廃ぶりに絶望していたエルリックは遂に祖国を滅ぼすことを決意する。 メルニボネに敵対する「新王国」の諸勢力を率いて戦争を仕掛けた彼は、祖国を裏切るだけでなく、 愛する者を自らの手で殺め、さらには「新王国」の友人らをも裏切ってしまう。 彼は魂を啜る忌まわしい魔剣ストームブリンガー以外の全てを失い、世界を流浪する身となる。「〈夢見る都〉」  その他、中編2編。
統合人格評 ★★★ / SF人格評 ★★ / ホラー人格評 ★★
エレコーゼ、コルム、ホークムーンとは、ムアコックが創造した平行世界を舞台とした 別々のヒロイック・ファンタジーのシリーズの主人公で、それぞれが「永遠の戦士」と呼ばれるエルリックの分身なのだが、 こういう他の物語の登場人物が集う仕掛けはいかにもファン向けで、ちょっといやらしく感じるね。 しかし、世界の構造的なものが仄見えてきて、少しだけSFテイストが出てきた感じもあるかな。 「混沌の神々」を「エントロピーの神々」なんて言ってしまうところは逆効果だけども。 それにしてもエルリック、もう少し考えて行動しようよ、と言いたいぞ。 神々に定められた宿命か何か知らんが、それとも魔剣にラリっているだけなのか、 祖国を滅ぼすのも行き当たりばったりではなぁ。
闇電話異形コレクション 監修: 井上雅彦
光文社文庫 2006年, 781円, ISBN4-334-74066-9 あなたとダークな世界を繋ぎ続けるもの……
第35弾。この世ならざる世界へつながる電話の物語19編。
統合人格評★★★ / SF人格評★★ / ホラー人格評 ★★★
電話といえば、怪談話やホラー映画の定番アイテム。 日常生活にいきなり割り込んでくる電話には現実生活でも禍々しいものを感じてしまうことがある。 ということで、「異形コレクション」にはふさわしいテーマで、 妙な実験作にしても そうでない作品にしても何か安定感のある物語がそろった気がする。 なかでも三津田信三「よなかのでんわ」が怖い。怪談の粋を凝らした仕掛けに背筋がゾクリ。
May, 2006
グリュフォンの卵 (原題: Griffin's Egg and other stories) 著: マイクル・スワンウィック (Michael Swanwick) / 訳: 小川隆・金子浩・幹遙子
ハヤカワ文庫SF 2006年, 900円, ISBN4-15-011558-3 いま最も注目されるSF作家の名品の数々をご堪能あれ!
オールラウンドのSF作家として高く評価される M・スワンウィックの日本オリジナル短編集。
核戦争で地球は壊滅し、孤立した月面では居住者のほとんどがナノ兵器により狂気に陥り、 わずか100人ほどの人間が正気を保っていた。過酷な状況で生き抜こうと苦闘する彼らだが、 ナノ兵器の開発の背景に、戦争を回避できない人間の行動原理を改変する研究があったことがわかってくる。 そして、それは彼らにある選択を迫ることになる。「グリュフォンの卵」
ネビュラ賞を受賞した表題作をはじめ、ヒューゴー賞・ネビュラ賞受賞作を含む作者の代表作10編。
統合人格評 ★★ / SF人格評 ★★ / ホラー人格評 -
どうも肌に合わない作家というのがあって、M・スワンウィックがまさに僕にとってのそれなのだ。 なら読まなきゃいいじゃない、てなものだが、各種の賞を受賞している代表的名作をそろえた短編集で、 もしやこれなら、と思ったわけだね。 よく練られたSFで、それがどう面白いかは理解できるのだが、なんだろう、ワクワクしないんだなぁ。 多分、作られる世界は洗練されていても「驚異」の量や混ぜ方が僕のツボから遠いのだ。
永遠の戦士エルリックメルニボネの皇子
(原題: Elric Of Melniboné and The Fortress Of The Pearl)
著: マイクル・ムアコック (Michael Moorcock) / 訳: 井辻朱美
ハヤカワ文庫SF 2006年(原典1972,1989), 940円, ISBN4-15-011551-6 ヒロイック・ファンタジイの最高峰 ついに刊行開始!
ムアコックの創造したヒロイック・ファンタジイの名作が復刊開始。
大海の孤島に位置するメルニボネは、なお栄華を誇るものの、かつて 竜を駆り魔法と武力で世界を蹂躙した時代の勢力はもはやない斜陽の帝国であった。 メルニボネを支配する皇帝エルリックは、嫡流ではあるが、白髪紅眼の白子で薬の力で命をながらえる虚弱な若者。 傲岸不遜なメルニボネ族のなかで独り内省的な彼を嫌悪し皇位を狙う従兄の陰謀を、精霊の助けで退けたエルリックは、 その闘いの中で、太古に神々が封じた黒の魔剣ストームブリンガーを手に入れるとともに自分を巻き込む神々の意思に気が付く。 「メルニボネの皇子」
新しい国のありかたを求め、魔剣ストームブリンガーを手に独り世界を流浪するメルニボネ皇帝エルリック。 砂漠の旧国クォルツァザードで〈夢盗人〉に間違えられた彼は権力争いに高じるある有力者から、 命薬と引き替えに〈真珠〉を手に入れるよう要求される。 異次元世界を往来する本物の〈夢盗人〉ウーンとともにエルリックは砂漠の民の神聖乙女ヴァラディアの夢の世界へ入り込む。 「真珠の砦」
統合人格評 ★★★ / SF人格評 ★★ / ホラー人格評 ★★★
ついにヒロイック・ファンタジイに手を出してしまった。名作と評価の高いシリーズで、 おもしろいことはおもしろいんだけどね。やっぱりSF者としては現実世界からリアリティを 抜き取る世界構築の手法にはちょっと違和感を感じる。ルビーの玉座があったり普通に馬も狐もいるしで、 その辺のわかりやすいイメージが、ね。 一応、この世界とも行き来できる(らしい)平行宇宙の一つという設定なのでギリギリ許容しましょうか。 それにしても、エルリック、仮にも一国の皇帝で体も弱いのに独りでフラフラ旅しちゃダメだよ。 7巻になるシリーズということで、もう少しおつきあいするつもり。
毒蟲 VS. 溝鼠 著: 新堂冬樹
徳間書店 2006年, 1600円, ISBN4-19-862155-1 2006年の“有害図書No.1”はこの本だ!
卑しく小狡く真性のサディストで誰からも嫌われ「溝鼠」と異名をとる復讐代行業の変態、鷹場。 昔、鷹場の手で全てを失い、使役する毒グモやムカデ並の人間性に変貌した残酷な大男、別れさせ屋の「毒蟲」大黒。 ある事件でバッティングした二人とその配下達は、過去の因縁もあり、互いを食らいつくそうとバトルを開始する。 他人を思いやる心などかけらも持ち合わせず、嬉々として凄惨な手口で人をいたぶり切り刻む 最低最悪の鬼畜どもが極彩色の地獄を作り上げる。
統合人格評 ★★ / SF人格評 - / ホラー人格評 ★★★★
まずは警告しておきたい。真っ当な読書嗜好の人間は間違ってもこの本を手にとってはいけない。 といっても、悪鬼と死神が凄まじい表情で対峙する表紙と、このタイトルではその心配はないか。 作者の新堂冬樹氏は、人間に対する凄まじい呪詛に衝き動かされる主人公を描くノワールな作品で知られるのだが、 極悪・有害を自称し、センセーショナルでしかないこのタイトルに何か突き抜けたモノを感じて遂に購入してしまった。 いやあ、非道いわ、これ。人によっては吐き気がして読み進められないだろう酸鼻を極めた描写のオンパレードで、 なんでこれを読んでいるのか自問すること何度か。かといってこの毒書に何の意義もないというつもりはない。 人間のある側面だけをフィクションとして抽出・濃縮した本シリーズは、日本のスプラッタ・パンクの孤峰となるだろう。
イカした言葉  「俺にとったら、鼠なんて単なる餌だ」(p112)
April, 2006

4月は公私ともに超多忙だった上、学術系の本や大物アンソロジーに取組中で、ここに書く物はないのです。

March, 2006
脳髄工場 著: 小林泰三
角川ホラー文庫 2006年, 590円, ISBN4-04-347007-X 矯正されるのは頭脳か感情か!?
グロテスクな「人工脳髄」が普及した世界で自由意思を問い続ける主人公を描いた書き下ろしの表題作と、 さまざまなアンソロジーなどに掲載された短編10編。
統合人格評 ★★ / SF人格評 ★★★ / ホラー人格評 ★★★
小林泰三はケッタイな作家で、デタラメでグロなホラー を書くかと思えば、論理を極限まで追求したハードSFも書くし、 その両者のクロスオーバーもモノする。 本書は、3番目の領域に属するものと言える。 しかし、論理の暴走の仕方とか雰囲気が似たようになりすぎているし、全体的に切れ味も鈍いかな。
ところで、掲載作中5作品の初出誌が「You & I SANYO」という耳慣れないものなのだけど、 ネットで検索してみたところ、電機メーカー三洋の組合誌みたい。 小林さんって、大手電機メーカー勤務の兼業作家だそうだから、そういうことなのかな。
閉じた本 (原題: A Closed Book) 著: ギルバート・アデア (Gilbert Adair) / 訳: 青木純子
東京創元社 2003年(原典1999), 1500円, ISBN4-488-01637-5 事故で盲目となった作家、彼の恐怖はそのままあなたの恐怖となる……。
交通事故で盲目となり隠遁していた老作家ポールのもとに、ジョンと名乗る青年がやってきた。 ポールが回顧録執筆のための口述筆記や取材を行う助手を求めた新聞広告に応募してきたのだ。 愛想よく助手をつとめ、新しい眼として働くジョンに満足していたポールだが、ふとしたきっかけで違和感を感じ始める。 果たしてジョンが伝える言葉は本当に真実なのか。ジョンとは一体何者なのか。現実世界との唯一の窓口にかいま見える悪意。 次第にポールの違和感は恐怖に転じていく。
統合人格評 ★★ / SF人格評 - / ホラー人格評 ★★★
全編、会話と独白だけで綴られた独特のスタイルのサスペンスで、 3年前に出版された時からずっと気になっていた本書をようやく手に取ってみた。 正直に言えば過度の期待だったようだ。 仕掛けの妙味は楽しめたが、クライマックスが唐突すぎて、読んでいてちょっとつんのめった感じになってしまった。 ちょうど映画の原作くらいの分量で、それを超える掘り下げに乏しい。
イカした言葉 「わたしは愚者の天国に生きているんだ。いや、愚者の地獄と言うべきか」(p77)
早春賦 著: 山田正紀
角川書店 2006年, 1700円, ISBN4-04-873660-4 悲しみをいくつかぞえたら、大人になるのだろう。
徳川の世が始まったころ。八王子の痩せた土地で暮らす千人同心と呼ばれる半士半農の郷士がいた。 その家の一つに生まれた風一が17歳となったとき、八王子を治め、密かに独立国を造らんとしていた大久保長安が没した。 長安の資産を没収し、一族郎党に死罪を強いようとする幕府に対し、大久保家の直轄家臣団は徹底抗戦の構えをとる。 しかし千人同心達には彼らに同調する義理はなく、生き延びる為、幕府に命じられるままに大久保家残党の討伐に向かう。 かつて武田家に仕え戦場を駆けた父親達とは違い、農業しか知らない風一と彼の幼なじみ達は、 突如巻き込まれた嵐の中で、それぞれの道を見定め、試練の中で思わぬ自らの天賦を悟り成長していくのだった。
統合人格評 ★★★ / SF人格評 - / ホラー人格評 -
伝奇の要素のない時代小説を読むのは珍しいのだが、この作者であれば私としては手に取らざるを得ない。 SFやミステリでは、ときに物語のバランスを荒々しく乱しイマジネーションを暴走させることをいとわない作者だが、 この小説ではフォーマットを踏み外すことなく、高いレベルの大衆小説を完成させている。 やっぱりこの人は小説が巧いんだ、ということを実感できる一冊。
イカした言葉 「あばちゃばするでねぇ」(p25他)
February, 2006
オックスフォード連続殺人 (原題: Cremenes Imperceptibles) 著: ギジェルモ・マルティネス (Guillermo Martinez) / 訳: 和泉圭亮
扶桑社ミステリー 2006年(原典2003), 950円, ISBN4-594-05086-7 不可能犯罪に天才数学教授が挑む! アルゼンチン発、驚愕の超論理ミステリー
留学先の英国で数学を学ぶアルゼンチン人の〈私〉が住む下宿先の老婦人が殺害された。 〈私〉とともに第一発見者となった世界的数学者セルダム教授の元には、 謎めいた記号と事件を予告するメッセージが事前に届いていた。 その後も、メッセージと殺人事件は続く。しかしその手口は一見自然死でしかない不思議なものだった。 セルダム教授と〈私〉は事件の裏にある論理を追い犯行を防ごうとするのだが...
統合人格評 ★★ / SF人格評 - / ホラー人格評 -
ミステリの住人でない私が本書を手に取ったのは、 ワイルズによる「フェルマー予想」証明という数学史上の大事件にざわめくオックスフォードを舞台に、 数学者が連続殺人に挑むという粗筋と、アルゼンチン発の本格ミステリという珍種であることに惹かれたからだけれど、 読み終わってみれば、なんというか拍子抜けというか期待はずれ。 てっきり硬質な数学論議とそれに関わる驚愕の秘密みたいなコトを想像していたのに。 事件の真相もインパクト不足だよね。ミステリマニアなら分かる仕掛けもあるらしいのだが、 微妙すぎてそれもどうかな、というところ。
イカした言葉 「歴史的に数学の論理的思考はある基準に従っているが、その基準は基本的には美学だ」(p79)
宇宙をかき乱すべきか(上/下) ダイソン自伝 (原題: Disturbing the Universe) 著: F. ダイソン (Freeman J. Dyson) / 訳: 鎮目恭夫
ちくま学芸文庫 2006年(原典1979), 各1100円, ISBN4-480-08960-8/4-480-08961-6 天才科学者は語る / 人間存在、未来、叡智のことば
若くして理論物理学の領域で偉大な業績を上げた後、冷戦後の米国で核開発に携わり、 さらに核軍縮の推進に尽力した知の巨人 F・ダイソン。人類と科学技術の関わりについて 広範な思索を続け発言してきた行動する科学者による自伝的エッセイ
統合人格評 ★★★ / SF人格評 ★★★★ / ホラー人格評 -
小説以外の書籍を本稿で採り上げることはないのだけれど、本書は次の2点をもって採用した。 一つは、未知なる力の正体を解明しようと没頭し、その恐るべき力を科学技術と国際政治の両面で 制御しようと取り組む筆者の経験を語る前半部分が、直ぐ下の『天の声』にピッタリ照応していること。 そして、もう一点、SFの基本用語「ダイソン球(*)」の発案者が、宇宙開発および異星文明探索のあり方を 語る後半部分もSF読者として読み飛ばせない。 終盤、「グリーン」と「グレー」とか言い出すあたりから唐突にスピリチュアルな領域に行ってしまったり、 全般を通じて倫理的なスタンスに現代からみると妙なズレが感じられたりはするんだけどね。
人類を岩壁登攀に挑むクライマーに例えるなら、筆者ダイソンは、わずかな突起を探り、 体全体を引き上げる指先の位置にいたことは間違いない。 しかもその指先は遥か彼方の頂上とその先にある天空を見据えていたのだ。そんな人物の言葉は聞いておくべきではないか?

*ここを訪れる非SF読者のために説明すると、「ダイソン球」とは、惑星上で発生した文明が十分に発達したとき、 主恒星が放射するエネルギーを100%利用するために建設するであろう恒星を囲む惑星軌道サイズの球殻のことで、 このような文明を探す為には光ではなく、球殻から廃熱される赤外線を調べるべきだとダイソンは主張した。
イカした言葉  未来は、私にとってイギリスとアメリカの次の第三の故郷である。(下巻p102)
天の声・枯草熱 (原題: Glos Pana / Katar) 著: スタニスワフ・レム (Stanislaw Lem) / 訳: 沼野充義・深見弾・吉上昭三
国書刊行会[スタニスワフ・レム・コレクション] 2005年(原典1968/1976), 2800円, ISBN4-336-04503-8 ニュートリノによって送られてきた謎の信号は意味するのか。 〈天の声〉解読に挑む科学者たちの試練を著名な数学者の手記として描いた長編と、 ナポリで起きた中年男の連続怪死事件をめぐる確率論的ミステリ。
宇宙から地球に届くニュートリノ流に偶然発見されたパターン。 異星文明からのメッセージかもしれないこのパターンを解読する為に極秘の国家プロジェクト〈天の声計画〉が開始された。 〈計画〉で主要な役割を担った数学者ホガース教授の手記には、 ついに失敗に終わったこのプロジェクトの奇怪とも言える顛末が記されていた。「天の声」
ナポリからローマ、そしてパリへ向かう主人公。死んだある男の跡をたどる彼の旅は、 ナポリで起こった謎の怪死事件に関わりがあることが次第に明らかになってくる。「枯草熱」
統合人格評 ★★★ / SF人格評 ★★★ / ホラー人格評 ★★
レムの代表作にして長く絶版であった2作品を、 『ソラリス』に続き収録したスタニスワフ・レム・コレクションの1冊。 レムが描くのは、世界に相対する手段としての人類の知性の限界である。 そして純粋な知的活動を厚く囲い込み、意味を喪失させる政治的・官僚的なパワーゲームの戯画だ。 そこには何かある、しかし何かは人間には決して分からない。世界の真相はそんなものなのだろう。 それでも何かある以上は「敵」より先にそれを理解しなくてはならないという強迫観念に 駆られるという冷戦構造はいまや昔のものだが、それでも現代的なテーマだと言える。 SF界きっての賢人レムの言葉は未だ古びてはいない。
Janurary, 2006
マヂック・オペラ  二・二六殺人事件 著: 山田正紀
ハヤカワ・ミステリワールド 2005年, 2000円, ISBN4-15-208671-8 密室殺人、特高警察、ドッペルゲンガー、江戸川乱歩、阿部定 ……
検閲図書館 vs. 怪盗二十面相
昭和史を探偵小説で幻視する、『ミステリ・オペラ』に続く検閲図書館3部作第2弾。
昭和11年2月、2・26事件の数日前、特高警察の志村は小菅刑務所に収監されている黙忌一郎という若者から、 軍内部の不穏な動きにかかわる奇妙な調査を依頼される。 未決囚でも既決囚でもない「無決囚」であり、検閲図書館とも呼ばれる若者は、獄中にいながらあらゆる禁書を読み、 警察や政府にも影響力を持つ謎めいた人物だった。 更に、その依頼にあたり黙忌一郎は、志村に後日2・26事件の舞台となる乃木坂で起こった密室芸者殺人事件の調書や、 江戸川乱歩と芥川龍之介に似た俳優が出演する不思議な映画を見せ、 同じく小菅刑務所に収監されている遠藤平吉なる囚人と面会させる。 真意を図りかねながらも捜査をはじめた志村は、軍内部の緊張感が刻一刻と高まるのを感じながら、どんな人間にも変装できる男や、 憲兵隊の一派を操り北一輝の影から帝都に内乱を起こそうとする謀略の中心へと迫っていくことになる。
統合人格評 ★★★ / SF人格評 ★★★ / ホラー人格評 -
これはミステリと言うよりは、SFに近い気がする。 山田ミステリの特徴とはいえ、トリックが強引すぎるし、ミステリ的な謎解きにはほとんど主眼は置かれていない。 2・26事件にまつわる歴史の闇に奇怪極まりない幻像を浮かびあがらせようとする試みなのだ。 そこに現れるのは、ドッペルゲンガーや、怪人二十面相のモデルとなる奇人が跳梁する怪奇の乱歩世界。 肝心の読者である僕がこの時代のことをあまり知らないので、面白さの全てを感じ取ることはできてないのだけれど、 こういう意欲的な世界の構築は抜群に達者。 たまたま別の小説で「遠藤平吉」の名前を目にしていたので、彼が誰かは直ぐに分かったのだが、 そんなネタがかぶるのはちょっと不思議。
イカした言葉 「この世のことはすべて、正義も悪も、嘘も事実も、夢も現実も、つまるところはただの虚妄にすぎないのですよ」(p155)