S
muneyuki's main > SF & Horror >

小説評論もどき 2024年上半期 (17編)


私の読書記録です。2024年1月分~6月分、上の方ほど新しいものです。 「帯」は腰帯のコピー。評価は ★★★★★ が最高。

June, 2024
マルドゥック・アノニマス 9 著: 冲方丁
ハヤカワ文庫 2024年, 940円, ISBN978-4-15-031572-6 ハンターからの依頼は、ウフコックの元相棒を殺したエンハンサーの保護だった。
市議会委員となり政界での立場を着々と築くハンターだが、彼の武器である「共感」の輪から前兆なく外れる者が続発する。 彼らがハンターのためと思い込んでとった行動が陣営の利益を損ねていく。〈シザーズ〉の策略と思われるのだがその手法は不明。 ハンターは、「共感」を失った腹心の部下シルヴィアの保護を、敵対する〈イースターズ・オフィス〉に依頼するという奇策を打ち出す。 その真意を測りかねつつもハンターの犯罪を暴く好機ととらえたイースターやバロットは、彼女を(計画的にだが)人間的に扱いその心をほぐしていく。 そして、ハンターへの忠誠心は維持しながらも自分にも明るい平穏な未来が選べるかもしれないとシルヴィアは希望を持ち始める。 しかし、それも束の間、「共感」を失ったハンター配下のギャングが暴走し、彼女を裏切者として殺害する襲撃計画を立てていることが判明する。 大規模薬害訴訟の準備に忙殺されるなかで、次々と変化する情勢にバロットは必死でくらいついていく。
統合人格評★★★ / SF人格評★★ / ホラー人格評 ★★
前巻までの暴力的な対立から一転、お互いの肚を探り、裏をかく隙を探しながらではあるが、 〈イースターズ・オフィス〉と〈クインテット〉の協力体制が築かれる。 それだけ、実力の底が見えない〈シザーズ〉の脅威が大きいのだ。現職市長のメーソンなど〈シザーズ〉であることが確実視される者はいるが、 全貌は不明で、いつどこからどんな攻撃が飛んでくるかわからないし、それが攻撃であるとすら認識できないかもしれない。 いざ、彼らが動き始めたときの不気味さが高まる本巻だが、最後のシルヴィアのシーンの衝撃を考えると、これからの数巻は重たい展開が続きそう。
イカした言葉 《お前に花の好みを聞いとくんだったぜ。自分じゃ葬式の花輪しか頼んだことがねえんだ。気に入らなかったら持って帰る》(p128)
人新世SF傑作選 シリコンバレーのドローン海賊
(原題: TOMORROW'S PARTIES: Life in Anthropocene)
編: ジョナサン・ストラーン (Jonathan Strahan) / 訳: 中原尚哉 他
創元SF文庫 2024年(原典2022), 1400円, ISBN978-4-488-79102-5 人新世 人類の活動が地球環境に顕著な影響を及ぼす時代のこと。
人類の活動が主に気候変動という形で地球環境に影響を与えている「人新世」をテーマにしたアンソロジー。 グレッグ・イーガンらによる10編の短編に加え、 気候変動による破局を描いた長編『未来省』を2020年に上梓したキム・スタンリー・ロビンスンへのインタビューを収録。 MIT Press 刊行の未来の技術開発とその影響を探求するシリーズ Twelve Tomorrows の一冊。
統合人格評 ★★★ / SF人格評 ★★★★ / ホラー人格評 ★★
近年、科学技術が人類の未来に与える影響をリアルに外挿しようとするアンソロジーが続いているが、 本書もその一冊で、とくに気候変動をモチーフにした作品が並ぶ。 気候変動は人類の社会を破壊的に変えるが、その後の世界に合った新しい社会がかたち作られ、人々はそこで生きていく。 それは決して絶望の未来ではない。温暖化否定の陰謀論者が結果的にハリケーン災害支援に携わるイーガンらしくない(いや、やっぱりらしいのか) 「クライシス・アクターズ」が奇妙な感じ。
May, 2024
歴屍物語集成 畏怖 著: 天野純希、西條奈加、澤田瞳子、蝉谷めぐ実、矢野隆
中央公論新社 2024年, 800円, ISBN978-4-12-005779-3 元寇、比叡山、大奥…… 歴史の底から「屍」が這い寄る
元寇との戦いで討ち死にした薩摩武士が、その直後に人を食らう屍として蘇り混濁する記憶に戸惑いながら元の軍勢に襲い掛かる。「有我」
織田信長に焼き討ちされる直前の比叡山の僧兵、江戸時代初期の中部地方山村の寺で働く小坊主、江戸の天才戯作者山東京伝、 江戸城大奥で女中として仕える少女。彼らにまつわる動く屍体の物語。そして、東北の漁村に住む謎の女が語るこれらの物語を聞いているのは民俗学者柳田。 日本史の闇に隠されたゾンビの災厄を題材とした連作短編集。
統合人格評 ★★★ / SF人格評 ★ / ホラー人格評 ★★★
歴史小説の体裁をとったゾンビホラーのアンソロジー。作者はいずれも歴史・時代小説の書き手でホラー作家ではない、というのは面白い。 この本も書店では歴史小説の棚にあるので、新聞の書評で初めて存在を知って手に入れた次第。 実はゾンビの設定はそれぞれの作品で微妙に異なっていて、ある作品では喰われた者もゾンビに化す感染性の災厄だが、 他の作品ではある人物の能力による蘇りだったり、人魚の肉による不老不死が形を変えたものだったり。 作者が違えば語り口も違うのだが、全体を通じてちゃんと一連の物語になっているのは歴史小説家が共有する何かがあるのだろうね。
両京十五日(Ⅰ 凶兆 / Ⅱ 天命) 著: 馬伯庸 / 訳: 齊藤正高、泊功
ハヤカワ・ミステリ 2024年(原典2020), 2200円/2300円, ISBN978-4-15-002000-2/978-4-25-02002-9 南京から北京、1000km/15日の決死行。華文冒険小説の一大傑作! /明王朝崩壊の危機迫る。決死行の果ての凄絶な結末。華文冒険小説の傑作、ここに完結。
父である洪熙帝から遷都準備の命を受け、北京から運河を下り南京に向かった皇太子朱瞻基。彼が乗っていた船が南京到着直後に爆破される。 偶然、難を逃れた朱瞻基を爆破犯と思い捕らえたのは、世をすね酒色に溺れているが実は切れ者である捕吏の呉定縁。 そして朱瞻基を皇太子と見定め助けたのは下級官吏の于謙。その後も朱瞻基を狙った襲撃が続き、朱は于と呉を頼り真相を探ろうとするが、 そこに北京から洪熙帝危篤の急報が届く。皇位を覆す何者かによる巨大な陰謀が動き出したのだ。 陰謀を打ち倒すためには南京を脱出し15日以内に北京に帰還しなくてはならない。誰が敵かわからない中、朱瞻基は身分を隠し、 于と呉、そして朱の怪我を治療することになった女医の蘇荊渓を加えたたった4人で、陰謀に加わった軍や官の一派、 さらには白蓮教徒らによる十重二十重の包囲網をかわして北京を目指す。
統合人格評 ★★★ / SF人格評 ★ / ホラー人格評 ★
ハヤカワ・ミステリ2000作目記念は、15世紀中国を舞台にした波乱万丈な冒険活劇。 作者の馬伯庸は、中華SFアンソロジーでその名を見かけたことがあるが、こちらが活動の主軸のようだ。 宣徳帝即位の経緯に関する史書の短い記述を下地に、そこには書かれていないあったかもしれない壮大な事件を織りあげた虚実取り混ぜた物語で、 後の宣徳帝である朱瞻基と彼を支えた于謙は実在の人物。 主人公たちは幾度となく絶体絶命の危機に陥るが、知略や思わぬ援軍の到来で窮地を脱し、安堵するのも束の間、すぐに新たな強敵が襲い掛かる。 手に汗握るクライマックスが間髪無く続くサービス精神旺盛なエンターテインメントだ。 そして、数十年前に生じた因縁、血縁、奇縁が登場人物たちを繋いでいることが道中で次第に明らかになるさまや、 明代の政府高官から庶民の様々な人々の生活が生き生きと描かれるさまは読み応えあり。
イカした言葉 「このぜんぶを変える力なんざ、オレにはない。だけど、承知しねえ自由だけはある」(Ⅱ p420)
April, 2024
極楽に至る忌門 著: 芦花公園
角川ホラー文庫 2024年, 800円, ISBN978-4-04-114325-4 ほとけは、生贄を求める。
東京で生まれ育った隼人は、大学の友人、匠が四国の山奥にある実家に帰省するのに付き合うことになったのだが、 隼人や匠の家族に対する近辺住民の態度に気まずさを覚える。 そして、祖母の「頷き仏を家に近づけた」という謎の言葉に動揺した匠は行方不明となり、さらに祖母も突然亡くなってしまう。 帰るきっかけを失い匠の家に残る隼人は、何か理解できないが悪いことが起こっていることを感じとる。 そして、村の誰もが知っているらしい怪異は次第に彼にのしかかってくる。 はじめに指を、次に舌を、最後に眼を求めるそれに隼人は取り込まれていく。「頷き仏」
四国山間部のある地域を舞台に、「たから」の代わりに生贄を求める、石仏や猿の姿をとる何かと、それとある種の共生関係にある村社会が 人を壊していく様を描く4編の連作短編集。
統合人格評 ★★★ / SF人格評 ★ / ホラー人格評 ★★★
佐々木事務所シリーズの外伝。最強の拝み屋、物部斉清が祓えなかった呪いの顛末。 「田舎の嫌なところ」から連想される要素をすべて集めて煮詰めて発酵させたようなホラーで、生粋の都会人には毒が強いかも。 排他的な一方でコミュニティ内ではお互いに監視しあうような距離の近さで、閉塞感と古い因習が根強く残り、小さな差が嫉妬や欲を生む。 そんな環境に落ちてきた一滴の怪異が、共同体と絡み合いながら膨れ上がり凶悪化していく。住民自身も祓いたいのかどうかわからない忌まわしい呪いは、 村ごとダムの底に沈むか限界集落化して消滅しない限り、解決しないんだろう。
イカした言葉 「こういうのは始めたら終わりなんよ」(p281)
地雷グリコ 著: 青崎有吾
角川書店 2023年, 1750円, ISBN978-4-04-111165-9 青崎有吾、ガチで勝ちに来てる。
都立頬白高校1年の射守矢真兎(いもりや・まと)、だらけたギャルの外見、ちゃらんぽらんな言動と裏腹に勝負事には滅法強い。 彼女がクラスの代表として、学園祭の一等地、屋上の使用権を賭けて生徒会の切れ者椚先輩と勝負するのは、ジャンケンで階段を上る〈グリコ〉に、 お互いが仕掛けた地雷を踏んだら10段下がるルールを加えた「地雷グリコ」。
ルールの行間に隠された本質を読み解いて戦略を導き、さりげない言葉で相手の思考を誘導し、開始時点で既に勝利している。 希代のプレイヤー射守矢が様々な強者、曲者と競うのは、百人一首の札を使った神経衰弱(坊主めくり要素あり)「坊主衰弱」、 各プレーヤーが独自手を追加する「自由律ジャンケン」、〈だるまさんが転んだ〉のカウントを入札で決定する「だるまさんがかぞえた」、 4部屋に配置したカードが使用されて減っていく「フォールーム・ポーカー」。
統合人格評 ★★★ / SF人格評 ★ / ホラー人格評 ー
クセの強い登場人物たちが、奇抜なルールのゲームを戦場に高度な心理戦・騙しあいを繰り広げるストーリーのコミックは多く、 『カイジ』『ライアーゲーム』、学園が舞台だと『賭ケグルイ』なんかが代表的かな。 これらの作品は途方もない金額とか身体の一部や場合によっては命を賭けるような狂ったギャンブルなのに対して、 本作では賭けるのが学園祭の出店の屋上使用権とかで、ゲームと戦略をうまく構築できれば、アドレナリン上等でなくてもちゃんと面白くできるのだと示してくれる。 と、思ったら後半、急に『賭ケグルイ』になってしまうのはちょっと興を削がれる。 ラクロス部で彼女もいるのに、作中の幾つかのゲームをプロデュースし進行する塗部君がなかなかの逸材。 どこぞのデスゲーム運営か帝愛グループにスカウトされそう。
イカした言葉 「『人生はゲームだ』なんてふざけたことを抜かすやつを信じちゃだめだよ」 (p52)
スペース金融道 著: 宮内悠介
河出文庫 2024年, 880円, ISBN978-4-309-42088-2 最高の娯楽SF、ついに降臨。
広く宇宙に進出した人類が最初に植民した惑星「二番街」。「ぼく」と上司のユーセフが取り立て屋として働く新星金融は、 普通の金融機関が相手にしないアンドロイドやネットワーク上の仮想生命にでも融資するが、返済が遅れれば宇宙だろうと深海だろうと核融合炉内だろうと 零下190度の惑星だろうと取り立てに行くのがモットーのブラック企業。 ユーセフは、いつも「ぼく」に非道い役割を押し付けながら合法非合法あらゆる手段で回収を行う最悪の上司だが、 たまに知的で弱者に寄り添う一面を見せる。そんなユーセフと「ぼく」のコンビが二番街を駆け回る連作短編集。
統合人格評 ★★★★ / SF人格評 ★★★★★ / ホラー人格評 ★
ふざけたタイトルだし、ドタバタコメディ要素も多いのだが、未来を舞台としながらも、 金融を切り口として現在・現実の人や社会のありようを浮かび上がらせる物語。 本歌たる『ナニワ金融道』が、カネに囚われもがく人々の姿を冷徹・露悪的に描き出しつつもゴリゴリのマルクス主義者だった作者の公正な視点が感じられたように、 本作は、社会的に不遇の立場を強いられたアンドロイドやその他の者たちが立ち上がろうとする様を、 そして彼らを(借りた金は返してもらう前提で)公平に扱おうとする主人公たちの姿をある種の愛情をもって描く。 まあ、そんなメンドくさいことを言わなくても抜群に面白いので、誰にでもお勧めしたい一冊。
イカした言葉 「よく誤解されることだが、金融工学は金を殖やすための学問じゃないんだ」 (p23)
妄想感染体(上/下) (原題: PARADISE-1) 著: デイヴィッド・ウェリントン (David Wellington) / 訳: 中原尚哉
ハヤカワ文庫SF 2024年(原典2023年), 各1440円, ISBN978-4-15-012430-4/978-4-15-012431-1 敵は、感染する狂気 ― / 妄想と絶望に襲われる ―
人類が太陽系外に進出した未来。防衛警察のサシャは捜査中の失態をとがめられ、辺境の植民惑星パラダイス1に左遷される。 そこへ向かう宇宙船の同乗者は、サシャと昔関係のあったパイロット、人嫌いでいわくありげな医師、形態自由なロボットと船を管理するAI。 ところが、パラダイス1星系到着直後にAIが機能不全となり、さらに何者かからの攻撃で船は大破する。 事前の情報とは異なり、パラダイス1の軌道上には多数の宇宙船が滞留していて、しかもそれぞれがAI、搭乗者ともに異様な強迫観念に囚われ奇怪な行動を取っている。 なんとか活路を探るうちに分かってきたのは、この事態をもたらしたのはヒトにもAIにも感染する伝染性の狂気であり、しかもそれがどうやら何らかの知的存在らしいこと。 また、事態が悪化している背景には防衛警察本部の思惑もあるらしい。サシャたちは自らも感染しながらも、パラダイス1へ着陸するために決死の行動に出る。
統合人格評 ★★★ / SF人格評 ★★★ / ホラー人格評 ★★★
宇宙を舞台としたSFホラーは、映像作品だと『エイリアン』をはじめ多数あるのだが、小説、ことに長編となると意外と少ない。 その意味で貴重な作品は、異常な食欲に思考のすべてが上書きされて自分の手足や他者の肉体をゾンビのごとくむさぼるとか、 小さな虫が体に侵入したと思い込みそれを取り出そうと身体をほじくり解体してしまうとか、生理的な恐怖の描写がなかなかに執拗で精神を削ってくる。 さらに同じ妄想に囚われたAIが、本来持っていない食欲を実現するために起こす行動などの忌まわしさも良い感じ。 ただ、本作では完結しておらず、第2部はまだ本国でも発刊されていないそうなので、続編を読めるのはいつになるやら。
イカした言葉  でもやっぱり、温めたほうがおいしいでしょうね。(上巻p451)
March, 2024
影牢 / 七つのカップ 現代ホラー小説傑作集 編: 朝宮運河
角川ホラー文庫 2023年, 各780円, ISBN978-4-04-114204-2/978-4-04-114203-5 ホラーはここから始まった! / ホラー新世紀へ突入!
角川ホラー文庫30周年記念出版のアンソロジー。1993年から2008年発表の8篇を収録した『影牢』と、 2010年代発表作品中心の『七つのカップ』。
統合人格評★★★ / SF人格評★ / ホラー人格評 ★★★★★
ジャパニーズホラーの粋を集めたアンソロジー。どの作品もじっとりとじっくりと怖い。 『影牢』収録作の著者は、鈴木光司、坂東眞砂子、宮部みゆき、三津田信三、小池真理子、綾辻行人、加門七海、有栖川有栖。 『七つのカップ』は、小野不由美、山白朝子、恒川光太郎、小林泰三、澤村伊智、岩井志麻子、辻村深月。 このラインナップを見ただけでレべルの高さがわかる。あえて一番印象に残った作品を挙げると、 『影牢』からは坂東眞砂子「猿祈願」、『七つのカップ』からは岩井志麻子「あまぞわい」。 どちらも田舎の共同体に絡みつく因習を背景とする居心地の悪い物語。
瀬越家殺人事件 著: 竹本健治
講談社 2023年, 3850円, ISBN978-4-06-533700-4 今回ばかりは堂々と奇書を自任していいかもしれない。 竹本健治
荒野に建つ瀬越家の豪邸。その住人である三姉妹の誘拐予告を受けて探偵がやってくる。 忌まわしき過去を隠した瀬越家で、事件は起こる。
統合人格評 ★★★ / SF人格評 ー / ホラー人格評 ★
正直内容はどうでも良くて、形式と装丁が特殊すぎる一冊。 何しろ、いろは48文字を1回ずつ使う、いろは歌48首(しかも1文字目が全て異なる)で語られる物語なのだ。 1ページに一首ずつ、黒地に銀のフォントで作者自身による挿絵とともに綴られた48ページ2304文字 (実際には漢字まじりの本文+その読みである仮名48文字だし、最後に1ページの追加があるので「文字数」はもっと多いが)のミニマムなアートブック。 使われる言葉とか読みはかなり不自然なところはあるが、まがりなりにもミステリとして成立していて、これを完成させる苦労と試行錯誤は想像にあまる。 なぜこれを作ろうと思ったか。唐沢なをき『怪奇版画男』に並ぶ苦行の怪作。パズル周辺書としての評も別記
Feburary, 2024
シャーロック・ホームズとサセックスの海魔 (原題: The Cthulhu Casebooks: Sherlock Holmes and the Sussex Sea-Devils) 著: ジェイムズ・ラヴグローヴ(James Lovegrove) / 訳: 日暮雅通
ハヤカワ文庫 2023年(原典2018年), 1360円, ISBN978-4-15-020622-2 『ネクロノミコン』を精読し、ルルイエ語を操る異形のシャーロック・ホームズ。この物語は、その最後の挨拶である。 ―― 森瀬繚(クトゥルー神話研究家、翻訳家)
前作からさらに15年。50代になったシャーロック・ホームズは、 コンサルタント探偵を辞してロンドンを離れていた。異界の者どもとの戦いは続いているものの落ち着いてきていたのだが、 あるとき、世界を守るためにともに戦ってきたホームズの兄マイクロフトを含む、英国政財界の秘密クラブメンバーが連続して怪死する事件が起こる。 それは、ドイツの重要人物に憑依した元はモリアーティだった邪神ルルロイグの陰謀だった。 ホームズとモリアーティの30年にわたる地球の命運を賭けた闘争は、第一次世界大戦前の不穏な時代にいよいよ終わりの時を迎える。
統合人格評 ★★★ / SF人格評 ★★ / ホラー人格評 ★★★
シャーロック・ホームズとクトゥルー神話マッシュアップ3部作の完結編。 きな臭い当時の欧州情勢にオカルト要素を埋め込む構成は良くできていて、3部作をきれいに締めていると思う。 シャーロック・ホームズ要素は今作は控え目で、後の時代の「クトゥールーの呼び声」や「インスマスの影」に繋がっていく感じも手堅い。 ただし、ルルイエでの決戦がゴジラvsキングコング的な怪獣対決になってるのはいただけないな。
イカした言葉 「人間の高潔さは試されるまでは決して確実じゃない。」(p288)
十角館の殺人 〈新装改訂版〉 著: 綾辻行人
講談社文庫 2023年(初刊1987年), 860円, ISBN978-4-06-275857-4 衝撃の一行に震える!! シリーズ累計665万部!
大分県の近海に浮かぶ小さな島に自ら建てた屋敷に隠遁する建築家とその家族、使用人が全員殺害された事件から半年後。 大分大学ミステリ研のメンバーが、その島を訪れた。電話も通じず数日間は誰もやってこない無人島で宿泊する場所は、 いまだ謎の多い事件で全焼した屋敷跡の近くに建つ、十角形をした小館。 そこで気楽な休日を過ごすはずだった彼らだが、一人また一人と殺害されていく。 彼らの中に犯人がいるのか、互いに疑心暗鬼になるなか、正体不明の殺人者の犯行は続いていく。
統合人格評 ★★★ / SF人格評 ー / ホラー人格評 ★★
新本格の開幕を告げる一冊で、30年を超えてスゴいと語られ続ける本書が書店に平積みされているので、ついに手に取ってしまった。 確かに「衝撃の一行」には驚嘆したし、真相を知ったうえで再読してなるほどそういうことかと確かめる楽しみはある。 今となっては新本格の大家の著者だが、これがデビュー作ということもあってか、技巧に走りすぎていて作り物感はある。 ちょっとストーリーが直線的すぎるし、動機と犯行のバランスがとれてないような気がするのだ。 本書が今話題になっているのは実写化されるからなのだが、テキストだからこそ成立するあのトリックは本当にどう映像化するんだろうね。
イカした言葉 「ミステリにふさわしいのは、時代遅れと云われようが何だろうが、やっぱりね、名探偵、大邸宅、怪しげな住人たち、血みどろの惨劇、不可能犯罪、 破天荒な第トリック ...... 絵空事で大いにけっこう、要はその世界の中で楽しめればいいのさ。ただし、あくまで知的に、ね」 (p14)
January, 2024
黄色い夜 著: 宮内悠介
集英社文庫 2023年, 520円, ISBN978-4-08-744590-9 金の流砂に呑まれる、恐怖と快感。
東アフリカE国。めだった資源も産業もない貧しい国を支えるのは、荒野にそびえる巨大な塔内に並ぶカジノの数々。 上層階に行くほど賭金が上がり、最上階では国王がディーラーとなりE国そのものを賭けられるという。 日本人の放浪旅行者ルイはある目的のために、隣国で出会ったイタリア人ピアッサを相棒に塔に挑む。 高層階へのパスの入手を賭けた勝負を皮切りに、曲者ぞろいのカジノのディーラーと、お互いにイカサマを仕掛け罠を張りあう頭脳戦を繰り広げる。 E国の政情が不穏さを増す中、ルイは勝ち進み、今も上へ上へ建設が続けられている塔を登っていく。 表題作でディーラーを務めた登場人物の前日譚「花であれ、玩具であれ」を併録。
統合人格評 ★★★ / SF人格評 ー / ホラー人格評 ★
とてつもない金額を賭けたギャンブルと知能の限りを尽くした頭脳戦を題材とした作品だが、ヒリヒリとする緊迫感はあまり感じられない。 それは、彼らが戦っているのはギャンブルというよりはゲームであって、負けが致命傷となるようなリスクがないからでもあるし、 主人公が抱えている過去は描かれても、それが国を盗る動機になるほどの切実さに欠けているように見えるからでもある。 ただ、そういうギャンブル小説につきものの「重さ」とは真逆の「軽やかさ」、「開放感」が著者の書きたかったものかもしれない。 舞台となる塔は、バベルの塔の直喩だが、さすがに無計画に増築され続ける建造物が80階を超えているというのは非現実的だ。
イカした言葉 「先に負けるのは、信じられなくなったほう。なんだってそうだろう?」 (p119)
日本ホラー小説大賞《短編賞》集成(1/2) 著: 1 小林泰三, 沙藤一樹, 朱川湊人, 森山東, あせごのまん  / 2 吉岡暁, 曽根圭介, 雀野日名子, 田辺青蛙, 朱雀門出, 国広正人
角川ホラー文庫 2023年, 860円/840円, ISBN978-4-04-114382-7/978-4-04-114383-4 読まなきゃホラーは語れない! / 《大賞》では測れない規格外の怖さ、ここに集結。
1994年から2018年まで、25回にわたり開催された「日本ホラー小説大賞」。その短編賞受賞作から厳選された11篇を収録。
統合人格評★★★ / SF人格評★ / ホラー人格評 ★★★★
日本のホラーの発展を支えた日本ホラー小説大賞。このサイトでも受賞作、候補作を数多く採り上げている。 ジャンルど真ん中のものだけでなく、いくらなんでもこれはホラーではないのでは、という作品も多かったのも特徴で、 ことに短編賞はその傾向が強く、振り幅が大きかった印象。本書に収められた作品群もそうで、 例えば、正気の人が書いたとは思えない支離滅裂な不条理劇、あせごのまん「余はいかにして服部ヒロシになりしか」や、 豚目線のゴーストストーリー要素はほのかにあるが、結局、養豚場の豚が逃げているだけの雀野日名子「トンコ」(でも滅法面白い)とか。 何作かは発行当時に読んでたんだけど、こうしてまとめて読むと「ホラー」の懐の深さをあらためて認識。
鵼(ぬえ)の碑 著: 京極夏彦
講談社ノベルズ 2023年, 2200円, ISBN978-4-06-515045-0 百鬼夜行シリーズ最新長編 予告から17年、あの男たちが集結する!
舞台は昭和29年日光。小説家の関口は宿泊先で劇団付作家の久住と知り合う。久住はホテルのメイドから幼少期の殺人の記憶を告げられ困惑している。 探偵の益田は、薬局で働く御厨から失踪した店主寒川の捜索を依頼される。寒川は20年前に日光で父親が事故死した経緯を調べていたらしい。 刑事の木場は、退職した先輩から20年前に上野で起こった奇妙な死体消失事件のことを聞かされる。特高警察の関与も疑われるのだが、 死体の素性と思しき人物の子どもはその後日光の係累に預けられたという。なりゆきから木場はその事件を調べることになる。 そして京極堂こと中禅寺は、東照宮で新たに発見された文物の調査を手伝うため日光に滞在している。 日光の山間に引き寄せられた彼らの前で、正体の定かでない鵼のような何かが終わる。
統合人格評 ★★★ / SF人格評 ★★ / ホラー人格評 ★
前作『邪魅の雫』から実に17年、京極堂シリーズの続編がようやく登場。 ずっしりとした書物としての物理的存在感は相変わらずで、作中で語られる民俗学的知識の分厚さと両立する圧倒的なリーダビリティは健在。 本作がこれまでの作品と違うのは、奇妙な謎はあるものの(以下ネタばれのため省略)、ということだろうか。 また、他のシリーズの関係者が姿を見せたりの仕掛けもあるのだが、それらもふくめて、 時代の変化にともない基盤を失い消えていくもの、失われていくものが主題といっていいのかもしれない。 鵼を祓い、それらを送る京極堂の語りにはそういう喪失感が感じられる。 さて、この勢いで続編(タイトルは『幽谷響(やまびこ)の家』)があまり間を置かず刊行されることを期待。
イカした言葉 「それに、どんなものでも名前は後から付けられるものですよ」 (p49)
乗物綺談 異形コレクション 監修: 井上雅彦
光文社文庫 2023年, 1200円, ISBN978-4-334-10120-6 異形な物語たちを巡る心躍るドライブへ―― 行き先は天国? 地獄? あなたはもう降りられない
異形コレクション第56冊。自動車や電車など乗物に連れて行かれる異界、または乗物が運んでくる怪異の物語16編。
統合人格評★★★ / SF人格評★ / ホラー人格評 ★★★★
乗物をモチーフや舞台としたホラーは意外と多くて、編者が序文で挙げているようにキング『クリスティーン』、『鬼滅の刃 無限列車編』、 ネット怪談の「きさらぎ駅」など幅広い。挙げられなかったものだとラブクラフト「神殿」もあるね。 乗物の持つ移動という機能は、たとえ通勤電車であっても非日常への入口であるので、異形コレクションのテーマとして親和性は高い。 今回はいつにも増して陰惨で厭な話が多いのだが、怪異ではあるが軽妙な宮澤伊織「ドンキの駐車場から出られない」をイチ押しとしよう。