少し前、『世界の車窓から』というテレビ番組で、列車の乗客が連れていた 小さな子供がカメラに向かって踊るのを見た。ゆるりゆるり身体をくねらせ回 転するダンスは、子供のくせにやけにセクシーだったが、これはいったいなに ごとかと思った。あれは東ヨーロッパのどこかの国だった。その子供にくらべ、 日本の子供が大人のダンスの振りを真似たときの、あの身体のかたさはなんだ ろう。 いや、もしかしたら、あのセクシーな子供のダンスのほうに問題があるのか もしれない。人はあんなにセクシーである必要はないはずだ。百メートルを 九秒台で走る必要はないはずなのに、走ってしまう人がいるのとそれはよく似 ている。 ついついそうなってしまう。よくわからない過剰なそれは、ダンスにしろ、 走りにしろ、よろこびが支えになっているはずで、よろこびのあまり、普通で は考えられない、過剰なダンスや走りを生み出すのだろう。 いくらがんばっても百メートルを二十秒で走ってしまう者には、よろこびは ないことになっているが、そんなものは、中途半端だからいけないのだ。百メ ートルを三日かけて走ったらどうだ。途中で、食事をしたり、三角関数を解い たり、トランプ占いをしたり、ちょっと眠ったり、電話したりと、いろいろな ことをしなくてはいけない。面白くてしょうがないじゃないか。 桜井君が主宰する、「神楽坂ダンス教室」の試みは、もしかしたらこういう ことかもしれないと僕は思う。 セクシーなあの子供のダンスを、できもしないのに真似てみたところで、か たい身体がその振りをなぞるだけではつまらない。百メートルを三日で走るた めには、走りの考え方を根本から変えなくてはいけないのだ。「神楽坂ダンス 教室」の試みとはこのことだ。 そして、私が見たいのは、九秒台で走ることのできるやつが三日で走ろうと する姿であり、重要なのはおそらく、その意志である。
*「ダンス」とは何か?(世界の定説集より) *ダンス再入門〜迂回路を通って〜(ワークショップ参加者募集のチラシより) *何故批評家がワークショップを開くのか? *百メートルを三日で走る by 宮沢章夫