もののけ姫 [ CRITIQUE ]

ダンシング・オールナイト-これはダンス論ではない
いとうせいこう+押切伸一+桜井圭介


(※この文章は単行本『ダンシング・オールナイト〜グルーヴィな奴らを探せ!』(NTT出版)
 に所収のものとは若干、異なります。)

特別編 緊急鼎談:もののけ姫にもの申す

    
    桜井――きょうは、オヤジ三人、街の映画館で宮崎峻の超話題作『もののけ姫』を
    「グルーヴ」という視点から観てみたわけです。「グルーヴ」というのは、
    考えてみればきわめて「アニメーション」(=「生き生きさせること」)の
    本質的なポイントのはずなのに、目下、流通しているこの作品に関する膨大な
    言説のほとんどが、エコロジーというテーマやら、歴史解釈やらの
    「文学/社会」問題に収斂しているようです。
    いとう――エミシがいて,アイヌがいて,西の国に行って,タタラ場には明らかに
    ハンセン氏病を患っている人たちがいて.でも僕が変だと思ったのは,森の中で
    タタリを起こしてつくってしまう,あの毛皮をかぶった人たちは確実に被差別
    部落民なわけよ.他は複雑な事情を描写するのに、その人たちだけは単純なほど
    被支配者で悪人になる.差別だよ。
    桜井――いや,あれは最後の結末でもわかるとおり,完全に常民に立っている
    わけだよ.
    押切――そうだね.最後ハッピーエンドみたいにしといて,結局何もないよ.
    だから「本当の解決がない」ということすら,あんまり考えなくてよくなっちゃう
    というか…….
    いとう――主人公が「ここで生きよう」なんて言って終わるのは、アイヌの同化
    政策とどこが違うのか.
    桜井――かなりヤバイぞ,これは.
    押切――鉄とかタタラ場っていうのは,ある程度人間が生活していく以上やらな
    きゃいけない.エコロジーなんてそんな単純じゃないんだということは言えて
    いるんだと思うんだけどね.
    
         >  結局、この映画はあの男の子のビルドゥングス・ロマンなんだよ。
         あらゆる出来事は「通過儀礼」に過ぎない。ヒドイねえ、エコや差別問題「その他」
         は、全部、単なる「道具立て一式」ってことだよ。
         これって、要するに「ちょっと高級なRPG」ってことなんじゃないの?(桜井)

    桜井――じゃあ、このへんで「本題」にはいろうか。宮崎監督は,アニメータ
    ー出身だから自分は「職人」だと言っているわけだね.そういう「職人」なの
    にもかかわらず,メッセージとかいうところに何故かいっちゃうんだね.
    ディズニーと比べて,例えば彼が神経ないなと感じるのは,草のそよぎとか,
    自然の動き,それからあと動物の動きとか.
    押切――アシタカが乗っていた動物(ヤックル)のお尻が全然駄目ね(笑).
    お尻の下だけがパカパカ動くようになっているんだ.僕はずっとお尻を見て
    いたんだけど(笑),駄目なんだ.
    
         > ヤックルの動きが平板だと、一体となって野山をかけめぐっているアシタカの動き
         にも魅力がなくなってしまう。となれば、自然の法にしたがって生きているはずの
         アシタカに仮託されたメッセージは、説得力を欠くことになるだろう(押切)

    桜井――生きたものの動きを,生き生きさせるということは全然やってない
    んだよね.馬が遠くからやってきて地面の草がそよいだりするとか,そういう
    ところは何も考えず,ものすごくお約束で.
    いとう――生命を謳歌しているわりに,なめらかでないってこと?
    桜井――そう.それから森の夜の風景みたいなところで,羽根がいっぱい
    生えているトンボの長いやつが通っていくんだけど,あれが森のパースの
    つき方に対して,二次元にしか動いてこないんだ.
    押切――そうね.それに比べてといったら変だけど,脇役でコミカルな演技
    を要求されている人たちがいるじゃない.坊主だとか.ただ,二の線の人たち
    の凛々しい動きとかいうのは,崩せないと思っているのかなあ.
    桜井――とにかく歩き方がひどいよ.
    押切――ちょっと,ウランちゃんみたいになっちゃってる(笑).
    桜井――とにかくスピードを出すところは,何やっているか見えないぐらい
    速くしているけど,それもやっぱりスピード感が一定なのね.
    ディズニーが最初にアニメをつくったときというのは,やっぱり動かしたい
    わけよ.つまり動かないものを動かしたいという願望があって,そこに精魂
    を傾けるわけよね.
    押切――昔の日本のアニメはね,お金の問題をよく言われたけど…….でも
    これはお金がすごいかかっているわけだからね.
    桜井――セル画数もものすごく多いです.
    いとう――あの表情のなさというのは,日本のアニメの癖だと思う.
    桜井――手塚治虫はディズニーが先生だから,そこをものすごく気にする
    わけですね.それが一番で,お話はその次ということだと思うんだね.
    いとう――宮崎さんは,人間も自然も本当は好きじゃないんじゃないの.
    悲観的で.
    押切――アニメーションの成り立ちが手塚治虫から始まっているにもかかわ
    らず,何か動かなくさせてしまう,踊らなくさせてしまうようなものが
    あるのかなあ.
    桜井――宮崎駿は事あるごとに,ディズニーと手塚治虫を批判するわけじゃ
    ないですか.宮崎駿や高畑勲が,ディズニーの何がいやかというと,
    話があまりにもオプティミズムだとか,鼻につくんだとか,偽善だと言う
    わけね.言いたいことはわかるけども,何がアニメーションを成立させて
    いるかに関して,ディズニーのことをどう思っているかというのが,
    何もないと思うんだよ.
    押切――もののけ姫を見ても1回も笑っていないんだよ.これはすごい
    ことだと思う.
    いとう――笑いって,みんなのメッセージをわかってないやつが間違えて
    何か言っちゃったりするからおかしいわけじゃない.そういう意味では,
    外部がないという感じがする.
    桜井――例えば,絵を描いたりものを書いたりつくったりする人の頭の中
    には,まず,ある自然の風景とか自然の人間とかいうものが頭の中にある
    はずじゃない.でも宮崎監督の場合,初めに二次元のセル画があって作品
    をつくっていく.
    いとう――三次元の自然を投影するんじゃなくてということね,
    二次元のまんま.
    押切――動きの場合,全部速さに還元しちゃっていて,それを迫力として
    見せているというのが,僕が退屈した原因だな.
    桜井――そうそう.速さに関しては,二種類しかこの人はないよね.
    アメリカのアニメーションのある種の法則として,物体の運動をシミュレー
    ションするときに,本当らしく見えるコツは,最初と最後の速度を変えるん
    ですよね.例えば普通に実写したフィルムでモノが落ちたりするものとか,
    モノが動いたりするものトレースしてアニメにしても,リアリティが出て
    こない.だからいろいろと工夫をして,時間的にS字を描くというようなこと
    が,アメリカの本によく載っているわけです.これを考慮に入れて作画する
    と,絵でやっても生き生きとして見える.
    押切――例えばゴルフのスイングをするときに,いいスイングというのは,
    頭が後ろに残っていて腕が遅れて出てくる.そして壁というか一つ踏ん張る力
    があって,ビユンとヘッドが走るという話があるじゃない.頭そのものもそう
    だし手もそうだけど,あとからくるわけだよね.でも,この映画の動きという
    のは,頭と体が全部くっついているという感じ.
    いとう――さかんに矢で首が飛んだりするけど、飛んでも悲惨じゃなく見える.
    それって,要するに胴体と首までが一定だから,一部がとれただけで,他は
    まだ動きますというような感じが無意識的にあるのかもしれない.
    桜井――『ジュラシック・パーク』なんかでも、アニメーターと同じように,
    恐竜の生き生きとした動きにものすごく感性を傾けているわけだね.
    恐竜の動きにものすごいエネルギーを使うという職人魂がある。そのぶん
    お話しはダメだけど.
    押切――スピルバーグは,『ジョーズ』をまたやるらしいじゃない.
    いとう――「サメに関してはおれが動かす」とスピルバーグ先生は言っ
    たか(笑).
    桜井――宮崎監督はあるときから人間のプロポーションをリアリズムに
    近づけていったと言われています.でも,そう言うけど,例えばタタラを
    踏む女たちの左右の目がずれてんだよね.
    いとう――そんなところまで見ていたんですか(笑).じゃ、言うけど、
    おっぱいが不自然でした.右左のおっぱいが角度によって変な形になっている
    んだよ.
    桜井――単純に「記号」なんです.
    いとう――あと,口とアフレコがみんな合ってないのはなぜ? あれは英語
    版を主体につくっていて英語では台詞が合うようになっているのかなと
    思うぐらい合ってないよ.
    桜井――ディズニーのアニメは,台詞を録った後に絵を合わていくわけ
    でしょう.こっちは伝統的にアフレコだから.でも昔のアニメは合わせて
    いたような気がするんだな.
    押切――やっぱりこれは声優に役者を豪華に使ったということがあるんじゃ
    ないの.
    
         >  森繁久弥、森光子といった大御所たちを相手に、宮崎駿はキビシク
          演出できたのだろうか。(押切)
       
      >>そこですね。なんていうか、この監督、単に芸能人の偉
       い人に弱いと言われても仕方がないと思う。
       大切なセリフのダメ出しが出来ていないからこそ、口が
       合ってないんだと推測されるから。しかも、森繁にいた
       っては言ってることが聴き取りにくい(笑)。森繁がや
       ったイノシシの親玉がいきなりエフェクターかませた音
       でしゃべる場面は、演出というより単純にあまりに聴き     
       取れないのでごまかしたんじゃないかという邪推さえし
       てしまうほどだ。(いとう)

    
    桜井――なるほど.あと、音楽も,絵とシンクロさせるとかっていうこと
    は全然ないね.やっぱり音がしたりするのはきらいなんでしょうね.
    ダンスがきらいなんじゃない.
    押切――大体遠景で山が見えるときに必ずかかる音楽があるじゃない.
            NHKスペシャルとかで。冨田勲がつくった『新日本紀行』という感じ.
    桜井――別に音楽のテイストがどうのこうのいうつもりもないんだけどさ,
    やっぱり劇伴ですか,という感じだよね.雰囲気づくりためだけにあるのか
    という…….
    
          >  とは言ったけど、やっぱりこの作曲家、日本映画のガンだと思う。
          たけしの映画の唯一の汚点だよ。なんでみんな重宝するかなあ。(桜井) 
                   
                     >>ちなみに、テーマ曲の歌詞において、二人称が「そなた」
                      だったり、「お前」だったりしてるのはどういうことか?
                      つまり、歌の主体がアシタカでももののけ姫でもないこと
                      がわかってきてしまう構成なわけで、もののけ姫を「そな    
                      た」と敬う立場の人間(ないし自然)で歌ってもおかしく
                      ない存在を探してみると、これが驚くべきことに物語の外
                      にいる監督自身に一番よくあてはまる。
                      これを破綻といって悪ければ、出過ぎた真似と言い換えよ    
                      う。いや、カラオケにでも行って、もう一回歌詞を読んで
                      みないと大きなことは言えないんだけども、聞く気が……。 
                      (いとう)


    押切――逆に,こんなに宮崎駿はすごいってみんなが言うのは何でなんだ
    ろう? やっぱりメッセージ性にあるのかな.
    いとう――『風の谷のナウシカ』のときの思考の粘りはすごいと思う.
    それは悪く言えないと思う.
    編集部――一般的な話に置き直してみると,例えばディズニーなんかは,
    コマ割りをものすごく細かくしていくことによって動きをつけようという
    ようなのがあるわけじゃないですか.それに比べて日本のアニメーション
    というのはわりと荒い?
    桜井――昔は荒かったけど,今はコマ数はあるんですよ.でもほとんど
    動いていない.ともかくドルビーサウンドで音は飛ぶし,コマ数も多く
    なっているし,あとCGも駆使している.そういうことである種の逆転の
    発想みたいなものはする必要がなくなっているわけだね.
    手塚治虫はコマ数が少なくてもやっちゃったんだけど,それは手塚治虫が
    コマ数が少ないときはどうやったらいいかということを一生懸命考えたから.
    いとう――マイナスがあるから知恵が出る.
    桜井――そうそう.どうやったら躍動感が出るかということはいろいろ
    考えるわけだよね.だから,そういうことを考える必要が既になくなっ
    ちゃっている場所でつくっているとも言える.
    押切――あと,リアリティ志向というので言うと,動きにあまり
    デフォルメをしようという感じもないね.
    桜井――アクションにね.キャラクターじゃなくて.
    
             > これもあちらのアニメーションの本に書いてあったけど、
              実際の物体でも、動きを写したフィルムを一コマづつ見てみると、
              例えば、バットに当たったボールはその瞬間ほんとにひしゃげている。
              それをディストーション(歪み)というんだけど、アニメーターは
              さまざまな状況に応じて、ディストーションを加減してニュアンスを
              出すようにこころがけなければいけない、と。つまり、リアリズムと
              は相反するものじゃないんだよ。(桜井)


    押切――うん.アニメーションだから許されることがたくさんある
    のにね.例えば体を波打たせるような動きとか,そういうことを全然
    やってないよね.
    桜井――例えば『風の谷のナウシカ』とか『天空の城ラピュタ』とか
    でも,風がよく髪の毛とか帽子とかをなびかせるじゃないですか.
    そのなびき方が普通よりも遅いよね.
    いとう――それは動きというものをやわらかく出そうと思ったときに,
    そうしたくなるじゃない.
    桜井――やわらかくというか,細かいけどギサギザ.なめらかには
    そよがないと思うよ.ディズニーのようにやろうとはしないわけだよね.
    つまり自然に見えるようにというふうにはやらないわけよ.
    いとう――つまりセルを描く前に「帽子,風」「帽子,はためく」とか
    まず文字があって,じゃあはためきましょうということではためかして
    いるからじゃないの.
    押切――能・狂言的な.それこそ職人という名で呼ばれることで,例えば
    照明を当てるとこっちがハイライトになってというような法則性を逆に
    みんな身につけ過ぎちゃっているというか.
    桜井――最初にそれをつくった人は,一つ考えられるのは,ディズニーじゃ
    いやだ,ディズニーじゃない技法で貢献したいと思ったかもしれない.
    
           > しかし、実は戦時中に作られた『海の神兵』というすばらしいアニメ
           をみると、感動的な「風になびくものの表現」があるんですよ。
           それはディズニーとはまったく違うリアリティで、やはり実際より
           やや遅めの動かし方をしている。万葉集(だっけ?)の「衣たなびく」
           って感じで、それこそ日本的なリアリズムなんだな、これが。(桜井)


    押切――本能的になめらかなものはなめらかにきちんと楽しく動いていくと,
    理屈なくやっぱりうれしくなっちゃうんで,それがいやなんだよ.
    いとう――そんなに全体が楽しくちゃ駄目だと.悲観的なこともやりたい
    のにという.ある種それは意識的かもね.
    押切――精霊(コダマ)の動きはどうだったかな? あり得ないもののとき
    はわりとよかったんだけどね.
    いとう――僕,この人形だったら買っちゃう可能性がある.かわいいから
    (笑).『トトロ』の「真っ黒クロスケ」もよかったし.
    桜井――それとね、ハイジから始まる東映世界名作のキャラの顔は全部,
    宮崎駿でしょう.ああいうプロポーションは,それまでなかったよね.
    あんな三頭身ぐらいで,手足がものすごい短くて,顔がでかかったりして.
    いとう――でもサリーちゃんとかは?
    桜井――サリーちゃんはプロポーションが五頭身ぐらいはあるはずだよ.
    いとう――ハイジはもっと子供だもん.少女だよ.
    桜井――少女といったって3歳児じゃないんだから.サリーちゃんと同じ年
    じゃないの?
    いとう――それはわからないけど(笑),サリーちゃんは,あのころ見て
    いた子供たちにとっては,お姉さんみたいなものとして描こうとしたと
    思うよ.自分たちよりちょい上.
    押切――サザエさんは?
    いとう――タラちゃんはそう.
    桜井――タラちゃんは、だって,ほとんど乳幼児じゃない.
    いとう--なぜそれを桜井が問題にしていて,怒りをぶつけたいのかを知り
    たいたいな。
    桜井――ベースにあるのは単なる好ききらいなんだけども,
   
          > 宮崎が好き好んであれを作ったかとかは、措くとして、長いあいだ続き、
           支持があっって、定着してしまったわけだから、あのキャラは
          「集団的無意識としての(子供)像」と仮定することも出来ると思う。
           では、なぜ「われわれ」は、かくも不細工な像を選択してきたのか?
           だって、少女漫画のキャラとかのデフォルメの比じゃないよ。
           あるいは、バービーに対するリカちゃんのプロポーションの差と
           比べても全然理解出来ないのですが‥‥。(桜井)

    コミックというのは,サブカルだから、フィードッバックがすごくあるでしょ。
    じゃあ、アニメからコミックなり、他ジャンルへのフィードッバックとして、
    この三頭身キャラが存在してるのか?ってことよ.
    いとう――そういう意味だったら,テレビゲームにきてるでしょう,
    プロポーションは.
    押切――それは間違いない.気持ち悪いのは,二頭身のキャラクターで
    戦うゲームがあるじゃないですか。ああいうのを喜ぶのは子供っぽい
    ということがよく言われるよね.でも,子供自身が本当に喜ぶかどうか
    というのもまたわからなくて,バービーちゃんはスタイルがいいけど、
    人気者だよ.
    
       > でも、バービー人気というのもせいぜい80年代からでしょ?(桜井)
          
          >> たしかに現在のようなスタイルになってからのバービー、リカちゃんを
            好むのは、幼児とはいえない、もうちょっと年齢が上の層である。
            しかし、発売当初のリカちゃんは5頭身はあったし、キティちゃんの
            ような2頭身キャラクターに対しては成長とともに興味を失ったもの
            だった。ではなぜ、スーパーモデル的なプロポーションが受け入れられ
            る一方で、2、3頭身キャラが受け入れられているのか。
            これは子供が、ある特定のプロポーションを絶対だ、好ましいと思って
            いるわけではなく、場合によっていろんな{頭身}を意識上使いわけし
            ているのである。実写だが、ウルトラマンシリーズでウルトラマンから
            セブンになったとき、当時5、6歳の私は 明らかにセブンの方がカッ
            コよくなって、しかも強そうだと思った。これはコスチューム
            デザインの問題だけでなく、頭身の問題だった。ウルトラマンの方が寸
            詰まりなのである。対して2、3頭身キャラも60年後半のアニメでは
            人気者だった。「もーれつア太郎」「怪物くん」…。頭のデカイ主人公
            たちを自分たちに近しい存在として認識していた。大人、あるいは頼も
            しい存在=6頭身以上、子供、あるいは頼りなくおっちょこちょい=2,
            3頭身という構造だ。2、3頭身は6頭身に支えられる存在なのだ。
            だから、2、3頭身キャラは宮崎のオリジナルではない。だが、宮崎が
            作り上げたハイジというキャラクターは、以下の点で新しかった。
            ■いわゆる感動的なおはなしのヒロインを3頭身にした。これまではギャ
            グ界の住人のみが「少頭身」でいられた。
            ■もっとも頼りなく見え、ある意味では不具者を連想させるハイジが、
            自分より「多頭身」のクララたちに力を与えるという構造にした。
           無垢なる少女が世界を救う、というのは 宮崎作品の大きなモチーフである。
           宮崎が意識的にハイジを頭でっかちにしたことは間違いない。(押切)
     
       >>> なるほど、「無垢なるもの=不具的形象が世界を救う」と。
         トリックスターということか。ハイジはヒルコなんだ。それじ
        ゃあ、しょうがないな。(桜井)
          
           >>現在、ゲーム関係、アニメ関係に2、3頭身キャラが頻出しているのは、
            作り手が物心ついたときにあのアニメを見せられた(「アルプスの少女
            ハイジ」は世界名作劇場という親が安心して子供に見せられる枠だった)
            ため、といってもいい。すべてのロリコンの道はハイジに通じる、であ
            る。(押切)
        
       >>> 奇形に通じるロリコンの道。日本のロリコンの「二重の変態性」
          が見えて来たぞ。だから、子供の顔にムチャクチャな巨乳という
          ようなプロポーション破壊が常套となるのか。そしてそのキャラ
          =イコン(聖像)は、日本の男の子のあらゆる退嬰、病理を無限大
          に受け入れてくれる聖母、という虫の良すぎる図式。もちろんマド
          ンナ(生身の)なんかじゃ、全然だめなんだよ。彼等には。(桜井)
    
                     >>>ふむ。面白いね。
                      あの手の三頭身キャラは近代以前にはない気がする。
                      文楽に出てくる子供の人形を見たって、むしろ頭が小      
                      さくて妙に背があるからね。
                      だから、押切さんのいう通り、宮崎さんの発明なのか
                      もしれない。(いとう)


    いとう――宮崎さんが,そういう形式をつくることは何ら悪いこと
    じゃないでしょう.
    桜井――それはもちろんそうだけど、なぜそういうふうにするかっていう
    こと.じゃあ,こういうのはどうかな.なぜ手塚治虫的なものが駆逐され
    ていったのか?
    押切――駆逐されていない.ディズニーなんかあるじゃない.
    桜井――ディズニーはあるけど,日本のアニメの世界で.
    いとう――それは虫プロが倒産しちゃったからじゃないの? 
    経済的な問題でさ.
    押切――こないだ手塚治虫のコンテが出てる本を見つけたんだけど、
    これを見るとすごくグルーヴを感じる.また手塚アニメの場合,
    女の子のお尻とかがかわいく強調されていたり,それから髪の毛のはね方
    が特徴的で,それはローラン・プティにも共通する遊び感覚がある.
    インタヴューの中で,反省材料として今度はこうしたいといっているのが
    あって,この前は心理面が出過ぎちゃったので,動きにしたいという事
    を手塚先生は言ってるわけだ.
    いとう――精神にならないようにしようと.
    押切――これを見ると手塚先生のかかわりかたにはいろいろあって,
    原案だけだったり,ほとんどタッチしていなかったり,脚本だけだったり
    する.例えば『アラビアン・ナイト』は北杜夫と脚本を書いていたりする
    んですが,共通して手塚イズムみたいなものは全部絵にある.宮崎駿と
    比較するといいんです,『火の鳥』とかになるとみんなテーマで語っち
    ゃうけれど,むしろこの人は絵と動きだったのかな,と思うんですね.
    桜井――そうだよ.なのにみんな手塚については,ヒューマニズムとか
    そういうことばっかりを言ってるよね.それがオプティミズムすぎるから
    攻撃対象になっちゃうわけでしょ.でもそんなにこの人はオプティミステ
    ィックなわけでもなくて…….
    いとう――じゃあ動きが楽しいからそう見えるっていうこと?
    桜井――というか動きが楽しいということについて言えば,あるいはマンガ
    のキャラクターの図像学的なことはみんな何も言わないわけじゃない.
    押切――「戦役ものが外国から引き合いが来て,それが予想外だというので
    動画と言えばメルヘンしかなく,大人のものはタブー視されていたので進出
    することに意味があるということで,第一作は試作品で,今度は徹底して
    手塚調にして完成品に近いものにしている.前の作品には変に心理描写が
    あってマンガ的な面白さが損なわれていたのを今度は徹底したギャグコメデ
    ィーにしたい」と。
    桜井――何をどう語るかということについてね.アニメーションで何が
    したいかということですね.
    押切――実写とのミックスもした人だからね.動きを知ってるからかも
    しれないけど,コンテを見ているだけでもグルーヴがある.
    桜井――虫プロ批判ということで,宮崎駿や高畑勲が言っているのは,
    ディズニーの24というコマ数を予算の都合で少なくしてそれを日本の
    アニメのスタンダードにしたのがいけないというものなんですね.でも
    手塚は,コマ数を少なくしていかにグルーヴを出すか,ということを
    ものすごく考えていた人なんですよ.
    押切――むしろ難しいわけですね.
    桜井――それを普通の人がやったらどうせぎくしゃくしてまうわけ
    だけどさ.
    押切――もちろん『もののけ姫』は日本のアニメ史上最高のセル画枚数を
    用意しているわけだけど,でもそこからはそんなにグルーヴは伝わって
    こない.例えばハネとか,お尻の動きとかの,いらないものというか異化
    させるものとの対比で言うと,やっぱり宮崎駿に見られるようなテーマ
    としての同一化があるじゃないですか.結局最後には村にも同一化しちゃ
    ったし,まつろわぬ民という感じではなくなるエンディングに必ずなるし,
    だから元々の発想は…….もっとベイシックなものが,それに従わせる
    というか,例えばユーモアやギャグがまるっきりなかったというのは,
    それが物語に破調をきたすという恐れがあるからで,それは絵にも出て
    いる.
    桜井――グルーヴとかお尻が突き出るとかは,無駄なものなわけだ.
    いとう――でも,コダマはかわいいじゃん。あれには無駄が入ってる
    んじゃないの?
    押切――あれが唯一かな.
    桜井――でも,キャラクターの動かし方について精根傾けたのは,
    ディダラボッチのほうだからさ.
    いとう――あの巨人は踊ったりジャンプしたりは一つもしなかったからね.
    どしどし歩いちゃう.だいたい自然を擬人化しちゃうこと自体,俺は自然に
    ついて考える人のやることじゃないと思うんだけどな.自然を勝手に人間に
    引きつけて考えてしまうわけだから。それは自然にとって迷惑でしかない.
    
        > そこんとこには、知らず知らずのうちにディズニー的発想が入っちゃってるね、
         宮崎さん。関係ないけど、ディズニーのほんとにすごいのは、実は擬人化より
        「擬物化」だと思う。(桜井)
   
   
    いとう――だけど『もののけ姫』はアメリカとかで受けるのかね?
    桜井――徳間とバンダイはディズニーと提携契約して,配給権をとったん
    でしょう.だけど宮崎駿はディズニーきらいな人だから,そういうことの
    意識はしていないもんね.
    押切――物語はやっぱりわからないんじゃないの?
    いとう――自然も自然でよくないなと思っちゃうんじゃないの(笑),
    アメリカ人は.やっぱり征服しなきゃいかん.ちゃんと木はきちんと伐らなき
    ゃって,森のレンジャーは思う(笑).
    桜井――宮崎先生のことはこれくらいにして,サンリオなんかの可愛いもの
    の話に移りましょうかね.アニメとも関わるんだけど.
    押切――世界に流通してしまったもんね.
    いとう――『セーラームーン』はサンリオ系じゃないけど,とっても変な
    顔なの,見ると.何でこれが子供がかわいいと思うのか,もう僕たちが思
    っていた“かわいいクマちゃん”とかいうのとは違うよ.異様な目とかで,
    髪の毛がバリバリしているの.あれは不思議だよ.何で子供があれをかわいい
    と思っているのか,もうわからない.
    桜井――ともかく、すごく日本的幼児性みたいに言われがちなものが,
    ものすごい速度でヨーロッパなどを席巻しているわけじゃない.
    いとう――それはやっぱり日本のアニメがテレビで映っていることから,
    それ以降刷り込まれちゃったことでしょう.
    桜井――あと,ヨーロッパはディズニーがきらいじゃないですか.
    だからアニメの伝統もなかった,そこに日本のアニメが入っていったわけだ.
    押切――パソコンとかの画面というのもやっぱりあるんじゃないの? 
    アイコン的なものはあるよね.やっぱりチャーリー・ブラウンみたいな
    アメリカのと,キティちゃんとか見ていると,全然省略の仕方が違うよね.
    いとう――でも,サンリオは強いなあ.もう駄目になるのかと思っていた
    けど.
    桜井――ピューロランドなんか,まるで客が入ってなかったんだからね.
    押切――コギャルで言うと,自分たちの小さいころにすごく流行ったもの
    のリヴァイヴァルというのはあるよね.もうなつかしがっているわけだ
    「わたしたちはキティ世代なの」って,こういうわけでしょう.
    バカボン世代のおれたちとしては,もうわからない(笑).
    押切――バカっぽく見えることに何の躊躇もないやつがキティちゃんを
    集めているというので,その二つが合体したスターが華原朋美なの.
    あれは「朋ちゃんね……」とか言って,バカでもいいみたいな感じに
    なっちゃっていて,それが小室哲哉に一番受けているみたいな感じがする
    わけじゃない.あれがまたキティちゃん大好きというか,ほとんどコレ
    クターなんだよね.
    いとう――そうなんだ.じゃあカリフォルニア・ギャルみたいになって
    いるわけだね.「男が好きで何が悪いの」ってさ.ニューヨークの女たち
    は「何よ、それ」っていう感じでしょう.それに対して,「何が悪いの,
    ファラ・フォーセット=メジャーズよ,わたしは」みたいな(笑).
    押切――たとえがなつかしい(笑).女性誌でこの前見たのは,
    華原朋美vs松田聖子なんだ.つまり,何か人のシンボル二つを比較する
    ときも華原朋美だったりするわけ.当然ブランドももっていて,グッチの
    ブランドをいっぱいもっているうえに…….
    いとう――キティちゃんもかわいいんだっていうこと.顔もなんとなく
    プクプクしてるから,思い入れが可能と思っている.
    押切――動きがまたこれかたくて,すごいダンスするしね.幼児のダンス
    みたいでお遊戯っぽい.でも,例えばアイコンということだって,テレビ
    の解像度ということを考えると,それは進歩してるんじゃない.これから
    テクノロジーが発達していくわけで,キティちゃんみたいなものが残って
    いくのかというのはどうなんだろうね.ある規定によってそれが流行った
    ということはあると思うんだけど,それはアイコンだって三次元じゃない
    よね.見た目がもっといいものになっていくし,テレビだってハイヴィジ
    ョンとかデジタルみたいなものになっていく中で…….
    桜井――『もののけ姫』でもCGでつくった絵というのはあるじゃない.
    ディズニーもある部分CGですよね.そのCGの質感というのはアニメと
    ちょっと違うじゃない.これからどうなっていくか,というのは僕はあると
    思うんだよね.
    押切――だから刷り込みとして,この二次元ぽいというか,非常にアニメ
    っぽい絵というものに目になじんだ世代じゃない人がどう錯覚するか.
    いとう――こういうのに画面に合った新しいキャラクターができてくると
    いうことなんだろうね.
    桜井――今のところは,画面に合ったものは男の子がオタク系で好きに
    なって,手触りのものはやっぱり女の子がキティちゃんみたいなもので,
    分野が分かれているんじゃないかという感じ.
    いとう---なるほどね。
    桜井――ファンシー・グッズやアニメなんかも含めて,日本のオタクカル
    チャー的なものが,ヨーロッパに浸透するとどういうことになるかと言
    うと,かたい動きの方が自然に見えるようになっていくわけだよね.
    グルーヴという点でも変質してくると思うんです.特にアメリカのおたく
    が日本のアニメを模倣して,漢字を入れてつくったりするようなアニメが
    あるらしいんだけど.そういうのを見ると,日本の80年代の,すごく時間
    と金がなくて粗雑につくられたカキカキアニメ,スムーズに動かないという
    ものが一つのスタイルとなって,それをそのまま真似しているものがある種
    の層に受けたりということがある.
    いとう――だけど,その世代が過ぎたらまた違うのが出てきそうじゃない.
    世代が変わるとまた違うみたいな.でも,日本ではこのままいきそうかな.
    ディズニーは,文化としてミュージカルとかいろんなものが入っているわけ
    じゃない.一方,日本は音楽でどう体が動くかということがない.だから
    しばらくはこのまま硬い動きでいくと思うな.


   

    (いとう  せいこう・作家/
    おしきり  しんいち・ライター/
    さくらい  けいすけ・ミュージシャン)
   

(許可なく複製、転載をしないでください。)   ダンシング・オールナイト: 第1回 第4回 第5回 第6回へ行く


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