Pt30

インターネットリアルタイム旅行記再開ユーラシア編その2(通算30)

水の中のASIA

 
最後の同行者(?)魚住さん(左)と私(右)

そんなわけで結局魚住さんも香港に行くはずがカルカッタ発はチケットが高いのでいったんバンコクに行く事になり、ともにPCゲストハウスに来た。なぜこのゲストハウスかというと、テレザハウス(pt23参照)の同窓生の部長、矢崎さん、佐久間さんが揃って泊まっており、いまも部長くらいはいるかもしれないからである。魚住さんもテレザに一泊だけしており、少しは面識がある。なんで彼らがこの宿に泊まっているのを知ってたかというと当然Eメールで教えてもらったからだが、かれらもパソコンを持って旅行しているかというとそうではない。彼らはホットメールをやっているのである。ホットメール(その他フリーメールサービス。でもほとんどみなホットメールを使っている)とはインターネットのホームページ上でメールを送ったり受け取ったり出来るマイクロソフト社のサービスだ。知らないひとのほうが少ないと思うが、これに加入する事によって世界中のインターネットカフェに行ってそこのパソコンからメールを受けるだけでなく、受信する事が可能。受信は自分のアドレスを取得するため、たとえば旅行中でどんなに遠くに移動してもインターネットに接続されたパソコンがあるところならば受信まで可能なのだ。ただ人のメールアカウントで受信するとなると移動したら、受信は事実上難しかったが、ホットメールはこの問題を解決する。しかしこれには重大な欠点があり日本語での送受信がほぼ100%不可能なのだ。まず日本語対応パソコンがない。かりにあってもこのホットメールはものすごく文字化けしやすく、事実上ローマ字か英語での作文を求められる。僕が自分でパソコンを持ち歩くのはホームページ作成の便宜だけでなくこの理由も大きい。このホットメールの効用は大きい。旅先であった友だちの交流を何倍にも密にし、情報を活発に交換し、絆を深められる。実に良い。ちなみにいまぼくのメールソフトには30のホットメールアドレスが入っている。

話はそれたが3月27日ロイヤルブータン航空遅れ、バンコクのカオサンロードには6時ごろ着いた。でもスチュワーデス綺麗だから許す。まるでブータン人は日本人のようだ。PCにいくともう部長も誰もいなかった。ここで接続させてもらおうと、あんちゃんに交渉。OKが出ると、すぐ主人のババアが帰ってきた。チェックイン時の営業スマイルが突然夜叉の形相に変わり、英語がさっぱり話せないらしくタイ語で「絶対駄目だ。よそでやりやがれ」みたいなことをいっている。モバイラーの最大の敵はこういう現地人の無知である。そのうえ客をまったく信用していない。百戦錬磨のやり手ババアにも見えるがその実ただの無知ゆえの不審感を抱いているだけ。長年の勘がまったく役に立っていない。本当に悲しくなる。それともこれがタイの気質?事実この後4軒続けてインターネットカフェで断られる。はっきりいってこれほど断られたのはこれが初めてである。マリでさえ話せば一発でわかったのに。しかもフランス語で。タイは英語がしゃべれるやつもまったく分かってないやつが多かった。結局翌日5軒目でやっとOK。最後の最後でもっとも疲れた。

結局僕らはPCを2日でチェックアウト。魚住さんが「もっと情報のあるところを」と希望したのもあるが、あの英語の通じない低汰落には俺も疲れた。出るときババアがまた溢れんばかりの営業スマイル。しかし俺がその偽りの微笑みを信じる事はなかった。フレンドリーGHに行くと10月ザンジバルのパラダイスで一緒だった辻野さんと半年ぶり再会。この宿もケチ臭くパソコンを使ってると「電気代を払わないと駄目」などと言い出す。タイ人の気質なのか、よほど日本人旅行者が問題を起こすのか…

3月31日、僕がサファリで、魚住さんがアテネであった競馬放浪家丸山さんがバンコクに来た。魚住さんは丸山さんファンで翌4月1日香港行きを決めた事を猛烈に後悔し、出発前まで止めようかなといっていた。僕らはその夜、歓楽街に繰り出した。前日パッポンロードに行って魚住さんと2人でゴーゴーバーでたのしんでいたら、隣りに座った日本人の恰幅の良いオジサマからその店は男の方が多いと聞き、げっそりして帰っていたので、この日もあんまり燃えなかったが、丸山さんは大フィーバーしていた。俺は綺麗な男よりブスな女、カレー味のうんこよりうんこ味のカレーを選ぶので、この日の店も店の子が男か女かはっきりせず、ちっとも楽しめなかった。そう、男は本物志向、名作の贋作より駄作の真作(ちょっとちがうか?)。弟子が描いたレンブラントの肖像画にいったいどんな価値があるというのだ。作り物の女は悲しいだけだ。しかし前日の店のニューハーフ、他の店の本物の女より綺麗だから情けない…。そんな迷いの中ソイカウボーイ、パッポン、ナナホテルと3ヶ所の歓楽街を梯子して、パッポンから2時間歩いてカオサンに帰る。俺はただ疲れたが2人は結構楽しそうだった。トゥクトゥクというオート3輪箱乗りで歓楽街から歓楽街へ移動したが運転手がパッポンでなく自分が手数料をもらってるいかがわしいサービスをしてもらえるマッサージ屋へ連れて行こうとしつこく誘うので丸さんあえてベタな発音の英語で「ウィーウォントトゥゴートゥパッポン!!!」と酒の勢いもあり絶叫。魚住さんも妙に力を込めて「パッポン!!」とつられて吠える。続けて全員で「パッポン!!!」これにはしつこいドライバーも降参し、パッポンへ。青春の甘く切ないヒトコマだ(どこがやねん)。魚住さんは丸さんの登場で、もっと遊びたいのに、心底迷いながら香港へと旅立った。しかし魚住さん、19歳で大学受け直すとかいってるがその若さで30前後のオヤジに挟まれて、こんな遊び覚えちゃっていいのかい。

タイのンまい飯にも飽き足りなくなり、旅の虫が疼いてきた私はカンボジアへ最後の小旅行に出る事にした。4月10日を帰国の目安にしてきて、諸般の事情よりこの日程は変えられないのだ。変えられなくはないがこのままいつまでも旅行ばかりするわけにもいかないし、歯止めがないとそうしてしまいそうだから恐い。4月1日までにVISAを取得し、翌日にはツーリストバスでカンボジアのシェムリアップに向けて出発。国境まで300バーツ(列車なら48バーツ、路線バスなら112バーツ)。国境からトラックでもう300バーツ、トラックの荷台なら250バーツ。道中ドイツ人と、神戸で英会話学校の先生をしてたイギリス人と一緒になる。イギリス人はそこそこ上手な日本語をしゃべれる(しかしサンディさんのほうがかなりうまいが)。しかし学校が破産寸前で解雇されたらしい。

タイは恐ろしい国だ。国境までの300km、どこまで行っても中央線のある、しかも大部分が2車線の舗装道。バンコクを出ればもっと牧歌的な車窓の眺めが見れると期待してたがもろくも打ち砕かれた。まるでG7かEU諸国だ。この期待はカンボジアに入ってから見事かなえられたのは言うまでもない。国境でピックアップをかなり待ち、よる8時前にシェムリアップに着いた。しかしシェムリアップと入力すると最初「しぇ無理アップ」と出た。一太郎に比較広告出されるわけだワード97。

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