1996,1997
ラオス旅行記

解題
1994年,北京に滞在中,ひょんなことから,ラオス語を習った。ひょんと言いながら,1年間も勉強した。先生はラオスからの留学生。一人はワンピンと言い,もう一人はウィリップと言った。ワンピンは,古都ルアンパバンの出身。のんびりした,微妙な抑揚のやさしい言葉を話した。ウィリップは,現在の首都ビエンチャンの人。しっかり者のお嬢さんだった。
1996年,はじめてラオスに行った。ラオスは社会主義国。ビザは簡単には出ない。山ばかりの国内に鉄道はなく,移動手段は悪路を走る,限りなくトラックに近いバスを除いては飛行機しかない。時間と体力があれば,近隣国でビザが出るのを待ち,自分で移動手段を確保して,というのも悪くはないのだろうが,つらい旅は中国で散々してきたし,もうそれほど若くはない。事前に日本の旅行社を通して,ビザも航空券もホテルも国内移動手段もついでにガイドも全部手配してもらった。
1997年,再びラオスに行った。この時もすべて手配してもらい,ただガイドは断り,移動も少なくして,前年最も気に入ったルアンパバンでのんびりすることにした。
手配旅行にしたのに,しかし,つい癖でバックパック1つに荷物を詰めてしまった。ま,いっか。さぁ,出発だ。

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